三姉妹、お宅訪問、娘のおねだり、三女は最凶
びっしり畳が敷き詰められた大広間が、オウマの目の前に広がった。その中央に四つの人影。
二つは床に伏し、二つは立って、それを見下ろしていた。
立っていたい一つが、乱入してきたオウマに顔を向ける。気づくや否や、顔を歪める。頬をヒク付かせ、歯を剥き出す。目は親の仇でも見るような、底知れない怒りをはらんだ光を放っている。
うわあ、マジかよ。
見知った顔にオウマの勢いが止まる。塗れた髪の毛から水滴が畳に落ちる。三姉妹の一人だ。太陽の花を愛でる会、通称、太陽の会の三幹部の一人だった。
もう一人の幹部もオウマに気づき、こちらは、にこやかな笑みを見せる。
「あらあら、おやおや。オウマお兄様じゃないですか。今日はどうしてこちらへ?」
口調と口元こそ友好的であるが、その目は笑ってはいない。ガラス玉のような空洞な、色を失ったような輝きで、オウマを捉えている。
一人はオウマを消し去りたく、一人はオウマを無かったことにした。お姉様に不純物は要らない。その気持ちが、ありありと伺える。
「ユウヤが、ここに拉致されてと聞いて」
オウマの言葉に、伏していた一人が口を挟む。
「拉致だなんて違うんです。ボクはそんなつもりじゃなかったんです。ただユウヤさんが」
「ユウヤさん?」
幹部Bが凄む。猛禽類のような目で、土下座のままの人影を睨む。人影は、どうやら吉田春吉のようだ。
「いえ、姫様がボクに話しかけて来られて」
おでこを畳にすりつけたまま、春吉の弁明が始まった。
事件の顛末は、こうだ。
部活帰りに、たまたま春吉とユウヤが遭遇。下校時、みなみなが集団で固まって帰る中、そこに迷い込んだように一人だけで帰っている春吉の背中がユウヤの目に入る。
その視線を追った本日の取り巻きが、口調は
綺麗に内容はドス黒く罵る。
「吉田君のご実家は、893屋さんなんですよ。なんでも、広域暴力団に指定されているとか。お姉様とは住む世界が違います。そんなに見ては、目が汚れるのでダメですよ」
「そうですよ、お姉様。こちらを見てください。私達を、その瞳に映してください」
ユウヤは目ぇ突いたろか? と思ったが、要望通り目で取り巻き二人を見た。その宝石のような輝きの瞳に映った自分達の姿に、取り巻きは崩れさせる。
「ああ、お姉様。な、なんてお美しい」
「その美しさは罪すぎですの。私、どうにかなってしまいそう」
取り巻きが悶えてる隙に、ユウヤは春吉に接近した。背中から声をかける。
「吉田春吉くん」
その美声に、とぼとぼ歩いていた春吉の背中がしゃきんと伸びる。話したことはないが、何度も遠くから何とか聞いた声。この声は間違いない。姫様だ。
あまりの幸運に確かめるのが怖かったのか、ゆっくりと振り返る。そこには予想通り、天使が舞い降りていた。ニコっと笑った女神が、近くに光臨していた。
ユウヤは姫様らしく、我が侭に、いきなり用件を切り出す。
「春吉くん家、893屋さんなんでしょ? 暴力組織の生活様式って一度見てみたいのよねえ。お伺いしていいかしら?」
春吉くん、春吉くん、春吉くん。
美声が脳内で繰り返し再生される。あの姫様がボクの名前を呼んでくれた。それだげで春吉から何かが漏れた。ゴールデン・レトリーバーならば、嬉ションしているレベルだ。
ユウヤが春吉の顔を下からのぞき込むように、首を傾げる。
「ダメかな?」
「と、と、と、と、とんでもない」
春吉は慌てて手を振り、首を振る。無造作に人差し指を顎に当てた仕草に、手が震える。震えてるのか振っているのか、自分でも春吉には分からなかった。
ユウヤは、次の言葉を待つように無言で、マジマジと春吉を見ている。その目は知的好奇心にキラキラ輝やいている。
春吉は、その眩しさを直視できないながらも、
姫様がボクの家に?
との千載一遇のチャンスを逃さないため、何とか答える。
「いえ、あの、その、了解です」
「うわあ、ありがとう。なんなら今からでもいい?」
ユウヤは無造作に春吉に近付く。綺麗な黒髪から漂うヘア・エッセンスの香りに、春吉の体の心が熱くなる。鼻息が少し増す。思わず顔をそらしてしまうも、拳を握り、何とか言葉を絞り出す。「えっ、その。はい、どうぞ」
ユウヤが手を合わせ、少し跳ねる。白い歯を見せ、喜び笑う。
「やったー。では行きましょう」
自分が作った女神の笑顔に、春吉は卒倒しそうになった。夢でも良いから、一生覚めないでくれ。
「あの、その、はい。では車呼びますね」
春吉が携帯電話を取り出し、車を呼び寄せる。お迎えの車は目立つので、正門から離れた場所で、送迎してもらっている。目立たないよう、徒歩十分はかかる距離だ。舞い上がってしまったのか、姫様を歩かせたくなかったのか、少しでもその要望に応えたかったのか、とにかく車を呼び寄せた。
ほどなくして、二人のいる正門前に、大きな四角い白い車両が現れる。見るなり、ユウヤは手を合わせ喜んだ。
「やーん。白塗りのベンツ。これでこそ、893さん。春吉君に声をかけて良かった」
「ボクの名前知ってるんですか?」
今更ながら、春吉が疑問を口にする。今まで話した事など一度も無かったからだ。
ユウヤは瞳を左斜め上にあげた後、答える。
「吉田春吉くん。書道部所属の一年生だね。ラブレターいつも呼んでるよ。達筆だね」
それだけで、春吉はメロメロになった。
そうなのだ。この学校に入学して姫様を見かけて以来、毎週毎週欠かさず春吉は、ユウヤにラブレターを書いていた。
「ごめんね。返事を書けなくて。一人にすると、みんなにしないと不公平になっちゃうから。本当にごめんなさい」
その言葉は、春吉には聞こえていなかった。
読まれていただけで、幸せだった。下駄箱の投函するとき、いつも思った。これだけの数だ。読まれていない可能性も高い。自分など認識されていないと。それでも書き続けた。
返事はないが、出すことで姫様とつながっている気がした。それだけで、胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。
達筆だね、達筆だね、達筆だね。
昔から字を書くのが好きだった。だから書道部に入った。書の間は、煩わしいもの全てを忘れられた。自分の字も好きだった。姫様に、もっとよく見せたい一心で、ラブレターは毎回三回は書き直している。
それが褒められた。これ以上ない幸せだった。
神様ありがとうございます。生まれてきて最高です。
家柄に悩んでいたのが、ウソみたいに吹き飛んだ。思わず、涙が滲んだ。せっかくの姫様のアップが、ぼやける。学生服のそでで、そっと拭い、晴吉は精一杯笑顔を見せた。
「さっ、どうぞ。ご案内します」
そうした流れで、取り巻き二人が心酔から目覚めた頃には、その目の前でユウヤが春吉の車に乗っていた。追いかけるも、車内からバイバイと手を振り、お姉様が視界から消えていった。
「あわわわわ、お姉様が白馬の王子様に連れ去れたちゃった」
「しっかりして、錯乱しないで。白馬じゃなくて、ただの白いベンツよ」
目の前の男の車に乗った、お姉様の姿に、一人が取り乱す。もう一人がそれを制する。
「それにしても、バイバイって手を振るお姉様も素敵。ワタシ、両手でめいっぱい振り返しちゃった」
「あー、分かる。いつものさよならの挨拶は、首を傾けた、ごきげんよう、だもんね。今日のアレはレアだわ。初めて見た。生きてて良かった」
「そうそう。って違ーう。そんなことより、どうするの? お姉様が893に拉致されちゃったよ。想像したくないけど、絶対にヒドいことされるよ。あんなことや、こんなこと。うえーん」
「大丈夫。まだ間に合うはず。三姉妹に連絡しましょ。何かあったら、三姉妹に緊急連絡が、太陽の会の鉄則よ」
そうして取り巻き二人は、三姉妹に連絡を取った。
お姉様が、吉田春吉の車に乗った。
なんですって!?
連絡を受けた三姉妹の行動は早かった。
祖父が代議士、父が地元市長の長女。
祖父が警察庁長官、父が地元警察署長の次女。
祖父が会計監査法人CEO、父が地元税務署長の三女。
「わたし、おおきくなったら、パパの、およめさんになる」
そんな風に幼少期に抱きつかれてきた、父は娘に甘い。娘達は思春期の、お年頃。
「一緒に洗濯しないで」
と洗濯物を分けられる毎日。近親相姦を防ぐための、生物学的な嫌悪だとしても、それは父には悲しすぎた。パパよめの頃の娘の写真を眺めるヒ日々。写真では娘が自分に、ぎゅうぎゅうにくっ付いている。娘は満面の笑みだ。そんな笑顔を最近は見た記憶がない。
それが今日はどうだ。
「パパ、お願いがあるんだけど」
娘から電話があって呼び出され、後ろから抱きつかれた。懐かしい娘の匂いと感触が、父の涙腺を刺激する。
父は娘に超甘くなる。目に入れても痛くない。むしろ目に入れて持ち歩きたい。
自分に笑顔を見せる娘に、
「なんて、キレイに育ったんだ」
と見とれる。親バカが炸裂する。お願い? 何でも聞いてやる。全身全霊を尽くして答えてやる。
父は娘の願いを叶えるのが、生まれ来た使命であるとさえ思った。
家柄として、官、刑、税を司る三姉妹。彼女達に目を付けられて、イジメられては、ここ地方都市では生きてはいけない。
それは春吉の実家とて例外ではない。
息子と母親は平身低頭、頭を下げていた。畳に額を付けたまま顔を上げないままでいた。
息子が何とか弁明を絞り出そうとする。
「違うんです。ボクは、そんなつもりじゃなかったんです。ただ優弥さんが」
お姉様を名前で馴れ馴れしく呼んでしまった春吉を、長女がガラス玉の睨みつける。空気が凍える。
「優弥さん?」
「いえ、姫様が」
母親は慌てて、息子の頭を押さえ、畳に押しつける。自分の額は、ずっと畳に押し付けたままだ。
「息子が、この度は飛んだ不手際を」
叩けば誇りしか出ない興業だ。興業の顧問弁護士、顧問会計士も、太陽の会の息がかかっている。刑法、民法、税法のすべてを、がっちり固められてしまう。
あまつさえ太陽の会は、地元駐屯地の幕僚にまでコンタクトを取っていた。
娘経由で、空爆でもする気か?
女のネットワークは怖い。また共通の目的がある場合の結束力は鋼以上だ。
女は敵に回せない。
オウマはこの時、そう強く思った。
女は敵に回すモンじゃなく、抱くモンだ。
十数年後にオウマがそんなことも語るようなるのは、また別の、お話。
「いいこと、吉田春吉君。織田優弥様は姫様なのです、不可侵なのです、誰も触れちゃいけない神聖なものなのです。お分かり頂けましたか?」
長女の申しつけに答えるように、息子と母はさらに額を畳に押しつける。
父と夫が命を賭けて残してくれた組だ。絶対に潰したくはない。
次女が長女の言葉を続ける。絶対服従を見せる相手に、口元がつり上がる。加虐心に目が怪しげに光る。春吉に近付く。
「お姉様を、家に連れ込むなんて」
足を振り上げる。足底の影が春吉の頭を捉える。
「この組、潰しちゃうよ」
唇がつり上がる。足を容赦なく振り下ろす。赤茶色のパンストに包まれた足が、春吉の頭に突き刺さる。
かに思えた瞬間、
ズサー!!
オウマがその間に飛び込んだ。二人にヘッドスライディングで割って入り、畳の上を滑っていく。上半身は脱いでいたので、裸のままだ。柔術家の間では、火鉢とも呼ばれる畳だ。お腹が摩擦で、熱熱熱。
思わず飛び退いてしまった次女が、通り過ぎたオウマを睨む。オウマは赤くなったお腹をふーふーさすりながら、立ち上がる。
「なんだよ、そのでかいパンツ。前も後ろも太股辺りまでがっちり固めちまって。ははーん、さてはお前、カリカリしてんなって思ったら、女の子の日か? 赤飯炊いてやろうか?」
通り過ぎる瞬間、オウマのエロ運動神経は、見たいがために首を捻挫しても構わない角度で急旋回させ、エロ動体視力がそれを捉えていた。次女の制服のミニスカートの中身を下からしっかりばっちりのぞき込んでいた。
次女の顔が図星か、赤くなる。羞恥と怒りが燃え上がる。思わずミニスカートの上から股間を押さえてしまう。
「な、なんだって、こんな最低が、お姉様の兄なの!?」
「べろべろべえ〜」
ののしってくる次女を、オウマは舌を出した変顔でからかう。もう何百回と言われて来たせりふだ。一々反応を選ぶのも面倒なので、条件反射で、このリアクションを取るようにしている。
「そういえば、そのユウヤはどこに行った?」
「お姉様は三女が、お連れ致しました。既にお帰りになられています」
長女がガラス玉の声で答える。三女の登場に、その名前だけでも、オウマは冷や汗が浮き出た。
オウマは三女を恐れていた。
なぜなら、三女は、長女の無視、次女の敵対とは別で、オウマに好意を持っていたからだ。
だが、その好意の正体は、
「これで、お姉様の義姉になれる」
だった。それが目的だった。その達成のために、オウマに連日ラブラブ光線を送り、危うくオウマも勘違いしてしまった。最後の一線は越えなかったが、今もあきらめていそうな気配はない。隙あらば図太さと虎視眈々さを秘めている。
本当に、女は怖い。
オウマは自分に向けられていると勘違いした、三女の愛くるしい笑顔を思い出しただけで、顔から血の気が引いた。
「目的は果たしました。次女、お帰り致しましょう」
「長女、でも」
オウマにからかわれたままなのが、よほど悔しいのか、長女に次女が食い下がる。だが、長女は取り合わない。ガラス玉の瞳で、取り付く島もない。
「でも、だっては、醜いお言葉よ。私の前では使わないで」
長女は言うなり、きびすを返す。大広間から退室していく。
「ま、待って」
次女は長女の背中を追いかける。退室の間際、振り返り、オウマへの一睨みを忘れない。
捨て睨みに対し、オウマは先ほどの次女の真似をする。ズボンの上から股間を押さえ、恥じらいの表情を見せる。
次女の顔が引きつる。敵意と殺意が目に燃え上がっている。
長女はそのまま消えていく。次女もその背中を慌てて追って、消えていった。
大広間に三人が取り残される。その内二人は、土下座したままだ。
空気が重い、重苦しい。酸欠になりそうだ。
オウマは塗れた頭をかきながら、親指で外を指さして謝った。
「えーと、その、あれ、ごめんなさいね」
開け放たれた障子から、門が中破、中庭が小破、中池とそこに沈んだ車の大破が見えた。