24話 霧の中の怪物
「よし、ここをまっすぐ……の、はず……」
ルーク・バスティオンは地図とにらめっこしながら、足元の泥を何とか払いのける。
細かい雨粒こそ降っていないものの、湿地特有の霧がゆらゆらと立ちこめ、空気はべったりと肌にまとわりつくように湿っぽい。
彼の相棒であるガロカリスも、ぬかるみに脚を取られるたび、不安そうに短い嘶きを上げていた。
「うええ……もう靴がべちゃべちゃだよ」
イオ・トールノは、半ば泣きそうな顔で頬をふくらませる。髪が湿気に逆らうようにふわふわ広がり、彼女が得意とする雷の火花も、どこか不安定に見える。
「仕方ねーだろ。道間違えるわけにもいかないし。ここ、 地図だと最短ルートって書いてあるんだけどな……ああ、くそっ、足元が最悪だ」
ルークが苛立ち紛れに舌打ちする。少し進むたびに泥がへばりついて、ガロカリスの脚が沈み込みそうになる。
野営地で仕入れた地図には「湿地帯を抜ける道」だと記載されていたが、実際に来てみると想像以上にぬかるんでいて、とてもスピードを出せる状況ではない。
***
あたりを見回せば、長い草が腰のあたりまで生い茂り、その奥に水たまりや小さな沼が点在している。
腐葉土が混じった泥水のにおいが鼻をつき、ときおり 大きなヒルや虫が蠢いているのが視界の片隅に見え隠れする。
「はあ……まさか、こんな気味悪い場所を通ることになるなんて……」
イオが拳にほんの少し雷のオーラをまとわせ、近くの水面をバチバチッと照らしてみる。
しかし、霧のせいで光が拡散し、奥の状況がほとんど分からない。逆に白いモヤだけが広がり、見通しはむしろ悪くなってしまった。
「うわ、ダメだダメだ。むしろこっちが目くらましだよ。雷光が霧に散って見えにくい……」
イオは慌てて魔力を引っこめ、うんざりした表情を浮かべる。
「まだ正午前後くらいだけど、ここでモタモタしてたら日没までにメイリー砦行けなくなるぞ」
ルークは自分の懐中時計を確認しながら小声でつぶやく。
湿地を抜けた先に待ち受けるのは広大な沼地かもしれないし、もし道を間違えたらやり直す時間すらないのだ。
「わかってるって。でも、思ったよりここ道が枝分かれしてない? さっきの分岐、あれ本当に合ってたのかな……」
イオは不安げに振り返る。今はしんと静まり返った霧の中、誰もいない。試験官どころか他の受験生の姿すら見当たらない。
「それが一番こえーんだよな……。もし道を違えたら終わり。引き返す時間もないし」
ルークが苦い顔で肩をすくめる。雨こそ降っていないが、気温は高めでジメジメとしている。背中にじっとりと汗が張りつき、体力をじわじわ奪っていく。
***
「ね、ルーク。ちょっと一休みしようよ。ガロカリスも足を引きずってるみたいで、痛そうなんだよ」
イオがガロカリスの脚を心配そうに見つめる。沼地のぬかるみで何度かバランスを崩しかけており、乗騎自身がかなりのストレスを感じているのが伝わる。
「はぁ……まあ、ムリに突っ込んで怪我させたら大損だからな。わかった。ちょっと固めの地面探そう」
二人は泥の中を慎重に進み、わずかに高い丘のようになった場所を見つけると、そこへガロカリスを休ませた。
ガロカリスは 安心したように大きく鼻を鳴らし、イオは「よしよし」と頭をなでてやる。
「はあ……もうお昼っぽいし、ここで食料補給でもするか。味わう余裕もないけどな」
ルークは持参していた 干し肉を取り出して軽くかじる。疲れで味覚が鈍っているのか、ほとんど感動がない。
イオも「おいしいご飯食べたいなあ……」とため息をつきながら、水筒に口をつける。
***
休憩を始めた途端、霧がさらに濃くなった。
遠くの草むらが白くかすみ、木立のシルエットがぼんやり揺れる。
微かに風が吹くたび、モワッとした湿気がまとわりついてくるようで、イオは思わず肩をすくめた。
「やだね、この感じ……視界がこのままだと、粘土怪人だって簡単に近づけるじゃん。おまけに足場はドロドロ……雷も水魔法も思うように使えなくて最悪……」
彼女の言葉に、ルークも緊張した面持ちでうなずく。
“粘土怪人”は各地で受験生を襲っているらしく、レースが進むほど被害者が増えているという噂だ。
二人はまだ直接対面したことはないが、その不気味さは何度も耳にしている。
「……まあ、ここで立ち止まってても仕方ねぇ。ガロカリスがちょっと休んだら先を急ごう。霧がもっと濃くなる前にな」
「だね。今のうちに、距離を稼がないと。いざ粘土怪人が出ても、あまり長期戦はしたくないし……」
そう言いながら、二人は目を合わせて軽くうなずき合う。
湿地を出たあとの道のりがどれだけハードか分からない以上、ここで遅れるのは致命的だ。
***
食料を少し補給し、気力を取り戻したころには、霧はさらに濃くなっていた。
それでも彼らは意を決して乗騎を進める。
地面が少し堅そうなところを探しながら歩を進めるものの、視界はわずか数メートル。
誤って穴や沼に落ちる可能性を考え、ガロカリスの速度も上げられない。
そのとき、白いモヤの向こうから突然「ぎゃあああっ!」という凄まじい悲鳴が響き渡った。
「な、なんだ!?」
「今の、受験生の声……!?」
イオとルークは同時に声を上げる。ほかにも複数人が騒いでいるのか、「助けてくれ!」「化け物だ!」という断片的な叫びが混じって聞こえてくる。
二人の心拍数が急激に高まり、湿った空気がさらに重苦しく感じられる。
「化け物……やっぱ粘土怪人か!?」
イオは拳に雷の電流をまとおうとするが、まるで湿気が磁場を狂わせるかのように火花が散り散りに広がり、バチバチと音だけが虚しく響く。
ルークは短杖を握りしめながら「ちくしょう、水魔法も泥だらけの水じゃきれいに操作しづれぇし……」と苛立ちを口にする。
しかし、悲鳴は切羽詰まったものが多く、もはや聞き流せる状況ではない。
「……行くか、イオ? このまま知らんぷりはできねぇよな」
「そうだね……正直怖いし、こっちも危ないかもしれない。でも……放っておけないよ!」
二人は意を決してガロカリスの向きを変える。
極力静かに、けれど急いで霧の中を進むと、まもなく悲鳴が途切れ、妙な沈黙が広がった。
「おい……嘘だろ……もう全滅とか、そんなのナシだろ……」
ルークは背筋を寒くしながら、声を上げて呼びかけるが反応はない。
やがてぬかるみに ぐったりと倒れ込んだ受験生たちの姿が目に入る。二人ほどは意識を失っているようで、もう一人がなんとか上体を支え、ゼーゼーと苦しげに息をしていた。
服には粘土のようなものがべっとりとこびりつき、酷い悪臭を放っている。
「く、くそっ……! あんたたち大丈夫か!? 粘土怪人に襲われたのか?」
イオが駆け寄ると、その受験生は荒い息の合間に「や、奴は……あっちへ……消え……た……」と霧の中を指さして崩れ落ちる。
見れば 何かが引きずられたような痕が湿地の先へ続いているが、視界は真っ白で先が見えない。
「まじかよ……どこに潜んでんだ、この化け物……」
ルークの声が震える。すると、霧の向こうで べちゃり…という粘着音が響き、重たい水音が近づいてくるのが分かった。
二人が思わず振り向くと、霧のカーテンを割るように、ヌラリと灰褐色の塊が姿を現す――。
***
「…出た……!」
イオは拳に雷の火花を宿そうと必死になるが、湿度に負けて思うように力がこもらない。
ルークも短杖を構え、水の玉を作り出そうとするが、混じり合った泥が邪魔をして形がブレる。
粘土怪人は、ぼこぼこと膨らむ粘土質の体をくねらせながら 上半身だけ人の形を模すようにうごめいている。
足元は泥と同化しているようで、何本もの触手状の腕が絡まり合いつつ、じゅるり……と湿った音を立てていた。
「やばいやばい……あからさまにこっち狙ってるじゃん……! イオ、どうする!?」
ルークが焦り混じりに言うと、イオはグッと歯を食いしばり、何とか拳をバチリと光らせる。
「どうするって……決まってるでしょ……! ぶっ飛ばす!!」
震える脚をこらえながら、イオは前へ一歩踏み出す。
ルークも「逃げても追いつかれるなら、やるっきゃねえか……!」と覚悟を決めるように短杖を握り直した。
湿地に立ち込める霧の中で、二人と粘土怪人の対峙が始まろうとしていた――。
【作者からのお願い】
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
もし「面白かった」「続きが気になる」と少しでも感じていただけたなら、
ブックマーク と 評価(☆☆☆☆☆) を押してもらえますと大変励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします!




