#32 おかえり、ユイ
私がウレルに抱きしめられたのは夢じゃなかった。
瞼にチラチラと当たる暖かい光と、窓の外から聞こえてくる微かな小鳥のさえずりが気になって、重い目をようやく開けたの。
そこはウレルと私の寝室だった。
見慣れた天蓋ベットのカーテンに、シルクのシーツと掛け布団。
上品なロココ調の調度品に、壁に飾られた色彩豊かな風景画。
間違いなく、リアルだわ。
カサカサの目やにを人差し指で剥がした私は、その鋭い痛みに確信を得た。
(やっぱり私、馬ではないみたい!)
それから目に入ったのは、白い帆布に金のパイプのパーテーション・・・あれ、パーテーションはいつも右にあるのに、何で今日は左側に置いてあるの?
不思議に思いながら反対側に寝返りを打つと、ウレルの美しい顔が目の前に!
危うく心臓が口から飛び出すかと思ったわ。
私、ウレルのベットの上で眠っていたのねー!
夢だけど、夢じゃないのは死ぬほどヤバイッ!!
慌ててウレルのベットから飛び起きた私は、帆布のパーテーションを力任せに引き倒し、隣の私のベットのマットレスの下を、グイグイ手を入れてまさぐった。
まさか、まさかアレも夢じゃないっていうの⁉
その瞬間、背後から聞きなれた声が響いた。
「探し物はコレかな?」
裸体にラグジュアリーなローブ一枚でベットに横たわるウレル。
その手が持っているのは、私の黒歴史が描かれた羊皮紙なのよ!
「返して!」
必死の形相でウレルの腕に飛びついた私。
ウレルは子どもをあやすように、私の鼻を優しく突いた。
「そうそう、言い忘れていたが、この図は描き間違えているので、訂正しなければならないんだ。」
ウレルはサイドチェストからペンを取ると、鼻唄混じりに相関図に何かを書きこんでいる。
「何を描いたの?」
「よく見て。」
ウレルは私の顏のすぐ前に羊皮紙を近づけて、私が顏を近づけるとサッと羊皮紙を上に持ち上げたの。
「ちょ、これじゃ見えな・・・。」
ウレルが、私の頭を抱えて甘い口づけをした。
蕩けるような甘美な瞬間に、体じゅうの力が抜けてしまう。
ウレルは私から唇を離して耳元で囁いた。
「ダメ?」
「・・・ダメじゃないわ。」
「じゃあ、矢印のとおりにしてくれ。」
ウレルは浅黒い鼻の頭にシワをよせて笑いながら、羊皮紙をもう一度私の目の前に見せた。
チラリと羊皮紙を見ると、黒くグチャグチャに塗りつぶされ矢印の横に、相互の向きに描き直された矢印が描いてある。
「私は、公爵夫人のシャーロットじゃないし、異世界から来たしがない書店員なんだけど・・・それでも、いいの?」
羊皮紙を脇に置いて、左薬指を見せたウレルが私の髪をそっと解きほぐした。
「そなたが眠っている間に、シャーロットとは協議離婚が成立している。
昨夜も話したが、覚えていないのならもう一度、言わせてくれ。」
私を胸にギュッと抱き寄せたウレルが、力強く言った。
「俺はユイのことを愛している。
愛が何かということを教えてくれたのはユイだから。
ユイが嫌でなければ、このまま俺と公爵家に居てほしい。」
「私もここに居たい。ウレルとずっと・・・。」
私はウレルの唇に震える自分の唇を重ねた。
※
ウレルの寝室で目覚めた日のことをもっと詳しく話すと、私の魂はユイの身体の中に戻っていたの。
着ていた白い開襟シャツにブルージーンズは、酷く汚れている上にあちこち破れてボロボロになっていた。
うーん、変だわ。
異世界に、私の身体はなかったハズじゃないの?
着替えるために寝室から廊下に出た途端、公爵家のみんなが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ユイさま!」
なぜか全員がユイ呼びでの大歓迎!
ずいぶんと根回しが早すぎない?
いつもと変わらぬ日常すぎるでしょ!
戸惑う私に、みんながとびきりの笑顔をプレゼントしてくれた。
「私、もう公爵夫人じゃないのに・・。」
でも、なんか、嬉しい。
現実世界の一人暮らしのアパートに帰っても、誰にもおかえりなんて言われないからね。
しみじみと公爵家に生還できた喜びを嚙みしめていると、最前列に居たベッキーが不敵な笑みで私を手招きした。
「ユイさま、まずは入浴です! 私にす・べ・て・お任せください!」
私は思わず、唾をのみこんだ。
「よ、よろしくお願いします。」
※
ベッキーの美容講座にアトラスのキツイ冗談。
お見舞いに来てくれた優しいサラキアと、姫らしく丁寧な言葉で話すディアナ。
そして、穏やかでスパダリなウレルとの愛しい日々。
鏡に映る日本人らしい自分を見るたびに、この世界にそぐわない容姿に違和感を覚えるけど、素敵な人たちとの麗しい日々が、そんな疑問を打ち消してしまう。
でもある日、ウレルの書庫の整理のお手伝いをしながら、私は思い切ってウレルに疑問をぶつけてみた。
「あの、私の身体のこと、聞いてもいい?
ユイの身体は、私が暮らしていた異世界にあったはずなんだけど、どうやってここに来たのかしら?」
「ああ・・・知りたい? あまり言わないほうが君のためかと思っていたが・・・。」
ウレルは手に持っていた書物を机の上に置くと、天井まで届く本棚に立てかけてある梯子に浅く腰かけて、私をジッと見つめた。
「実は、君はシャーロットに憑依していたんじゃなくて、身体ごとこちらの世界に来ていたんだよ。」
「え、そうだったの⁉」
実体がないから憑依したと思い込んでいたけど、私は異世界転移していたのね。
そして、バッコスの術で魂を入れ替えられていたのか。
「でも、今までどこに・・・?」
「ブラックの魂が君の中に入っていたんだ。」
「エエッ?」
「ブラックは獣だからね。人間の身体になったことを理解できなくて、あちこちをさまよっていたらしい。そのころ丁度、アトラスが領地の不審者情報を集めていて、言葉が通じない東洋の女性の噂を私に報告していたのさ。」
「不審者・・・?」
急にウレルが腹を抱えて笑いだした。
「野生の馬の群れに紛れて、草原で草を食んでいたらしい。
胸の辺りに『サヤカ ユイ』と書かれているネームプレートがあるという情報がなかったら、そなたの身体だとは私も疑わなかっただろう。
それにしても実に愉快ではないか? 大の大人が、草原で草を・・・!
あ、そなたは草が好きだったな!」
その時の情景を妄想した私は、恥ずかしさで全身が沸点にまで達したの。
アトラスの管理能力に感謝するとともに、空気を読まないで死ぬほど笑い続けるウレルに、あふれる感情が爆発した。
「今すぐに帰らせてーーー‼」
そんなこんなで公爵邸で幸せな一週間を過ごした私に、ついに王室から呼び出しがあった。




