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25話 暴かれる仮面

白い霧が、森と湿地をまるごと包み込むように広がっていた。

その濃密な幕の向こうで、ルークとイオは“粘土怪人”と対峙している。

互いに息を呑み、まるで足に鎖がかかったように動けないまま、じりじりと距離を測っていた。


灰色の泥が塊になったようなその姿は、人型を保ちながらも無数の触手をうごめかしている。

濡れた地面を這うたびに、ぬるりとした不快な音が響き、耳の奥をぞわりと刺激した。


(いったい、こいつは何なんだ――)


ルークは短杖を構えたまま歯を食いしばる。

湿気でじっとり汗ばんだ肌に加え、背後から氷の刃を突きつけられるような得体の知れない恐怖が、思考を凍らせようとしていた。

それまで多くの魔物を相手にしてきたが、ここまで体が強張る相手は初めてだ。


「……来るよっ!」


イオの鋭い声が鳴り響いた次の瞬間、粘土怪人の背面から伸びた触手が地面を勢いよく叩き、泥水を派手に跳ね上げる。

その一撃だけで、受験生が数人まとめて薙ぎ倒されても不思議ではないほどの威力だ。


イオは拳を固め、右腕に雷の魔力を宿す。

霧と湿気のせいで思うように放電が広がらないのがもどかしいが、今は全力を叩き込むしかない。


「やああっ! 雷閃突(らいせんづ)きッ!」


青白い電光をまとった拳が、一直線に粘土怪人の胴部を襲った。

雷撃を伴う殴打なら、普通の魔物なら即座にひるむはずだ。

だが――


「めり……」


鈍い音とともに泥の表面が少し抉れたように見えたものの、粘土の身体はぐにゃりと衝撃をいなし、裂けた部分はすぐさまぬるりと再結合してしまう。

電撃の光も広がる前に霧へ吸い込まれ、粘土へ大したダメージは与えられない。


「嘘でしょ……効いてない!?」


驚愕の色を浮かべるイオ。

彼女の雷は相手の体内に衝撃を与えるのが持ち味。だが“粘土の塊”には、有効打がまるで通じない。

すると粘土怪人は、攻撃をいなしきった勢いで近距離から触手を伸ばし、イオの肩や腰を狙うように巻きつけようとする。

泥に足を取られて後退がままならないイオは、思わず声を上げる。


「や、やめろっ……!」


その触手が振り下ろされる直前、横合いからルークの水刃が襲いかかった。

軽く振りかぶった《ウォーター・カッター》が、触手をスパッと切り裂き、泥がバシャリと飛び散る。


「イオ! 下がれ!」


ルークの叫びを聞き、イオはどうにか後方へ転がりこむようにして間合いをとる。

尻餅をついた格好にはなったが、致命傷だけは避けられた。


「ありがとう……! でも……」


礼を言いかけたイオの視線が、再び粘土怪人へ向かう。

切り離されたはずの粘土の腕が、泥の上をはうようにして本体へ戻り、ずるずると再び接合を始めているのだ。


「ふざけんな……また再生してやがるのか」


ルークは苦々しげに呟くと、今度は大きめの水塊を作ろうと魔力を高める。

腰まである泥をすくい上げ、カマ状の刃に固める算段だ。

だが、霧と湿気、そして泥水が混ざるこの状況では水流の形が安定せず、重力に負けてすぐ崩れ落ちそうになる。


「くそっ、こんな時に……集中できねぇ……」


そこへ粘土怪人が、ルークの一瞬の隙を見逃さずに触手をしならせて鞭のように叩きつけた。


「うわああっ……!!」


短杖で辛うじてガードしたものの、粘土の衝撃は予想以上に重い。

ルークの胸から腹にかけて激しい痛みが走り、呼吸が止まりそうになる。

放しかけた水魔法が砕け散り、ルークは泥の上へ転がりこんだ。


「ルーク!!」


イオは叫びながら駆け寄ろうとするが、粘土怪人が回り込んでくるため視界を遮られ、さらに足元の泥が動きを阻む。

雷の拳がまともに通じない絶望感がイオの体を強張らせる。


(まずい……ルークがやられる! でも私も攻撃が通らない!)


相手は通常の生物と違い、どこを攻撃しても瞬時に再生する。急所など存在しないかのようだ。


一方のルークは、粘土の一撃で呼吸すらままならない状態だ。「ぐあ……っ」と呻いて顔をしかめ、泥まみれになりながら懸命に起き上がろうとするが、腕が震えて上体を支えられない。


「い、イオ……逃げろ、こんなの相手にならねえ……!」


その声は痛みと恐怖でかすれていた。

普段は軽口を叩く彼が、完全に戦意を喪失するほど、粘土怪人の圧は桁違いだ。


「で、でも……他の受験生たちだって襲われてるんだよ!?」


「知らねえよ……俺だって死にたくねえ……足が……動かねえんだよ……!」


泥を悔しげに叩きつけるルークだが、目は恐怖と痛みで限界寸前。

頼みの水魔法もこの粘度には通用しないと痛感している。


「私だって怖いよ……でも、逃げたらどうするの!? このままじゃみんなやられちゃう!」


イオは再び雷拳を構え、必死に意識を集中する。

霧の奥で、粘土怪人が泥を取り込みながらさらに巨大化しているように見えた。

ぬるり、ぬるりと足を進めながら、イオを取り囲むように動きを封じようとしている。


「やるしかない……! 誰かが止めなきゃ被害が広がるだけだもん!」


拳こそ自分の武器――雷が自分の生命線。

その覚悟を胸に、イオの瞳が決意の炎を宿す。

ルークが「やめろ……!」と止めようとする声を振り切り、彼女は全力で前方へ突進した。


雷拳(らいけん)――ッ! うおおおおっ!!」


雷の拳を最大限まで高め、粘土怪人の右側面に猛スピードで打ち込む。

周囲の霧が瞬間的に閃光で満ち、びりびりと空気が震える。

さらに左拳を畳みかけるように追加で叩き込むが、粘土の体は欠損部をすぐに取り戻し、再びぬめり音とともに融合してしまう。


「なんで……どうして効かないの……!」


イオの声が絶望に染まる。

何度雷撃を打ち込んでも再生速度に追いつけず、逆に粘土怪人が攻撃後の隙を狙って腕を伸ばしてきた。


「くっ……ああぁっ!」


イオの右肩に粘ついた触手が巻きつき、まるで生き物のようにじわじわと肌を締めつける。

息苦しさに視界が霞み、逃げ場などどこにも見当たらない。


(やばい……このままじゃ私……!)


視界の端に、ルークが必死で立ち上がろうとする姿が見えた。

だが、今の彼には再戦できる力が残っていない。

もうここで自分はのみ込まれる――そう覚悟しかけた、その瞬間。


「《ウィンド・スラッシュ》ッ!」


突如、強烈な風がイオの横合いから弧を描き、粘土怪人の“頭部”を斜めに裂いた。

湿地の空気を切り裂くその刃で、怪人の動きが一気に鈍り、イオを捕えていた触手も思わず力を緩める。

イオは力の限りもがき、なんとか肩の拘束を外して泥の上に転がった。


「イオ!!」


聞き覚えのある声――ハルだ。

1メートルテレポートで触手の間合いへ割り込むように飛び込み、さらに粘土怪人の腕をかき乱す。その一瞬の混乱でイオは拘束を逃れ、反動で後方へ吹き飛ぶようにして安全圏へ滑り込んだ。


「イオ、大丈夫か……!?」


ハルが駆け寄ると、イオは咳き込みながらも「助かった……!」と弱々しく笑みを漏らす。

しかし、体中に擦り傷や打撲が見え、明らかに限界が近い。


傍らには風を放ったアリアが、槍を支えに膝をついていた。

痛みに耐えるその表情には、無理やり魔法を使った代償が刻まれている。

アリアの腕からは血が流れ、苦悶の色がにじむが、それでも粘土怪人から視線を切らない。


「ア、アリア……! その腕……」


「い、いまは……私の傷なんか放っておいて! あいつを……!」


荒い呼吸の合間に、アリアは槍をぎゅっと握る。

さきほどの斬撃で怪人の頭部が大きく削れ落ち、その断面に何やら人の顔が覗いているのが見えた。


泥の隙間から覗くのは――濡れたメガネのフレーム。

半分沈んだ状態で懸命に視界を保とうとするように揺らめいている。

それを見て、ハルは愕然と息を呑んだ。


「ヴェルン……?」


誰もが知る、優しい眼鏡の少年。

土まみれのその顔は、確かにヴェルン・ヴェルプレインだった。

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