女の裁き
両手を下げ、無防備で歩み寄る。
正宗の剣、腕、足の長さから計算した間合いに入る。
峰打ちでも来るか、と思っていたが正宗は動かない。
切っ先も揺れていない。
固まったままだ。
張りつめた顔が白くなっている。
なんだ、ビビっているのか。
峰打ちする度胸もねえとは情けねえ。
女なんざこんなもんだ。
間合いには入っている。
剣を振るえばコブシに届く。
だが、正宗は動けずにいた。
その間にもコブシは距離を詰めている。
コブシが切っ先前に立つ。
悪戯げに笑い、コブシはそのまま進む。
胸の間の胸骨部分、その皮膚が切っ先に触れる。
正宗は動かない。
なされるがままだ。
コブシはもう一度笑って、足指だけを伸ばし縮める。
微調整歩法で距離を詰めた。
冷たく鋭利な鋼が、皮膚を破る。
コブシの胸に、小さな小さな穴が開く。
皮膚が裂け、毛細血管が破れる。
チクリとした痛み。
身体の中に異物が入った不快感。
コブシの胸から血が垂れる。
やめろ!!
正宗は自制し、刀を引く。
無理矢理引いたことで、上体が後方に流れる。
腰が引けた状態だ。
もう攻撃どころか、防御さえもままならない。
コブシは、右手を後ろに振りかぶっている。
その象徴である剣を、ぶっ飛ばす。
いや、手を横殴りに、ぶん殴る。
俺の身体に傷を付けた罰だ。
手の甲ぐらいは骨折してもらわねえと、割りに合わねえ。
身心が怯んだ正宗に対し、コブシは追い打ちの姿勢を整えていた。
勝負有りだ。
女を殴る気か!?
だから、女は殴るもんじゃなく、むしゃぶりつくものだと、何度言えば。
房代は正宗の危機に、茫然自失している。
オウマは、房代の谷間に半分埋もれてた警笛を、器用に取った。
首にかかっていた紐に、首との少しの隙間から小指を引っかけ、自分に寄せて手に取る。
その間に、息を鼻から吸い込み、体内に空気を溜める。
ホイッスルを口に含み、肺活力で一気に吐き出した。
ピーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
会場内に、けたたましく警笛がなる。
突然の高音に、皆の動きが止まる。
それは正宗とコブシも、例外ではなかった。
全員が、耳障りな音の正体を探すべく、音源へと視線を向けた。
「はい、お仕事」
オウマは笛を外しながら、房代を促した。
あー、ロリ巨級との間接キスだった。しまった。レロレロするの忘れてた。アイヤー。
お仕事。
その言葉に、房代は我を取り戻す。
公務に戻る。
元来真面目なのだ。
真面目なので、風紀委員をやっているのだ。
房代は、机に置いていたマイクを手に取る。
皆がこちらを注目している。
場を仕切るのは房代の役目だ。
「風紀委員の黒田房代です」
腕時計で時間を確認する。
「第一剣道部の制限時間まで、後五分あります。
ボクシング部は、その後です。しばらくお待ち下さい」
あらかじめ決めていた時間計画表も確認し、房代はそう宣言した。
「入退場口にも書いてあります」
人の流れを制御するため、会場の出入口は一本化している。
出入口の外の壁に、大きくタイム・スケジュールは貼られていた。
入る者に必ず目に付くようにとの、配慮だ。
女が邪魔すんなよな。
首をコキコキ鳴らしながら、コブシが突っかかる。
「ああ(あに濁点が二つ)、俺らは、十五時からって聞いてたんだがな」
コブシは面白くなさそうに手を挙げる。
音楽がまた鳴り始める。
不完全燃焼に苛立つ。
ピーーー、ピー、ピー、ピーーー!!
今度は房代自ら、警笛を吹いた。
音楽が鳴り止む。
房代は真正面から、コブシに向けて言い放つ。
「それは予定です。ここに、タイム・スケジュールに予定と明記してあります」
手元の紙を、房代はバシバシ叩く。
言が加速してきた。
友達を毒牙にかけ、正宗様に乱暴狼藉を働こうとは、三代先まで許さない!!
房代の勢いは止まらない。
一気にアクセルを踏み込む。
「この時間も剣道部の停止延長時間になっています。時計は止まってます。それだけボクシング部の開始も遅れますよ。いいんですか?」
この女。
コブシが前に出ようとする。
ピー!
それを房代は警笛で撃退した。
「ボクシング部の強いご希望により、本日の大取りはボクシング部となっています。閉場は十七時です。後ろは崩れませんので、遅延を招けば招くほど、持ち時間は少なくなります。それで、いいんですか!?」
面倒くせえ女だ。
コブシの興が冷める。
了解したとばかりに、両手を広げ、内側の手のひらを見せる。
やれやれだ。
「それでは、第一剣道部は撤収に入って下さい。その後、ボクシング部は準備に入って下さい」
ピッ。
房代の笛の音に、時計が動き出す。
剣道部員達が後片づけを始める。
一触即発は、降着状態でしか起こらない。
だから、硬直しそうな場合は、勢いでも何でも良いから、時間を流せ。
房代は正宗の教えを実行した。
正宗様、見てくれましたか?
キラキラした顔で、房代は正宗を見る。
後輩の見事な風紀裁きに、正宗は親指を立てて見せた。
グッジョブ。
房代の顔が綻んだ。
房代は気づけない。
正宗の顔が青ざめていることも。
震える手で納刀したことも。
上機嫌で房代は、もう一つの公務に戻る。




