新・私のエッセイ~ 第80弾 ~ 『迎康子さん』の思い出 ~ 中2時代の切ない記憶(後編)
・・・ぼくが迎さんの、
『おやすみの前に』を、プッツリと聴かなくなったのは、ちょっとした「キッカケ」があったからだ。
あのことがあってから。
前編で紹介した、ナチュラルで優しいトーンの彼女の美声は健在だったものの・・・
たったひとつだけ、ぼくを失望させたものがあったのだ。
それが・・・「迎さんの語尾」である。
あるときをさかいに、彼女の言い回しが変わった。
「今夜も良い夢を。・・・迎康子でした❤️」
が、ある日、ある晩をさかいに、
「今夜も良い夢を。・・・迎康子でございました。」
に変わってしまったのである。
・・・なんだ、そんなことか。
・・・だから、ナンだってーの?
そう思いますか?
ぼくには、じゅうぶん「ショック」でしたよ。
だってさ・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その『おやすみの前に』であるが、
実は、もうひとり、迎さんのほかにも、担当のラジオ・パーソナリティがいた。
それが・・・
『上安平洌子さん』。
上品ではあるが、ぼくの個人的な感覚では、
ちょっぴり「トゲ」のある声だった。
そのトーンも、迎さんのような「甘い女学生風」ではなく、
「老舗高級料亭のおかみ」といった印象の、どちらかといえば、
「京都の名物・八つ橋」
「抹茶」
「わび茶」
といったおもむきの、畳や和室の似合いそうな、地味で落ち着いた雰囲気の声。
トークや、流す曲の選曲も・・・
実にシブイものだった。
ひとことでいえば、
「迎さんよりも和風寄りの京オンナ」といった感じか。
そして、彼女のおわかれのひとことというのが・・・
「上安平洌子でございました。」
・・・堅いっす。
迎さんよりも、ずっとトークが「お堅い感じ」がしましたねぇ。
これはこれで、落ち着いた雰囲気で、彼女に似合っていて、とても良かったですけれども。
でもねぇ、
ある日をさかいに、急に迎さんが、
「今夜も良い夢を。・・・迎康子でございました❤️」
に、語尾を、文言を変えちゃったのには、
本当にがっかりしました。
なぜかって?
決まってますやろ。
「上安平洌子寄りになっちゃって、自分の持ち味を殺してしまわれた!」
・・・これっす。
ぼくね、
すんごく「気持ち悪かった」ですよ。
もう、それからはずーーーっと、
迎さんのトークを聴くたんびに、例の、
「・・・でございました。」
などという、迎さんには似合わない、お堅い、和風の、京オンナ・テイスティで、不自然きわまりない語尾の部分「だけ」がいちいち引っかかって、耳障りになっちゃったから、
もぉ、「違和感プンプン」で、マジで気色悪くなっちゃったから・・・なんですヨ。
こんなことを書くと、おふたりとも、お気を悪くされるでしょうが、
「なんか、裏切られたような気がする。なんだって急に・・・。もしかして、圧力(= いまでいうところのパワハラ)だの、押し付けでもあったんか???」
って、マジでそう思いました。
あの迎さんが、自分からわざわざ自分には似合わない、気持ちの悪い言い回しなんか、あえて自己選択するはずがない・・・ってね。
「ねぇ、迎さん。あまり余計な口ははさみたくないんだけれどもね、あなたもそろそろ、この私のように、『・・・でございました。』に、文言を変えたほうがいいんじゃなくって? そうしたほうが、リスナーにも、より礼儀正しく聞こえると、私は思うんだけどねぇ・・・。」
「わかりました。たしかにそうですよねぇ・・・実は、私もそう思っておりましたから。まったく先輩のおっしゃるとおりですわ。」
「・・・次のあなたの放送、楽しみにしているわ♪」
勝手な憶測ですが、そんな会話が、ふたりの間にはもしかしたらあったんじゃないかって。
・・・人の言葉に敏感で、繊細でデリケートでナイーブな、そんなぼくの心と耳と目をごまかすことはできないぞ。
でも・・・
ぼくはひとりで勝手に傷ついて、迎さんのラジオを聴かなくなってしまったけれども・・・
いまも、迎さん、上安平さん、ともども、
尊敬し、なつかしんでおりますよ❤️
・・・今回は、なんとなく、まとまりに欠けた中途半端で、結局、何を読者の皆様に伝えたかったのかが、よくわからない・・・
そんな後味の悪いエッセイでしたな。
m(_ _)m