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Miniatur Garten

 真っ白なシーツに深紅のベッドカバー。金で刺繍された枕に天蓋。レースのカーテンに隠された彼女の世界は、彼女を隠す大きな薔薇のよう。



「ミュリエル」

 甘い声で囁くように、ベッドで体を丸める少女を揺り起こす。薄い桃色のネグリジェに包まれた白い肌は絹のようにすべらかで、シーツに広がる豊かな金の髪はくるくると遊び、小さな手はやわらかく握られている。穏やかな寝息を立てていた少女は、少しだけ眉を寄せてからゆっくりと目を開けた。

「おはよう、ミュリエル」

 少女の視界に入ったことを確認すると、青年は優しく微笑んだ。

「今朝はワッフルだよ。」

「…いちごは…?」

「もちろんあるさ。」

 少女は微笑むと、むくりと起き上がってのびをした。蜂蜜色の瞳が徐々に輝きはじめる。青年はアンティークなクローゼットから桃色のエプロンドレスを取り出すと、少女の着替えを手伝いはじめた。

「ねぇ、トラヴィス」

「ん?」

「わたし、ここがすきよ」

 優しくリボンを結んでやっていると、少女はぽつりとそう呟いた。何度となく繰り返された言葉に、青年はいつも通りに笑みを浮かべる。青年はそっと少女の頭をなでると、着替えがすんだ彼女を抱えてドレッサーの前に座らせた。大きな鏡には美しい少女と、そっと少女の肩を抱く青年の姿。引き出しから櫛と桃色のリボンを取り出して、少女の柔らかな金髪を整える。

「今日は、何をするの?」

「新しい布が届いたからね、クララのドレスを作ろうか」

「刺繍は、わたしにやらせてね」

「もちろんさ」

 鏡ごしに微笑みあうと、青年は少女の髪をしっかり結う。ハーフアップにされた髪に、美しいリボンがよく映えていた。


 エイヴォリー城は、街の奥深くの森の中にひっそりと建っている。迷路のように入り組んだ森を抜けた先にある巨大な鉄製の門は、来るものをどこか拒んでるかのように堅く閉ざされていた。先祖代々エイヴォリー家に受け継がれてきたこの城は、その昔小さな人形師であった先人が莫大な資金を投資して作らせた本格的な豪邸で、街の者は皆エイヴォリー城と呼んでいた。祖父から父へ、父から子へ。徐々に受け継がれていくエイヴォリー家の人形師としての血は、しかし青年トラヴィスの師であるオズウェル・エイヴォリーによって突如途絶えることになる。精巧な人形作りで有名だった彼には子供がいなかった。それどころか、結婚すらしていなかったのだ。そのため、天涯孤独だった彼は、両親を亡くしていた少年を引き取った。しかし彼は、少年に人形作りを教えなかった。普通の街の青年として生活させ、自由を与えた。オズウェルが病死すると、とうとう人形師の血は途絶えてしまう。城には夥しい数の人形が残され、広すぎる空間は彼一人のものとなる。

 ――そこまでは、話してくれた。

 少女は目の前で深い青の布にレースを付ける青年をぼんやりと見つめながら思う。残された人形達にこうして様々なドレスを作りながら、二人は穏やかに日々を過ごしていた。少女がこの城にきてから、すでに一ヶ月がたっている。

 ――もう、わたしはどこへもいかないのに。

 ミュリエルは知っていた。トラヴィスが嘘をつきつづけていることを。焦げたキャラメル色の髪に、ひすいの瞳を持つ優しい彼は、自分のことはあまり語らない。何故ここに連れられたのか、何故このような穏やかな時間を生きるのか――大切に大切に、箱庭で生きてきた幼い少女には疑うことなど思いもよらないことなのだ。嘘を紡ぐ唇は甘く優しい。だからこそ、彼女はこの生活を否定できない。

 トラヴィスはミュリエルを叱らない。蕩けるように甘やかし、暖かく満たす。退屈などない。完全なまでに満たされた世界で、それを否定するのはトラヴィスを裏切る行為のような気がした。このまま騙されたまま、甘い嘘の中で生きつづけようか。ゆらゆらとただよいながら、退屈など存在しない黄金卿で彼と夢を見つづける。不満などなかった。ただ疑問だっただけだ。けれどミュリエルは、自分が疑問に思うことでトラヴィスが傷つくのだと知っていた。外の世界を尋ねると、彼は苦しそうに無理矢理笑ったのだ。

 ――ミュリエル、頼むから何も聞かないで。僕に、もう少しだけ夢を見させてくれ。

力強く抱きしめた彼の唇が震えているのを、ミュリエルはぼんやりとした思考の中で確かに記憶した。この永遠すら感じることのできる世界を唯一壊すことができるのは、もはや自分しかいないのだと確信していた。だからこそ。

 ――このままわたしに嘘をつきつづけて。

騙されたまま、砂糖に溶かされていくように沈みこみたい。彼を壊す唯一の武器を持った少女は、今日も甘く甘く囁く。

「わたしは、ここがすきよ」

 優しく笑って髪を梳く青年に、少女は可憐に笑いかけた。恐れをしらぬ、純粋無垢な笑顔は青年を麻痺させていく。疑問を持つことすら忘れ、ひたすらに人形遊びに興じる毎日は、彼等を現実世界から引き離していく。外界から隔離されたこの城で、二人だけの世界を構築していく幸福。夢だと、嘘だと知りながらも。彼等は、甘い密楼から出ようとはしない。


――二人だけの城で、互いに溺れていく。

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