今日は、おでんです。
オウマも違う意味では、即座に切り替わっていた。
こんな乱暴な女、嫌じゃー!!
容赦なく振り下ろされる竹刀に、オウマは正宗を拒否に切り替えていた。
ダメージを受けて、今日こそ保険医を。
オウマの妄想では、保険医は、黒髪の四角眼鏡の、口紅が赤いお姉さんだった。
年齢はお肌の曲がり角の二十五歳を、大きく越えた三十路手前。手当の際に、高校生の若い肉体に触れ、若さを失っていく自分との対比に、それを取り戻すべく、何かが目にギラギラと宿る保険医。カーテンで間仕切られたベッドの上で、あんなことや、こんなことを。もう最高ですやん。ぐげー!!
バシーン!!
しなりにしなった竹刀が、オウマの首筋に炸裂する。正宗の袈裟斬りが、無防備だったオウマに直撃する。
痛みと衝撃に、目の前が暗くなっていく。これで美人保険医(妄想)に会える。気を失っていくオウマは嬉しそうだった。
「お兄様、大丈夫ですか!?」
テーブルに突っ伏したオウマに、肩を揺さぶるユウヤの声が聞こえる。悲鳴に近い、その声に意識が覚醒する。ちきしょう、気を失えない。オウマは自分の頑丈さを呪った。痛覚が許容量突破しない。気絶しない。痛みをしっかり感じる。痛い、痛い、痛い。ぐがぎぐごごげ。
冷水を浴びたように、激痛に全身が収縮、硬直する。
「お兄様、しっかりして」
泣きそうな声でユウヤが、肩を掴んで揺さぶる。こら、揺らすな。余計に痛みが広がる。
声も出せない状態で、オウマは内心悶える。見た目は固まったまま動けない。
思い過ごしか。少しは期待していたのだが、気のせいだったか。
「手心を加えた攻撃も避けられないとは、頑丈さだけが取り柄か。残念だが、助太刀としては認められない」
正宗の宣言に、美子は仕方ないとばかりに首を振る。正宗はユウヤの前に立つ。
「助太刀が刃とすれば、風紀委員はその刃を握る手だ。そしてまた、生徒会はその刃を握る手を振るう頭だ。君にその覚悟はあるか?」
「君?」
と美子が突っ込むより早く、正宗は竹刀を振りかぶっていた。その剣が明らかにユウヤに向いた。気絶するほど叩くつもりは無い。寸止めによる度胸試しだった。気合いと共に竹刀が振り下ろされる。
だが妹への危害を我慢できるほど、兄は人間が出来てはいなかった。冗談など通じはしない。
「チェ」
ドゴーン!!
突っ伏していたテーブルを邪魔だとばかりに蹴り飛ばす。座ったままの無反動の膝蹴りが、十二人用テーブルを高く跳ね上げる。
「ス」
蹴った足とは逆足で地面を蹴る。妹の前に出る。竹刀へと突進する。
「ト」
加速し始めた竹刀を、上段受け、右手前腕の外旋で弾き、軌道を逸らす。
「!!」
逆の左手で相手の胸ぐらを掴み上げる。突っ込んだ勢いのまま、壁に相手を押しつける。
正宗が気合いを吐き出し終えた同時、背中が壁に打ち付けられていた。あまりの早業に誰も反応できずにいた。
浮かび上がっていたテーブルが床に落ち、轟音を鳴らす。
正宗は、片手でオウマの頭上まで持ち上げられている。制服のどこかの繊維が切れたのか、絹を裂くような音がする。宙に浮いた両足がパタパタ動く。
妹に手ぇ出すんじゃねえ。
物言わぬオウマの両目が、正宗を捉える。
制服の襟に喉が締まる。息苦しい。それでも、怒りに満ち満ちた目は瞬き(まばたき)一つせず、正宗を捉えて離さない。許すつもりなど全くない。慈悲など皆無だった。
正宗は思い出していた。この眼は見たことがる。
幼稚舎の頃、よく遊んでくれた叔父さんがいた。いつもの時間より早く、公園で待っていると、ここからの記憶は曖昧だが、気が付いたら、見知らぬ大人に腕を引っ張られていた。大人は派手なシャツを着た複数人で、無理矢理連れて行かれそうになった。大人は大きくて怖くて、ギャン泣きした。
可愛い姪に何してやがる。
そこに現れた物言わぬ表情の叔父さん。その目だった。ここからは更に記憶が曖昧だが、引っ張る大人の腕を、叔父さんは慈悲なく叩き斬った。気が付いたら、家でお母さんに抱きしめられていた。
それから叔父さんと遊ぶことは無くなったが、風の噂では、人を斬ったとかで服役しているや、海外に渡ったなどと聞いている。
叔父さんが大人の腕を切断した、のは確かな記憶だったが、それについてはお父さんもお母さんも、親族の誰も答えてはくれなかった。曖昧な笑顔で、別の話題に切り替えられた。
正宗の目に涙が浮かぶ。オウマの情けの無い眼差しに、腕をちょん切られる想像をしてしまう。小便が漏れそうになった。
だが反面、その眼は、叔父さんを懐かしく思い出させた。叔父さんは力持ちだった。片手の手のひらの上に正宗を立たせ、高い高いと持ち上げてくれた。その楽しさ、温かさを思い出し、正宗の小便は漏れずにいた。泣き笑いのような表情を、正宗は浮かべている。
突風のように暴れた力に、生徒会室は静まり返っている。オウマの動きは、早い、速いレベルのモノではなく、テーブルが浮かび上がったと思ったら、次の瞬間には正宗が吊り上げられていた。瞬間移動のような超加速に、驚きと怖さを、在校生は全員感じていた。残る一人の編入生が動き出す。
世界を超える者に宿る特別特権特殊能力。その使用は諸刃の剣だ。暴走は世界を壊しかねない。
「お兄様」
妹は低い声を出し、兄を制しようとする。
大丈夫だ、ユウヤ。今お兄ちゃんが、可愛い可愛い、箱に入れて仕舞って、ずっと眺めていたい、妹をイジめる奴をやっつけてやるからな。安心しろ。愛してるぜ、ユウヤ。
兄がそう背中で答えてくれた気がしたが、デレている場合ではない。この場は取り合えず治める。腰を落とし、重心を下げる。踵から前足を踏み込み、地面からの反発力を利用。足首、膝、入れた股関節で跳ね上がる。キレイに折り畳まれていた後ろ足が、股関節、膝へとしなる。加速に靴先が風切り音を鳴らす。
「女の子を怖がらせちゃダメでしょ!」
兄の無防備な背中、その延髄に妹の上段回し蹴り(ハイキック)が直撃する。十二分な運動エネルギーを持った足の甲が、首筋に深々とめり込んだ。
左蹴り足の対角線の肘を畳む。右に流れた反動を利用した伸張反射、筋肉は伸ばすと勢いよく縮む性質、で蹴り足を戻し、また地面からの反発力を受ける。それを今度は腰から上へと流す。その勢いが背骨から漏れないように、腹圧をかける。上がった力を肩胛骨に乗せ、胸骨と鎖骨をつなぐ胸鎖関節から肩関節をしならせ、肘を発射する。
「めー!!」
兄はハイキックに崩れている。その後頭部にトドメの肘打ち。兄は二度気を失い、地面に完全に崩れ落ちた。




