少女たちの独白
─ 遥香SIDE ─
俺たちは聖地に向かうトラックの荷台に忍び込んで、資材に紛れて忍び込んでいた。
「なあ、お互いに何のために約束の地に行くのか話でもしねえ?」
走行するトラックに揺られながら、昔話でもして時間を潰そう。
「……」
「……」
誰も言葉を発しない。
仕方ねえな。
「じゃ、言い出しっぺの俺から話すわ」
◆・◆・◆
俺の母親はキャバレーのフロアレディだった。
夜の街で男に酒を注ぎ、笑い、甘い声で夢を見せる仕事。
父親? 知らねえよ。
あの女も知らねえって言ってたし、きっと金持ちのどっかのオッサンが酔っ払った勢いで種をばら撒いたんだろ。
家には金があった。食うにも困らなかった。
だけどな、家には「家族」ってもんがなかったんだよ。
あの女は昼間に帰ってきて、ベッドに倒れ込む。
俺が「おかえり」って声をかけても、寝ぼけた声で「うるさい」って眉間にしわを寄せるだけ。
「勝手にしてて。ママは疲れてるの」
そう言って、食卓には無造作に札が投げられる。
俺はその金を見つめながら、何度も考えたよ。
――俺、ここにいていいんだよな?
最初のうちは、聞いてたんだよ。「このお金、何に使っていい?」って。
でも、そんなたびにあの女は溜息をついて、「いちいち起こすな」って怒った。
だから俺は勝手にピザを頼んでみた。
インターホンが鳴る。玄関に出て、お金を払って、ピザの箱を抱えてリビングに戻る。
「ママ、ピザ頼んだよ」って声をかけた。
そしたらさ――
「宅配なんか頼むな! インターホンがうるさい! 寝れない! 外で食ってこい!」
寝ぼけまなこのまま起き上がったママは、俺が持ってたピザの箱を思いっきり俺に叩きつけた。
……それ以来、俺は宅配を頼まなくなった。
あの女を起こさないように、静かにしようと決めた。
昼間はできるだけ外で過ごすようになった。
一人でファミレスに行く。テーブルに置かれた金は、いくら使っても怒られなかった。
好きなものを頼んで、一人で食って、一人で帰る。
最初はそれでよかったんだ。
でもな、何ヶ月も繰り返してたら、飽きるだろ?
だから、俺は悪い友達とつるむようになった。
俺がいつも奢った。金は有り余ってたしな。
ゲーセン、カラオケ、ショッピングモール。昼間からたむろして、バカみたいに笑ってた。
でも、それもだんだん飽きてきた。
何をしても、何を買っても、何も埋まらねえんだよ。
それで、次に手を出したのがタバコだった。
吸ってるとなんか「大人になった」気がしたんだよな。
酒も覚えた。
口当たりのいいカクテルを夜の公園で飲みながら、「俺たち、最高」なんて浮かれてた。
……で、ある日。
俺たちはゲーセンでたむろしてた。
学校? 行ってねえよ。
タバコを吸って、ダラダラして、いつも通りの暇つぶしをしてた。
そしたら――
補導された。
警察に連れて行かれた。
学校に連絡された。
そして、あの女にも連絡された。
「もしもし、江瑠戸千佳さんですか? 娘さんの件で、はい。署まで来てください」
あのときの警察官の声を、今でも覚えてる。
あの女は、俺のために叩き起こされて警察に来た。
警察署で、先生と一緒に俺は厳重注意を受けた。
「お母様、このままだとお子さんの将来に影響が……」
そんなくだらねえ言葉の羅列を聞き流してた。
だって俺は、あの女が隣に座ってる時点で、何を言われるよりも怖かったから。
警察署を出て、二人で並んで歩く帰り道。
あの女は黙ってた。
でも、ある一歩の瞬間――いきなり頬を叩かれたんだ。
「何してんのよ……」
静かな声だった。
でも、その静けさの中に、ドス黒い感情が渦巻いていた。
「学校サボろうが、何しようが勝手だけど……ママに迷惑かけないで」
「ママは遊んでるんじゃないの! あんたの学校、あんたの家、あんたの服、食べてるもの、全部ママが稼いだ金で……」
あの女の声は震えていた。
「……ママが養ってあげてるのよ」
俺は、言葉が出なかった。
何も言えなくて、ただ、唇を噛んだ。
でも、何か言わなきゃいけない気がして。
「ごめんなさい……」
そう、絞り出すように謝った。
でも――
「ごめんなさいとかいらない。うざい」
「好きにすればいい。でも、もうママに迷惑だけはかけないで。あんたの人生とか知らないけど、ママの人生の邪魔しないで」
その言葉が、俺の心臓にナイフみたいに突き刺さった。
そして――最後の一言。
「あんたなんか、産まなきゃよかった」
……ああ、そうか。
あの女にとって、俺は必要ないんだな。
だったら――
じゃあ、望み通り消えてやるよ。
そのとき、俺は「死のう」って決めた。
「そんなの、ひどいです」
静かに聞いていた莉杏が、ぽつりとつぶやいた。
その声は、驚くほど震えていた。
「遥香が死んだら、お母さんは悲しみます」
ラァラが、どこか淡々とした声で言う。
俺は鼻で笑った。
「俺が死んだくらいで、あの女が悲しむかよ」
「邪魔者の俺がいなくなって、せいせいするんじゃねえの?」
そう言い放つ俺の声は、どこか空っぽで――
それが、一番悔しかった。
◆・◆・◆
─ 莉杏SIDE ─
「じゃ、次、莉杏の番な?」
遥香さんがそう言ったとき、私は少しだけ迷いました。
けれど、この旅に出た時点で、過去の話をすることはもう決まっていたようなものです。
「え? 私?」
戸惑いながらも、私は静かに言葉を紡ぎ始めました。
──私が生まれたあと、お母さんとお父さんはすぐに離婚しました。
原因はお父さんの浮気です。
でも、お父さんは名家の長男でした。
弁護士も、警察も、お父さんの味方をしていました。
だから、何の責任も取らされることなく、お母さんと私は家を追い出されました。
でも、どれだけ理不尽でも、どうしようもなかったんです。
結局、お母さんは私をひとりで育てることになりました。
朝から晩まで働いていたのか、家には全くいませんでした。
私にかまう余裕なんてなかったと思います。
だから、私はいつもひとりでした。
学校が終わっても、家に帰っても、誰もいない。
私はずっと、鍵を回して、静まり返った部屋に入るだけの生活を続けていました。
「おまえも似たような境遇だったのな」
「私と遥香さんが違ったのは、私は優等生だったことです」
「は? 喧嘩売ってんの?」
「いえ。そんなつもりは。そうじゃなくて……」
「ま、いいや。それで?」
私は先を続ける。
私は成績もよく、学校では「優秀な子」でした。
問題を起こすこともなく、誰に対しても礼儀正しく接していました。
お母さんはそんな私を誇りに思ってくれていたみたいでした。
「莉杏は手のかからない子で助かるわ」
そう言って、お母さんは微笑んでいました。
だから、私は「手のかからない優秀な子」であり続けようと思いました。
迷惑をかけないように、失敗しないように、完璧でいようとしました。
──それが、私にできる唯一のことだったから。
いつの間にか、先生が家に様子を見に来るようになりました。
担任の先生──マコト先生は、熱心な先生でした。
勉強を見てくれたり、ご飯を作ってくれたりしました。
「莉杏さんは、いい子ですね」
そう言って、先生はいつも優しく微笑んでくれました。
私はその言葉が嬉しくて、先生と過ごす時間が楽しみになっていきました。
──父親のいない私にとって、それは初めての「家族の食卓」でした。
先生と一緒にご飯を食べる時間。
それは、私がずっと欲しかったものでした。
先生はとても優しくて、親身で、頼りがいがあって……私は少しずつ、先生に惹かれていきました。
ある日、ご飯を食べ終えて、先生が帰ろうとしたとき、私はつい言ってしまいました。
「まだ帰らないでください」
先生は少し驚いたように私を見ました。
でも、私は止まらなかった。
「もう少し、一緒にいてくれませんか?」
先生が私を拒むことはありませんでした。
寂しかった。心細かった。
でも、それ以上に――先生と一緒にいたかったんです。
その日から、先生は夜遅くまで私と一緒にいるようになりました。
最初はご飯を食べて、少し話して帰るだけだったけれど、次第に……一緒にお風呂に入ったり、同じ布団で眠るようになって。
いつの間にか、私たちは「大人のイケナイ関係」になっていました。
先生はとても優しかったです。
どんなに忙しくても、私に「頑張ったね」と言ってくれました。
「いい子だね」と、ぎゅっと抱きしめてくれました。
その時間だけが、私の世界のすべてになっていました。
「手のかからない優等生」でいることも苦しくなかった。
だって、それさえ頑張れば、先生が私を認めてくれるから。
……私は、先生に認められることでしか、自分の存在を実感できなかったんです。
でも、そんな日々も長くは続きませんでした。
ある日、私は朝から気持ちが悪くて、何を食べても吐いてしまいました。
もしかして……と思って、ネットで大学生のふりをして相談してみたんです。
そしたら、返ってきた答えは――
「それは、つわりだよ」
……赤ちゃんができたんだって、そのとき気づきました。
先生の赤ちゃんが。
初めは、ただただ呆然としていました。
でも、すぐに思いました。
──赤ちゃんができたって知ったら、先生は困るかな?
きっと困るに決まってる。
先生は、私のことを「そういう目」で見ていたわけじゃなかったかもしれない。
ただ、流れでそうなってしまっただけかもしれない。
……でも、私は本気だったんです。
先生に嫌われたくない。
先生に迷惑をかけたくない。
先生を困らせたくない。
だから、私は嘘をつきました。
「親戚の家にしばらく行くことになりました」
先生には、そう伝えました。
何も知らない先生は、「そうか、それは寂しくなるね」と笑いました。
でも、私は知っていました。
この嘘は、いつまでも隠し続けられるものではないことを。
──だったら、どうすればいい?
答えは一つでした。
「そうだ、死のう」
赤ちゃんが生まれる前に、私がいなくなれば、全部なかったことになる。
先生に迷惑をかけることもない。
お母さんにも、世間にも、誰にも知られずに。
私は、検索しました。
──「自殺志願者の約束の地」
そこに、同じように「いなくなった方がいい」と思っている人たちがいました。
私と同じような人たちが、画面の向こうにいました。
……そして、私は二人に出会いました。
◆・◆・◆
私は話し終えて、そっと息を吐きました。
それでも、二人は何も言いませんでした。
長い沈黙のあと、最初に口を開いたのは遥香さんでした。
「……はあ? マジで言ってんのかよ。先生とデキちまったとか、昼メロのシナリオかよ……」
「莉杏が死んだら、赤ちゃんはどうするんですか?」
ラァラさんの静かな声が、耳に届きました。
……そんなの、考えたこともありませんでした。
「赤ちゃんのこと……?」
自分で口にしてみて、初めて気づいたことがありました。
私は、この子のことを「私の赤ちゃん」と思ったことがなかったんです。
ただ、先生を困らせる原因の「何か」としてしか見ていなかった。
「……赤ちゃん、どうしたらいいですか?」
誰に向けたのかわからないまま、私はその言葉を零しました。
「知るかよ。それはおまえの理由で。俺には関係ねえ」
そう。それが、私の自殺の理由でした。
◆・◆・◆
─ ラァラSIDE ─
「あとは、ラァラおまえだ」
遥香がそう言った。
「何を話しますか」
「おまえがどういう生い立ちで。なんで自殺志願者になったのか。そもそもなんでおまえ日本にいるんだ?」
ラァラは静かに考えた。
この問いに、どこから答えるべきか。
少しだけ迷ったけれど、事実から話すことにした。
──ラァラのお母さんは、不法滞在者でした。
──ラァラのお父さんは、日本人でした。
「おまえ、ハーフなのか?」
遥香が言いました。
「そうかもしれません」
ラァラは曖昧に答えた。
なぜなら、それはあまり重要ではないことだから。
ラァラは、生まれたときから「どこにもいない子ども」でした。
不法滞在者と日本人の間に生まれた子どもは、法律上、お父さんが認知すれば日本国籍を得ることができます。
でも、ラァラのお父さんは、それを望みませんでした。
ラァラが生まれると、すぐに姿を消しました。
そして、お母さんも。
──お母さんは、不法滞在者だから、出生届を出すことができませんでした。
──お母さんは、ラァラと一緒にいることを選びませんでした。
こうして、ラァラは、国籍も戸籍もない子どもになりました。
どこにも登録されていない、どこにも存在しない子ども。
「それって……つまり、幽霊みたいなもんじゃねえか?」
「はい。そうですね。ラァラは、この国には、いない人間なのです」
「……それで、どうやって生きてたんだよ」
「ラナカシムと一緒にいました」
「ラナカシム?」
「外国人の浮浪者のことです。ホームレスを教えてもらいました」
「ホームレスを……教わる?」
「はい。どうやって、道端に落ちているものを拾って売るのか。どうやって、店の裏に捨てられる食べ物を探すのか。どうやって、警察に見つからないようにするのか。そういうことです」
ラナカシムは親切な人でした。
ラァラが飢えていたとき、パンをくれました。
ラァラが眠れなかったとき、空き缶を枕にする方法を教えてくれました。
寒いときには、ダンボールの上に新聞紙を敷くと温かいことも。
でも、ラナカシムは、毎日苦しんでいました。
「移民が問題を起こしたってニュースが出るたびに、不良たちに狩られていました」
「……狩られて?」
「ホームレス狩りです」
「……」
「日本人の不良たちは、悪いニュースが出ると、『だから移民はクソだ』と言って、ラナカシムたちを殴りました。蹴りました。ボロボロの布を剥ぎ取りました」
「……最低じゃねえか」
「よくわかりません。でも、ラナカシムは笑っていました」
「これがこの国で生きるってことだ」と。
「……じゃあ、なんでおまえはそれが辛くて死にたいのか」
「ええと。それは理由にはなりません」
「じゃあなんだよ」
「ラァラが辛いのはラァラだけの事で。誰も迷惑しません」
ラァラは静かに、遠くを見る。
「ラァラは、この国の人ではありません」
「……いや、まあ、不法滞在者の子供だから……」
「それだけではありません」
「どうゆこと?」
「ラァラは、この国にいてはいけない人間です」
ラァラのお父さんは、日本人でした。
でも、ラァラのお父さんは、ラァラが生まれると、すぐに逃げました。
お母さんは、不法滞在者でした。
でも、お母さんも、ラァラを抱えて逃げることができませんでした。
──だから、お母さんは、いなくなった。
ラァラの存在は、お母さんの人生を複雑にしました。
お父さんの人生も、きっと邪魔でした。
ラァラは、「いらない子」だったのです。
「ラァラがいないほうが、すべてきれいに収まります」
「……っ」
「だから、ラァラは、いなくなるのです」
「……おまえ、それ、本気で言ってんのか?」
「何故、遥香が怒りますか?」
遥香は、拳を握りしめた。
「……クソだな、全部」
ラァラは静かに首を傾げた。
「そうでしょうか。ラァラがいなくなれば、誰も困りません」
「……難しいことは知らんけど」
「おまえがひとりで抱え込む問題じゃないだろう」
ラァラは、一瞬だけ黙った。
「これは……ラァラの問題です。ラァラが迷惑をかけているのです」
「……なんだよそりゃ」
「でも、ラァラがいなくなれば、もっとみんなが楽になるのです」
「……そんなこと、ねえよ」
遥香の声が少しだけ震えた。
「おまえのお母さんが、おまえのお父さんが、おまえを捨てたからって、それが全部じゃねえだろ……?」
「いいえ……それが事実です」
「……クソが」
遥香は、ラァラの肩をつかんだ。
「おまえさ、今でも自分がいらないって思ってんのかよ」
ラァラは少しだけ考えてから、静かに頷いた。
「はい。きっと神様がそう決めました」
その瞬間、遥香が殴るかと思った。
でも、遥香はただ、息を吐いて、拳を握りしめたまま、空を見上げた。
「……マジでクソだな、この世界」
「ラァラさんが死んだら、お母さんは悲しみます」
莉杏の言葉に、遥香は苦笑した。
「そりゃおまえの親の場合だろ」
「……そうでしょうか」
「……」
遥香は沈黙で返した。
まるで、言わないとわからないのかと言わんばかりに。
「……そうかもしれません」
重い沈黙を破って、ラァラが呟いた。
「……でも、ラァラが死んでも、誰も気づかないのです」
「……そんなの、わかんねえだろ」
「いいえ。わかります」
ラァラは、淡々と微笑んだ。
「ラァラは、この世界にいない人間ですから」