UADF窓辺の天使 HOR諜報機関 日本支部
後輩が、何かぶつぶつと言いながら、スマートフォンの画面を睨みつけている。
目の下にはクマができていて、口元には疲れた笑いが浮かんでいる。
それでも指はせわしなく動き、次々とコメントを書き込んでいる。
「『そんな心の弱い女が国際養子縁組とかマジで草』と」
誰に向けている言葉なのかは知らない。
興味もない。
ただ、彼は誰かを攻撃し、それに自己満足しているだけだ。
「とりあえずスパチャあざーす。如何にも夏休みって感じでいいっすね」
「俺ら命懸けでやってる身から言わして貰うと、その程度で精神病むのは向いてないっすね」
彼はそう言いながら、画面の中の配信者に向かって小銭を投げつける。
命懸け。
笑わせる。
「薔薇牧……お前……何してるんだ?」
声をかけると、後輩は飛び跳ねた。
画面から目を離し、顔を引きつらせながら、振り返る。
「いいいぃっ……櫻木先輩……ッ?!」
動揺が過ぎる。
それほどまでに集中していたのか、それとも、後ろめたかったのか。
「命懸けなのは現場入りする HOR であって、安全な UADF の管制に引きこもっているおまえは別に命懸けではないのでは?」
言われて、薔薇牧は視線を逸らした。
舌を噛みながら、言い訳を探している。
「ああああ、い、いや、命懸けの先輩の代弁を……」
「誰も頼んでいない」
短く言い放つ。
彼は苦笑しながら頭を掻くが、開き直る気配はなかった。
一応、自覚はあるらしい。
「さぼりもほどほどにしておけ。この書類、よろしく」
デスクの上に書類の束を置く。
鈍い音が響く。
軽くはない。
「あ……はい……って……めっちゃくそたくさんあるんですが?」
「私は、この後、いろいろ立て込んでいる」
本来なら後輩の仕事だ。
それを片付ける時間はない。
「そ、そういう櫻木先輩は何するんすか?」
彼は無駄話で時間を稼ごうとしている。
それを見透かしながらも、私は答える。
「数日出張だ。旧蠚破甦郷までな」
「なんもない廃村っすよね、あの辺り。何しに行くんすか」
「そこに蠚破甦の落とし子の……国籍のない親子がいるんだ」
彼は目を細めた。
少し考え込みながら、口を開く。
「子連れの未亡人と逢引きすか?」
「何を言ってるんだ? HOR案件に決まっているだろ」
彼は納得したように頷いた。
「……あー、あっちの管轄の……あれ?」
考えるそぶり。
「HORって少年兵というか孤児専門の組織っすよね。今、親子って……母親の方は、どうするんすか? その……消すんすか?」
「母親も幼い子供だよ。両方HORで引き取るかもしれんな。あるいは騒ぎ建てするなら消すことになるか……」
一瞬、薔薇牧の顔に言葉に詰まるような表情が浮かぶ。
すぐに何か言い返そうとして、その言葉を飲み込んだ。
「なんか仕事熱心すね」
「何が?」
「いや、亡くしたお子さんの、代償行為かなって」
少し、沈黙が落ちた。
彼の目が、探るようにこちらを覗き込む。
「……」
私は答えない。
代償行為かもしれない。
だが、それを言葉にすることに何の意味がある?
「あ、いや、言葉が過ぎたっす。申し訳ない。でも、なんでHORは身寄りのない孤児や国籍のない子供ばかり、エージェントに育てるんすかね」
「どこの世界も諜報員はトカゲの尻尾切りされるものだ。身寄りや戸籍がない方が都合がいい」
「それはそうなんすけど。他に幸せになれる道ってなかったのかなあって」
彼は小さく息をついた。
「それは……おまえが幸せに生きていた人間側だから、そう思うんだろうな」
「どういう意味っすか?」
言っても、わからんよ。
身元のはっきりした両親が健在で、自分の未来が保証されている人間にはな。
少なくても私は、これ以外の幸せなんかずっと知らなかった。
有栖に出会うまでは。
そして、その家族ごっこもすぐに破局に向かった。
有栖はトラックの事故に遭い、息子は流産した。
私が初めて得られるかもしれない普通の幸せは崩壊し、残されたのは彼女の連れ子……血の繋がらない異人の養子だけだった。
私は、普通の幸せを掴んではいけない側の人間なんだ。
「とりあえず、数日は不在にするが。それまでに書類の方はよろしく」
話を終わらせる。
薔薇牧は、少し不満そうに唇を尖らせた。
「いいなあ、先輩は」
「じゃあ、変わるか?」
腰のホルスターから拳銃を少しだけ見せる。
「いいい? そんなの持ってくんすか? ここ日本すよ?」
「蠚破甦が絡んでるんだ。当然だろう。変わってやってもいいぞ」
「え? 上級国民様が絡んでるんすか?」
「これから回収しに行く孤児は、蠚破甦の表沙汰にはしたくない隠し子だ。最悪、消されるぞ」
「だ、大丈夫っす。俺、鉄火場とか苦手なんで。書類仕事が性に合ってるっす」
「そうか。じゃあ、よろしく」
彼は諦めたように肩を落とし、デスクに積まれた書類を見つめる。
私が部屋を出るまでに、すでに溜息を三度ついた。
私はそれを背に、車のキーを手に取った。
これが正しいことなのか、それとも間違っているのか。
そんなことはどうでもいい。
私には、それしかできないのだから
◆・◆・◆
旧蠚破甦郷の麓の町に着くころには日が暮れていた。
病院の面会時間はとっくに過ぎていた。
私は民宿に泊まり、日の出と共にまた車を走らせる。
町はずれのリベリオ精神病院。
ここは、かつての妻が収容されている場所だった。
定期的に足を運んではいるが、彼女はもう、私の知っている有栖ではない。
それでも、私はここに来る。
――それが、義務 だから。
私がいつも通り、有栖の異世界の冒険に付き合っていたら。
あのユーチューバーが現れた。
彼は私よりも上手に有栖と異世界を遊んでいて、やがて――
「おはようございました」
場違いなほどに軽い声が響いた。
「どうもどうぞ、黒の勇者カインドに召喚された黄金の勇者っす」
有栖の目に光が宿っていた。
「有栖……わかるのか? ここが……ああ……! よかった……!」
私は無意識のうちに手を伸ばした。
彼女の肩に触れるつもりだった。
しかし――
彼女はその手を怯えながら避けた。
私はその瞬間、悟った。
トラウマも思い出したのだろう。
彼女にとって、私は悪夢の象徴でしかなかったのだ。
「あなたは外して貰っていいすか?」
ユーチューバーが遮るように言った。
なんだと?
「いや、私は有栖の元夫で……」
私は理性を保ちつつ、言葉を選んだ。
しかし、彼は薄く笑いながら即答する。
「元夫なら他人同然ですよね。彼女、怖がってますよ」
有栖はこの男の影に隠れるように、微かに震えている。
「そ、それは、病気のせいで……」
病気だから、仕方がない。
病気だから、何もかも上手くいかなくなった。
病気だから、私は彼女をここに預けた。
そんな言い訳を、私はいつまで繰り返すのか?
「本当にそれだけっすか?」
ユーチューバーの声が低くなった。
一見、軽薄な男に見えたが、この時の彼の目は鋭い。
「なんだろうなぁ……2人がこんなに怯えているのって、奥さんの病気だけでは説明がつかないと思うのですよ」
私はこの ユーチューバー という人種が 全般的に嫌いだ。
現実を知りもせず、きれいごとばかり並びたてて、都合よく感動話に仕立て上げて、それを金にする。
滑稽だ。
おまえに何がわかる。
しかし――
「この子も、怖がってるんで、外して貰っていいすか」
有栖と、彼女の連れ子のユーを背に。
ユーチューバーは、冷たい目をした笑顔で、こちらを見ていた。
「……分かりました。私は邪魔者のようだ」
私は言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
これ以上、言葉を重ねても無駄だと悟る。
「はい。邪魔者です。出てってください」
皮肉でもなく、ただ淡々とした口調だった。
有栖は目を伏せたまま、私を見ようとしなかった。
私は、追い出されるように見送られた。
扉が閉まる音がする。
その先にあるのは、普通の家庭。
私がいるべき世界ではない。
私は……私がいるべき世界へと先を急ごう。
◆・◆・◆
- ひげおやじSIDE -
焼け残った旧蠚破甦郷の廃村に、その子供はいた。
小さな身体。
白いノースリーブのワンピースは、長いこと洗濯されていないせいか、薄汚れて見えた。
日に焼けた褐色の肌に、黒い髪。
その腕には、金髪の赤ん坊が抱えられていた。
この子が――噂の子供か。
俺は一歩近づき、声をかけた。
「誰ですか?」
唐突な問いかけ。
警戒しているようには見えない。
ただ、静かに俺を見上げていた。
「俺? 俺はひげおやじ」
「ひげおやじなのに、髭はないのですか?」
俺は苦笑した。
「そういう名前なだけだから」
「ひげのないおやじはここに何をしに来ましたか?」
即座に問い返される。
感情の揺らぎがない声。
俺は、言葉を探しながら、少し笑って答えた。
「ひげのないおやじはややこしいから、おやじでいいや」
「では、おやじはここに何をしに来ましたか?」
また、同じ質問。
「何をしにっていうか、なんだろう。興味本位?」
「興味?」
彼女はじっと俺を見つめた。
俺の言葉の意味を測るように。
「よくわかりませんが。赤ちゃんが起きてしまいます。場所を変えましょう」
「ああ、そうだな」
俺たちは、ボロボロの民家から少し離れた場所に移動した。
夜の冷たい風が吹き抜ける。
焼け落ちた家屋の残骸の間から、星空が覗いていた。
町の喧騒とは違う、静かな世界だった。
「この辺は、自然が豊かなんだなあ。空気も綺麗だ」
「そうですね」
彼女はそっけなく頷く。
「それで、何の用でしょう」
「何の用っていうか、君、ここでずっと赤ちゃん育ててるんだってね。ひとりで」
「はい。それがどうかしましたか」
「どうかしたって……その、いつからここに住んでんの?」
「この赤ちゃんが生まれた時からです」
「そっか、大変じゃなかった?」
「町のお年寄りはとても親切です。いろんなものを分け与えてくれます。大変ではありません」
即答だった。
「それにしたって、こんなところで生活するの、不便だろ?」
「ラァラはもっと不便なところで生活してきました。ここは親切な人もたくさんいて快適なくらいです」
……この子にとって、ここは "ましな場所" なのか。
「そっか」
「用というのはそれだけですか?」
「いや、あのさ……」
俺は迷った。
どう切り出すべきか。
「君さえよければなんだけど……」
俺は意を決して言った。
「おじさんとこに来ないか?」
「どういうことですか?」
彼女はまっすぐに俺を見た。
「君を放っておけないというか。困っているなら助けに……」
「大丈夫。ラァラは別に困ってはいません」
すっぱりとした否定。
「そんなことないだろ。その赤ん坊だって大きくなったらそれなりに学校とかに……」
そのとき。
「白昼堂々、人攫いかな」
背後から、冷たい声が響いた。
俺は振り向いた。
黒ずくめの男が、闇の中から現れる。
「人聞きの悪い。人助けだよ」
俺は軽く笑って答えた。
だが、彼の目は笑っていない。
「ほう。君は、何者なんだ?」
「え? 俺のこと、ご存じない? 結構、有名なユーチューバーなんだけど」
「君もユーチューバーか。なるほど」
櫻木は冷たく笑った。
そして、ゆっくりと、威圧するように言った。
「生憎、私はユーチューバーという綺麗ごとばかり言っている人種が嫌いなんでね。お取引願えないか
「そういうあなたは何者なんすか」
俺も引かない。
だが、彼は嘲るように言った。
「私は。君よりも本当の人助けができる」
「へえ。おたくは人助けができる力をお持ちってことなのか。俺は……」
だが、次の瞬間。
彼の声が鋭くなる。
「関わるな」
その言葉には、何の感情もなかった。
ただ、冷たい絶対の命令。
「生半可な気持ちで関わるな。偽善者が」
俺は、確かに見た。
――櫻木が 銃を向けている ことを。
「戸籍のない子供をお前が拾って、どうするつもりだ?」
静かに、櫻木は言葉を紡ぐ。
「養子にするか? それとも、ただの自己満足で助けたつもりになるか?」
俺は、ゆっくり両手をあげた。
「この子たちには、お前のような"善人"ができることなんてない。我々は、この世界の孤児を扱うことに長けたプロだ」
プロ。
それが、彼の答えだった。
「……プロねぇ」
俺は肩をすくめた。
「そうだ。お前には関係ない」
彼は冷たく言い放った。
銃口を向けたまま。
「スマホをこちらに投げろ。録画しているだろう?」
しぶしぶ、スマホを彼の足元に投げ捨てた。
「警察に行きたければ行くがいい。上級国民は君ごときの被害届など聞く耳も持たないだろうがな」
あ、……そうか。
「君の訴えは隠ぺいされ、この子たちは社会の闇に消される。すべてがなかったことになる。それだけだ」
そういえば、この赤ん坊って 蠚破甦の御曹司の隠し子だったか。
上級国民の隠し子に関わったら、俺みたいな一般庶民は簡単に消されるってか?
いや。俺だけじゃない。
この子たちも、俺が関わったばかりに。
「たしかに。それは誰も得はしない話だぁな」
俺は小さく息をついて、手を挙げたまま言った。
「わかったよ。関わらない。手を引くよ」
櫻木は黙ったまま、銃口を下げた。
俺は――
もう一度、ラァラを見た。
彼女は、無表情だった。
ただ、赤ん坊をそっと抱きしめていた。
……俺には、何もできないのか?
そんなことを考えながら、俺は静かにその場を去った。
◆・◆・◆
- 櫻木縣SIDE -
彼が立ち去った後、静寂が戻る。
夜の冷えた風が焼け残った廃墟を通り抜けるたび、かすかに木造の軋む音が響く。
俺の目の前には、小さな影が佇んでいた。
彼女は、腕の中の赤ん坊を守るように抱きしめながら、じっと俺を見上げていた。
彼女は、俺に言葉を投げかける。
「あなたは誰ですか?」
即答だった。まるで反射のように。
「UADF窓辺の天使 HOR諜報機関……櫻木縣」
俺は淡々と名乗る。
この肩書きにどれほどの意味があるのか、彼女には分からないだろうが、それでも言っておく。
彼女は少し考え込んだように沈黙し、それから口を開いた。
「サクラギ、アガタ……アガタは私を捕まえに来たのですか?」
「捕まえに来る? ……いいや? 君の存在を消しに来るのは我々ではない。蠚破甦の者だ」
「では、何をしに来たのですか?」
「選択肢を与えに来た」
彼女は瞬きをする。
「選択肢?」
「そうだ。この世界には社会の理を捻じ曲げる強い力を持った人間がいてね。その赤ん坊は、その人間の隠し子だ」
「はい。知っています」
また即答。
疑いも迷いもなく、ただ事実として口にする。
幼いながらに、すでにこの子は、知っているのか。
「ほう?」
俺は少し興味が湧いた。
「ラァラとお母さんも同じです。そして、お母さんは消えました」
消えた、か。
「消えたんじゃない。消されたんだろうな」
「消された?」
「殺された。という事さ」
不法滞在者の女ひとり、社会から消えたところで、何の影響もない。
それが、上級国民の都合の悪い存在ならば、なおのこと。
彼女はそれを聞いても表情を変えなかった。
小さな手が、赤ん坊を抱く力を少し強めたように見えたが、それだけだった。
「そうですか」
ただ、それだけ。
何の感情も乗っていない、まるで空気を押し出すような言葉。
俺はその反応を、予想していたようで、少し意外にも感じた。
「さて、君には2つ選択肢がある」
彼女の視線が俺を捉える。
まっすぐな瞳。
「1つ目の選択肢。このままここで、この生活を続ける。その場合は、君もその子も蠚破甦に消されるだろう。君のお母さんにも逢えるだろうな」
彼女は微動だにしなかった。
まるで、既にその結末を知っていたかのように。
「2つ目の選択肢。その赤ん坊を預からせて貰う。我々が蠚破甦から保護しよう」
彼女はすぐには答えなかった。
静かに、赤ん坊の髪を撫でながら、考えていた。
「ラァラと赤ちゃんがここで殺されるという選択肢はないのですね」
「……ああ、君を殺して、赤ん坊を預かるという選択肢もあるな」
その言葉に、彼女の指がほんの僅かに震えた。
「決めるのは君だ。どうしたい?」
彼女は、俺を見つめたまま口を開いた。
「この子が……レイが一番幸せになれる選択肢はどれですか?」
「ん?」
俺は少し意外に思った。
「ラァラは元々、死ぬためにここに来ました。でも、この子は生きるためにここで生まれました。この子には幸せになって欲しいのです」
『自分のことはどうでもいい』とでも言うような言葉。
しかし、その言葉には確かに意思があった。
「なるほど。その子を守れる力、欲しいか?」
彼女は躊躇わなかった。
「はい、レイを幸せにできるなら」
俺はそれを聞いて、静かに目を閉じた。
面白い。
この子は、覚悟を持っている。
ならば、俺が与えるべき道は、決まっている。
「いいだろう。ついて来い」
君たちを消そうとする社会の不条理。
その不条理を、逆に消す側の世界に導いてやる。
彼女は、赤ん坊をしっかりと抱えたまま、迷うことなく俺の後を追った。