対人戦エリア Ⅳ
昼下がりの午後、空には雲が出てきて太陽が陰り出してきた。じめっとした湿気が纏わりついてくる、どこか陰湿な空気だった。
『フォーチュンキャット』のメンバーと『フレンドシップ』のメンバー、合計12人はツヴァルンへと向かう街道を歩いていた。対人戦エリア内であるということもあり、あまり会話はない。不自然に静かだということが不安を煽る要素にもなっていた。
「心配か?」
先頭を歩く千尋が顔だけを少しだけ向けて話しかけてきた。
「えっ……。あ、そうですね……。対人戦エリアに入るのは初めてなので、どうしも緊張するというか。皆さんはよく通ってるから大丈夫だというのは分かってるんですけど……」
急に話を振られて美月が慌てて返事をした。ここに来てから口数があからさまに減っていることで千尋に心配をかけてしまったことを内省する。
「それでいい。ここはそういう場所だ。通行料を払ってはいるが、常に緊張感を持っているのは悪いことではない」
「はい……そうですね……」
千尋の言葉に美月が曖昧に頷いた。今の言葉は安全だから大丈夫という意味ではない。何かあるかもしれないから警戒を怠るなということだ。
「千尋さん、今までこの道を通ってきて問題があったことがあるんですか?」
千尋のすぐ後ろを歩く翼が質問を投げかけた。
「ある。一度だけ、通行料を払ったことを『テンペスト』のメンバーにギルドメッセージで通知されていなかったことがあった。その時に『テンペスト』の連中から難癖をつけられてな。通行料を払っていることを言っても、相手は『聞いてない』の一点張りだった。結局引き返して通知を出してもらってから、再度この場所を通ったということがある」
「それって、完全に相手の不手際じゃない!?」
思わず声を出したのは華凛だった。『フレンドシップ』側にはまるで落ち度がないにも関わらず引き返さないといけなくなったというのは理不尽極まりない。
「ああ、そうだ。だが、立場が弱いのはこちらだ。『引き返さなければ攻撃する』と言われれば、引き下がらざるを得ない」
「そんな……横暴な……」
彩音も思わず声を漏らしていた。あまりにも身勝手すぎる行動と、暴力に物を言わせる態度は理知的な人間のすることではない。
「それが『テンペスト』というギルドだ。あの時に攻撃されなかっただけでも、『テンペスト』にしては理性的に動いた方だ」
千尋のその話に誰もが黙っていた。真達にしてみれば、想像以上の無法者。ゴ・ダ砂漠の出身者からしてみれば、半ば諦めているような感じがある。結局のところ、できるだけ関わらないようにすることが最善なのだが、不幸にも関わらざるを得ない状況に置かれてしまっている。
そんな数秒の沈黙が場を支配した時だった。どこからともなく風を切る音が聞こえてきた。それは、世界がゲーム化による浸食を受けてからよく聞くようになった音。特にスナイパーからしてみれば日常的に聞く音だ。弓から放たれた矢が風を切って飛んでいく音。それに間違いなかった。
「ッ!?」
真が弓矢の風切り音に気が付いて、咄嗟に翼の方を見た。
「私じゃないわよ」
翼は弓を構えてすらいない。翼はたまに唐突な行動を取ることがあるが、それでもこの場所で不用心な行動は慎んでいる。
「うわッ!? クソッ……撃たれた……ッ!?」
呻き声を上げたのは小林だった。見ると太ももに矢が刺さっている。木でできた安物の矢ではなく、金属による装飾が施された高価な矢。あまり見ないタイプの矢だ。
「モンスターッ!?」
園部が驚きに声を上げた。弓を使うタイプのモンスターはいる。ゴブリンやオークなどの亜人は知性が低いながらも弓を使うことがあった。
「いや、こんな矢を使う亜人はいない!」
千尋が声を荒げた。亜人種族が使うのは粗悪な矢。高度に技巧を凝らした矢を使うことはない。
「まさかッ!?」
真が何かに気が付いた時だった。再度、矢が風を切って飛んでくる音が聞こえてきた。第一射目で矢が飛んできた方向のおおよその目途が立っていた小林が盾を構えて応戦する。そして、その横に並ぶようにして千尋が盾を構えた。
<ウィル オブ シールド>
千尋が構えた盾が白い光を放ち、背後を守るようにして広がる。パラディンが持つ防御系スキル、ウィル オブ シールドは自身の盾性能を上げると同時に、自身の後ろにいる仲間が受けるダメージを軽減させるスキルだ。
非常に強力なスキルではあるが、その分、効果時間がそれ程長くないことと、再度使用することができるようになるまでに時間がかかることが欠点だった。
「エッ……!? な、何ですか!? ど、ど、どうしたんですか!?」
彩音が半分パニックのような状態になっていた。状況が理解できていないというよりも、理解してしまったからのパニックだ。
「『テンペスト』だ!」
千尋が端的に叫ぶ。もう分かり切っていたことだ。亜人が使うような矢ではなく、人が使う矢が飛んできた。それも一般には出回っていないような矢だ。それを手に入れることができる者は限られている。そして、対人戦エリアにいる人間で、人に対して攻撃を仕掛けてくるような奴らは他にいない。
そして、飛んでくる矢に混ざって、炎が渦巻きだした。ソーサラーが使うスキルのフレイムボルテクスだ。
「うわあああああーーーッ!?」
突然広がった炎の渦に『フレンドシップ』のメンバーが悲鳴を上げる。
フレイムボルテクスはソーサラーの持つ範囲攻撃スキルの一つであるが、その特徴は持続的に効果を発揮し続けるということ。即ち、フレイムボルテクスの効果が及ぶ範囲に炎の渦が留まり、その効果範囲内では継続的にダメージを受けることになる。
這う這うの体で燃え盛る炎の中から脱出した先には一人のダークナイトが立っていた。
「おい、待てやコラッ!」
<ペインチェイン>
強面で大柄なダークナイトが『フレンドシップ』のメンバーに襲いかかった。ダークナイトのスキル、ペインチェインはダメージを与えつつ、その場に拘束することができるスキル。
「おわッ!?」
『フレンドシップ』のメンバーの一人が逃げようとしていたところを突然束縛されて、何が起こっているのか分からずに驚愕の声を出す。
目の前には片手斧を持ったダークナイトの男。それが『テンペスト』のメンバーであることは疑いの余地もなかった。ゴ・ダ砂漠の出身者であれば『テンペスト』のメンバーの顔は大体把握している。しかも『フレンドシップ』とは何かと揉め事が起きているため、見間違うことはない。
「別に悪いとは思わねえが、お前はここで死ねや!」
強面のダークナイトが一言そう言うと、片手斧を振り上げた。後はこの振り上げた斧でスキルを発動させるだけという時だった。
<スラッシュ>
間一髪のところに真が踏み込みこんで斬撃を放つ。真の一撃は強面のダークナイトを一刀のもとに袈裟斬りにする。その一瞬に時間が止まったような感覚が訪れ、真が睨み付けた強面のダークナイトと目が合った。
強面のダークナイトは真の攻撃を受けて、攻撃を中断して一歩引きさがる。
「痛ってぇなーッ! お前のことは気に入ってんだからよぉ、あまり俺を怒らせるようなこと……ッ!? なんだこりゃーーーーーッ!?」
斬られた痛みとともに自分の身体が赤く発光していることに気が付いた、強面のダークナイトが驚愕に悲鳴にも似た叫び声を上げた。
対人戦エリアで体が赤く発光することは、致命傷を受けたということ。この状態で何らかの攻撃を受ければその時点で命を失うことになる。レッドゾーンと言われる状態になっていた。
「はぁあーー!? なんでだよッ!?」
怒り狂ったように強面のダークナイトが大声を上げる。攻撃しているはずの自分がなぜレッドゾーンに入っているのか。受けた攻撃は好みの女性からの一撃だけ。斬られた痛みはあるにしても、現実の痛みに比べればほどお遠い痛みだ。それなのにレッドゾーンに入っていることが全く理解できなった。
「剛さんッ!?」
強面のダークナイト、剛の身体が赤く発光していることに気が付いたソーサラーの男が声を上げる。身体が大きく目立つ男だ。
それはソーサラーの男からしてみれば悪手だった。声に反応した真がソーサラーの男方へと向いて走り出す。それを見たソーサラーの男は攻撃をするべきかどうかの判断に迷いが生じていた。生け捕りにする予定の女を攻撃してもいいのかどうか。そして、その迷いは致命的だった。
<レイジングストライク>
射程範囲内まで近づいた真は、獲物を狙う猛禽類のように一気にソーサラーの男へと向かって襲来した。
レイジングストライクはベルセルクのスキルで、離れた敵へと一気に距離を詰めることができるスキルだ。近距離戦闘の専門家であるベルセルクにとっては一足飛びで相手の懐に入れるレイジングストライクは非常に重宝する。
真の一撃はソーサラーの男にとっても致命傷になった。一発でレッドゾーンに入る。
更に目を向けると、横にはスナイパーの男がいた。眉毛が薄く、一重瞼で人相が悪い男だ。
<スラッシュ>
すかさず真が踏み込みからの一撃を加える。斜めに斬りつけられたスナイパーの男も例に漏れず一発で身体が赤く発光した。
痛みはあるにしても、実際に斬られた痛みに比べれば、かなり軽い痛みだ。それでも一発でレッドゾーンに入ったことに理解が追いつかないソーサラーの男とスナイパーの男は言葉が出ずに呆然と立ち尽くすだけだった。下手に動いて何かされればそれで死ぬ。それだけは分かる。だから、動くこともできない。
シュッ。
矢が風を切る音が聞こえてきた。それとほぼ同時だろう。真の肩に矢が刺さった。真はそれを冷静に見つめる。矢が刺さっている向きから相手の場所を特定する。方向は斜め後ろ。真後ろからではなく、ややずらした位置から狙撃された。
真が振り返るとそこには不気味に笑う男が弓を構えていた。次の攻撃をするためにこちらに向けて弓を引き絞っている。
二射目の攻撃は早かった。迷いなく攻撃を続けてきている。この男は仕留めきれるまで攻撃の手を緩めないだろう。他の3人とは別格の強さを持っているように思えた。
<ソニックブレード>
真が大剣を振り払うと、剣先からは真空のかまいたちが発生した。ソニックブレードはベルセルクが使える数少ない遠距離攻撃の一つで、剣撃が見えない刃となって相手に襲い掛かる。
「ッ!?」
音速で飛んでくる見えない刃を回避することは不可能に等しい。先読みで避ける以外には直撃を免れない。だから、三射目の弓矢を撃とうとしているところに飛んできたソニックブレードの攻撃を回避することもできず、気が付いた時には体が赤く光を放っていた。
「ゆ、裕也さんッ!?」
全員を一撃でレッドゾーン送りにされたことにソーサラーの男が驚愕の声を上げる。裕也と呼ばれたスナイパーの男の表情は笑顔のままだが、顔は硬直し、冷や汗が滝のように流れていた。
「なんなんだよこれはーッ!? クッソ、逃げるぞッ!!!」
笑顔から一変、憤怒の表情で怒声まき散らした裕也は仲間のことを見もせずに全速力で走り出した。それを見たソーサラーの男とスナイパーの男も全力で走り出す。強面のダークナイトは既に逃げているようだった。