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#1 社畜副店長、憑依する

 ああ、キリキリと胃が痛い!

 三ヶ月前の健康診断で発覚したピロリ菌は、抗生剤で除染したはずなのに。


 次の瞬間、社用スマホからのキンキンした声がうるさく響いて、私は顔をしかめて耳から受話口を遠ざけた。


「ねえ、ちゃんと聞いてるの? 小夜夏(さやか)副店長。」


 胃痛の原因は胃潰瘍じゃない。この電話をかけてきた鬼上司・平良(たいら)のせいだ。

 私は感情を声に出さないように、口角を上に引きあげながら返事をした。


「も、もちろん、聞いていますよ~。」

「なら返事してよ!新人じゃあるまいし。会話のキャッチボールは接客業の基本の【キ】でしょ。」

「ハイ、すみません。」


 帰り支度の最中に鳴った呼び出し音に驚いて、うかつに電話に出たのが間違いだった。

 全国に400店舗を展開している大手書店チェーンの副店長として勤務している私は、定時を過ぎた誰も居ない店舗の休憩室でかれこれ二時間も上司の説教を受けている。数週間前に店長が精神を病んで辞職願を出して飛んでから、どうやら標的が私に移ったみたいだ。


「昨日辞めた新人クンの退職理由にあなたの名前が出ちゃったのよ~。

 仕事が合わないならまだしも、上司からのパワハラは上場企業としてはいかがなものでしょうか?」

「パワハラだなんて・・・心外です。マニュアル通りに指導していたので。」


 店長を辞職に追いこんだアナタには言われたくないッ!


 でも、確かに今回の新人教育はしっかりとねちっこく・・・いや、丁寧に指導した。

 だって挨拶もしない・目も合わせない・返事もしない令和の新人だったから。


 会話の糸口を探って毎日頭を悩ませていたのに、私が原因で辞めただなんて、まさに寝耳に水よ!

 そもそも無断欠勤が続いていた時点でやる気がないと思うんだけど、なんで最後に私の名前を言っちゃったのかな・・・。


(ハァ、しんどい。ただでさえ私生活もうまく行かなくて、傷心なのに。)

 私はスマホを顎と肩で支えながら、薬指のシルバーの指輪を白い蛍光灯の光にかざした。


 一か月前に別れた元彼からの初めての誕生日プレゼント。

 ある日、彼の素っ気ない態度に浮気を疑ったら、逆ギレされた上に一方的に別れを宣告されて終わった恋愛だった。


 今でもつき合ってたら『こんな仕事辞めて俺に永久就職しなよ』なんて甘い台詞を・・・言うようなタイプじゃなかったわ。


 ないない、なかった。全然チガウ。

 思い出ってヤツは美化されるからタチが悪いんだよね。


 現実逃避を引き戻すように、平良が私を激しく責めた。


「マニュアル通りにやればいいってもんじゃないでしょ。こんな教育を続けていたら、お店の雰囲気も悪くなって、しまいにお客様からもクレームが来るわよ。あなた、入社して何年目だっけ?」

「五年です。」

「五年も居たらさぁ、分かるよねそのくらい!」


 いつもの決めセリフを、雷のように吐き出した平良の声で鼓膜がジンジンする。

 五年居るからこそ不測の事態を引き起こすのが嫌で、徹底的にマニュアルを遵守しているのだけど・・・守らなくていいなら、マニュアルって何のためにあるの?


 本格的な平良の地雷スイッチに触れる前に、私も必勝の決め台詞を口にした。


「申しわけございませんでした。」


 とりあえず、謝る。

 たとえ、1パーセントも悪くなくても。


 でも、何のために謝るんだろう?って思う自分も居る。

 プライドもなく速攻で平謝りするけど、そこに私の気持ちは1ミリもこもっていない。


(自分の庇護のため? それとも上司の自尊心を満たすため?)


 いつも口に出すたびに自問自答するけど、未だに明るい答えは見いだせない。

 しかも、今日はいつものパターンとは違ったようだ。


「謝れば済むと思っているの?」


 はぁ、無限ループしてね? そろそろストレスで過呼吸になりそう。

 今度こそ、定期健診で『胃に穴が開いている』とか言われてしまうかもしれない。


(そうしたら、大好きな紅茶やコーヒー、それからアルコールもを控えなきゃならないのかな。

 それは嫌だし・・・困るな。)


 そう考えた瞬間、平良の声がガザガザッと不快な雑音にかき消された。

 ヤダ、電波障害?


 私はいったん、辺りを見まわしてからスマホの画面を見て、慎重に次の言葉を選んだ。

「あの、ゴメンなさい。こちらの電波が悪くて部長の声が聞き取れないのですが・・・。」


 こちらの声は相手側に聞こえているといいのだけど。

 そのすぐ後にキーンとした耳鳴りが聴こえて、私の胃痛は突如として、最高潮(クライマックス)に達した。


(痛い!痛い!痛い!痛い‼)


 痛さのあまり、息ができない。

 会社用のスマホを床に落として椅子から転げ落ちた私は、しばらくの間動けなくなった。


「き・・・救急車を・・・呼んで。」

 脂汗をダラダラと流しながらようやく口から出たのは、嫌いな上司に助けを求める言葉だった。


 緊急事態よ! しょうがないわ!

 余裕がなくなった私は、手をギュッと強く握りながら、通話中の画面が光るスマホに向かって叫んだ。


「助けて!」


 無音。

 もしかして、やっぱり電波が悪くて聞こえていないの?


 なんとか目をこじ開けて20センチ先に落ちているスマホを拾おうとしたとき、私は周りの景色が霞んでいることに気がついた。


(世界が歪んでいる?)


 最近、四六時中スマホを見ているからスマホ近眼になったのかもしれない。

 低血圧のときのめまいにも似た感覚、もしくは平衡感覚を狂わせるミラーハウスに入ったときのような具合の悪さが胃の痛さに拍車をかける。


(ウッ、もう無理。吐きそう・・・。)


 その時、誰かがこちらに近づいてくる気配がして、私は心底ホッとした。

 退社後に忘れモノに気づいたスタッフかしら。だとしたら、助かった!


「お願い、助けて!!」


 やはり返事はない。

 それどころか、私はすぐにそれが間違った選択だったと気づいたの。


 目の前に居た得体のしれない黒い影が低い唸り声をあげたから。

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