#3 壊れた蛇口、更生します
冷え切った身体を何かが優しく包んでくれている。
いつぶりだろう、人の温もりを感じるのは。
誰かに優しくされるなんて、小さい子供の時だけだったな。と改めて思う。
眠るときに手放せなかった毛布は、成長とともにいつの間にかどこかに消えてしまった。
元彼を紹介するために連れて行くと電話で話したのが最後、実家には帰っていない。家のテラスでバーベキューをした光景が、フラッシュのように頭に浮かぶ。
もっと、時間を削ってでも家に帰るべきだったと今なら思う。
パパとママは元気にしているだろうか。
今度はいつ会えるのかな?
自然に閉じていた目からあたたかい涙がこぼれ落ちて、頬へと伝っていった。
※
目が覚めると布張りのテントみたいな薄汚れた天井に、ランプの仄かな灯が映って見えた。
そのまま視線を落とすと、漂白されていない一枚布を装飾された腰紐で体に巻き付けたり金属のブローチで留めただけの、簡素で時代錯誤な格好の人々にギョッとする。
私は知らない人に泣き顔が見られるのが気恥ずかしくて、涙の跡を手の甲で拭きながら上半身を起こした。
「もしかして、まだ夢の中なの?」
私はテントの中に設えられた簡易ベットに寝ていたようだ。
ベットの脇には見目麗しい少女が座っていて、私の左手を両手で包み込むように握っていた。
「気がつかれたのですね、シャーロットさま・・・!」
あ、やっぱり私はあのシャーロットなんだ。
異世界モブキャラ憑依は夢じゃなかったのね・・・!
「神のご加護ですわ!」
儚げに微笑みながらベットの脇から立ちあがろうとした少女が、ガクッと後ろによろめいた。
(危ない!)
でも、近くに控えていた背の高い男性が颯爽と腕を出して彼女を支えたの。
危機一髪!
「リリィ、大丈夫か⁉」
「ありがとう、ウレル。ちょっと・・・めまいがしただけ。」
リリィにウレル?
ってことは、この二人はマンガのメインキャラじゃないの!
確かにこの二人の存在感たるや、恐ろしいほどの美貌を持っている。
モブはほとんど顔の書き分けができていないのに比べると、原作者のパワーバランスのこだわりの強さに拍手だわ。
「ずっと献身的に治癒能力を注いでいたから、疲労がたまったんだろう。」
ウレルはリリィを腕に抱えると、頬にキスしそうになるくらい顔に急接近した。
(はわぁ~眼福よ!)
私はその光景を食いつくようにガン見しちゃった。
美しい男女が絡むと涎が出るくらい絵になるわ!
「ウレル、ダメよ・・・私のことより、シャーロットさまの看護をお願い!」
こちらを見て怯えた表情になった女の子が、男の肩を強く叩いた。
失礼、お邪魔しちゃったかしら。
そうよ、確かウレルは既婚者だったわよね?
奥さまの名前ってシャーロット・・・は・・・私かーーー⁉
私は左手の指輪の重みにゴクリと生唾を飲んだ。
わ、私がウレルの妻・公爵夫人なのね!
「気にするな。看護なら侍女がいるではないか。」
醒めた目で私を一瞥した男が、自嘲ぎみに微笑んだ。
「この女とは家門同士の文書上だけの契約結婚ゆえ、私は手すら握ったことなどない。」
この女ぁ?
ウレルの美しさに心を奪われていた私は、一瞬で青ざめた。
(それが事実だとしても、あからさまに契約結婚を人前で強調するなんて、ヒドイわ!
私が本当のシャーロットなら、怒りにまかせて一発殴ってやるのに。)
フン!
っていうか、やっぱりここは【騎士で聖女は最強でして】の世界なんだ。
私は現世で死んでいないから、異世界転生ではなく『マンガのキャラに憑依した』ということなのかしら?
一瞬にして敵意を剥きだしにした私がウレルを睨みつけていると、ウレルは顔から一切の色をなくして強く言い放った。
「公爵夫人、歩けるようになったら勝手に遠征に付いてきた上に魔物を引き寄せて、討伐隊に多大な迷惑をかけたことを殿下に謝罪するんだ。
これは当主命令だ。」
治癒されたとはいえ、魔物に襲われたばかりの妻にかける言葉がそれ?
私は痛くなるくらい歯ぎしりをしてこの屈辱に耐えた。
でも悲しいけど、これもわがままで浪費家のシャーロットの悪い生活態度が招いた末の結果よね。
残念ながら毎回騒ぎを引き起こす火種になるシャーロットは、読者たちの書くコメント欄で『壊れた蛇口』と呼ばれていたのだから。
テントの向こうに去った二人を複雑な思いで見送ったあと、私は改めて自分の姿を目の前にあった大きな姿見鏡に映した。
(本当にシャーロットになっちゃった!)
小悪魔的な美貌と、流れるような張りのある銀髪が目を惹く、小柄で愛らしい10代の公爵夫人。
首元や手にこれでもかというほどのお洒落なアクセサリーを身に着けているけど、それに負けない素の華やかさがある。
確かウレルとは幼いころからの許嫁で、家門同士で結婚を決められていたはずよ。
昔からリリィに首ったけのウレルはこの政略結婚が気に入らなくて、わざわざ文書を取り交わした【契約婚】にしたみたいだけど、先ほどの発言からしてマンガ以上に夫婦としては破綻しているようね。
もし、三年以内に跡継ぎができなかったら婚姻は破棄するという内容だったはずだけど、手すら握る努力もしないなら絶望的じゃないの。
私は少しだけシャーロットに同情した。
「公爵夫人、お加減はいかがかな?」
次にテントの入り口に現れたのは、私を助けてくれたディアナと、そのディアナと同じく柔らかな金の巻き毛に燃えるような赤い瞳をもつ背の高くて体格の良い男性だった。
テント内にいた従者たちが一斉に平伏したのを見て、私はハッとした。
(お姫さまのディアナと肩を並べて歩ける男性といえば・・・!)
状況を察した私も、慌てて二人に頭を下げた。
「えっと・・・偉大なる王国の太陽と月のしもべである王太子殿下と姫君にご挨拶申し上げます。」
王族への口上を暗記できるくらい、いつもマンガを読み返していて良かったわ!
「まさか、公爵夫人が剣技を嗜んでいたとはな。
ウレルから聞いたことはないが、ディアナとともに魔物を散らしてくれたことに感謝する。」
ディアナの隣で微笑むのは、私の推しのヘリオス・アントゥニウス・ブリリアントさま!
鋼の筋肉を持つブリリアント王国の次期君主にして、幾多の試練をくぐり抜けて聖女を溺愛する絶対的ヒーロー。
モチロン、主要キャラ補正でその顔面は無敵艦隊!
兄妹だから金の巻き毛や赤い瞳はディアナにもちろん似ているけど、男性らしいしっかりとしたあごのラインとか凛々しい眉毛は私の理想の男性そのもの!
うーん。神々しすぎて、マトモに見ていられないわ!
「全てディアナさまのおかげです。
ディアナさま、私の命を救ってくださり本当にありがとうございます。」
「いや、そなたも勇敢に戦ったではないか。むしろ、私こそ助けられたよ。
それにリリィが早く治癒をしてくれたおかげで、腕に跡が残らず良かったな。」
ディアナは私の右腕を優しく触れて、柔らかな笑顔を見せた。
ああ、メインキャラの双子の妹だから、美しさと性格に作者の恩恵を感じるわね。
「それにしても・・・リリィとウレルはどこだ?」
「それは・・・。」
私は先ほどの二人の睦まじい様子を思い出して、言いよどんだ。
私に二人を呼び戻す資格はなさそう。それに、ヘリオスといえば思い出したことがある。
「夫は聖女さまを抱きかかえてどこかに行ってしまいました。」
見たままの光景を話したのだけど、ヘリオスはそんな私の様子に眉をひそめた。
「噂には聞いていたが、そなたたちはあまり良い関係ではないようだな。
王家に次ぐ第一勢力の家臣の家の不和は、他の諸侯たちの絶好のエサになる。
なるべく早く修正する努力をするように。」
ヘリオスはそう言い残して、足早に部屋を去っていった。
「修正・・・私にそんなことができるかしら。」
思わずポツリとつぶやくと、侍女たちを部屋から下がらせたディアナが、なんと私に向かって頭を下げたのよ。
「すまない。兄上・・・ヘリオスさまは連日の魔物の討伐で、少し疲れているんだ。
今のは本心からの言葉ではないので、誤解しないでくれ。」
良いのよ。
本当のことだし、ヘリオスはリリィが好きなんでしょ?
ヘリオスがリリィと一緒に居るのが気になるから、私に夫の手綱を捕まえておけと言ったのよね。
逆にお姫さまであるディアナが臣下の夫人に頭を下げるなんて、こちらのほうが恐縮ですわ。
「ヘリオスさまは幼いころから帝王学を躾けられているから頭が固すぎるのが難点だが、ユーモアが分からないというわけではないんだ。ただ、男女の仲にもわりと古風な考えを持っているようで、やはり妻帯者が他の女性の尻を年中追いかけているというこの状況が・・・。」
私は必死にヘリオスのフォローをとつとつと語るディアナが可愛くて、クスリと微笑んだ。
「ディアナさまは、本当にヘリオスさまがお好きなのですね。」
「好き・・・うんまあ、世継のために異母兄弟はたくさんいるが、血のつながった兄はヘリオスさま唯ひとりだからな。」
そう、私は知っている。ディアナといえば極度のブラザーコンプレックスなのよね!
その報われない恋のために聖女とバトルしたりその身を犠牲にするシーンもあったはず。
姫という恵まれた環境なのに、物語では残念な役柄なの!!
マンガでは多く語られなかったディアナの優しい人柄とヲタクな一面にほだされた私は、急にアツイ思いがこみあげてきた。
よし、決めた。
せっかくシャーロットに憑依したなら、悲劇の姫・ディアナを更生させてみよう。
私が正しい恋愛に導いて、主役級の人生をプレゼントしてあげる!
ついでに私自身も公爵夫人の地位を利用して、私を愛してくれない夫に頼らずに強く明るく生きるのよ!
(どうせシャーロットとディアナが幸せになろうが、主要キャラ三人のエピソードにはそれほど関係ないしね・・・。)
そのためにはディアナと仲良くならなくちゃ!
私はすぐさまベットから立ち上がると、ディアナの手を固く握った。
「私は姫君をお慕いしています!」
呆気にとられた顔のディアナに構わず、私は大声で叫んだ。
「お願いします!私を姫君の騎士団に入団させてください‼」