#29 サヤカ ユイ
「バッコスどの? そんな・・・。」
バッコスの姿を認めた途端、ウレルは苦鳴を漏らした。
「もう少し待ってくれんか。
今、ディアナごとリリィを闇に呑ませる途中なんじゃ。」
「そんなの、待てるわけないじゃない‼」
私がバッコスに飛びかかろうとすると、急に床が粘ついて足に絡みついてきた。
「シャーロット、この床自体が闇の魔物だ!」
ウレルが振り向いて叫んだけど、もう遅かった。
「動けないわ・・・!」
足を浸食しようとする黒い粘液を手当たり次第にちぎり捨てていると、長椅子の上に這い上がったウレルが私を引き上げて助けてくれた。
「魔導士が魔物を使役するなんて、聞いたことがない・・・!」
青ざめたウレルの手や足にも、闇の粘液がまとわりついている。
「お主たちは幸運じゃ。魔物を操ることのできる黒魔法石を実際に見ることができるんだからな。」
バッコスが懐から取り出した黒魔法石は、毒々しく脈打つたびに闇を吐いていた。
「今までの魔物の襲撃も、あなたの仕業だったのね?」
ウレルに張り付いた粘液の魔物を剥がし終えると、私はバッコスをにらんだ。
「どんなに追い詰めても死なない害虫には、この手でトドメを刺さないと不安だからな。」
「そなたは王国に仕える身ではないか! 陛下を裏切る気か⁉」
ウレルの言葉に、バッコスはニヤリと口の端を持ち上げた。
「その通り。」
バッコスが片手を振りかぶると、どす黒くて深い闇が私たちを覆った。
ウレルが鋭い眼光を向け、剣のひと太刀が閃き、闇を切り裂いた。
「姫殿下を離せ! 何をする気だ!」
「むしろコッチが聞きたいわい。」
バッコスは苦い顔で私を指差した。
「おい、壊れた蛇口!
お前の中に居るはずのディアナはどこにやったんじゃ!!」
「ッ!」
私は一気に手足の感覚がなくなった気がして動けなくなった。
(バッコスは知っているんだ! 私たちが入れ替わっていることを。)
「おかしなことを言って惑わす気か!」
ウレルが高くジャンプして間合いを詰めると、バッコスに斬りかかった。
余裕の表情でそれを躱したバッコスは、わざとディアナを盾にしておどけてみせた。
「ヒャヒャヒャ! 人質が居るのをお忘れか? 気をつけるのじゃ、ウレル公爵!」
「卑怯な!」
寸でのところで剣を止めたウレル。
バッコスはいつの間にかウレルの背後に回ると、声を低くして囁いた。
「よく聞け、ウレル公爵。この女はディアナの姿をしてはいるが、中身はリリィなのじゃ。
うっかり死なせたりしたら、君は死ぬほど後悔するぞ。」
「クッ!」
後方に大きくジャンプしてバッコスから距離を取ると、ウレルは額から一筋の汗を流した。
「ディアナがリリィだと?
さっきから何なんだ! 分かるように説明しろ‼」
バッコスは闇の中から髑髏のついた玉座を取り出すと、ディアナを抱えたままそこに腰かけた。
「脳筋のウレル公爵に理解ができるか分からんが、教えてやろう。
ワシはリリィ、ディアナ、シャーロットの三人に魂交換の術をかけたのじゃ。」
「魂交換?」
「いにしえの禁忌術だよ。我が祖である、マルガリテスの神のしもべにしか受け継がれない秘技さ。」
「やはりな。マルスの指導者は、お前だったのかバッコス!」
「おや、気づいていたのかね?」
「マルガリテスに滞在していた時に【マルガリテスの歴史】の古い文献を読んだんだ。
君主国だった頃の王の写真が、お前に瓜二つで震えたよ。」
私も「アッ」と声を上げた。
そういえば、私も同じ写真を見て不思議に思っていたんだ。
ウレルもあの本を読んでいたなんて!
「しかし、これまでの功績を考えると杞憂にすぎないと本を閉じたが、やはりあの時追及しておくべきだった・・・!」
「いやいや、ワシを疑うだけでも大したもんだ。
頭がお花畑のヘリオスではなく君が王太子なら、ブリリアントももう少しマトモな国にできただろうに・・・実にもったいない。」
「マルガリテスの再興が目的なのか?」
「左様。共和国ならまだしも、国としてのプライドを捨てて植民地を選ぶなど、元・王族の身としてはマルガリテスの祖先たちに顔向けができぬ。」
原作のマンガでは、マルスの指導者はただのモブキャラだったのに・・・。
バッコスの禁忌術が原因で、原作を歪めてしまったのかしら?
「マルガリテス再興の第一段階として、厄介な聖女リリィのヒーリング能力を封じようと魂交換の術を使ったのだが・・・まさか壊れた蛇口が聖女になるとは予想外じゃった。
だが、それも予定調和にすることができる。」
その時、バッコスが指を鳴らして空間が歪んだ。闇が吐き出したのは、純白のドレスを着たリリィだった。
「シャーロット!」
私を一瞥したリリィは、可憐な笑顔で唇に人差し指を押し当てた、
「ねぇ、あなた。大人しく、バッコスさまの言うことを聞きなさい。
そうしたら、私たちは元の身体に戻れるのよ。」
なんてこと・・・シャーロットが、バッコスの味方についちゃったの⁉
「そなたは! リリィの顔をしているが・・・中身はシャーロットなのか?」
動揺するウレルに、リリィは平然とした態度で答えた。
「ごきげんよう、公爵さま。ずいぶんとその女に入れ込んでいるみたいね。
貴方はリリィが好きだと思っていたから、あの夜は特別にキスをしてさしあげたのに。」
「なんだと・・・⁉」
「フフ。でも悪いけど、元の身体に戻らせてもらうわ。
バッコスさまの計画には、聖女の力が邪魔なのよ。」
私は上目遣いにバッコスを見た。
「本当に、元の身体に戻れるの?」
「リリィとシャーロットの交換は可能じゃ。だが、ここに無い魂は行き場を失い彷徨う。壊れた蛇口に入っているお主も、永遠にディアナに閉じ込められるであろう。
よって、聖女はこの世から永遠に居なくなるのじゃ。」
「そんな・・・!」
私はともかく、ここでバッコスを食い止めなきゃ、ディアナを助け出す術がなくなっちゃう‼
「ウレル、時間がないわ。私のことを信じられないかもしれないけど、一緒にバッコスを倒してほしいの。」
私は祈るようにウレルを見つめた。
闇に包まれて、うつむいたウレルの表情は読めない。
やがて、ウレルが震える言葉を紡いだ。
「そなたは、いったい何者なんだ?」
「私は結。小夜夏 結。異世界から来たただの書店員です。
いままで騙していて、ごめんなさい。」
「サヤカ・ユイ。」
ウレルが私の名を呼び、顏を上げた刹那。
バッコスに黒くて大きな物体が飛びかかり、断末魔の悲鳴が上がった。
「ギャアア‼」
私は目を疑った。
「ブラック!」
バッコスを太い足で踏み荒らしていたのは、魔物の瘴気に怯えて、礼拝堂に入れなかったはずの愛馬・ブラックだったの。
私を助けるために、勇気を出して飛びこんでくれたのね!
その時、気を失っていたはずのディアナがバネ人形のように立ちあがり、ブラックの足に踏まれているバッコスの胸元から、黒い魔法石を取り上げた。
「この時を待っていた!」
そのまま、私に向かって黒魔法石を思い切り投げる。
「ユイ、今だ! 黒魔法石を壊せ‼」
「こんのクソ馬にクソ聖女がァァ・・・‼」
私はレイピアに気合を入れると、思い切り黒魔法石に突き刺した。
「ハァッ‼」
紫の稲妻のエネルギーと黒魔法石の負のエネルギーがショートし、レイピアの魔法石と黒魔法石は同時に粉々に砕け散った。
私は胸の辺りが軽くなり、身体中の力が抜けてその場に倒れた。
ウッ・・・これって・・・。
もしかしてバッコスは、黒魔法石が砕ける前に魂交換の術を発動したの?
「ユイ!」
ウレルが駆け寄ってきて、私に手を伸ばした。
さよならだね、ウレル。
私、ディアナに閉じ込められても、アナタを好きでいていいですか――?




