邂逅
紫藤総志が予告した通り、攻城戦が行われると『ライオンハート』はハーティア地域にある『テンペスト』の要塞を陥落させた。
『テンペスト』の残党が、マスター他幹部の全員を紫藤に殺されたと知ったのはこの攻城戦の時だ。王都に待機している『テンペスト』の下層が、いつものように攻城戦に呼び出されなかったことを不思議に思いながらも、ハーティア地域の要塞に行ってみると、会議室に桐山龍斗と幹部の死体が放置されていることに驚愕し、パニック状態に陥った。
そんなところに『ライオンハート』が攻めてきたわけだから、もはや抵抗するなんてことは思いつかない。無血開城により、『ライオンハート』が新たにハーティア地域の支配権を取得したのだった。
『ライオンハート』がハーティア地域の支配権を取得したことはすぐさまアナウンスで全員に知らされる。そして、『テンペスト』が事実上崩壊したこともすぐに情報が漏れて、瞬く間に広まっていった。
特にゴ・ダ砂漠の出身者が『テンペスト』崩壊の情報を広めていった。前から『テンペスト』に対して憎悪を抱いているゴ・ダ砂漠の出身者だ。それに加えて、自分たちの英雄である『ライオンハート』が『テンペスト』を倒したとなれば、その話で持ちきりになる。
こうして、名実ともに『ライオンハート』は最強のギルドとなったのである。だが、総志にとって、最強という称号は利用できる道具の一つでしかない。目的のために有利になるのであれば、最強の称号も使う。ただそれだけのものだった。
連日、『ライオンハート』の話が絶えないある日の昼前。もうすぐ昼食を取らないといけないと思いながらも、どうせ行く店は決まっているし、食べる物も決まっている真は宿泊している宿の部屋でのんびりとしていた。
何となく眺めていた空の雲は心なしか流れが速いような気がする。晴れてはいるが風が強いのだろうか。そんなことを考えていた。
「そろそろ行くか……」
誰に言うともなしに独り言を言って窓の景色から目を離す。ふと部屋の入口に目をやった時だった。
「初めまして、と言った方がいいだろうか? 私はお前のことを知っているが、お前は意識していないだろう?」
宿の部屋の真ん中に一人の少女が立っていた。権高な口調は少女らしくないが、声の質は子供そのものだ。見た目の年齢は10歳にも満たないだろうか。白いフリルのブラウスに濃紺のスカート姿の少女だ。
「おッ……お前は……ッ!?」
真は驚いていた。目の前に居るのは偉そうな口調の少女。ただのか弱い子供だ。だが、真は驚愕していた。その理由は少女の容姿。この少女は気の強そうな顔で、髪は赤黒い。長くのばされたその髪は美しく、血よりも濃い色をしている。この少女が成長し、髪の毛をショートカットにすれば、今の真と同じになる。
間違いようがなかった。この少女は真のアバターのモデルだ。
「私はお前に危害を加えるつもりはない。そんなに怯える必要はないのだ」
アバターのモデルと思わしき少女が声をかける。口調は相変わらずで、表情もない顔から淡々と告げられる。非常に美しい顔をしているが、無機質でまるで人形のようであった。
「怯える……?」
そこで真はハッとなった。自分の手が震えていることに気が付いたのだ。そして、汗が滲んでいる。目の前の少女に意識の全てを持っていかれていたため、そんなことにも今更気が付いた。
「私はお前と話をするために来ただけだ」
「俺と話を……?」
真が聞き返した。緊張はまだ解けない。解いていいのかも分からない。目の前の少女は一体何者なのか、ただのNPCでないことだけははっきりと分かる。
「そうだ」
「待て……。待ってくれ! 状況が理解できていない……。そもそもお前は誰なんだ?」
半分パニック状態になりながらも、何とか思考を回して言葉として出す。何よりも情報が必要だ。
「私は管理者だ」
少女は端的に自らを管理者と名乗った。表情はずっと変わらない。奇麗な顔をしているが能面のような不気味さがある。
「か、管理者……?」
「そうだ」
「……まさかッ!? この世界の管理者かッ!? お前がこの世界を作ったのか!?」
管理者という言葉にハッとなって聞き返した。この世界を統率してバージョンアップ実施している存在のことはずっと気になっていた。ただ、考えたとろこで全く答えが見つからないという状況。それが手がかりの方からやってきたのだ。
「私がこの世界を作ったと考えてもらって問題はない」
「こ、子供がこの世界を作ったというのか……!?」
「この姿は仮の物だ。できる限りお前に警戒心を与えないように配慮した結果が、力のない子供の姿だ」
弱い子供の姿なら相手を怖がらせるようなこともないだろうという配慮。だが、真からしてみれば問題は別のところにある。
「どうして……俺のアバターの姿で現れた? 俺に警戒心を与えないなら、他の子供の姿の方が良いだろう?」
強制的に姿を変えられた真の目の前にその容姿の元となった少女が現れたのだ。こんな世界になっていることも考えれば、他の姿の方が警戒心を与えないのではないか。
「私の存在を正確に認識させるためだ。他の姿では疑問が残る。だが、この姿で現れた以上、私がこの世界とお前に関係していることは明白だろう。私にとってはそちらの方が重要なのだ」
見た目を子供にしたのはあくまでも配慮。目的ではない。
「何がしたい……? 世界をこんな風にして一体何をするつもりなんだ?」
「今は答えることができない」
「どうしてッ?」
「時期が来ればいずれ教える。だが、今はその時ではない」
どれだけ押し問答をしても管理者から返ってくる答えは変わらないだろう。感情の無い顔を見れば、粘って聞き出そうとすることが不毛であることは分かる。真が一番聞きたかったことはどうやら教えてくれそうにない。
「……一つだけ教えてくれ」
「なんだ? 答えられることなら答えよう」
「……どうやったらこの世界を元に戻せる? 俺はミッションをクリアしていればいずれ世界が元に戻るんじゃないかって、漠然とそう思っていた。だけど、考えてみれば、ミッションをクリアすれば世界が元に戻るなんてアナウンスはされていない……。だったら、どうすればこの世界は元に戻るんだ?」
「それを明確に答えることはできない。だが、お前のやっていることは間違いではない。お前が正しいと思った選択をしろ。その結果次第だ」
管理者の回答は曖昧なものだった。ミッションをクリアすれば世界が元に戻るとは明言していない。だが、ミッションをクリアすることで世界が元に戻せる可能性は十分に内包している。
「ミッションをクリアしていけば世界を元に戻せるんだな?」
真が管理者の目を見て言う。ここははっきりさせておかないといけないことだ。
「お前が正しいと思った選択をし、行動しろ。その結果次第だ」
「これ以上答えるつもりはないか……。この話、美月達にも伝えないと……」
そこで真はハッと気が付いたことがあった。慌てて周りを見渡す。
「美月、翼、彩音、華凛! おい、どこだ。返事をしろ!」
美月達の姿が見えない。管理者と話をする前まで、美月たちはこの部屋に居た。真は外を眺めていたが、美月達は確かにこの部屋で会話をしてたのを覚えている。
部屋の中には真と管理者の少女の二人しかいない。どうしようもない不安に駆られて、真が窓から外を見る。
「ッ!?」
そこで、さらに驚愕の事実を知らされる。見える範囲に人の姿がない。今いる宿は王都の中心地に近い立地だ。窓から見える通りも大きな通りで、人の往来も多い。しかも、もうすぐ昼時で人が大勢で歩いている時間だ。それにも関わらず、誰もいない。人一人姿を見せていない。それどころか屋根に止まっている鳥の姿さえも見えない。
「クソッ!?」
真は毒づきながらも部屋の外へと駆け出して行った。管理者との話どころではない。真と管理者以外が世界から消えてしまっているのではないかという嫌な考えが拭いきれない。
だから、慌てて宿の階段を駆け下り、勢いよく入口のドアを開け放って外へと飛び出したその瞬間。
「うわッ!?」
真の目に飛び込んできたのは人の往来だった。大きな通りをいつものように人が往来している。NPCもいれば現実世界の人もいる。いないはずの人達がそこには大勢いた。
「わッ!? っちょっと、真どうしたのよ急に? 驚かせないでよ」
真の隣にいる美月が驚いて声を上げた。宿の扉を開けた瞬間に真が大げさに驚いたことで、横にいる美月も驚かされたのだ。だが、美月は真が何に驚いたのかまったく分からない。
「えっ…………?」
呆けたような顔で真が返事をする。まるで状況を理解していないような様子だ。
「真、あんたどうしたの? こっちまで驚いたじゃない!」
真のすぐ後ろから翼が文句を言ってくる。急に大きな声を出されたのだから、翼が文句を言うのは仕方のないことだが。
「ねぇ、真君……。凄い汗だよ? どうしたの?」
翼の横から華凛が心配そうに声をかける。どう見ても尋常ではない様子。さっきまで普通にしていた真が急にどうしたのか。それが心配だった。
「……っへ?」
「真さん、本当にどうしたんですか? 一旦部屋に戻りますか?」
彩音も心配そうな表情を浮かべている。
「あれ……? 俺は何に驚いたんだ……?」
「知らないわよ! あんたが勝手に驚いたんでしょうが!」
訝し気な表情で翼が言う。本当に何に驚いているのだろうか。
「ねぇ、真……。私達のことは分かる?」
美月が不安げな表情で真の目を見つめる。
「ああ……。美月に翼、彩音と華凛だ」
「うん、そうだね……。じゃあさ、私達が今何をしようとしているのかは分かる?」
「……もうすぐ昼だから、いつもの店に行って昼食を食べようって……。それで、今から宿の外に出て……」
記憶ははっきりとしている。昼食を取るために宿泊している部屋を出て、宿から出る瞬間、何故か驚いた。
(いや、待てよ……。何か忘れてる……。すごく重要なことだったはずだ……)
真は黙り込んでしまった。何か重要なことを忘れている。そのことは確実だった。根拠はない。だが、絶対に重要なことだというのは確信していた。宿の外に出ようとした、その前に何かあった。そのことだけは記憶に刻まれている。
「真……? 大丈夫……?」
美月が心配そうに真を見つめている。そこで真が考え事から戻ってきた。
「あ、ああ……。大丈夫だ……。ごめん、何か急にパニックになって……。俺もちょっと訳が分からなくて……。でも、もう大丈夫だ」
記憶を掘り起こそうとしても出てくる気配はなかった。真は仕方なくそのことを考えることを止めた。今は美月達を心配させないことの方が大事だろう。そう判断した。
「そう……? 大丈夫ならいいんだけどね……無理はしないでね」
「ああ……分かってるよ」
真がそう返事をした時だった。空から大音量で声が響いできた。
― 皆様、『World in birth Real Online』におきまして、本日正午にバージョンアップを実施いたします。 ―