#1
─ 7月2日 HARUKA OBSERVE ─
俺たちは聖地カナンに向かうトラックを見つけ、荷台にこっそり乗り込んでいた。
全員、口数も少ない。
「辛気臭せえな」
最初に沈黙を破ったのは、俺だ。
「なあ、お互いに何のために約束の地に行くのか話でもしねえ? じゃ、言い出しっぺの俺から話すわ」
◆・◆・◆
俺の母親はキャバレーのフロアレディだった。
夜の街で男に酒を注ぎ、笑い、甘い声で夢を見せる仕事。
父親? 知らねえよ。
あの女も知らねえって言ってたし、きっと金持ちのどっかのオッサンが酔っ払った勢いで種をばら撒いたんだろ。
家には金があった。
食うにも困らなかった。
だけどな、家には「家族」ってもんがなかったんだよ。
あの女は昼間に帰ってきて、ベッドに倒れ込む。
俺が「おかえり」って声をかけても、寝ぼけた声で「うるさい」って眉間にしわを寄せるだけ。
「静かにして、ママは疲れてるの」
そう言って、食卓には無造作に札が投げられる。
俺はその金を見つめながら、何度も考えたよ。
――俺、ここにいていいんだよな?
最初のうちは、聞いてたんだよ。
「このお金、使っていい?」って。
でも、そんなたびにあの女は溜息をついて、「いちいち起こすな」って怒った。
だから俺は勝手にピザを頼んでみた。
インターホンが鳴る。
玄関に出て、お金を払って、ピザの箱を抱えてリビングに戻ってさ。
「ママ、ピザ頼んだよ」って声をかけた。
そしたらさ――
「宅配なんか頼むな! インターホンがうるさい! 寝れない! 外で食ってこい!」
寝ぼけまなこのまま起き上がったママは、俺が持ってたピザの箱を思いっきり俺に叩きつけた。
……それ以来、俺は宅配を頼まなくなった。
あの女を起こさないように、静かにしようと決めた。
昼間はできるだけ外で過ごすようになった。
一人でファミレスに行く。
テーブルに置かれた金は、いくら使っても怒られなかった。
好きなものを頼んで、一人で食って、一人で帰る。
最初はそれでよかったんだ。
でもな、何ヶ月も繰り返してたら、飽きるだろ?
だから、俺は悪い友達とつるむようになった。
俺がいつも奢った。
金は有り余ってたしな。
ゲーセン、カラオケ、ショッピングモール。
昼間からたむろして、バカみたいに笑ってた。
でも、それもだんだん飽きてきた。
何をしても、何を買っても、何も埋まらねえんだよ。
それで、次に手を出したのがタバコだった。
吸ってるとなんか「大人になった」気がしたんだよな。
酒も覚えた。
口当たりのいいカクテルを夜の公園で飲みながら、「俺たち、最高」なんて浮かれてた。
……で、ある日。
俺たちはゲーセンでたむろしてた。
学校? 行ってねえよ。
タバコを吸って、ダラダラして、いつも通りの暇つぶしをしてた。
そしたら――。
補導された。
警察に連れて行かれた。
学校に連絡された。
そして、あの女にも連絡された。
「もしもし、江瑠戸千佳さんですか? 娘さんの件で、ええ。署まで来てください」
あのときの警察官の声を、今でも覚えてる。
あの女は、俺のために叩き起こされて警察に来た。
警察署で、先生と一緒に俺は厳重注意を受けた。
「お母様、このままだとお子さんの将来に影響が……」
そんなくだらねえ言葉の羅列を聞き流してた。
だって俺は、あの女が隣に座ってる時点で、何を言われるよりも怖かったから。
警察署を出て、二人で並んで歩く帰り道。
あの女は黙ってた。
でも、ある一歩の瞬間――いきなり頬を叩かれたんだ。
「何してんのよ……」
静かな声だった。
でも、その静けさの中に、ドス黒い感情が渦巻いていた。
「学校サボろうが、何しようが勝手だけど……ママに迷惑かけないで。ママは遊んでるんじゃないの!
あんたの学校、あんたの家、あんたの服、食べてるもの、全部ママが稼いだ金で……」
あの女の声は震えていた。
「……ママが養ってあげてるのよ」
俺は、言葉が出なかった。
何も言えなくて、ただ、唇を噛んだ。
でも、何か言わなきゃいけない気がして。
「ごめんなさい……」
そう、絞り出すように謝った。
でも――
「ごめんなさいとかいらない。うざい。好きにすればいい。ママに迷惑だけはかけないで。
あんたの人生とか知らないけど、ママの人生の邪魔しないで」
その言葉が、俺の心臓にナイフみたいに突き刺さった。
そして――最後の一言。
「あんたなんか、産まなきゃよかった」
……ああ、そうか。
あの女にとって、俺は必要ないんだな。
だったら――。
じゃあ、望み通り消えてやるよ。
そのとき、俺は「死のう」って決めた。
──……
「そんなの、ひどいです」
静かに聞いていた莉杏が、ぽつりとつぶやいた。
その声は、驚くほど震えていた。
「遥香が死んだら、お母さんは悲しみます」
ラァラが、どこか淡々とした声で言う。
俺は鼻で笑った。
「俺が死んだくらいで、あの女が悲しむかよ。邪魔者の俺がいなくなって、せいせいするんじゃねえの?」
そう言い放つ俺の声は、どこか空っぽで――
それが、一番悔しかった。