蜻蛉
抜き身が、天を貫くように高々と上がっている。
大上段からの下ろし斬り。
刀と自身の重量と、首、肩、胸、背中、腹、尻、脚の筋力を総動員した、最大最強の斬撃だ。
その威力は三つの胴などものともせず、肉も背骨ごと断ち切る。
その重さと速さゆえに、発動してしまえば、決して止まらない、途中で止められない。
死に体の剣撃である。
動かない肉に、正宗はきっちり刃を合わせる。
肉から見れば、自分を正確に垂直に捉えたそれは、一本の線にしか見えない。
金属の光沢も消え、おぼろげな影の線に映る。 その長さも幅も厚みも、消え去っている。
もの自体が把握できないために、どこまで自分に届くのか、読めない。
相手の有効射程が、間合いが分からない。
接近戦において、距離感の喪失は致命的だ。
届くのか、届かないのか分からないと言うことは、いつのまにか斬られると言うことだ。
また今こうしている間も、斬られる間合いに入っているかも知れないと言うことである。
心理的負担は大きい。
武器を持った者相手に、その有効射程が分からない。
自分は徒手空拳だ。
何か掴んで投げるなら別だが、圧倒的に相手の射程の方が長い。
オウマは、直ぐに逃げるべきだった。
袋小路に追い詰められてはいるが、正宗が蜻蛉に構えるのに、少し時間があった。
最大最強は、装填に時間がかかるものだ。
その隙に一目散に逃げれば、フェンスなりによじ登れば、何とかなったかも知れない。
だが時既に遅しだ。
正宗は装填も、斬り方構えも完了している。
今逃げても背後から斬られるだけだ。
オウマの逃げる選択肢は潰された。
セーラ服と日本刀。
背後には沈む夕日。
青紫と柄の黒と金色。
茜の空と、白いうなじと、漆黒のポニーテール。
絵画的で最高でーす。
元よりオウマに逃げる気など無かった。
女が真正面から自分を見つめている。
逆に言えば、自分から真正面に女が立っている。
そんな入れ食いの状況を逃すほど、オウマは甘くはない。
動かないのは、正宗に見とれていたからだ。
頭の天辺から足の爪先まで、舐め回すようにベロベロベロベロ見ていたからだ。
野郎の相手ばかりしていたので、オウマは女体に飢えていた。
いつも以上に、それを楽しんでいた。
野郎相手にパキパキに乾いていた心が、目の前の美少女剣士に潤っていく。
気の強そうな目つきが、張りつめた表情で、さらにその強さを増している。
構えも見事だ。
三キログラムはある鋼の棒を右上に持って、静止している。
体幹が弱くては、バランスを崩している。
セーラー服の奥に、引き締まった、割れた腹筋が容易に想像できる。
姿勢も当然良く、女体が凛という漢字を具現化したような、そんな印象を受ける。
自分になぜ刃が向けられているのか分からないが、女体は見せつけるように真正面に立ってくれている。
オウマは、十二分に堪能した。
次の欲求が芽生える。
見ているだけじゃ、つまらない。
てか綺麗だけど、キレイすぎて抜けねえなあ。
いやいや、待て待て、それは浅い。
ポニーテールは揺れてナンボだ。
動いてくれねえかなあ。
同じ角度も飽きてきたなあ、こっちから動くか。
うーんと、左は刀が邪魔だから、右に動くと。
正宗は刀の届く間合いに、制空権を張っている。
制空権は、正宗の刀を持った右腕の付け根、胸鎖関節を中心に、球体を形成している。
鋭い目は肉を捉え、頭の天辺から足の爪先までの高さや、その厚みを立体的にトレース。
その動きを見逃さない。
そのセンサーに、肉の起こりが引っかかる。
相手は左に回り込むようだ。
なるほど、かしこい。
刀から遠い左。
またここは袋小路だ。
道幅は狭い。
横に回り込めば、上からは斬れない。
壁が邪魔で横にも振れない。
こちらの攻撃は突きに限定される。
せっかく構えた蜻蛉の封じ込めに、正宗の心が
踊った。
それでこそ斬り甲斐がある。
獣が吠える。
実に良い肉だ。
斬りたい、斬りたい、斬りたい。
斬れ、斬れ、斬れ。
正宗は、その衝動には逆らいはしなかった。
斬る、斬る、斬る。
縮地で突っかける。
肉より早く動く。
殺してしまったら、切腹して返す。
そう詫び、間合いを詰める。
制空権が肉を捉える。
迷いなく、必殺の一撃を振り下ろす。
「きいいいいいいええええええい!!」
裂帛の気合いが、大気を震わせる。
大音声を肚から出すことにより、筋肉のリミッターが外れ、筋力が増大する。
足の踏み込みに地面が陥没し、反作用が足首、ふくらはぎ、膝関節、太股、お尻、股関節で増幅しながら駆け上がる。
背骨を中心に、腹、背中、胸、肩の第二ロケットが噴射し、さらに加速。
腕へとそのエネルギーを伝える。
胸鎖関節がぐるりと回り、肩胛骨を発射する。
重い肩胛骨に押され、腕が内転。
肘がしなり、先行させていた手首をしならせる。
持った刃が根元から加速。
鋼が大気をぶった斬りながら、肉の肩口へと向かう。
肉に回り込む時間は与えない。
半歩も動かさない。
驚異的な縮地からの蜻蛉だった。
詫びは終わっている。
刃など返さない。
一撃必殺の剣が、肉を襲った。
やっぱり。
正宗の目に涙が浮かぶ。
持った剣は、土道を割り、刃渡りの半ばがめり込んでいく。
顔を上げる。
視界が滲んできた。
涙が溢れてくる。
男は、正宗の必殺の剣を回避した。
何事もなく、その場に立っている。
袈裟切りに、胴を斜めに断とうとした鋼を、男は難なく受け流した。
振り下ろされる速度より速く、左手の手刀で刃を内に弾く内受け。




