第0章 笑いの「熱量」が欲しかった
１．普通で退屈な少年
田辺翔太は、岐阜県●市の、良くも悪くも「普通」の家庭に生まれた。父は地方のメーカー勤務、母はパート。成績は中の上。運動は苦手ではないが、部活でエースになるほどの才能もない。
彼は、周囲の「持っている者」への、漠然とした劣等感と焦燥感を常に抱えていた。
* サッカー部のキャプテンは、技術だけでなく、誰もが認める熱量を持っていた。
* 美術部の「アブラギッシュ」な生徒は、才能溢れる絵画と、周りを気にしない自己肯定感を持っていた。
* 生徒会長は、教師からも同級生からも尊敬される、安定した信頼を持っていた。
翔太はそれら全てを持っていなかった。特に彼が欲しかったのは、周りの人間からの「強い反応」だった。
普通の生活では、彼は「いい奴だけど、地味」という扱いで、彼の言動に誰も振り向かない。彼の話は、すぐに他の誰かの、もっと「面白い」話題にかき消された。
２．初めての「熱量」体験
中学に上がり、翔太はSNSを始めた。最初は他愛のない日常の投稿だったが、反応は薄いままだった。
ある日、彼はクラスの目立つ女子生徒が些細なミスをしたことを、匿名性の高い掲示板で過剰に面白おかしく書き立てた。
> 「〇〇が廊下で転んで、給食のお盆ひっくり返した件ｗｗｗ マジで才能だろ、あれ。今日一番の笑いを提供してくれたわｗｗｗ」
翌日、彼は驚くべき光景を目にした。昨日の投稿を見ていたクラスメイトたちが、彼の周りに集まり、「お前、あれ見たか？マジでウケたよな！」と熱狂的に話題にしているのだ。
翔太は、彼らの「熱量」の中心にいた。彼が直接書いたとは誰も知らなかったが、その「笑いの種」を植え付けたのは自分だという事実は、彼に強烈な快感を与えた。
「俺の言ったことが、世界を動かした。俺こそが、みんなが求めている「面白い奴」だ」
彼は、「嘲笑」こそが、自分が唯一持てる「才能」だと、ここで誤解してしまった。
３．裏アカの誕生とデリカシーの崩壊
快感に味をしめた翔太は、すぐに裏アカウントを開設した。
裏アカでの彼は、現実の地味な自分とは違う、「毒舌の王様」だった。彼は、自分が嫉妬していた「持っている者」たちをターゲットにした。彼らの努力、才能、信念、そして弱点を、徹底的に、デリカシーなく、「笑い」という名の暴力で粉砕した。
なぜ無差別だったのか？
それは、特定の誰かに執着すると、その感情が「恨み」や「いじめ」のレベルに落ち、自分の「ユーモア」という体裁が崩れるのを恐れたからだ。
彼にとって、無差別な嘲笑は「俺は誰に対しても公平に毒を吐ける、特別な存在だ」という自己陶酔を生んだ。
> [翔太の内なる声]: 「いいか？アイツらは熱量を持ってて偉い？違う。俺がアイツらを笑うことで、俺の笑いが熱量になるんだ。アイツらの頑張りなんて、俺の嘲笑の一発で塵になるんだよ。俺こそが、真の支配者だ」
彼は、嘲笑のターゲットを広く取ることで、自分の劣等感から目を逸らし、常に「自分が笑っている側」に立ち続けることを選んだ。
しかし、その過程で、彼は「嘲笑」と「ユーモア」の境界線を完全に失った。彼の嘲笑は、他人の存在そのものを否定する、デリカシーのない暴力へと変質していった。
家族の前で、彼が「生きたまま土に埋めてやりたい」と口にした言葉は、彼が裏アカで何百回と繰り返してきた、他者の存在を消し去りたいという願望が、現実世界でうっかり漏れ出た、偽りのない「心の声」だったのだ。
彼は、自分が「面白い」と笑うことでしか、自己の存在価値を見出せない、渇ききった少年へと成り果てていた。そして、その渇きを満たすための「笑い」が、やがて「トラウマ」という形で、自分自身を焼き尽くす燃料となることなど、知る由もなかった。
