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第3章 ブーメランと永遠の残響

6.遠方からの静かなる攻撃


 学校の謹慎処分と、家族の信用を失った翔太は、自室に閉じこもるしかなかった。インターネットを遮断された彼にとって、世界は突如として、息苦しいほど狭いものになった。しかし、彼の知らない場所で、嘲笑のブーメランは依然として飛行を続けていた。


 北九州市や長崎市の県立高校では、彼の裏アカの投稿が「いじめ予防」の教材として匿名化されながらも回覧され、「デリカシーの欠如がもたらす結末」として、彼の名前は教訓として静かに刻まれていた。


 特に奇妙なのは、彼が直接バカにした覚えのない地域からの飛び火だった。


 新潟県柏崎市の高専では、彼の投稿が、技術者が持つべき倫理観の欠如の例として、ディベートのテーマにされていた。彼が嘲笑した「趣味に熱中するオタク」のコミュニティこそが、この情報戦の最も迅速で効率的な中継地点となっていたのだ。


 そして、最も予期せぬ場所からの攻撃。


 仙台市青葉区の小学校のPTAグループLINEには、彼が過去に「幼稚園児レベル」と揶揄した地域ボランティアの話題と共に、彼の発言のスクショが添付されていた。


> [郡山市・小学校保護者]: 「こういう、子どもたちの純粋な気持ちを笑う大人がいるから、私たちは地域で見張っていかなければならないんです」


 彼は、特定の地域やコミュニティに向けて放った矢の全てが、形を変え、家族や、将来の社会的な信用という、彼の最も守りたい場所へと正確に撃ち返されていることを知る由もなかった。


 彼の嘲笑は、集中していた。だからこそ、報復は所により集中拡散され、彼の人生のあらゆる弱点を突いたのだ。



7.トラウマの浸食


 数日が経ち、翔太の精神は摩耗しきっていた。学校へ行けば、生徒たちの冷たい視線が、まるで裏アカのマイナスコメントのように突き刺さる。コンビニへ行けば、店員がスマートフォンを見ながら彼を避けているように感じる。


 彼は、自分がかつて「バカ」にした人々の心情を、初めて体感していた。


 自分がいる場所から、人が静かに離れていく恐怖。

 自分の過去の失言が、未来永劫、デジタルタトゥーとして追いかけてくる絶望。

 嘲笑されるのが当然だと信じていた人々が、結託して自分を静かに排斥する力。


ある夜、家族が揃って夕食をとっているときだった。母がふと、テレビのお笑い番組を見て、小さな笑い声を漏らした。


「ふふ、この芸人さん、面白いわね。」


その瞬間、翔太の体が硬直した。


「笑うな!」


彼は突然、食器をひっくり返して叫んだ。


母:「翔太!どうしたの?」


翔太:「笑うな!⋯なんで笑うんだよ。お前らが笑うと、誰かがどこかで泣いてるんだ!俺が言ったんだ、俺がバカにしたんだ!もう、誰も俺を笑わせるな!」


 彼の頭の中で、かつて自分が裏アカに書き込んだ何千もの嘲笑の言葉が、彼の肉体と精神を内側から侵食し始めていた。


 彼は、人が笑う音を聞くと、自分がバカにされているように感じるようになった。


WARAU。


 その音は、彼にとって、かつての快感ではなく、神経を逆撫でする永遠の残響、拭いきれないトラウマへと変質していた。彼は、人を笑わせることで得ていた自己肯定感の代償として、笑うこと、笑われることの全てから、永久に切り離されてしまったのだ。



8.結末:静寂の代償


数ヶ月後。


 田辺翔太は、学校を辞めた。家族と共に、遠方の親戚を頼り、関市を離れた。彼が住んでいた部屋は、彼がつけた傷跡とともに静まり返っていた。


 公的ネットワークや地域の掲示板からは、彼の告発記事は徐々に姿を消していった。情報の鮮度が落ちたためだ。しかし、彼の行いは、デジタル空間の深い部分に永久に記録された。


 彼が新天地で、普通の学生生活を送ろうとしても、いつ、どこから、自分が放った嘲笑の言葉がブーメランとなって戻ってくるのか、怯える日々は終わらない。


 彼はもう、SNSの裏アカを開くことはない。他人をバカにして笑うこともない。


 なぜなら、彼が知ってしまったからだ。


 『デリカシーのない嘲笑』の対価は、単なる報復ではない。それは、世界中を敵に回し、自分の存在そのものを嘲笑の種に変えることであり、笑い声の代わりに、永遠の静寂を代償として支払うことなのだと。


 彼は二度と、人を無差別に、心底からあざ笑うことはなかった。彼の胸に残ったのは、彼自身の嘲笑が作り上げた、深く、冷たい「WARAU―トラウマ」だけだった。

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