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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「甲府い」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/09/28


落語声劇「甲府(こうふ)い」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約35分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)

      (4:0:0)

      (3:1:0)【性別準拠人数比率】

      (2:2:0)

      (1:3:0)

      (0:4:0)

      


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


伝吉(でんきち):主人公。甲府(こうふ)から江戸へ出てきて一旗揚(ひとはたあ)げようとしたが、

   浅草観音(あさくさかんのん)へお参りに行った際にスリに巾着(きんちゃく)をスられ、一文無(いちもんな)しに

   なってしまう。腹を空(す)かせたあまりに豆腐屋(とうふや)の卯(う)の花(はな)に手を出し

   てしまう。それが彼の運命を変えるきっかけとなった。


親方(おやかた):豆腐屋(とうふや)の親方(おやかた)。

   卯(う)の花(はな)を盗み食いした伝吉(でんきち)をすぐに役人につきださずに、訳(わけ)ありだ

   と見抜き、話の末に自分と同じ宗旨(しゅうし)だと知ると、自分の店に住み込

   みで働かせる。


おかみ:豆腐屋(とうふや)の親方(おやかた)の妻。


お花(はな):豆腐屋(とうふや)夫婦の娘。親方(おやかた)が伝吉(でんきち)を見込んだ事と、自身が伝吉(でんきち)に

   惚(ほ)れていた事で夫婦となる。


金公(きんこう):豆腐屋(とうふや)の店員。人間は悪くないのだが短気で、卯(う)の花(はな)を盗んだ伝吉(でんきち)

   を有無(うむ)を言わさず引っぱたく。

   ついでに言うと素直でもない。


叔父(おじ):伝吉(でんきち)の叔父(おじ)。

   1セリフのみ。


客1:豆腐屋(とうふや)に買いに来た客、その一。伝吉(でんきち)役と兼ね。


客2:豆腐屋(とうふや)に買いに来た客、その二。金公(きんこう)役と兼ね。


客3:豆腐屋(とうふや)に買いに来た客、その三。おかみ役と兼ね。


亭主(ていしゅ):長屋(ながや)の女房(にょうぼう)の亭主(ていしゅ)。

   女房(にょうぼう)が伝吉豆腐(でんきちどうふ)に入れあげてるせいで毎日(まいにち)豆腐三昧(とうふざんまい)。

   だいぶ辟易(へきえき)している。


女房(にょうぼう):長屋(ながや)のカミさん連中の一人。

   如才(じょさい)ない伝吉(でんきち)にすっかり参ってしまっている。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


伝吉・客1:

親方・叔父:

おかみ・客3・女房:

金公・亭主・客2・語り:



※枕は誰かが適宜(てきぎ)兼(か)ねてください。



枕:世の中には、合縁奇縁(あいえんきえん)なんて言葉がございます。

  今こうなっている、という事柄(ことがら)にはなんかきっかけが過去にある。

  過去にそういう事があったからそれが縁(えん)となって今こうなってる。

  人間の人生なんというものは、その繰り返しなのかもしれませんな。

  【自分のエピソードを入れてもOKです】

  縁(えん)の中には良縁(りょうえん)もあれば悪縁(あくえん)もある。そのあみだくじみたいに複雑(ふくざつ)に

  絡まってる中から選(よ)り取って我々は日々生きていくわけですが、

  中にはこれより語ります、重ねがさねの良縁(りょうえん)の積み重ねという場合も

  あるようでございまして。


金公:この野郎ッ!何しやがるッ!


親方:おぉい金公(きんこう)!待ちな待ちなッ!

   人様(ひとさま)に手ェ上げるなんて乱暴な事をするんじゃねえ、バカ野郎!


金公:待ってくだせェ親方(おやかた)。

   あっしは何も虫や癇(かん)のせいで引っぱたいたんじゃねえんで。

   ここでもってあっしが商売物(しょうばいもの)の桶(おけ)を洗ってるってえと、桶(おけ)の横から

   ぬうーっと手が出やがった。

   桶(おけ)が化けたのかと思ったけどそうじゃねえ。

   ひょいと見てみるってと、この野郎が桶(おけ)の影で卯(う)の花ァつかんで

   むしゃむしゃむしゃむしゃ食ってやがる。

   それであんまり癇(かん)に障(さわ)るから引っぱたいたんで。

   親方(おやかた)、これでもあっしが悪いんで?


親方:どっちが悪いとかじゃあない。人様(ひとさま)に手ェ上げるのがいけないって

   んだよ。

   そこのお前さんも、そんな事をしたらぶたれたってしょうがないよ

   。

   なんだってこんな事しなすったんだい?


伝吉:あ、相(あい)すいません、勘弁して下さいまし。

   お、おらァ腹が減ってたもんで…。


親方:いくら腹が減ってるったって、人様(ひとさま)ん家(ち)のものをただ食べていいと

   いう法は無いよ。

   盗んだりなんかせずに、買ったらいいじゃないか。

   お足(あし)を払ったらどうだい?


伝吉:そ、それが…あいにく、持ち合せがねえもんでございますから…。


親方:持ち合せが無い?

   いやいや、卯(う)の花なんてものは「おから」と言うくらいだ。

   子供だって買えるくらいの安いもんだよ?

   それが買えないってのかい?


伝吉:は、はい…一銭(いっせん)もないんでございます…。


親方:え、一銭(いっせん)もない?

   そんなふうには見えないけどなあ…。

   なりの拵(こしら)えや口のきき方から察するに、お前さん、江戸の人じゃな

   いね?


伝吉:は、はい、旅の者でございます。


親方:手甲脚絆(てっこうきゃはん)のいでたちからしてそうだろうね。

   まぁまぁ、なんかわけがありそうだ。

   ここじゃ話もできないから、奥へおいで。


伝吉:えっ、あ、はい…。


親方:おぉいおい、そんなとこでしゃがみ込んじゃいけないよ。

   豆腐屋(とうふや)の流してものは濡(ぬ)れてるんだから、さ、こっちへおいで。

   遠慮することは無いよ。

   おぅい座布団(ざぶとん)出してくれ!客だ!


おかみ:はあい、ただいま。


伝吉:あ、ありがとうございます…。


親方:いいからいいから、気にする事は無いよ。

   さ、わけを話してごらん。

   またその話によっちゃ、こっちもちょいと力になろうじゃないか。


伝吉:へ、へい…ご親切にありがとうございます…。

   おらァ伝吉(でんきち)と言いまして、甲州(こうしゅう)のもんでございます。


親方:ほう、甲州(こうしゅう)の伝吉(でんきち)さんかい。

   また遠いところから来なすったな。

   俺も知り合いが何人かいるよ、

   で、甲州(こうしゅう)のどこだい?


伝吉:甲府(こうふ)の在(ざい)の生まれでございます。

   小(ちい)せえ時分(じぶん)に親父(おやじ)とおふくろに死に別れまして、叔父(おじ)さんに引き取

   られて今日までお世話(せわ)になって参りりました。


   けれど、いつまでたっても叔父(おじ)さんの厄介(やっかい)になってるんじゃ申し訳

   ない。

   江戸へ出て一旗(ひとはた)あげたいって相談しましたら、


叔父:おめェ、そりゃあ生易(なまやさ)しいこっちゃねえ。

   おらァ勧(すす)めたくねえが、おめえがどうしてもってんだったら反対は

   しねえ。

   ひとつ、死ぬ気になってやってみたらどうだ。


伝吉:ってんで、たっぷり餞別(せんべつ)持たして、送り出してくれたんです。

   途中で身延山(みのぶさん)へ上(のぼ)って三年の願掛(がんか)けをしまして、きのう江戸へ着い

   たんです。

   それで、浅草(あさくさ)の観音(かんのん)様が大変に繁盛(はんじょう)してるって事を聞きまして、

   一番にそこへお参りしようと向かいましたところ、途中でむこうか

   ら駆(か)け出してきた男がいきなりおらにドーンと突き当たったんです

   。

   その時は、なんてそそっかしい男だろうと気にも留(と)めなかったんで

   すが、お堂(どう)の前へ行って賽銭(さいせん)をあげようと思って懐(ふところ)へ手を入れてみ

   たら……財布(さいふ)が、ないんでございます…!


親方:あ~そりゃお前さん、スリにやられちまったんだねぇ…。

   ぼんやりしてるってえとそういう事になるんだよ。

   江戸ってとこはな、生(い)き馬(うま)の目を抜くところなんだ。

   ぼんやり歩いてちゃいけねえ。で、どうしたんだ。


伝吉:それから途方(とほう)にくれまして、ゆうべはどこへも泊(と)まる事ができねえ

   で、人様(ひとさま)の家(うち)の軒下(のきした)で夜(よ)を明かしたんです。

   明るくなってまたふらふらふらふら歩きはじめたんでございますが

   、なにしろ昨日から何も食べておりません。

   腹が減って腹が減って、それでさっきお宅様(たくさま)の前を通りかかりまし

   たら、あの桶(おけ)の中からふわーっと煙(けむ)が出てる。

   あんまりうまそうだったんで思わず…悪い事とは知りながらつい盗

   んで食べてしまったんでございます…!

   どうぞひとつ、ご勘弁(かんべん)くださいまし…!


親方:そうだったのか、そりゃあ災難だったなァ…。

   おい金公(きんこう)!ええ?見ろ!

   巾着切(きんちゃくぎ)りにやられたってんだ。気の毒な方(かた)じゃねえか。

   わけも聞かねえでポカポカポカポカ張り倒しやがって。

   ほんとにしょうがねえ奴だな。

   謝(あやま)んな!

   謝(あやま)んなってんだよ!


金公:【ぶっきらぼうに】

   ~~…ごめんなさいね!


親方:なんだお前、その謝(あやま)りようは。

   もっと丁寧(ていねい)に謝(あやま)りな!


金公:【ベソをかいて】

   ッ…ぐすっ、すびばせん…!


親方:今度は泣いてやがるよ…ああもういいよ!

   まったく極端(きょくたん)な奴だな。

   あぁはは、まあ勘弁してやってくれ。

   いや、金公(きんこう)は大変に気の短(みじ)けぇ奴なんだが、人間は決して悪い奴

   じゃねえんだ。

   それで改めて聞くけど、怪我(けが)はしなかったかい?


伝吉:へ、へい、大丈夫です…。


親方:そうかい、そりゃよかった。

   ところでお前さんの話の中に、身延山(みのぶさん)に三年の願掛(がんか)けをしたという

   のがあったね。

   もしかしてお前さん、お宗旨(しゅうし)の方(かた)かい?


伝吉:へい、おらの家(うち)は代々その、法華宗(ほっけしゅう)でございまして。


親方:おぉそうかい!

   こりゃあ面白(おもしろ)いねえ。いや、うちもそうなんだ。

   法華(ほっけ)の凝(こ)り固まりだよ。

   おいおっかぁ、この人もお宗旨(しゅうし)の方(かた)だとさ!


おかみ:あらまあ、ほんとに奇遇(きぐう)だねえ。


親方:ああ、そうだとも。

   お宗旨(しゅうし)の方(かた)が災難(さいなん)にあってるのを、黙って見てるわけにゃあいかね

   えや。


おかみ:そうだよお前さん。

    できる限りの事をしてあげなきゃね。


親方:あたりめえよ。

   いや、お前さんはいいとこへ来たね。

   他だったら大変な事になっちまってたよ。

   へえそうかぁ……うん?ちょいと待てよ。

   おいおっかあ、今日は何日だ?


おかみ:今日かい?

    10月の13日…あら、お前さん大変だよ!


親方:ああ!お祖師(そし)様のご命日(めいにち)じゃねえか!

   へええ…こりゃあますます奇遇(きぐう)だ。

   お祖師(そし)様のご命日(めいにち)にお前さんがうちに来てさ、おからを盗んで食べ

   たなんてな、これァお祖師(そし)様のお引き合せかもしれねえ。

   うーん嬉しいねえ。


おかみ:そう言われてみるとなんだか、この方(かた)の顔がだいぶお祖師(そし)様の

    ように見えてくる気がするね。


親方:ああ、大変にありがたいお顔になってきたな。


伝吉:い、いやいやいやそんな、恐れ多い事で…!


親方:見ねェ、鼻の頭のあたりから後光(ごこう)がぱぁーっと差してきたな。


伝吉:い、いえ、水(みず)ッ洟(ぱな)に朝日があたってるだけで…。


親方:あ、そうか。

   まあなんにしても、腹が減ってるんだろ?

   おぃおっかあ、聞いての通りだ。

   飯(めし)を食わしてやってくれ。


おかみ:はいはい。あ、でもおかずがあんまりないね。


親方:まあ朝だからしょうがねえよ。

   なにか適当に見つくろってやってくれ。

   さ、おっかあが支度(したく)してくれるからな、向こう行って飯(めし)を食うとい

   いよ。


伝吉:あ、ありがとうございます!!

   そうだ、おかみさんにご挨拶(あいさつ)しないと…。


親方:ははは、そうかい。

   おいおっかぁ、ご挨拶(あいさつ)だとよ。


伝吉:おかみさん、このたびはどうも、お世話(せわ)になりまして…!

   あらためて、「お鉢(はち)」にお目にかかります、伝吉(でんきち)と申します…!


おかみ:あら、わざわざいいのにねえ。


親方:はは、お堅(かた)い人なんだな。

   「お鉢(はち)にお目に掛かります」って、よっぽど腹が減ってるんだね。

   さあさあ、たっぷりお目に掛かってくれ。

   ん?どうしたおっかあ。そんなところに付いててどうしようってん

   だい?


おかみ:え?お給仕(きゅうじ)してあげようと思って。


親方:バカだね。

   初めて来た家(うち)だよ。傍(そば)に付いてて給仕(きゅうじ)なんかしてみろ。

   気づまりして飯(めし)が喉(のど)を通らないじゃないか。

   一人にしといていいんだよ。

   お鉢(はち)をあてがっておきゃあいいんだ。

   それより、茶(ちゃ)あ入れてくれ。

   …おい、離れろよ。

   おめえ、やっぱりなにか、男は若えのがいいってのか?


金公:親方(おやかた)ァー!

   客が来やしたよー!!


おかみ:あら大変、もうそんな時間かい?


親方:おぉっと、茶どころじゃねえな。

   こうしちゃあいられねえ。

   俺たちゃ店に出てるから、お前さんはゆっくり飯(めし)を食ってな!

   へいいらっしゃい!何を差し上げましょう?


客1:おう、がんもどき五つくれ!


親方:へい、まいど!

   そちら様は!?


客2:豆腐おくれ!


親方:へい、どういたしましょう!?


客2:やっこで頼む!


親方:さようでございますか!

   へいっまいど!

   お嬢(じょう)ちゃんは?


客3:おとうふくださいな。


親方:うん、なんにするんだい?


客3:お付けの実(み)にするの。


親方:そうかい、じゃ、賽(さい)の目に切ってあげような。

   そちらは?あ、生揚(なまあ)げね、ありがとうございます!


語り:なんてんで、朝からお豆腐屋(とうふや)は大変に繁盛(はんじょう)しております。

   とにかく店主の親方(おやかた)が変わった人でして、法華(ほっけ)の凝(こ)り固まりという

   のもあって、ご近所からは法華豆腐(ほっけどうふ)なんと呼ばれてる。

   気性(きしょう)がチャキチャキの江戸っ子そのもので、強い者にはどこまでも

   向かっていく、弱い者はとことん助けてやろうというような、

   大変に義侠心(ぎきょうしん)に富んだ方(かた)でございました。 


親方:ふう、まずは一息(ひといき)つけるな。

   おう、どうだい?飯(めし)は食べたかい?


伝吉:はい!ありがとうございました!

   たっぷりいただきました…!


親方:おぉそうかい!そりゃあよかったよかった。

   って、おいおい、何してんだい?


伝吉:え、片(かた)そうと思いまして…。


親方:あぁいぃいぃ、いいんだよ片(かた)さなくたって。

   な、おっかあ。


おかみ:そうだよ、あたしの仕事だからね。

    そのままにしておいておくれ。


伝吉:いえあの、お鉢(はち)を洗おうと思いまして…。


親方:え?お、お鉢(はち)を…?

   おっかあ、俺ァ言ったじゃねえか。

   冷や飯(めし)は食わしちゃいけねえって。


おかみ:え?朝に炊(た)き立てのやつを出したんだよ。


親方:炊(た)き立て…?

   確か二升五合(にしょうごんごう)は炊(た)いたはずだろ?

   じゃ、金公(きんこう)だけが食べかけたやつ、あれをそっくり食っちゃったの

   かい!?

   そらァまたやったねえ…。

   俺もまだ食ってねえぞ?

   まぁまぁ、いいよ。よっぽど腹が減ってたんだなァ。

   そのお鉢(はち)もおっかあが洗うから、こっちへ来なよ。


おかみ:そうそう、うちの人とゆっくりしておいで。


伝吉:あ、ありがとうございます…!

   それじゃ、失礼して…。


親方:おう、こぅちこっち。

   さ、煙草(たばこ)を一服(いっぷく)やるといいよ。


伝吉:あ、その、おらは煙草(たばこ)は飲まねえんです。


親方:そうかい。

   ところで俺ァいま考えたんだが、お前さん江戸へ出てきて何かやる

   といったって、これァなかなか上手(うま)くいくもんじゃない。

   ちょいと口は悪いが、田舎(いなか)の人ってものは江戸に出てくりゃ金が

   落ちてるとでもいう風に考えてる節(ふし)がある。

   けどそれァとんでもねえ話だ。

   なんにも知らないうちに騙(だま)されて、泥沼(どろぬま)に潜(もぐ)っちまうなんという事

   がよくあるんだ。

   お前さんみてえに純(じゅん)な人だったら、やっぱり国に帰って叔父(おじ)さんの

   とこで一生懸命(いっしょうけんめい)働くってのが一番いいんじゃねえかと思うけど、

   どうだい?

   失礼ながら、路銀(ろぎん)はいくらか俺が出すから。


伝吉:…せっかくのお言葉に返すようでございますけども、おらァ国を

   出る時に叔父(おじ)さんの前で、なんとしてでも、なんとかならねえうち

   は、こっちへは帰ってこねえって言い切りましたし、

   それに身延山(みのぶさん)に三年の願掛(がんか)けをしてきましたんで、なんとしてでも

   、なんとかならねえうちは、国には帰れねえんでございます…。


おかみ:しっかり思いこんじゃったんだねえ…。


親方:うーん、そうかい…。

   それじゃ、何かあてがあるのかい?


伝吉:いえ、これといってあてはねえんでございますが、芳町(よしちょう)ってとこへ

   行くと口入(くちい)れ屋さんがたくさんあるって事をうかがいましたので

   そこで何か奉公口(ほうこうぐち)を世話(せわ)してもらおうと思いまして。


親方:するとまだ何も決まってねえってわけだ。

   じゃあどうだい。

   ものは相談だがな、お前さんさえよけりゃ、うちで働いてみる気は

   ないかい?


伝吉:えっ、こちら様でございますか!?

   いや、それは、もしそうしていただけるんでしたら、おらとしては

   誠(まこと)にありがてえ事でございます。  


親方:おうそうかい!

   いや、実は売り子が一人足りなくてな。

   あすこにいる金公(きんこう)、今朝(けさ)お前さんを張り倒した奴だな。

   売り子があれと俺の二人きりなんだ。

   店のほうはなんとかなるんだが、お得意様がほうぼうにいてな、

   そこへ売りに行かなくちゃならねえんだ。

   じゃ、お前さんやってくれるかい?


伝吉:へい、ぜひやらせてください!


親方:ようし話は決まった!

   じゃあ伝吉(でんきち)、あらためてよろしく頼むよ!

   おう金公(きんこう)、ちょいとこっちへ来い。


金公:なんですか、親方(おやかた)?


親方:この伝吉(でんきち)がな、売り子をやってくれるそうだ。

   すぐに口入(くちい)れ屋行って、断(ことわ)り入れてきてくれ。


金公:へい、わかりやしーー


親方:【↑の語尾に喰い気味に】

   あぁっと!ちょいと待ちな!

   おめえは乱暴だからな、妙な断(ことわ)り方をするってえと後(あと)に響(ひび)くぞ。

   いいか、「実はお頼みしていた売り子ですが、田舎(いなか)のほうから親類(しんるい)

   の者が出て参りまして、是非(ぜひ)にと言うので売り子にいたしました。

   またこの次に何かあった時にはよろしくお願いします」って、

   丁寧(ていねい)に頼まねえと駄目(だめ)だぞ。

   わかったな?


金公:へぇい。それじゃ、行ってきます。


親方:うん、頼んだぞ。

   おっかあ、伝吉(でんきち)が売り子をやってくれるぞ。


おかみ:よかったねえお前さん。

    伝吉(でんきち)さん、よろしくお願いするよ。


伝吉:へい!おかみさん、こちらこそよろしくお願いします!


おかみ:でもお前さん、身元引受人(みもとひきうけにん)のほうはどうするんだい?


親方:なに言ってんだ、そんなものは要(い)りやしないよ。

   俺の目に狂いはねえ、大丈夫だよ。

   ところで伝吉(でんきち)、お前さんに断っとくが豆腐屋(とうふや)なんて商売はな、

   これがなかなか辛い商売だ。

   朝は早(はえ)えし、それから夏場はまだいいけど冬場になるってえと、

   水が冷てえぞ。

   大丈夫かい?


伝吉:へい、そんな事は別にどうって事はございません。


親方:そうかい、まあ田舎(いなか)のほうでもって苦労しているからそういう所

   は苦(く)にならねえか。

   それでな、商売というのはなんでもそうだが、売って歩くとなると

   売り声てものが肝心(かんじん)だ。

   天秤棒(てんびんぼう)を肩にして商(あきな)って歩きながらだと、声がなかなか初めのうち

   は出ねえ…というよりは出さねえほうが多いもんなんだ。

   気恥(きはずか)しいもんだからついつい小(ちい)せえ声になっちまう。

   だからそういうのを吹っきって、大きな声でやらなくちゃいけねえ

   。


伝吉:大きな声でですね、分かりました。


親方:でな、豆腐屋(とうふや)の売り声てものはおおよそ決まっているんだ。


   「とぉ~ふゥ~、なまァ~あ~げェがん~もどきィ~」


   と、こうやるんだが、うちのはちょいと違うんだ。

   豆腐(とうふ)も自慢なんだが、がんもどきが他とは変わっててな、

   どう変わってるかてえと、ゴマがたくさん入ってるんだ。

   ゴマは体にいいからな。

   だから、「ゴマ入りがんもどき」とこう売ってもらいてえんだ。


   「とぉ~ふゥ~、ごまァ~い~りィがん~もどきィ~」


   と、こう言って売って歩いてるとな、ほうぼうのカミさん連中が

   法華豆腐(ほっけどうふ)が来たんだなってんで次々に飛び出して来て、商(あきな)いになる

   ってやつだから、わかったかい?


伝吉:へい!ゴマ入りがんもどきですね!


親方:それからな、ただ売って歩いてたんじゃ面白(おもしろ)くないからな、

   張り合いがあるように、お前さんに売上げの中から一割の取り分を

   あげよう。

   たとえばお前さんが一日に八十文(はちじゅうもん)売り上げたら、八文(はちもん)が取り分だ。


伝吉:あ、ありがとうございます、何から何まで…!

   親方(おやかた)、どうぞひとつ、よろしくお願いします!


親方:おう、こちらこそよろしく頼んだよ!

   そのうちにな、豆腐(とうふ)の作り方や商売のあれこれ細かいこと、

   何でも教えてやるからな。

   だから最初のうちは、一生懸命(いっしょうけんめい)売って歩いてくれよ。


伝吉:へいっ親方(おやかた)!


おかみ:元気のいい声だね、これならきっと大丈夫だよ。


語り:無事(ぶじ)に就職の決まりました伝吉(でんきち)、喜び勇(いさ)んで次の日から売り子とし

   て商売に精(せい)を出します。

   もともと体は丈夫(じょうぶ)ですから、天秤棒(てんびんぼう)を肩にして終日(しゅうじつ)商(あきな)いをして帰っ

   て来ても、少しも疲れを見せません。

   熱心に学ぶ性質(たち)ですから教わった事はどんどんどんどん覚えていっ

   てしまう。

   更(さら)には如才(じょさい)がないもんですから天秤棒(てんびんぼう)担(かつ)いで長屋へ入っていく、

   、カミさん連中が洗濯してれば水汲(みずく)みましょ、子供がケンカしてれ

   ば仲裁(ちゅうさい)して腹掛(はらが)けに忍ばせてる駄菓子(だがし)をあげる、

   おかげでカミさん連中や子供たちに誠(まこと)に評判が良い。

   近ごろはもう「伝吉(でんきち)さんじゃなきゃダメ」「豆腐は伝吉(でんきち)にかぎるよ

   」「伝吉豆腐(でんきちどうふ)だね」なんてんで、法華豆腐(ほっけどうふ)と言う名前の影が薄くな

   っちゃうくらいでございます。

   そこで面白(おもしろ)くないのがカミさん連中の亭主(ていしゅ)たち。


女房:ほんと、いつも伝吉(でんきち)さんには助かってるねえ。

   うちの宿六(やどろく)とは大違いだよ。


亭主:おいお光(みつ)、また伝吉豆腐(でんきちどうふ)が来たのか!?


女房:そうなんだよ。


亭主:…嬉(うれ)しそうな顔しやがってちきしょうめ。

   そうなんだよじゃねえ、いい加減にしろよほんとに!

   この町内にはなにか、魚屋はなんてものはねえのか!?

   たまにはおめえ、刺身(さしみ)くらい食わしてくれよ!

   明けても暮(く)れてもずっと豆腐(とうふ)じゃねえか!

   朝は何でェ、生揚(なまあ)げ焼いたのだった。

   昼は仕事先行って弁当箱開けたらがんもどきの煮付(につ)けが出てきた。

   夜に帰(けえ)ってくりゃやっこ豆腐(どうふ)だよ。

   冗談じゃねえよ、体ぱさぱさになっちまったよ!

   こないだ湯に入ったら、体がふわーっと浮いたぜおい!

   たまには別なもん食わしてくれよ!


女房:あら、嫌かい?


亭主:あたりめえだよ!

   なに言ってやんでェったく。


女房:そう?じゃあ変えようかい?


亭主:お、何にしてくれるんだ?


女房:卯(う)の花にするよ。


亭主:おんなじじゃねえか!


女房:なら伝吉(でんきち)さんをちょいとでも見習いなよ!


語り:なんてやりとりがあちこちで起きてはいるものの、伝吉(でんきち)本人は至(いた)っ

   て真面目(まじめ)に日々商(あきな)いを続けているわけでございます。


親方:おっかあ、俺ァ伝吉(でんきち)の事を自慢のように思ってるよ。


おかみ:そうだねえ、あんなに毎日一生懸命働いて…。


親方:どうだい、俺の目に狂いは無かったろ。

   伝吉(でんきち)がうちで働き始めてから、俺ァ本当に楽ができてるよ。

   それにまたあいつは気持ちがいい。


おかみ:本当にねえ…。


親方:あれから三年になるが、本当によくこれだけやってくれたと思うよ

   。

   金公(きんこう)の奴が辞(や)めちまった時は二人っきりでどうしようかと思ったけ

   どなんだ、ちっとも変わりゃしなかったね。

   朝に豆腐(とうふ)仕込(しこ)んで、店の方をきちっと支度(したく)しといて俺に任(まか)して、

   あとはずっと売って歩いてる。

   帰って来たら来たで、後の事もきっちりやる。

   いや驚いたね、ほんと。

   ああいう男はそんじょそこらにはいやしないよ。


おかみ:あたしも今まで見たことが無いよ。

    本当にたいしたもんだね。


親方:ああ。

   それにね、了見がいいよ。

   いや、何がってな、実はゆうべ、俺ァ夜中にはばかりへ起きたよ。

   すると裏のほうでざーっと水を流す音がする。

   おかしいな、こんな夜中に誰が何してんだろうと思って、雨戸(あまど)を

   細めに開けてひょいとのぞいたら…伝吉(でんきち)だよ。

   頭っから水を浴びながら、一生懸命に身延山(みのぶさん)にお願いをしてるんだ

   。


伝吉:妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)、南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)、ご当家様(とうけさま)商売繁盛(しょうばいはんじょう)、

   皆様(みなさま)無病息災(むびょうそくさい)にて暮らす事ができますように、

   国元(くにもと)の叔父(おじ)さんが長生きできますように、

   一つ下がって、わたくしが立身出世(りっしんしゅっせ)できますように…!


親方:てんで一心不乱(いっしんふらん)だよ。

   なかなか今の若い者にはできねえ。

   俺ァ嬉(うれ)しくってね、涙が出てきたね。

   思わず声を掛けようかと思ったんだが、信心(しんじん)してる所を邪魔しちゃ

   いけねえと思って、そのまま寝ちまったんだ。


おかみ:ほんと、ありがたいねえ…。


親方:それでな、おっかあ。

   俺ァ考えたんだが、うちのお花(はな)も年頃(としごろ)だ。

   いつまでもうっちゃっといて、悪い虫でも付いちゃあいけねえと

   思ってな。

   うちはいずれ婿養子(むこようし)を取らなきゃいけねえ。

   けど下手(へた)な奴を養子(ようし)にした日にゃあ大変な事になっちまう。

   そこでだ、伝吉(でんきち)だったら安心だと思うんだがどうだ?


おかみ:そうだね、伝吉(でんきち)だったら間違(まちが)いないよ。


親方:おめえもそう思うかい。

   あとはお花(はな)の了見次第(りょうけんしだい)だな。

   女は女連(おんなづ)れ、俺からじゃあちょいと聞きにくいから、

   折(おり)を見ておめえから聞いてみてくれねえかい?


おかみ:お前さん、その事だったらもうとうにね、聞いてあるよ。


親方:なに、もう聞いてあるのか?

   ははは、やけに手回しがいいじゃねえかい。

   で、なんて言ってた?


おかみ:そりゃあもう、返事を聞くまでも無かったよ。

    同じ女のあたしから見てね、お花(はな)が伝吉(でんきち)の事を好いているって事

    は分かってた。

    でも一応ちゃんと聞いてみたんだ。

    そしたらやっぱりあの子、真っ赤になって俯(うつむ)いてさ、

    畳(たたみ)に「の」の字なんて書いてたよ。

    それで、「伝吉(でんきち)さんなら…」って先が言えないくらいだったね。    


親方:へへへ何でェ、お花(はな)も伝吉(でんきち)にすっかり「ほ」の字って事じゃねえか

   い。結構(けっこう)な話じゃねえか。

   当人がいいってんなら話は早(はえ)えや。

   それじゃ、いい日取(ひど)りを決めてな、それでーー


おかみ:ちょいとちょいとお前さん、お花(はな)がいいったって、伝吉(でんきち)がなんと

    言うか分かりゃしないじゃないか。


親方:何をゥ!?

   伝吉(でんきち)がどういうかわからねぇ!?

   何を言ってやんでェ!

   あいつなんざ、引き受けるに決まってるじゃねえか!

   嫌だなんて、んな事(こた)ァ言わせるもんかィ!

   冗談じゃねえや。

   あいつが俺ンとこに来た時に、店先で卯(う)の花(はな)ァ盗んで食いやがっ

   て金公(きんこう)に張り倒されたんだ。それを俺が助けてやったんでェ!

   喉元(のどもと)過ぎりゃ暑さを忘れるたァこのこった!

   お花のどこが悪いんでェ!本当に冗談じゃねえや!


おかみ:ちょいと、お前さん…!


親方:【↑の語尾に喰い気味に】

   嫌だなんて生意気(なまいき)なこと言いやがったらァおいッ、伝吉(でんきち)ッ!

   伝吉(でんきち)ィッ!!


伝吉:へいッ!

   親方(おやかた)、お呼びでございますか!


親方:お呼びかじゃねえ、こんちきしょう!

   そこへ座れッ!


伝吉:!!?へ、へい。


親方:おゥてめェ、お花(はな)のどこが悪いってんだ!?


伝吉:!??え?え?お花(はな)さんがどうかなすったんですか?


親方:どうもこうもなすったんでねェ!

   お花(はな)のどこが悪いんだ、あァ!?

   俺んとこに初めて来た時ァなんだ、俺が助けてやったんじゃねえか

   !

   その恩をてめェ、忘れたってのか!?


伝吉:いえッ、冗談言っちゃいけません!

   親方(おやかた)に受けた恩は、生涯(しょうがい)おらは忘れや致しません!


親方:なに言ってやんでェ、そんな事は口が重宝(ちょうほう)だから色んなこと言えるん

   でェ!

   お花(はな)のどこが悪いってんだよ!

   何が気に入らねえってーーー


おかみ:【↑の語尾に喰い気味で】

    ちょ、ちょいとちょいとッお前さんッ!!

    お待ちなさいよ、本当にそそっかしいんだからお前さんは!

    ご覧(らん)なさいよ、わけもわからずにお前さんに怒鳴(どな)られて、

    伝吉(でんきち)がオロオロしてるじゃないか。

    まだあの子になんにも聞いてないだろ!


親方:!ぁ………。

   っはっはっは…そうそう、そうだった。

   まだ何にも話してなかったよ。

   ははは…これァいけねえ、俺ァどうもそそっかしくていけねえ。

   おっかあ、おめえから聞いてくれるかい。


おかみ:本当に困っちまうよ。

    伝吉(でんきち)、驚かせてすまなかったね。

    実は聞きたい事があるんだ。もし聞いたうえで嫌だったら嫌と

    はっきり言っとくれ。


伝吉:へ、へい…。


おかみ:実は、うちの娘のお花(はな)なんだけどさ、まあ親の口から言うのも

    なんだけど、器量(きりょう)は十人並(じゅうにんな)みで一通りのことは仕込(しこ)んである。

    誠(まこと)に不束(ふつつか)な者だけど、お前さんさえよけりゃどうだろう、

    お花(はな)と一緒になって、この店を継(つ)いでもらえないかい?


伝吉:えっ、お花(はな)さんとおらが!?


   …。


   あ、ありがとう存(ぞん)じます…ッ!!

   さんざんご恩を受けまして、そのご恩をまだ返していないうちに

   こんな結構(けっこう)なお話…、身に余る幸せでございます…!

   おらに否(いな)やはございません。

   ありがとうございます…ぜひ、お願いいたします…!!


おかみ:そうかい、承知しておくれだね。

    ほらお前さん、順を追って話をすれば、こうスラスラ進むんだよ

    、ね?

    伝吉(でんきち)は承知だとさ。


親方:ッそうかあ!おっかあ良かったなァ!

   よし、じゃ、あらためてよろしく頼むぞ、倅(せがれ)!


伝吉:はっはいッ!!


おかみ:ちょいと気が早すぎるよ、お前さん。


語り:こうして伝吉(でんきち)とお花(はな)は晴れて結ばれ、夫婦(めおと)となりました。

   以前は奉公人(ほうこうにん)でしたが今度は若旦那(わかだんな)の身、そうなれば少しくらい

   楽をしようなんという不心得(ふこころえ)な気になる者もいたりするわけですが

   伝吉(でんきち)はそのような怠(なま)け者ではありません。

   さあ今度は自分の店になったんだから、前よりもなお一層(いっそう)、

   一生懸命(いっしょうけんめい)に働いております。

   のめり込むと身を亡ぼすものに「呑(の)む」「打つ」「買う」の三道楽(さんどうらく)

   がございますが、この伝吉(でんきち)は一切(いっさい)道楽(どうらく)をしない。

   そうなるとやはりお店にお金は溜(た)まっていく。


親方:伝吉(でんきち)、あんまり働き過ぎてもいけねえ。

   芝居(しばい)でも見に行ったらどうだい?


伝吉:いえ、結構(けっこう)でございます。


おかみ:寄席(よせ)とかもいいよ?


伝吉:いえ、行きません。寄席(よせ)は止(よ)せ、というくらいですから。


親方:稽古事(けいこごと)とかも面白(おもしろ)いぞ。


伝吉:いえ、私はまだそこまでは至(いた)っておりませんので。


語り:なんてんで一生懸命(いっしょうけんめい)にずーっと働いている。

   おかげで豆腐屋(とうふや)はますます繁盛(はんじょう)し、ついには横町(よこちょう)に小さな家(うち)を一軒

   買うまでになります。

   親方夫婦はそこに楽隠居(らくいんきょ)、悠々自適(ゆうゆうじてき)の毎日を送っておりました。

   そんなある日のことでございます。


おかみ:お前さん、伝吉(でんきち)とお花(はな)が来ましたよ。


親方:おうよく来たな!

   さあさあさあ、こっちへ入んな。

   今日はもう店じまいしたのかい?


伝吉:はい、ちょっと早いですが、今日はもう閉めました。


親方:そうかそうか、いいんだいいんだ。

   たまには早く閉めたってな。

   あんまり働きづめになっちゃあいけねえ。

   おめえは体が達者(たっしゃ)だからいいかもしれねえが、たまにはお花(はな)を連れ

   て芝居(しばい)でも観(み)に行くとか、そんな事くらいはしてやらなくちゃ

   いけねえよ。


伝吉:は、はい…。

   実は、その…。


おかみ:おや、どうしたんだい?


親方:なんか、話でもありそうだな。

   二人してもじもじしてるよ。


伝吉:っじ、実はおとっつぁんに、ちょいとお願いしたい事がありまして

   。


親方:よせよおい、親子の間(あいだ)じゃねえか。

   お願いも手水鉢(ちょうずばち)もあるもんかい。

   なんだい?言ってみな。


伝吉:実は五、六日ほど、暇(ひま)をいただきたいんです。


親方:暇(ひま)?どっか行くのか?


おかみ:湯治場(とうじば)とかかい?


伝吉:いえ、そうじゃねえんです。

   おとっつぁんのとこへ来てから、今年で五年になるんです。


親方:五年!もうそんなになるのかぁ。


おかみ:時が経(た)つのはほんとに早いねえ…。


親方:ああ、こっちが年を取るのも無理もねえや。

   で、どうしたんだい?


伝吉:実は叔父(おじ)さんには色々と手紙かなんかやったりして、こちらの近況(きんきょう)

   をおおよそは知らせていたんですが、やっぱり直(じか)に会って自分の口

   から詳(くわ)しい事を話したいし、それにお花(はな)を叔父(おじ)さん叔母(おば)さんに

   引き合わせてえんです。


親方:うんうん、なるほどな。

   そりゃあもっともな話だ。


伝吉:それに今日(こんにち)、私がこうしていられるのは、親方(おやかた)におかみさん、

   それから贔屓(ひいき)のお客様のお陰(かげ)だと常日頃(つねひごろ)思っておりますが、

   もう一つ、なんと言っても忘れちゃならないのが、

   お祖師(そし)様のご利益(りやく)だったと思うんです。


おかみ:そうだねえ、伝吉(でんきち)がうちに来たのも、お祖師(そし)様のお引き合わせだっ

    ただろうしねえ。


伝吉:それで、身延山(みのぶさん)に三年の願掛(がんか)けをしっぱなしになっているので、

   願(がん)ほどきをしたいんです。

   そのために五、六日ほど、故郷に行ってきたいと思うんですが…。


親方:おぉぉそうか!

   いや、そういう事はな、俺が気が付かなくちゃいけなかったんだ。

   すっかりおめえに甘えちまってたんだな。


おかみ:面目(めんぼく)ないねえ、ほんと。

    

親方:結構(けっこう)な事だよ、うん。行っておいで。

   ああ、店の方は休まないからな。

   おめえが一生懸命(いっしょうけんめい)やってる店だ。休んじまったらたまらねえやな。

   おっかあにも手伝わさしてな。俺たちでなんとかするからよ。

   それで、いつ行くんだい?


伝吉:まあ、思い立ったら吉日なんていう事を言いますから、

   明日の朝早くに発(た)とうと思います。


親方:それァまた急な話だなァ…。

   まあまあいいよ、そういう事は早い方がいいやな。


おかみ:ああそうだ、明日(あした)発(た)つ前に、いったん家(うち)に来ておくれ。

    赤飯(せきはん)に尾頭(おかしら)付きくらい準備さしておくれよ。


親方:そうだぞ。

   何せ、めでたい門出(かどで)だからな!

   そういうことだから、二人ともそうしてくれ。


伝吉:はい、ではおとっつぁん、おっかさん、明日の朝また参りますんで

   。お休みなさいまし。


語り:やがてカラスカァで夜が明ける、

   朝になるってえと、若夫婦(わかふうふ)二人は支度(したく)を整え、

   横丁(よこちょう)の親方夫婦(おやかたふうふ)の家(うち)までやってきます。


伝吉:おはようございます!


親方:おぉ来たか!

   おっかあ見てみなよ!二人が支度(したく)してやってきたぞ!

   まるで芝居(しばい)を見てるようだよ、道行(みちゆ)きだなあ。

   さあさあさあ、こっちへ上がりな!

   お膳(ぜん)の支度(したく)が出来(でき)てるからな!

   さ、しっかり食べなよ!これから旅をするんだからな!


伝吉:はい、いただきます!


親方:おっかあなんか、昨日は興奮して寝れなかったみてえでな。

   ははは、まるで子供だよ。


伝吉:いえ、ほんとにありがたいことです…!


   【二拍】


   すっかりご馳走(ちそう)になりまして…。


親方:なに、もういいのかい?

   ずいぶん早いな…ってそんなに大して食べてねえじゃねえか。

   

伝吉:いえ、もう十分(じゅうぶん)に頂戴(ちょうだい)しました。


親方:もう十分(じゅうぶん)っておかしいな。

   おめえが家(うち)に初めて来た時は、お鉢(はち)を空(から)にしたじゃねえか。

   もういけねえかい?

   だいぶ腕が落ちたなァ。

   おめえ、いっぺん立ち上がってトントントンと二・三遍(さんべん)くらい体を

   ゆすってみなよ。上の方が少し空(あ)きができるぞ。


おかみ:なに言ってんだいお前さん。

    お茶の袋じゃないんだよ。

    本人がもういいって言うんだから、無理して食べてお腹でも壊し

    たら困るじゃないか。


親方:まあそれもそうだな。


伝吉:おとっつぁん、おっかさん、そろそろ発(た)ちます。


おかみ:ああ、ちょいと待っとくれ。

    …これね、餞別(せんべつ)だよ。


親方:誠(まこと)に少ねえが、それで途中で二人で何か食べるといい。

   それからな、おめえがこれがいいと思ったものを叔父(おじ)さんへの

   お土産(みやげ)として持って行くといいぞ。

   本当は俺も会いに行きてえとこだが、年ばっかり取って口だけは

   達者(たっしゃ)になったが、足の方はからっきし意気地(いくじ)がねえから、

   申し訳ねえが甲府(こうふ)までは行けねえ。

   そこんとこをよくよく訳(わけ)を話して謝っといてくれ。


伝吉:はい…!


おかみ:そのうち、必ず江戸見物に出てくるようにって伝えておくれ。


親方:お花(はな)、向こうへ行ったら、きちっと挨拶(あいさつ)するんだぞ。

   これから先の親類(しんるい)づきあいにも関(かか)わるからな。

   おめえだけの恥(はじ)じゃねえ。俺たち夫婦、そして伝吉(でんきち)の恥(はじ)になるんだ

   。そこを忘れるんじゃねえぞ!

   それじゃ伝吉(でんきち)、お花(はな)をよろしく頼むよ。


おかみ:気を付けて行っておいで…!


伝吉:はいッ、行って参ります!


  【二拍】


亭主:おぉい皆、見なよ!

   豆腐屋(とうふや)の若旦那(わかだんな)の様子(ようす)が違うぞ!


女房:あらやだ、綺麗(きれい)に着飾(きかざ)っちゃって…どこかに出かけるのかい?


亭主:ちょいと聞いてみようじゃねえか。

   おぉい、朝早くからどちらへお出かけだい?


伝吉:甲府(こうふ)ぃ~、お参りィ~願(がん)ほどきィ~。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん朝(三代目)

浮世亭写楽→後の三笑亭可楽(九代目)

三遊亭圓窓(六代目)

柳家小三治(十代目)




※用語解説


・お足(あし)

代金、お金の事。


・手甲(てっこう)

分かりやすく言うと、昔の手首や手の甲周りのサポーター。


・脚絆(きゃはん)

脛の部分に巻く布・革でできた被服。ゲートルとも。


・甲州(こうしゅう)

山梨県の事。


・身延山(みのぶさん)

山梨県にある標高1153mの山で、日蓮宗の総本山である久遠寺がある

。


・生(い)き馬(うま)の目を抜く

生きている馬の目玉を抜き取るほど一瞬の素早い動作で事を行うことを言

い、他人を出し抜いてでも素早く利益を得ることを考える、ずるくて油断

のならない人にたとえる。


・祖師(そし)

この場合は法華宗(日蓮宗)の開祖、日蓮の事を指す。


・二升五合(にしょうごごう)

現代換算だと大体3750g。


・芳町(よしちょう)

かつて東京・日本橋(現在の人形町付近)に存在した花街の俗称であり、

幕末から昭和にかけて繁栄し、川上貞奴や勝太郎などの名妓を輩出した

。


・口入(くちい)れ屋(や)

奉公人などを斡旋する人を指す言葉で、現代の職業紹介所や人材派遣会社

に相当する。


・路銀(ろぎん)

旅費。


・如才(じょさい)がない

気が利いていて抜け目がない、愛想がよく、細部まで手抜かりがないこと

を意味する誉め言葉。


・了見(りょうけん)

考え、思案。


・はばかり

トイレ


・不束(ふつつか)

能力・しつけ等が足りず、行き届かないこと。


・願ほどき

神仏へお願いした「立願(りつがん)」を解除すること。

これは、叶った願いに対するお礼(お礼参り)とは異なり、

叶わなかった願いや、もう不要になった願いを神仏に伝えることで、

今後の神仏への負担をなくすための行為。


・巾着切(きんちゃくぎ)り

スリの事。






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