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赤い幻影 akaigenei ~新天地編~      赤蜥蜴 akatokage


   赤い幻影 akaigenei ~新天地編~



     赤蜥蜴 akatokage



勇者でもあり鬼でもある才神小恋子は、万有源一のハイスクール時代の学友で、初めは恋心を真正面から向けていたのだが、源一が森崎花蓮と婚姻したことで何とか諦め、仲が良くなったキャッシー・ゴールド、そしてフリージア星に人生修行に来たカレン・イルニーのふたりと懇意の仲になった。


元々それほど攻撃的ではない小恋子は、城での内勤や教師としての方が人生を楽しく思っているほどなので、猛者たちにとってまさにもったいないと思わせるほどだ。


それはすべて小恋子の性格にあり、争いごとを好まない。


しかし神でもあり、小人族の長でもある祖父に大いに鍛えられたが、万有源一が全てを放棄した時点で、小恋子は自由に過ごすことに決めたのだ。


やはり、源一との恋が実らなかったことで、その心の負担は大きなものとなり、男子に対してそれほど興味を示さなくなった。


しかし琵琶家に接触したことで、表面的にはあまり出さないが、徐々に男子に興味を持ち始めた。


そして琵琶家の男子たちがかなりお堅いことも小恋子は気に入っていて、少々おっとりしている小恋子にとっては、まさに天国のような場所だった。


小恋子の恋心については、この喜笑星に渡って来た時、当然のように幻影に向けられていた。


しかしすぐに蘭丸と婚姻していることを知って簡単にあきらめ、ここからは婚姻していない者で、誰とも付き合っていない男子に狙いを定め始めていた。


そして蚊帳の外にいたのが、かなり厳しそうに見える影達や寅三郎だった。


小恋子の好みは、見た目にやさしく、言葉もやさしい男子だ。


しいて言えば、見た目や内面で言えば、源次のようなタイプが好みだ。


だが、お凛たちに接する寅三郎の姿を見てからは一転して、この話でキャッシーと大いに盛り上がるほどだ。


一方キャッシーの身の振り方だが、琵琶家を離れて寅三郎に付くことを決めていた。


それは公表された獣王城の一点にあった。


まさに動物が優遇されている城に、動物を持っているキャッシーがなびかないわけがないのだ。


よって話す機会を見極めているのだが、話の中心はいつも寅三郎なので、なかなか切り出せないでいる。


もちろん、大勢の者たちが察しているのだが、琵琶家家人たちは積極性を重視しているところもあり、助け舟を出すことはない。


もちろん女子の長のような濃姫も気づいているのだが、ここは我慢して口を出さないでいるので、誰もこの件には触れずにいる。


すると話の谷間に、寅三郎がキャッシーを見て笑みを浮かべたことにより、「できれば、獣王城で働かせていただきたいのです!」とキャッシーが告白するように言った。


「いや、その件で話そうと思っていたのだが、

 御屋形様のご意見もお聞きする必要があるのだ」


寅三郎の言葉に、「正式には客人扱いだ」と信長は大いに眉を下げて言った。


できれば本雇いにしたいところだったのだが、しばらく様子を見ることにしていたのだ。


しかし本人が自己主張をしたので、信長の本心は語らないことにした。


「私も正式に雇って下さい!

 なんでもしますから!」


ついに小恋子は重い腰を上げて叫んだ。


すると信長はさらにうなだれていた。


「あてにされていたようだが?」と寅三郎が眉を下げて言うと、「もちろん、恩義は感じています! ですが琵琶家では、私の成長はないように思っていたのです!」と小恋子が熱く語ると、「…それはないと思うのだが…」と寅三郎は大いに困惑した。


「お凛ちゃんたちの正式な母になりたいのです!」


小恋子が告白するように言うと、早速お凛とお杏が小恋子に寄り添って、「あー…」とお凛がまず口を開いた。


そしてお杏と小声で相談を始めたが、全て筒抜けで、「…頼りなさそう…」などと言い始めたので、誰もが大いに苦笑いを浮かべていた。


小恋子は一念発起して、「はっ!」と気合を入れて勇者にその身を変えると、「すごいすごい!」とお凛とお杏は大いに喜んで拍手をした。


しかし、「動物にも変身できるの?!」とお凛が高揚感を上げて叫ぶと、「…動物には変身できないぃー…」と小恋子は大いに嘆いた。


「お姉ちゃんはできるよね?」とお凛が笑みを浮かべてキャッシーに聞くと、「…ええ、できるけど…」とキャッシーは眉を下げて答えて、小恋子を気遣った。


「…あー… うまくいかないぃー…」とお凛が嘆いて眉を下げると、お杏も同じ顔をしてうなだれた。


「動物じゃないけど、鬼に変身できるのよ!」と小恋子はさらに一念発起して叫び、その姿を鬼に変えると、「おー…」と言って拍手をした者と、意識を断たれた者で二分していた。


するとお凛とお杏は、「合格だよ!」と陽気に叫んで、鬼の太い腕に抱きついた。


「…ああ、まさか認められるなんて…」とかなりやけくそだった鬼は感動の涙を流しながら言った。


「…動物の頭目的存在ね…」と濃姫が眉を下げて言うと、蘭丸は大いに悔しがっている。


そして翼があるフローラに変身すると、お凛とお杏は大いに興味を持って、フローラに抱きついて、「さすがお母さんだわ!」とお凛が陽気に叫んだ。


自尊心を維持できたフローラはその身を蘭丸に戻して、ふたりを抱き上げて、「俺の子だ!」とお決まりのセリフを叫んで、ひとり勝手に高揚感を上げていた。


「よきかなよきかな。

 じゃが、一旦寝ている者を起こせ」


信長の言葉に、幻影と蘭丸のふたりで気付けを行った。



「寅三郎、どうするのじゃ?」と信長が聞くと、「鬼はふたりも必要ございません」という冷静な言葉に、信長は笑みを浮かべてうなづき、マッドスタックは安堵の表情を浮かべて、寅三郎に頭を下げた。


「そうか、マッドスタックのためか」


「は、もちろんでございます」と寅三郎は堂々と答えた。


「しかも、勇者も一名おりますので、これ以上は必要ございません」


寅三郎の言葉に、「そうか… その方が働き甲斐もあるというものじゃて…」と信長は言って何度もうなづいた。


「もしもほかの者が覚醒した場合、

 別の主を見つけてもらうことに決めています。

 ほかの種族であれば、何人いても問題はないと思っているのです。

 魔王、勇者、鬼の三つの種族に限り、言えることでございます」


よって、勇者候補であるナンシーも大いにうなだれていた。


「変身しないから雇って下さい!」と小恋子が心のままに叫んだが、「そのような成長をつぶすような、もったいなく無碍なことはできない」と寅三郎はすぐさま拒絶した。


「小恋子ちゃんは、寅三郎さんが好きなんです!」とキャッシーが叫ぶと、「家臣にすることとは何ら関係はない」と寅三郎が厳しい言葉を投げかけると、「じゃ、私も進言を取り下げて、本格的に琵琶家にお世話になります」とキャッシーは言って、信長に頭を下げた。


「いや、雇えぬ」という信長の言葉に、キャッシーは大いに瞳を揺らして動揺した。


「その理由は、強い存在が簡単に心変わりすることは許されぬ。

 大いに、確執を残すからな。

 ふたりには申し訳ないが、この喜笑星を去っていただこう。

 今まで本当に世話になった。

 金銭であれば、思いのままに差し出そう」


「…いいえ、必要ありません…

 今日まで本当に、お世話になりました…」


キャッシーは何とか言って、小恋子を抱き上げて、くつろぎの間を出て行った。


「…これでよい…」と信長がつぶやくと、「…今回はさすがに口を挟めないわ… …かなり、もったいないことだけど…」と濃姫すら眉を下げて言った。


「…ふたりは友人以上の相棒でもあります。

 よって、ふたりとも雇う必要があります。

 残念ですが、条件に合いませなんだ」


寅三郎もかなり悔しそうに言った。


「…あーあ… 本当にざんねぇーん…」とお凛は眉を下げて言った。


「…狼さん、見たかったぁー…」とお杏が言うと、この場が大いにざわめいた。


「キャッシーが変身しておったら、さらに寝た者が続出したじゃろうて」


信長の言葉に、「映像だけ見せてあげて」と幻影が咲笑に言った。


咲笑がすぐに3Ⅾ映像を出すと、「かっこいい! でっかぁーい!」とお杏は大いに叫んで喜んでいる。


だがそれだけで、ふたりが去った悲しみは感じられない。


「…ふむ… 動物の方が厳しいな…」と信長がつぶやくと、「…お父さんが困っちゃうことは言わないからぁー… あ、我慢もしてないよ?」とお凛が笑みを浮かべて言うと、「我慢ちてないよ?」とお杏はお凛の真似をするように言った。


誰もが愉快そうに笑って、この件は平和に落着した。



キャッシーと小恋子は失意の底にいながらも自室の片づけをしていた。


「おふたりはどこに行かれるのでしょう?」と阿国が廊下から聞くと、「…フリージアに戻ります…」とキャッシーが力なく答えた。


「あら、サルサロスでもいいのよ?」という阿国の言葉に、キャッシーも小恋子も目を見開いた。


「サルサロス星は喜笑星ではないもの。

 喜笑星でなければいいのよ。

 絶対に、信長様が怒られることはないわよ。

 もちろん、何かあれば私がふたりを守るから。

 サルサロスに行って働きながら、

 妙案でも考えていらっしゃいな。

 きっと、誰もが待っているわ。

 それに今回の件は、行き当たりばったりだったことが頂けないわ…」


阿国の言葉に、ふたりは大いに反省していた。


古い体質の家なので、面倒な者はまず雇わない。


この程度のことはわかっていたはずなのに、わかっていなかった。


一般的に言う、『なれ合い』という面が大いにある。


ふたりは阿国に丁寧に礼を言って、荷物をまとめて異空間ポケットに入れ込んだ。


そして、この部屋に入って来た時とはほとんど逆の、明るい笑みを浮かべて部屋を出た。


阿国がくつろぎの間に戻ると、「ふたりはサルサロスか?」という信長の言葉に、誰もが目を見開いた。


「始めはフリージアとか言っておりましたが、

 サルサロスに決めたそうですわ」


「そうか、それでよい。

 家老たちは大いに喜ぶことじゃろうて」


信長は機嫌よく言った。



「ところで、魔王ミミとの折衝はどうなった?」


信長が勇健に聞くと、「はい、精査して考えるとのこと。一昨日のことでしたので、そろそろご返答をいただけるものと」と勇健は笑みを浮かべて答えた。


「ま、騒ぎになるじゃろうからわかりやすい」と信長は笑みを浮かべて言った。


「今日は英気を養え。

 明日は、竜神城か獣王城のどちらかの城の建設に入る!

 いや、同時でも構わんか…」


「はい、問題はないものと」と幻影は笑みを浮かべて答えた。


「あんた、そんなことひと言も言ってなかったじゃない」と濃姫が目を吊り上げて言うと、「おや? そうじゃったか?」と信長が幻影に聞くと、「以心伝心でございますれば」という幻影の言葉に、信長は機嫌よくうなづいた。


すると勇健が消えたので、信長はすぐさま立ち上がって、「出迎える」と言って、蘭丸と高虎を引き連れて歩き始めた。



信長たちが外に出た時、魔王ミミの宇宙船は下降を始めているところだった。


その真下には勇健と美麗が笑みを浮かべて宇宙船を見上げている。


宇宙船が地面に届く前に、魔王ミミと悪魔ベサーニが飛び出してきて、まずは勇健とあいさつを交わした後、眉をしかめて信長に渋々挨拶をした。


「あんたの家に就職するわけじゃないから」と魔王ミミがまず先制攻撃をすると、「そんなもの当り前だ」と信長は鼻で笑って言った。


「まさかあの、プリンセス・ナイトにご用命をいただくとはね。

 大いについてたわ!」


魔王ミミは大いに高揚感を上げて言った。


「城は明日から建てることになってるけど、

 それでいいよな?」


「お城、本当にうれしいわぁー…」と魔王ミミは信長の言葉はほとんど聞かずに、恍惚とした表情をして言った。


「じゃあ大家さん、よろしく頼むわよ」と魔王ミミは、大いに眉を下げている、星の持ち主で宇宙の創造神のセイレーヌに笑みを向けて言った。


「…喧嘩、しないでよぉー…」とセイレーヌが大いに眉を下げて言うと、「この程度のやつに喧嘩なんて売るもんですか」と魔王ミミは大いに勇ましい。


信長は苦笑いを浮かべているだけで何も言わない。


「戻ってきた魔王はなかなかのもだから、穏やかに接しないとね」と魔王ミミが寅三郎を見て言うと、「この程度の魔王で本当にいいのか?」と寅三郎は勇健に聞いた。


「…二日前とはがらりと変わりました…

 やっぱり僕はまだまだでした…」


勇健は大いに肩を落としてうなだれた。


「…ミミちゃん、浮かれすぎだよぉー…」とベサーニが大いに心配して眉を下げて言うと、「あいつとは因縁があるんだよ!」と魔王ミミが信長をにらみつけて叫ぶと、「お聞きした時はないと申されましたが?」と勇健が少し怒って言うと、「その時は忘れていただけよ」と魔王ミミは真顔で言った。


もちろん、魂を探って腹立たしいことを引き出したのだ。


「でしたら出て行っていただこう。

 この喜笑星の平和のために」


寅三郎の言葉に、魔王ミミはわなわなと震えた。


「本当にごめんなさい!

 この話はなかったことにしてね!」


ベサーニは大いに眉を下げて勇健に言って頭を下げた。


そしてベサーニの術で固められている魔王ミミを担いで、宇宙船に乗り込んでから、そのまま消えた。


「…配下は最高なのに、頭目がなっとらん…

 …何事もうまくいかんものだ…」


寅三郎が嘆くと、勇健も大いに賛同した。


「こいつがとんでもないことをやらかしたせいだから」と濃姫が信長をにらんで言った。


「修行のためにやれと言われたからやったまでじゃ。

 それを語らんかった、あやつ手に簡単に引っ掛かりおって」


信長の言葉に、「…さて、そろそろ放り出しますか…」と幻影が言うと、「そうだな、そろそろか…」と信長は言って濃姫を見た。


「今のところは離縁はないが、お濃はサルサロスに引き籠っておれ!」


信長が笑いながら言うと、濃姫は態度だけで怒り捲ったが、何も言わずに大いに憤慨して、社に向かって歩いて行った。


「色々と都合がよかった」と信長がにやりと笑うと、幻影は笑みを浮かべて頭を下げた。


「お蘭、悪魔の件は頼んだぞ」と信長が命令すると、「はっ! 心得た!」と蘭丸は高揚感を上げて答えた。


「…はは様も調子に乗りすぎぃー…」とベティーは社に向かっている濃姫の後ろ姿を見ながら、大いに眉を下げて言った。


「…離縁だけはされないようにしないと…」と蘭丸が幻影を見ながら言うと、「そんなこと、今までに何かあったか?」と幻影は笑みを浮かべて聞いた。


「…今までと何も変えませんー…」と蘭丸は控え目な妻のように言った。


「魔王ミミは残念だがもうここには来んじゃろう。

 あとは魔王イカロスか…」


信長の言葉に、「調査の結果、雇わないことに決めました」という勇健の言葉に、「あいわかった」と信長は言ってから、勇健の頭をなでた。


「地道に仲間を増やせ。

 城は建てるから、それを起爆剤とせよ」


信長の厳しいがやさしい言葉に、勇健は笑みを浮かべて頭を下げた。


「…やはり人が増えると、波乱が大いにございます…」と幻影が言うと、ナンシーは大いに戸惑った。


自分自身もそう思われるのではないかと怯えたのだ。


「…何もやっていないのに怯える必要はないの…」という阿国のやさしいつぶやきに、ナンシーは何とか笑みを浮かべて頭を下げた。


「今までのことを見ていてよく分かったはずだわ。

 攻め込み過ぎると引くものよ。

 だったら、距離を取っておけばいいの。

 そして真摯に修行を積めば、

 必ずやお声掛けはあるわ」


ナンシーは阿国の指導を快く思って、心からの笑みを浮かべた。



ナンシーはこの日から蘭丸が目を見開くほどに驚かせる変化を始めた。


腹の底から声を出し、兄弟子たちがうらやむほどの体術を披露した。


そして木刀や槍をいとも簡単に操り、忍び修行の投擲については、現在高みにいる勇健を驚かせたほどだ。


もう何かに覚醒しているのではないかと思わせるほどの身体能力に、兄弟子たちはかなり気さくにナンシーに話しかけるようになった。


ほとんどが個人的な話で、仕事や趣味についてばかりで、武道の流派の門下生とは思えないほどに朗らかだったことに、ナンシーはさらに朗らかになった。


ナンシーが喜笑星に渡ってわずか五日で気功術師の入り口に立ったことに、誰もがその資質を大いに羨んだ。


『麻呂の言うことを信じるでおじゃる』


阿国に指導を受け始めてから、ナンシーはこの心の声を心の支えにしていた。


もちろん、まさに謎だったが、決して疑わなかった。


そして言葉遣いが、琵琶家家人たちの公家の言葉だと知ったのは、源久松がおどけて話をしていていた時のことだった。


『あなたは、信長様の星から来られたのですか?』


ナンシーは心の声に問いかけた。


『あいや、違うでおじゃる。

 この言葉遣いが気に入っただけでごじゃる。

 この地に来て、源弁慶に興味を持ったでおじゃる。

 そして源久松にも。

 まさに雅な生活環境にいたのだろうと、

 心が落ち着いたでおじゃる。

 もっとも、本人たちにそのような雅な心はなかったようでごじゃるが、

 麻呂は大いに気に入ったのでおじゃる』


ひと言聞けば数十倍の言葉を返してくるこの存在をナンシーは大いに気に入っていた。


ナンシーも口数は多いので、うっとうしく思うことはないし、この存在に従ったからこそ、気功術が使えるようになったようなものなのだ。


そして名を聞いたのだがないと答えられたので、『マロ』と呼ぶことに決めた。


『自分自身のことを麻呂と呼ぶのじゃが、まあ、よきかなよきかな』


麻呂はかなり優しい信長のように言って、ナンシーを大いに愉快にさせた。


しかしそれは内面だけの話で、ナンシーが感情ごと外に表すことはなく、幻影ですら気づいていなかった。



ナンシーは門下生の中でも一目置かれるようになり、もちろんナンシーを褒めるが、そのナンシーを見出した寅三郎にも好意の目を向けた。


やはり想い人を褒められるとナンシーとしても本当にうれしい。


うれしいのだが、ナンシーから話しかけないと、寅三郎から話してこないことだけを残念に思った。


しかし阿国の言葉を思い出し、自分の目の前にあるはずの明るい道とマロを信じで十日が過ぎた時、「明日、行くぞ」と信長が穏やかに言った。


ナンシーはこの件は聞いていて、琵琶家の本来の仕事の人助けのために宇宙の旅に出るのだ。


まさに実戦なのだが、お声掛けがないと旅に行けないことも聞いていた。


人が増えたことで、宇宙戦艦に乗り切らなくなったので、事前に幻影から念話で伝えられるのだ。


ナンシーには、『同行せよ』の幻影の声掛けがあり、『ありがとうございます』と念話を返した。


幻影とのつながりが切れた途端、『…相変わらず、昇天しそうなほどに怖いお方でおじゃる…』とマロは大いに眉を下げている姿が見えるような口調で言った。


『大成できるまで、消えてもらっちゃ困るわ。

 宿代をきっちりと頂かなきゃ』


『そうじゃ、その通りじゃ。

 じゃが、その宿代を支払える日も迫ってきたように思えてきよった』


マロの明るい言葉に、ナンシーは大いに戸惑ったが、『マロは常にそなたとおる』という力強い言葉を信じた。



その宿代を支払う日が今だった。


目の前はいきなり火の海に包まれた。


幻影が術を放つ前に、鉄砲水が当たりに散乱し始めた。


炎の熱気と明るさと煙で、何が起こったのか誰にもわからなかった。


さらには水が一気に蒸発して水蒸気が発生して、辺りの様子が全く確認ができなくなった。


しかし幻影がその水蒸気を吹っ飛ばした時、鉄砲水は消えていた。


そして幻影は改めて降雨の術を放って、琵琶家一同は大勢の人たちを救出した。


その元凶だった転がっている人型ロボットを信長が蹴り飛ばし、中にいた者を引きずり出して尋問した。


攻め込んだのはいいのだが、間抜けな司令官に傷を負わされたことに激怒して、風光明媚なこの場所に火炎放射器で火をつけたのだ。


この数日間、雨が降っていなかったこともあり、辺りは一瞬にして火の海となった。


ロボットが搾取などを始めようとした時に、いきなり鉄砲水に襲われて、ロボットが停止したと答えた。


その威力はかなりのもので、機体に穴が開いて、その隙間から大量の水が入り込んで、電気機器が短絡して機能停止したのだ。


水圧程度では穴が開くはずのない鉄板に、弾痕でしかない傷を確認した。


「…とんでもない水圧じゃな…

 しかも的確に。

 さらには、誰も傷ついておらん…

 この離れ業を誰がどうやったのか」


信長は言って、確信の目をナンシーに向けた。


実は、ナンシーにはその実感はない。


実感はないのだが、多分、自分自身の仕業ではないかとは思っていた。


自分の思いが通じたかのように、体から水が飛び出していたように思ったからだ。


『あんな悪い火はすぐに消さないとね』というマロの明るい言葉に、ナンシーは少しだけ今あったことを理解できたような気がした。


『…悪い火…』とナンシーが心の中だけでつぶやくと、『災いを放った者たちの思念でおじゃる』というマロの返答に、ナンシーはすぐさま納得した。


『ちなみに、魔力を含んだ消えない火も消せるでおじゃる』


マロが自慢して言うと、『水で、燃えるものを囲んじゃうのね』とナンシーが答えると、『…大正解ぃー…』とマロは渋々答えた。


ナンシーは悲惨なこの場所を極力笑顔で復興に従事した。



そして大問題が起こった。


全ての作業を終えて琵琶一家は喜笑星に帰還したのだが、一番の功労者が誰なのか、咲笑にも幻之丞にも判断できなかったのだ。


「まあ、ナンシーなんじゃろうがな」という信長の言葉に、琵琶家一同はすぐさまうなづいた。


自分自身ではないとなれば、信長の言葉に賛同してうなづくからだ。


よってナンシーだけはうなづいていなかった。


しかし、「申し訳ございません… その自覚がほとんどないのです…」とナンシーは答えて頭を下げた。


「ほとんどということは少しはあるということじゃな?」


「はい… まるで夢を見ているような感じ、でしょうか…

 ですので、皆さんと同じのような…」


ナンシーにこう言われてしまうとまさにそうだった。


「では、ナンシー以外の者で、その気配を感じた者」


信長が問いかけると、「水流の発生源はナンシー様を中心にしていたものと」とナンシーの近くにいた阿国が言った。


「じゃが、見えてはいなかったわけじゃな?」と信長が問いただすと、「はい、一瞬にして真っ白となり、顔を覆わねばなりませんでした」と阿国は答えた。


「…能力者を見事に欺くとは猪口才な…」と信長がうなると、『よきかなよきかな』とマロが言ったので、ナンシーは大いに眉をひそめた。


よってこの功労者の褒美は保留とした。


それはうず高く積まれている金で、さらには白金も上積みされて、とんでもない金額となるものだった。


「白金は能力者を欺いた分じゃ」と信長は言って、にやりと笑ってナンシーを見た。


「なにか、制約とかあるの?」と幻影がいきなり核心を突いたことをナンシーに聞くと、「いえ、そのような話はしたことがありません」と思い当たることを正直に答えた。


「ナンシー殿で間違いなさそうですが、

 自覚がないことを怪訝に思いますれば」


幻影の言葉に、「…神が付きおったか…」と信長はうなって、そして笑みを浮かべてうなづいた。


「…マロと名前を付けました…」とナンシーがホホを赤らめて言うと、真っ先に幻影が笑い始めて、大きな笑いの渦に巻かれた。


その事情をナンシーが話すと、弁慶と久松は大いに眉を下げていた。


「…さすが本来の神…

 …マロだけが使える雅言葉じゃな…」


信長の言葉に、『よきかなよきかな』とまたマロは言った。


「そのマロに質問してもよいか?」と信長が聞くと、『どうなの?』とナンシーがマロに聞くと、『良きに計らえー』と答えられたのでナンシーは眉をひそめて、「良きに計らえー、って答えましたぁー…」というと、また幻影が笑い始めた。


「そなたはどのような神なのじゃ?

 魂が存在しておらぬから、

 ナンシーがひとり芝居をしているようにしか思えんのじゃ」


信長の言葉に、ナンシーは大いに眉をひそめたが、阿国にそっと背中を支えられ、「疑ってなどおられませぬ」という言葉に、ナンシーは背中を押されたこともあって笑みを浮かべた。


「わかりやすい確証が欲しいのじゃ。

 いや、これは早計か…

 ナンシーの肉体がまだ耐えられん、とか…」


「わかっておるのなら聞かんでおじゃれ」と心の声の通訳の咲笑が言ったので、さらに幻影が笑い転げた。


「麻呂の想いは、ただひとりの少女の想い」と咲笑が言うと、「…神となったその瞬間の話じゃな?」と信長はすぐに言った。


「そうでおじゃったのか?!」と咲笑が目を見開いて言うと、「…本人にもよくわかっておらんようじゃ…」と信長は言って眉をひそめた。


「その少女とはナンシーでよいのじゃな?」


「そうそう! そうでおじゃった!」と咲笑が叫んだ。


「…何かあったかなぁー…」とナンシーと咲笑が同時に言うと、誰もが大いに眉を下げていた。


「慈愛の気持ちを向けたのは、

 なにも人ばかりではないじゃろう。

 物体物質にもその想いを向けたはずじゃ」


ナンシーは幼き少女の頃を思い出し赤面して、「…あ…」とつぶやくと、「…井戸だぁー…」と咲笑が言った。


「…わかりやすくてよい…」と信長は眉を下げて言った。


「…いつもいつも、綺麗なお水をありがとうって…

 …誰かに教わっていたわけでもなかったのです…

 辺りは戦だらけで、

 親たちに、そんな心の余裕はありませんでした…

 …ですが、私だけの想いではなかったような…

 …モルドを背負っていた…」


「…ま、その末、勇者となったほどじゃからな…

 勇者にも慈愛は必要じゃ。

 ナンシーは勇者とはならず、神に取り憑かれた。

 そして自分のことは二の次に、

 弟であるモルドを厳しく育て上げた。

 その勤めも終え、今はここにいて、

 ナンシー自身の修行を積み始めると、

 ついに神がさらにナンシーを認めて話し始めたといった感じか…」


「…先々言うでないでおじゃる…」と咲笑が眉を下げて言ったので、信長と幻影が大いに笑った。


その順に間違いはないと、マロの代弁者の咲笑が言った。


「ナンシーは引き続き、蘭丸、阿国に任せる。

 決して無理はさせるな。

 だが、出せる部分は徐々に引き出していけ。

 …さらには、ナンシーの花嫁修業も忘れるでないぞ…」


信長が最後はにやりと笑うと、ナンシーは大いに眉を下げてホホを赤らめ、蘭丸と阿国は笑みを浮かべて頭を下げた。


「ナンシーさんがお母さんになってくださるんだ!」とお凛が叫びながらお杏とともにやってきた。


「…喜んじゃいけないけど、やっぱりうれしいぃー…」と咲笑が言うと、「…心の声はもう終わりじゃ…」と信長が咲笑を諫めた。


「…居心地がいいからついつい…」と咲笑が眉を下げて言うと、笑みを浮かべている幻影に抱きかかえられてナンシーから離れた。


「咲笑の居心地がいいほどに、慈愛に満ちているわけだ。

 この部分は、モルドの世話をしていた時に、

 自然に身についたのかもな。

 赤ん坊でしかないモルドの想いが、

 ナンシー殿を変えたことも考えられる。

 じゃが、無理に思い出す必要はそれほどないだろう。

 今のナンシー殿自身に、

 間違いなど何も見当たらんからな」


幻影の力強い言葉に、ナンシーは笑みを浮かべて頭を下げた。


するとナンシーが眉を下げたので、「…参考のために聞かせて?」と幻影がつぶやくと、「…一番怖いお方に認められたでおじゃる…」とナンシーがマロ口調で言うと、幻影は大いに愉快そうに笑った。



「…一番怖いお方が幻影様…」とナンシーは休憩中につぶやいて、幻影と同格のマッドスタックを見た。


『ほとんど変わらん。

 わずかな資質の差と種族の差でおじゃる。

 まさに常に殿に敬意を示しておじゃる』


『寅三郎様は私のことをどう思われているのかしら…』


『…ふむ…』とマロは少しうなって黙り込んだ。


『すぐに近寄り、何も言うな』


ナンシーはすぐに立ち上がって身づくろいをしてすぐにマロの指示に従って、寅三郎の前に立った。


「マロの指示?」と寅三郎が眉を下げて言うと、ナンシーは何も言わずに笑みだけを浮かべた。


『…もう話してよいに決まっておる…』とマロが呆れたように言うと、「…はい、すぐに寅三郎様の前に立って何も話すなと…」とナンシーは答えて、顔を真っ赤にしていた。


「同時に話し出すと気まずくなるものだからな」


「…あー… そこまで気づかいをしてくれていた…」とナンシーは言って、マロに大いに礼を言った。


「もしよければ、夕餉の後に共に出かけないか?」と寅三郎が聞くと、「はい! 喜んでっ!」とナンシーは考えることなくすぐに答えた。


「…お母さんと逢引ぃー…」とお凛が言いながらナンシーに抱きつくと、お杏も真似をした。


「…ま、まあいい…」と寅三郎はここで大いに照れた。


「…えー… どーしてぇー…」とお凛がいきなり言うと、「どーちてぇー…」とお杏も真似をするように言った。


「…お勉強しなさいって、マロマロに言われたぁー…」とお凛が眉を下げて言うと、寅三郎とナンシーは大声で笑った。


「…お姉ちゃんにお勉強を習うでおじゃるって言われたぁー…」とお杏が言うと、「…念話のようなものね… 私には聞こえなかったから…」とナンシーは眉を下げて言った。


「マロマロがね、お父さんはお母さんが大好きだって!」とお凛が暴露すると、ふたりはさらに照れていた。


「…えー、そういったじゃん…」とお凛が眉を下げて言うと、「言葉通り?」とまたお凛が言ってから、「…着飾ったら好きになるかも、だったぁー…」とお凛が言うと、「あまり似てないが、マロの感情を先に読んだか」と寅三郎が言うと、「うん! そう!」とお凛は機嫌よく同意した。


「もちろん、好意は持っている」


寅三郎の堂々とした言葉に、「はい! うれしいです!」とナンシーは声を張って答えた。


「なんとも思わないって言われた時はショックでしたぁー…」とナンシーは言ってから、すぐに口をふさいだ。


「…軽口をたたくにはまだ早いって?」と寅三郎が眉を下げて聞くと、「…はい… そのままマロに言われてしまいましたぁー…」とナンシーは大いに眉を下げて言った。


「いや、軽口でも何でもいいから、

 思ったことを言ってくれて構わない。

 そうしないと先に進めぬと感じた。

 理解できなんだら、理解できるまで話を聞こう」


「ようよう、寅三郎、必死だなぁー…」


蘭丸が絡むように言うと、幻影がふたりに頭を下げながらやってきて、蘭丸とともに消えた。


「テレビドラマで、蘭丸お母さんのような人を見たよ?」とお凛が眉を下げて言うと、「…人をからかうことが好きな、ちょっと悪いやつのことだな…」と寅三郎も眉を下げて言った。


「でも、おとこらしさっていうのを見せるための、お芝居だったよ?」というお杏の言葉にも、「ああ、そんなお話だったな」と寅三郎は穏やかに言って、お杏の頭をなでた。


ナンシーは何も言わずに笑みを浮かべて、仲のいい親子三人を見ていた。



寅三郎は全く邪魔が入らないこの逢引を、大いに怪訝に思っていた。


今は茶店にいるのだが、ナンシーとふたりの貸し切りとなっていたことがまずおかしい。


だが、大いに気遣ってもらっていると思い、ありがたく思った。


よって話したいことはすべて話したので、席を立とうとすると、ナンシーは少し悲しそうな顔をした。


「場所を替えよう」という寅三郎の言葉に、ナンシーの不安は吹き飛んで、すぐに立ち上がった。


行った先は呉服屋で、ナンシーの和装を仕立ててもらうことにしたのだ。


―― 複雑怪奇な服だけど、まさに芸術品… ―― とナンシーは思って、笑みを浮かべて頭を下げた子供を見入った。


手には、和装を施している人形を持っている。


「こういった職業だ。

 わざわざ着ずとも、

 どのようになるのかを示してくれるのだ」


寅三郎の少し硬い言葉に、「ああ、賢い!」とナンシーが叫ぶと、少女は大いに照れていた。


早速、人形への試着が始まり、そして少女から勧められるままに人形を見入った。


「…すっごく詳しいのね…」とナンシーは少女に大いに関心の感情を向けた。


「お客様の面差しや仕草で、

 きっとお似合いになられると感じたものを

 選ばせていただいたのです」


着付け師の少女の朗らかな言葉に、「…特殊能力者のようなものだわ…」とナンシーは言って笑みを浮かべた。


「ま、商売だから、値の張るものも多いけどな」と寅三郎が眉を下げて言うと、「青天井でよいという、御屋形様のお言葉でしたので」と少女が内情を暴露すると、寅三郎とナンシーは顔を見合わせた。


「この程度のことは任せろ、とも言われておられました」


「…さぞや、仕事のやりがいもあっただろうな…」と寅三郎が大いに眉を下げて言うと、「はい! それはもう!」と少女は陽気にはっきりと答えた。


そして今度は店主が着物以外はすべて本物を示して、ナンシーはその素晴らしさに大いに戸惑っていた。


しかし、人形を見て笑みを浮かべてしまうナンシーもいる。


「…まるで夢を見ているよう…」とナンシーは笑みの顔に涙を流していた。


「…きっと… よく似合うだろう…」と寅三郎は照れている自分を大いに怪訝に思ったが、それほど考えないことにした。


着物などは着付け師の見立て通りのものを注文して、ふたりは若夫婦のように寄り添って店を出た。


「…総額いくらとか言うやつがおらんのも寂しいな…」と信長がくつろぎの間で、いつも座っている濃姫の居場所を見て言うと、「呼び戻すように指示をいたしますか?」と幻影が笑みを浮かべて言った。


「…少々厳しい罰だったかもしれんが…」と信長は言ってから、「咲笑は?」と信長は幻影に顔を向けて聞いた。


「現在、大慌てで戻ってきている最中でございます」という幻影の言葉に、信長は大いに苦笑いを浮かべた。


「一緒にいることと何ら変わらんではないか」と信長は言って鼻で笑って、忍びに向けて指で指示を出した。


「今回、髪飾りに関しては、

 阿利渚に持たせるために作成した試しの品を準備しておりました。

 やはりそれを選んだようですので、

 どの国の姫よりも一層豪華なものと」


「それほどでも釣り合わんからな」と信長は機嫌よく言って何度もうなづいた。


幻影はこの件には何も言わずに、「風のサラマンダーもいるような気がします」と真剣な目をして言うと、「おろうな」と信長は断言するように言った。


「その前に、火のサラマンダーとの接触はどういたしますか?

 ナンシー殿が完全に覚醒してからの方がよいように思っておりますが…」


「いや、こちらから行って覚醒までの道筋を聞こう。

 案外、知られざる何かがあるやもしれんぞ」


「御意」と幻影は言って、火のサラマンダーと明日の昼餉をともに摂ることに決まった。



すると濃姫が骨せんべいをバリバリとかじりながら戻って来て、「…自由を満喫しておりましたのに…」とまずは苦情を言って座ってから、念動力で膳を飛ばして目の前に置いて、菓子箱を置いた。


「現代的な不良と呼ばれるやつらと変わらんな」と信長は憎まれ口をたたいたが、濃姫は何も言わずに、菓子箱を開けて、今度は一番堅い岩おこしを出して、『ボリゴリッ!』と盛大な音を出して食い始めた。


「咲笑は?」と信長が言うと、「はい、ここに」と咲笑は言って、幻影の影から浮き出てきた。


「懐のものを出してみよ」という信長の言葉に、咲笑は大いに焦っていた。


「勝手に連れ出して悪うございました」と濃姫は悪びれることなく言い、頭を下げることはなかった。


「まあよい」と信長が言うと、濃姫は正面を向いたまま信長を見ることなく頭を下げた。


「ケンカなど、一度もなかったな」


「いつもいつも子ども扱いでございました」


「この先はそうもいかんじゃろう。

 よって、この喜笑星の政はお濃に一任したいのだが、

 どうじゃ?」


信長の言葉に、濃姫は信長を見て目を見開いた。


「城が三つともなれば、今までのようにはいかん。

 威厳のある城代が、この安土城には必要じゃ。

 もちろん、宇宙の旅には連れて行くが、

 基本的にはお濃は城の監視と防衛を受け持って欲しい。

 もっとも、出番はそれほどないじゃろうが、

 まさかがあっては困るからな」


「その大役、お引き受けしましょうぞ」と濃姫は堂々といい切って、菓子箱にふたをして、部屋を出て行った。


「大いに安心できまする。

 正規の手順で、無法者がやってくるほどですから」


幻影の厳しい言葉に、「もちろん、その撃退もお濃にやらせるからな!」と信長は言って愉快そうに笑った。



このあとすぐに、濃姫は悪魔を五人連れてきた。


悪魔たちの表情に安堵はなく、さらには濃姫の忠実な家臣だった。


三人は常に濃姫に付き、ふたりは竜神城と獣王城につく。


あとはその手下を選定すれば、濃姫の部隊が完成する。


「あんたがこっちに来たか」と寅三郎が顔見知りの美人村にいた悪魔に言うと、「ここは緊張感があっていい」と多少の威厳をもって言ったが、比較的穏やかだった。


「それよりも、セルラ星の王を決める戦いには出んのか?」


悪魔が寅三郎に聞くと、「ああ、俺は辞退だ」と答えると、「そう言いやがったか…」と悪魔は言ってにやりと笑った。


「セルラ星生まれではないが、ドレス村が俺の第三の故郷だからな。

 村から何か言ってきそうだから、先に俺の意思を伝えておこう」


寅三郎はミサに念話を送って、セルラ星王座決定戦には出ない意思を伝えた。


ミサは大いに残念がったが、この件をなぜ知ったのかと問い詰めて来たので、ありのままに答えると、ミサに反論の言葉もなく、悪魔たちをうらやましくに思った。


「ミサ殿が出るのなら、ガッツ村のモルド殿には気をつけろよ。

 なかなか強くなったはずだからな」


『酒井様が鍛えたのでしょ?』


「いや、大したことは何もしてないが、色々と経験は積ませたかな?」


『その姉はどうなのよぉー…』


「力はつけているし、

 少々特殊なことになってな。

 この先、大いに楽しみだ」


『私の居場所、あるんでしょうね?』


「いや、勇者は雇ったからいらない」


寅三郎の言葉に、ミサは今から喜笑星に来るようなことを言い始めたが、すべての事情を話すと、『…あの才神小恋子様を蹴った?』とミサが嘆くように言った。


「鬼もいるからな。

 鬼も勇者もひとりでいいからだ。

 だがそのうち、何か言ってきそうだけどな。

 …なんだ、知り合いだったのかい?」


『勇者で知らない方がおかしいわよぉー…』とミサは嘆くように言った。


「現在は役所の職員で、学校の教師をしているぞ」


寅三郎の言葉に、ミサは黙り込んでしまった。


「生き甲斐を探すのに大変なんだそうだ」


寅三郎の言葉に、『…必死になって修行をしていた私を思い出して嫌になってきちゃったわ…』とミサは大いに嘆いた。


「人は人だ」


『…はぁ… そうよね…

 だけど都合よくすごい力が手に入ったものね?』


ミサが興味を持って聞くと、寅三郎は包み隠さず真実を語った。


『…永遠の絆…』とミサがつぶやいた。


「ほかに四人いるからな。

 そのうちどこかで出会うだろう。

 今回は一番大物だったことで、

 少数精鋭の小隊を手に入れた。

 戦力的には大隊と何ら変わらんほどだ」


『…田舎に引き籠ったまま、呆けて消えるわ…』とミサは力なく言った。


「そのうちいいこともあるさ。

 じゃあな、姉ちゃん」


ミサは何かを叫んだが、寅三郎は念話を切った。


「…おまえ… すげえことを普通に言ってたな…」と悪魔がうなると、寅三郎は遠巻きで寅三郎たちを見ている、マッドスタック率いる家族に指を差した。


「…とんでもねえ…」と悪魔は虚勢を張らずに大いに嘆いた。


「一瞬で見抜くとは素晴らしい。

 合格だ。

 あ、そうだ名前を聞いていなかったな」


「カトレア」と悪魔は大いに不愛想に言った。


「そうか、よろしくな、カトレア殿」


「名前に余計なものを付けるな。

 ぶん殴るぞ」


カトレアが目を吊り上げて言うと、「それは悪かったな、カトレア」と寅三郎は言って頭を下げると、「…喧嘩にもならねえ、面白くもねえ奴…」とカトレアが悪態をつくと、寅三郎は愉快そうに笑って席を立った。


「あんたは、騒ぎは起こさないようでよかった」と寅三郎が笑みを浮かべて言うと、「ふん」とカトレアは鼻を鳴らしただけだ。



「あんたがあの程度で話を終えるとはね」


濃姫の言葉に、「上司としては何も問題はありませんし、出来過ぎです」とカトレアは言って頭を下げた。


「だが、魔王となった時、ぶん殴ると思います」


カトレアが顔を上げながら言うと、濃姫は大いに笑って、「組み手場だっら構わないわよ」と気さくに答えた。


「ですが、もう見抜かれたと判断します。

 誘っても乗ってこないでしょうが、

 俺の修行という名目でなら付き合ってくれるでしょう」


「そうね、定期的には手合わせはできるでしょう。

 その時その時を、ぶっ倒れるまで経験した方がお得よ」


濃姫の言葉に、カトレアは、「はい、姉さん」と答えて頭を下げた。


するとマッドスタックがやって来て、「お話し中、申し訳ございません」と濃姫に言って、頭を下げた。


「いえ、いいのよ」と濃姫は笑みを浮かべて答えた。


「主が手合わせしてくださるそうだが、来るか?」とマッドスタックがカトレアに聞くと、「…早速だったかぁー…」とカトレアは嘆きながらも立ち上がって、「やるに決まってる!」と叫んで、勢いよく立ち上がったが、恐怖で膝が笑っていた。



「…マロのこと、興味ないのかしら?

 普通、根ほり葉ほり聞くんじゃないの?」


ナンシーは寅三郎たちの後を追って、無意識に言葉にしていた。


『その前に、声に出ているが、よいのでおじゃるか?』


ナンシーはようやく自覚したのだが、「…声に出すことが普通じゃない…」と何とか答えた。


『それもそうでおじゃるな。

 ナンシー殿がそれでよいのなら別にかまわんでおじゃるが、

 興味を持たれてしまうでおじゃるぞよ?』


『それもそうね…

 目立たないことにするわ…』


ナンシーは反省して、マロとの会話は声を出さないことに決めた。


『寅三郎殿は、麻呂のことは忘れておった』


「えっ?」とナンシーはついつい声を出して、手のひらで口を押えた。


『意識的なのか、ナンシー殿に集中していたのかはよくわからんが、

 隠していたようには思えんかったでおじゃる。

 よって、忘れていた、が多分正解でおじゃる。

 普通の人間ではありえないほどの達人でおじゃるよなぁー…

 幻影殿も同じようなものでおじゃるし…』


ナンシーは無意識に何度もうなづいて、『私のこの先の修行だけど…』と聞くと、『方向性は見えたでおじゃる』とマロが答えると、ナンシーは自然に笑みを浮かべていた。


『縦にも横にもさらに体を大きくなされるが吉』


マロの言葉に、『…見た目で嫌われるじゃない…』とナンシーは大いに嘆いた。


『このままでもよいのじゃがな…

 都合がいい時しか変身ができんぞよ?』


『…中途半端すぎるわ…

 え? 変身?』


『この前、変身したぞよ?』


マロの返答に、ナンシーは絶句した。


『今のような状態であれば変身できるでおじゃる。

 一瞬、心と体が分断されたでおじゃる。

 それは思わぬ事態や見聞きしたもの、

 すなわち驚きの感情によって、

 肉体への意識を断たれた瞬間じゃ。

 今はこの時のみ、苦痛を伴わないのでおじゃる。

 それを緩和するには、肉体を鍛え上げ、

 大きくし、さらに若返ることがお勧めでおじゃる』


『…なんだか、究極の選択だし、普通、できっこないわ…』


『寅三郎殿が、ナンシー殿を欲していることは変わらんでおじゃる』


ナンシーの変身条件がまた訪れたが、変身することはなかった。



ナンシーはマロの解説を聞きながら、寅三郎たちの組み手を見入った。


マッドスタックの家族たちの実力は普通ではなかった。


琵琶家の猛者たちが大いに呆れるほどに強かったのだ。


だが、それを赤子扱いにする寅三郎の方がとんでもなく強い。


しかもまだ魔王に変身していないのだ。


二巡目になり、寅三郎は魔王の姿に変わった。


すこし離れていれば問題はないようだが、近づいて前に立つと、誰もが膝を震わせた。


信頼のおけるマッドスタックですらも全く同じなのだ。


『…ここではわからない?』とナンシーは疑問が沸いたのでマロに聞くと、『多少はあるでおじゃるが、さて、ナンシー殿はどうなんじゃろうか』と答えた。


そして組み手の結果は、魔王がマッドスタックをさらに赤子扱いにした。


「初めての機会を与えて下さり、ありがとうございます」とマッドスタックは大いに眉を下げて、変身を解いた寅三郎に礼を言った。


「あ、そうだったのか…

 それは気が利かなくて悪かった」


寅三郎は笑みを浮かべて言って頭を下げると、「畏れ多いことでございます! 頭を下げないでくだされ!」とマッドスタックは怯えるように言った。


「わかった。

 お前がそういうのならばそうしよう」


そしてマッドスタックが組み手場の外に出て、「ナンシー殿、行かれよ」という言葉に、ナンシーは目を見開いたが、心と体は裏腹で、もうすでにナンシーは寅三郎の目の前にいた。


「…わずかだが確認できた…」と今度は寅三郎が目を見開いていた。


「…えー…」とナンシーは言って、かなり離れていたはずの寅三郎を見上げた。


「今はまだ操られているようなものだろう。

 それしかできない?」


寅三郎の言葉に、「肉体への意識が切れた時は問題はないと、マロが」とナンシーは答えてようやく理解できたと気づいて、寅三郎に笑みを向けた。


寅三郎はうなづいてから魔王に変身した。


ナンシーは目を見開いたが、「…うわー… 大きいわぁー… まさか私もこれほどにならないといけないのかしら…」と大いに嘆いた。


「そうか、体を大きくすることが修行か…

 …なるほど…

 だが、それは持って生まれた身体性能で、

 萬幻武流では、別の意味で肉体の濃度を上げるから、

 大きくなくてもよいはずじゃ」


『…うわー… 言った通りだぁー…』とマロが言うと、「…ああ、よかったぁー…」とナンシーはふたりに答えるように言って、安堵の笑みを浮かべた。


「ナンシー殿、組み手はどうする?」


「はい! お願いします!」とナンシーは答えて、なかなか様になってる、今のところ固まっている構えを取った。


魔王は軽く腰を落として、重心を真下にして、右の掌底を繰り出すと、ナンシーは受け流すようにして右に体をひねった。


だが、思ったよりも回転してしまったが、まっすぐに魔王を確認した。


―― 風圧?! ―― とナンシーが考えると、『…普通ではないでおじゃる…』とマロは嘆いた。


ナンシーも手を出すが、全く当たらない。


だがナンシーは満面の笑みを浮かべていた。


数十手手を出し合い、「今日はこの程度でいいだろう」と魔王が言うと、ナンシーは物足りなかったのだが、ナンシーひとりで時間を割くわけにはいかなかったので、「はい! ありがとうございました!」と叫んで頭を下げてから、スキップを踏むようにして組み手場を譲った。


『よきかなよきかな、大成功でおじゃる』


マロが機嫌よく言うと、『何が?』とナンシーが聞くと、『組み手を見ていればわかるでおじゃる』とマロは陽気に言った。


ついには萬幻武流門下生が魔王と相対したが、全く力が入らないのか、あっという間に勝負がついてしまう。


普段の強さが全く見られない組み手に、ナンシーは怪訝に思ったが、『…恐怖を感じてるってことでいいの?』とマロに聞くと、『その通り。よって、体の自由が効かない状態となっておるのじゃ』と機嫌よく答えた。


『…もったいない…』とナンシーは言って眉を下げて言うと、マロは、『はっはっはっは』と軽快に笑った。


「…お母さんでしかないよ?」といつの間にかナンシーに寄り添っていたお凛が満面の笑みを浮かべてナンシーに言うと、「あら、うれしいわ」と言って、ナンシーはお凛とお杏と手をつないで、「人質にしちゃお」とふたりに笑みを浮かべて言うと、ふたりは陽気に笑った。


「ナンシー殿、もう一手どうだ?」と魔王が聞くと、ナンシーはお凛とお杏を抱き上げて素早く走って、「さあこい!」と叫ぶと、「…降参だ…」と魔王は眉を下げて言って寅三郎に戻った。


「お母さんが勝った勝った!」とお凛もお杏も無邪気に大いに喜んだ。


「…ふっ とんだ茶番じゃが、

 今のがナンシーが持つ最大の攻撃じゃったな…」


信長が機嫌よく言うと、「御意」と幻影は笑みを浮かべて答えた。


「同じ手はナンシー殿以外誰にも使えません。

 お凛とお杏は変身を解いて動物に戻って離れますから。

 ふたりを盾にできる唯一でしょう。

 まずは、ふたりとナンシー殿は家族となったようです」


幻影が語ると、信長は笑みを浮かべてうなづいた。



「馬鹿にするな!」と今の一手を見ていた悪魔カトレアが叫んだ。


「ナンシー、やれそうか?」と寅三郎が聞くと、「はい、お任せを」とナンシーは言って、お凛とお杏を寅三郎に差し出した。


まさに、仲がいい四人家族にしか見えなかった。


寅三郎は組み手場を離れ、「ナンシーと戦ってみよ」とカトレアに言った。


カトレアは目を吊り上げて、「おう!」と叫んで、一瞬にしてナンシーの目の前にいた。


ナンシーが武道の精神に則り、武道の礼をして構えを取った。


『投げを放て!』とマロが叫んだ瞬間に、カトレアの拳が飛んできた。


ナンシーは難なく拳をかいくぐって、カトレアの太く硬い腕を取って、その勢いのまま地面に叩きつけて、蘭丸に習ったばかりの固め技で固定した。


「…おー…」と誰もがうなって拍手をした。


「もう寝た、解いてやれ」と寅三郎が言うと、ナンシーは大いに慌てて、「…悪魔なのに弱いわ…」と眉を下げてつぶやいた。


濃姫が眉を下げてやってきて、カトレアを乱暴に介抱すると、カトレアは目を見開いて、「くそっ! くそっ!」と叫んで地面に拳で穴を空けていった。


「体重が重い分、投げ技が弱点のようなものなの。

 しかも、ナンシーはほとんど力は使っていないけど、

 あの投げ技は素晴らしいものだった」


濃姫が笑みを浮かべて言うと、「マロが投げろと言ったので」とナンシーは笑みを浮かべて答えた。


「…そう… あなたは約束された地位を手に入れたわ…」と濃姫は言ってから、カトレアを抱き上げて歩き始めた。



ここからのナンシーは、お凛とお杏の言いなりとなった。


その中で真珠は大いに面白くないのだが、動物だからこそ、ナンシーの恐るべき潜在的能力も理解できている。


「…真珠ちゃんは猫…」とナンシーはつぶやいて、人型の真珠の顎の下をやさしくなでると、真珠は恍惚とした表情になって、ナンシーの言いなりとなってしまった。


そして、「…色々と協力して欲しいの…」とナンシーがつぶやくと、「…うん、わかったの、お母さん…」と真珠はうっとりとした目で答えて、お母さんっ子となった。


穏やかに夕餉を終えて、ナンシーはお凛とお杏の言いなりだったのは変わらないのだが、問題は就寝だった。


もちろんふたりはナンシーを寝所に誘うが、ここは真珠が威厳を放って、「無理を言ってたらお母さんに嫌われちゃうよ?」という言葉には逆らえず、今まで通り家族四人で寝ることにした。


ナンシーとしては残念この上ないのだが、寅三郎のほっとしたような残念なような顔色を見られただけで満足だった。


もちろん寅三郎の、『婚姻してからの話』を尊重した意味は大きい。


ほんのわずかでも、寅三郎の心に負担を負わせたくなかったからだ。


しかしナンシーは早速仲間になった、マッドスタックの家族の、勇者ミスティンと能力者マデリーンのふたりの女性と寝所をともにして、面白おかしく語り合って眠りについた。



翌朝、ナンシーたちと寅三郎たちは修練場で顔を合わせて朝の挨拶を済ませた後、「…今夜はお母さんと一緒に寝ようかなぁー…」とお凛が言い始めた。


「あら? お父さんをひとりにしちゃうと寂しいんじゃないの?」とナンシーが言うと、お凛とお杏はすぐにうなづいてから、ミスティンとマデリーンを見た。


「…お母さんと仲良し?」とお凛がふたりに聞くと、「ええ、夕べは楽しかったわ」とミスティンが笑みを浮かべえて答えると、「…悩むぅー…」とお凛とお杏はかわいらしく悩み始めたので、誰もが朗らかに笑った。


「俺の弟子のナンシー、こい!」と蘭丸がこれ見よがしに言うと、幻影は腹を抱えて笑った。


ナンシーはすぐさま走って蘭丸に近づいて挨拶を交わした。


「お前の資質的には、長剣よりも杖の方が性にあっている!」


蘭丸が大声で言うと、「…個人指導なんだから普通でいいよ…」と幻影が眉を下げて言うと、「ここは気合が肝心だ!」と妙な理屈をつけて態度は変えなかった。


悪魔にとって、常に高揚感を上げておくことは、まさに快感なのだ。


そして優秀な弟子を抱えたからこその高揚感でもあるので、蘭丸は指導をするだけで能力が跳ね上がっていく。


もちろん、自慢をしている意味も大いにある。


ナンシーは蘭丸の指導を受けながらも対しているのは幻影だ。


もちろん組み手ではなく、幻影の真似をして杖を振るうという訓練だ。


しかし、「お母さん、がんばれぇー!!」とお凛とお杏の応援は遠慮がなかった。


誰もがこの応援を自分自身に向けるものに変えて、快く修練を熟した。



ナンシーは朝っぱらからの厳しい訓練をふらふらになりながらも耐え、三人になった子供たちとともに風呂に入ってから、さらに拍車がかかった食欲を見せつけた。


「…楓に期待するか…」と信長は何とかここは堪えて、黙々と食事を摂った。


「もしも楓が認めた者がいれば早々にでも」と幻影が答えると、「それでよい」と信長は機嫌よく答え、食欲に拍車がかかってきた。


「じゃが、学士か…

 となれば、それなりの学問は積んでおるはずじゃが?」


「はい、あの万有源一を師として一年ほど。

 体験時間は十年程度だったそうです」


幻影の言葉に、信長は何度もうなづいた。


異空間部屋を使って、一年を十倍にして、濃厚な時間を過ごしたのだ。


よってナンシーにとってはさらにいい経験になっていた。


琵琶家一同はノスビレ村の砂浜に移動したのだが、信長は幻影と蘭丸を従えて、少々早めに大屋京馬とその妻の大屋楓と面会した。


「混み入った話をしたかったので、予定を少々早めた、許せ」


信長の言葉に、「いえ、まったく構いません」と京馬は笑みを浮かべて言って、三人を異空間部屋に誘った。


デヴィラは興味津々だったのだが、異空間部屋に入られるとどうしようものないので、今日は堂々と砂浜の村に飛んだ。


そして愕然とした。


寅三郎とは離れた場所に、お凛とお杏が絡みついているナンシーを発見したのだ。


デヴィラはすぐさま影に事情を説明させ、「…だからこそ異空間部屋か…」とデヴィラは大いにうなった。


「かわいそうだけど、あんたの出番はなくなったわ」と濃姫の言葉は聞こえたのだがどこにもいない。


しかも念話でもないので、デヴィラは大いに慌てた。


「…うふふ… 悪魔だった当時は、あなただってできたはずなのに…」とまた濃姫がつぶやくと、「…こんなこと、できたことなんてないぃー…」とデヴィラは悔しさを乗せて言葉を放った。


「次元解になればよくわかるわよ」と濃姫が挑戦するように言うと、「くっ!」とデヴィラはうなってから、その姿を次元解に変えて、少し体を翻した。


「簡単なことだったか」と次元解は鼻で笑った。


「難しいのは触れているのに触れていないように見せかけることなの」


次元解の背後の目が捉えている濃姫が言った。


「服を着させるように固定した」と次元解が答えると、「さすがだわ」と濃姫は言って、三百六十度ある視界から消えた。


「頭の上」とデヴィラが言うと、濃姫は愉快そうに笑った。


「そうね、見えなきゃ頭の上か地面の下だもの。

 だけどあなたって、全方向が見えても、それほど目はよくないのね?」


「なっ?!」と次元解はうなった。


まさに次元解の視野の弱点はこれだったのだ。


見え過ぎると頭痛を招くので、普通の人間よりも視力は悪い。


濃姫が次元解の真正面に姿を現すと、「何をやった…」と次元解はつぶやいた。


「忍び用の擬態布よ」と濃姫は言って、改良を施してある布を上下すると、背後の風景が見え隠れする。


次元解はデヴィラに戻り、「今ならわかる」とデヴィラは悔しそうに言った。


「ここを出て、一緒に過ごさない?

 宇宙の旅にも出られるわよ」


「いや、その意味はもうない」とデヴィラが答えると、「失恋の心の痛手」と濃姫に一番痛いところを突かれた。


「あんたも知っている佐竹武蔵の資質は高いわ。

 それに今は城の家老に甘んじているけど、

 忍びの佐田与助も気に入ると思うの。

 琵琶家はそれなり以上の男性も多いわよ」


「…サダヨスケは知らない…」とデヴィラはつぶやいて、かすかな希望が湧いた。


「じゃ、昼餉の後に遠足に行かない?」と濃姫の話に、デヴィラは快く乗った。


この話し合いの一部始終はよくわからないが、寅三郎はある程度は理解して笑みを浮かべた。


すると信長を先頭にして、京馬と楓が飛んできていた。


デヴィラは少し頭を下げて、信長、幻影、蘭丸とあいさつを交わした。


「濃姫様に、サダヨスケを紹介されました」とデヴィラが言うと、「ああ、よいのではないか?」と信長は快く言った。


「それほどですか…」とデヴィラが嘆くように言うと、「先に言っとくが人間じゃぞ?」という言葉に、「酒井様の一件もあって、琵琶様のご推薦であれば、人間も能力者もそれほど関係はありません」とデヴィラは言い切った。


「与助殿は現在は気功術師となっております」という幻影の言葉にも納得がいった。


「続々と、じゃな」と信長は堂々と言ったが、一抹の寂しさも感じていた。


「誰もが希望に満ち溢れております。

 さらには昨日の組み手で、弁慶が変わろうとしています」


「そうかっ! それはめでたい!」とまさに我が子の出世のように、信長は大いに喜んだ。


「…あの、化け物級の弁慶様がさらに変わる?」とデヴィラがつぶやいた。


「はっきり言って、見た目が変わるだけです」という幻影の言葉に、信長は機嫌よくうなづいた。


「がっかりするんじゃないの?」と濃姫が眉を下げて言うと、「永遠の命を得ることができる」という信長の明るい言葉に、「…限界を超えてもなお鍛えるのね…」と濃姫は眉を下げて言った。



昼餉前に、寅三郎はデヴィラを見つけて眉を下げて席を立つと、デヴィラも同じ行動をとったので、お互い苦笑いを浮かべあって歩み寄った。


「…なんて、綺麗な人… それに、あの体は反則だわぁー…」とナンシーは大いに嘆いた。


「普通だよ?」とお凛とお杏が同時に言ってナンシーを見上げて笑み浮かべると、「自信がついたわ」とナンシーは言って、ふたりの頭をやさしくなでた。


「悪魔だったっていうところも大きいようよ」と真珠が言うと、「悪魔からさらに覚醒したのね…」とナンシーは言って大いに眉をひそめた。


「完成品など面白くもなんともない!」と真珠が叫ぶと、お凛とお杏は、「似てる似てる!」と喜んで手を叩いた。


―― 御屋形様の真似だったのね… ―― とナンシーが眉を下げて考えていると、マロは、『おひょおひょ!』などと愉快そうに笑っていた。


「だけど、私だって完成するかもしれないのよ?」とナンシーが言うと、「あー…」とお凛とお杏が同時に言ってうなだれた。


「それもあるんだけど、その過程をともに生きることに意味があるの。

 幻影様はよくおっしゃってたわ」


真珠の言葉に、「…それはその通り…」とナンシーはつぶやいて笑みを浮かべた。


寅三郎はほんのわずかな時間デヴィラと語り合って戻ってきた。


「…最大の杞憂が去った…」と寅三郎は真剣な目をして言った。


そして、「ある意味、相思相愛だったもんでな」という言葉に、ナンシーたちは目を見開いた。


「旅を終えたらすべてを決めると伝えておいた。

 旅を終えて、家族ができていた」


寅三郎は言って、真っ先にお凛に笑みを向けた。


「その結果の断りを入れたのだが、デヴィラ様に見合いの話があったそうだ」


寅三郎の言葉に、女子四人は大いに興味が湧いていた。


「俺なんかよりも、大人の付き合いができるはずだと確信したなぁー…」


寅三郎の言葉に、「…誰なのよ、お父さん…」と真珠が大いに動物の気を放ってうなると、「…おいおい…」とマッドスタックがまず言った。


「さすが俺の娘だ」と寅三郎はまず言ってから、真珠の頭をなでた。


「真珠だけは知っている、佐田与助殿だ」と寅三郎が言うと、「…とんでもなく隠れた大物だったわ…」と想像ができていなかった真珠はうなるように言った。


「…お嬢、それほどなのか?」とマッドスタックが真珠に聞いた。


「忍びの術は幻影様と同等よ。

 それに最近、気功術師にもなられたわ。

 まさに、その成長を見守って寄り添うのが、

 デヴィラ様の生き甲斐にもなるんじゃないのかしら?

 精神的にも、幻影様とあまり変わらないわ。

 忍びの世界の長と言っても過言じゃないの」


「しかし、それほどの者が琵琶家に寄り添っていない理由があるはずだが?」


「寄り添う必要がないほどに厳しいことがひとつと、

 人をまとめることがうまいから家老職もできるの。

 今はその家老職についていて、

 そのうちこっちにも来られるわよ。

 今は、サルサロス星の安土城の任に就かれておられるから」


「…あの喜笑星とここだけではなかったのか…」とマッドスタックは目を見開いて言った。


「昨日の夜聞いたぁー…」とミスティンが眉を下げて言うと、「…女でなかったことが口惜しい…」とマッドスタックは言って小声で笑った。


「あまり詰め込むのも問題だからな。

 それに我が母星もあるから、

 琵琶家が気さくに行き来できる星は、

 この右京和馬星、フリージア星、アニマール星、セルラ星の六つがある」


「…何たるほどの勢力か…」とマッドスタックが高揚感を上げた。


「もちろん、琵琶家が牛耳ているのは喜笑星のみ。

 あとはその土地に住む場所を借りているだけだ。

 時々いろんな場所に行った折りにでも、

 逐一説明した方がわかりやすいからな」


「…確かに、混乱しそうだ…

 ここに来た時も、そうだった…」


マッドスタックは言って眉を下げた。


「ここは凶暴な動物や怪獣が住む星だからな。

 人間は身を守るようにして住んでいることとなんら変わらん。

 もちろん、どのような条件下でも殺生は禁じておるからそのつもりで」


寅三郎の言葉に、酒井家家人は全員が頭を下げた。


「ひとつの殺生が全てを狂わせることもございますからなぁー…」とマッドスタックは眉をひそめていった。


「最低でも殺さないことは重要だ。

 そうしないと、復讐心に満ち溢れた者たちを相手にする必要がある。

 それだけは避けて通るべきだろうが、

 生かした場合、黙らせる必要もある。

 何をしても無駄と思い知らせるために、

 この琵琶家は存在しているようなものだ。

 もちろん、琵琶家から侵略目的の攻撃はしない。

 御屋形様はすべての平和を望まれておられるからだ」


「…今回が一番厳しい…」とマッドスタックは大いに眉を下げた。


「前回は、蹴散らせばそれでいいような星だったからな」と寅三郎は眉を下げて言った。


「だが、殺さずの方が大いに厳しいぞ」


「おう… それは身にしみてわかっているつもりだ…」とマッドスタックは眉を下げて言った。


「あ、そういえば、お前たちがいた星は問題ないのか?」と寅三郎が今更ながらに聞くと、「任せろ!」と信長がいきなり叫んだので、マッドスタックたちは背筋が伸びていた。


「確認の後、明日はその星に行く。

 城の建設はそのあとじゃ。

 もっとも、確認を終えてすぐに出向くこともあろう」


信長がにやりと笑っていうと、誰もが一斉に頭を下げて、配膳された料理を、高揚感を上げて食らい始めた。


「…我らがおらぬとも、数日は問題ないと高をくくっていたが…」


マッドスタッドは今頃になって心配になってきたようだ。


「二度と心配事が起こらないように正されてくださるさ。

 何だったら、条件さえそろえば、

 我が酒井家はその星に住居を移してもいいと思っているんだ」


「おおっ!」と叫んだのは能力者のパトリック・カミュだけで、大いいにバツが悪そうな顔をした。


「…パトリックだけが、モルト星生まれなのです…」とマッドスタックは眉を下げて言った。


「移住するとなると、どんな感じだ?」


「人が多すぎます」


マッドスタックの言葉に、「…それでは落ち着かんな…」と寅三郎は言って残念そうにかぶりを振った。


「だが、お願いして社を建ててもらう。

 そうすれば、領地の平和だけは確保できそうだからな」


寅三郎の希望がある言葉に、パトリックは復活して大いに喜んだ。



昼餉が終わってから、そのパトリックと幻影が砂浜の村から消えた。


そのわずか三十秒後に、幻影とパトリックは蘭丸から飛び出してきて、「大きな戦が起こりそうです」と幻影はそれほど慌てることなく信長に報告した。


「先手必勝!

 まずは蹴散らしてくれようぞ!」


信長が気合を入れて言うと、「おう!」と誰もが大いに叫び、竜一族も巻き込んで、この場にいた全員が消えた。


いきなり百名ほどの大人数が現れたので、パトリックの近親者たちは大いに驚いて目を見開いた。


「ここもなかなかの田舎じゃ」と信長の機嫌はいい。


「確かに、人は多いようです。

 母星の倍ほどはいようかと。

 奇跡の技でも持っている者がいるのでしょうか?」


幻影の疑問に、「蘇りじゃ」と信長は悲しそうな目をして言った。


「…やはり、そのような術を使って…」とマッドスタックは大いに悔しそうにうなった。


「死霊… アンテッドというやつではない。

 それは魂を持たぬ亡者じゃからな。

 蘇りは死者の肉体をそのまま使い魂も持っておる。

 あまり放置しておくと、来世にも影響がある。

 じゃが、一喝入れればすべてが終わる」


信長は胸を張って言い、幻之丞が出している映像を確認してから、空気を大きく吸い込んだ。


「くそたわけどもめらがぁ―――っ!!!」というとんでもない叫び声に、この場にいる者のほとんどが尻もちをついた。


信長が映像を見て、「弔いじゃ」と悲しそうに言うと、「おうっ!」とエカテリーナが答えてすぐさま立ち上がり、巨大な緑竜となり、巨大な翼で戦場を何度も扇ぎ、草木を成長させた。


それと同時に、ゾンビという蘇りを受けていた肉体は、土に潜るようにその姿を消していた。


「推定で、十万人ほど消えました」と幻之丞が報告すると、「…そうか…」とだけ信長は悲しそうに言った。


「まずは、この村の回りだけ、安全を確保する。

 まずはすべてを任せろ」


信長の言葉に、誰もが素早く頭を下げた。


その言葉通り、この村を中心にして半径百キロ圏内には、蘇りを受けた者は誰もいなくなった。


よって解放した魂は約一億となり、見える範囲の大地は全てが草木で覆われた。


「よしっ! 飯じゃ飯!」とほぼひとりだけ大いに働いた信長は機嫌よく言って、早速ハイネたちが幻影が出した厨房を使って、調理を始めた。


春之介がすぐさま社を建てたので、食材切れの問題はない。



先勝の宴を終えて、「どれほどの期間を経てこうなった?」と信長がマッドスタックに聞くと、「二百年程前から増えてきたそうです」とすぐさま答えた。


「今頃首謀者は戦々恐々としておることじゃろうて。

 術者も蘇りの可能性が高い。

 何らかの保護をして、生きながらえておるはずじゃ。

 きっと、家族ぐるみでな」


信長は言って、家族たちを見まわした。


「…家族の死を認めませんでしたか…」と幻影が少し悲しそうに言うと、「ワシじゃって、蘇りの術が使えれば、同じようなことをするかもしれん」という信長の言葉に、誰もが我がことと考えてうなだれたが、信長の気持ちをうれしく思っていた。


「死神は?」と信長がマッドスタックに聞くと、「いえ、おりません… 魂の循環システムは、この星は崩壊していますので」とすぐさま答えた。


「そうなったのはいつ頃じゃ?」


マッドスタックは目を見開いて、「…あ… 二百年程前です…」とつぶやいた。


「魂は永遠としたのじゃろうて。

 よって、循環システムそのものを消した。

 まあ、願掛けのようなものじゃろう。

 濃姫! お蘭!

 資格をやった!

 高資格者を蘇らせろ!」


信長の心からの叫びに、濃姫と蘭丸は合計五名の死神を構築した。


「魂を拾いに行きなさい!

 この星に新たな災いが起こらないよう、処置いたします!」


濃姫の心からの叫びに、死神たちは頭を下げて、飛んだと思ったらもう戻ってきた。


そしてお濃と蘭丸とで、魂を大いに食らって、魂自体の浄化を施した。


「…魂饅頭の方がおいしい…」と濃姫が嘆くと、「最高級の魂饅頭をご用意いたします!」と寅三郎が叫んだ。


すると、濃姫と蘭丸はさらに拍車をかけて働き始めた。



「剛毅、神の仕業じゃと思うか?」と信長が聞くと、「はい、間違いなくその通りかと」と万有剛毅は断言した。


「もう物語は見えておるようじゃな?」


「はい…

 魂の循環システムをつかさどる者で、

 神が愛する者が、原因不明の病にでもかかったのでしょう。

 高確率で、人間たちと交流はあったと思います。

 さらにはこのようになることを

 人間たちが考えていたような気がするのです。

 その首謀者の人間たちは高確率で安全な場所にいるはずです。

 しかし、二百年は少々長いように思いますので、

 その画策に何らかの手違いがあったように思います。

 ゾンビではなく、アンテッドに人間を変えるのだろうと

 予測していたのではないかと考えました。

 アンテッドの場合、いずれは肉体は朽ち果て、

 早期に落ち着きを取り戻すはずですので。

 妙な画策をしたしっぺ返しだと推測しておりました」


「あいわかった!」と信長は叫んで何度もうなづいた。


「いずれにせよ、全てを天に返す!」


信長の気合の入る言葉に、「おう!」と誰もが威勢よく答えた。



ここからは、人間たちが防御している村を取り込むように大陸を巡り、最終的な健常な人間の人口は一億以下まで減少した。


そして琵琶家一同はついに元凶といえる古い城を包囲した。


咲笑と幻之丞の調査により、この地が全ての中心だと解明できたからだ。


「言い訳があれば言ってみろ!」


信長が叫んだが、返答はなかった。


「生ある者はいずれは死するものだ!」


「何もかも人間が悪いのです」と咲笑が言った。


そして城の内部の映像が映し出され、大勢のゾンビが動くことなく倒れていた。


辛うじて生きているひとりが言った言葉だったようだ。


「おまえは人間の言った甘い誘いに乗ったよな?」


「…こんなことになるなんて…」


「…この、たわけが…」と信長がつぶやくと、「…一体が、灰になりました…」と咲笑が悲しそうに言った。



災いがあったのはこの大きな大陸だけで、この星の特徴はほかには大きな大陸はない。


そして点在する島には人間はひとりもいなかった。


人間が住んでいた形跡はあるのだが、どうやらすべて猛獣の餌になったようだった。


その中に、少々立派だったと思われる城のようなものが、大きな地下の空間にあり、ここも猛獣に襲われたのか、様々なものが散乱していた。


人間だったと思われる者は、綺麗に白骨化していた。


「この場所は知らなかったようだな」と信長がマッドスタックに聞くと、「はい、島の調査は近場しか行っていませんでした」と眉をひそめて答えた。


「ですが、大陸にはそれほど凶暴な動物はいないはずでしたが…」


「その動物がゾンビ化して手を付けられない状態にしたとしたら?

 それがダイゾだと一大事じゃ」


信長の言葉に、誰もが体を震わせた。


「…神の獣がいたと、聞いたことがあります…」とパトリックは顔面蒼白の表情で言った。


「巖剛、今まで移動していて何か感じたか?」


「いえ、今まで行った場所には、それらしきものの気配はありません」と巖剛が堂々と答えると、「大きな存在感を持つ魂も、この辺りにはありません」と幻影が言った。


「大陸に戻れない何かがあった…

 だが、まさか今戻っている?」


信長の言葉に、幻影、寅三郎、そして勇健と美麗が消えた。


『発見しました!』と幻影が念話で叫ぶと、「すぐに飛ぶ」と信長は言って、全員を抱え込んで、幻影の魂に飛んだ。


「絶命しています」と寅三郎が無表情で言った。


まさに、地面に倒れているその姿は雄々しきダイゾだった。


本来ならば、その体は灰色なのだが、ほぼ黒にしか見えなかった。


その皮膚には、人間の血が何層にもこびりついていたのだ。


「…哀れな…」と信長がつぶやいて手を合わせると、誰もが追従した。


信長はダイゾの亡骸のそばに片膝をついた。


「邪魔をされないようにダイゾにまで術をかけたか…

 さらに術で、この大陸には戻れないようにした。

 よってダイゾは、人間はこの星の不純物として、

 粛清して回ったのだろう。

 装甲の殻だけになっても、

 この大陸に戻ってきたかったんだなぁー…」


まさに信長の言った通りで、硬い外側の殻だけを残し、中は灰になったのか、空っぽだった。


「この星の復興を担当いたしたく」と寅三郎が言うと、信長は立ち上がって、「よかろう、城は建てておくから、いつでも戻って来ても構わん」と信長は笑みを浮かべて言った。


「はっ 感謝いたします」と寅三郎は言って、家族たちを抱え込んで、パトリックの村に飛んだ。


信長はナンシーに笑みを向けて、「社があるから、いつでも行き来できる」と言った。


「はい…

 早く認められるように尽力いたします」


ナンシーは真剣な目をして答えた。


「出奔が、まさかこんなに早くなるなんて…」と濃姫は嘆きながらも、蘭丸とともに一番うまい魂饅頭を食っていた。


「…おまえ、饅頭の方が大事か?」と信長が鼻で笑って言うと、「数十年分の仕事を一気にやっちゃったのよ、お菓子くらいいいじゃない」という濃姫の言葉に、「そうだな、よくやった」という信長の一転したやさしい言葉に、濃姫は大いに照れていた。


「お蘭もよく付き合ってくれた。

 しかも、最後までな」


信長にやりと笑って言うと、「はっ! ありがたき幸せ!」と蘭丸は満面の笑みを浮かべて答えて、幻影に自慢げな顔を向けた。


濃姫がひとりだけ菓子を食わせておくわけにはいかないので、蘭丸も付き合っていたのだ。


すると、「うっ!」と巖剛がうなった。


それと同時にゲイルたち竜もすぐに察した。


「ダイゾは、子を残していたようです」とゲイルの言葉に、「…そうか、よきかなよきかな…」と信長は穏やかに言った。


信長の命令で、幻之丞と咲笑は小さな宇宙船を飛ばして、その姿と行動を確認すると、動きはごく普通に動物で、人間のいる村に近づく気配はなかった。


そしてここは獅子丸が確認に行き、異常は見当たらないと報告したので、誰もがほっと胸をなでおろした。


信長はこの事実を寅三郎に念話で伝えた。


今のこの大陸は緑に覆われ、原生の植物などの実が豊富に実っている。


この地の動物たちの喜びの声が聞こえるようだと、巖剛と獅子丸は声をそろえて言った。



琵琶家一同は喜笑星に戻り、この日の夕餉前に、ナンシーは少し寂しい思いをしながらくつろぎの間に行くと、「お母さん!」と叫んで、お凛とお杏が抱きついてきた。


「あら? ふたりだけ戻ってきたの?」とナンシーが笑みを浮かべて聞くと、「…今日はお母さんと一緒にいる日だからぁー…」と親が泣けるようなことをお凛が言うと、「そう… だけど、ふたりにはお手伝いすることってたくさんあるんじゃないの?」と寅三郎たちの仕事の面の心配をした。


「会議でね、それほど急ぐ必要はないって、お父さん、言ってたよ?」


お凛の言葉に、「そう… だったら甘えておくわ」とナンシーは満面の笑みを浮かべてふたりを抱きしめた。


「真珠お姉ちゃんは戻ってこなかったの?」


ナンシーの言葉に、「農園の見張り番してたぁー… お姉ちゃん、すっごく怖かったぁー…」とお杏が眉を下げて言うと、「…動物としての体の大きさは大いに関係するわね…」とナンシーは眉を下げていった。


「あたしも少し大きくなったよ!」とお杏は言って、小指大から親指大に成長した猫に変身した。


「…前よりも倍ほどになったのね…

 普通の大きさになるまで大変そう…」


ナンシーの言葉に、子猫はナンシーの指に甘えていた。


ナンシーたち三人は楽しい夕餉の時間を満喫してから、土産を持って、寅三郎たちの赴任先の星に行くと、こちらでも寛いでいた。


少しだけナンシーは心配していたのだが、その杞憂は一蹴されて、寅三郎とあいさつを交わして土産を手渡した。


「おや? 祭りでも見たことがない菓子だけど…」と寅三郎は言って、物珍しそうに包みを開けて観察した。


「全く同じものじゃないけど、

 喜笑星によく似た作物があったから造ってみたの。

 普通のお祭りでは出さなくて、

 国の祝い事に大昔から作っていた献上品のお菓子らしいわ。

 私たちの家は代々召使のようなのものだったから、

 上位の親戚のために作っていたようなものなの。

 美味しくて栄養価も高いって、

 咲笑ちゃんも言ってくれて、

 何とか商品にできないかって、

 幻影様が色々と考えてくださってるの」


「ほう! それはすごい!」と寅三郎は言って、どら焼きのような菓子をひと口食ってから眼を見開いて、家族たちにもすぐに手渡した。


「お凛、お杏。

 お前たちはナンシー殿の手伝いを言い渡す。

 今と同じ時間にまた明日も来てくれ」


寅三郎の言葉に、「はいっ! お父さん!」とふたりは機嫌よく答えて、ナンシーに向けて満面の笑みを浮かべた。


「明日の夜は、お父さんに甘える日よ」とナンシーが言うと、「うん、そうするぅー…」とお凛は答えて、お杏とともに寅三郎に抱きついた。


菓子の評判はよく、パトリックの親族たちもナンシーに大いに礼を言っている。


そして寅三郎の婚約者と言われて、ナンシーは大いにホホを赤らめた。


もちろんパトリックが、「軽口をたたかないでくれ」と本気で怒ったので、家族たちは肩をすぼめたが、寅三郎がお堅いことは重々承知していたので、寅三郎とナンシーに謝った。


「ナンシー殿の信念に従っている状態だから。

 だが、こうして気楽にすぐに会えることは、

 お互いの励みにもなっていい」


寅三郎が少し照れて言うと、ナンシーは天に上るほどに喜んだのだが、言葉にも態度にも表さずに笑みを浮かべただけだ。


しかしお凛がすぐに暴露したので、我慢する意味はあまりなかった。



ナンシーたち三人は喜笑星に戻って、三人で風呂に入ってから寝所に行った。


栗鼠と小さな猫は、寅三郎手製の専用の寝所に入ってすぐに眠ってしまったが、朝は人型を取って抱きついていると寅三郎に聞いていた。


動物は眠りが浅く、睡眠時間も短いそうで、一日のうちの約半分の時間を動物の姿で暮らしているそうだ。


ずっと人間の姿だと、動物の野生が損なわれると聞いている。


高能力者を目指す場合、これも動物の宿命のようなものなので、ナンシーは口出しできなかった。


―― この子たちも本気で将来を考えている… ―― とナンシーは思いながら床に入って横になった。


そしていつの間にか眠ってしまっていた。


そしてナンシーは目覚めた。


だがすぐに、寝所ではないと気づいて、辺りを見回した。


―― 夢? だけど、妙にはっきりとしているわ… ―― とナンシーは思って、指が振れている短い草をつかんだ。


「ようこそいらっしゃったでおじゃる」というマロの声が、妙に生々しく聞こえた。


ナンシーが半身を起こすと、そこには、妙に透き通った何かがいたので、座ったまま地面を蹴って、その物体から素早く離れた。


「予想できんかった動きでおじゃった!」と確実にその物体がマロだと確信した。


「はっきりしない姿ね…」とナンシーは言ってから、警戒を解いた。


「今の麻呂はその通り。

 じゃが、麻呂と融合すれば、姿ははっきりと認識できるでおじゃる」


「…融合…」とナンシーはつぶやいてから、透き通っているマロをまじまじと見た。


「色、付けてよ」とナンシーが言うと、「…できるならばしていたでおじゃる…」と麻呂は困惑気に言った。


「ここでは、身体的ではなく、

 精神的な修行を積んでもらおうと思ったのでおじゃる。

 麻呂のいる世界に来てもらったでおじゃる」


マロの言葉に、ナンシーは改めて辺りを見回すと、まさに風光明媚な場所だった。


今立っている場所は草原で、遠くには山があり、その麓には透き通っている湖がある。


「心が安らぐ、いい場所だわ」とナンシーは言ってから、草の上に座った。


「さあ! なんでもこい!」とナンシーは大いに勇ましく叫ぶと、「ようやく、本来のナンシー殿が出たでおじゃるな」とマロは機嫌がよさそうに言った。


「そうでもないわよ。

 気合いを入れたら今のようになるだけ。

 だからこれからは、さらに私らしく生きるわ。

 モルドに対しては嫉妬心があったと、

 今だからこそ認められるわ。

 私も、勇者になりたかった…

 だけど、今は違うわ」


「そうでおじゃるな、自然が一番」とマロは言ってから、ナンシーにとんでもない試練を与え続けた。



ナンシーは目を見開いて、寝所の天井を見ていた。


すると、人型の姿のお凛とお杏、そして同じく人型の姿の真珠が、ナンシーを抱きしめてすやすやと眠っていた。


しばらくはこの幸せをかみしめるように、ナンシーは子供たちの頭をやさしぐなでていた。


ほどなくして、お凛の体がピクリと動き、そして徐にナンシーを見て、「…お母さん、おはよー…」と寝起きの声で朝の挨拶をしてから、ナンシーを抱きしめてまた眠った。


「もう起きるわよ。

 朝練の時間」


ナンシーの言葉に、三人は一斉に目を見開いた。


そして四人は朝の身支度をしてから、お凛たちは動物の姿となってナンシーの体にまとわりついた。


外に出て、ナンシーは夢で聞いたマロの言葉を実践するために、信長のいる筋肉鍛錬所に向かった。


そして信長に挨拶をしてから、できるものから順に錘を持ち上げる。


基本的には、腕の力だけでやるようにとマロから言われていたので、極力言いつけを守る。


そして持ち上げたら、必ず一方の手だけで重い荷物を支えるようにして、わずかばかりに維持して、錘を丁寧に置く。


乱暴に置くと、それはさぼっていることと何ら変わらないとマロに言われたが、まさにその通りだった。


信長は何も言わずに、笑みを浮かべてナンシーを見ているだけだった。


ナンシーは今できる範囲内の錘だけに挑戦してから、今度は外に出て、訓練施設から少し離れた草原に行って、立ったまま倒れ込み、両手のひらで体重を支えた。


そして腕の力だけで勢いよく体を起こす。


ナンシーはなかなか鍛え上げられていて、いとも簡単にこれを熟した。


何度も繰り返して、疲れがピークに近づいて来たと感じた時、今度は手のひらを地面につけたまま、ゆっくりと移動をする。


夢では右手右足を同時に動かした方が移動しやすかったのだが、現実でも同じだった。


この訓練に一番時間をかけて、ナンシーは動物たちとともに風呂に行った。


午前中は萬幻武流の正式な修練を積み、午後からは幻影の指示でナンシーの村の菓子を作り、夕餉を終えてから寅三郎に差し入れを持って会いに行った。


すると寅三郎が、「おや?」とつぶやいてナンシーを見入った。


そして腕組みをして、さらにナンシーを見入った。


「…わずかだが、若返った?」と寅三郎が言うと、ナンシーは少し目を見開いた。


まさかマロが言ったことがもう現実になるとは思ってもいなかった。


だが思い当たるのは、真珠、お凛、お杏の三人しかいない。


「…実は…」とナンシーは言って、今朝の夢の件を寅三郎に話した。


話を聞き終えた寅三郎は、「…さすが神…」とまずはうなった。


そして、「本来の神の在り方を説明しよう。マロとの話の重複はあると思うが」と寅三郎が言うと、「はい! お願いします!」とナンシーは笑みを浮かべて答えた。


寅三郎の話とマロとの話はわずかに重複があり、納得できるものだった。


そして相違した項目はない。


「御屋形様はナンシー殿の訓練を見ておられたはずだ」


「…御屋形様のすぐそばで、訓練してましたぁー…」とナンシーが眉を下げて言うと、寅三郎は何度もうなづいた。


「きっと、そのあと押しが一番大きいはずだ。

 そして俺も、後押しをさせてもらおう」


寅三郎の言葉に、ナンシーは体の変化にすぐに気づいた。


「本格的な覚醒を遂げるために、

 ナンシー殿に一番必要なのは若々しい肉体。

 これはもちろん欠点もあり、代謝が上がる分、

 多くの栄養が必要となり、大いに腹が減ること。

 だが今までに、常人であれば必要以上だと思わせるほどに食っていたので、

 それほど変わらんだろう。

 肝心かなめの食う修練はもう終えているのも同じだ。

 この先は信じるべきものを信じ、

 真っすぐに走ればいいだけだ。

 だが、時には立ち止まって、花をめでるのもまた一興」


寅三郎の語ったことが、ナンシーには身に染み入るほどよくわかった。


厳しいだけではなく、体をいたわることも忘れるなと言わんばかりだった。


自分自身に対するイジメのようなものはあってはならないとマロも言っていた。


「…自分に向けるものでも、イジメはイジメ…」とナンシーがつぶやくと、「それは大いに言える」と寅三郎は言って何度もうなづいた。


「感情的に負につながることはすべて避けて通るべき。

 さらには考え方を変えて、負を正に転じさせる知恵も必要。

 ナンシー殿はその知恵の方は豊富だから、

 この修練も終えているも同然。

 あとは肉体的な科学的根拠。

 万有源一殿に、詳しく習ったと思う」


「…はい… とんでもなく厳しい修行でしたぁー…」とナンシーは大いに嘆いた。


「それも、かなり重要なんだ。

 知っているのと知らないのとでは雲泥の差があると思う。

 火のサラマンダーも、学術的には長けているそうだからな」


「…マロが、驚きの声を上げました…

 ちょっと、悔しがっていました…」


ナンシーが眉を下げて言うと、寅三郎は少し笑った。


「御屋形様が、そのご本人に聞き取り調査をされたからな。

 もちろん、ナンシー殿の身を案じてのことだ。

 そして、姿は違えど、

 火のサラマンダーと水のサラマンダーとの相違点や、

 考えられる欠点。

 さらにはもうひとりいるとされる、風のサラマンダーの存在。

 だが、土のサラマンダーもいると思うのだが…」


「…マロはいるって言いました…」とナンシーが小声で言うと、寅三郎は笑みを浮かべてうなづいた。


「さらには、サラマンダーが一体どういった存在なのか。

 竜とは確実に違うことはわかっている。

 きっと、マロだって知らないこともあるはずで、

 俺の予想では、宇宙の妖精の修行者」


ナンシーも妖精のことは源一から聞いていて知っていた。


まさに強大な力を持つ幽霊のような存在で、誰もが幼児の姿をしているという。


だが、その発生源についての説明はなかった。


『…そうだったのかぁー…』とマロがつぶやくと、「…憶測でしかないことに驚いてんじゃないわよ…」とナンシーはついつい声に出してしまってバツが悪そうな顔をしたが、寅三郎は愉快そうに笑った。


「あとは、火のサラマンダーとの決定的な違いだが、

 対象者が火の神と会話をしたことがない点だ」


「あ、腰掛、って、マロが少し冷淡に言いましたぁー…」とナンシーが眉を下げて言うと、「…その人は少々かわいそうなことになりそうだ…」と寅三郎は眉を下げて言った。


「…普通は暫定的に決めることはないそうです…

 星がどうなろうとも、思念でしかないので、

 消えてなくなることはないので、宿主を探し続けるそうですが、

 長い期間ふわふわしていると宿りたいと思うこともあるそうで、

 その時は有資格者を探して勝手に憑依して、

 一旦は落ち着くそうです。

 実例は一度しか聞いたことはないそうで、

 神が離れた宿主は、灰になって消えたそうです」


「…おいおい…」と寅三郎はつぶやいて、「…迷惑な話だが、憑依していた期間にもよるか…」とまたつぶやいた。


「はい、それは考えられるって…

 マロはきちんと決めたから離れることはないって…」


ナンシーは言って、ほっと胸をなでおろした。


「いや、まずはよかった…」と寅三郎は安堵の笑みを浮かべた。


「なんだってっ?! お前! 俺をバカにしてるのかっ?!」とナンシーがいきなり叫ぶと、鬼のマッドスタックですら怯えていた。


『おっ 勇ましきかな勇ましきかな』とマロが陽気に言うと、「…試しやがったなぁー…」とナンシーがうなると、寅三郎以外はナンシーから離れていった。


「…お母さんが怒るとすっごく怖いぃー…」とお凛が泣き顔を浮かべて真っ先に言うと、「…今までが試験って言われたので、ついつい腹が立っちゃって…」とナンシーは大いに眉を下げていった。


「今度は、私の正体を晒す番だって言われましたぁー…」とナンシーが眉を下げて寅三郎に言うと、「もう知っていたから、驚きもしない」という寅三郎の言葉に、ナンシーは、「…見せておいてよかった…」と笑みを浮かべてつぶやいた。


「誰だって腹が立てば怒る。

 それを隠す方に問題があるのだ。

 あまりにも我慢をするということは、

 自分自身を無碍に痛めつけていることと何ら変わらん。

 知らぬ間に悪意が沸いていた、なんてこともありうるからな。

 その方法に叫ぶこととうなることがあるが、

 ナンシー殿はどちらにも同じ威厳が乗っていた。

 鬼のマッドスタックを畏れさせるほどにな」


ナンシーはここは丁重にみんなに謝った。


本来のナンシーは穏やかでしかないと誰もが理解した。


よって、怒らせたことに否があるときちんと理解した。


「風と土の思念も来ないかしら…」とナンシーが言うと、『ほっ! 放り出せないでおじゃるっ!!』とマロは大いに慌てて言った。


「…いいえ、あなたのその態度、

 放りだせる条件はありそうだわ…

 気に入った思念に肩入れする、とか…」


『申し訳なかったでおじゃるぅ―――っ!!!』とマロは必死に謝った。


「…なるほどな… さらに安心したが、よい相棒だと思うが?」


寅三郎の言葉に、「…もう、情は沸いていますから…」とナンシーは穏やかに言って、両手のひらで胸を押さえた。


『…助かったぁー…』というマロの言葉に、ナンシーはくすくすと笑った。


「本気で困っていたそうです」というナンシーの明るい言葉に、寅三郎は笑みを浮かべてうなづいた。


「それに、それほど記憶はないのですが、

 マロとともに戦いましたから」


ナンシーの言葉に、「ん? 戦った?」と寅三郎が怪訝そうに言うと、「木々を焼いていた炎に悪意が宿っていたそうです」と答えると、「…そうか、炎を放った者の悪い思念か…」と寅三郎はつぶやいて笑みを浮かべた。


「強いとされる自然現象には悪意が乗りやすいそうです。

 それが大きく成長すると、

 手が付けられないことにもなりかねないらしいのです。

 助ける側の力不足と感じるかもしれませんが、

 一概にそれだけというわけではなさそうです」


「いや、大いに勉強になった!」と寅三郎は陽気に言って、ナンシーに笑みを向けた。


「…となれば、御屋形様のたわけの術も通用するかもしれない…

 もし術を発していれば、炎が弱まった可能性もある…」


「あるやもしれぬ、と、マロが言いました」


穏やかなふたりの会話に、お凛たちは動物の姿になって、ナンシーに甘えていた。



楽しい穏やかな時間はあっという間に終えて、ナンシーは重い腰を上げた。


「じゃ、今日はお母さんひとり占め」と人型になった真珠が言った。


「…えー…」とお凛とお杏が同時に嘆くと、「まずは本来の仕事をするために真珠は戻るんだ」という寅三郎の言葉に、「私って、斥侯でもあるから」と真珠は簡単に暴露して、ナンシーに笑みを向けた。


「…そう… 幻影様に報告ね…」とナンシーは穏やかに言ったが、「聞かれたことに答えるだけだから楽なの」と真珠が言うと、ナンシーと寅三郎は愉快そうに笑った。


後ろ髪を引かれるようにナンシーは安土城に戻り、一旦真珠と別れた。


そして風呂に行くと、珍しく誰もいないが、妙な解放感に包まれ、ナンシーはこの素晴らしい風呂を堪能し始めたのだが、いつもと湯が違うような気がした。


「…この湯船のお湯全てが私の体…」とナンシーがつぶやくと、『覚醒は近いででおじゃる』とマロが明るく言った。


すると幻影に解放された真珠が入ってきたので、ナンシーは穏やかに能力を使って丸く大きな湯の球を宙に浮かべて、真珠にかけ湯をした。


真珠は目を見開いて驚いていたが、すぐに湯に入り、そして盛り上がった湯船の湯に大いに驚いて、あたふたと手足を動かした。


そして一瞬にして湯は元通りになった。


「今は私の体の一部だから。

 これも、今の私の修行なの」


「…今までで一番驚いちゃった…」と真珠は目を丸くして言ってから、ナンシーに抱きついた。


すると今まで修行を積んでいた蘭丸と美麗が入ってきたので、ナンシーは真珠と同じことをふたりにして、大いに笑った。


「…さすが我が弟子…」と蘭丸は落ち着きを取り戻してつぶやいた。


「水の形は思いのままか?」と蘭丸が聞くと、ナンシーは快く答えて実演をして、三人を大いに喜ばせた。


『言っとくけど、湯のおかげもあるでおじゃる』とマロが言うと、「…湯のおかげ…」とナンシーは言って手のひらで湯をすくった。


こうすれば一番よく理解できて、そして一瞬にしてその謎も解けた。


「…大地の力…」とナンシーがつぶやくと、「火竜が沸かした湯だからな」と蘭丸は自慢げに言った。


「…ほかの水源だとこうはいかないわけね…」とナンシーは言ってうなだれた。


『そこからはこれからの修行でおじゃる』というマロの言葉に、「…そうね、ここからが修行…」とナンシーは真剣な目をして言った。


『じゃが、その助言はもうある。

 一番時間をかけている修行』


マロの言葉に、「…トカゲの姿の真似… ああ、そういうことだったの…」とナンシーは笑みを浮かべて言った。


『大地に寝転べば一番よくわかるのでおじゃるが、

 それでは身動きとれぬ。

 よって動きながらも大地の気を感じること。

 手のひらと指先が敏感だと知った今、

 その先もそれほどの難関というわけではないでおじゃる』


「そうね、よくわかったわ」とナンシーは言って湯船を出たが、湯が全く揺れない。


ナンシーは湯の衣をまとっていて、三人に拍手をもらった。


「動いていた方が着物らしく見えるぞ!」と蘭丸は大いに陽気に言った。


ナンシーは大いに陽気に笑って少し踊ってから、一瞬にして湯を弾き飛ばした。


「体を拭かなくていいから便利」というナンシーの言葉に、「…髪も濡れておらぬ…」と蘭丸はうなった。


四人は体の洗いあいをして、ナンシーに湯を弾き飛ばしてもらってから、かなり楽しかった入浴を終えた。



「と、いうことがあった!」と蘭丸が幻影に自慢するように叫んだ。


「…さすがに、その経験はできないな…」と幻影が少し悔しそうに言うと、「…ふん、当然だ…」と蘭丸は歯を剥いていった。


「マロが手助けをしたわけではないのじゃな?」と信長が聞くと、「はっ もしもそれをしていたのなら、ナンシーは必ずや怒り狂っていたものと」と蘭丸は答えた。


「そうじゃ、それはある」と信長は言って何度もうなづいた。


「ナンシー殿はもう安心してもよいものと。

 よって、大屋楓様が、少々かわいそうになってまいりました…」


幻影が眉を下げて言うと、「…神の意向じゃからな…」と信長はつぶやいて鼻で笑った。


「セイレーヌ殿が言っておった通り、

 サラマンダーは創造神の魂の思念ということでよさそうじゃな…」


「そこにも杞憂がございます。

 もしも偶然にも創造神がその魂に寄り添った場合、

 簡単に融合されてしまうのではないかと。

 きっと、なじみやすいと思われますので」


幻影の言葉に、信長は何度もうなづいて、「じゃが、その思念が別の魂を望んで融合した場合はそれは起こらん」と言うと、「御意」と幻影は答えた。


「楓殿が試すかどうかは、少々疑問じゃが…

 もっとも、火の神が離れるとも限らん…」


「ご本人としては、最終的にはあってもなくてもいいというのも問題かと…」


幻影が眉を下げて言うと、「その想いは息子に受け継がれておるからな」と信長は機嫌よく言った。


「堕落でしかないと、少々腹が立ち申した」


蘭丸が憤慨して言うと、「元々戦士でもないし、なるべきはずの王の地位すら放棄したほどだ。平和中の平和な性格だよ」と幻影が言うと、信長は大いに笑った。



~ ~ ~ ~ ~


女人は竈に火を入れて、手を合わせた。


―― 今日もありがとう… いつものようにおいしいご飯をお願いね… ――


その途端、女人の視界は大いに下がり、しばしぼう然として、大いに混乱した。


『あんたは、勇者ではなくなった』


女人だった者の頭の中にこの声だけが響いた。


そして、女人だったものの背後から多くの悲鳴が聞こえ、様々なものが飛んできて、女人だった者はすぐさまこの場を去った。


~ ~ ~ ~ ~



「…ドレス村で、巨大な赤い蜥蜴?」と寅三郎はうなるように言った。


『何だか知らねえが、そこら中で大騒ぎだ。

 外から来た者が何かやったんじゃないのかって噂が立っている。

 星の代理人からはまだ何も言ってこない。

 どうやら理由があって答えられないのか、

 意味不明なんじゃねえの?

 実害がないだけに、さらに不気味なんだ』


モルドの念話の言葉に、「一度、そっちに行こう」と寅三郎は言って、念話を切った。


そしてミサに念話を入れた途端に気付いた。


「何に取り憑かれたんだ?」と寅三郎は眉を下げて言うと、『…嫌われ者になっちゃったぁー…』とミサの念話の泣き声が聞こえた。


「すぐに行くから待ってろ」と寅三郎は言って、マッドスタックに後のことは頼んでから、ミサの魂に飛んだ。


「あ、火のサラマンダー」と寅三郎が言うと、その蜥蜴は寅三郎の足にしがみついた。


「落ち着け。

 落ち着かんと変身は解けん」


寅三郎の落ち着いた言葉に、蜥蜴は動きを止めて、ミサに戻っていた。


「…勇者じゃなくなったぁー…」とミサが泣き笑いの顔をして言うと、寅三郎は大いに顔を歪めていた。



寅三郎とミサはドレス村に戻り、大騒ぎだった村人たちに事情を話し、大蜥蜴はミサだと告げると、誰もがぼう然とした顔をしていた。


「大蜥蜴は火の神、火のサラマンダー。

 竜とはまた別の、宇宙の妖精となる修行者だ。

 その修行者にミサ殿は気に入られたのだ。

 ま、ミサ殿にとっては、迷惑千万だろうけどな」


「勇者じゃなくなった!」とミサが陽気に叫ぶと、「…わかったわかった…」と寅三郎はめんどくさそうに眉を下げて言った。


「ミサ殿にとっては、都合がよかったようだから、

 村のために優秀な者を呼び戻した方がいいだろう」


寅三郎の言葉に、城の出張所の役人がすぐさま役所に飛び込んだ。


「居心地、いいって」とミサが笑みを浮かべて言うと、「そりゃ、勇者の能力を全部食いやがったんだから、居心地はすこぶるいいことだろうさ」と寅三郎は吐き出すように言った。


「この怖い人は私のご主人様!」とミサは陽気に言った。


「言っとくけど魔王様だから。

 それに、あんたが身勝手なことができないことはもうわかったわ。

 …そう、わかればいいの」


ミサが堂々と言うと、「…少々反抗的なようだな…」と寅三郎が言うと、「私の話し相手でしかないわ」とミサは陽気に答えた。


「…もしもナンシー殿に喧嘩を売ったら、

 手ひどい目にあうことも知っておいた方がいい。

 彼女は水のサラマンダーだ」


「え?」とミサは言って黙り込んでしばらくしてから、「…この、役立たずぅー…」と大いに嘆いた。


「出て行って勇者を返せ!」とミサは騒ぎ始めたが、もちろん、そのようなことはもうできない。


神とは身勝手なものなのだ。


星の代理人のカレンがすっ飛んでやってきたので、寅三郎が全てを語ると、カレンは大いにうなだれた。


「ミサ殿の希望で、一度喜笑星に来てもらう。

 きっと、ここにはもう戻るつもりはないようだけどな…

 だけど、子供たちや孫を捨てて来るのか?」


寅三郎の酷な言葉に、「…現実に引き戻したわね…」とミサがうなると、「お母さん! 今までありがとう!」と大勢のミサの子供たちや孫たちが一斉に叫んで、ミサの背中を押した。


「…人徳、だな…」と寅三郎は大いに眉を下げて言った。


「縁が切れたわけではない!

 この村は、俺の第三の故郷だからな!」


寅三郎が叫ぶと、村人たちは一斉に喜びの声を上げ、盛大な拍手が巻き起こった。


そして、美味そうな果物を大量に買って、寅三郎とミサはこの場から消えた。



「…早かったな…」と信長が眉を下げていうと、「大屋楓様に取り憑いていたやつでしょうか?」と寅三郎はすぐさま聞いた。


「そうじゃ、昨日の夜にセルラ星に行ったとたんに解放されたそうじゃ。

 そして勇者になったということじゃ」


大いに眉を下げている信長の言葉に、「…それなり以上に修行を積んだということのようですね…」と寅三郎は眉を下げて言った。


「ですが、なぜミサ殿だったのでしょう?

 ミサ殿よりも優秀なセイラ殿もいたはずなのですが」


「セイラ・ランダは妖精持ち、だそうよ…」とミサはため息交じりに言った。


「…さすがに、妖精をふたつは抱えられないか…」と幻影は真顔で言った。


「…え? 試験に合格?」とミサが言うと、「…あー、あれかぁー…」と幻影と寅三郎が同時につぶやいた。


信長はうなづきながら、「厨房で起こした火に礼でも言ったのじゃろう」という言葉に、「それはもう毎日!」とミサは自慢げに言ってから、「…それが試験だったのね…」と言って眉を下げた。


「火を愛している、そして感謝をしている。

 それは心の底からでないと確実に受け入れられないだろう。

 だが、井戸の水には礼を言わないのか?」


寅三郎の言葉に、「そうじゃ、それもあった」と信長は膝を叩いて言って、ミサを見入った。


「…夏でも冷たいので、お湯出してとか…

 …あかぎれが増えるじゃない、

 とか、文句ばかり言ってましたぁー…」


ミサの回答に、「…水のサラマンダーは宿らんな…」と信長は苦笑いを浮かべて言った。


「今後のミサ殿の処遇に関して、ご相談に上がったのです」と寅三郎が言うと、「まずは琵琶家で預かろう」と信長は胸を張って言うと、「はっ! お世話になります!」と寅三郎はすぐさま言って頭を下げた。


「そのあとに、ミサ殿の希望を聞くことにする。

 肉体的には、それほど鍛える必要もないじゃろうから、

 それほど時間がかからず決まるじゃろう」


信長の言葉に、「酒井家に仕えたいと決めてやってまいりました!」とミサが堂々と叫ぶと、「それはやめておいた方がよいが、ま、構わん」と信長が答えると、寅三郎が大いに眉をひそめた。


「寅三郎、同等だと思うか?」という信長の問いかけに、「いえ、ナンシー殿の方が数段上かと」と寅三郎はすぐさま答えた。


「…えー…」とミサは大いに嘆いて、火は水に弱いことを思い出してうなだれた。


「属性の強い弱いの話しではない。

 神が完全に取り憑くまでの努力が違うのだ。

 ナンシー殿は勇者ではなかったが勇者相当だったはず。

 今から約二十年前に、水のサラマンダーは彼女に宿っておった。

 そしてようやく日の目を見て、今は修行の最中で、

 もうすでに超常現象を起こしている。

 勇者でも優秀な者もいればそうでもない者もいる。

 それと同じだ。

 サラマンダーを受け入れる積み重ねは、彼女の方が数段上だ」


「…きちんと見ないとわかんないもぉーん…」とミサは大いに強がった。


もちろんミサにも、寅三郎が言ったことはよく理解できていたし、寅三郎が見誤ることはないこともわかっていた。


だが、どれほどに違うのかを見極め、さらに修行を積みたいと考えたのだ。


「…厳しい修行はまだまだできるそうですぅー…」とミサが嘆くと、寅三郎は頭を抱え込みたい気持ちでいっぱいになったが、苦笑いを浮かべるにとどめた。



ナンシーとミサは早速顔を合わせた。


ナンシーは幻影の希望で、王家の菓子を作っている最中だった。


「ついていたわね」とナンシーが先制攻撃をすると、ミサは大いに怪訝に思った。


ミサを見て、ナンシーは全く驚かなかったのだ。


「そう、そういうこと」とミサは火の神に聞いてすべてを知った。


「言っておくけど、萬幻武流は厳しいわ。

 勇者の修行以上だと思っておいてもいいと思うの。

 それに、選ぶのは酒井様だから、私から何かを言うことはないわ」


さらなるナンシーの攻撃に、ミサは言葉を失った。


しかも、勇者でもないナンシーは確実に若返っていた。


『私への効果は?』とミサが声に出さずに聞くと、『ようわからん』と火の神は答えた。


『わからんって…

 あんた神じゃないの?!』


『神であっても完璧ではない。

 このようにして憑依する必要があるほどじゃ。

 聞きたいことがあれば、そこの女子に聞けばよい』


『彼女に聞くわけにはいかないのよ!』


『じゃ、誰も答えんぞ?

 答えるのは彼女の特権のようなものじゃ。

 殿様は特に話さんじゃろう。

 あんたの場合も、もう少し若返った方がよさそうじゃし』


『…孫のような小娘に…』とミサは大いに悔しがった。


ミサはある言葉を試そうかと思った。


だがもしも想像通りだと、元の木阿弥か、さらにひどいことになる不安もある。


すると背後から、「あっ! ミサおばさん!」と陽気な声でお凛が叫んだ。


ミサはほっと胸をなで下ろして、お凛とお杏の立ち止まった位置が妙に遠いと感じ、大いに後悔した。


ミサはふたりを抱きしめ、これ見よがしの顔をナンシーに見せつけてやろうと考えたのだ。


しかし見事に、お凛たちに見抜かれてしまった。


「…ミサおばさん、不合格ぅー…」とお凛が眉を下げて言うと、ミサは大いにうなだれた。


「何じゃと! 不合格じゃと?!」と今までここにはいなかったはずの信長が叫ぶと、ミサは大いに怯えて振り返った。


「婆さん、素直にならねば、ここにすらおられぬぞ」


信長の厳しい言葉に、ミサはナンシーの言った厳しさの一端を大いに思い知っていた。


「今回の場合、決めるのは寅三郎じゃ。

 必要以上に好意を向けたり、

 好敵手ににらみを利かせることは不毛で、

 さらに寅三郎は離れる。

 いい年をしてこの程度のことくらいわからんのか?

 今すぐに心が変わらんのなら、

 今すぐに村に帰ってもらおう」


信長の更に厳しい言葉に、ミサは絶句した。


「確かに風紀は乱しておりますが、

 それほどに急ぐ必要はないでしょう」


阿国が言って間に入ると、信長はにやりと笑って、「わかった、任せる」と言って踵を返した。


しかしお凛たちが背後から信長にしがみついたので、すぐさま好々爺馬鹿となって、陽気に笑って、お凛とお杏を抱き上げた。


そんな信長たちを見て、「平和よね」と阿国がつぶやくと、「…心がすさんでいることが、よく理解できました…」とミサはうなだれて言った。


「今回、不思議なことに幻影様が何も言われません。

 こうなることがわかっていたはずですのに…

 今までに一度もなかったことが、今初めて起こったのです」


「…悪くと取れば見せしめ…

 …よく取れば、私に何かの見込みがある…

 …ですがいい方は、何も思い当たることはありません…」


「そうね。

 第三者的に自分自身を見ることはいいことだわ。

 それからいいことの方だけど、

 ミサ様に想いを寄せておられる殿方がいるなどと考えなかったのかしら?」


「え?」とミサは少し目を見開いて言った。


そして、「…いえ、全く考えてもいませんでした…」とミサは答えた。


「勇者のままだった場合、幻影様はあなたをすぐさま拒否されたでしょう。

 ですが条件が変わって、ある殿方が興味を示された。

 実は私にもどなたなのかわからないのですが、

 答えはそれしかないように思うのです。

 今は寅三郎様のことは横に置いておいて、

 心静かにここで修練を積むのもいいことだと思いますわ。

 お相手が接触されてこられるかもしれませんし、

 お話相手であれば、お付き合いして差し上げてもいいと思います。

 多少の娯楽がないと、息が詰まってしまいますから」


ミサはほんのわずかに考えてから、「…ご指導、本当に感謝いたします…」とミサは頼りなさげな笑みを浮かべて礼を言って、頭を下げた。


「宿の女将ですもの、その程度のことは簡単なはずです。

 それにここには、嫌なお客はひとりもいませんわ」


阿国が笑みを浮かべて言うと、ミサも心からの笑みを浮かべて応えた。


「婆さんなどと言われておられましたが、おいくつですの?

 私は七十五になりました」


阿国の言葉に、「…私と同い年です…」とミサは答えて笑みを浮かべた。


「でしたら奥様も同い年ですわ。

 私たちのようなお婆さんは少ないので、

 少々寂しいものがございましたの」


大きな権力を持つ阿国がミサについたことで、ナンシーの心中は穏やかでなくなった。


だが、―― 決めるのは酒井様 ―― とまた考えてから心を入れ替えて、菓子作りに専念した。


『盗み聞いたことを報告してもよいでごじゃろうか?』


マロが言うと、『ううん、大丈夫、必要ないわ。それにそれだと、私が盗み聞きしたことと同じですもの』とナンシーが答えると、『よきかなよきかな』と麻呂は機嫌よく言った。



『王様の口直し』と命名をした、ナンシーの作った菓子が販売されると、誰もがこぞって買い始めた。


子供たちのために一個から販売すると、長蛇の列ができた。


ナンシーはさらに改良を重ねていて、ハイネ、幻影、咲笑と相談した結果、今までで一番うまいものが完成したので手放しで喜んで、販売に踏み切ったのだ。


機械を一度稼働させると、とんでもない量が出来上がるので、セルラ星のガッツ村とメリスン・ランダ町でも販売を開始すると、一瞬にして売り切れた。


しばらくはこの状態が続きそうだが、増産することはなかった。


ナンシーは寅三郎と面会して、そして手土産として寅三郎に献上すると、満面の笑みを浮かべて、ナンシーに礼を言ったほどに美味いものだった。


「…菓子などまずいものだと決めつけておったが…」とほとんど菓子など食わないマッドスタックが感動するほどだった。


「…おいしいお菓子も、平和への武器のひとつだとお聞きしました…」とナンシーが恥ずかしそうに言うと、「まずは、子供たちに笑みを取り戻させること」と寅三郎が言うと、ナンシーは笑みを浮かべたままうなづいた。


「その笑みが、大人たちにも笑みを取り戻させ、

 そして奮起する。

 よって我が琵琶家は、助けるのではなく手助けをするだけなのだ。

 だが、今必要なものはすぐにでも出してやる必要がある。

 そして高望みをすれば、何も言わないか戒めることも重要だ。

 そこからまた不幸が起こることもあるからな。

 この村にも数人いるからな」


寅三郎の言葉に、マッドスタックが大いに眉を下げてから頭を下げた。


「…神なんだから奇跡を見せろなどと言われそうですわ…」とナンシーがつぶやくと、「そのまま言われた」と寅三郎は言って鼻で笑った。


「もちろん村長が黙っていなかった。

 そして出て行けと言われたがその意思はなく居座る。

 まさに、素直ではないな…

 まあ、それなり以上の恐怖体験をしていたわけだが、

 そういったひねくれ者はほんの一部にしか過ぎん。

 千差万別、十人十色で、いろんな人間がいるということだ」


「…非協力的で、いいとこ取りだけをしようと画策する…」


マッドスタックがうなるように言うと、「…たくさんいましたわ…」とナンシーは眉を下げていった。


「え?」と寅三郎の家臣たちが一斉に驚くと、「…ナンシー殿を雇いたいほどなんだよ…」と寅三郎は眉を下げていった。


「彼女は優秀な教師でもあるからな。

 子供の扱いもそうだが、大人の扱いもうまいはずだ。

 そして知っての通り、威厳もある」


さらにもうひとつ、ナンシーを雇いたい理由があったのだが、この件は寅三郎は言わなかった。


「…明日一日だけ、お手伝いをしてもよろしいですか?」とナンシーが眉を下げて言うと、寅三郎は一瞬目を見開いたが、少し考えてから、「御屋形様の許可が出たらそうしてもらおう」と寅三郎は言った。


ナンシーは少し喜んだが、どうやらこの件はナンシーが信長に伝える必要があるようだと思い、今日はこのまま喜笑星に戻ることに決めた。


今日のお泊りはナンシーの方なので、お凛とお杏はナンシーと手を繋いで社をくぐり、そのまま登城した。


早速信長と謁見したとたん、寅三郎の手伝いの件はお凛とお杏が信長に大いに甘えて交渉して、簡単に許可を得た。


―― これって、いいのかしら… ―― とナンシーは眉を下げて考えると、『ナンシー殿の武器のようなものでおじゃる』とマロは機嫌よく言った。


もちろん、お凛とお杏がナンシーのために働きたいと思っているからこその行動だ。


ナンシーは信長に礼を言ってから、お凛とお杏を連れて風呂に行って、ふたりに術を使って大いに陽気にしてから眠りについた。



翌朝の訓練時に、「なんだ、行かんのか?」と蘭丸がナンシーに聞いてきたので、「まだ早すぎるはずですから」とナンシーが答えると、「そりゃそうだ!」と幻影は大いに笑った。


琵琶家の朝は普通ではないほどに早いので、今行ったとしても仕事にならない。


よってナンシーは朝餉を摂ってから行くことに決めていた。


それに琵琶家の朝餉は豪華なので、大いに食って気合を入れて行きたかったという理由もある。


「どうせ行こうとしたら、これほど早く行って何をやるのだ?

 などと言おうとでも思ってたんじゃないの?」


幻影が暴露すると、蘭丸はこれ見よがしにそっぽを向いたので、当たっていたようだ。


―― からかわれたのかしら… ―― とナンシーが考えると、『何かしら声をかけたかっただけでおじゃる』というマロの穏やかな言葉に、ナンシーは笑みを浮かべた。


『じゃが、行こうとした場合、お叱りはあったじゃろう。

 浮ついておる、などと言われたはずでおじゃる』


『…それは大いにあるわ…』とナンシーは答えて眉を下げた。


その気持ちはまるでないので、マロが言ったことはよく理解できた。


ナンシーはいつもの朝の修行を終え、美味い朝餉をたらふく食らってから、お凛たちとともに社に入った。



そして寅三郎に寄り添うのではなく、ナンシーは村の散策に出た。


この方法はまさに阿国と同じで、出会う人に笑顔であいさつをする。


そして困っているようであれば、「お手伝いが必要ですか?」などという気遣いも忘れない。


こうしていくことで、異質な者は簡単に見つかるものだ。


村から少し離れた場所に、二軒並んだ家があり、一軒は人が住んでいる気配はない。


村の外れというわけではなく、この街道の先にも数軒の家が見え、人が行き来している姿が見える。


「…あら、これかしら?」とナンシーが言うと、『ん? どういうことでおじゃる?』とマロは意味が解らず聞くと、ナンシーから事情を聞いて、『ほうほう、興味深い…』とマロはうなった。


「触らぬ神に祟りなし、だわ…」とナンシーは眉を下げて言って、踏みつぶされているように見える木像に向けて眉を下げた。


それだけではない。


人が住んでいない家とこの家は懇意にしていた形跡がある。


何か事情があって、空き家になっている住人はこの家を出た。


もちろん、隣の家と諍いがあったからだ。


そして地面から竹が出ているように見えたがそうではないと察して、人が住んでいない方の家を見ると、竹はあるが朽ち果てたのか土に埋まっている。


「だから、御屋形様のたわけの術がかからなかったのね」とナンシーはほぼ確信して言った。


ナンシーは一旦村長の家に戻って、都合よく玄関先の掃除をしていたパトリックを見つけた。


パトリックは村長の次男だ。


そして街道の西にある二軒の家について聞くと、目を見開いていた。


「ひねくれたのは色恋沙汰ね?」とナンシーが確信して聞くと、「…誰も話すはずがないから、本人にでも…」とパトリックは言って目が躍っていた。


「いえ、家の周りを見ていて気付いただけ。

 手作りらしい木像が踏みつけられて地面に埋まっていたの。

 女性のように見えたわ」


「…それは、嫁に来た義姉なのでしょう…」とパトリックは言ってうなだれた。


「家には地下室はつきものなの?」


「あ、はい…

 しかし、全ての家にあるわけではありません」


パトリックはここまで話して、ナンシーがひらめいたことと同じことを考えていた。


「たわけの術にかかっていたとしても、

 思い直して元の木阿弥の人も多いらしいから、

 直接話をして、最悪更生する必要があるわ。

 それに、刺激してはいけないから、

 男性を説得するのは女性ではちょっと問題がありそう。

 特に恋愛話だからね、

 何をやってくるのかわからないし、

 さらに深いトラウマになるかもしれないから、

 男性の精神内科医を呼んだ方がいいのかもしれないわね」


『問題ないでおじゃる』とマロが自信満々に言った。


「…どう問題ないのよぉー…

 あ、マロが問題ないって言ってね…」


ナンシーは眉を下げてパトリックに言った。


そしてマロの提案に、「…そんなこと、できるんだ…」とナンシーは目を見開いて言ってから、マロの言った通りにイメージした。


「えっ?!」とパトリックは大いに驚き、ナンシーだったはずの男性を見入って、「…スリムな殿…」という言葉に、男のナンシーは愉快そうに笑った。


『訓練としては初歩編でおじゃる』


「そうね、初歩編だわ。

 おっと、

 そうだな、確かに初歩編だな」


ナンシーは声のトーンを落として言うと、まさに完全な男性が出来上がっていた。


すると寅三郎が母屋から外に出てきて、「どなた?」と男のナンシーを見てからパトリックを見た。


「あんたの真似だ」と男のナンシーが言うと、寅三郎は大いに怪訝そうな顔をしたが、パトリックが驚愕の顔をしていただけなので、更に怪訝に思った。


「あんた、まだ気づかねえのかい?」と男のナンシーが聞くと、寅三郎はいったん心を落ち着かせてすぐに眉を下げて、「…ナンシーかい?」と聞いた。


「もっと早く気づけよ。

 服が女もんだし、

 女のナンシーが着ていたものだろ?

 おまえ、振られるぞ」


男のナンシーの言葉に、マロが愉快そうに笑った。


「…お母さんなのに、やせたお父さん…」とお凛が目を見開いて言うと、男のナンシーは大声で笑ってから、女に戻った。


「パトリックさん、服を貸してくださらない?」


男性にしては少し小柄のパトリックとナンシーは体格差がそれほどないので丁度良かったのだ。


「…あ、は… はい! すぐに!」とパトリックはようやく現実に戻って言って、急いで母屋に入った。


ナンシーは寅三郎に事情を話した。


「…いつも憂いに満ちた顔をしていたから、何かあるとは思っていたが…」と寅三郎はパトリックの義姉のローラについて言った。


「村人たちは余計な話はしないそうよ。

 誰もが知っているらしいけど、誰も話さないそうだから。

 ローラさんを一方的に想っている男性が、

 ひねくれ者のひとりのはずだわ」


「…そうか…

 話しかけるには女では少々気まずいわけか…」


寅三郎がうなづきながら言うと、「もっとも、私が言いたいことを言うだけ」とナンシーは言ってくすくすと笑った。


「私だって、その男性と同じことになっちゃうかもしれないから、

 ある程度は気持ちはわかるはずだもの。

 それに、どんな結果になっても、

 ひねくれないでおこうと決意するでしょう。

 きっと、かっこ悪いもの…」


「…お、おう…」と寅三郎は眉を下げて何とか短く答えた。


しかしそれはお凛とお杏が許さないようで、ナンシーに抱きついて、笑みを浮かべてナンシーを見上げていた。



ナンシーはローラに面会してローラ側の詳しい事情を聞きだした。


ローラの幼馴染のポリックは一才年下で、ローラはずっと弟のようにして接していた。


そして、ポリックがローラに思いを寄せていたことを知ったのは、パトリックの兄のノルティーとの婚姻が決まったその日で、まさに寝耳に水だったようで、誰もが近づけないほどに荒れた。


その日に、ポリックが彫ったローラを模った木像を踏みつけて、土にうずめたそうだ。


双方の家で広げていた小さな庭園も、ポリックが全てを破壊した。


その残骸を見れば、ある程度の物語は想像できる。


「もう、認めていると思う」とナンシーが言うと、ローラは目を見開いた。


「もしも、認めていなければ、大暴れはしないと思う。

 陰湿に何かを仕掛けるように思うの。

 だけど素直にそれを現せない何かがあったように思うんだけど…

 …誰も語らないから…」


ナンシーの言葉に、寅三郎は大きくうなづいた。


「…それに…

 ポリックの両親も家に出て、村の中心部に引っ越したんです…」


ローラの言葉に、「…捨てられたって思っちゃうわね…」とナンシーはため息交じりに言った。


「ローラさんはほかにも誰かに恨まれてるって感じない?」


ナンシーの少し辛らつとも取れる言葉に、真っ先にノルティーが眉を下げた。


しかしローラは、「…ポリックの同級生だったヒトミちゃんも変わってしまったように思うのです…」と少し嘆くように言った。


「…そっちも更生対象ね…」というナンシーの言葉に、「変形した三角関係か」と寅三郎が言うと、ナンシーは深くうなづいた。


「たぶん、接触はないんじゃないのかなぁー…

 ヒトミっていう子は、奥ゆかしい子だと思うけど、

 ポリック君の悲しみがよくわかると思うの。

 まさに自分もそうだから。

 どうしていきなり婚約を発表したの?」


ナンシーのいきなりの質問に、ローラとノルティーは怯えるほどに動揺した。


「…僕の身を守るためです…」とノルティーはうなだれたまま言った。


「そうね、ノルティーさんは誰が見てもいい男ですもの。

 優男っていう感じね」


ナンシーの辛らつとも取れる言葉に、誰もが眉を下げた。


「俺もその優男だ」とナンシーが男に変身して言うと、誰もが目を見開いた。


まさに、逞しい寅三郎のいいところだけを表現すれば、今の男のナンシーとなる。


ナンシーは変身を解いた。


「それにどこもかしこも極限状態。

 できれば、村の中から諍いを起こしたくないから、

 隠せることは隠しておいた方がいいと思っていたことはよくわかるの。

 だけどいきなり結果を見せられることは、

 刃物で身を突き刺されたことと同じよ。

 何もかもが狂っていたから、

 この結果もうなづけるわ。

 一般的な生活でも、こういった件は多いの。

 文明文化が発展するたびに、

 日常のようにあるそうよ。

 私のいた星の場合、殴り合いで決めるから、

 こういう結果は生まない」


ナンシーの言葉に、寅三郎は思わず噴き出して笑ったが、「…すまん…」とすぐさま謝った。


「行動を起こすわ。

 失敗したら寅三郎さんが正してね」


ナンシーの言葉に、「その程度は任せろ」と寅三郎は胸を張って答えた。


ナンシーはパトリックにヒトミを紹介してもらった。


ヒトミはパトリックにも敵意を向けているように感じた。


しかし一応挨拶を交わしてから、「ポリック君に会いに行かない?」というナンシーの言葉に、ヒトミは大いに躊躇した。


「あなたがどういった感情を持っているのかはよくわからないけど、

 きっとあなたしかポリック君を正せないと思うの」


ナンシーがここまで言うと、ヒトミはその表情を一気に軟化させたが、それは一瞬だった。


「パトリック君は人畜無害の中立者だから、

 いないと思っていいわ」


ナンシーの言葉に、パトリックは大いに眉を下げて、ヒトミはまた表情を軟化させた。


「もちろん、ふたりっきりで会えなんて言わない。

 だから私からのお願いなんだけど、

 できれば側にいたいんだけど、どう?」


「…はいぃー… お願いしますぅー…」とヒトミは本来の気弱な性格を一気に出した。


「ポリック君のことをいろいろと聞きたいんだけど、

 彼のどこが好きなの?」


ナンシーの言葉に、ヒトミは一気に顔を赤らめた。


「きっとね、ヒトミちゃんは、

 恋をしているポリック君が好きなんだって思うの」


「…あ… ああ…」とヒトミは言って、ナンシーの言葉の全てを信じ、そして認めていた。


「そういう人ってね、本当に魅力的なの。

 その呪縛はそう簡単に解けないし、

 またその彼に会いたいとも願っているはず。

 だからこそ、今の彼には会いたくない。

 彼は、様々なものに憎悪を抱いているから、

 その心が見えるようなその顔は、醜いと思う。

 そしてあなたもそう感じているはず。

 その憎悪を、できれば、ローラさんの関係者に向けてもらいたくないわ」


ナンシーの厳しい言葉に、「…わたし、どうすれば…」とヒトミは大いに困惑していた。


「簡単なことよ。

 あなたがポリック君を好きという表情をすればいいだけ」


ヒトミは大いに目を見開いた。


「心の底からの表情は、案外言葉よりもものを言ったりするの。

 そしてさらに言葉を重ねれば、

 さらに誠実に相手に伝わるものなの。

 それに、あまり大きな期待はしない方がいいわ。

 ポリック君が幸せそうな顔ができる相手であればそれで幸せと、

 あなたは思っていたはずだし、今もそう思っているはずだから。

 私は恋のキューピットじゃなく、悪魔のようなもの。

 あなたを使って、平和になったこの村の病を正そうとしている悪魔よ。

 どう?

 その悪魔の言葉に従ってみない?」


悪魔のささやきに、ヒトミは一縷の望みを持って、「…よろしくお願いします…」と言わせ、恋する乙女の表情まで引き出した。


「…うわぁー… 別人になったぁー…」とパトリックがつぶやくと、「えっ」とヒトミは言ってその表情が消えたが、「私以外の言葉に左右されないこと」とナンシーが魔法の言葉を語ると、「…はいぃー…」とヒトミは言って、また恋する乙女の顔となった。


「あなたが本気で、昔のポリック君に会いたいのなら、

 ポリック君に何を言われてもその表情は変わらないはず。

 たとえ、お前が嫌いだと断言されたとしても、

 ポリック君が幸せならばという想いが強ければ強いほど励みになるはず。

 だけどね、あまりにも話しすぎるのもよくないの。

 彼のペースに合わせることも大切よ。

 できる限り穏やかに。

 だけどそれを守れないのが人間なの。

 だから気づいた時にはすぐに謝って、彼のペースに合わせること。

 これも重要なことよ」


「…すっごく、話しちゃいますぅー…」とヒトミは眉を下げて言った。


「そして悪魔は」とナンシーは言って、男に変身した。


「ヒトミの知り合いということで。

 酒井寅三郎の関係者ということでいいぞ。

 もっとも間違いではないからな。

 女の俺だと、少々話が歪みそうな気がするんだ。

 俺の杞憂だといいんだがな。

 さらには今のこの姿でも歪みそうに感じたら女に戻る。

 ポリックは混乱して、俺のことは気にしなくなると思うからな。

 それもお前が判断して伝えろ」


「…一体、どんな仕組みなんですかぁー…」と瞳が聞くと、男のナンシーは大いに笑った。



ナンシーはパトリックの服に着替えてから、ヒトミと出かけた。


大いに緊張していたが、ナンシーと打ち解けていたし、まさに強い味方だと信じているので、表情を変えることはない。


ヒトミが玄関を開けようとすると、パトリックが玄関を開け、少し驚いた表情をした。


鉢合わせすれば誰もが見せる自然な表情だ。


「ポリック、久しぶり」とヒトミは笑みを浮かべて言ったが、ポリックは顔を背けて扉を秘めようとしたが、男のナンシーが許さなかった。


「逃げるな」と男のナンシーが言うと、ポリックは憎悪が浮かんだ顔をナンシーに向けた。


「おまえ、自分の欲を噴出させているそうだな。

 出て行けと言っても出て行かん。

 何ならこの家、分解してやってもいいんだぞ?

 隣の家も、同じようになぁー…」


男のナンシーの言葉に、ポリックもヒトミも大いに怯えていた。


だがポリックの怯えは、思い出深いこの家がなくなることの方が怖かったのだ。


「壊して欲しくないのなら、ヒトミと話をしろ。

 俺はただの聞き役だが、

 お前の欲が噴出したら口を出す。

 どうだ?

 たまには昔のお前に戻って話をするのもいいものだと思うぜ。

 ヒトミに、大好きなローラの話を聞かせてやれよ」


ポリックはある程度は強迫観念に駆られていたが、「…上がってくれ…」と小声で言って、ふたりを招き入れた。


ここからはヒトミは明るく語り始め、できる限りポリックのペースに合わせた。


もちろん始めはポリックは大いに疑っていたが、ここが三年前の教室のように感じてきた。


よって、ここにいて何も言わない男のナンシーに興味を持ち始めた。


「あんた、何者なんだ?」と本来のポリックの感情で聞くと、「教師」とだけ男のナンシーは答えた。


「…あー… そんな気はしてたぁー…」とヒトミが言うと、「生徒をたぶらかすのは得意だ」と男のナンシーは言って鼻で笑った。


「もっとも、俺がいた星では、

 愛情のもつれは力で解決していた野蛮なところだった。

 だが俺は違ったし、俺は異質だった。

 だからこそ、酒井家に雇われてここにいるんだ。

 言っとくが、酒井家に頼まれてきたわけじゃねえ。

 俺が反抗する者に興味があってここにいる。

 どれほど反抗しやがるのか大いに興味があってな」


ポリックは怒るどころか眉を下げていた。


「ほう! おまえ!

 教師は怖いんだな?!」


男のナンシーは叫んで大いに笑った。


「…もう怖くなくなったはずなんだ…

 道で会ったって目も合わせない…」


「そうかい、それも気に入らなかったわけだ。

 ことなかれ主義も程々だぜ。

 あ、悪い、邪魔したな」


男のナンシーは謝って黙り込んだ。


しかしここからは、まさに生徒と教師になって、三人はごく自然に語り始めた。


「見下しても当然だがな、

 そういった者はかわいそうなやつと思っておくだけでいいんだ。

 見下すから話がややこしくなる。

 優越感やプライドというものが噴出してきて、

 お前自身の邪魔をするわけだ。

 全ての原因はお前の心にあったように思わねえか?」


「…思うぅー…」とヒトミが答えると、ポリックはバツが悪そうな顔をした。


「ヒトミもポリックと同じだったんだぜ」


男のナンシーの言葉に、ポリックは目を見開いてヒトミを見た。


「…私の好きだったポリックを、ローラが奪ったから…」とヒトミは小声で言った。


いきなりの告白に、「…おう…」とだけポリックは言った。


「あとはチューでも肉体をむさぼりあうのも好きにしな!

 うらやましいことだぜ全く…」


男のナンシーが立ち上がると、すぐさまふたりに止められたので、男のナンシーはすぐさま座った。


「…今までの先生の中で、一番怖いよ…」とポリックがつぶやくと、「ああ、よく言われた」と男のナンシーは答えて鼻で笑った。


「…自他とともに認める怖い教師なんだぁー…」とヒトミが嘆くように言うと、「暴力で連れ合いをぶんどるような世界だぜ、普通に付き合えるもんかい」と男のナンシーが答えた。


「…ここであったこと、詳しく知りたい…」とポリックが興味を持って聞くと、「ああ、いいぜ。お前らとは無関係ともいえないような話だった」と男のナンシーは言って、体験したことの事実をすべて語った。


「…家族の愛が、悲劇と不幸を生んだ…」とポリックがつぶやくと、「そこを一気に短絡させるな!」と怖い教師の男のナンシーの言葉が飛んで、ポリックとヒトミは肩をすくめた。


「確かに家族の愛はよくわかる。

 だがな、生きている者には必ず死が訪れる。

 その自然の摂理を破った欲が、悲劇と不幸を呼んだんだ。

 決して家族の愛が引き起こしたことじゃねえ。

 欲はすべてを断ち斬れと、俺が今学んでいる武道の流派では掟としている。

 よってそれに近いものが願いだ…」


男のナンシーの少し長い説明に、ポリックもヒトミもきちんと理解して、今までの自分の蛮行に、ふたりともうなだれてしまった。


「お前らはよく似ているし、気はあうようだ。

 試しに付き合ってみればいい。

 ヒトミはなかなかかわいいからな。

 逃す手はねえと思うぜ」


「い、いえ、僕としては、先生とお似合いだって…」とポリックが申し訳なさそうに言うと、「ばかやろう、俺は女だ、失礼な奴だ」と男のナンシーが言うと、ポリックは目を見開いていた。


ヒトミがうなづいていたので、ポリックは信じるしか道はなかった。


「…女性でも、男のようにならなきゃ生きていけない星…」


「あー、そうだ。

 十年ほど前までは、略奪が横行したな。

 どこもかしこも戦争ばかり。

 女が弱いことはどこの世界でも同じだが、

 ただの荒くれには勝てるほどには鍛えたさ。

 そんなやつらに、好きにさせてたまるもんか」


「…僕らは守られていた…」とポリックは言って、拳を握りしめた。


「ああ、鬼が守っていたな。

 これが唯一の幸運だったようなものだ。

 マッドスタックと話は?」


「…昔にあいさつ程度は…

 名前は、今知りました…」


ポリックが答えると、「見た目は怖ええからな」と男のナンシーは言って鼻で笑った。


「もう大丈夫だろう」と男のナンシーは言って女に戻ると、ポリックは目を見開いて驚きを隠さなかった。


「男に姿を変えていたのは適材適所という意味がある。

 ひねくれているポリックに、

 異性が何を言っても通用しないこともあると思ってな。

 唯一の異性で資格があるのは、

 ポリックの気持ちが痛いほどわかっているヒトミだけだった。

 どうだ?

 納得いったか?」


ナンシーの言葉に、「…言葉遣いは同じなんですね…」とポリックは大いに苦笑いを浮かべて言うと、「女になる瞬間を楽しみにしてな」とナンシーは言ってまた鼻で笑った。


「…さっきは優しくて、魅力的な女性だったぁー…」とヒトミが嘆くと、「…すごい先生だ…」とポリックは言って、ナンシーに頭を下げた。


「じゃ、試練だ」というナンシーの言葉に、その視線の先にいるポリックの背筋が伸びた。


「第一に、ローラとの思い出を元に戻せ」


ナンシーの言葉に、ポリックは目を見開いて、拒絶するように首を横に振った。


「…ふん… まだまだな…

 だが、その試練を今乗り越えると、

 さらに明るい道が目の前に開けるように思わねえか?」


「私も手伝うから!」とヒトミが叫ぶと、「余計なこと言ってんじゃねえ!」とナンシーの雷が落ちると、ヒトミは大いに反省してうなだれた。


「これはポリック自身の戦いだ。

 全てはポリック自身が真の意味で立ち直るための試練だ。

 それを誰にも邪魔をする権利はねえ」


ポリックはうなだれ、そして心の苦痛が沸き上がりそうになった。


だが、まさに鬼のようなナンシーと、気弱になったヒトミを見て、「…手伝ってくれないかな… 絶対泣くと思うけど…」とポリックが言うと、ヒトミは大いに戸惑ってナンシーを見た。


「ポリックが望んだんだ。

 言葉通りにしてやればいいさ」


ヒトミは何とか立ち直って笑みを浮かべてから、「手伝っちゃう!」と明るく言った。


「それが終わったらヒトミとともに俺に会いに来い。

 それが第二の試練だ」


ナンシーの思惑を察したポリックはまた戸惑ったが、「…はい、先生…」と言って頭を下げた。


「そのあとは人生を生きるという試練が数多くある。

 覚悟しておけ」


ナンシーの厳しい言葉に、ポリックもヒトミも真剣な目をしてすぐさま頭を下げた。


「…はあ… 若いっていいわぁー…」とナンシーが眉を下げて言うと、ふたりは大いに戸惑っていた。


しかしナンシーは立ち上がって、「じゃ、またね」と言ってから、ポリックの家を出た。


すると街道の先に、寅三郎とお凛、お杏、真珠が心配そうな顔をしてナンシーを見ていた。


ナンシーは駆け寄って、「たぶん大丈夫でしょう」と笑みを浮かべて答えると、「そうか」と寅三郎は明るく答えて、ナンシーに頭を下げた。


「ほかには?」とナンシーが言葉少なに聞くと、「いや、しばらく様子を見る」と寅三郎は答えた。


「ああ、変わった二人を見て、

 村人がどう思うのかを観察…」


ナンシーの言葉に、「余計な手を出すことはないように思ったからな」と寅三郎は安堵の笑みを浮かべて言った。


「手を出しすぎるわけにはいかない…

 マッドスタック様のように、この村に縛り付けられちゃう…」


「それが正しい情だよ」という寅三郎のやさしい言葉に、ナンシーも同意した。


「お父さんとお母さんが一緒がいいぃー…」とついにお凛が言い始めると、「今はまだ駄目」とまずはナンシーが少し厳しい口調で言った。


「今日は俺たちだけ喜笑星に戻る。

 それならばいいだろう」


寅三郎の言葉に、ナンシーは、「はい、それでしたら…」と答えて、顔を真っ赤にした。


お凛は喜びたいところだったが、「…我がまま言ってごめんなさい…」と言って謝った。


「…この村では幸せそうな俺たちの姿を見せない方がいい…

 特に今はな」


寅三郎の言葉に、ナンシーはじりじりと寅三郎から離れた。


「適正な距離だ」という寅三郎の言葉に、ナンシーは笑みを浮かべた。


しかし子供たちは容赦なく、ふたりに大いに甘えて、ゆっくりと歩いて村長の屋敷に戻った。



ナンシーは厳しい言葉を使って、村長一家に説明した。


「あんたらにはな、相手の気持ちを慮るという気持ちが皆無だった。

 凶暴なポリックを生んだのはあんたらのせいでもある。

 この先はよくよく考えて行動することを望む」


言い返せる言葉を全く持てなかった村長一家は、ナンシーに頭を下げた。


「…姉さん、やっぱこえぇー…」とマッドスタックが小声で言った。


パトリックたちはこの言葉すらも言えずに眉を下げていた。


「…人間関係って、ほんと面倒だわ…」とナンシーは大いに嘆いたが、ここは笑みを浮かべてお凛たちを抱き上げた。


ナンシーはこの村のために、機械を持ち込んで菓子作りに勤しんだ。


もちろん、多くの村人たちがやって来て、お相伴に預かっては帰っていく。


その中に、大いに眉を下げているポリックとヒトミが眉を下げて立っていた。


「あら、いらっしゃい」とナンシーは明るく言って、お凛とお杏にお菓子を渡すと、ふたりは笑みを浮かべて、ふたりに菓子を渡した。


「…先生は、なんでもできるんですか?」とポリックが聞くと、「さあ? それは私自身にはよくわからないわ」と答えると、ポリックは笑みを浮かべてうなづいた。


「たぶん、できないこともあるのかもね。

 このお菓子づくり以外のものづくりは、

 それほど得意じゃないから」


「おいひいっ!」とひと口かじってヒトミが叫ぶと、ポリックは大いに眉を下げながらも菓子を食べ、「…ほんとだ、おいしい…」と笑みを浮かべて言った。


「…まさか、先生のお子さんですか?」とポリックが聞くと、お凛たちは動物の姿に戻って、ナンシーの体を駆け登って肩に座った。


「どう思う?」とナンシーが聞くと、目を見開いているポリックは、「…たぶん、産んではいないことだけは理解できたと思います…」と答えた。


「そうね、猫と栗鼠の産み分けは難しいと思うわ」とナンシーは答えて、愉快そうに笑った。


お凛たちは人型に戻って自己紹介をしてから、「お母さんだけど、お父さんとは夫婦じゃないぃー…」とお凛は嘆くように言った。


ポリックは大いに眉を下げて、「…先生も、何かと大変そうですね…」というと、「今はあんたたちのことが第一だから」とナンシーは言って、屋敷の玄関を指さした。


「第三の試練よ。

 パトリック君にあとは任せることにしたから行ってらっしゃい」


ナンシーの言葉に、「はい、先生」とポリックは真剣な目をして言って、ヒトミとともにゆっくりと玄関に向かって歩いて行った。


真珠は人型になって、「見届けるわ」と言って、ふたりのあとを追いかけた。


ナンシーは心配事がなくなったので、笑みを浮かべて菓子作りに集中した。


騒ぎになるようなことは何もなく、時は穏やかに過ぎていった。



「…大量だな…」と寅三郎が菓子製造機の辺りを見回しながら言うと、「すぐに売り切れるってみんな言ってくるから…」と、ナンシーは眉を下げて答えた。


「おっ! よっしっ! ついてた!」と社から出てきた幻影が満面の笑みを浮かべて叫んでから、ナンシーに礼を言って、ほとんどの菓子を異空間ポケットに入れ込んで、早々に帰って行った。


「…お師匠様は、雑用が楽しそう…」とナンシーが眉を下げて言うと、「第一は子供たちの笑みだから」と寅三郎は穏やかに言った。


「ついていたってことは、作るように言いつけに来られたようね」とナンシーは眉を下げて言った。


「…断れない事情か…

 もちろん子供がらみ…

 …相手が大人だと、ほとんどといっていいほど喜ばれないから…」


「なのに、お子様は阿利渚様だけ?」


「胡蝶蘭様に、子宝製造機じゃあねえと言われておられた」


ナンシーは何度もうなづいて、「…それも正論だわ…」とつぶやいた。


「やはり、第一子が女子だったので、男子も欲せられたんだ。

 その時に、な…」


寅三郎は大いに眉を下げて言った。


「…その希望も、わかるわぁー…」とお凛とお杏を見て笑みを浮かべた。


すると、「先生!」という明るい声が背後から聞こえた。


ナンシーは振り返って、「和解できたようね」と明るく言うと、「本当に、ありがとうございました!」とポリックは叫んで、満面の笑みを浮かべて頭を下げた。


しかし、ヒトミは少々困惑の顔をしていた。


「あなたの好きなポリックの顔でしかないわよ?」とナンシーがヒトミに言うと、「…私の欲なのはわかっていますけど、複雑ぅー…」と言って嘆いたので、ナンシーとポリックは愉快そうに笑った。


「まだまだ終わりじゃないわよ」とナンシーが言うと、「はい… 村の人たちに謝って回ります…」とポリックが言って頭を下げると、ヒトミも慌てて頭を下げた。


「今回は私も行きましょう。

 色々と見ておきたいから。

 今回は今日だけしかここにいられないから」


ナンシーの言葉に、ポリックもヒトミも、そして寅三郎までもが眉を下げ、お凛たちがすぐさまナンシーを抱きしめた。


「私も修行中の身なの。

 だけど今生の別れじゃないわ。

 来たい時はいつでも来られるから。

 夜は時々来てたし」


ナンシーの明るい言葉に、「…よかった…」とポリックとヒトミは同時に言って、顔を見合わせて笑みを浮かべあった。



ナンシーがいるせいではなく、謝罪巡業は滞りなく進み、ほとんどの村人たちがふたりに謝るような態度を取っていた。


色々と事情は知っていたようで、話は早かったのだ。


特にふたりの教師だった者たちは、自分の行いを恥じて、笑みを浮かべているふたりを見てすぐに謝ったほどだ。


特に問題は何もなかったのだが、ナンシーは立ち止まった。


遥か彼方の先に老人がいる。


「ここからは特別授業よ」とナンシーが言うと、「…はい、先生…」とふたりは大いに戸惑った。


「あのご老人は鳥たちに餌やりをしているけど、

 村では禁止されているわ」


「…えっ? あ、はい…

 村に動物たちがはびこられても困るという理由です」


ポリックが答えると、ヒトミは勢いよく何度も首を縦に振って同意した。


「大きな問題がふたつあるの。

 村の掟以外でね。

 どう、わかる?」


「…動物たちが村に攻めてくること以外で…」とポリックはつぶやいて考え始めた。


「餌をやれば苦労することなく楽に食べられるから、

 動物たちにとってはいいことかもしれないけどね」


「…あ、はい…」とポリックは言ってまた考え始めた。


「あら? 小鳥たち以外にも小さい動物が来たわね…

 鳥たちが少し騒がしいようだから、

 興味を持ってやってきたようね」


「…せんせえー… 全くわかりませんー…」とヒトミは眉を下げて白旗を上げた。


「…あ…」とポリックは言って、動物ではなく老人を見入り始めた。


その表情は笑みを浮かべていて穏やかに見えた。


「…荒んでいた、僕と同じなのでは…」とポリックがつぶやくと、ヒトミは、「…あー… ちょっとあるのかもぉー…」とヒトミは言ってから、「…もう少し若い時に、村長選で落選してた…」とさらに言った。


「決定的な言葉は浮かばないようね?」


ナンシーの優しい言葉に、「…出そうなのですが、出て来ません…」とポリックは眉を下げて言って頭を下げた。


「あのご老人は優越感に浸っているの」


ナンシーの回答に、「…そうだ、その言葉がぴったりだ…」とポリックは少し嘆くように言った。


「あのご老人は見た目よりも荒んでいると思うわ。

 その気持ちを動物たちに餌をやることで抑え込んでいるはずなの。

 だけどね、もうひとつの方が大問題なのよ。

 人間の方は言葉は通じるけど、動物たちに言い聞かせたって、

 簡単に言うことを聞いちゃくれないわ」


「…先生、さらに難しいです…

 降参です…」


ポリックが言って頭を下げると、ナンシーは笑みを浮かべてうなづいた。


「山の自然な餌が少ないのかもしれないの」


ナンシーの言葉に、ふたりは目を見開いた。


「人間が危険な生物なのは動物たちもわかっているの。

 だけど村にやってくる。

 もちろん、あのご老人はいつも餌をやっているから、

 動物たちは信用しているはず。

 ほら、少し大きな鳥たちが遠巻きで見始めたわ」


ナンシーの言った通りで、森と村の境が少し騒がしく思える。


「人が怖いから餌を食べたいけど踏み込めない。

 あれが普通の動物の姿よ。

 そして危険を冒してまでここに来た。

 食べないと生きていけないから、

 なんとか楽をして、空腹を満たそうとでも考えていると思うの」


餌やりは終わったようで、小鳥たちと小動物たちは急いで森に走り込んだ。


すると大きめの鳥たちが街道に降りてきて、地面をついばみ始めた。


「これから山に入って、正します」


ナンシーの言葉に、ポリックもヒトミも大いに目を見開いた。



エカテリーナが緑竜となり、土は肥えたはずなのだが、全てがそうなっているわけではない。


この村に近い部分の土地は痩せているのではないかと考えたのだ。


森から山に登り始めると、まさにその通りで、発育不全の実しかなっていないことがすぐにわかった。


ナンシーたちは沢に出て、ナンシーは小川に片手を入れて、もう片手は河原の石をどけて、土に手を添えた。


そしてナンシーは、見える範囲一体に散水を始めたので、ポリックもヒトミも目を見開いた。


「簡単な手品よ!」とナンシーが言うと、ふたりは大いに苦笑いを浮かべていた。


「あら? ついてたわ!」とナンシーが言うと、辺りに甘い香りが漂ってきた。


見える範囲全てに、うまそうな実がたわわになっている。


よって小動物たちが奪うようにして身をもいでは立ち去っていく。


ナンシーは陽が傾くまで、この作業を繰り返して、谷に近い山々はさらに緑が濃くなった。


三人はたくさんの戦利品を抱えて、村に戻った。


ポリックとヒトミは名残惜しそうな顔をして、ナンシーと別れ、家路についた。


もちろんナンシーも寂しかったが、村長の屋敷の前でお凛とお杏が待っていたので、その寂しさは一瞬のものだった。


「…うっ!」とお凛がうなって、ナンシーの戦利品の実を見入った。


「そう、これはかなり美味しいようね」とナンシーは言って、黄色い桃のような実を手に取った。


ナンシーは早速実を切って、三人で大いに堪能していると、「…その実…」と甘い匂いを嗅ぎつけて村長がやって来てつぶやいた。


「山で実らせたのです」というナンシーの言葉に、「…なんという…」と村長は言って、早速ご相伴に預かり、「これほどうまいポッタの実は初めてだ!」という村長の叫び声に、家人たちがわらわらとやってきた。


そしてナンシーは種を鉢に植えて、河原でやったことと同じことをやって、種を木にまで成長させると、誰もが目を見開いていた。


お凛たちは動物に戻って木に登って、ここでもうまそうにして、成長した実を食らい始めた。


ナンシーは広い村長に庭に、ポッタの木を三本成長させた。


そして、街道を行きかう人が、軒から庭を見入って目を見開いている。


「入ってこい!」と村長が気さくに言うと、村人たちはわらわらとやって来て、ポッタの実狩りが始まった。


「…どういうことなの?」と寅三郎が困惑の目をしてナンシーに聞くと、「手品よ」と陽気に言って大いに笑った。


「言っとくけど、食べ過ぎると太るわよ!」というナンシーの言葉に、特に女性たちは目を見開いていた。


「女性は一日、実の半分が適量ね。

 そういった水を使って栽培したから。

 美味しいものには毒があるのと同じよ」


ナンシーの陽気な言葉に、村人たちは大いに眉を下げていた。


「だから、空腹で倒れた人には効果覿面だから。

 この村にはいないけど、ほかの村にはそういった人も多いはずだわ」


「明日から、まずはそれをしていこう」と寅三郎は笑みを浮かべて言って、ナンシーに熱い視線を送った。


ナンシーは笑みを返しただけで何も言わなかった。


「もう帰って来んでよい!」といつの間にかここにいた信長が叫ぶと、「早速食べてんじゃないわよ」と濃姫に言われて、信長は首をすくめた。


「ナンシーは修行のためだけに喜笑星に戻ってくればいいわ。

 基本、しばらくはここで過ごせばいいの。

 まずは、屋敷でも建てさせてもらえば?」


濃姫の言葉に、寅三郎は笑みを浮かべてすぐさま頭を下げた。


「この堅物は決定的なことはなかなか言わないから、

 少しは我慢した方がよくてよ」


濃姫のやさしい言葉に、「…はい、奥様…」とナンシーはホホを赤らめて言ってから、寅三郎を見上げた。


「それに、今回のこの件で、

 私もお手伝いができるって自信がついたのです」


ナンシーの明るい言葉に、「もう十分すぎるほどですよ」と濃姫はナンシーを大いに褒めた。


そして一番喜んだのはお凛とお杏で、悲しんだのは信長だけだった。


しかし、ナンシーにお凛とお杏は付きまとうはずなので、それほど心の負担はなかった。


村長への挨拶がてら、琵琶家家人はとっかえひっかえやって来て、美味い実を食っていく。


「…離れていても、気を抜いてんじゃあねえぞぉー…」と蘭丸がうなると、「はい、お師匠様」とナンシーは笑みを浮かべて頭を下げた。


「太る菓子、として、何か考えておいてよ」と幻影が気さくに言うと、「はい、工夫をして、明日から取り掛かってみます」とナンシーは笑みを浮かべて答えると、幻影も笑みを浮かべて何度もうなづいた。


『もう少し食べておじゃれ』とマロが言ってきたので、ナンシーも少し落ち着いて、お凛とお杏に挟まれて席について、うまい実を食べ始めた。


まるで宴会のようなポッタの実の試食会は、大盛況のうちに終わって、夜は更けた。


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