懇願
それが壊されようとしている。
副主将は、叫ばずにはいられなかったのだ。
もう、やめてくれ。
地面には、二年生三人が無惨に転がっている。 主将候補以外の者も、来年のボクシング部を背負う人材達だった。
濃紺の悪魔は、荒い息も付いてはいない。
どこも痛めている様子もなく、しっかり地面に立っている。
制服が乱闘に乱れ、汚れているだけだ。
五十人弱を一人で相手にしたにも関わらず、大した傷を負っていないように見える。
孤軍奮闘ではなく、信じられないぐらいの一騎当千、いや破壊者に違いない。
手練れの三人でこれだ。
連絡の付かなくなった部員達は、どれだけ破って壊されたのか。
副主将は、怒りより心痛の方が深かった。
だが、悲しんでいる時ではない。
上級生として、先輩として、部を預かる副主将として、部員達の仇を討たなければならない。
仇を討ってやりたい。
仇を討たずして、何のためのボクシングであり、副主将か。
横に真紅の運動着が現れる。
走ってきた、同級生の三年生三人だった。
全力疾走で駆けつけた三人は、二呼吸で乱れた息を整える。
副主将の自分を含め、ボクシング部の四天と呼ばれる王者達だった。
最高の戦力が揃う。
戦力達は、怒りに震えている。
駆けつける途中で目撃した、部員達の無惨な姿。
目の前が真っ赤に染まりそうなほど、怒りに目が充血し、速くなった鼓動が額に脈を浮かべている。
長年知った仲だ。
意志疎通に、言葉など必要ない。
目配せだけで、合意が取れる。
アレをやれ。
アレだな、分かった、潰す。
副主将の指示に、三人は無言でうなずく。
散開して、オウマへと近づいていく。
踵を浮かせ、地面を確かめるようにステップを踏みながら、足を地にならす。
ここはリングのように、真っ平らではない。
小石が転がり、草が生えた土道だ。
凹凸も凸凹もある。
それにフットワークを順応させる。
三人はオウマを舐めてかからない。
怒りに全身が燃え上がってはいるが、相手はここまで生き残った強敵だと、冷静な自分が囁いている。
相手の戦力を見誤らない。
またいかなる場合も、全力で対処する。
だからこその、取りこぼしのない強者であり、また負けることの少ない王者であるのだ。
確実に潰す。
自分たちが最後の砦だ。
アレをかわせる奴などいない。
三人は徐々にではあるが、着実にオウマを包囲網に取り込み始めた。
オウマは動かない。
向かってくる三人の向こう、さらに副主将の遙か向こうに、人影が見えていたからだ。
揺れるポニーテールと、揺れない胸とのギャップ。
ブラの話しで、ちょっと下を向いてしまう、むねちゃん(妄想)、良い!!
オウマは遠くの正宗に見とれ、動けなかった。
時は遡ること、少し前。
風紀委員に支給されている緊急連絡用のヘッドセットを装着し、正宗は指示を出していた。
「ボクシング部は、不穏な動きを見せている。状況を監視し、報告しろ」
委員長の命令に、委員達は散開する。
倶楽部時間も終わっているので、巡回は終了している。
家路に着いていた者は、委員長の緊急コールに、学院へと急いで戻った。
ほどなくして、学院に散らばった委員達から情報が入っている。
次々に流れる情報を、情報分析担当が取捨選択を行い、委員長のヘッドセットに返していく。
ボクシング部が何かを追っている。
目撃されたボクシング部員の数から、全体で追っている模様。
濃紺が、真紅から逃げていたの目撃情報有り。
濃紺の生徒数は少ない。
目撃者に、タブレット端末での人物の照会が行われ、それは直ぐに判明した。
濃紺は、初等部一年生、織田皇眞。
同一年生、黒田房代風紀委員の助太刀。
身内であると判明。
名前の後の情報は、正宗の耳には届いてはいなかった。
あの男が何で?
推理している時間はない。
とにかく、状況を整理。
ボクシング部が総出で、あの男を追っている。
理由は不明。
正宗は、美子がらみのオウマとコブシの因縁も、ユウヤがらみのオウマとコブシの因縁も知ってはいない。
知っているのは入学式当日での、オウマとボクシング部員の因縁だけだった。
一人はオウマがしばいたが、二人は自分がしばいた。
その恨みにしても、総出で追いかけ回すなど、大袈裟すぎる。
倶楽部実演にしても、コブシを言いくるめたのは房代だ。
筋違いも甚だしい。
順を追って考えても、理由にはたどり着けなかった。
部員総出と言うことは、主将のコブシか副主将の命でしか、それだけの人数は動かない。
自分には分からない、コブシ、副主将、オウマの因縁があるのだろう。
とにかく、生徒一人が複数人に追いかけられている。
風紀を預かる者として、これは決して見過ごせない。
断じて、取り締まる。
次の指示を出そうとした正宗に、潮目が変わった報告が入る。
普段は冷静な分析官が、声を荒げる。
「委員長、じょ、状況が変わりました。追いかけていたボクシング部が、濃紺に襲われ始めました。濃紺はその場にあった、自転車や廃材などを使用し、部員達を襲撃している模様です!!」 分析官は息継ぎもせず、言葉を続ける。
唾を飛ばしながら、報告を続ける。
「ぶ、部員達の被害は甚大。必ず手足の一本や二本は折られているそうです。の、濃紺が逃げる部員を背後から、高笑いしながら自転車でひく姿も目撃されています!!」
分析官の手は震えていた。
ボクシング部は、高校王者を数多く排出している。
弱小部ではなく、強豪部だ。
風紀委員長と主将の仲が悪いので、助太刀は存在しないが、その徒手空拳での実力は、助太刀にも引けは取らない。
それが立った一人に。
状況収集に散らばった委員達からは、次々に惨劇の報告は入ってくる。
こちら第二体育館裏、負傷者五名を発見、ただちに救護班を、こちらA3中庭、重軽傷者五名を、こちら十二校舎三階西踊り場、息が止まって。




