26話 歪んだ理想
湿地の濃霧の中で、粘土質の“怪物”が大きく崩れ落ちる。その泥の隙間から覗いたのは、見覚えのあるメガネフレームだった。
「ヴェ、ヴェルン……? 嘘だろ……!」
ハルの声が霧に溶ける。
イオは肩を押さえてうずくまり、アリアは槍を杖代わりに膝をつく。彼らの視線の先で、灰色の粘土がドロリと流れ落ち、その中からはまぎれもない“ヴェルン”が顔を出していた。
泥まみれの彼はごくりと喉を鳴らしながら、メガネをクイッと押し上げる。いつもと同じ仕草のはずなのに、そこには冷たい光しか宿っていない。
「やあ、まさかここまで来るとはね。アリアさんの槍、そして君たちの粘り強さには驚いた。ま、正体を見破られた以上、もう隠す意味もないけどね」
湿地の泥がゆっくり剥がれていくと、ヴェルンの人間らしい肌が露わになる。とはいえ、それは完全な“人”の姿とは言いがたい。時折、彼の腕や脚から粘土が波打つようにうごめいているのだ。
「ヴェルン……ほんとにお前が、あの“粘土怪人”だったのかよ。去年の受験生狩りも全部……?」
泥まみれの髪をかき上げながら、ルークが苦しそうに問いかける。彼の胸には先ほどの衝撃の名残がはっきりと焼き付き、いまだ息を整えられずにいた。
ヴェルンはどこか憐れむような、それでいて嘲笑するようなまなざしを向け、口の端をゆるく歪める。
「“受験生狩り”ね。呼び名としては的を射てるかな。学院にふさわしくない偽物を排除するのが僕の目的さ。あの“ツタ魔法”も土の粘土を緑に偽装しただけ。誰も疑わないから、実にやりやすかったよ」
その告白に、ハルたちは言葉を失った。ツタで仲間を助けてくれたはずのヴェルンが、実は土魔法の真の使い手であり、受験生を何人も襲う“粘土怪人”だったとは。
怒りと悲しみが混じり合い、ハルは思わず声を荒げる。
「どうしてだよ……ヴェルン、君は優しい人だと思ってた。なのに、なんでこんなことを……!」
ヴェルンは鼻で笑い、濡れたメガネを指先で拭う。
「……ハルさん、僕も昔は、君と同じだったよ。勇者に憧れ、学院を目指す子どもだった」
ヴェルンの瞳は酷く暗い光を宿していた。
「でもね……子どもの頃、僕の村で見た光景はどうだったと思う? 学院出身のエリートたちは威張り散らしていただけで、魔物が出現した途端に逃げ出したんだ。結局、僕らが襲われたとき、誰も助けてはくれなかった。僕の家族や村の人々が惨殺されてる間に、彼らは我先にと逃げ出していったのさ」
そこには深い怒りと、忘れがたい絶望が刻まれている。
ヴェルンの声は震えてはいないが、その響きは冷え切っていた。
「あんな連中を生み出す学院は間違ってるだろ? 本当にふさわしい者だけを残す──それが僕の正義さ」
「そんなの……そんなの、みんなを襲う理由にならないよ!」
イオが苛立ちを込めて声を張るが、怪我で体は思うように動かせない。彼女の雷撃も、すでにほとんど力を失っていた。
ヴェルンはかすかな霧の中で身体を揺らし、粘土の腕を少しずつ形作っていく。
「理屈でわからないなら、力でわからせる。僕は強い者だけが学院に集うべきだと思ってるし、弱い連中を粛清するのもその一環。去年も今年も大半は排除できた。君たちが邪魔をしないなら、もっと効率的だったのに」
「ふざけるな……そんなの……ヴェルン、君のやり方は絶対に間違ってる……!」
ハルは短剣を握り込み、うつむいて歯を食いしばる。仲間が倒れかけている中、もう自分が動かなければならない。先ほどまで枯れかけていた決意が、不思議と燃え上がってくるのを感じる。
「それで? ハルさん、君の“1mテレポ”で、僕を止めるつもりかい? ああ、そういえば、チマチマとした迷路攻略なんかには便利だったっけ。けど、真っ向勝負じゃ火力不足もいいとこだろう?」
ヴェルンはあざ笑うかのように、にやりと口角を引き上げる。
「この泥だらけの湿地じゃ、足場も最悪だし、雷や水魔法も使いづらい。ましてや、肩を負傷したアリアさんやイオさんに戦う余力はない。もう詰んでるように見えるけど?」
粘土の腕は再び触手のように伸び、じゅるじゅると音を立てながら泥を吸収する。巨大化していく粘土の塊に、霧がかき混ぜられるように揺らいだ。
「……逃げないよ。たとえ君が見た“学院の戦士”がみんな口先だけだとしても、僕はそうならない。ここで君を、絶対に止めてみせる……!」
ハルは、荒ぶる胸の鼓動を抑えるように深く息を吸う。
粘土怪人――いや、ヴェルンは笑みを浮かべながら、腕を構える。
「いいね、その顔。意気込みだけは真の勇者かもね。口先だけじゃないってところを見せてくれよ……その地味なテレポートでね」
ジリジリと広がる不気味な殺気の中、夕刻の光が濁った湿地に溶けていく。周囲の受験生はほとんど動けず、呼吸するのもやっとの状態だ。
イオとルーク、アリアがはいつくばるようにハルを見つめる。
相手は元・仲間。だが、今は“学院の名”を嘲笑い、“弱者の粛清”を続ける恐るべき強敵。
1メートルのテレポートごとき勝ち目があるのか、自分でもわからない。けれど、ここで退くわけにはいかない。背後の仲間たちを守らなければ。
(僕は……絶対に逃げない――!)
風がふわりと霧を裂き、一瞬だけハルの姿がはっきりと映し出された。ハルは短剣を胸の高さに構え、わずかに腰を落として踏ん張る。泥に沈む靴から伝わる冷たさが、逆に思考を冷静にしてくれている気がした。
一方、ヴェルンは“粘土怪人”の姿をほぼ保ちながら、すでに腕を振りかぶっていた。ヴェルンの触手がぐねぐねと蠢く。
「さあ、ハル。……死にたくなければ、全力でかかってきなよ」
息を飲むほどの静寂が、濁った湿地を覆い尽くす。夕闇に染まる湿地の戦場で、ハルとヴェルンの視線が正面からぶつかり合う。
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