心を亡くすと書いて、忙殺
半年前。
正宗は、三年生の引退に伴い、第一剣道部主将、風紀委員長、助太刀筆頭の三役に任命された。
偉大なる諸先輩方々からの引き継ぎ。
指導される側だった立場から、指導する立場への転換。
若輩の後輩達を育て率いて、組織を存続させる統率。
など様々な重責が、正宗の肩に、のし掛かった。
自分のような未熟者に、そのような大切な立場が与えられたことに、正宗は光栄に感じていた。
同じ二年生達も、助力して支えてくれる。
心は何とも無かったが、多忙殺に身体は悲鳴を上げ出した。
まず気が高ぶりすぎて鎮まらず、寝付きが悪くなった。
寝不足の日々が続いた。
寝起きも悪かったが、水浴びで無理矢理身体を引き締めた。
寝不足により当然肌も荒れ、髪もパサパサになった。
毎日に楽しみにしていた入浴の時間も、鴉の行水程度となった。
正宗は真面目すぎた。
多すぎるタスクを、全て一つ一つ全力でこなしてしまった。
三年生も受験や就職など進路準備に多忙の中、自分との引き継ぎ時間を確保してくれている。
相手は人だ。
優先順位など、付けられるはずも無い。
また副長に任せる分野も、長として把握はしておきかった。
つまりは、全てを理解する。
正宗はそれに挑んでしまった。
単身で勝てるほど、組織という団体は簡単でもなく、浅くも無い。
無謀な戦いに、正宗の身体が蝕まれていった。
学院に通い家に帰るのが、学院に帰り家に通うに逆転。
起きているのか、寝ているのか、眠って夢を見ているのか、起きて白昼夢を見ているのか、世界がぼやけた。
一人になるとフラフラした。
真っ直ぐ立つものしんどかった。
だが人前では決して、その姿を見せなかった。
自分は長なのだ。
組織の屋台骨なのだ。
それがフラついては、先人達の結晶の組織が瓦解してしまう。
それだけは、自分の身を引き替えにしても避けたかった。
そんな時、事件が起こった。
それは十月の終わりの頃。
季節外れの台風が通り過ぎ、記録的な暴雨に木々がなぎ倒され、道が冠水した翌日。
剣道部での秋季大会に備えた練習、並びに出場メンバーの検討。
風紀委員での巡回報告、来月からの経路の検討。
引退した就職組の三年生への、助太刀での刃。
就職組は、夏前に進路が決まる。
倶楽部を引退した後は、来年から社会人で学院は卒業である。
そのため喫煙や飲酒や、下校時間を過ぎても無意味に学院に居座る者が多く出た。
風紀委員も二年生に代替わりしている。
三年生には注意しにくいのが、人情と言えよう。
上級生など気にしない、気にもしていられない場合の存在、助太刀が、その役目を代行した。
全て片づけるのに、時間がかかった。
皆を先に帰し、自分が帰路に付いた頃には夜の十時に差し掛かっていた。
正宗は実家暮らしだ。
家までバスや電車で通学している。
いつもなら公共交通機関を使うのだが、その日はその気になれなかった。
疲れていたのか、街に繰り出した後の、ご陽気な衆人に囲まれたくなかった。
一人になりたかった。
他人にも自分にも。笑顔を向ける気力は失せていた。
徒歩で家路に就く。
家までは二時間ぐらいだ。
とぼとぼ歩いても、深夜前には辿り着く。
疲れた背中を、道路を行き交う車のヘッドライトが照らす。
歩道を走る自転車のLEDライトの眩しさに、顔が歪む。
身体が鉛のようだ。
足取りは重い。
それでも正宗は独りになりたかった。




