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#2 これは夢じゃない

 それは初めて見る生き物だった。


 錆茶(さびちゃ)色の被毛に覆われた体は見上げるほど大きく、額に一角獣のような長い角を有している四足歩行の獣。

 地を蹴りつける後脚はガタイの良い男性の腰くらいの太さがあり、ひと蹴りで砂埃が舞うほどのパワーに思わず身が竦んだ。


(ウソだ! こんなのが何時、どこから店に入り込んできたの!?)


 爛々と光る金色の瞳にロックオンされた瞬間、とっさに木の後ろに逃げこんだ私は、目の前の現状にあ然とせざるを得なかった。


「これは木・・・? エッ、エッ⁉」


 職場の控室だと思っていた()()は、完全なる屋外なのだ。

 しかも新緑の葉を宿す背の高い木々と青々した草が鬱蒼と生い茂る森の中に私は立っていた。


 揺れる木漏れ日が、夜だと思っていた頭をさらにパニックにさせる。

 手首に巻いていたお気に入りの時計も足もとのスマホも消えていて、昼夜が逆転していることの確認すら取れない。


 でも、私はどこかで見たことがあるような景色に、ものすごく違和感があった。

 これはデジャヴ?


(部長と電話しながら寝落ちして、夢でも見ているのかな?)


 横っ面を吹きつけてきた生臭い風に身震いすると、不意に左腕に鋭い痛みを覚えた。


()ッ!」


 木の陰から私に突進してきたオオカミが大きく首を振った時に、長い角が右腕の皮膚を切り裂いたのだ。痛みのせいかオオカミがけたたましく吠える声のせいか、暗かった視界が急に開けた気がした。


(これは夢なんかじゃない! 現実(リアル)だ‼)


 私は血がにじむ腕を押さえながら、オオカミに背を向けて脱兎のごとく走りだした。


(ハァハァ・・・今すぐにこの場を切り抜ける方法を考えなきゃ!)


 かといって、本気を出した獣の脚なら追いつかれるのは時間の問題だ。

 私はすぐ背後に臭い獣の吐息を感じながらも、周囲に目を凝らして走り続けた。


 森の中なら、()()があるはず!

 必死に空気を吸い込んで呼吸を整えようとするけれど、上手くいかない。


 息も絶え絶えに走り続けて目的の物を見つけた時は、初恋以上に胸が高鳴った。


(・・・あった!)


 急停止して地面に落ちていた太くて長い木の棒に手を伸ばそうとすると、けたたましく吠えながら追いかけてきたオオカミが、私を捕えて正面から覆い被さろうとしてきた。


「ちょッ・・・!」


 咄嗟に手に当たった石をオオカミに投げつけると、石が眉間に上手く当たり、オオカミは『キャン!』とひと声あげてのけ反った。


(今だ!)


 私は木の棒を素早く拾い上げると、再び飛びかかってくるオオカミの横腹目がけて思い切り棒をなぎ払った。


「イヤアッ‼」


 かけ声とともに『ズバァン』とこぎみの良い音が辺りに響いて、舌をだらしなく吐き出したオオカミが長く甲高い悲鳴をあげた。

 小さい頃から泣きながらも、剣道教室に通っていて良かった!


 尻尾を巻いたオオカミが森に消えていく後ろ姿に、全身の力が抜ける。


 ふぅ・・・乗り切った。

 絶対死ぬと思った。


 すぐにそれが間違いだったと気づいたのは、痛手を負ったオオカミがたくさんの仲間を引き連れて姿を現したからだ。


(わーん、終わった!!)


 1,2,3・・・ざっと見ても10匹以上はいるだろう。

 今度こそ、死を覚悟した私は手の震えが止まらない。


(毎日仕事ばっかりで恋愛も報われないのに、いきなり獣の群れに食われて死ぬなんて、意味がわかんない!)   


 恨み事を言う間も与えてくれないオオカミたちが、涎を撒き散らし咆哮をあげて四方から襲いかかってくる。

 私は木の棒を固く握って大声で叫んだ。


「神さまのバカーーー‼」


 その時、光の残像がまぶたの裏に映って、目を開くと影が私とオオカミたちの群れの間に滑り込んできたのが見えた。


(え?)


 驚くよりも早く、オオカミたちはバタバタと弾かれるようにひっくり返っていく。


 艶やかに黒光りする甲冑を身に着けた騎士が、流れるような剣さばきでオオカミを往なしていたのだ。

 急所なのか切っ先に毒でも仕込んでいるのか、喉笛を貫かれたオオカミたちはひときわ高く断末魔の叫びをあげると苦しみながら地面を転げまわり、やがて動かなくなった。


(この人、スゴイ!)


 私はその手際に思わず魅入ってしまったけど、少しでも騎士の手数を減らそうと、私も木の棒を振り回して参戦した。


 あっという間にオオカミたちは制圧されていき、その場に動いているのは私と騎士だけになると夜の森に再び静寂が訪れた。

 騎士は肩で荒い息を吐きながらレイピアの刀身をカチンと鞘に納めると、私を兜の隙間からギラリと睨んだの。


「どこでその剣技を習得したのだ?」


 ウッ、圧が強い人だけど助けてくれたのよね?

 獣の匂いが立ち込める異様な空間が私に警戒心を植えつける。


 敵なの?味方なの?


 ※


 うかつに喋るのは危険かもしれないと思った私は押し黙っていた。

 やがて、気まずい沈黙を破ったのは騎士の方だった。


「む、血が出ているな。」


 私に突然近づくと、グイと右腕を引き寄せた。


「ユニウルフに毒はないはずだが、血の匂いで他の魔物を呼ぶ前に止血をしなくては。」


 ヒェッ。それは怖いわ。私は思いきって口火を切った。


「あの、良かったら救急車を呼んでもらえませんか?」

「救急車とは・・・侍女の名前か?」


 おう。話がかみ合わない・・・どうしよう!


 頭が混乱している私に構わず、騎士は持っていた袋から包帯を出して、手際よく私の腕の応急処置をしてくれた。

 少し気持ちが落ち着いた私は、とりあえず感謝しようと思った。


「ゴメンなさい。」

「傷を負っているのになぜ謝るんだ?」


 兜の目出しから見える騎士の赤い目が不思議そうに瞬いた。


「謝るのはクセなんです。

 あの、助けてくれると思ってなかったので。疑ってごめんなさい。」

「・・・相当、謝るのが好きなんだな。」


 ウ、ホントだわ。

 騎士の呆れた物言いに、自分でもいちいち謝ることがおかしいような気がしてきた。


「自分の心が求めていない時は、謝罪は口にしない方がいい。

 そうしないと言霊が空虚な言葉の羅列になってしまうよ。

 もし、感謝の意を示したいなら【ありがとう】と言ってみたらどうだ?」


 少し偉そうな物言いが気になるけど、騎士の言葉は正しい。

 素直に私の心の中に沁みてきた。


「ありがとう。」

「よくできました。」 


 騎士は微かに頷き、空を見上げた。


「ふぅ・・・暑いな。」


 確かにひと暴れしたから全身汗だくだわ。

 騎士は甲冑で全身を覆っているから余計に暑いでしょうね。


 ガチャリと金属音を響かせて騎士が兜を脱いだ瞬間、騎士からフワッと香る上品な花の香りがした。


 (いつもなら強い香水は嫌いなんだけど・・・すごく良い匂い。)


 私はハッとして目の前の騎士の素顔を凝視した。 

 男にしか見えないけど、この人は女性だ!


 金の巻き毛、挑戦的な赤い瞳、漆黒の甲冑には王家の紋章・・・。

 そして麗しいこの美貌を、私はよく知っている・・・!


 最近ハマッているWEBマンガの【騎士で聖女は最強でして】の主要人物の一人、皇太子ヘリオスの妹・姫殿下にして姫騎士のディアナぢゃないのーーーッ‼


 ※


 ボーッとする頭が思考を妨げる。

 私は頭を軽く横に振った。


 大丈夫か、私よ。

 もしかしてココは妄想と現実のはざま?


 だとしたらすぐに病院に行ってMRIで頭を輪切りにスキャンしてもらわなきゃだけど、救急車が呼べない世界なら医者も居ないのかもしれない。

 少しまともになった視界の中で、ディアナが心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「出血で気分がすぐれないのか?

 お気を確かに、シャーロット公爵夫人。」


 シャーロット公爵夫人・・・誰よそれ?

 でも、どこかで聞いたことがあるような。


 そこで、気づいた。


 私は元彼のシルバーリングの代わりに豪華な装飾が施された金の指輪を薬指につけていた。

 これって結婚指輪?


 それから青ざめながらも見える範囲で、自分の姿を確認してみることにした。

 腰までかかる長い銀色の髪、透明感のある白い肌、豪華な刺繍やレースがふんだんにあしらわれたくるぶしを覆うモーニングドレスを着た娘。

 まさか、まさかこの人は・・・!


「あの、つかぬことをお聞きしますけど、私の瞳は何色に見えますか?」

「そなたの瞳は薄紫色だよ。まるでアメジストの魔法石のようだ。」


 間違いない。

 理由はわからないけど、私はマンガのキャラに憑依したんだ。


 しかもそれは、派手で無知で金遣いの荒い、見た目だけが取り柄のモブキャラの・・・。


「私が、あのシャーロットですって!」


 次の瞬間、私は緞帳(どんちょう)が落ちるようにぷっつりと記憶を失った。

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