プロローグ
Lian: 一緒に死にませんか?
Haru: いいぜ、だったら死ぬまでにやりたい事、やらね?
Rara: わかりました
Haru: で、何したい?
Lian: え?
Haru: おまえが言い出しっぺだろ、何したい?
Lian: 約束の地
Haru: は?
Lian: ゲームの聖地の廃村があります
Haru: へえ? そこって綺麗?
Lian: たぶん……
Haru: いいねぇ、じゃそこで、夕日を見ながら決行で
Lian: そこは天国ですか?
Haru: ああ、俺たちの聖地カナンだ
◆・◆・◆
─ 遥香SIDE ─
俺たちはネットの片隅で出会った。
最初の言葉は、単純で、冷たくて、それでいて、どこか温かかった。
Lian: 一緒に死にませんか?
ハンドルネーム、Lianが書き込んだ言葉は、俺の胸の奥を軽く叩いた。
そういうのはよく見るが、これほどすんなり心に入ってくるのは珍しい。
たぶん、それは俺も、今まさにそんな言葉を待っていたからだろう。
Haru: いいぜ、だったら死ぬまでにやりたい事、やらね?
無駄死にはごめんだ。せっかくなら、最後くらい俺のルールで。
そう思って送ったメッセージに、短い返信が来た。
Rara: わかりました
ハンドルネーム、Rara。
簡潔で迷いのないその言葉に、俺は少しだけ笑った。
この子は、たぶん相当な覚悟を持ってここに来てる。
Haru: で、何したい?
Lian: え?
Haru: おまえが言い出しっぺだろ、何したい?
Lian: 約束の地
約束の地――Lianの言葉に、俺は一瞬考えた。
まるで宗教じみた響きだが、どうせ俺たちに未来はない。そんな言葉も悪くない。
Haru: は?
Lian: ゲームの聖地の廃村があります
ああ、そういうことか。
どこかのクソゲーか神ゲーか知らんが、熱中した世界の中に、彼女が求める何かがあるんだろう。
Haru: へえ? そこって綺麗?
Lian: たぶん……
確信がないってのがいい。
実際に見たことがない、でもきっと、綺麗なはずだって思える場所。
俺たちみたいに、どこにも居場所がない奴が、勝手に理想を重ねるための場所。
Haru: いいねぇ、じゃそこで、夕日を見ながら決行で
Lian: そこは天国ですか?
Raraの言葉に、俺は少しだけ考えた。
天国なんてクソくらえだ。でも、ここじゃないどこかを夢見たっていいだろう。
Haru: ああ、俺たちの聖地カナンだ
──こうして、俺たちの短い旅が始まった。
死に場所を求める旅。
夏の風が、俺たちの影を揺らしている。
この旅の終わりには、何が待っているのかなんて、最初から考えていなかった
◆・◆・◆
─ 莉杏SIDE ─
パソコンの画面に映るチャットのログが、次々と消えていく。
Haruがログアウトし、Raraがそれに続いた。
私はしばらくカーソルを眺めたまま動けなかった。
画面の隅で点滅する「ログアウト」のボタンを、静かにクリックする。
ディスプレイが暗くなり、部屋には静寂だけが残った。
外では夏の夜の気配が漂っている。窓の隙間から入り込む風が、肌に少し冷たい。
ふと、言葉がこぼれた。
「赤ちゃんができたこと知ったら、先生、困るよね……」
声に出した瞬間、それがどれほど重いものなのかを改めて実感する。
先生はまだ何も知らない。知らないままの方が、きっといい。
でも、もし知ったら――どうするだろう?
困るに決まってる。先生は私のことなんか、望んでいなかったんだから。
私は深いため息をついた。
胸の奥が、鉛のように重い。
先生だけじゃない。パパとママだってそう。
この子のことがバレたら、私を厄介者扱いするに決まってる。
パパとママの「完璧な娘」には、なれなかった。
でも、だからといって、「できそこないの娘」になるのは、もっと嫌だった。
私と赤ちゃんがいなくなれば、みんな困らない。
そう思ったから、あのサイトにアクセスした。
「自殺志願者の約束の地」――自分と同じ人を探すための場所。
そこには、私と同じように、いなくなった方がいいと思っている人たちがいた。
そして、私は二人に出会った。
HaruとRara。
画面の向こうにいる彼女たちは、私と違って、強そうに見えた。
特にHaruは、自殺を決めてるくせに、まるで「最後の楽しみ」とでも言うみたいに、旅に興味を示していた。
Raraは、何も言わないのに、不思議と受け入れてくれる雰囲気があった。
「約束の地……」。
ふと、私は口の中でその言葉を繰り返す。
廃村、誰もいない場所、時間が止まったみたいな風景。
最後に見る場所としては、悪くないかもしれない。
だって、あそこは私が一番好きだったゲームの舞台になった場所。
画面の中で何度も駆け回った、憧れの世界。
もし、ゲームの中に入ることができたら――なんて子どもみたいな夢を、本気で考えたこともあった。
その場所に、今度は私の足で行くんだ。
HaruとRaraと一緒に。
なんだか、少しだけ、心が軽くなった気がした。
不安が、ほんの少しだけ、希望に変わっていくのを感じる。
部屋の中は静かだった。
でも、私の心の中では、確かに何かが動き始めていた。
◆・◆・◆
─ ラァラSIDE ─
「ありがとう、おじさん」
ラァラは、パソコンを借りた浮浪者仲間のおじさんに頭を下げる。
おじさんは携帯テレビに視線を向けたまま、無造作に片手を振った。
「おうよ、別に構わねえよ」
携帯テレビの画面には、流れるニュース。
日本語はまだ完璧じゃないけれど、それでも単語はよく聞き取れた。
「不法滞在」、「事件」、「逮捕」、「社会問題」……
そして、そのあとに続く街の人たちの怒りの声。
「またかよ……」
おじさんは溜息をついて、ラァラに顔を向けた。
「こいつらが悪さするから、俺ら移民が肩身狭くなるんだよなぁ」
ラァラは少し俯き、小さな声で呟く。
「ごめんなさい」
おじさんは一瞬驚いたように目を丸くし、それから首を振った。
「ラァラが謝る必要なんかねえよ。おまえの母さんも、たしかに不法滞在者かもしれねえけど、それ以外に悪さなんかしてねえだろ?」
おじさんはコップの水をぐいっと飲み干し、少し息をつく。
「それに、ラァラは日本で生まれて、日本で育ったんだ。もう、ここの人間みてえなもんじゃねえか」
ラァラはゆっくりと首を振った。
「……ラァラは、この国の人ではありません」
「そんなこと――」
「不法滞在の子のラァラは、いない方がいいのです」
おじさんは何かを言いかけて、結局口を閉じた。
ラァラは、もう一度おじさんにお礼を言って、寝床へと戻る。
◆・◆・◆
夜風が吹き抜けるゴミ山の一角。
壊れた建物の隙間に、小さくなって毛布にくるまる。
眠るたびに思う。
明日、目が覚めなければいいのに、と。
でも、目を閉じると、約束の地のことが頭をよぎった。
ラァラはまだ見たことのない場所。
Lianが「きっと綺麗」と言った、その夕日の色を想像する。
……悪くないかもしれない。
そこで終わりにするのなら。
◆・◆・◆
朝になり、ラァラは川で水浴びをした。
冷たい水が肌を刺すようで、震えながらも、何度も体と頭を洗った。
人と会うのだから、できるだけ綺麗にしないといけない。
それでも、汚れた服は変えようがなく、やっぱり少し小汚い布切れのままだった。
待ち合わせ場所に少し早く着くと、遠くから誰かが歩いてくるのが見えた。
「おい、ガキ。なんだよ」
その人は、ラァラを見て、露骨に眉をひそめた。
「Haruですか……ラァラです」
「ラァラぁ? ああ、Raraっておまえか。そうだよ、俺がHaru。遥香だ」
遥香は面倒くさそうに頭を掻き、それからラァラの全身をじろじろ見た。
「にしても、汚ぅたねえ格好だな。それが死に装束とか、締まらねえ」
ラァラは黙って視線を落とした。
汚れているのは知っている。でも、仕方のないことだった。
遥香は何かを考えるように腕を組み、それから「着いてこい」と歩き出した。
連れて行かれたのは、子供服の売り場だった。
棚に並ぶ服は、どれもきれいで、ラァラが普段触れないようなものばかりだった。
遥香は適当に白いワンピースを選び、レジに向かう。
そして、何の迷いもなく、それを買った。
「……いいのですか?」
ラァラは申し訳なさそうに言った。
「ガキがいらねえ心配すんな。そういうときは『ありがとうございます』って言うんだよ」
「ありがとうございます」
「よし、偉い」
遥香は、満足そうにラァラの頭を軽くポンと叩いた。
莉杏と合流するまで、少し時間があった。
どこかから、香ばしい匂いがする。
「いいにおいがします」
ラァラがそう言うと、遥香は近くの屋台を見て、「ほらよ」とたこ焼きを買ってくれた。
「おまえ、たこ焼き食ったことねえのか?」
「……たこ焼きとは何ですか?」
「はぁ……普段、何食ってんだよ」
「レストランの捨てられる料理を、少し分けてもらってました」
ラァラが淡々と答えると、遥香はピタリと動きを止めた。
そして、少しだけ顔をそむけて、目元をこする。
「どうしましたか?」
「……な、なんでもねえよ。目にゴミが入っただけだ」
遥香の声がどこか震えていた。
「……あの……HaruさんとRaraさんですか?」
小さな声が、二人の間に落ちる。
振り向くと、そこには。
「ええと。Lianです。莉杏です。あれ?音にすると同じでしたね」
莉杏が立っていた。
──こうして、三人がそろった。
約束の地へ向かう、最初の一歩が、ここから始まる。