妹の紹介
あれは、ここから北方の寒い地域での出来事だった。
すべてはユウヤの外面のせいだった。
人当たりは良き理解者、良き相談役の、良き人格者、良き良き良き(ドラドラドラ)の三倍満ーん!!
として尊敬されており、校内、近隣他校にも女子のファンクラブが存在。お昼の、お供は親衛隊が順番を決めている。ちなみに一昼食当たり十二人の構成だ。
オウマからしてみれば、良きの三連チャンなど、何の解決策も生まない八方美人でしかない。本人の話に同調し、話させることで整理させ、本人に解決させているだけだ。
あれ? 解決策を提案、押しつけるより、良い事ではないか。
いや、たとえ解決しなくても、本人の自浄作用に任せる。手助けはしない。ある意味、残酷とも言える選択だ。
うーん、甘やかさないから、そっちの方が良いのか? ユウヤ見直したぜ。
閑話休題。
問題の原因は人当たりの外面でなく、文字通りの見た目の外面のせいだった。
神の造形、悪魔にでも魂を売ったのか、何か大切なものが欠けているとの帳尻合わせでしか、あり得ないと評される端麗な容姿。
美少女偶像のような美貌と、美女被写体のような体型。矛盾とも言える相反する二つを併せ持つ、危うさと、それを飼い慣らせる強さ、と言うか頼もしさ。
街を歩けば、誰もが振り返り、芸能の勧誘が列を成し、コンテストには、おこぼれ目当てに他薦されてしまう。
服を買えば、店の名が入った紙袋を持って街を数時間の散策契約で、料金はロハとなり、カフェに行っては必ずオープンテラスに案内され、長居させるために料金はサービスされる。
ただ、そこにいるだけで場が華やぎ、その存在に憧れを抱かせる女神のごとき透明感。当然、神のいる場、所有物に人は憧憬を抱く。
捧げた供物が、その輝きに照らされ、その価値を高めてしまう。
存在自体が、既に比類無き広告塔である。
ユウヤを知る宣伝業界の経営戦略本部長は、そう唾を飛ばした。
そんな超絶美形な女主人公が、ユウヤであり、オウマの妹であった。
その超常的な神がかった造形に、高嶺の花どころか、太陽花と称えられ、人々は距離を保ってしまう。
おいそれと近寄せない高貴なオーラ、と言うか、その美しさに萎縮してしまい、近付けないのが一般民間人の選択だった。近すぎると、その眩しさに目も身体も灼かれ、飲み込まれてしまうので、観賞を楽しむには遠巻きの距離が一番だった。
近寄りたいけど、近付けない。言葉と態度は、けど気さく。
そのジレンマが、ユウヤの人気を、さらに高めた。
ユウヤの前に出てしまうと、大宇宙が与えたもうた神秘の輝きに、人は見つめてしまうか、言葉に詰まるか、心を奪われてしまうかの、いずれかだ。告白なんて、とんでもない。勇気を振り絞って、下駄箱にラブレターを忍ばせるのが、みんなの限界だった。男子三割、女子七割の恋文が、毎日パンパンに下駄箱に詰まっていた。