Glasaugen
一面に飾られた様々な人形の瞳は、共通して硝子玉。青年を囲うこの世界は堅く閉ざされ人形に護られる。彼等の思いは、人間のそれより重い。
ただ真っ直ぐにこちらを見つめるその蜂蜜色の瞳に、一瞬にして魅せられた。何もかもを失った青年にとって、彼女こそ希望。希望であり、核心でもある。彼女の存在が彼を癒し、彼女の言葉が彼を傷つける。ひどく矛盾していながらも、最も気高い存在。
「わたしは、ここがすき」
とろけるような声色で紡がれる言葉は青年の脳をますます麻痺させる。知ってか知らずか、少女は同じことを繰り返す。ひたすらに人形と戯れる毎日に疑問を感じながらも、少女が同じことを聞くことはもうなかった。甘受しようとしたのか、それとも諦めたのか───いずれにせよ、青年にとってそれは好都合でもあり不都合でもあった。青年の矛盾した世界の中心にいるのは少女。少女こそが、彼の崇拝対象だった。
「ミュリエル、こっちへおいで」
そっと囁くと、無垢な笑顔で頬を胸に擦り寄せた。小さな腕はしっかりと背中に回され、青年は優しく抱きしめ返す。
「トラヴィス、」
少女がこの城に住むようになって、もうどれだけの時間を共有したのだろう。共通した思い出は、ただ静かに食事をし、人形と戯れ、そして話をして深く眠ること。単調でいて少しずつ彩の違う毎日は彼等を飽きさせることはない。けれど。
「今度は、どの子にドレスをプレゼントしようか?」
「ティアナがいいわ。彼女、婚礼のドレスしかもっていないから」
いつ終わるかわからない永遠の幸福ほど、人を不安にさせるものはない。孤独だった青年に幸福を与えた少女は、しっとりと濡れた唇で終わりを誤魔化す。あの日から彼女が箱庭の外の話をすることはない。愛の言葉を語ることなど決してないけれど、青年は彼女と生活を共にしていることがどうしようもなく幸福であり、同時に毎晩彼女の姿が腕の中から消えることを心配していた。互いに先の話はしなかった。まぎれもなく、彼等の不安定な生活は、常に終わりとの狭間で彷徨っていたのだ。
いつものようにミュリエルを寝かしつけた後、トラヴィスは人形の部屋に来ていた。大きな部屋の窓には重たいカーテンが引かれており、ランプに火を入れると生まれた影が部屋中をうごめく。部屋中に置かれた木製の棚に並べられた、人形、人形、人形。腕に抱けるほどの大きさの人形たちが、同様に無機質な硝子玉を一斉に青年に注ぐ。笑った顔、泣いた顔、困った顔…様々な表情の人形が作り出すこの異質の空間は、色彩に溢れていた。
「さぁティアナ、君の採寸をしなくちゃならない。おいで」
語りかけながら、迷うことなくある人形の元へ進んでいく。トラヴィスが目指す先、左の一番奥の棚、三段目の右から二番目にひっそりと飾られた女性の人形は、純白に輝くウエディングドレスを纏っていた。青い瞳は何も語らず、けれど青年は愛おしそうに髪をなでる。中央に設えてある大きな机に彼女を乗せ、引き出しから様々な道具を取り出した。
「君はいったい、誰と結婚しようとしたんだろうね」
語りかけるも、彼女が答えることはない。
「さて。ミュリエルは君にドレスをと言ってくれたよ。何色がいいかな?」
羊皮紙にさらさらと図案を書き込んでいきながら、トラヴィスは歌うように語り続ける。
「綺麗な瞳だ……その青に映えるように、空色のドレスを作ろう。銀の糸で刺繍をして、リボンを飾るんだ。素敵じゃないか」
彼女の髪をくるくると弄びながら、まるで夢の中にいるかのように幸福そうな顔をして、孤独だった青年は夢想する。
──いつまでも続く楽園を護ろう。彼女と、僕と、彼女たち。この世界は誰にも壊すことができない秘密の園なんだ。誰の進入も許してはならない。そうだろう?
彼の世界、彼の腕の中に広がる無限。消えることのない記憶を作るために、今夜もトラヴィスは歌うように人形たちと語る。それは深夜の秘密。真夜中におもちゃたちがお茶会を開くのと違って、ひどく孤独だけれど、それでも彼は幸せだった。優しく抱きしめながら、一体一体に声をかける。そうして彼の夜はふけていく。
「素敵ね」
あれから数日たって。空色のドレスを満足そうに調えながら、ミュリエルはころころと笑った。ベッドの上。トラヴィスの腕の中は優しく暖かで、安心感で満ちている。
「明日のお茶の時間には、彼女も参加させてあげましょうよ」
甘い声でねだる少女の髪をなでながら、トラヴィスは優しくうなずいた。寝る前に飲む甘いミルクティーのおかげか、今夜もこの部屋は幸福色に染まっている。
「今日はもういいの?」
部屋を出て行かないトラヴィスに、ミュリエルはそっと囁く。薄桃色の唇を寄せて、彼女の指先がそっと彼の髪を弄ぶ。
「久しぶりに、君とゆっくりおしゃべりしようと思ったんだ」
眠気を誘う甘い声。ミュリエルはくすくすと笑った。
「わたし、今日はとっても眠たいわ。また明日にしましょうよ」
「それは残念だ」
「でも、今夜はどこにもいかないでね? 一緒にいて頂戴」
日に日に増してくる彼女の依存症に、トラヴィスは穏やかに笑いながらも終わりを感じていた。こんなにも幸福になってしまっていいのか。この無限の夢の終わりは、きっと彼女が連れてくる。そんな確信のない不安に駆られながら、それを誤魔化すかのように、青年はゆっくりと瞳を閉じた。