#9 公爵夫人のダンスのお相手
濃緑の木々の長い影が夕闇に紛れ、いつのまにか南の空に昇った白い月が明るく地上を照らす頃、王宮の別邸では貴族たちを招いた晩餐会が開かれた。
トランペットやティンパニーを有する宮廷楽団が出迎えてくれる広くて荘厳華麗な空間には、テーブルいっぱいの豪華な料理の数々が惜しげもなく並んでいて、空腹の私の胃を否応なしに刺激する。
華やかな貴族たちが、ほとんどのメニューを手づかみで食べる習慣には驚いたけど、細かいマナーを気にしながら食べる必要がないのにはホッとした。
ただ、この光景に違和感を感じるのは何故だろう。
食事が進むにつれて胸やけを起こした私は、口直しを探してハッとした。
そうか、このメニューには野菜がないんだ!
でもそんなことってある?
緑の野菜は肉や魚の臭みを取るために添えられたハーブくらいで、ほぼ皆無。
もともとこの世界はマンガだから、作者が書き忘れたのかしら?
私は念のために、隣に座ったディアナに聞いてみた。
「ダイ、今夜のメニューに野菜はないの?」
「野菜って?」
「緑の葉っぱとか、土の中のイモとかよ。」
「嫌だな、シャーリー。
草や根を食むのは家畜か農民くらいだろう? 肉が足りないなら甘い菓子パンでもどうだい?」
ウッ、なんということでしょう。
いくら美味しくても、パンと肉と魚ばっかりじゃ飽きちゃうよ~。
「では、水はどちらで飲めますか?」
「水? 野菜よりもオススメできない。すぐに腹を下すぞ。」
水が飲めないの!?
あとからアトラスに確認したら、この世界では上下水道の整備が良くないから生水を飲むのはご法度なんだって!
どうりで会場にあるのはビールやワインなどのアルコールばかりだった。
ウゲェ。
こんな生活を続けていたら、病気になりそう・・・。
異世界で細く長く生き残るには、栄養面や井戸から改革をしていかなきゃいけないのかもしれないわ。
カルチャーショックにうちのめされていると、楽師たちが奏でる音色が変化した。
ディアナがつまらなそうに肘をテーブルに乗せ、さらに手のひらに顎を乗せた。
「始まったぞ。今日イチつまらないイベントが。」
令嬢たちは着飾ったドレスを翻しつつ扇子の陰からチラリと目線を投げて、素敵な男性たちを値踏みしている。跪いた男性に女性が扇子を渡せば、お互いの意思疎通ができたということになるようだ。
それが適った男女はペアになり、ダンスフロア―に移動して音楽に身を委ねて踊った。
最初は珍しくてただ目を奪われていたけど、私は目の前のディアナがシャツにブリーチーズと呼ばれる半ズボン、タイを着ていることに気づいて驚いた。
それらのひとつひとつは高級なものなのだろうけど、決して晩餐会の姫君が着る服装ではないのよね。
私は慌ててディアナに耳打ちした。
「ダイ、ドレスに着替えないの?」
「シャーリーこそ、まだ乗馬をする気かい?」
そうよね・・・男みたいな服をチョイスする私にだけは、言われたくないよね。
わーん、ごめんなさい!
でも、ディアナには幸せを掴んでほしいのよ!
※
突然、会場を揺るがすため息と歓声が沸いたのは、必然だった。
首周りにたっぷりのフリルがついたひだ襟をつけて、シルクの提灯ズボンに金の刺繍のガウンを羽織ったヘリオスが、麗しいドレス姿の聖女・リリィを伴って会場に現れたからよ。
ウレルのときも思ったけど、主要キャラの美しさは控えめに言って、神。
しかも二人が同時に並ぶと、サングラスが必要なくらい眩しいわ。
誰が見ても、ヘリオスのリリィを見つめる眼差しは恋する男性そのものだった。
そこに王太子殿下の威厳はなく、ただの可愛いワンコに見える。
二人が睦まじく手を取り合い華麗に踊る様子は、まさに私が涎を垂らしながら読んでいた【騎士で聖女は最強でして】のワンシーンだ。
ああ、やっぱり主役は最強だわ!
改めて神推しマンガのモブキャラに憑依した喜びを噛みしめていると、ディアナが寂しそうな色を瞳に宿してポツリとつぶやいた。
「好きな人に誘われなければドレスを着る意味などない。」
そこは私もまったく同じ意見で、ディアナの言葉が心に重く響いた。
私とディアナは似たもの同士だと思う。
でも私はこんなに素敵なディアナが兄のヘリオスに執着して人生を台無しにするのが勿体ないと思う。
彼女を幸せにしてくれる素敵な男性がいるのにと思わずにいられないの。
私は自然とディアナの手を取った。
「でも、ダイがドレスを着たら、王国中の男性が列をなしてダンスに誘うはずです。
だって、金の巻き毛も炎のような紅い瞳も、この会場に居る誰よりもすっごく綺麗で魅力的だから!
今着ている服もモチロンお似合いですが、ダイの魅力的なドレス姿を見られないのは悲しすぎる!
世の哀れで可哀想な男性たちを、私はなんとか助けてあげたいのです!」
「そなたはまるで道化師のように、いつも面白いことを言うな。」
ディアナは、皮肉げに口の端を歪めた。
「ふざけてはいません。私は真剣にダイを・・・!」
私が真っ赤な顏で反論すると、急にディアナが真面目な顔になった。
「こちらへ。」
そして私の腕を掴み、人目の死角になる大きなカーテンのかかる窓際に私を追い詰めたの。
(ディアナ、もしかして怒っているの?)
私が怯えて様子を伺っていると、無表情のディアナが彫刻みたいに美しい指先で私の顎をクイッと上げた。
「シャーリー、そなたは私を慕っていると告白したではないか。」
「へ?」
「私への告白、あれは本気ではなかったのか? 」
「は、ハァッ?」
まさかまさか、私ってディアナに同性愛者だと勘違いされているのでは⁉
確かにあのとき、私は推しとしてのディアナを慕っているとは言ったけれど、=ラブのことじゃないのよ!
慌てて誤解を解こうとした時、ディアナが優しく私の頬をなでた。
「私もそなたを慕っている。」
私の頭が「ボンッ」と音を立ててパンクした。
こ、これは冗談よね?
私はこれ以上はできないくらいに顔を赤くして、酸欠の魚のように口をパクパクさせた。
「お気持ちはとても・・いえ、かなり嬉しいのですがっ・・・ええと、まずはお友達から始めさせていただきたいと思っているんです!」
ディアナが急に「プハッ」と息を噴き出した。
「アハッ、その顔、面白いな!
安心して、シャーリー。ぜんぶ冗談だよ。
それともあれはやっぱり、本気の愛の告白だったのかな?」
やっぱりからかわれていたのね!
もう、ひどい!
「あの誓いがウソでなければ、私と踊ろうシャーリー。」
「王国の姫君と公爵夫人が踊る晩餐会だなんて。
貴族たちに馬鹿にされた上に、後世まで笑い話にされちゃいますよ。」
「そなたはスキャンダルには慣れているだろう?」
喋りながらディアナが私の肩を強引に抱き寄せ、ダンス会場へと誘う。
「それにあの、待ってください。私、踊れるか分からないです。」
「ウソをつけ。昔から【社交界の華】と呼ばれていたくせに。」
ディアナに誘導されて、私は震えながらダンスフロア―に進み出た。
ぎこちなくディアナと向かい合ったけど、曲が始まった途端、からだが自然に動くことに驚いた。
乗馬と同じで、これもシャーロットのスキルなのだろう。
「私、踊れてる・・・!」
「シャーリー、気をつけて足もとを見て。よそ見して踊って私の足を踏んだら、罰ゲームだぞ。」
心配無用。
ディアナの辛口な冗談が心地いいくらい、私はステップが上手だった。
男装の女性同士が王宮でダンスをするなんて、おそらくブリリアント王国初の出来事だろう。
私たちは昔からの友だちのように笑いながらダンスを踊った。