男が女をぶん殴る
分析官は、巡回時のルート漏れが無いかの監視が主な任務である。
毎日チェックを行い、毎週一回の定期報告会でそれを読み上げる。
ルートへの人員割り振りは、副委員長が決定する。
監視時のルート補正連絡、ルート記録を日々行う。
分析官の執務室で一人六連モニタに向かう。
物理的には孤独で寂しく、単純作業は苦痛だった。
週一回女侍に会えるのが、唯一の楽しみだった。
そんな平和で刺激のない、退屈な日常を送っていた。
それが今日はどうだ?
副委員長が現場で物理的な対処に出張ったため、指揮を取る委員長と、情報の集中地の分析官の直接回線が結ばれた。
こんなに憧れの君と話したのは、風紀委員に入って以来初めてだった。
自分の報告に、憧れの存在が直接を応えてくれる。
至福の時間だった。
不謹慎だが、追うボクシング部と逃げる濃紺に感謝さえしていた。
「ここからは、私の仕事だ」
憧れが直接決着を付ける。
それは事の終わりが近いことを意味している。
憧れの声に、少しでも話しを延ばそうと、無意味な返事をする。
「はい」
「分析官ご苦労」
分析官の声が弱る。
終わって欲しくない。
「はい」
「清香、よく頑張ってくれたな。ありがとう」
分析官は、初め何を言われたのか分からなかった。
自分の名前を呼ばれたことなど、一度もない。
「清香、後は任せろ。他の者にもそう伝えてくれ」
二度も呼ばれた。
涙が溢れてきた。
「初めての大捕り物、よく頑張ってくれた。偉いぞ」
分析官の涙腺が決壊する。
止めどなく涙が溢れ、顔をぐしゃぐしゃに、鼻をグシュグシュに泣いてしまう。
メガネのレンズが涙でボタボタ濡れる。
組織行動を訓練しているとはいえ、ここまでの大捕り物訓練は、年に一度だ。
数名での捕り物の経験はあったが、ここまでの大規模は初めてだった。
複数のチームからの複数の情報を収集、取捨選択、統合、報告。
複数チームの配置の監視、報告、指示を伝達。 以外の救護班の要請。
などを一人で行った。
情報を聞き取れず、メモも取れず、同時進行に失念し、情報を漏らすこともあった。
報告してから、取捨選択、統合の間違いに気付いたこともあった。
チームの監督も、その場での救護を優先したチームのため、上手くいかない場面もあった。
数々の不手際があった。
なのに、憧れの女侍は、自分を褒めてくれた、ねぎらってくれた。
自分のふがいなさが情けなく、喜んでいた不謹慎さが恥ずかしく、また憧れからの温かさが胸に沁みた。
切なかった。
下を向いていると涙が止まらないので、分析官は上を向いた。
鼻をすすり、息を整える。
憧れからの最後の指示を、各員に伝えた。
そして最後に憧れに回線をつなぐ。
「正宗様、御武運を」
分析官は、一番好きな時代劇のシーンを真似、回線を切った。
真紅の運動着姿、その人影の向こうに濃紺の制服姿が見える。
正宗の息が弾む。
全力疾走に乱れがちな息の中、胸を踊らせた。 ボクシング部五十名以上に、追いかけられた男。
単身にも関わらず、絶対防御である逃亡を難なくこなした男。
攻撃に転じるや、単身の利を活かした、待ち伏せ、不意打ちの奇襲戦を仕掛ける、戦闘感覚の恵まれた男。
そして、手心も加えず、情けもかけず、無慈悲に敵を無効化していった、暴力衝動に長けた男。
一介の高校生に、できる所業ではない。
何者だ?
そうは、正宗は思わなかった。
男が何者であろうと、どうでも良かった。
正体など知らん。
男がそこに存在していることに、胸の奥がキュンキュンと鳴っていた。
副主将は、オウマの視線に、背後の存在に気付いた。
濃紺の悪魔は、自分の背後に視線を向け、見とれているのか呆けていた。
四天が睨んでいることなど、気付いていそうもなかった。
これだけの事をしておいて、無視をするのか!!
副主将の怒りが燃え上がる。地面に転がった二年生三人は、泣き、呻き、声を失っている。
背後をちらりと確認する。
女風紀委員長が、こちらに向かって走ってくるのが見える。
忌々しい女だ。
男の戦場に出てくるんじゃねえ!!
副主将もコブシと同じく、女の武など許していなかった。
付き合いかけた女も、昔少林寺拳法をやっていたというだけで、カイた後、捨てた。
あの女は俺がやる。
おまえ等は、アレで潰せ。
了解、潰す、再起不能にしてやる。
長年の付き合いだ。
目配せだけで、四天の四人は意志疎通が取れた。
副主将が振り返ると同時、三天がオウマに仕掛けていく。
背後から聞こえるリズムの良いステップワークに、副主将も身体を揺らす。
前々から気に入らなかった。
良い機会だ。
二度と武など勘違いして目指さないよう、きっちり目を覚まさせる。
つま先で軽く跳躍し、全身をほぐす。
腹を殴るか、胸を潰すか、鼻を折るか、前歯を失わせるか。
楽に気絶などさせない。
泣いて許しを請うまで、殴るのを止めはしない。
間違って簡単に気絶しても、ボディ・ブローで満足するまで、気付ける。




