32話 医務室の朝
静寂をやぶるように、どこかでカーテンを引く音がした。
ハルは薄ぼんやりとまぶたを開き、天井を見つめる。見慣れない白い布と、薬品の匂い――どうやらここは砦内に設けられた医務室のようだ。
「……ここ、どこ……?」
砂漠のような乾いた感覚が喉を刺す。声を出すたびに、身体のあちこちが痛む。
視界をめぐらすと、同じベッドが幾つも並んでおり、仕切り代わりの白いカーテンがかすかに揺れていた。医療スタッフらしき人影が慌ただしく行き来するのが見える。
「お、ハル、起きた?」
聞き覚えのある声が耳に飛び込み、ハルは慌てて首を動かす。隣のベッドには、包帯だらけのイオが背もたれを起こした状態で座っていた。右肩にがっつり固定具が装着されているが、ピンとした表情には少し余裕も見える。
「イ、イオ……。そっちは大丈夫?」
「ま、なんとかね。先生に『しばらく雷魔法は控えなさい』って言われちゃった。肩の捻挫は長引きそうだってさ」
イオは苦笑しつつも、「でも命に別状はないみたい。あんたは? 痛む?」と尋ね返す。
ハルは少し身体を動かし、肩や腰、腕に鈍い痛みが走るのを感じた。全身がだるくて、数日分の疲労が一度に押し寄せたような気分だ。
「僕も、似たようなもん。とりあえず生きてる……よかった……」
ほっと安堵を漏らしたそのとき、カーテンの向こうからルークが頭を出し、声をかける。
「お前ら、起きたなら顔くらい洗え。こっちはもう退院していいって言われたぜ。足の打撲だから大したことねえってさ」
ルークはまだ短杖をつきながら歩いているが、昨日ほどの苦しそうな面持ちではない。口調にもいつもの軽い調子が戻りつつある。
「ルークこそ、あれだけ大技使ったのに平気なの?」
イオが尋ねると、ルークは「まあ、しばらくデカい魔法は無理だろうけど、死にはしねえよ」と不敵に笑う。
「アリアは……?」
ハルは周囲を見回しながら問いかける。すると少し離れたベッドで、アリア・シルヴァリーフが看護師に肩の包帯を巻かれているのが見えた。顔色はまだ青白いが、意識はあるらしく、小声でやり取りをしている。
視線に気づくと、アリアもこちらを一瞥して軽く頷いた。気丈な彼女らしく「大丈夫だから心配しないで」という意思表示なのだろう。
「みんな、なんとか……生き残ったんだ……」
ハルは自分の胸にそっと手をあて、込上げる安堵を噛みしめる。
思えば、最後のラストスパートは完全に限界を超えていた。それでも仲間と助け合い、第三試験をやり抜いた。合格できたのかどうか……そう考えた瞬間、イオが先に答えてくれる。
「ハル、“合格”だってさ。昨日のうちに一次判定されて、あたしたちがゴールした時点でセーフになったらしいよ」
「そっか……そうなんだ……」
ハルの瞳が潤みそうになる。ここまでの苦労が報われた実感に、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。
「まあ、まだ正式な式典は後日だって聞いたぜ。でも、ちゃんと『第三試験合格』だとさ。おめでとうな、ハル」
ルークが短杖を軽く振って笑うと、イオも「ほんと、おめでとう」と微笑む。
「ありがとう……みんながいなかったら、僕ひとりじゃ絶対無理だった。イオもルークもアリアも……」
しみじみと感謝を口にするハル。イオやルークは「こっちも同じだって」「ま、協力プレイも悪くなかったな」と、まばたきしながら苦笑した。
だが、その笑顔の裏には、ある引っかかるものがあった。ハルは一瞬黙り込み、まぶたを伏せる。
(……ヴェルンは、その後どうなったんだろう……)
***
静かな石造りの通路を、スーツ風のローブを纏った女性教師エリザ・ハークウィックが歩いていた。
後ろには鎧姿の警備当局員が二名控えている。その先の鉄格子の向こうには、一人の少年――ヴェルン・ヴェルプレインが簡易ベッドに横たわり、拘束具をつけられた状態で起き上がっていた。
ヴェルンは腕を組み、澄ましたようにローブの埃をはらいながら、エリザたちを一瞥する。
「ふうん……これが学院の“地下留置所”か。想像してたよりずっと地味な場所だね」
口調は飄々としているが、どこか力が入らない様子。粘土怪人として暴走した後遺症も残っているのか、顔色は青白く、時折苦しげに胸を押さえている。
エリザは書類を読みながら、淡々と手続きを進める。
「あなたは『粘土怪人』として多くの受験生を危険に陥れた。詳細はまだ調査中ですが、重傷者が多数。本人は当局へ引き渡され、正式に裁判を受ける可能性が高いわ」
「へえ……随分と手早いじゃないか。僕の意識が戻ったばかりなのに」
ヴェルンは唇を曲げて皮肉めいた笑みを浮かべる。
エリザは書類を閉じ、静かな口調で続ける。
「本校は厳粛に試験を行う立場。この事件を見過ごすわけにはいかない。あなた自身も試験妨害であり、重い処分は免れないでしょうね」
「そりゃそうだ。でも、僕からすれば、学院側がもっと最初から真剣に腐敗を正していれば、こんなことにはならなかったかもしれないって思うけど……ねえ?」
ヴェルンは嘲るように笑ってみせる。だが、視線を落としたその瞳には、どこか迷いの影が差していた。
エリザは肩をすくめ、口元に苦い笑みを宿す。
「腐敗……ですか。あなたの言い分は理解できないわけではありませんが……。いずれにせよ、あなたのやり方は許されるものじゃない。そこは理解してもらいます」
ヴェルンは何も答えず、薄暗い天井を見上げる。自信に満ちていた態度は少し揺らいでいるようだ。
しばしの沈黙の後、エリザが紙束をめくりながら言い放つ。
「……まあ、あなたにも再チャレンジの資格はあります。形式上は“18歳までの受験”が認められていますから。実際に挑むかは、あなたの自由ですけれどね」
ヴェルンがうっすらと目を見開く。
「は? 僕がまた学院を受験するって? 冗談だろう、それこそ“粘土怪人”がのこのこ出向くなんて笑い話にもならない」
エリザはローブの襟元を整え、あくまでも事務的な口調を崩さない。
「いいえ、本校はそういう制度です。もちろん裁判結果次第では、いろいろ条件がつくでしょうが、あなたが『もう一度目指したい』と望むなら、その扉を完全に閉ざすわけではない。――なんて、皮肉に聞こえるでしょうけれど」
ヴェルンは舌打ちしそうになりつつ、荒い呼吸を鎮めるように目を伏せる。
(どうせ“普通”に受け入れられるわけがない……。でも……あいつらは……あのハルたちは……?)
「あいつら……ハルたち、無事に合格できたんですかね」
思わずヴェルンの口からこぼれた問いかけ。それは自分でも驚くほど自然に出てしまった言葉だった。
エリザは少し驚いた表情で眉を上げ、静かに首肯する。
「ええ。あなたが原因を作った“粘土怪人騒動”に巻き込まれながらも、彼らはレースを完走しました。……おめでとうと、伝えておきましょうか?」
ヴェルンは苦い笑みを浮かべたまま、軽く首を振る。
「伝えなくていいですよ。どうせまた『誰かを守る』とか言い出す連中だから……」
「……そうですか」
エリザはそれ以上追及せず、黙って書類をカバンへと収める。
「では、私はこれで。警備当局が正式にあなたの身柄を引き取るまで、ここでおとなしく養生なさい」
ヴェルンは曖昧な表情のまま、視線を落とす。薄暗い天井の灯りが硬い床に反射し、彼のメガネにかすかな輝きを落とす。
外には、静かな夕闇が落ち始めていた――。
***
「……ヴェルン、どうなったんだろう」
ベッドの上でハルはぽつりと呟く。隣でイオが「さあね……警備隊が回収したんだから、それなりに罰は受けるんじゃない?」と肩をすくめる。
ルークも短杖を片手に頭をポリポリかきながら、「ま、いろいろ文句つけたい奴だけど、お前みたいにあの場で見捨てなかったのも事実だしな……」と少し複雑そうに視線を落とす。
「……ヴェルンも、最初からああだったわけじゃないと思う。いつかまた、どこかで彼と話せるといいんだけど……」
ハルはそう言いながら、枕元に置かれた花瓶の水面をじっと見つめる。医療スタッフが好意で置いていった小さな花束が、どこか儚く揺れているのが目に映る。
アリアもリハビリがてら歩けるようになったのか、少し離れたところから「考えすぎても仕方ないわ。私たちはもう試験を乗り越えた。まだ正式発表は先だけど、合格が確定したのは事実……。しばらく休養に専念して、そのあとのことはゆっくり考えましょ」と、落ち着いた声で励ます。
ハルはそれに応えるように、静かに微笑んだ。心の奥ではヴェルンの行く末を案じつつも、今は仲間と自分の身体を労る時期だ。
「うん……ありがとう、アリア。みんなも、お疲れさま……」
やがて看護師が「そろそろ薬を飲んで横になってください」と声をかけ、イオやルークも素直に従う。明日からはいよいよ学院に正式入学――その手続きや式典が待っている。
夕闇が医務室の窓を染める頃、ハルはそっと眼を閉じた。ぼんやりと夢のように浮かぶのは、壮大な学院の正門をくぐり、仲間とともに“学び舎”で魔法を磨く自分の姿。
そして、いつか遠い未来――ヴェルンとさえ再会できるかもしれない。もし、その時が来るなら、今度こそ“同じ志”を胸に語り合えることを願って……。
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