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肉弾×白兵×遠火×魔戦  作者: 夏目義弘
19/62

大人参戦

 その後、運転手は、織田兄妹を家まで送り届け、原田家に帰ってきた。

 厳重な防犯・防護用監視情報設備セキュリティー・システム、分厚い正門の門扉、数々の監視カメラと見回りの視線を抜け、車寄せを兼ねた噴水の前に、車を停める。

 原田家は、土木工事から財を成した総合事業者だ。工事の縄張り争いなど、荒事に長けた一家でもある。最近は法治により抗争などは無いようだが、お家構築原始の血生臭さが恋しいのか、民間軍事の分野にも経営の手を伸ばしている。その関連で、元傭兵である撲殺器キリング・パンチャーこと運転手、鈴木青三は雇われている。

 運転手は車を降り、後部座席のドアを開ける。

そこには、気を失ったコブシが横たわっている。

 車内に入り、コブシの上体を立たせる。手の平を、コブシの背中の二つの肩甲骨の間に、べったり張り付ける。肺の位置をしっかり捉える。

 静かな鼻息で、軽い勁を流す。喝、背中からの打撃で、肺を一旦圧迫。反動膨張による蘇生法で、コブシの目を覚まさせる。

 コブシが身を捩る。ゲホゲホと、むせて気を取り戻す。自分で起きあがったコブシは、失った酸素を取り戻すべく、ずっとむせている。

 その間、運転手はオウマの人間力について分析していた。

 あの小僧。投げ飛ばされても、流れに逆らわなかった。俺の殺気の無さを気取ったか、流れのまま転がりやがった。

 襟首を掴んで投げ飛ばした際、その気になれば車のドア枠や、開いたドアにぶつける事も可能だった。だが、ガキの喧嘩にそこまでする理由は無い。破壊衝動を殺し、殺気をゼロにして、車外に放り投げた。不意の背中からの攻撃にも、あの小僧は驚きも戸惑いも戦慄もせず、流れに身を任せた。バカ度胸としか言いようが無い。また転がった受け身も見事だった。やられ慣れている。

 その後の車内で、車窓を見ながらも、無意識に脇腹をさすっていたところを見ると、坊ちゃんの攻撃も数発は当たったようだ。

 狭い車内という、上体だけしか使えない閉塞空間クローズ・スペース。腹部という位置から見て、超接近短打が命中したか。

 自分が坊ちゃんに、戯れに教えた超接近短打。その動きの上級版、全身からの発勁を膂力につなぎ、運転手はオウマを投げ飛ばしたのだ。

 坊ちゃんのボクシングは一度見たことがある。足腰のバネを生かした、フットワークの良いアウトボクシングだった。相手を遠くから削り、不用意に間合いに踏み込んできたらカウンターで迎撃。自分の損傷ダメージを最小限に、相手の損傷は最大限に。加虐サディストの嗜好を持つ坊ちゃんならではの、戦法だった。

 運転手と原田家の付き合いは長い。坊ちゃんが洟垂れの頃から、雇われている。

 坊ちゃんが数ある格闘技の中で、ボクシングを選んだ理由も、実に坊ちゃんらしかった。

 空手などの徒手空拳は、己の五体を武器にすべく、己の身体自体を固くする必要がある。素手で殴るなら、その威力に負けないように拳を鍛える必要があり、素足で蹴るならば、脛や甲を鍛える必要がある。それを坊ちゃんは嫌った。

 痛みは、相手にだけ有れば良い。

 痛みを求めない、被虐性マゾヒズムが全くない坊ちゃんは、攻撃部位を痛みに耐えてまで鍛えなくて良い、ボクシングを選んだ。

 顔面無しの格闘技の場合は、お互いの削り合いになるが、顔面有りのボクシングでは一発良いのが入ればそれで終わりだ。それも坊ちゃんが今までボクシングを続けてきた理由の一つかも知れない。ボクシングが坊ちゃんの性に合っていた。また高校王者の戦績は、ボクシングの女神が坊ちゃんに微笑んでいるのを意味している。相思相愛だ。

 ボクシングの試合もしくは、フットワークの使える開放空間オープン・スペースなら、坊ちゃんはあの小僧に遅れは取らないだろう。むしろ圧勝するかも知れない。

 だが接近戦では小僧の方が、遙かに上と見た。喉輪だけで相手を締め落とせる締め技の技量、投げ飛ばされた際の猫のような、しなやかな受け身の技量。組み打ちなら、圧倒的に小僧に分がありそうだ。

 女子、女性、女の子など女体を車が通り過ぎる度に、小僧は車窓にへばりつきながら鼻息を荒くしていた。ただの色ガキかと思ったが、殺気の有無を見抜いたこと言い、只者ではないのかも知れない。

 運転手は、傭兵時代の部隊仲間を思い出す。連日続く戦闘に、皆は何かに依存していった。有る者はドラッグであり、ある者は過剰殺人オーバー・キルであり、またある者は、性行為セックスだった。

 あのガキの目の奥に、そいつらと似た輝きを見たような。家まで送り届けた最後の挨拶で、そう感じていた。

 馬鹿な。ただの餓鬼だ。そこまでの相手じゃない。

 運転手は苦笑して、その思いを一蹴した。

 それにしても、あの優弥と言う女も怖い。あれだけ坊ちゃんを拒絶しておいて、気絶したら、兄の暴行に対する負い目か、家に送り届けるまで、ずっと膝枕で坊ちゃんを寝かしつけていた。

 それも伝統的な子守歌付きで。あまりの美声に、気が一瞬緩んでしまった。

 妹は信じられない容姿と声、兄は高校生にしては底が知れない実力。何者だ、あの兄妹は? 何にせよ、坊ちゃんの手に負える相手じゃない。

 戯れに、超接近短打よろしく、一手ニュー・ブローを授けようとも思ったが、自分の特性を生かせない車内で、喧嘩をふっかけた坊ちゃんだ。一手の特性も生かせず、封殺されるのが落ちだ。

 坊ちゃんは戦いに対する感性センスも執念も無い。試合ルールの中で、輝く程度レベルだ。あの兄妹に対して、勝ち目は無い。また一度負けた相手に、リセット思考で再戦して勝てるほど、勝負の世界は甘くはない。勝負に二度目があると思っているとすれば、それは勝負ではなくて、ただの遊戯ゲームだ。勝負は、生き残るか殺されるか、取るか取られるか、増やすか失うかの、勝者総取得・敗者全喪失ゼロサムだ。

 頭を下げたまま、運転手は甘やかされた坊ちゃんに声をかける。

「坊ちゃま、お目覚めになられましたか?」

 目が覚めたコブシが、跳ね上がる。

「あの二人は?」

「お客様お二人は、ご無事に、お家に送り届け致しました。本日は終日控えておりますので、外出の際には、お声掛け下さいませ」

 運転手はそう言って、さらに頭を深く下げた。取り付くシマなど与えない。敗者にかける言葉など、戦士は持たない。

「俺をそいつらの家に戻せ」

 コブシは、負けた屈辱に顔を真っ赤にしている。首を掴まれたと思ったら、気が付いたら家だ。こんなのあり得ない。何かの間違いだ。やり直しを要求する。

「お言葉ですが、お二人はお昼の後、終日買い物に出かけられるそうで、はち合わせるのは至難の技かと」

 そんなぬるさには付き合いきれない。運転手は、さらに頭を下げた。

「いいから」

 敗者の言葉は醜い。空気が腐る。黙らせるか。

 おい、鈴木。馬鹿息子がムカついたら、一日一発は殴っても良い権利をやる。餓鬼が付け上げったら、大人の怖さを教えてやれ、ガハハ。

 と社長からは権限を頂いている。

「鈴木、お前雇われの身だろ。使用人の分際で、俺に意見してんじゃねえぞ」

 敗者は惨めにも、敗北の憂さを関係外で晴らそうとしている。そろそろ黙らせるか。大人げないが、久しぶりに超接近短打を撃ってみるか。

 運転手は目の前にいるコブシでなく、小僧をイメージし、全身を緩めた。

「そこまでです、お坊ちゃま」

 夜会用略式礼服タキシードに身を包んだ、老人が、そこに現れる。細身で顔も首シワシワで、まるで枯枝のようだ。だがその姿勢は良く、背筋は真っ直ぐ伸び、胸は張られている。声もしっかりと、運転手とコブシに割って入れる声量だった。原田家の家政や事務の総監督責任者、執事長が、二人に口を挟んだのだ。

「ジイは黙ってろよ」

 多忙な親父の代わりに、おしめの頃から父親代わりとなっていた執事長の出現に、コブシの気性が少し和らいだ。口調が柔らかくなった。その開いた隙を、執事長は見逃さない。さらに、こじ開ける。

「原田家の次期当主が、女の尻を追いかけて監視変質者ストーカーまがいの待ち伏せなどとは。爺はおいたわしいですぞ。亡くなった奥様に何とお詫びれば良いか」

 コブシは言葉を失った。

 ママ、お母さん、母さん、お袋、オカン、母上、お母ちゃん。

 コブシは、母親を知らない。自分を産み落とした際に亡くなったらしい。元々病弱で出産は不可能だと医師から判断されていたが、親父に

「貴方に残してあげられるのは、この子だけですから」と覚悟を決めた、捨て身の出産だったとのことだ。母親の命と引き替えに、コブシはこの世に生を受けていた。

「奥様、お労しや」

 執事長が、手に持っていた遺影に頭を下げる。コブシと話をする際に必ず持っている。母親に息子の成長を見せてやりたいとの、執事長の思いだった。

 遺影は、親父と母親が移った写真が額に納められている。母親? のお腹は大きい。出産前に撮った写真らしい。お腹の中にいるのはコブシだった。これが家族三人で撮った、最初で最後の写真だった。

 母さん。

 そう印象付くだけで、心が和らいでしまう。は話した事も、会った事もない母親。だがコブシは、その胎内にいた。その感覚的な実感は、確かにある。

 急速にコブシの腹立ちが消える。興が冷める。そう言えば、お腹も空いてきた。とにかくメシだ、メシ。メシ食って女抱いて風呂入って寝て、話はそれからだ。

「ジイ、メシにしてくれ」

 その場を立ち去るコブシに、執事長は御辞儀を返す。

「かしこまりました」

 運転手と執事長は、屋敷内に消える、コブシの背中を見送る。下げた頭を戻す。いつの間に近づいたのか、運転手の喉元に、カッターナイフが突き付けられていた。執事長が上着の内側に忍ばせている、執事七つ道具の一つである。

「執事長、何の真似ですか?」

 驚きを怒りへと変え、運転手が静かに声を出す。脳内では、執事長を撲殺する想定実験分析シミュレーションが開始されている。

 相手の首筋に切れないナイフを突きつけたまま、執事長は柔和な笑顔で答える。

「鈴木様。坊ちゃまの教育係は、私目が仰せつかっております。鉄拳制裁の権利は、御諦め下さい」

 殺すのは一撃で殺せる。問題は、その後どうやて逃げるかだ。リムジンのエンジンは止まったままだが、キーは付いたままだ。屋敷は高い塀に囲まれている。正門を閉められては脱出の術が無い。瀕死を与え人質にして逃げる。逃げた後、殺す。それが最良と判断。後は実行するだけだ。

「断ると言ったら?」

 そう決めた運転手の声が、少し低くなった。殺気に周りの空気が冷えていく。その冷気に肩を大げさに震わせながら、執事長は柔和な笑顔を崩さない。

「無論、選択は鈴木様の自由でございます。その場合は、この老い先短い老人の全身全霊を持って、鈴木様を排除させて頂きます」

 枯れ枝のような老人に何ができる? 不惑手前の働き盛りの運転手は、喜寿を超えた老人をあざ笑った。真正面からの宣戦布告の、無防備さ、不用意さ、おかしさに、逆に殺す気が減少した。思い出したように、明後日の方向、空を見上げながら、執事長が口を開く。

「そうそう。アケミ様は、ご息災でしょうか?」

 運転手は何の事か分からなかった。思わず聞き返してしまう。会話の主導権を執事長に握られる。

「アケミ?」

「鈴木様の情婦の、アケミ様でございます」

 視線を戻し、柔和な笑顔が運転手の瞳に移る。

 どうしてその名前を?

 驚愕と疑問を、運転手は表情に浮かべてしまう。執事長の柔和が増す。眼鏡の奥の瞳は、一本の糸のように細くなっている。

「原田のお家を守るため、従業員一同の家族・交友関係は逐一審査させて頂いております」

 執事長はかしこまって、運転手に頭を下げた。そのまま続ける。 

「アケミ様のお嬢様が、小学校にご入学されたそうで、本日お祝いのお花を贈らせて頂いております」

 アケミの連れ子だ。三人で遊園地にも行った中だ。その無邪気な思い出に、殺気が完全に消えてしまう。

 アケミから見れば親切なお爺さんだが、所在・生活の把握は、関係する女子供をどうにでも出来るとの意思表示でもある。やるな、ジジイ。

 運転手は降参した。自分は戦術の専門家プロだが、戦略の専門家ではない。部隊員であって部隊長の性ではない。相手は搦め手の専門家のようだ。この戦いでは、叶わない。白旗代わりに、両手の平を上に見せる。

「執事長、参りました。降参致します」

 原田家を裏方として長年支えてきた執事長は、頭を戻す。運転手に、利き腕の右手を下に両手を重ねた、姿勢を取る。自分の利き腕を封印することで、無敵意を見せる礼だった。

「ご理解頂けまして、恐縮です。コブシ坊ちゃまのご教育は、老い先短い老人の数少ない楽しみでございます。ご無理を申しまして、恐縮致します」

 執事長は丁寧に頭を下げる。視線を切り、無防備な後頭部、延髄を見せる。一撃で殺せるチャンスを運転手に与える。

 食えない爺だ。まあ良い。餓鬼に興味はない。なるほど年齢は、餓鬼でも少年兵と言う流れもある。食うならあの小僧だ。才能に溺れた餓鬼に興味は無い。

「その餓鬼を勝てるように育てるのが、私目の役目でして」

 心を読んだように、爺が呟く。心の機微が分かる人間は、流れにも如才が無い。戦闘は活力エネルギーの流れだ。その潮目を読める人間は、強い。

 老兵は死なず、ただ去るのみ。

「坊ちゃまの、ご昼食の準備がございますので、それでは失礼致します」

 一礼の後、執事長は屋敷内に消えて行った。

 取り残された運転手は、おもむろに車寄せの噴水に、その手を沈ませた。

 手のひらで水を掴む。そこに全身の勁力を流し込む。

 次の瞬間、噴水の水が全て跳ね上がった。

 水は、運転手の頭上まで上昇した後、降り注ぐぐ。頭を冷やすには、丁度良かった。

 搦め手は性に合わない。後先考えない、殺人衝動をぶつける相手は、あの餓鬼だ。

 元傭兵の運転手は、過剰殺人に依存していた。

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