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第2章 離散と静かなる報復

3.悪友たちの沈没船からの脱出

 月曜日の朝。田辺翔太はいつものように、昨夜のSNSで仕入れた他人の不幸を肴に、悪友たちを笑わせようと教室に入った。


「なあ、聞いたか?サッカー部のキャプテン、大会前の大事な時期に彼女とケンカして、ボロ泣きで練習サボったらしいぜ。マジでメンタル小学生かよ、ウケる!」


 いつものように、笑いの火種を投下した。しかし、彼の周りは、いつになく重い沈黙に包まれていた。


 悪友の筆頭格だった山崎は、顔を上げようとしない。他の二人も、スマートフォンを握りしめたまま、うつむいている。


翔太:「おい、どうしたんだよ?昨日の夜からなんかムード悪くね?」


山崎が、低い声でつぶやいた。


山崎:「翔太…⋯お前、見たのか?あの掲示板」


翔太:「掲示板?なに、また新しいいじめの告発でもあんの?どうせ雑魚の被害者面だろ?」


「雑魚じゃない!」山崎が、初めて大きな声を上げた。その顔は蒼白で、恐怖に歪んでいた。「お前の裏アカのログと、お前が家族の前で言ったことが、全部晒されてるんだよ!公立のネットワークだけじゃなくて、地域の情報サイトまでだ!」


 翔太の背筋に、氷が滑り落ちたような悪寒が走った。しかし、すぐに彼は強がった。


翔太:「なんだよ、そんなの誰かのデマに決まってんだろ!俺の裏アカなんて誰も知らねえし、家族との会話なんて…」


山崎:「嘘じゃない。お前が「生きたまま土に埋めてやりたい」って言ったって、録音までアップされてるらしいんだよ。それと、俺たちが笑ってたあの美術部のTシャツの件。あの投稿、俺も一緒に「ダセェ」ってコメントした奴だろ」


翔太:「だからなんだよ!あれはジョークだろ!」


 山崎は翔太から数歩離れた。


山崎:「ジョークじゃ済まなくなったんだ。俺たちは、ただお前のノリに乗ってただけだ。でも、このままじゃ俺たちも「共犯者」扱いだ。もう、関わりたくない。悪いけど、自業自得だろ、翔太。お前、冗談にもデリカシーがなさすぎなんだよ」


 他の悪友たちも、山崎に倣い、口々に「俺たち関係ない」「被害者の気持ち考えろよ」と、手のひらを返すように冷たい言葉を浴びせてきた。


 翔太は、嘲笑の弾丸を撃ち続けてきた自分が、初めて絶対的な孤立という冷たい壁にぶつかったことを悟った。彼の世界から、嘲笑の聴衆が、一瞬にして消え去ったのだ。



4.西日本を巡る静かなる波紋

 その日の昼休み。翔太がスマートフォンを開くと、目に飛び込んできたのは、見たこともないほどの通知と、アカウント凍結の警告だった。彼がいつも使っていた裏アカは、通報が集中しすぎたためか、すでにアクセス不能となっていた。


 そして、彼を本当に恐怖させたのは、SNSを賑わせていたハッシュタグだった。


 #WARAUトラウマ #●市のエゴイズム


 そこには、彼が過去にバカにした人々からの、感情のない、しかし鋭利な言葉の“刃”が並んでいた。


[北九州市・県立高校生]: 「関市のあの人。私たちが文化祭で作った作品を『小汚いゴミ』って言ったんだよね。見てる人は見てるよ。ざまあみろ」


[京都市・府立高校生]: 「私たち生徒会が企画したボランティア活動を『偽善者の集まり』って嘲笑った彼へ。ネットリンチはしない。ただ、お前の『笑い』は誰の心にも響かないって事実を知れ」


[高知市・高専生]: 「僕の吃音を裏アカで笑ってたアイツ。君の家族が君に冷たい目線を向けてる今、君は僕の何倍も滑稽だ」


 拡散はもはや、●市の中学生の告発文のコピー&ペーストに留まらなかった。それは、まるでサイレント・ウィルスのように、地域情報WEB掲示板、生徒間の非公式なグループチャット、大学受験予備校の掲示板を経由し、特定の学校やコミュニティへと狙いを定めて静かに、しかし確実に集中拡散されていた。


 まるで、彼の嘲笑がGPS付きのブーメランとなって、彼がバカにした人々のコミュニティを経由して、凄まじい勢いで自分に返ってきているようだった。


 釧路市のフリースクールにも、練馬区と足立区と荒川区の私立校にも、そして豊田市・岡崎市・郡山市の小学校の保護者会ネットワークにまで、その話題は飛び火していた。彼がバカにした「不器用な小学生」「私立の金持ちのボンボン」「社会の枠に収まらない人間」たちが、ネットワークの向こう側で静かに結託していたのだ。



5.初めての大打撃

 午後、翔太は担任教師に呼び出された。校長室に響くのは、教師たちの沈黙と、告発文の印刷物をめくる音だけだった。


担任:「田辺、この裏アカと、ここに書かれていることは、君がやったことではないと、今からでも否定するのか?」


 翔太は、喉がカラカラに乾いて、声が出なかった。否定する言葉を失っていた。彼は、デジタル空間で無敵の戦士だったが、現実の冷たい目線の中では、ただの臆病な少年だった。


校長:「私たちは、社会的制裁や個人的な報復を推奨しない。しかし、君が犯した行為は、無差別的な精神の暴力だ。この事態は、もはや学校の範囲を超えている」


 その時、校長室のドアがノックされた。廊下に立っていたのは、彼の父親だった。疲弊しきった顔には、怒りよりも深い絶望の色が滲んでいた。


父:「先生方、大変申し訳ありません。全ては私の教育の不徹底です。…翔太。お前のせいで、会社にまで電話がかかってきた。お前がバカにした『生きたまま土に埋めてやりたい』って言葉。あの言葉が、お前の裏アカのログと共に、私の取引先の掲示板にまで貼られたんだ」


 彼は愕然とした。嘲笑の対象は、学校の生徒や教師だけではなかった。彼自身が、嘲笑されるべき『社会の迷惑』として、家族の職場までをも巻き込んでいたのだ。


 父は、震える手でスマートフォンを取り出し、ある画面を翔太に見せた。


 それは、彼のSNSのプロフィール画像、彼が滑稽だと嘲笑した男子生徒を真似て作った嘲りのコラージュ画像が、今や彼の顔写真に差し替えられ、地域情報サイトのトップに『WARAU―トラウマ生成者』というキャプション付きで掲載されている画面だった。


「…⋯俺は、ただ…⋯面白いことをしたかっただけなのに…⋯」


 初めて、翔太の目から涙がこぼれた。それは、悔しさや悲しさの涙ではなく、「自分が笑われる側になった」という、耐え難い恐怖と、社会的抹殺の冷たい現実がもたらしたトラウマの結晶だった。


 嘲笑の対象を徹底的に「集中拡散」した結果、その報復は「所により集中拡散」という形で、翔太の人生のあらゆる側面へと、静かに、しかし致命的に広がり始めていた。

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