#3
─ 7月2日 RAARA OBSERVE ─
「あとは、ラァラおまえだ」
遥香がそう言った。
「何を話しますか」
「おまえがどういう生い立ちで、なんで自殺志願者になったのか……おまえって外国人だろ?
そもそもなんでおまえ日本にいるんだ?」
ラァラは静かに考えた。
この問いに、どこから答えるべきか。
少しだけ迷ったけれど、事実から話すことにした。
◆・◆・◆
──ラァラのお母さんは、不法滞在者でした。
──ラァラのお父さんは、日本人でした。
「おまえ、ハーフなのか?」
遥香が言いました。
「わかりません」
ラァラは曖昧に答えた。
なぜなら、それはあまり重要ではないことだから。
ラァラは、生まれたときから「どこにもいない子ども」でした。
不法滞在者と日本人の間に生まれた子どもは、法律上、お父さんが認知すれば日本国籍を得ることができます。
でも、ラァラのお父さんは、それを望みませんでした。
ラァラが生まれると、すぐに姿を消しました。
そして、お母さんも。
──お母さんは、不法滞在者だから、出生届を出すことができませんでした。
──お母さんは、ラァラと一緒にいることを選びませんでした。
こうして、ラァラは、国籍も戸籍もない子どもになりました。
どこにも登録されていない、どこにも存在しない子ども。
「それって……つまり、幽霊みたいなもんじゃねえか?」
「はい。そうです。ラァラは、この国には、いない人間なのです」
「……それで、どうやって生きてたんだよ」
「ラナカシムと一緒にいました」
「ラナカシム?」
「外国人の浮浪者のことです。ホームレスを教えてもらいました」
「ホームレスを……教わる?」
「はい。どうやって、道端に落ちているものを拾って売るのか。
どうやって、店の裏に捨てられる食べ物を探すのか。
どうやって、警察に見つからないようにするのか。そういうことです」
ラナカシムは親切な人でした。
ラァラが飢えていたとき、パンをくれました。
ラァラが眠れなかったとき、空き缶を枕にする方法を教えてくれました。
寒いときには、ダンボールの上に新聞紙を敷くと温かいことも。
でも、ラナカシムは、毎日苦しんでいました。
「移民が問題を起こしたってニュースが出るたびに、不良たちに狩られていました」
「……狩られて?」
「ホームレス狩りです」
「……」
「この国の不良たちは、悪いニュースが出ると、『だから移民はクソだ』と言って、ラナカシムたちを殴りました。
蹴りました。ボロボロの布を剥ぎ取りました」
「……最低じゃねえか」
「よくわかりません。でも、ラナカシムは笑っていました」
──「これがこの国で生きるってことだ」と。
「……じゃあ、おまえはそれが辛くて死にたいのか」
「ええと。それは理由にはなりません」
「じゃあなんだよ」
「ラァラが辛いのはラァラだけの事で。誰も迷惑しません」
ラァラは静かに、遠くを見る。
「ラァラは、この国の人ではありません」
「……いや、まあ、不法滞在者の子供だから……」
「それだけではありません」
「は?」
「ラァラは、この国にいてはいけない人間です」
ラァラのお父さんは、日本人でした。
でも、ラァラのお父さんは、ラァラが生まれると、すぐに逃げました。
お母さんは、不法滞在者でした。
でも、お母さんも、ラァラを抱えて逃げることができませんでした。
──だから、お母さんは、いなくなった。
ラァラの存在は、お母さんの人生を複雑にしました。
お父さんの人生も、きっと邪魔でした。
ラァラは、「いらない子」だったのです。
「ラァラがいないほうが、すべてきれいに収まります」
「……っ」
「だから、ラァラは、いなくなるのです」
「……おまえ、それ、本気で言ってんのか?」
「何故、遥香が怒りますか?」
遥香は、拳を握りしめた。
「……クソだな、全部」
ラァラは静かに首を傾げた。
「そうでしょうか。ラァラがいなくなれば、誰も困りません。快適になります」
「……難しいことは知らんけど。
おまえがひとりで抱え込む問題じゃないだろう」
ラァラは、一瞬だけ黙った。
「これは……ラァラの問題です。ラァラが迷惑をかけているのです」
「……なんだよそりゃ」
「でも、ラァラがいなくなれば、もっとみんなが楽になるのは事実です」
「……そんなこと、ねえよ」
遥香の声が少しだけ震えた。
「おまえのお母さんが、おまえのお父さんが、おまえを捨てたからって、それが全部じゃねえだろ……?」
「いいえ……それが事実です」
「……クソが」
遥香は、ラァラの肩をつかんだ。
「おまえさ、今でも自分がいらないって思ってんのかよ」
ラァラは少しだけ考えてから、静かに頷いた。
「はい。きっと神様がそう決めました」
その瞬間、遥香が殴るかと思った。
でも、遥香はただ、息を吐いて、拳を握りしめたまま、空を見上げた。
「……マジでクソだな、この世界」
「ラァラさんが死んだら、お母さんは悲しみます」
莉杏の言葉に、遥香は苦笑した。
「そりゃおまえの親の場合だろ」
「……そうでしょうか」
「……」
「……そうかもしれません」
重い沈黙を破って、ラァラが呟いた。
「……でも、ラァラが死んでも、誰も気づかないのです」
「……そんなの、わかんねえだろ」
「いいえ。わかります」
ラァラは、淡々と微笑んだ。
「ラァラは、この世界にいない人間ですから」