#4
─ 旧蠚破甦郷 RAARA TESTIMONY ─
ラァラは、荷台の隙間から外の様子を伺った。
トラックが止まり、エンジンの振動が消える。
しばらくすると、運転手がドアを開けて降りる音が聞こえた。
「……今です」
囁くように言うと、遥香と莉杏が身を縮めながら頷いた。
ゆっくり、静かに。
ラァラは荷台の縁に手をかけ、慎重に地面へ降り立つ。
柔らかい土の感触。
遠くで、虫の声が響いている。
後に続いて、莉杏と遥香も降りてきた。
誰もいないのを確認して、ラァラは前を向いた。
「こっちです」
歩き続けた先、廃村の入口に辿り着く。
その景色を見た瞬間、ラァラは足を止めた。
「……」
美しい、と思った。
朽ちかけた家々が並ぶ道。
蔦に覆われた石畳。
誰もいないのに、時間だけがそこに留まっているような、不思議な場所だった。
空は穏やかに晴れていて、風が優しく吹き抜ける。
遥香が、腕を組んで息をついた。
「ゲームのまんまだ……」
莉杏は、ぽつりと呟く。
「本当に……あったんだ……」
廃村の空気に呑まれるように、彼女の声は小さく消えた。
「……もう少し時間をつぶして、夕日を見ながらみんなで死のうぜ」
遥香がそう言ったとき。
「……ッ!」
突然、莉杏が苦しそうにうずくまった。
「莉杏?」
「痛い……」
彼女は自分のお腹を抱え、顔を歪める。
「……まさか、陣痛? マジかよ。もう少し待てないのかよ。
どうすんだこれ」
遥香の声が焦りに染まる。
でも、ラァラは冷静だった。
「赤ちゃんはラァラが取り上げます。遥香は手伝って」
「取り上げるっておまえ、わかるのかよ」
「はい。浮浪者には女の人もいました。
ラァラは何度か見て、手伝った。大丈夫」
「マジかよ……」
遥香はため息をつき、頭をかきむしる。
「お湯と布。お湯はあの井戸から水が汲めます。
あとは──」
◆・◆・◆
日は暮れ、赤く染まる空の下。
ラァラは、腕の中の小さな命を見つめた。
「赤ちゃんは無事です。莉杏は休んで」
産声を上げたばかりの赤ちゃんは、ラァラの腕の中で小さく呼吸している。
まだ世界の広さを知らない、たったひとつの命。
莉杏は、疲れ果てて動けない。
その横で、遥香が頭を抱えていた。
「……何で死にに来て、子育てさせられてんだろうな」
苦々しく、吐き捨てるように言う。
それから、彼女はゆっくりと莉杏を見つめた。
「莉杏。俺らが死んだ後だけどさ……おまえは、もう帰れ」
「産まなきゃよかった……」
その言葉に、遥香の顔が怒りに染まる。
「だったらなんで産んでんだよ? こいつが産んでくれなんて頼んだのかよ? おまえが勝手に産んでんじゃねえか。
じゃあどうするんだよ? おまえもあの女と同じなのかよ?」
莉杏は何も言えなかった。
「やめてください。遥香」
ラァラは二人の間に立ち、静かに言った。
「2人とも気が立ってます。今日はもう寝ましょう。
明日、また死にましょう。
莉杏はその時までに赤ちゃんをどうするか決めましょう」
誰も、それ以上何も言わなかった。
夜になり、三人はそれぞれ別の廃屋に入った。
ラァラは、赤ちゃんを胸に抱いて、古びた布を掛ける。
眠っているその顔を見ながら、静かに息をついた。
「……赤ちゃん」
そっと、その頬に触れる。
柔らかく、小さな命。
「……ラァラも、こうだったのでしょうか」
ラァラを産んだ母親も、初めはこんなふうに抱いたのだろうか。
──違う。
ラァラの母は、ラァラを捨てた。
この赤ちゃんの母も、きっと。
「……あなたのお母さんが、あなたを連れて行かないなら」
「それでも、大丈夫。ラァラがここに残ってあなたを世話します。
あなたは生きてください」
ラァラは、赤ちゃんの頬を撫でながら、そっと目を閉じた。
夜風が、古い家の中を静かに吹き抜ける。
外では、遥香と莉杏の沈黙が、重く夜に溶けていった。
─ 7月3日 HARUKA REENACTMENT CLIP ─
眠れねえ。
横になって、目を瞑って、考えないようにしても、頭の中がざわざわと落ち着かない。
まぶたの裏に、さっきの莉杏の顔が浮かんでは消える。
「産まなきゃよかった」
あの言葉が、頭の奥で何度も反響している。
あいつは無責任だ。
自分で作った命なのに、そんな言葉を吐いて逃げようとして。
……いや、違うか。
無責任だったのは俺の方かもしれない。
自分が親に言われた言葉と重ねて、ただ頭ごなしにキレて、追い詰めるようなことばっか言って。
あいつがどんな気持ちで、あの言葉を口にしたのかなんて、考えもしなかった。
「俺が死んだくらいで、あの女が悲しむかよ」
そう言い切ったのは俺だ。
なら、莉杏の親だって、もしかしたら――
いや、どうでもいいか。
もうすぐ俺たちは死ぬんだ。
考えても意味なんかねえ。
だけど、それでも、気になった。
寝付けないまま、日が昇りかけている。
こんな気持ちのまま死んでも、なんか締まらない。
一言、謝ろうか。
ほんの少し、それだけのつもりだった。
いくつかの家を覗いても、莉杏はいなかった。
ラァラは赤ん坊を抱えたまま、静かに眠っている。
その肩が小さく上下するのを見て、俺はそっと扉を閉じた。
風が吹く。
嫌な予感がした。
ざわつく胸を抑えながら、俺は村のはずれに向かって足を動かす。
夜明け前の薄闇の中、木々の間を抜けると、そこに――
「……何してんだよ、おまえ……」
声が掠れた。
木にかかった縄。
静かに揺れる、小さな影。
俺は、ただ、立ち尽くしていた。
喉が詰まって、言葉が出てこない。
足が震えている。
馬鹿かよ、おまえ。
何してんだよ。
俺たちは、一緒に死ぬんじゃなかったのかよ。
◆・◆・◆
朝になりかけていた。
「おはよう。ラァラ」
「おはようございました。どうしましたか?」
ラァラはまだ半分眠たそうに、目をこすっている。
腕の中には、昨日産まれたばかりの赤ん坊。
ちいさな手が、ラァラの服をぎゅっと掴んでいた。
「ガキが腹空かせるだろ。
こいつで町まで下りてミルク買ってこいよ」
俺は、ポケットから財布を取り出し、ラァラに手渡す。
母親の財布。
家から持ち出した、ただの金の詰まった革の袋。
「わかりました。おしめも買いますか」
「任せる。好きに使え」
ラァラは財布を受け取って、じっと俺の顔を見た。
「遥香はどうしますか?」
「俺は莉杏が心配だから、ちょっと2人だけで話しとくわ。
決行は夕方だから、それまで町でゆっくりして来いよ。
ガキのことは、それまでに決めさせておくわ」
ラァラは静かに頷いた。
「わかりました」
それだけ言うと、ラァラは赤ん坊を背負い、小さな背中をまっすぐ向けて歩いていった。
背負われた赤ん坊が、小さな声で泣く。
やがて、ラァラの姿は村の入り口の向こうに消えていった。
俺は、深いため息をつく。
誰もいない村。
朝の空気が、やけに冷たい。
俺は足を引きずるようにして、あの場所へ向かった。
◆・◆・◆
「ホント、どうすんだよこれ」
ポケットから取り出したたばこに火をつける。
煙を吸い込むと、肺が苦しくなるのに、なぜかそれが心地いい。
莉杏の遺体は、静かに横たわっていた。
もう何も言わない。
もう何も聞こえない。
「自分だけ逃げんじゃねえよ……」
くわえたばこのまま、縄を解き、莉杏の体をそっと地面に降ろす。
動かない。
冷たい。
けど、昨日まで、確かに生きてたんだよな。
あのとき、俺が少しでも違うことを言えていたら、こいつは――
いや、関係ねえ。
こいつが自分で選んだことだ。
俺がどうこう言う話じゃない。
「ま、どうでもいいか」
俺は上着を脱いで、莉杏の体にそっとかけた。
せめてもの、最後の礼儀だ。
たばこをくわえたまま、ライターを取り出す。
親指で火を起こし、炎を見つめる。
「独りぼっちは寂しいもんな」
灯油の缶を持ち上げ、中身を静かに撒いた。
ライターを近づける。
カチッと音がして、小さな炎が生まれる。
それを、静かに落とした。
ボッと音を立てて、炎が広がる。
莉杏の体を包む火は、赤く燃え上がり、空に向かって伸びていく。
俺は、その横に腰を下ろした。
「いいぜ、一緒にいてやるよ」
そう言って、笑った。
──どうせ、もうすぐ終わるんだ。
なら、最後くらい、誰かと一緒でもいいよな。