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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「甲府い」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「甲府こうふい」


台本化:霧夜シオン


所要時間:約35分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)

      (0:4:0)

      (1:3:0)

      (2:2:0)

      (3:1:0)

      (4:0:0)

      


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


伝吉でんきち:主人公。甲府こうふから江戸へ出てきて一旗揚ひとはたあげようとしたが、

   浅草観音あさくさかんのんへお参りに行った際にスリに巾着きんちゃくをスられ、一文無いちもんなしに

   なってしまう。腹をかせたあまりに豆腐屋とうふやはなに手を出し

   てしまう。それが彼の運命を変えるきっかけとなった。


親方おやかた豆腐屋とうふや親方おやかた

   はなを盗み食いした伝吉でんきちをすぐに役人につきださずに、わけありだ

   と見抜き、話の末に自分と同じ宗旨しゅうしだと知ると、自分の店に住み込

   みで働かせる。


おかみ:豆腐屋とうふや親方おやかたの妻。


はな豆腐屋とうふや夫婦の娘。親方おやかた伝吉でんきちを見込んだ事と、自身が伝吉でんきち

   れていた事で夫婦となる。


金公きんこう豆腐屋とうふやの店員。人間は悪くないのだが短気で、はなを盗んだ伝吉でんきち

   を有無うむを言わさず引っぱたく。

   ついでに言うと素直でもない。


叔父おじ伝吉でんきち叔父おじ

   1セリフのみ。


客1:豆腐屋とうふやに買いに来た客、その一。伝吉でんきち役と兼ね。


客2:豆腐屋とうふやに買いに来た客、その二。金公きんこう役と兼ね。


客3:豆腐屋とうふやに買いに来た客、その三。おかみ役と兼ね。


亭主ていしゅ長屋ながや女房にょうぼう亭主ていしゅ

   女房にょうぼう伝吉豆腐でんきちどうふに入れあげてるせいで毎日まいにち豆腐三昧とうふざんまい

   だいぶ辟易へきえきしている。


女房にょうぼう長屋ながやのカミさん連中の一人。

   如才じょさいない伝吉でんきちにすっかり参ってしまっている。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


伝吉・客1:

親方・叔父:

おかみ・客3・女房:

金公・亭主・客2・語り:



※枕は誰かが適宜てきぎねてください。



枕:世の中には、合縁奇縁あいえんきえんなんて言葉がございます。

  今こうなっている、という事柄ことがらにはなんかきっかけが過去にある。

  過去にそういう事があったからそれがえんとなって今こうなってる。

  人間の人生なんというものは、その繰り返しなのかもしれませんな。

  【自分のエピソードを入れてもOKです】

  えんの中には良縁りょうえんもあれば悪縁あくえんもある。そのあみだくじみたいに複雑ふくざつ

  絡まってる中からり取って我々は日々生きていくわけですが、

  中にはこれより語ります、重ねがさねの良縁りょうえんの積み重ねという場合も

  あるようでございまして。


金公:この野郎ッ!何しやがるッ!


親方:おぉい金公きんこう!待ちな待ちなッ!

   人様ひとさまに手ェ上げるなんて乱暴な事をするんじゃねえ、バカ野郎!


金公:待ってくだせェ親方おやかた

   あっしは何も虫やかんのせいで引っぱたいたんじゃねえんで。

   ここでもってあっしが商売物しょうばいものおけを洗ってるってえと、おけの横から

   ぬうーっと手が出やがった。

   おけが化けたのかと思ったけどそうじゃねえ。

   ひょいと見てみるってと、この野郎がおけの影での花ァつかんで

   むしゃむしゃむしゃむしゃ食ってやがる。

   それであんまりかんさわるから引っぱたいたんで。

   親方おやかた、これでもあっしが悪いんで?


親方:どっちが悪いとかじゃあない。人様ひとさまに手ェ上げるのがいけないって

   んだよ。

   そこのお前さんも、そんな事をしたらぶたれたってしょうがないよ

   。

   なんだってこんな事しなすったんだい?


伝吉:あ、あいすいません、勘弁して下さいまし。

   お、おらァ腹が減ってたもんで…。


親方:いくら腹が減ってるったって、人様ひとさまのものをただ食べていいと

   いう法は無いよ。

   盗んだりなんかせずに、買ったらいいじゃないか。

   おあしを払ったらどうだい?


伝吉:そ、それが…あいにく、持ち合せがねえもんでございますから…。


親方:持ち合せが無い?

   いやいや、の花なんてものは「おから」と言うくらいだ。

   子供だって買えるくらいの安いもんだよ?

   それが買えないってのかい?


伝吉:は、はい…一銭いっせんもないんでございます…。


親方:え、一銭いっせんもない?

   そんなふうには見えないけどなあ…。

   なりのこしらえや口のきき方から察するに、お前さん、江戸の人じゃな

   いね?


伝吉:は、はい、旅の者でございます。


親方:手甲脚絆てっこうきゃはんのいでたちからしてそうだろうね。

   まぁまぁ、なんかわけがありそうだ。

   ここじゃ話もできないから、奥へおいで。


伝吉:えっ、あ、はい…。


親方:おぉいおい、そんなとこでしゃがみ込んじゃいけないよ。

   豆腐屋とうふやの流してものはれてるんだから、さ、こっちへおいで。

   遠慮することは無いよ。

   おぅい座布団ざぶとん出してくれ!客だ!


おかみ:はあい、ただいま。


伝吉:あ、ありがとうございます…。


親方:いいからいいから、気にする事は無いよ。

   さ、わけを話してごらん。

   またその話によっちゃ、こっちもちょいと力になろうじゃないか。


伝吉:へ、へい…ご親切にありがとうございます…。

   おらァ伝吉でんきちと言いまして、甲州こうしゅうのもんでございます。


親方:ほう、甲州こうしゅう伝吉でんきちさんかい。

   また遠いところから来なすったな。

   俺も知り合いが何人かいるよ、

   で、甲州こうしゅうのどこだい?


伝吉:甲府こうふざいの生まれでございます。

   ちいせえ時分じぶん親父おやじとおふくろに死に別れまして、叔父おじさんに引き取

   られて今日までお世話せわになって参りりました。


   けれど、いつまでたっても叔父おじさんの厄介やっかいになってるんじゃ申し訳

   ない。

   江戸へ出て一旗ひとはたあげたいって相談しましたら、


叔父:おめェ、そりゃあ生易なまやさしいこっちゃねえ。

   おらァすすめたくねえが、おめえがどうしてもってんだったら反対は

   しねえ。

   ひとつ、死ぬ気になってやってみたらどうだ。


伝吉:ってんで、たっぷり餞別せんべつ持たして、送り出してくれたんです。

   途中で身延山みのぶさんのぼって三年の願掛がんかけをしまして、きのう江戸へ着い

   たんです。

   それで、浅草あさくさ観音かんのん様が大変に繁盛はんじょうしてるって事を聞きまして、

   一番にそこへお参りしようと向かいましたところ、途中でむこうか

   らけ出してきた男がいきなりおらにドーンと突き当たったんです

   。

   その時は、なんてそそっかしい男だろうと気にもめなかったんで

   すが、おどうの前へ行って賽銭さいせんをあげようと思ってふところへ手を入れてみ

   たら……財布さいふが、ないんでございます…!


親方:あ~そりゃお前さん、スリにやられちまったんだねぇ…。

   ぼんやりしてるってえとそういう事になるんだよ。

   江戸ってとこはな、うまの目を抜くところなんだ。

   ぼんやり歩いてちゃいけねえ。で、どうしたんだ。


伝吉:それから途方とほうにくれまして、ゆうべはどこへもまる事ができねえ

   で、人様ひとさまうち軒下のきしたを明かしたんです。

   明るくなってまたふらふらふらふら歩きはじめたんでございますが

   、なにしろ昨日から何も食べておりません。

   腹が減って腹が減って、それでさっきお宅様たくさまの前を通りかかりまし

   たら、あのおけの中からふわーっとけむが出てる。

   あんまりうまそうだったんで思わず…悪い事とは知りながらつい盗

   んで食べてしまったんでございます…!

   どうぞひとつ、ご勘弁かんべんくださいまし…!


親方:そうだったのか、そりゃあ災難だったなァ…。

   おい金公きんこう!ええ?見ろ!

   巾着切きんちゃくぎりにやられたってんだ。気の毒なかたじゃねえか。

   わけも聞かねえでポカポカポカポカ張り倒しやがって。

   ほんとにしょうがねえ奴だな。

   あやまんな!

   あやまんなってんだよ!


金公:【ぶっきらぼうに】

   ~~…ごめんなさいね!


親方:なんだお前、そのあやまりようは。

   もっと丁寧ていねいあやまりな!


金公:【ベソをかいて】

   ッ…ぐすっ、すびばせん…!


親方:今度は泣いてやがるよ…ああもういいよ!

   まったく極端きょくたんな奴だな。

   あぁはは、まあ勘弁してやってくれ。

   いや、金公きんこうは大変に気のみじけぇ奴なんだが、人間は決して悪い奴

   じゃねえんだ。

   それで改めて聞くけど、怪我けがはしなかったかい?


伝吉:へ、へい、大丈夫です…。


親方:そうかい、そりゃよかった。

   ところでお前さんの話の中に、身延山みのぶさんに三年の願掛がんかけをしたという

   のがあったね。

   もしかしてお前さん、お宗旨しゅうしかたかい?


伝吉:へい、おらのうちは代々その、法華宗ほっけしゅうでございまして。


親方:おぉそうかい!

   こりゃあ面白おもしろいねえ。いや、うちもそうなんだ。

   法華ほっけり固まりだよ。

   おいおっかぁ、この人もお宗旨しゅうしかただとさ!


おかみ:あらまあ、ほんとに奇遇きぐうだねえ。


親方:ああ、そうだとも。

   お宗旨しゅうしかた災難さいなんにあってるのを、黙って見てるわけにゃあいかね

   えや。


おかみ:そうだよお前さん。

    できる限りの事をしてあげなきゃね。


親方:あたりめえよ。

   いや、お前さんはいいとこへ来たね。

   他だったら大変な事になっちまってたよ。

   へえそうかぁ……うん?ちょいと待てよ。

   おいおっかあ、今日は何日だ?


おかみ:今日かい?

    10月の13日…あら、お前さん大変だよ!


親方:ああ!お祖師そし様のご命日めいにちじゃねえか!

   へええ…こりゃあますます奇遇きぐうだ。

   お祖師そし様のご命日めいにちにお前さんがうちに来てさ、おからを盗んで食べ

   たなんてな、これァお祖師そし様のお引き合せかもしれねえ。

   うーん嬉しいねえ。


おかみ:そう言われてみるとなんだか、このかたの顔がだいぶお祖師そし様の

    ように見えてくる気がするね。


親方:ああ、大変にありがたいお顔になってきたな。


伝吉:い、いやいやいやそんな、恐れ多い事で…!


親方:見ねェ、鼻の頭のあたりから後光ごこうがぱぁーっと差してきたな。


伝吉:い、いえ、みずぱなに朝日があたってるだけで…。


親方:あ、そうか。

   まあなんにしても、腹が減ってるんだろ?

   おぃおっかあ、聞いての通りだ。

   めしを食わしてやってくれ。


おかみ:はいはい。あ、でもおかずがあんまりないね。


親方:まあ朝だからしょうがねえよ。

   なにか適当に見つくろってやってくれ。

   さ、おっかあが支度したくしてくれるからな、向こう行ってめしを食うとい

   いよ。


伝吉:あ、ありがとうございます!!

   そうだ、おかみさんにご挨拶あいさつしないと…。


親方:ははは、そうかい。

   おいおっかぁ、ご挨拶あいさつだとよ。


伝吉:おかみさん、このたびはどうも、お世話せわになりまして…!

   あらためて、「おはち」にお目にかかります、伝吉でんきちと申します…!

   【↑お初のところをお鉢と取れる言い方で】


おかみ:あら、わざわざいいのにねえ。


親方:はは、おかたい人なんだな。

   「おはちにお目に掛かります」って、よっぽど腹が減ってるんだね。

   さあさあ、たっぷりお目に掛かってくれ。

   ん?どうしたおっかあ。そんなところに付いててどうしようってん

   だい?


おかみ:え?お給仕きゅうじしてあげようと思って。


親方:バカだね。

   初めて来たうちだよ。そばに付いてて給仕きゅうじなんかしてみろ。

   気づまりしてめしのどを通らないじゃないか。

   一人にしといていいんだよ。

   おはちをあてがっておきゃあいいんだ。

   それより、ちゃあ入れてくれ。

   …おい、離れろよ。

   おめえ、やっぱりなにか、男は若えのがいいってのか?


金公:親方おやかたァー!

   客が来やしたよー!!


おかみ:あら大変、もうそんな時間かい?


親方:おぉっと、茶どころじゃねえな。

   こうしちゃあいられねえ。

   俺たちゃ店に出てるから、お前さんはゆっくりめしを食ってな!

   へいいらっしゃい!何を差し上げましょう?


客1:おう、がんもどき五つくれ!


親方:へい、まいど!

   そちら様は!?


客2:豆腐おくれ!


親方:へい、どういたしましょう!?


客2:やっこで頼む!


親方:さようでございますか!

   へいっまいど!

   おじょうちゃんは?


客3:おとうふくださいな。


親方:うん、なんにするんだい?


客3:お付けのにするの。


親方:そうかい、じゃ、さいの目に切ってあげような。

   そちらは?あ、生揚なまあげね、ありがとうございます!


語り:なんてんで、朝からお豆腐屋とうふやは大変に繁盛はんじょうしております。

   とにかく店主の親方おやかたが変わった人でして、法華ほっけり固まりという

   のもあって、ご近所からは法華豆腐ほっけどうふなんと呼ばれてる。

   気性きしょうがチャキチャキの江戸っ子そのもので、強い者にはどこまでも

   向かっていく、弱い者はとことん助けてやろうというような、大変に義侠心ぎきょうしん

   富んだかたでございました。 


親方:ふう、まずは一息ひといきつけるな。

   おう、どうだい?めしは食べたかい?


伝吉:はい!ありがとうございました!

   たっぷりいただきました…!


親方:おぉそうかい!そりゃあよかったよかった。

   って、おいおい、何してんだい?


伝吉:え、かたそうと思いまして…。


親方:あぁいぃいぃ、いいんだよかたさなくたって。

   な、おっかあ。


おかみ:そうだよ、あたしの仕事だからね。

    そのままにしておいておくれ。


伝吉:いえあの、おはちを洗おうと思いまして…。


親方:え?お、おはちを…?

   おっかあ、俺ァ言ったじゃねえか。

   冷やめしは食わしちゃいけねえって。


おかみ:え?朝にき立てのやつを出したんだよ。


親方:き立て…?

   確か二升五合にしょうごんごういたはずだろ?

   じゃ、金公きんこうだけが食べかけたやつ、あれをそっくり食っちゃったの

   かい!?

   そらァまたやったねえ…。

   俺もまだ食ってねえぞ?

   まぁまぁ、いいよ。よっぽど腹が減ってたんだなァ。

   そのおはちもおっかあが洗うから、こっちへ来なよ。


おかみ:そうそう、うちの人とゆっくりしておいで。


伝吉:あ、ありがとうございます…!

   それじゃ、失礼して…。


親方:おう、こぅちこっち。

   さ、煙草たばこ一服いっぷくやるといいよ。


伝吉:あ、その、おらは煙草たばこは飲まねえんです。


親方:そうかい。

   ところで俺ァいま考えたんだが、お前さん江戸へ出てきて何かやる

   といったって、これァなかなか上手うまくいくもんじゃない。

   ちょいと口は悪いが、田舎いなかの人ってものは江戸に出てくりゃ金が

   落ちてるとでもいう風に考えてるふしがある。

   けどそれァとんでもねえ話だ。

   なんにも知らないうちにだまされて、泥沼どろぬまもぐっちまうなんという事

   がよくあるんだ。

   お前さんみてえにじゅんな人だったら、やっぱり国に帰って叔父おじさんの

   とこで一生懸命いっしょうけんめい働くってのが一番いいんじゃねえかと思うけど、

   どうだい?

   失礼ながら、路銀ろぎんはいくらか俺が出すから。


伝吉:…せっかくのお言葉に返すようでございますけども、おらァ国を

   出る時に叔父おじさんの前で、なんとしてでも、なんとかならねえうち

   は、こっちへは帰ってこねえって言い切りましたし、

   それに身延山みのぶさんに三年の願掛がんかけをしてきましたんで、なんとしてでも

   、なんとかならねえうちは、国には帰れねえんでございます…。


おかみ:しっかり思いこんじゃったんだねえ…。


親方:うーん、そうかい…。

   それじゃ、何かあてがあるのかい?


伝吉:いえ、これといってあてはねえんでございますが、芳町よしちょうってとこへ

   行くと口入くちいれ屋さんがたくさんあるって事をうかがいましたので

   そこで何か奉公口ほうこうぐち世話せわしてもらおうと思いまして。


親方:するとまだ何も決まってねえってわけだ。

   じゃあどうだい。

   ものは相談だがな、お前さんさえよけりゃ、うちで働いてみる気は

   ないかい?


伝吉:えっ、こちら様でございますか!?

   いや、それは、もしそうしていただけるんでしたら、おらとしては

   まことにありがてえ事でございます。  


親方:おうそうかい!

   いや、実は売り子が一人足りなくてな。

   あすこにいる金公きんこう今朝けさお前さんを張り倒した奴だな。

   売り子があれと俺の二人きりなんだ。

   店のほうはなんとかなるんだが、お得意様がほうぼうにいてな、

   そこへ売りに行かなくちゃならねえんだ。

   じゃ、お前さんやってくれるかい?


伝吉:へい、ぜひやらせてください!


親方:ようし話は決まった!

   じゃあ伝吉でんきち、あらためてよろしく頼むよ!

   おう金公きんこう、ちょいとこっちへ来い。


金公:なんですか、親方おやかた


親方:この伝吉でんきちがな、売り子をやってくれるそうだ。

   すぐに口入くちいれ屋行って、ことわり入れてきてくれ。


金公:へい、わかりやしーー


親方:【↑の語尾に喰い気味に】

   あぁっと!ちょいと待ちな!

   おめえは乱暴だからな、妙なことわり方をするってえとあとひびくぞ。

   いいか、「実はお頼みしていた売り子ですが、田舎いなかのほうから親類しんるい

   の者が出て参りまして、是非ぜひにと言うので売り子にいたしました。

   またこの次に何かあった時にはよろしくお願いします」って、

   丁寧ていねいに頼まねえと駄目だめだぞ。

   わかったな?


金公:へぇい。それじゃ、行ってきます。


親方:うん、頼んだぞ。

   おっかあ、伝吉でんきちが売り子をやってくれるぞ。


おかみ:よかったねえお前さん。

    伝吉でんきちさん、よろしくお願いするよ。


伝吉:へい!おかみさん、こちらこそよろしくお願いします!


おかみ:でもお前さん、身元引受人みもとひきうけにんのほうはどうするんだい?


親方:なに言ってんだ、そんなものはりやしないよ。

   俺の目に狂いはねえ、大丈夫だよ。

   ところで伝吉でんきち、お前さんに断っとくが豆腐屋とうふやなんて商売はな、

   これがなかなか辛い商売だ。

   朝ははええし、それから夏場はまだいいけど冬場になるってえと、

   水が冷てえぞ。

   大丈夫かい?


伝吉:へい、そんな事は別にどうって事はございません。


親方:そうかい、まあ田舎いなかのほうでもって苦労しているからそういう所

   はにならねえか。

   それでな、商売というのはなんでもそうだが、売って歩くとなると

   売り声てものが肝心かんじんだ。

   天秤棒てんびんぼうを肩にしてあきなって歩きながらだと、声がなかなか初めのうち

   は出ねえ…というよりは出さねえほうが多いもんなんだ。

   気恥きはずかしいもんだからついついちいせえ声になっちまう。

   だからそういうのを吹っきって、大きな声でやらなくちゃいけねえ

   。


伝吉:大きな声でですね、分かりました。


親方:でな、豆腐屋とうふやの売り声てものはおおよそ決まっているんだ。


   「とぉ~ふゥ~、なまァ~あ~げェがん~もどきィ~」


   と、こうやるんだが、うちのはちょいと違うんだ。

   豆腐とうふも自慢なんだが、がんもどきが他とは変わっててな、

   どう変わってるかてえと、ゴマがたくさん入ってるんだ。

   ゴマは体にいいからな。

   だから、「ゴマ入りがんもどき」とこう売ってもらいてえんだ。


   「とぉ~ふゥ~、ごまァ~い~りィがん~もどきィ~」


   と、こう言って売って歩いてるとな、ほうぼうのカミさん連中が

   法華豆腐ほっけどうふが来たんだなってんで次々に飛び出して来て、あきないになる

   ってやつだから、わかったかい?


伝吉:へい!ゴマ入りがんもどきですね!


親方:それからな、ただ売って歩いてたんじゃ面白おもしろくないからな、

   張り合いがあるように、お前さんに売上げの中から一割の取り分を

   あげよう。

   たとえばお前さんが一日に八十文はちじゅうもん売り上げたら、八文はちもんが取り分だ。


伝吉:あ、ありがとうございます、何から何まで…!

   親方おやかた、どうぞひとつ、よろしくお願いします!


親方:おう、こちらこそよろしく頼んだよ!

   そのうちにな、豆腐とうふの作り方や商売のあれこれ細かいこと、

   何でも教えてやるからな。

   だから最初のうちは、一生懸命いっしょうけんめい売って歩いてくれよ。


伝吉:へいっ親方おやかた


おかみ:元気のいい声だね、これならきっと大丈夫だよ。


語り:無事ぶじに就職の決まりました伝吉でんきち、喜びいさんで次の日から売り子とし

   て商売にせいを出します。

   もともと体は丈夫じょうぶですから、天秤棒てんびんぼうを肩にして終日しゅうじつあきないをして帰っ

   て来ても、少しも疲れを見せません。

   熱心に学ぶ性質たちですから教わった事はどんどんどんどん覚えていっ

   てしまう。

   さらには如才じょさいがないもんですから天秤棒てんびんぼうかついで長屋へ入っていく、

   、カミさん連中が洗濯してれば水汲みずくみましょ、子供がケンカしてれ

   ば仲裁ちゅうさいして腹掛はらがけに忍ばせてる駄菓子だがしをあげる、

   おかげでカミさん連中や子供たちにまことに評判が良い。

   近ごろはもう「伝吉でんきちさんじゃなきゃダメ」「豆腐は伝吉でんきちにかぎるよ

   」「伝吉豆腐でんきちどうふだね」なんてんで、法華豆腐ほっけどうふと言う名前の影が薄くな

   っちゃうくらいでございます。

   そこで面白おもしろくないのがカミさん連中の亭主ていしゅたち。


女房:ほんと、いつも伝吉でんきちさんには助かってるねえ。

   うちの宿六やどろくとは大違いだよ。


亭主:おいおみつ、また伝吉豆腐でんきちどうふが来たのか!?


女房:そうなんだよ。


亭主:…うれしそうな顔しやがってちきしょうめ。

   そうなんだよじゃねえ、いい加減にしろよほんとに!

   この町内にはなにか、魚屋はなんてものはねえのか!?

   たまにはおめえ、刺身さしみくらい食わしてくれよ!

   明けてもれてもずっと豆腐とうふじゃねえか!

   朝は何でェ、生揚なまあげ焼いたのだった。

   昼は仕事先行って弁当箱開けたらがんもどきの煮付につけが出てきた。

   夜にけえってくりゃやっこ豆腐どうふだよ。

   冗談じゃねえよ、体ぱさぱさになっちまったよ!

   こないだ湯に入ったら、体がふわーっと浮いたぜおい!

   たまには別なもん食わしてくれよ!


女房:あら、嫌かい?


亭主:あたりめえだよ!

   なに言ってやんでェったく。


女房:そう?じゃあ変えようかい?


亭主:お、何にしてくれるんだ?


女房:の花にするよ。


亭主:おんなじじゃねえか!


女房:なら伝吉でんきちさんをちょいとでも見習いなよ!


語り:なんてやりとりがあちこちで起きてはいるものの、伝吉でんきち本人はいた

   て真面目まじめに日々あきないを続けているわけでございます。


親方:おっかあ、俺ァ伝吉でんきちの事を自慢のように思ってるよ。


おかみ:そうだねえ、あんなに毎日一生懸命働いて…。


親方:どうだい、俺の目に狂いは無かったろ。

   伝吉でんきちがうちで働き始めてから、俺ァ本当に楽ができてるよ。

   それにまたあいつは気持ちがいい。


おかみ:本当にねえ…。


親方:あれから三年になるが、本当によくこれだけやってくれたと思うよ

   。

   金公きんこうの奴がめちまった時は二人っきりでどうしようかと思ったけ

   どなんだ、ちっとも変わりゃしなかったね。

   朝に豆腐とうふ仕込しこんで、店の方をきちっと支度したくしといて俺にまかして、

   あとはずっと売って歩いてる。

   帰って来たら来たで、後の事もきっちりやる。

   いや驚いたね、ほんと。

   ああいう男はそんじょそこらにはいやしないよ。


おかみ:あたしも今まで見たことが無いよ。

    本当にたいしたもんだね。


親方:ああ。

   それにね、了見がいいよ。

   いや、何がってな、実はゆうべ、俺ァ夜中にはばかりへ起きたよ。

   すると裏のほうでざーっと水を流す音がする。

   おかしいな、こんな夜中に誰が何してんだろうと思って、雨戸あまど

   細めに開けてひょいとのぞいたら…伝吉でんきちだよ。

   頭っから水を浴びながら、一生懸命に身延山みのぶさんにお願いをしてるんだ

   。


伝吉:妙法蓮華経みょうほうれんげきょう南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう、ご当家様とうけさま商売繁盛しょうばいはんじょう

   皆様みなさま無病息災むびょうそくさいにて暮らす事ができますように、

   国元くにもと叔父おじさんが長生きできますように、

   一つ下がって、わたくしが立身出世りっしんしゅっせできますように…!


親方:てんで一心不乱いっしんふらんだよ。

   なかなか今の若い者にはできねえ。

   俺ァうれしくってね、涙が出てきたね。

   思わず声を掛けようかと思ったんだが、信心しんじんしてる所を邪魔しちゃ

   いけねえと思って、そのまま寝ちまったんだ。


おかみ:ほんと、ありがたいねえ…。


親方:それでな、おっかあ。

   俺ァ考えたんだが、うちのおはな年頃としごろだ。

   いつまでもうっちゃっといて、悪い虫でも付いちゃあいけねえと

   思ってな。

   うちはいずれ婿養子むこようしを取らなきゃいけねえ。

   けど下手へたな奴を養子ようしにした日にゃあ大変な事になっちまう。

   そこでだ、伝吉でんきちだったら安心だと思うんだがどうだ?


おかみ:そうだね、伝吉でんきちだったら間違まちがいないよ。


親方:おめえもそう思うかい。

   あとはおはな了見次第りょうけんしだいだな。

   女は女連おんなづれ、俺からじゃあちょいと聞きにくいから、

   おりを見ておめえから聞いてみてくれねえかい?


おかみ:お前さん、その事だったらもうとうにね、聞いてあるよ。


親方:なに、もう聞いてあるのか?

   ははは、やけに手回しがいいじゃねえかい。

   で、なんて言ってた?


おかみ:そりゃあもう、返事を聞くまでも無かったよ。

    同じ女のあたしから見てね、おはな伝吉でんきちの事を好いているって事

    は分かってた。

    でも一応ちゃんと聞いてみたんだ。

    そしたらやっぱりあの子、真っ赤になってうつむいてさ、

    たたみに「の」の字なんて書いてたよ。

    それで、「伝吉でんきちさんなら…」って先が言えないくらいだったね。    


親方:へへへ何でェ、おはな伝吉でんきちにすっかり「ほ」の字って事じゃねえか

   い。結構けっこうな話じゃねえか。

   当人がいいってんなら話ははええや。

   それじゃ、いい日取ひどりを決めてな、それでーー


おかみ:ちょいとちょいとお前さん、おはながいいったって、伝吉でんきちがなんと

    言うか分かりゃしないじゃないか。


親方:何をゥ!?

   伝吉でんきちがどういうかわからねぇ!?

   何を言ってやんでェ!

   あいつなんざ、引き受けるに決まってるじゃねえか!

   嫌だなんて、んなこたァ言わせるもんかィ!

   冗談じゃねえや。

   あいつが俺ンとこに来た時に、店先ではなァ盗んで食いやがっ

   て金公きんこうに張り倒されたんだ。それを俺が助けてやったんでェ!

   喉元のどもと過ぎりゃ暑さを忘れるたァこのこった!

   お花のどこが悪いんでェ!本当に冗談じゃねえや!


おかみ:ちょいと、お前さん…!


親方:【↑の語尾に喰い気味に】

   嫌だなんて生意気なまいきなこと言いやがったらァおいッ、伝吉でんきちッ!

   伝吉でんきちィッ!!


伝吉:へいッ!

   親方おやかた、お呼びでございますか!


親方:お呼びかじゃねえ、こんちきしょう!

   そこへ座れッ!


伝吉:!!?へ、へい。


親方:おゥてめェ、おはなのどこが悪いってんだ!?


伝吉:!??え?え?おはなさんがどうかなすったんですか?


親方:どうもこうもなすったんでねェ!

   おはなのどこが悪いんだ、あァ!?

   俺んとこに初めて来た時ァなんだ、俺が助けてやったんじゃねえか

   !

   その恩をてめェ、忘れたってのか!?


伝吉:いえッ、冗談言っちゃいけません!

   親方おやかたに受けた恩は、生涯しょうがいおらは忘れや致しません!


親方:なに言ってやんでェ、そんな事は口が重宝ちょうほうだから色んなこと言えるん

   でェ!

   おはなのどこが悪いってんだよ!

   何が気に入らねえってーーー


おかみ:【↑の語尾に喰い気味で】

    ちょ、ちょいとちょいとッお前さんッ!!

    お待ちなさいよ、本当にそそっかしいんだからお前さんは!

    ごらんなさいよ、わけもわからずにお前さんに怒鳴どなられて、

    伝吉でんきちがオロオロしてるじゃないか。

    まだあの子になんにも聞いてないだろ!


親方:!ぁ………。

   っはっはっは…そうそう、そうだった。

   まだ何にも話してなかったよ。

   ははは…これァいけねえ、俺ァどうもそそっかしくていけねえ。

   おっかあ、おめえから聞いてくれるかい。


おかみ:本当に困っちまうよ。

    伝吉でんきち、驚かせてすまなかったね。

    実は聞きたい事があるんだ。もし聞いたうえで嫌だったら嫌と

    はっきり言っとくれ。


伝吉:へ、へい…。


おかみ:実は、うちの娘のおはななんだけどさ、まあ親の口から言うのも

    なんだけど、器量きりょう十人並じゅうにんなみで一通りのことは仕込しこんである。

    まこと不束ふつつかな者だけど、お前さんさえよけりゃどうだろう、

    おはなと一緒になって、この店をいでもらえないかい?


伝吉:えっ、おはなさんとおらが!?


   …。


   あ、ありがとうぞんじます…ッ!!

   さんざんご恩を受けまして、そのご恩をまだ返していないうちに

   こんな結構けっこう)なお話…、身に余る幸せでございます…!

   おらにいなやはございません。

   ありがとうございます…ぜひ、お願いいたします…!!


おかみ:そうかい、承知しておくれだね。

    ほらお前さん、順を追って話をすれば、こうスラスラ進むんだよ

    、ね?

    伝吉でんきちは承知だとさ。


親方:ッそうかあ!おっかあ良かったなァ!

   よし、じゃ、あらためてよろしく頼むぞ、せがれ


伝吉:はっはいッ!!


おかみ:ちょいと気が早すぎるよ、お前さん。


語り:こうして伝吉でんきちとおはなは晴れて結ばれ、夫婦めおととなりました。

   以前は奉公人ほうこうにんでしたが今度は若旦那わかだんなの身、そうなれば少しくらい

   楽をしようなんという不心得ふこころえな気になる者もいたりするわけですが

   伝吉でんきちはそのようななまけ者ではありません。

   さあ今度は自分の店になったんだから、前よりもなお一層いっそう

   一生懸命いっしょうけんめいに働いております。

   のめり込むと身を亡ぼすものに「む」「打つ」「買う」の三道楽さんどうらく

   がございますが、この伝吉でんきち一切いっさい道楽どうらくをしない。

   そうなるとやはりお店にお金はまっていく。


親方:伝吉でんきち、あんまり働き過ぎてもいけねえ。

   芝居しばいでも見に行ったらどうだい?


伝吉:いえ、結構けっこうでございます。


おかみ:寄席よせとかもいいよ?


伝吉:いえ、行きません。寄席よせせ、というくらいですから。


親方:稽古事けいこごととかも面白おもしろいぞ。


伝吉:いえ、私はまだそこまではいたっておりませんので。


語り:なんてんで一生懸命いっしょうけんめいにずーっと働いている。

   おかげで豆腐屋とうふやはますます繁盛はんじょうし、ついには横町よこちょうに小さなうちを一軒

   買うまでになります。

   親方夫婦はそこに楽隠居らくいんきょ、悠々自適ゆうゆうじてきの毎日を送っておりました。

   そんなある日のことでございます。


おかみ:お前さん、伝吉でんきちとおはなが来ましたよ。


親方:おうよく来たな!

   さあさあさあ、こっちへ入んな。

   今日はもう店じまいしたのかい?


伝吉:はい、ちょっと早いですが、今日はもう閉めました。


親方:そうかそうか、いいんだいいんだ。

   たまには早く閉めたってな。

   あんまり働きづめになっちゃあいけねえ。

   おめえは体が達者たっしゃだからいいかもしれねえが、たまにはおはなを連れ

   て芝居しばいでもに行くとか、そんな事くらいはしてやらなくちゃ

   いけねえよ。


伝吉:は、はい…。

   実は、その…。


おかみ:おや、どうしたんだい?


親方:なんか、話でもありそうだな。

   二人してもじもじしてるよ。


伝吉:っじ、実はおとっつぁんに、ちょいとお願いしたい事がありまして

   。


親方:よせよおい、親子のあいだじゃねえか。

   お願いも手水鉢ちょうずばちもあるもんかい。

   なんだい?言ってみな。


伝吉:実は五、六日ほど、ひまをいただきたいんです。


親方:ひま?どっか行くのか?


おかみ:湯治場とうじばとかかい?


伝吉:いえ、そうじゃねえんです。

   おとっつぁんのとこへ来てから、今年で五年になるんです。


親方:五年!もうそんなになるのかぁ。


おかみ:時がつのはほんとに早いねえ…。


親方:ああ、こっちが年を取るのも無理もねえや。

   で、どうしたんだい?


伝吉:実は叔父おじさんには色々と手紙かなんかやったりして、こちらの近況きんきょう

   をおおよそは知らせていたんですが、やっぱりじかに会って自分の口

   からくわしい事を話したいし、それにおはな叔父おじさん叔母おばさんに

   引き合わせてえんです。


親方:うんうん、なるほどな。

   そりゃあもっともな話だ。


伝吉:それに今日こんにち、私がこうしていられるのは、親方おやかたにおかみさん、

   それから贔屓ひいきのお客様のおかげだと常日頃つねひごろ思っておりますが、

   もう一つ、なんと言っても忘れちゃならないのが、

   お祖師そし様のご利益りやくだったと思うんです。


おかみ:そうだねえ、伝吉でんきちがうちに来たのも、お祖師そし様のお引き合わせだっ

    ただろうしねえ。


伝吉:それで、身延山みのぶさんに三年の願掛がんかけをしっぱなしになっているので、

   がんほどきをしたいんです。

   そのために五、六日ほど、故郷に行ってきたいと思うんですが…。


親方:おぉぉそうか!

   いや、そういう事はな、俺が気が付かなくちゃいけなかったんだ。

   すっかりおめえに甘えちまってたんだな。


おかみ:面目めんぼくないねえ、ほんと。

    

親方:結構けっこうな事だよ、うん。行っておいで。

   ああ、店の方は休まないからな。

   おめえが一生懸命いっしょうけんめいやってる店だ。休んじまったらたまらねえやな。

   おっかあにも手伝わさしてな。俺たちでなんとかするからよ。

   それで、いつ行くんだい?


伝吉:まあ、思い立ったら吉日なんていう事を言いますから、

   明日の朝早くにとうと思います。


親方:それァまた急な話だなァ…。

   まあまあいいよ、そういう事は早い方がいいやな。


おかみ:ああそうだ、明日あしたつ前に、いったんうちに来ておくれ。

    赤飯せきはん尾頭おかしら付きくらい準備さしておくれよ。


親方:そうだぞ。

   何せ、めでたい門出かどでだからな!

   そういうことだから、二人ともそうしてくれ。


伝吉:はい、ではおとっつぁん、おっかさん、明日の朝また参りますんで

   。お休みなさいまし。


語り:やがてカラスカァで夜が明ける、

   朝になるってえと、若夫婦わかふうふ二人は支度したくを整え、

   横丁よこちょう親方夫婦おやかたふうふうちまでやってきます。


伝吉:おはようございます!


親方:おぉ来たか!

   おっかあ見てみなよ!二人が支度したくしてやってきたぞ!

   まるで芝居しばいを見てるようだよ、道行みちゆきだなあ。

   さあさあさあ、こっちへ上がりな!

   おぜん支度したく出来できてるからな!

   さ、しっかり食べなよ!これから旅をするんだからな!


伝吉:はい、いただきます!


親方:おっかあなんか、昨日は興奮して寝れなかったみてえでな。

   ははは、まるで子供だよ。


伝吉:いえ、ほんとにありがたいことです…!


   【二拍】


   すっかりご馳走ちそうになりまして…。


親方:なに、もういいのかい?

   ずいぶん早いな…ってそんなに大して食べてねえじゃねえか。

   

伝吉:いえ、もう十分じゅうぶん頂戴ちょうだいしました。


親方:もう十分じゅうぶんっておかしいな。

   おめえがうちに初めて来た時は、おはちからにしたじゃねえか。

   もういけねえかい?

   だいぶ腕が落ちたなァ。

   おめえ、いっぺん立ち上がってトントントンと二・三遍さんべんくらい体を

   ゆすってみなよ。上の方が少しきができるぞ。


おかみ:なに言ってんだいお前さん。

    お茶の袋じゃないんだよ。

    本人がもういいって言うんだから、無理して食べてお腹でも壊し

    たら困るじゃないか。


親方:まあそれもそうだな。


伝吉:おとっつぁん、おっかさん、そろそろちます。


おかみ:ああ、ちょいと待っとくれ。

    …これね、餞別せんべつだよ。


親方:まことに少ねえが、それで途中で二人で何か食べるといい。

   それからな、おめえがこれがいいと思ったものを叔父おじさんへの

   お土産みやげとして持って行くといいぞ。

   本当は俺も会いに行きてえとこだが、年ばっかり取って口だけは

   達者たっしゃになったが、足の方はからっきし意気地いくじがねえから、

   申し訳ねえが甲府こうふまでは行けねえ。

   そこんとこをよくよくわけを話して謝っといてくれ。


伝吉:はい…!


おかみ:そのうち、必ず江戸見物に出てくるようにって伝えておくれ。


親方:おはな、向こうへ行ったら、きちっと挨拶あいさつするんだぞ。

   これから先の親類しんるいづきあいにもかかわるからな。

   おめえだけのはじじゃねえ。俺たち夫婦、そして伝吉でんきちはじになるんだ

   。そこを忘れるんじゃねえぞ!

   それじゃ伝吉でんきち、おはなをよろしく頼むよ。


おかみ:気を付けて行っておいで…!


伝吉:はいッ、行って参ります!


  【二拍】


亭主:おぉい皆、見なよ!

   豆腐屋とうふや若旦那わかだんな様子ようすが違うぞ!


女房:あらやだ、綺麗きれい着飾きかざっちゃって…どこかに出かけるのかい?


亭主:ちょいと聞いてみようじゃねえか。

   おぉい、朝早くからどちらへお出かけだい?


伝吉:「甲府こうふぃ~、お参りィ~がんほどきィ~」




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん朝(三代目)

浮世亭写楽→後の三笑亭可楽(九代目)

三遊亭圓窓(六代目)

柳家小三治(十代目)




※用語解説


・おあし

代金、お金の事。


手甲てっこう

分かりやすく言うと、昔の手首や手の甲周りのサポーター。


脚絆きゃはん

脛の部分に巻く布・革でできた被服。ゲートルとも。


甲州こうしゅう

山梨県の事。


身延山みのぶさん

山梨県にある標高1153mの山で、日蓮宗の総本山である久遠寺がある


うまの目を抜く

生きている馬の目玉を抜き取るほど一瞬の素早い動作で事を行うことを言

い、他人を出し抜いてでも素早く利益を得ることを考える、ずるくて油断

のならない人にたとえる。


祖師そし

この場合は法華宗(日蓮宗)の開祖、日蓮の事を指す。


二升五合にしょうごごう

現代換算だと大体3750g。


芳町よしちょう

かつて東京・日本橋(現在の人形町付近)に存在した花街の俗称であり、

幕末から昭和にかけて繁栄し、川上貞奴や勝太郎などの名妓を輩出した


口入くちい

奉公人などを斡旋する人を指す言葉で、現代の職業紹介所や人材派遣会社

に相当する。


路銀ろぎん

旅費。


如才じょさいがない

気が利いていて抜け目がない、愛想がよく、細部まで手抜かりがないこと

を意味する誉め言葉。


了見りょうけん

考え、思案。


・はばかり

トイレ


不束ふつつか

能力・しつけ等が足りず、行き届かないこと。


・願ほどき

神仏へお願いした「立願りつがん」を解除すること。

これは、叶った願いに対するお礼(お礼参り)とは異なり、

叶わなかった願いや、もう不要になった願いを神仏に伝えることで、

今後の神仏への負担をなくすための行為。


巾着切きんちゃくぎ

スリの事。






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