泥水
暴漢が左目を押さえながら仰け反る。
その手の間から、折れた枝が飛び出していた。
正宗の掴んだそれは、暴風にへし折れた枝だった。
指先に引っかかった尖った線の固まりが、暴漢にぶつけられたのだ。
尖った先端が頬骨に滑り、穴へと突き刺さる。
眼球を貫いた感触が、正宗の手にしっかりと伝わっていた。
暴漢は立ち上がり、絶叫を上げ続ける。
「俺の目が、俺の目が」
潰れた目を押さえ、うわごとのように叫びを繰り返す。
正宗は吐き気を覚えた。
えづく。
寝ころんでいたのを起き上がり、逆流してきた胃液を吐き出す。
同族の肉体を破壊した嫌悪感に、全身が粟立つ。
胃液に喉が焼ける。
ぐじゅ。
枝が粘膜を破り、網膜を貫いた感触。
ゼリーの状の丸いモノを刺した感覚。
無機質ではなく生きた有機質を、神経につながったそれを突き潰した手応え。
不快だった、不愉快だった、嫌悪した。
それらを心の端のどこかで、愉悦する自分が気持ち悪かった。
「殺す、殺す、ぶっ殺す!!」
暴漢が目を押さえながら、凄まじい形相で迫ってくる。
殺意に身体が震えた。
野蛮人のような、原始の殺意。
自分の意にそぐわない他者を排除する、無邪気な殺意。
何もしなければ、確実に殺される。
正宗の防衛本能が、身体を突き動かす。
突き飛ばされた時に、離してしまったそれに手を伸ばす。
拾い上げる。
暴漢の手が伸びてくる。
片手で、くびり殺す勢いだ。
だが暴漢の動きは直線的だった。
片手で目を押さえ、片手は正宗に向け伸ばされている。
防御も何もない、無防備な突進だった。
カウンターで喉か水月(鳩尾の急所)を突けば、それだけで十分だった。
布に包まれたそれを、横に突き出すだけで良い。
しかし正宗の理性と本能が、それでは許さなかった。
頭が、汚された首筋と胸と太股に激怒する。
真水は一滴でも泥が入れば、泥水だ。
もう二度と真水には戻れない。
汚れた身体は、二度と純白には戻らない。
生まれ居出て一七年間守ってきた、純血と貞操は無惨にも奪われた。
決して許せない。
ここで許してしまえば、時の流れと世界の広さに、怒りが薄まる。
どこかで許してしまう。
処理できるのは今しかない。
理性が背中を押す。
本能が心臓を一つ叩く。
ドクン。
鼓動が大きく跳ねる。
血流が全身に勢いよく流れ、身体を熱くする。
眠っていた何かが、血潮に目を覚ます。
喉の乾きを潤すように、それは血潮を飲み干す。
ドクン、ドクン、ドクン。
乾きに応えるように心臓が鼓動し、その蠢くが大きくなっていく。
喉の乾きが癒える。
貪欲なそれは、次に肉を欲する。
長き眠りから覚めたそれは、抵抗など許さない。
理性も後押ししている。
躊躇う必要など微塵も無かった。
正宗は、腰に袋を構える。
袋に入った一本を突き出さず、封緘していた紐を解く。
暴漢が間近に迫る。
顔も判別できないほど暗いはずのなのに、正宗はその血走った目を捉えていた。
ケダモノの目に、自分が映り込む。
鯉口を切る。
叔父さんの剣撃が記憶再発する。
理性が吠え、本能が叫ぶ。
許すな、許すな、絶対に許すな!!
肉だ、肉だ、肉を食らえ!!
冷静な判断と煮えたぎったマグマのような衝動のまま、腰を後ろに切り、鞘に走らせた。
次の瞬間、またこの世のものとも思えぬ絶叫が辺りに木霊した。
「ぎゃああああああああああー!!!」




