赤い幻影 akaigenei ~修行の旅編~ 赤饅頭 akamanjyu
赤い幻影 akaigenei ~修行の旅編~
赤饅頭 akamanjyu
ガッツ村の祭りの準備はほぼ終わったのだが、寅三郎はまだ働いていて、甘くいい匂いを漂わせている。
寅三郎とお凛のふたりが何かを食っている様子を見て、セイラに簡単に免許皆伝をもらって村に戻ってきたモルドが気になって見に行くと、今までに見たことがない菓子がずらりと並んでいる。
しかしそれは間違いで、色がついているので思い当たらなかっただけだ。
「おまえらふたりだけでうまそうなものを食ってんじゃあねえ」
モルドが憎まれ口をたたくと、「食ったことないのか、魂饅頭」と寅三郎が言うと、「えっ?」とモルドは怪訝そうに言ってよくよく見ると、色がついているだけで確かに魂饅頭だった。
モルドが食ったことがあるのは、表面は透明で、中に餡が入っているものだ。
よってその形は、案外つかみどころがない。
魂饅頭とはよく言ったものだと感心したことをようやく思い出した。
「悪魔用の魂饅頭は何も変える必要はないが、
人間用饅頭の売り上げが頭打ちになったそうでな。
売れないわけではないが、
このままだと美人村の悪魔たちの士気が下がるということで、
新商品を考えることにしたんだよ。
修行のあとお前らが寝てしまって、
悪魔たちに風呂に運んでもらった時の礼の代わりだ」
寅三郎の言葉に、「迷惑をかけている!」とモルドはすぐさま頭を下げて謝った。
そして味見ということでひとつ食うと、「…うう… うめえ…」とモルドはうなってから、色とりどりの魂饅頭に次々と手を出した。
そして最後に、何の細工もない現行の饅頭を食って、「さらにうまくなった気が…」と言ったので、寅三郎は大いに喜んだ。
「口直しという典型的なものだな。
セルラ星漫遊魂饅頭とでもするか」
寅三郎は書を書いて、ご満悦の笑みを浮かべた。
「…書も見事だ…」とモルドは言って大いに眉を下げていた。
すると、黒い影が青空に現れて、「いい匂いをさせてるじゃあねえか!」と叫んだ。
「おう! 降りて来い!」と寅三郎が叫ぶと、悪魔が五人、空から降りてきた。
「試しに客に味見をさせて売ってみろ。
お前らではよくわからんだろうからな」
「おう! すまねえ!
だが、食ってやろう!」
悪魔は言って、五人でお茶会を始めたが、「…これは美味いが…」とつぶやき始めたが、早速戻って商売をするようで、大荷物を担いで帰って行った。
「…お祭りで、売ってくれないかなぁー…」とナンシーが言い始めたので、「前日に作ろう」と寅三郎は気さくに答えた。
「そうね、痛みが早そうだから…」と言って、ナンシーは饅頭を見入っている。
寅三郎は全種類をひとつずつ皿に乗せてナンシーに渡すと、「…ああ、もらっちゃったわ…」と随分とわざとらしく、穏やかに笑みを浮かべて言ってから口に運ぶと目を見開いて、「こりゃ! うめえぞっ!!」と男になって叫んだ。
すると村人たちもやってきたので、作ったものをすべて味見として食べさせた。
「…セルラ星漫遊…」とナンシーが寅三郎が書いた書を読むと、「懇意にした村や町の特産の果実などを混ぜ込んで作った」という言葉に、ナンシーは先読みして大いに眉を下げた。
「責任は俺が取る。
もちろん、ほかの地でも売ってもらうことになりそうだから、
作り方を伝授しないとな。
まあ、飴よりはかなり簡単だが、
ここでは原材料が手に入らないものもあるんだ。
…おっ もう戻って来た…」
寅三郎は言って、空に向かって悪魔たちを手招きすると、「もう売り切れた!」と叫んでから機嫌よく大いに笑った。
「じゃあ、作るから手伝え」という言葉に、悪魔たちは素直に従って、大量の人間用の魂饅頭を作り上げた。
そして、悪魔たちは自分専用の魂まんじゅうなどを調合開発して喜んでいる。
寅三郎は原材料の仕入れ先などをすべて書いて悪魔に渡し、星中で売ることになると伝えると、さらに高揚感を上げていた。
悪魔たちはまた大荷物を担いで、美人村に戻って行った。
「…働き者たちだな…」とモルドが眉を下げて言うと、「元は野良悪魔だったそうだ」という寅三郎の言葉に、モルドは眼を見開き、「…あの、悪名高き野良悪魔だったのか…」とうなった。
「今は普通に農民で工員で商売人だが、
時々請われては雇われているそうだ。
多分俺も、数名は連れて帰るかもしれんな。
雇われても減るどころが、増え続けているそうだから」
「…増えるって…」とモルドがさらに怯えながら聞くと、「幸運にも、生き残った野良悪魔を美人村に住まわせているからだ」と寅三郎が簡単に説明すると、「…そうか… ここだけではなく、ほかの星からか…」とモルドは言って、納得してうなづいた。
「受け入れ先がなかなかないそうだ。
だが、ここの美人村だったらすぐに大人しくなる。
それは魂饅頭があるからだ。
それを事業として作っているのは、
このセルラ星だけだ。
よって術師が欲しければ、
美人村に行けば即戦力が手に入る。
我が琵琶家はあえて手を出していないが、
そろそろ雇うかもしれないな」
「…即戦力…」とナンシーはつぶやいてうなだれた。
「超常現象が潜在的な武器だからな。
それに全員空を飛べることが大きな利点。
さらに鍛えればさらに使えるようになる。
扱いは難しいが、
味方になれば、悪魔ほど頼もしい種族はいないだろう。
だから多少は、恩を売ったり恩を受けて、
快く接触しておくことは重要だ」
「…いきなり行ったって、鼻で笑われるだけ…」とモルドが言うと、「そういうこと」と寅三郎は笑みを浮かべて肯定した。
「悪魔はああ見えて情に厚い種族なんだ」
そして寅三郎はほかにも準備を終えているものがある。
できれば、子供たちだけでもさらに楽しんでもらえることだけを願って作り上げたのだ。
もちろん、お凛に試してもらって及第点をもらっているので、何も問題はない。
祭りの前日の朝、ミサ・ハウトが目を吊り上げてガッツ村の上空に浮かんでいた。
モルドがすぐに見つけて挨拶をすると、「寅三郎はどこだ!」とさらに目を吊り上げて叫んだ。
これは大事と思い、モルドはミサを茶店に連れて行った。
寅三郎は案の定ここでコーヒーを飲んでいたので、「おまえ! 何をやった?!」とモルドは寅三郎の背中に向かって叫んだ。
寅三郎は振り返って、「やあ、ミサ殿」とごく普通にあいさつをすると、「どういうことなのでしょうか?」とミサはいきなり穏やかになったので、モルドは大いに眉を下げて、―― 姉ちゃんと同じ… ―― と考えて、何とか笑いをこらえた。
「…もう悪魔に手を出したって聞いて…」とミサが悲しげな顔をして言うと、「悪魔のハッタリだ。からかわれたんだよ」と寅三郎が言うと、お凛が眉を下げて何度もうなづいたので、ミサは体中の力が抜けていた。
「能力が低い悪魔でも、
恋愛感情にだけは敏感だからな。
それも、悪魔の武器のようなものだ。
ひとつところに住んでいるから、
この程度の常識も知らなかったりするんだよ」
まさに痛いところを突かれたと言わんばかりに、ミサは大いに眉をひそめた。
するとナンシーがやって来て、戦闘服を着こんでいるミサとあいさつを交わしたが、ここでも火花が散り始めた。
「祭りの前の日でよかった」と寅三郎が言うと、「…よくねえよぉー…」とモルドは眉を下げてつぶやいて、寅三郎の隣に座った。
「ミサ殿、ナンシー殿、お茶でもいかがか?」
寅三郎の言葉に、ふたりは甘える猫のようになって、競い合うよにしてお凛の隣に座った。
すると村長のメルシーもやって来て、ミサとあいさつを交わした。
ここはメルシーが接待を受け持つことになったようで、寅三郎は自由を得た。
そしてお凛とともに外に出て、菓子作りに秀でている者たちを誘って、早速魂饅頭を作り始めた。
出来上がったものから順に、程よく冷やした冷蔵庫に入れていく。
湿度も重要で、あまり低い設定にはしていない。
これは数日間試して、今の温度湿度に保つように微調整されている。
寅三郎とお凛は手伝いはここまでとして、作業を見守ることにした。
するとミサたちもやって来て、「…饅頭づくりの指導…」とミサが寅三郎につぶやくように言うと、「悪魔たちに頼んでくれ」という返答に、ミサは大いに頭を抱え込んだ。
「まさに達人だぞ。
俺が作るよりもうまいかもな。
居場所は知ってるよな?」
「…それは、確認を終えていますぅー…」とミサは大いに眉を下げて答えた。
「村以外の世界を見て回るのもいいことだぞ」
今回の件は素直に言うことを聞くことにして、ミサはメルシーに挨拶をして、ナンシーをひと睨みしてから、これ見よがしに空を飛んで村に帰って行った。
「…すごい勇者がいるって、通報しようかしらぁー…」
ナンシーの悔しそうな言葉に、「…いざこざになるようなことはやめてくれよ…」とモルドは大いに眉を下げて言った。
「ま、そのうち、ナンシー殿も同じ目に合うかもしれんから、
余計なことをしない方が吉」
寅三郎の言葉に、ナンシーは返す言葉もなく、メルシーに大いに笑われていた。
寅三郎は夕餉を終えて、「暗くなったら試していいぞ」と笑みを浮かべてお凛に言うと、「やったぁー!」とお凛はもろ手を挙げて叫んで、「…早く暗くならないかなぁー…」とつぶやいて、まだ明るい外を見て、夜になるのを心待ちにした。
暗くなり始めてから、寅三郎は試しに造った一部をお凛に渡した。
そして大勢で遊べる広場に行ってから、「みんなぁーっ!! 花火! やるよぉ―――っ!!」とお凛は渾身の力を込めて叫んで、手持ち花火に火をつけた。
「あっ! きれいきれい!」とお凛が叫ぶと、声が聞こえた村人たちが一斉に走ってやってきて、お凛の仲間になっていった。
「明日は、もっとすごいのやるよ!」とお凛が言うと、特に子供たちは大いに喜んでいた。
予告は十分で、誰もが手持ち花火を大いに楽しんで、前夜祭は盛況のうちに終了した。
「…いきなりやるなぁー…」とほんのわずかしか花火を見られなかったモルドが嘆くと、「幸運不運の計りのようなものだ」と寅三郎に言われ、モルドは大いにうなだれた。
するとまったく予告なしに、信長が琵琶一家を引き連れてガッツ村にやってきた。
寅三郎の細かい予定は調べないとわからないはずだった。
すると濃姫が二種類の魂饅頭の箱を抱えていたので、―― 情報漏えいは悪魔経由だった… ―― と確信して、信長と幻影に丁重にあいさつをした。
「…喜笑星に、帰ってくるよな?」と信長が眉を下げて聞くと、「もちろんでございます」と寅三郎は胸を張って答えると、信長は安心したようで、「結構結構!」と陽気に叫んで大いに笑った。
そして、弁慶たちがまた重そうな大荷物を担いでいたので、寅三郎の花火の出番はないと確信した。
「お菓子の方は、寅三郎も作れるのかしら?」と濃姫が穏やかに聞くと、「はい、悪魔用も作れます」とすぐさま答えると、「お早いお帰りを」と濃姫は機嫌よく言った。
「…やはり、旅に出ないと…」と信幻は真剣な目をして言ってから、笑みを浮かべて寅三郎を見上げた。
「この星はお勧めです」と寅三郎は言って、海岸に行っていかだを見せると、「…さすがだよぉー…」と信幻は言って、早速いかだに乗り込んで雄々しく漕いで喜んでいる。
―― やはり、化け物軍団… ―― とモルドは思い、大いに苦笑いを浮かべていた。
モルドは修行がてらにいかだを漕ごうとしたのだが、その前に移動させられなかった。
さらには、壊れているというほどにからくりが重い。
もちろん動くことを寅三郎に見せ付けられてうなだれたほどだ。
そして琵琶家は露店を組み立て始めて商品を並べると、大勢の村人たちが囲んでいて、物珍しそうにして見入っていた。
「早い者勝ちの商品が多いけど、まだ売らないよ!」と源次の明るい声が飛んだ。
すると村長が源次と相談を始めて、村が半分ほどを買うことに決まった。
よって村民たちは列に並ぶことなく、配給制となった。
そして、この場で作れるものは、露店の中に機械を持ち込んで作り始めた。
お凛は阿利渚たちと合流して、ある相談をすると、阿利渚は胸を叩いて幻影に相談して、妙案を伝授されて大いに喜んだ。
「…旅の達人だな…」という幻影の誉め言葉に、お凛はさらに喜んだ。
「お凛は、寅三郎から離れないのよね?」と蘭丸が穏やかに聞くと、「はい! ずっと一緒にいます!」とお凛は元気よく叫んだ。
「でもね、阿利渚なんて、もう結婚まで決めちゃったのよ?」
蘭丸が眉を下げて言うと、お凛は大いに目を見開いて阿利渚を見ると、「…お相手を決めただけだよぉー…」と眉を下げて言って、ホホを赤らめた。
するとお凛は幻影を見上げた。
「…阿利渚が幸せだったらそれでいいんだ…」という幻影のやさしい言葉に、「…でも… ずっと、お父さんと一緒にいたいなぁー…」とお凛はつぶやいてうなだれた。
「…わたしはそうしよぉーと!」と阿利渚は明るく叫んで、幻影を抱きしめた。
「大勢の人と接しているのに、気になる人がいないんだ」と幻影がお凛に聞くと、「…みんな、頼りない、かなぁー…」とお凛は眉を下げて答えた。
「…まあ… 父ちゃんが魔王様だからなぁー…」と幻影は眉を下げて言った。
「それに、お父さん、結婚しないかもって…」とお凛が少し悲しげに言うと、琵琶一家の女性たちが更に悲しそうな顔をしたので、幻影は大いに笑った。
「いや、その気持ちはわかる」と信長が堂々と言うと、「…ふーん…」と濃姫は言って、魂饅頭を乱暴に口に放り込んだ。
「…魔王になる前からいたのだから仕方ないではないか…」という信長の言葉に、「あとで、しっかりとお話をいたしましょう」と濃姫は言って、長春とお香たちとともに、村の散策に出かけた。
「家族とともにいることが、
魔王様の幸せ」
幻影の言葉に、「決まった者がいる必要はそれほどないという回答は出ておる」と信長は眉を下げて言った。
「砕けて言えば、伴侶は普通の人間でも構わん。
話し合いが楽しければな。
よって、いればそれでいいが、
おらんでも構わんという感情だ。
特に、恋愛感情が沸くことはないようじゃ。
寅三郎も、ワシと同じ気持ちなのかもな。
第三天ミミもワシと変わらんそうじゃから、
第五天イカロスだけが少々異質に思う」
「…そうでしたか…」と幻影はつぶやいて考え始めたが、魔王ではないので考えてもわからないと思い、覚えておくことにした。
「さらに言えばじゃ。
魔王は大いにもてる」
信長はにやりと笑って言うと、「…女子どもの争いを見たくない…」と幻影がつぶやくと、「それもある」と信長は堂々と答えた。
「よって、力のある者を盾としておれば、
魔王を奪い合うことはない。
寅三郎の盾は、今はお凛ではないのだろうか、
などと考えてみた。
ずっとそばにいるというのなら、
寅三郎にとってそれほど問題のないことじゃ。
問題はお凛が嫁に出る場合じゃが…
長春のように外に出んことも考えられそうじゃ」
信長の言葉に、「大いにあるでしょう」と幻影は笑みを浮かべて答えて、何度もうなづいた。
「大きな力を持ちすぎたせいもあるのではないかとも思う」
「…なるほど… それもあるのでしょう…」と幻影は言って、蘭丸と一緒にいる意味をようやく思い至った。
ふたりであれば、その力は何倍にもなり、魔王に匹敵することがわかっているからだ。
よって魔王は、外から見れば悲しい種族のように思うが、本人にとってはそれほどでもないと納得できた。
すると、その諍いの元でもある、ミサ・ハイトが空を飛んでやって来て、早速信長を発見して挨拶を交わした。
「…諍いを起こすでないぞ…」と信長が小声で釘をさすと、「…もう、ご存じでしたか…」とミサは言ってうなだれた。
「魔王はな、醜い争いは嫌いじゃ」
信長の言葉に、ミサは目を見開いて、些細な争いも起こすまいと思い、村長と寅三郎だけにお祝いの挨拶をして、村に戻って行った。
「争いの元は去った」と信長がミサの後ろ姿を見て言うと、「…ほかにいなければいいのですが…」と幻影は眉を下げて言った。
すると、美人村から悪魔の団体が飛んでやってきたので、信長も幻影も大いに眉を下げた。
しかし、濃姫がすぐに悪魔全員を引き連れ始めたので、簡単に難は去った。
すると、セイラがすっ飛んでやってきたので、『このたわけが!』と信長がセイラに念話を送ると、セイラは後方に吹っ飛んで見えなくなった。
「…わかりやすいやつ…」と信長がうなると、「…セイラ殿ですか…」と姿を確認できなかった幻影は、魂を確認して察していた。
「…だが、よい修行となりそうじゃ…
…家臣を守るのも、殿様の務めじゃ…」
信長の言葉に、幻影は笑みを浮かべてうなづいた。
「できれば、祭りが終わった後にでも、
今あったことなどを伝えていただきたいのです。
寅三郎殿もきっと思うことができるはずですので。
新たなる修業のようなものです」
「おう、そうじゃな」と信長は機嫌よく答えて、監視を広範囲に広げた。
すると、カレン王がやってきたのだが、装いが違う。
王室会議で、イルニー王はただの暫定代行者であり、正式な王が決まれば、王の監視者となる。
よって、カレンがどこに旅に出ようと、全く問題はない。
もちろん、イルニー城下町の代表ではあるので、数名の屈強なお付きがいるのでわかりやすい。
メルシー村長がすぐさまあいさつに走ると、信長も気づいた。
「…大物が来たな…」と信長がつぶやくと、「強きを求めるのであれば適任者でしょう」と幻影は快く答えた。
今のカレンの意識はメルシー村長に向いているので問題はなかった。
しかし、話を終えてカレンがナンシーと目を合わせた途端、「あんたら、醜いな」と寅三郎がかなり穏やかに言うと、ふたりは大いにうなだれ、信長と幻影は大声で笑った。
「なるほど、そう見えたわけか」と信長は言ってからまた笑った。
「どうやら、守る必要はなくなったようです」と幻影が言うと、「さて、祭りを楽しむか」と信長は機嫌よく言って、辺りの散策を始めた。
「…醜いって言われたぁー…」とナンシーがモルドに言いつけると、「…カレン様をどう思っていたのか思い出してみてよ…」と問いかけると、「…うう… 醜い…」とナンシーはつぶやいてうなだれた。
「…魔王様にはその心の内が見えるんだろうね…
伴侶になるのならば万人に愛を、だろうなぁー…
頼りない天使とかは、案外気に入るかもしれないなぁー…」
「…探してきて養女にするぅー…」とナンシーが言い始めたので、「天使修行をしないと、ライバルがいなくても醜いって言われそうだけど?」とモルドが言うと、「…とんでもない修行になっちゃったわぁー…」と大いに嘆いた。
「その程度なんて楽に乗り越えないと、
魔王様の伴侶は無理だと思う」
「…初めて、人を好きになったのにぃー…」とナンシーが告白すると、「…ま、この村にはロクなやつがいなかったからな…」とモルドは言って眉を下げた。
「だけど第一の問題は、寅三郎がこの星の旅を終えた時だ。
今の一件でお声がかからないかもな。
大いなる改善がないと、見向きもしてもらえないかも」
「…焦らせないでぇー…」とナンシーは大いに気弱になっていた。
「寅三郎は慣れているようだから、
男言葉の方がいいんじゃない?
どんなことでも笑い飛ばしそうだけど?」
モルドの提案に、「…そうなのかしらぁー… あ、好みとか聞いてなかったぁー…」とナンシーがつぶやくと、「任せろ」とモルドは自信満々に言って、寅三郎に近づいて行った。
「姉ちゃんが嘆いてる」とモルドが言うと、「感じたことを言ったまでだ」と寅三郎はごく普通に答えた。
「まずは、どんな女性が好みなんだ?」
「特にない」
「…いや、なんかあるだろ、普通…」とモルドが聞くと、「見た目が人間」と寅三郎が答えると、「おまえ、恋とかしたことねえだろ?」と核心を突いた話をすると、「いや、あるぞ」と寅三郎が答えると、モルドは大いに目を見開いた。
「…ないと胸を張って答えると思った…」
寅三郎は鼻で笑って、「今は違うが、普通に人間だったら誰でもあるだろ?」と答えると、「姉ちゃんはあんたが初恋だって言ったんだよ」とモルドが眉を下げて言うと、寅三郎は何度もうなづいた。
「確率的に言って、早々に諦めた方がいいだろう。
初恋は実らぬものだ。
俺の恋は、全て敗戦だったな…
だからあまり考えないことにしたという理由もあって、
恋などしていないだろうという目で見られていたかもな」
「…なかなか厳しい事情のようだな…」とモルドは寅三郎の住んでいた環境の事情を全く知らないので、迂闊なことは言えなかった。
「女性は着飾ると化けるからな。
ちょっとした化粧でも変わる。
そして、俺が恋をするのは、
全て手の届かぬ方ばかりだったこともその原因のひとつ…
いや、全てと言ってもいいか…
俺のいた世界では、身分差別がそれなりに激しかったからな。
同じ武家でも、家柄によって細かく分類されていて、
見合う見合わないが大問題となる。
それに、本人たちにはほとんど選択権がない。
婚姻は家同士がするもののようなもので、
姫は世継製造機だ」
「…男女とも自由がねえ…」とモルドが嘆くと、「そういっても過言ではないな」と寅三郎は答えた。
「諦めているってわけじゃねえんだよな?」
「それはない。
このセイラ星には特に魅力ある女性が大勢いたが、
今までのように異性として気になる人は現れない。
旅を終えてからすべてを決めるという俺の決意があるせいかもしれないが、
人の本能として、多少は気になるはずだ」
「…それは言える…」とモルドは大いに納得していた。
「…ひょっとして、強いからか…」と寅三郎が考えながら言うと、「…弱々しい女性…」とモルドがつぶやくと、「いや、最後に好きになったお方はかなり強かったが… 質が違うのか…」とつぶやいてから、ある考えがひらめいた。
「…このセルラ星の女性には興味がわかないのかもしれないな…
動物に例えると、種類が違うとでも言った方がいいのか…」
「…致命的じゃあねえか…」とモルドは言って大いに眉を下げた。
「あのセイラ殿が率先して迫って来て、拒絶するか?」
寅三郎の言葉に、モルドは大いに考えてから、「…いろんな意味で、拒絶できねえかも…」とつぶやいた。
「魅力があることはわかっているのに異性として興味がわかない。
調べないとわからないが、子宝に関係することかもしれない」
「…生物の生理的な部分か…
それは的を得ている…」
「調べようか?」と咲笑が笑みを浮かべて言ったので、寅三郎は咲笑をモルドに紹介した。
「…セイル様と同じことができるんだ…」とモルドは大いに嘆いて、咲笑の頭をなでていた。
「うふふ… もうわかったよ」と咲笑は笑みを浮かべて言って、宙に映像を浮かべた。
「寅三郎様とモルド様の違いです。
寅三郎様がおっしゃった通り、種類が違う動物と言っていいので、
妊娠する可能性はゼロです。
ですので、興味がわかないこともうなづけると考えられます。
同じ人間として、かなり珍しいと言えます。
妊娠する可能性がゼロの人間の組み合わせは、
ほかにはないと統計が言っています」
「…姉ちゃんの恋、終わったな…
もちろん、妊娠は二の次にして、
恋心が沸かないのは大問題だ…」
モルドの常識的な言葉に、「…知ることは重要だ…」と寅三郎は眉を下げて言った。
「ですが、先入観ということも考えられます。
セルラ星に住む人が全て、セルラ星で産まれたとは限らないのです。
まずはこの先入観を捨てた方がいいと判断します」
咲笑の言葉に、「心得た」と寅三郎は答えた。
「…あ、そうだ、匂い…
体臭が違うような…」
寅三郎の言葉に、「はい、全く別の生物と言っていいほどに違います」と咲笑が答えて、映像を出して詳しく説明した。
「…さらに致命的…」とモルドは言って大いにうなだれた。
「ですが、この星の少数派の猿人は、可能性ありと出ました」
咲笑のさらなる調査に、「…ここにはいないはず…」と言ったが、「観光客」という寅三郎の短い言葉に、「…そうだった…」とモルドはつぶやいた。
「つながった、隣の村に多いようです。
ですが、性格的に問題ありという統計結果がありますので、
気に入る女性がいない可能性は大いにあります」
「…女性全てに興味があるわけではないからな…」と寅三郎は眉を下げて言った。
「あとは、どの星でもそうですが、突然変異種は、
気に入られる可能性大です。
寅三郎様のように敏感なお方であれば、
今までに気づいておられるはずです」
「…全く気付かないし、手がかりもないな…」と寅三郎は眉を下げて言った。
「あとは、恋をするという面で言いますと、
魔王に変身されて接した時、
何かの変化に気づかれるかもしれません。
魔王の場合、性的接触で子はできませんので」
「…そうだ、それがあったかぁー…」と寅三郎は光明が見えたと感じた。
もちろん、モルドも同じように感じ、笑みを浮かべた。
「だが、今の姿に戻ったら、なんとも思わないというのも問題だが?」
「はい、そうですね!」と咲笑が明るく答えると、寅三郎もモルドも大いに眉を下げた。
「その部分は、恋をされてから考えてもよろしかと。
人間側も変わってしまうかもしれませんので」
「一理ある」と寅三郎は言ってうなづいて、咲笑に大いに礼を言った。
「だが、少々冷静になる必要もあるな。
感情に流されるべきではない」
「…あんただったらできそうだ…」とモルドは少し呆れるように言った。
「…今の琵琶家の女子たちはどんな感じだ?」
寅三郎が興味を持って咲笑に聞くと、「…誰にも興味が沸いておられないようですぅー…」と咲笑が眉を下げて答えると、「…寅三郎の考えは正しかった…」とモルドは大いに嘆いた。
「そういうモルドはどうだ?
我が琵琶家のきれいどころを見て」
「…ああ、絶世の美女ぞろいだ…
…だが、お前の気持ちがよくわかったような気がする…」
モルドは大いに眉を下げて言った。
「よって結局は、旅を終えてから、
魔王に変身して改めて会うことにした。
後々、後悔はしたくないからな」
「ああ、希望がある最高の言葉だ」とモルドは言って、寅三郎と咲笑に礼を言って、心配そうなナンシーに寄り添って、落ち着ける場所に行ってからすべてを話した。
「…魔王様に気に入られたら、天にも昇る気分でしょう…」とナンシーも希望を持った。
「だが、あのセイラ・ランダ様ですら、
魔王に吹っ飛ばされてるんだぜ?」
モルドのこの言葉に、ナンシーは大いに眉をひそめてから、今にも泣き出しそうな顔をした。
「…好みはどうなのよぉー…」とナンシーが聞くと、「目の当たりにして感じたままを素直に受け入れる一目ぼれ型」とモルドが分析すると、「…まだ会っていないことにできないかしら…」とナンシーは大いに無理難題を言った。
「…奥様がこの星はおかしいと言われているのだが…」と蘭丸が眉を下げて言うと、「もしも、人の魅力の件だったら、寅三郎殿と咲笑が解決したぞ」と幻影が答えると、信長が大いに興味を持ったが、すぐに幻之丞が結果だけを伝えた。
「嫁婿探しには適さないが、
家族探しには素晴らしい星だ」
信長の言葉に、誰もが一斉にうなづいた。
「今のうちに目をつけておくか。
寅三郎が旅を終えて早々に、
召し抱えても構わんほどのやつ」
「もう接触しましたが、
悪魔たちとは懇意な付き合いだそうです」
「それは任せて」と濃姫は笑みを浮かべて言った。
「恋愛関係の妙ないざこざが起こらなくてよい」と信長は機嫌よく言った。
祭りについては、古くからこの地に伝わる伝統芸能のような出し物が常に行われていて、それが目当てでやってきた見物客も多い。
さらに、地方ではかなり珍しい、歌唱による全国的な人気者がいる。
テレビの全土普及によって、スターとなった第一号のようなものだ。
戦争の悲しさ虚しさを歌ったものが多く、特に一般人には人気を博した。
彼女は実体験を歌に込めているので、賛同できる者が多くいたからだ。
それに反して恋愛の歌も多いのだが、大人の愛ではなく、子供の恋のような内容に、子供から大人までもが賛同できたことが、さらに人気を押し上げた。
「ここに住んでいるのか?」と寅三郎がモルドに聞くと、「…もう何度も会ってるじゃないか…」と眉を下げて答えると、「…ふむ…」と寅三郎は言って腕組みをして考え込んだが思い当たらない。
「おまえ、興味がないことにはからっきしなんだな…」とモルドは大いにあきれ返っていた。
「その点は考え直す必要がある」と寅三郎が他人事のように言ったので、モルドはあきれ返っていた。
「茶店の店員」
「あ… 何度も話をしたのに…」と寅三郎は回答を聞いて、大いに悔しがった。
「…一緒に仕事もできたと言って喜んでたぜ…」
「だが、変われば変わるものだな。
ようやく同一人物だと確認が取れたほどだ」
しかしお凛は敏感で、演舞台の特等席に阿利渚たちといて、満面の笑みを浮かべて拍手をして声援を送っている。
『昨日できたばかりの新曲です。
今日に間に合って本当によかったと感動したほどです。
できれば私の想い、届いて欲しい』
茶店の店員を兼ねていて学生でのもあるマルク・コングは、三台の楽器を連ねたようなものを演奏して、大きな拍手をもらいながらも歌い始め、今までにないほどのテンポの速い歌唱に、誰もが手拍子で応えた。
その内容は近くにいる者に捧げたようなもののようで、純情少女そのものの内容で、特に子供たちからの共感を得た。
さらにはお凛を示唆しているように、『あなたの服に潜り込んで眠りたい』というフレーズは、お凛の気持ちそのもののように思えるものだった。
よってマルクは、寅三郎を示唆した恋愛歌を歌っているのだが、肝心要の寅三郎には全く届いていなかった。
寅三郎は楽器の方に興味津々で、ステージにいるマルクを全く見ていない。
「…素晴らしい手腕だな…」と寅三郎は大いに感心しているが、「…お前、男性としては失格だと思うぜ…」とモルドは大いにあきれ返って言った。
「…ん?」と寅三郎は怪訝そうにうなると、「…お前への愛の告白の歌じゃないか…」とモルドが大いに照れながら言うと、「…歌は聞いていなかった…」と寅三郎が言って頭を下げると、「…頑張ったのに無駄になったな…」とモルドは大いにあきれ返っていた。
「それよりも、あの楽器は誰が作ったんだ?」
「始めは学校の工作だったそうだ。
この星では音楽など誰も見向きもしない程だったから、
演奏できる者を探すことが難しい。
だから基本的には自分で演奏することに決めて、
指先と足で多くを表現できる楽器に引き上げたそうだ。
今の形に完成させる前、俺も材料選びは手伝った。
極力、音がよく響く木材の選定だ」
「…モルド、お前は素晴らしい…」と寅三郎は大いに感動して言った。
「その言葉をそのままマルクに伝えてやって欲しいんだけど…」とモルドは大いに眉を下げて言った。
「わかった。
あとでそうしよう」
寅三郎は笑みを浮かべて機嫌よく言った。
演奏が終わると誰もが大いに拍手をして、マルクは満面の笑みを浮かべて、楽器を折りたたんでステージを降りて行ったことにも寅三郎は大いに感心していた。
そしてナンシーが近づいてマルクを抱きしめたことに興味を持った。
「…姉ちゃんの教え子のひとりだからな…」
「それがナンシー殿の本職か」と寅三郎は言って、笑みを浮かべて何度もうなづいた。
「俺もそうだが、教鞭をとっている我が家人は多いからな。
そこは共感できる」
「意外だと思ったが、思い直すと、まさに優秀な教師だと思い知った」
モルドは言って、寅三郎に頭を下げた。
「流派の師範代でもあるからな。
教え方がうまくないと師範代となれない掟もある。
寡黙な師匠では誰も育て上げられないという、
お師様の想いがあるんだ」
「…その方が良心的…」とモルドは実体験から大いに思い知っていた。
「…セイラ師匠もかなり多弁で驚いたほどだった…
…今まで数年、面と向かって付き合ってきたが、
わずか数時間でその長い期間の言葉数を浴びたと感じたな…」
「親密に接しないとわからないこともあるものだ」と寅三郎は何度もうなづきながら言った。
「だが、モルドはこれからは育てる側にも回るから、
心しておいた方がいい。
だがお前の場合は全く問題なさそうだがな」
寅三郎がにやりと笑うと、「…そこは姉ちゃん譲りだよ…」とモルドは眉を下げて言った。
「それほど年齢は離れていないようだが、
モルドの教師でもあったわけか」
「…厳しい家庭教師だった…」とモルドは感慨深げに言った。
「…そうか…
さらに恋愛感情が湧かなくなった原因はそこにもあったか…
師匠と弟子の関係」
「…あんたの場合、真面目だから、それはあるだろうな…
…この星では、異性の弟子を取ったら、
即男女の関係のようなものだよ…」
「だからこそ、優秀な者がまっすぐに育たんのだ。
志と想いが全く足りぬ」
寅三郎が憤慨すると、「…信頼できる師匠は最優先だよな、やっぱ…」とモルドは感慨深げにつぶやいた。
するとマルクが楽器の入った箱を抱きしめてやってきて、寅三郎に笑みを向けて見上げた。
「素晴らしい演奏だった」という言葉に、「…やっぱり…」とマルクは言って、箱を強く抱きしめたが、「聞いてくださってありがとうございます!」と快く礼を言った。
「…申し訳ないのだが、茶店でもう一度聞かせてくれないか?」
寅三郎の進言にマルクは大いに喜んで、寅三郎の手を取って店に駆け込んだ。
「…一番いい方に転がったかな?」とモルドは言って笑みを浮かべてふたりを追いかけたが店には入らず、窓から覗き見ることにした。
するとお凛たちがやってきたのだが、「マルクの邪魔をしないでやってくれ」というモルドの懇願に、子供たちはすぐさまモルドに懐いて、モルドに抱かれて外から店内を見ることにした。
「あら、悔しいわ」とナンシーは笑みを浮かべてモルドに言った。
「教え子の邪魔はしないんだ」
「できるわけないわ。
同じ人を好きになった宿命のようなものよ。
マルクだってわかっているはずよ。
だからこそ、私にできないことができるあの子がうらやましいわ…」
「恐竜人の特技としては、本当に珍しいと思いますぅー…」
子供たちの仲間になっている咲笑が言うと、「…珍しいことを主張した方がいいわけね?」とナンシーは言って、自分にできる特技がないだろうかと咲笑に聞いてみた。
明るい道が見えるその手掛かりだけでも何とか欲しいと考えたのだ。
「…あー… すっごくタフゥー…」という咲笑の言葉に、ナンシーとモルドは大いに眉を下げた。
「…踊り子?」と咲笑が言うと、「…やったことないぃー…」とナンシーがうなると、咲笑がある映像を見せて、「…阿国連撃…」とナンシーはつぶやいて、寅三郎にわずかに習った剣術の復習を始め、そして阿国の踊りの映像も見て、何とか真似をした。
覚えることは得意なので、あとは体がついてくるかだけだ。
始めはゆっくりと、そして素早く動くと、「できてるできてる!」と子供たちは大いに拍手をした。
ナンシーは自信を持って、何度も繰り返し舞った。
すると、ナンシーは本家本元の阿国に連れ去られて、広場の舞台に上がって強制的に踊らされた。
「…姉ちゃん、それも修行だぞ…」とモルドはつぶやいて見送ってから、本題の店内に集中を始めた。
寅三郎はマルクの歌を聞き終えて拍手を送ったあと、今調べたばかりの深い事情を語った。
マルクは大いにうなだれたが、涙は見せなかった。
しかし、極めてまれな不幸のようなものに、抗う手は思い浮かばなかった。
「人として、経験するべきことはした方がいいと考えている。
よってそれほど興味がない婚姻もして、
そして子宝に恵まれることも人生の修行だと思っている。
特に男は子を産めんから、血の繋がった我が子はさぞかわいいことだろう。
俺はまだあきらめてはいないから、
マルクも諦めない方がいい」
「はい! 酒井様!」とマルクは明るく言って、頭を下げた。
「だが、マルクはまだ学生なんじゃないのかい?」
「ハイエイジクラスの二年で、十七才です…」
寅三郎は小さくうなづいて、「俺の住んでいた星では行き遅れだ」という言葉に、マルクは大いに目を見開いた。
「男子は十二、女子は一桁の年齢の婚姻が普通だった世界だ。
長い武家の時代が、子供を早熟にしてしまったのだろうな。
だが、このセルラ星でもそうではなかったのか?」
「…いえ、早くても私と同じほどの年齢で婚姻していたとお勉強しました。
ですが、妊娠率が高くて多産の事実はありますぅー…」
「…そういう事情か…
納得いった」
寅三郎は特別に歌ってもらったことで、この茶店でマルクと逢引をすることに決めて、隣の席を勧めた。
その頃ナンシーは舞台上で大歓声を受けていた。
阿国の見様見真似なのだが、高身長のため大いに目立つし華がある。
まさに男性ばかりではなく子供たちまで虜にする踊りに、祭りは最高潮になっていた。
ようやく阿国に解放されたナンシーが茶店に向かった時、店から出てきた寅三郎とマルクを発見した。
―― …私の踊り、見てもらってないぃー… ―― とナンシーは思い、一計を案じてこの場で踊り始め、寅三郎に向かって歩いた。
「おお! 素晴らしい!」と寅三郎は叫んで、すぐに手拍子を叩き始めると、マルクはすぐにケースを開けて、この場に楽器を広げて伴奏を始めた。
すると寅三郎も踊り始めたと思ったが、とんでもなく切れがある動きに、ナンシーは目を見開いて動きが止まってしまった。
「阿国連撃。
我が萬幻武流の奥義だ」
寅三郎の言葉に、「…何もかも上を行っているのね…」とナンシーは悲しそうに言った。
「それほどでないと、門下生ではいられない。
俺なんて不器用な方だったぞ」
「…努力は、一日にしてならず!」とナンシーは叫んで、伴奏にあわせてまた踊り始めた。
寅三郎はまた手拍子をして、ナンシーの応援を受け持った。
そして、阿国の歌舞伎踊りは、この村の踊りとして受け継がれることになった。
祭りは日暮れとともに終焉を迎えたが、『ドォーンッ!!』という音とともに海の上に大輪の花が咲いた。
「うわぁ―――っ!」と誰もが一瞬にして盛り上がり、とめどなく打ち上がり始めた花火を見入った。
露店の商品もほとんど売れてしまったので、花火見物をしながら片付けを始めた。
誰もが夜空の大輪の花に酔いしれたが、楽しく素晴らしい時は終わりは早い。
最後の一発が打ちあがってすぐに、「今度は私たちの花火大会だよ!」とお凛が叫ぶと、阿利渚が仕掛け花火に火をつけた。
すると、『シャシャシャシャ』と小さな筒から無数の火の玉が飛び出して、『パパパパパパァーンッ!』と小さな花が夜空に無数に咲いた。
「おー…」と誰もがうなって、ほのぼのとしている子供たちの花火大会を見入った。
「…連射とは恐れ入った…」と幻影が言うと、寅三郎は大いに照れていた。
子供たちの花火大会もついに終わって、「またね!」とお凛が機嫌よく叫ぶと、子供たちは全員、「またね!」と気さくにあいさつをして帰路についた。
「…いや、祭りが終わった寂しさを感じられん、いい祭りじゃった…」と信長は大いに感動して言い、琵琶家一同はすぐさま喜笑星に戻った。
寅三郎とお凛は頭を下げて見送って、ここからは父子の時間を楽しむことにして宿に戻った。
「…明日にはもうここを発たれてしまう…」とナンシーが大いに嘆くと、「まだ同じ星にいるから問題ないよ」というモルドの言葉に励まされた。
翌朝、寅三郎は予定通り、ガッツ村から旅立った。
思わぬ長居だったが、素晴らしい経験をいくつも積めたと思い、やはり旅はいいとさらに思い知っていた。
ここからは平坦な街道が続き、村も多い。
旅も終盤に差し掛かったのだが、最後に残った南の地は、ほとんど何もないことに加えて広大なので、ガイドブックにない素晴らしいものを見ることができるかもしれないので、寅三郎もお凛も期待していた。
始めの村には立ち寄らず、村外れに数カ所ある風光明媚な地を楽しんで、南の村に向かって街道を歩いていると、自然公園があった。
ほとんど手を加えていないこのような公園は、この星の至る所にある。
もちろん、動物のためという部分は大きいだろう。
手を入れているのは、ベンチを備え付けている程度のものだ。
現地の者も使うこともあるし、旅の者も使うことがある。
「よく考えると、旅人は多いと感じるな」と寅三郎が言うと、『きっと、お父さんと同じこと考えてるよ?』と機嫌よく肩に座っている栗鼠が言った。
「そうか、精神修行という意味の旅か」と寅三郎は言って、真新しいベンチに座って、ガッツ村で仕入れてきたコーヒーを飲み始めた。
栗鼠はガッツ村の畑で作っていた豆がお気に入りのようで、テーブルに座って勢いよくかじり始めた。
「…監視というわけではないが、見られているな…」と寅三郎が言うと、『お祭りに来ていたんじゃない?』と栗鼠は答えて、少しだけ傾き始めた太陽の真下辺りを見た。
「…あそこにベンチがあるとは気づかなかった…」と寅三郎は言って、森に近い林を見て、ベンチに女性がふたり並んで座っていることに気付いた。
『今日は暖かいから、日陰の方が涼しいからじゃない?』
休憩を終えて、南の街道を歩きながら、ふたりの女性の身なりを確認した。
視線の端にその姿を捉えられたので、見入ったわけではない。
―― 身分を隠すような服装に思うが… ―― と寅三郎が考えると、『似合ってないね』と栗鼠がすぐさま答えた。
それぞれの村や町にはその地のしきたりがあり、実力者は王のような生活をしているような地もある。
戦争を起こそうとしない限り、イルニー城は比較的放任なので、禁止したのは祭りだけだった。
城からの基本的な通達さえ守れば、それぞれの村などのしきたりに意見をすることはない。
もちろん、奴隷制度をまだ使っている村などもあるようなのだが、寅三郎たちはその地はまだ訪れていないはずだが、気づかなかっただけなのかもしれない。
ほどなく南の村に到着したのだが、少々長い時間を歩いたので、茶店で休憩することにした。
店内には学生らしき者が数人いて、誰もが勉強に勤しんでいた。
この店は若い者のための店のようで、外からの見た目とは違って、すっきりとした落ち着きのある空間だった。
「いい店だ」と寅三郎は誰に言うこともなく口にすると、「ありがとうございます」と店主は笑みを浮かべて礼を言った。
寅三郎はコーヒーを注文して、お凛はこの地の名産のリンゴジュースを注文した。
そのついでにリンゴのタルトも注文して陽気になっていた。
店主は早速コーヒーを点てながら、「随分と長旅のようですが、お嬢様はお疲れになっておられないようですね」という店主の言葉を寅三郎は大いに怪訝に思ったが、「体力自慢の娘なもんでね」と寅三郎は笑みを浮かべて答えた。
『よくない感情』とお凛が考えると、寅三郎は小さくうなづいた。
「店主よ。
なんだか薬のにおいがするが?」
寅三郎の言葉に、店主は大いに慌てて、寅三郎に目を合わせることなく奥に引っ込みいなくなった。
「職場放棄とはけしからんな」と寅三郎は言って席を立って、お凛を抱き上げた。
「…飲めなかったし食べられなかったぁー…」とお凛は大いに嘆いた。
「あとで果物でもかじってろ」と寅三郎は言ってから学生たちを見ると、まるで興味がないのか、誰もがテーブルに視線を落としていた。
寅三郎はその足で城の出張所に行くと、大いに歓迎されたのだが、茶店であったことを説明すると、勇者らしき者が数名飛び出していった。
「店内にいた学生はサクラか?」と寅三郎が言うと、「…ようやく、尻尾をつかめそうです…」と係員は言って寅三郎に頭を下げた。
「旅人だけを狙う盗賊かい?」
「それもありますし、奴隷の件も絡んでいるように思います」
係員の言葉を聞いて、寅三郎は何度もうなづいた。
「どうやら俺よりも、お凛に興味があったようだからな。
さらには、俺が誰で何をしているのかは知っていたようだった。
能力者が係わっているかもしれんが、
もう能力者ではなくなったかもな」
係員が怪訝そうな顔をすると、「俺は自然界の神に守られているんだよ」と言ってから、詳しい話をした。
「…悪事を働く能力者はその資格を失う…
…さらに、光明が見えてきました」
係員は笑みを浮かべて言った。
「神と言えども万能ではないから、
俺に接触した者が悪人で能力者であれば、
能力を消してしまわれるようだ。
詳細を探れば、すぐに判明するそうだから、
俺は何もしなくていいので楽に安全を確保できる。
神自らが率先してすべてを探るとなると、
とんでもなく忙しくなるから、
多少は他力本願としているようだ」
「…はあ、なるほど…」と係員は言って、何度もうなづいた。
寅三郎は紙と筆を出して、すらすらと絵を描き始めて、「似てる?」とお凛に聞くと、「そっくりぃー…」とお凛は言って、満面の笑みを浮かべた。
「…ん?」と係員は言って、近くにある厚みのある綴りを開いて、家忠に向けた。
「…この女たちは犯罪者かい…」と寅三郎が眉を下げると、「いえ、城の者たちです」と係員は言ったが、眉をひそめていた。
「…転じて犯罪者の片割れというわけか…」と寅三郎が言うと、係員は認めた。
「…城にも悪がはびこっていたか…
…電話を拝借しても?」
寅三郎が聞くと、係員は電話を持ってきた。
メリスンの店の直通の釦を押して、メリスンに事情を話した。
色々と巻き込んだ方が、さらに真実がよく見えるものなのだ。
寅三郎は手早く用件を伝えて電話を切った。
「一度、ガッツ村に戻るよ。
ほとぼりが冷めてから、旅を再開したいから」
寅三郎の言葉に、係員は大いに眉を下げていたが、ここは寅三郎の言葉通りに受け入れることにして、礼を言ってから解放した。
「さて、走って帰るか」と寅三郎が言うと、お凛はすぐさま栗鼠に変身して、寅三郎の懐に潜り込んだ。
寅三郎は空を飛ぶような速度で街道を走り抜け、あっという間にガッツ村に戻ってきた。
そして城の出張所に行くと、モルドが大いに目を見開いていた。
「事件に巻き込まれそうになったから、安全地帯まで戻ってきた」
寅三郎の言葉に、モルドは大いに興味を持ったが、電話がかかってきたのですぐに取った。
相手がカレンだったようで大いに恐縮して、すぐに寅三郎に受話器を渡した。
カレンはひとしきり謝って、事件については城から増員することに決まったので、その報告のようなものだった。
「俺に話す必要はないと思うが?」
『…仕事の件だとしても、お話くらいさせてぇー…』とカレンが甘えた声で言ってきたので、この数日間で知った真実をすべて話すと、カレンは何も言わなくなってしまった。
「じゃ、またな」と寅三郎は言って、受話器をモルドに返した。
モルドはひと言ふた言言葉を交わしてから電話を切った。
「…カレン様は具合がお悪くなったそうだ…」とモルドは眉を下げて言った。
「ま、俺がカレン殿でもそうなるだろうさ」
「林檎ジュースと、林檎のタルトォー…」とお凛がせがんできたので、「ああ、作ってやろう」と寅三郎は言って立ち上がって、城の出張所を出た。
そして商店に行って、高級そうな林檎ジュースと林檎などタルトの材料を買って、公園の一角を厨房にして、タルトを焼いた。
「…いいにおいぃー…」とお凛は陽気に言って、満面の笑みを浮かべた。
そしてタルトの全貌を見て、「おいしそー…」とお凛は言って、上品にナイフで切って、タルトを口に運んで幸せそうな顔をした。
寅三郎も味見をして、「おっ うまいな」と言ってさらに食っていると、とんでもない勢いで誰かが走ってやってきた。
「あ、ナンシー殿もどうです?」と寅三郎が挨拶代わりにタルトを勧めると、「もちろん頂きますわ! お帰りなさい!」と大いに高揚感を上げて叫んで、ベンチに座った。
「ですが、仕事を放りだしてきたのなら軽蔑します」
寅三郎の言葉にナンシーは盛大に咳き込んで、「お昼休みです!」と叫んでからようやく落ち着いて、うまそうにしてタルトを食って、お凛と笑みを向けあった。
「あ、昼餉がまだだったな…」と寅三郎が言うと、「…さすがに、お付き合いする時間はないぃー…」とナンシーはうなってから、タルトを猛然たる勢いで食ってから、礼を言ってから猛然たる勢いで学校に戻って行った。
「…嵐そのものだな…」と寅三郎が眉を下げて言うと、お凛は愉快そうに笑った。
昼食も作ってもよかったのだが、ここはごく一般的に弁当を買い込んできて、寅三郎とお凛のふたりだけで食事会をした。
まさに親子の穏やかな午後のひと時だった。
「ここは正義のヒーローが全ての事件を解決するところじゃないのかい?」
モルドはこういいながら弁当持参でやってきた。
「全ては未遂で、全ては俺の憶測だった。
まだ犯罪に巻き込まれたわけじゃないから、
俺が手を出す必要は全くない。
ただの旅行者なんだからな」
「味方に見えた方も含めて?」
モルドが意味ありげに言うと、「当然だろ?」と寅三郎はにやりと笑って答えた。
「これほどに大事になることはないはずだった。
あの村ぐるみの、
ちょっとしたヒーロー大活躍の武勇伝を仕立て上げたかった。
そして俺を村に巻き込んで、祭りをやって、
誰もが潤うように仕向けたかった。
そのピエロになることを拒んだだけだ」
「…そのピエロがいなくなったら、さすがに慌てるよな…」とモルドは言って、にやりと笑った。
「カレン殿もグルかとも思ったが、それはなかったようだ」
「…ま、疑われて当然だろう…
おっ もう情報が漏れた」
モルドは言って空を見上げて、気さくに手を振った。
そこには戦闘服を着たミサがいたからだ。
ミサは素早く地面に降りてきて、「…護衛として勝手に来ましたぁー…」と眉を下げて言うと、寅三郎は愉快そうに笑って、ミサに席を勧めた。
ミサは遠慮なく座って、「…もう旅を続けられるのはおやめになった方がいいと…」と眉を下げて言うと、「それなり以上に居座ったからね」と寅三郎はミサの言葉を認めるように言った。
「人間が多い土地は終わりにして、
人間があまりいない南の大陸に行くことにしたよ。
だったら、こんな茶番劇に巻き込まれることはないだろう」
「ああ、あっちの方だったらないだろうな。
まだテレビがない村もあるだろうし」
モルドが賛同すると、ミサは大いに眉を下げた。
ミサとしては早々に最終的な答えを出してもらわないと落ち着かないのだ。
だがその結果を見たところで、今のミサが長期で村を開けることは許されない。
よって、寅三郎がどういった者を認めるかに興味があり、ミサ自身が審査をしたいと考えているのだ。
そこまでしないと、ミサ自身が納得できないからだ。
「俺が認めた子」と寅三郎がミサの想いを察してお凛を見て言うと、「…お凛ちゃんは合格ですぅー…」とミサは大いに眉を下げて言った。
「ミサ殿の許可制かい?」
「…いえ、そういうわけでは…
いえ、その通りですぅー…」
ミサの言葉に、寅三郎は少し笑った。
「それほど厳しくてもいいと思うが、
確執が残るぞ。
俺の恋愛や家族の件には、
それほど首を突っ込まない方が平和だ」
寅三郎の言葉に、ミサは大いにうなだれて、勝手に弁当を手に取って大いにやけ食いを始めた。
「俺のそばにいてもらいたいと思ったのは、
この星でもそこそこ有名人の、
歌い手で優秀な演奏者のマルク・コング殿のような平和な子だ。
彼女は平和にするための武器を持っているからな。
それに、それなり以上の実力も持っている。
ものづくりもそうだし、彼女専用の楽器に、
その演奏技術だ。
きっと俺の家族や、恵まれていなかった人の心を癒してくれるだろう。
だが、彼女はこの星に必要だと感じたから、
同じような資質を持った人を見極めたいと思ったね。
まあ、いないだろうから、
ここではなく別の星になるだろうけど」
「…そりゃ残念だ…」と真っ先にモルドが眉を下げて言った。
「…テレビで見たぁー…」とミサは箸を止めて嘆いてからうなだれた。
「それに、この星からは誰も連れて行かない方がいいのかもと思ったね。
ミサ殿のような考えを持っている人は多いだろうから。
面倒だから手を出さないことも考えられる」
寅三郎の言葉に、ミサは寅三郎の邪魔をしていると思って、罪悪感に苛まれた。
「だからこそその逆に、
俺が認めた全員を俺の家族にしたいと思う俺もいるんだよ」
まさに希望がある言葉に、モルドはすぐさま頭を下げた。
ミサはそれに追従するようにして、モルドに倣った。
「…それが一番うれしいなぁー…」とお凛が言うと、ふたりにとってさらに希望となっていた。
「ちなみにお凛は、俺が魂持参でやって来て、
ここで転生したようなものだから、
元はと言えば、この星の住人ではない。
この星のしきたりに則って転生したようだ」
「…さらに無理を言えなくなったぁー…」とミサが嘆くと、寅三郎は愉快そうに笑った。
「…やはり、そういうのもあったわけだ…」とモルドは大いに眉を下げてつぶやいて、幸せそうなお凜を見た。
「この星よりも厳しい動物の星で、
何とか見つけ出して十匹ほど琵琶家が雇った。
それ以外のひとりが、お凛のようなものだし、
またこの地で出会う可能性もあるんだよ。
琵琶家一同が、何度もここに来たからね」
寅三郎の言葉に、お凛は笑みを浮かべて喜んでいる。
「…不思議な動物に出会ったら、心して対処しよう…」とモルドは穏やかにつぶやいた。
「ああ、モルドになら懐くかもな」と寅三郎はモルドにとっての具体的な希望を授けた。
「…家探しするぅー…」とこちらはそれほど平和ではないミサがうなると、「ミサ殿は敬遠するかもな」という寅三郎の言葉に、ミサは大いにうなだれた。
その条件を右京和馬星での経験として語ると、「…その存在感にまず逃げるから、捉えることはほぼ無理…」とモルドは眉を下げて言った。
「そうだ。
相手から寄り添ってくれないと、見つけることは不可能だろう。
俺だって、指をくわえて見ていたひとりだったからな」
「…酒井様ですら無理だった…」とミサはつぶやいて肩を落とした。
「今は、経験を積んだからきっと大丈夫だよ?」とお凛が小首をかしげて穏やかに言うと、「ああ、よかった」と寅三郎は言って、お凛の頭をやさしくなでた。
寅三郎とお凛はこの場をきれいに片づけて、まずは宿を取った。
宿で大歓迎されてから、ふたりは散策に出かけた。
今語ったばかりの動物探しをお凛がしたいと言ったからだ。
公園でまだ語り合っているモルドとミサを横目で見ながら、森の入り口ばかりを寅三郎とお凛は楽しそうに散策した。
その先にはお決まりのように鳥獣保護区がある。
小動物もある程度察しているのか、お凛には気さくに寄り添ってくる。
しかし寅三郎には動物的距離を保つが、比較的近距離にいるので、お凛効果がかなりあるようだ。
寅三郎は山を見上げた。
「ボスは山を越えた谷にいるようだな」
「…挨拶したいって言ってるようだけど、多分食べようとすると思うぅー…」とお凛が少し身を震わせて言うと、寅三郎は愉快そうに大いに笑った。
「…あ、いた…」と言ったのは寅三郎で、お凛はすぐさま走って森に入って、すぐさま戻ってきた。
そしてとんでもなく小さな猫を、手のひらで包んでいた。
「…妹ぉー…」とお凛は言って、両手のひらを寅三郎に向けて上げ、猫を観察させた。
「心穏やかになったようだ。
ほんの数秒前とは大いに違う。
恐怖で鳴きたくても鳴けないほどに怯えていたようだからな。
この子は動物の世界では生きていけなかったかもしれん」
「…よかったぁー…」とお凛は穏やかに言って、腕を下ろして健やかに眠っている猫に向けて笑みを浮かべた。
「それに、自然分娩で産まれたわけではない。
転生するようにここに浮かび上がったんだろうな。
お凛と同じように、ここで転生したのはいいが、
この子にとっては一瞬の命だっただろう。
思い立って散歩に出たことは幸運だったな」
「うん、うれしい…」とお凛は感慨深く言って、猫にやさしく頬ずりをした。
猫は基本の色は白だが、角度を変えると色つきのように見える。
寅三郎はまじまじと観察して、毛の質が所々違うのだろうと気づいた。
時には虹色に光って見えることもある。
「だが、もう少し大きくなってもらわないとな」と寅三郎は言って宿に戻ってから、庭先を借りて、栗鼠と猫が一緒に寝られる手のひら程度の小さな寝所を造り上げると、お凛は栗鼠に変身して、まるで猫の母のようにしてともに眠った。
寅三郎は寝所の箱を懐に入れて、商店に行ってミルクを買った。
それ以外にもちょっとした食材を買って、宿の庭に戻って、懐から寝所を出すと、目覚めていた猫と目が合った。
猫は逃げることなく、栗鼠の体毛の中にすっぽりと隠れたので、寅三郎は笑みを浮かべてミルクを火にかけた。
すると栗鼠も起きて、猫を体毛から引っ張り出した。
寅三郎は小さな木皿にミルクを注いで差し出すと、まずは栗鼠が一口飲むと、猫はすぐに真似をして、初めて、『ニャァーン』と小声で鳴いた。
体が小さいので、声はそれほど響かないようだ。
「…今度は何をしている…」とミサと別れたのかモルドがやって来てから眼を見開いた。
「すまんな、先に見つけた」という寅三郎の言葉に、「…こんなちっこい猫はありえねえー…」と小声でうなった。
「人間では育てにくいだろう。
だからここはお凛の出番だ」
「…初めて、まじまじと見たぁー…」とモルドは栗鼠を見て少し感動するように言った。
「どこかに猫がいます!」とミサが叫んでやってきて、地面に膝を落として、「…もう、見つけられていた…」と嘆いてうなだれた。
「動物の母は怖いから手を出すなよ」と寅三郎が言うと、「…かまれると痛そう…」とミサは大いに嘆いた。
そしてデモンストレーションなのか、栗鼠はクルミの硬い殻をひと噛みで食い破ったので、モルドは大いに怯えた。
「なかなか勇ましい」と寅三郎が言うと、栗鼠は猫の体をなめ始めた。
まさに愛おし子のようにして猫に接した。
「…ということは、お師様たちもここに来られるか…」と寅三郎がつぶやくと、ミサは大いに慌てて、ドレス村に向かってすっ飛んで行った。
「…琵琶様たちが立ち寄った地に…」とモルドは言ってからうなだれた。
「この子の保護が先だった。
それに、不思議な子はこの子だけとは限っていない」
寅三郎の言葉に、モルドは詳細な情報を寅三郎からもらって、山に向かってすっ飛んで行った。
猫は寅三郎が怖いのか、見入ると必ず栗鼠の影に隠れる。
まさに動物の子の行動そのものだ。
しかし覗き見ているので、寅三郎に興味はあるようだ。
栗鼠は寅三郎ではわからない感情で猫に接しているので、まさに野生の何かだろう。
そして栗鼠は、寅三郎の体を使って、これからの生活としての訓練を始めた。
基本的には二カ所で、寅三郎の肩の上か懐の中だ。
猫は必死になって栗鼠を追いかけ、数回同じことをやって寝所で眠ってしまった。
栗鼠は寅三郎を見上げて、『もう怯えないよ!』という明るい言葉に、「ああ、途中で気づいた」と寅三郎は笑みを浮かべて答えると、知り合いの感情が飛んできた。
『ドレス村にいるのだが、変わった子を見つけた』と幻影が念話で寅三郎に語りかけてきた。
「ガッツ村でも発見しました。
小指ほどの大きさの猫です」
寅三郎の報告に、『…よく見つかったものだ…』と幻影は大いに嘆いた。
『ミサ殿に見つかったから、事情説明をしてからそっちに行くよ』と幻影は気さくに言って念話は切れた。
寅三郎は取り決めをして、しばらくはこの安全なガッツ村で過ごすことに決めた。
猫が安全に暮らせると栗鼠が自信を持った時に、旅の続きをすることにしたのだ。
今はすぐに眠ってしまうので、最低でも多少の成長は必要だった。
よって猫を中心としての日々になるだろうと寅三郎は考えていた。
すると幻影が空を飛んでやってきて、「よう」と気さくに言って、空から降りてきた。
その懐から犬のような動物が顔を出していた。
「おや? 見覚えが…」と寅三郎が言うと、「…鎧犬…」と幻影が眉を下げて言うと、寅三郎は笑みを浮かべてうなづいた。
「だが、見た目だけで変身能力は持っていない。
ただの普通の犬でしかない。
よって、右京和馬星で生を受けた場合のみ、
身を守る機能が授かるのだろう。
だが、そっちの方が自然ではない」
幻影が子猫を示唆して言うと、「はい、それは大いに感じました」と寅三郎はすぐさま同意した。
「生まれて即試練。
幸運不運の天秤。
だからこの猫は大いに興味深い。
この子もお凛も、
見た目は普通に動物だからな」
幻影は言って懐から犬を出して寅三郎に渡してから鼫に変身した。
そして猫を覗き込んで、栗鼠も交えて三者面談が始まった。
犬は寅三郎も気に入ったようで、ミルクを与えると大いにしっぽを振って喜んでいる。
やはり従順な犬もかわいいのだが、栗鼠のように感情を伝える能力はないようだ。
しかし、小さいながらにその肉体は鍛え上げられているように感じる。
走るとそれがよくわかり、普通の動物ではないことがよくわかった。
それほど広い庭ではないのだが、寅三郎と犬は大いに走って、大いにコミュニケーションを取って、犬はもうすでに寅三郎を主としていた。
三者面談はまだ続いていて、ここに犬も加わると、愛想が悪そうな鼫が目を見開いて幻影に戻った。
「…先にコミュニケーションをとるべきだったな…」と幻影が眉を下げて言うと、「いえ、言い聞かせます」と寅三郎は平常心で言った。
「いや、寅三郎さんが問題ないと思うのなら、
側に置いてやって欲しい。
その方が、この子の成長は早いと思うから。
だけど、また来るかもな…
特に…」
幻影は大いに眉を下げて言って、小人のような猫を見た。
「長春様は大いに興味を持たれるでしょう」
「…だよなぁー… 報告しないわけにもいかないからなぁー…
ここに来ることは言ってきたから…」
「…もう、騒ぎになってますぅー…」と咲笑が大いに眉を下げて言うと、「一旦帰る」と幻影は言ってその姿は消えた。
すると幻影を追いかけていたのか、ミサがふらふらになって空から降りてきて、「…早いぃー…」と大いに嘆いて地面に腰を落とした。
「お師様に追いつけるはずはないからな」
寅三郎の自慢げな言葉に、「…真田様を何とか懐柔して…」とミサが言い始めたが、「俺よりもかなり厳しいお方なのにか?」という言葉に、ミサは大いにうなだれた。
すると幻影から念話があり、長春とふたりして寅三郎から飛び出して来てすぐに、長春は猫を見つけて、「…やっぱり抱けないぃー… 術もかかんないぃー… 犬の子も無理ぃー…」と動物の神は大いに嘆いたが、犬がその感情を察したようで、悲しそうな目を長春に向けていた。
「あなたは抱けるわぁー…」と長春は陽気に言って、機嫌よく犬を抱きしめた。
そして、「…ここに残るのね…」と長春は悲しそうにつぶやいて、寅三郎を見上げた。
「言い聞かせてもいいのです」と寅三郎が言うと、長春は笑みを浮かべて首を横に振った。
「ここは、甘やかせてやろう」と幻影は言って、気功術を使って長春の身長を十分の一ほどの大きさにした。
すると長春は猫に突進して機嫌よく抱きしめた。
そして、「…きれー…」と言ってその体毛をなでた。
猫はおっかなびっくりの目をしていたが、栗鼠がそばにいることで逃げようとはしない。
それに、動物の神としての威厳は感じているようで、嫌がることもない。
長春は別れがつらくなるだけと思い、猫を栗鼠に返して、ふたりの寝所を出て、幻影に礼を言って、元の姿に戻してもらった。
「…やっぱり、ちっこいわぁー…」と長春は言ってからしゃがんで、猫を見入っている。
「こら、もう帰るぞ」と幻影が言うと、長春は渋々承諾して、「…早く帰って来てね?」と寅三郎に言ってから、幻影とともに消えた。
「…早々に旅を終えろとまた言われた…」と寅三郎は眉を下げてつぶやいて、大いに眉を下げていたが、頼りにもされていると思い笑みを浮かべた。
この日からは栗鼠がお凛にならなくなったので、ここは寅三郎が気を利かせて動物主体の生活様式に変更して、食事などは寅三郎が作ることにした。
茶店で飲むコーヒーがうまいのだが、自分で点てるコーヒーもうまいと感じ始めていた。
基本的には公園の青空食堂での食事だが、気が向けば城の出張所の応接室を借りて食事を摂ることもある。
事件のようなものがあって三日経った時、寅三郎と猫は大いに仲が良くなっていた。
そして応接間で昼餉を取っていると、テレビの映像にカレンが写ったのだが、すぐに広報の男性に映像が切り替わって、寅三郎に対して名指しで詫びを言った。
そして事件の詳細を語ってから、関係者一同を断罪することに決まったと語った。
もちろん見せしめで、詳しい罰については説明しなかった。
面倒なことであろうとも、城の調査官やゼンドラドの部隊を動かしてすべてを調べ上げるという抑止力を見せつけたのだ。
奴隷を雇っていたことにお咎めはないが、雇っていた者が縛についたことで、奴隷たちは解放され、城の役人が更生することと、どこから連れ去られて来られてきたのかを調査することになり、今は城に保護施設を作り上げてそこで暮らしていると説明した。
だが悲しいかな、精神的に病んでいる者も多く、更生の道は厳しいようだ。
よって、犯罪が起ろうとしていた村は、ひとまずは城が管理することとなって、その代理人がもうすでに入っているという。
もちろん、城の出張所の役人の数名も関与していたことも説明していた。
よって、出張所に詰める役人は長期ではなく短期で任に当たることになったので、管理をする者も城に管理されることになる。
「…村では悪事が発覚したことの方を悲しんでるんじゃないのか?」
寅三郎がなんとなく思ったことを口にすると、「…金銭面ではあるような気がするな…」とモルドが言って同意した。
「…奴隷の身にもなって考えろと言いたいところだな…」と寅三郎は少し憤慨して言った。
「…もう一度行くぅー…」と久しぶりに人型に変身したお凛が言うと、「ああ、そうするか」と寅三郎は言ってお凛を見てから、その手のひらの中で大人しくしている猫を見入った。
「もう認識は終えているようだし、旅に出られるな」
寅三郎の言葉に、お凛はすぐさま賛同して、また栗鼠の姿に戻って、猫とともに寅三郎の肩の上に素早く這い上がった。
「…ついに行くか…」とモルドが眉を下げて言うと、「…ああ、また逢おう…」と寅三郎は気さくに言って立ち上がり、部屋を片付けてから外に出た。
寅三郎はさらに大きくなっているバックパックを担いで、猛然たる勢いで走って村を出て、あっという間に問題があった村、ムロに到着した。
すぐに目に入ったのは、閉鎖されている茶店だった。
寅三郎は城の出張所に顔を出そうか迷ったが、挨拶だけでもと思い、足を踏み入れた。
「ようこそムロ村へ!」と係官が言ったとたんに、所長が瞬時に姿を見せた。
そして丁重に謝ったが、寅三郎は謝罪を受け入れず、「俺には実害はなかった」と言い切った。
よって、逆に寅三郎を引き留めるわけにはいかずに、所長は、「良き旅を」と言って送り出した。
そして改めて村を探り、「…覇気が全く感じられん…」とうなってから、ここからよく見える学校に行っても生活感を感じられなかった。
誰もが大いに不安だと感じていたからだ。
商店街も半数以上閉まっていて、旅人を歓迎する言葉もはかないほどだった。
直接人に会って感じたことは、やはりこの先の生活の不安だった。
―― 銭に操られていた報い ―― と寅三郎は厳しく考えた。
しかし、長いものに巻かれないと生きて行けなかったことには同情した。
反抗すれば、自分自身が奴隷になっていたことにもつながっていたはずなのだ。
―― 反抗していた者は皆無か… ―― と寅三郎が考えると、『東の森の近く』と栗鼠が言った。
寅三郎は観光名所のひとつでもある、『芸術の森』に向かって歩き始めた。
ここには手に職を持っている者しかいないようで、落ち込みは多少あるのだが、基本的には生きる希望を持っていたことに、寅三郎は自然に笑みを浮かべた。
そしてまずは茶店に入って、コーヒーを注文すると、栗鼠は人型を取った。
猫はお凛の懐の中にいる。
こういった教育も、もうすでに終えていた。
「ここはいい」と寅三郎がついつい言葉にすると、店主は少し眉を下げてコーヒーを出した。
店主は何も語るつもりはないようで、頭を下げて、厨房に消えた。
ここで初めて寅三郎は店内を見渡すと、見覚えがある少女がいた。
―― あの店にいた、学生らしき者のひとりだ… ―― と寅三郎が考えると、『怒ってる?』とお凛が念話で言ってきた。
『どうやらお凛も成長したようだな』
寅三郎が意識的に念話を送ると、お凛は目を見開いて、『…今、気づいたぁー…』と大いに嘆いたので、寅三郎は笑みを浮かべてお凛の頭をなでた。
人型の姿で無言の意思疎通は初めてのことだったのだ。
しかし寅三郎はこの程度のことは当然だとして、感情は何も変わっていない。
それよりも少女のことが気になったのだ。
『怒っているのは、俺が全てを城に任せたせいだろう。
本当は彼女が解決したかったんじゃないのかな?』
『…あー… それを怒ってるんだぁー…』
『彼女がこの地の頭目かもしれんな。
反村長派と言っていいだろう。
その戦う相手がいなくなったことで、
多少の喪失感も感じる。
戦うことが生き甲斐だった。
それを城がかっさらって行った。
平和になったのに、彼女はそれほど平和ではない。
やはり、争いを好む性格をしている者に対しては、
それほど好感は持てんな』
お凛は思うことがあったようだが何も言わなかった。
言わなかったが席を立って、まずは少女に、「こんにちは」と挨拶をした。
少女は憮然とした顔をしていたのだが、頼りない笑みを浮かべて、「こんにちは」と挨拶を返した。
「潜入捜査してたの?」とお凛が聞くと、寅三郎は腹を抱えて笑った。
少女は観念したのか、「…ええ、その通りよ…」とため息交じりに言った。
「まさか、あっという間に解決しちゃうなんて思いもしなかった。
もう、何百年も続いていたことだったのに…
それに、一番ショックだったのは、
酒井家忠が何もしなかったことだわ!」
「…今は改名して、寅三郎ですぅー…」とお凛が眉を下げて言うと、「…え? 改名?」と少女は目を見開いて言った。
「お父さんの修行のために必要だったの」
「…修行のため… あれほどに強いのに…」
「お父さんって、どこでも全然戦ってないよ?」とお凛が言うと、少女は目を見開いて、大いに驚いていた。
「どこで見たの?」とお凛が聞くと、少女はついに貝となった。
「…うふふ…」とお凛は意味ありげに笑ってから席に戻った。
『お父さんが大好きだって!』とお凛が念話で言ってくると、『解決してそれを手土産に、か…』と寅三郎が返すと、『…あー… それで、怒ってるんだぁー…』とお凛は言って、大いに納得した。
『さらには俺が出張っていたら、
あわよくば仲間として側にいたかった、
などと考えたのかもな。
ちゃっかりしている』
するとお凛が声を上げて愉快そうに笑った。
『彼女は最低でも能力者。
そして空を飛べるはずだ。
そうでなきゃ、俺をつけ回すことは無理だろう。
特に、メリスン・ランダ村では、気配を消して隠れて見ていたのだろう。
つけられている気配は全く感じなかった』
『つけられてたって、今気づいたよ?
匂い』
お凛の言葉に、寅三郎は笑みを浮かべて何度もうなづいた。
『能力者なのに思い切った行動には出なかったから、
勇者ではないだろう。
空を飛ぶことしかできない能力者では、
逃げることと助けを求めることしかできないからな』
「あー! すごいすごい!」とお凛はついに口に出して叫んで、大いに拍手をした。
少女はふたりの様子を見ていたのだが、お凛がなぜ喜んでいるのか全く理解できなかった。
よって、―― 念話 ―― とすぐに頭にひらめいた。
さらに少女はお凛も不思議に思っていた。
寅三郎をつけている時に、完全に姿が見えない時が何度もあったからだ。
忽然と現れたこともあったので、本当はお凛の方がとんでもない能力者ではないのかとも考えたほどだ。
しかし、今接した限りでは、少々お転婆なお嬢様ということしかわからなかった。
寅三郎が支払いを済ませて外に出ると、「…住む世界が違う御仁だ…」と店主がつぶやいた。
「あいつの弱点はどうなったのよ?」と少女が聞くと、「色仕掛けは無駄だ」と店主が答えると、「そんな男がいるわけないじゃない」と少女は歯を剥くようにして言った。
「いるんだからしょうがない。
しかも、人種違いということで、
この星の異性には全く興味がわかんそうだ。
遺伝子に原因があって、子を授かることができんらしく、
それを理解していて異性に対する恋や性的欲求につながらんそうだ。
さらには強さを求める者を弟子に取ることはない。
それはただの破壊者を生むだけということらしいな。
よって、弟子の道も断たれたな」
「じゃあ、何を武器にすればいいのよ?!」
「相手を思う慈愛の精神、だそうだ」
店主が無感情に答えると、少女は腹を抱えて愉快そうに笑った。
そして真顔になって、「…教育、してやろうかしらぁー…」とうなるように言った。
「お前が教育されるだけだ、やめておけ。
ついには、この村がなくなって路頭に迷うことになる。
そうなる前に、お前を放り出すぞ」
「偉そうな口きいてんじゃないわよ、このエロジジイ!」
少女の言葉には、店主は答えなかった。
店主は一応、この少女の師匠だが、どこにでもいる師匠で、弟子を食い物にしていただけだ。
しかし酒井家忠の行動が報道され始めると、一時期は少女のように鼻で笑ったが、行く先々であてにされ続け、誰からも慕われていることがよくわかった。
よって、店主は酒井家忠にあこがれを抱いたのだ。
「わかった、破門だ。
もうここに来ることも許さん」
これが、この地を脅威から守る、この男の最大限の譲歩だった。
「あ、そ」と少女は言って、荷物をまとめて外に出た。
出たのはいいが、少女には行く当てがない。
―― 慈愛がどの程度のものか、教えてもらおうじゃない… ―― と少女は思って、寅三郎に付きまとうことに決めた。
決めた途端に、「話がある」といきなり現れた男に言われると、体の自由が利かなくなっていた。
―― くっそっ! くそ勇者っ! ―― と少女は悪態をついたが、後の祭りだった。
「悪いが、あんたのようなヤツはこの星にはいらん。
よって、消え去ってもらう」
男は本気だと少女は確信した。
そしてなぜだか冷静に、男の保身だということにも気づいた。
この地で騒ぎが起これば、この男の責任問題が発生する。
よって汚いものは排除することにしたようだ。
少女は悔しくて涙を流した。
体の自由は利かないのに、涙は流れると初めて知った。
それに、涙など流したことなど今までに一度もなかった。
ただただ自分自身が強くありたいと願望しただけだった。
だが、あこがれていた強い力に、今、抹殺されようとしていた。
「何をやっている」とまるでこの場に浮き出たような寅三郎に、男は身を固めた。
男がどう説明しようかと考えた時、「その子を殺すのか?」と寅三郎が聞いた。
男は答えなかったが、「その子を殺すのかと聞いた」と寅三郎が重ね言った。
「はい、あなたに付きまとうつもりでいたようですので。
問題がある人物だったので、マークしていました」
「なるほどな。
俺が原因でその子は命を奪われる。
だが、カレン殿がこれを知ったら、あんたはどうなると思う?」
男は、この先の回答が全て見えていたので、答えられなかった。
「片や名声のために偽善的に悪と思しき者を凝らしめようと考え、
片や出世のために邪魔者を殺す。
まさに平和ではないな。
もっとも、この星に住む半数ほどが、
あんたらのような考えを持っていることはよくわかっていた。
俺の半生、平和しかない場所で暮らしたから悪がよく見える。
その前の俺だったら、どちらの気持ちもよく理解できたが、
今は全くわからん。
この星の特徴だと言えば、郷に従おう。
だが、この少女を殺すことだけは目をつぶるわけにはいかん。
しかも、俺がここにいるせいでもあるから、
さらに許すわけにはいかん」
男は大いに躊躇した。
そして今は絶望の未来しかなかった。
よって、―― 元凶を抹殺 ―― と考えた時点で少女の呪縛が解けた。
「余計な真似をするから勇者ではなくなったな」
寅三郎の言葉に、男はすぐに確認をして、狂ったように叫んだ。
「俺がやったと思っているようだがそうではない。
俺の肉体を媒体にして、
自然界の神が判断してこの男から勇者の能力を消したんだ。
よって、あんたももう空を飛べないはずだ」
寅三郎の言葉に、少女は鼻で笑ってから、空を飛ぼうとしたができない。
まさに寅三郎の言った通りだったのだ。
よって元凶が何であれ、全ての元は寅三郎にあると考え、大いににらみつけた。
「常識的な考えに乗っ取り、善人となれば能力は戻るらしい。
これがその指標だ」
寅三郎は言って、四つ折りにした紙を少女に向けて投げた。
「なかなか厳しい修行になるぞ」と寅三郎は言って、踵を返して村の中心部に向かって歩いて行った。
寅三郎はまたガッツ村に戻って、モルドにすべてを話した。
「…嫌なことを聞いたが、明日は我が身…」と言ってから、寅三郎に頭を下げた。
「今回も未遂だし、聞かれん限りは説明もせん。
もし城から何か言ってきたら、渋々答えてやればいい。
カレン殿は大いに嘆いて、城の仕事をやめるとか言うだろうけどな。
ま、それも人生だ」
「…真の平和は程遠い…」とモルドはつぶやてからまたうなだれた。
「自分は強い、さらに強くなれるはずという想いがそもそも問題だが、
この星の住人…
特に恐竜人にその考えがある者がわんさかといる。
その根本的なものが消えない限り、
この星の平和はまずないだろう。
俺としては早々に消えたいところだが、
この地は去って、予定通り、南の大陸に行く。
その前に、メリスン様にお伺いを立てるか…」
寅三郎も大いにうなだれて言った。
「…また会いに来てやって…」とモルドは言って、大いに落ち込んでいるナンシーを見て言った。
「修行を積んで、許可を得て会いに来い」
寅三郎は言ってから立ち上がって、お凛を抱き上げて外に出た。
寅三郎は久しぶりにいかだを海に浮かべた。
祭りの日以来なので、少々気合いを入れて漕ぎ始めたが、楽なものだった。
航路を東に向けて水行して、東の果てに出てから南下した。
そしてまた東にいかだを進めると、見覚えのある大陸が目に入ってきたが、すぐに景色は流れて、あっという間にグレラスの邸宅が見える内海までやってきた。
しかし立ち寄ることなく、海の限界地までいかだを進め、陸に上がってからいかだを担いで、メリスンの店にたどり着いた。
寅三郎はまたメリスンに大歓迎されたが、寅三郎に元気がないので、もちろん事情を聞いた。
「ああ、その人は知ってるわ。
そのうち何かやらかすと思っていたから丁度良かったわ」
メリスンの気さくな言葉に、寅三郎は大いに苦笑いを浮かべた。
「少し時間を空けて、また戻った方がいいわ。
もちろん、酒井さんの修行のためよ」
まさに目からうろこで、弱気になり過ぎていた自分を責めたが、すぐに心を改めて、メリスンに笑みを向けて頭を下げた。
「これほどに優秀な母親が欲しいほどです」という寅三郎の言葉に、メリスンが大いに落ち込むと、セイラは愉快そうに笑っていた。
「きっと、とんでもない年齢なのですよね?」
寅三郎が聞くと、「…ま、まあ… それなり以上に年寄りよ…」とメリスンは大いに眉を下げて言った。
「ゼンは何才だっけ?」とメリスンが聞くと、「四十五億才」と答えたことに、「…この星と、ほぼ同じ…」と寅三郎は目を見開いて言った。
「ある程度生き過ぎると、
逆に悪い方向ばかりに考えが働くものですから、
ただただ長生きなだけです。
素晴らしい経験を探すのは少々骨ですが、
この星だけのものなので、まだまだ成長する余地はあるのです。
本来ならば、十万年で消え去るはずだったんですけどね。
神落ちして能力者となって、永遠の命を得ましたから。
そして何の希望もなくただただ生きていました。
呆けるのを待っていたようなものでした。
だが呆けることなく、我が身だけを守って生きて来ました。
もっとも、不死の友人であり伴侶も見つけたので、
生きる希望もあったのです」
ゼンドラドが語ると、「奥方様にはまだお会いしていません」と寅三郎が言うと、「ここにいますが、寅三郎様が怖いようで、まだひと言も発していません」という回答に、寅三郎は大いに興味を持った。
「…石のお人形…」とお凛が言ったとたんに、「…すごいな…」とゼンドラドはうなってから、笑みを浮かべて何度もうなづいた。
その石の人形がゼンドラドの目の前にある。
「森羅万象という術師です。
肉体を必要とせず生きて行けるという、
幽霊のような存在になるまで修行を積んだ者です」
「…生きていく希望も実感もないように思うのですが…」と寅三郎が大いに困惑して言うと、「はい、本人もようやく自覚したのです」とゼンドラドは言って頭を下げた。
「ですので、人間に戻るための修行中です」
寅三郎は大いに驚いた。
もちろん誰もが不可能だと思うだろう。
失くしたものをそう簡単に取り戻せるはずはない。
だが、何か方法があるのではないかと考え始めた。
「…あえてさらに不可能な、気功術…」
寅三郎がつぶやくと、「はい、大いに矛盾している、その気功術を習得するために、日々努力中です」とゼンドラドは笑みを浮かべて言った。
「先に気功術を習得していれば、
案外簡単に復活できたのかもしれませんが、
森羅万象の逆を行くのが気功術なのです。
基本的な修行は、強制的に呼吸をすることにあります」
ゼンドラドの解説に、「はあ、なるほど… できる可能性はあるように思う…」と寅三郎がつぶやくと、「…できるって、希望が湧いたぁー…」と振り返っていた石人形が言った。
お凛がすぐに近づいて頭をなでると、「…ああ、お嬢様になでていただいたぁー…」と石人形は大いい感動して言った。
「この石人形はエラルレラ。
古くからこの地に住んでいた修行者でした。
意気投合してこの地を平和にしようと仲間になりました。
ですが、我らは力不足で、多勢に無勢の屈辱の日々を過ごし、
ついには放り出し、この地の防衛だけに勤しんだのです。
そして我らにとっては最近、ガロンを弟子にしました。
今から三十年程前のことです。
そしてメリスンと出会い、セイラとも出会うことになったのです。
セイラはすべてを救ったのに、
その本人が使えなくなってしまった…
平和にはなったのに、心の中は荒んだままでした…
ですが、その時々の偉人たちに助けられ、
何とか生を繋いでいるのです」
「ランス・セイント、結城覇王、松崎拓生、万有源一」
寅三郎の言葉に、ゼンドラドは、「…みんな、懐かしい…」と笑みを浮かべて言った。
「問題点は、誰ひとりとしてまともではなくなった点ですね…
この星は、ほかにも何かあるのか…
俺も、何かに安心してしまうのか…」
寅三郎のそれほどよくない雰囲気を察して、お凛がすぐに抱きついた。
「この件は、旅を終えてから考えようか」と寅三郎が笑みを浮かべて言うと、「うん!」とお凛は陽気に言ってうなづいた。
「…心の油断か… 大いに言えるな…
そしてさらなる何らかの障害…
我らには察知できないのかもしれない…」
ゼンドラドの言葉に、「今まで回った場所で言えば、最後に行ったポック村ですね」と寅三郎が言うと、「調査… いや…」とゼンドラドは言って首を横に振ってから、「その時が来た時に、調査をお願いしたいのです」と言い換えた。
「はい、快くお受けしましょう」と寅三郎は胸を張って言った。
「ところで、ギリアン殿たちはどうされたのです?」
寅三郎が興味を持って恐竜と鯱二頭の行く末をメリスンに聞くと、「…ひとまず、フリージアに行くって…」とメリスンは眉を下げて言った。
「…何かの呪縛から逃れようとして離れたのか…」と寅三郎がつぶやくと、「…グレラスもある意味病を持っていたのか…」とゼンドラドはうなった。
「…その元凶があるのかもしれません…
そして尻尾を見せないようです。
それが、まだほとんど手を入れていないという、
南の大陸にあるかもしれませんね。
しかも、厄災騒ぎもあった。
無事解決しましたが、何かあるのかもしれません。
…大きすぎる善は悪と転じやすい何か、など…」
「…確かに、心当たりはない…
…やはり、我らは手を出さない方がよさそうだ…」
ゼンドラドは少し悔しそうに言ったが、この星に長くいるからこそ、さらに面倒なことになる可能性も捨てきれないので、寅三郎にすべてを託すと決めて、周知徹底した。
「…できたらね、行きたくないのぉー…」というお凛の言葉に、「…じゃ、行かないでおくか…」という寅三郎の言葉に、誰もが大いに眉を下げた。
「俺一人で行くが、魔王となり行こう」
寅三郎の決意の言葉に、お凛は複雑な表情をして寅三郎を見上げて、「じゃあ、一緒に行くぅー…」とお凛は手のひらを返したように言うと、「…俺では頼りないようだな…」と寅三郎は大いに眉を下げて言った。
「…適材適所よ…」とメリスンが何とか言って、寅三郎を慰めた。
寅三郎は外に出てから、あまり人が注目しない街道まで出て魔王となった。
「…ふむ… 何も変わらないな…」と魔王がうなると、お凛は栗鼠になって、猫とともに魔王の体を素早く走って懐に収まった。
魔王は笑みを浮かべて懐を見てから空を飛んですべてを見抜くように目を凝らした。
「ほう、猪口才な」と寅三郎は一点集中して、「はっ」と小さな気合を入れると、黒い糸のようなものが消えた。
「動物を経由させるとは気づかんはずだ」と寅三郎は言って、その黒い糸のようなものを十ほど切った。
ひとつはグレラスにも繋がっていたと確信して、それほど急ぐことなく、その元凶に近づいて行った。
魔王はメリスンに念話を送って、「グレラスを確認して欲しい」と伝えると、『早いわね』と少し陽気に言った。
「呪詛の何かだった。
心当たりは?」
するとメリスンは思い出したように立て板に水で語り始めた。
「結城覇王が持ち込んだか…
今では生まれ変わったそうだがな」
『元凶は、拓生君と源一君のふたりが滅ぼしたはずだったの。
だけど、まだいた』
メリスンが少し嘆くと、「種を撒いておいただけだろう。次は見つからなように慎重に、な」と魔王が言うと、『また別の何かは?』とメリスンが聞いた。
「悪事をすり替えた可能性もあるから、
結城覇王とは別かもな。
結城覇王にすべてを擦り付け、
自分は安全地帯に引いた、など」
『それは考えられるわね』というメリスンの言葉に、魔王は止まった。
そして多数ある黒い糸を消して回った。
「なかなか慎重だ。
ほとんどを動物を経由させてわからないようにしているようだ。
その動物が移動すれば、災いが起こるようになっていたようだ。
その悲壮感を餌として食っていたのだろう。
まずはその餌を断つことにして、
あとは任せてもいいが?」
『さらに心配の種を残したくないから全部やっちゃって』というメリスンの言葉に、「ああ、そうしよう」と魔王は快く言って念話を切った。
「…ふん… 悪の悲壮感が流れ始めた…」
魔王がうなると、『来るんじゃなかったぁー…』と栗鼠が大いに嘆くと、「戻ってもいいんだぞ?」と魔王が言うと、『修行だもん!』と栗鼠は決心して叫んだ。
「む! 猪口才なぁ!!」と魔王が叫ぶと、黒く伸びてきていた黒い糸は消えた。
黒い糸は呪詛なので、丁寧に除去して回った。
内地に近づくにつれ、平和になって行くような錯覚を覚えるほどだった。
しかし悪は外から栄養源を吸収するようにしていただけで、人間たちは操られていて、虚偽の平和があったと魔王は確信した。
まさにずる賢く、厄介な代物でしかなかった。
黒い糸をすべて切り、悪の元凶を見下した。
そこには墓地があった。
「なるほどな…
小さな怨念がこれほどに広がったか…
お前も苦労したようだな…
同情?
そんなものしておらぬ。
何にも操られず、平和であることが一番だ。
ここは一旦消え去って、さっさと転生すればよい。
抗っても無駄だ。
放っておいてもお前はもう今を維持できぬ。
餌がまるきりなくなったことにより、
お前からは悲壮感しか流れておらぬ。
その悲壮感を、俺が食っておるのだからな。
悪党?
ああ、そうかもしれぬな。
俺はお前らと変わらず悪党かもしれぬ。
…消えたか…」
魔王は言って、昇天していく魂たちを見送った。
ほとんどが動物のもので、大地で大暴れしていた人間たちへの怨念の塊だった。
もちろん中には、動物たちに賛同した人間のものもあった。
しかし、この場にあったように思える暗雲のようなものは消え、今の青空と同じような清々しさだけがあった。
きっとほかにもあると思い、魔王は大いに疑いの目を向けながら大陸中を飛び回ったが見当たらなかった。
『何もしてないけどお腹すいたぁー…』という栗鼠の言葉に、「…疑うのも程々にしておくか…」と魔王は言って素早く北に向かって飛んだ。
魔王は地に足をつけて寅三郎に戻ってから、メリスンの店の扉を開けた。
「…それなりに大変だったようね…」とメリスンが眉を下げて言うと、「魔王の性格上、疑り深いので」という寅三郎の言葉に、「だからこそ安心できるわ!」とメリスンは明るく言って、大きなテーブルに料理を並べていくと、寅三郎とお凛は笑みを向けあって、大いに食らい始めた。
「実はほかにも問題はあった。
俺がなぜもてていたのかという事情だ。
モルドは俺と同じだったが、女は違った。
ミサ殿やナンシー殿も、モルドと同じだったはずなのだ。
それも、あの悪の塊の仕業だったように思う。
セイラ殿もだ」
寅三郎の言葉に、セイラはすぐに首をすくめた。
「…どさくさに紛れて手下にでもしたのにぃー…」とセイラが悪態をつくと、メリスンがセイラの頭にゲンコツを落とし、セイルが糾弾し始めた。
「強引に奪わないのであればそれでいいさ。
それ以上だと、能力者ではいられないぞ」
寅三郎の言葉に、「…わかってるわよ、そんなこと…」とセイラは小声で悪態をついた。
「懇意にした村だけ回るか…
できれば、何も変わっていないようにと願うばかりだ…」
寅三郎は少し落ち込んでいたが、ここは陽気になって大いにうまい料理を食った。
まずはいかだでバルト島にたどり着くと、大いに歓迎されたので、寅三郎はほっと胸をなでおろした。
「村長の顔を見に来ただけだ」という寅三郎の言葉に、村長は村民たちにさらに敬われ始めた。
ここでも大いに飯を食らって、大金を置いて、今度はドレス村に行った。
そしていつものように、露店の店番の少女を驚かせた。
夕暮れが迫っていたので店じまいをして、旅館に行くと、「…いきなり、寅三郎様の感情がよくわかるようになったんだけど…」とミサが眉を下げて言うと、「ほう、そうかい」とだけ寅三郎は言って、部屋を準備してもらった。
「…お婆ちゃん、どうして喜ばないの?」と女子が聞くと、「…今朝までの感情が戻ってきて欲しい…」とミサは大いに嘆いた。
恋愛感情はなくなったが、もちろん好意はある。
よって、煩わしいものが消えただけで、寅三郎にとって居所がいい場所となった。
翌朝、「ガッツ村に行く」と寅三郎が言うと、「下手な女の手にかからないでよ」とミサは寅三郎の姉のように言った。
「その洗礼はセイラ殿に受けかけたから問題ない」
「…だったら安心だわ…」とミサは安堵の笑みを浮かべて、寅三郎を送り出した。
「…おかしいだろぉー…」とナンシーは大いにうなって寅三郎をにらみつけると、モルドは大いに戸惑いの目を姉に向けた。
「…おまえ…
まさか俺に術でもかけていたんじゃねえんだろうなぁー、ああん?」
ナンシーの脅すような言葉に、「今の俺は術など持っていない」と寅三郎はすぐさま答えた。
「じゃあ、魔王の方だな」とナンシーは言い切って言って鼻を鳴らした。
「…いつもの姉ちゃんだぁー…」とモルドは言って笑みを浮かべて何度もうなづいた。
「あれほど好きだったのに、夢から醒めたようになっちまった!
あー… もったいねえー…」
ナンシーが大いに残念がると、寅三郎は大いに笑った。
「…感情抜きで、付き合ってやってもいんだぜぇー…」
ナンシーの言葉に、「もしも奇跡が起ったとすれば、それに乗ろうか」と寅三郎が言うと、「…処女喪失…」とナンシーは両腕でガッツポーズをとって涙を流すほど喜んだ。
「…奇跡? ああ、魔王様に…」とモルドが納得しながら言うと、「ミサ殿には見せなかったな… すっかり忘れてた… 俺の姉のようになっていたから、まあいいけど…」と寅三郎がつぶやくと、「それだけの女だったまでだ!」とナンシーは陽気に叫んで高笑いをした途端に固まった。
「…ああ、魔王様…」とナンシーは言って、男から女に戻っていた。
「…ふむ… やはり多少違うようだな…」と魔王は言って、ナンシーをまじまじと見た。
「…ああ、全てを見透かされているような…」とナンシーは言って、腕で自分自身の体を隠した。
「…これが、姉ちゃんの本当の女か…」とモルドがつぶやいた。
「…特別な感情は沸かんな…」と魔王は言って、寅三郎に戻った。
「ほう! 見え方が変わった!」と寅三郎が喜んで叫ぶと、「やかましい! 魔王様を出しやがれ!」とナンシーが叫ぶと、「…どっちでもいいじゃん…」とモルドは眉を下げてつぶやいた。
「ナンシー殿を我が星に招待したいのだが、どうする?」
「ふん! そんな安っぽい手にかかるもんかっ!」とナンシーは叫んで、腕を組んでそっぽを向いた。
「それはどんな手なんだ?」
「…お前以外は怖ええだろうがぁー…」とナンシーはうなった。
「ああ! だからこそ俺に頼らせようと画策しているなどと考えたわけか!」と寅三郎が叫んで大いに笑うと、お凛は満面の笑みを浮かべて拍手をした。
「名誉なことじゃねえか!
ここは断る手はねえだろ!」
モルドが本気で叫ぶと、「…くっそー…」とナンシーはうなってから、モルドと寅三郎をにらんだ。
「お前は率先して俺を守れ!」とナンシーが叫ぶと、「わかったわかった」と寅三郎はめんどくさそうに言って、「今すぐでもいいぞ、旅は終わったからな」という寅三郎の言葉に、ナンシーもモルドも大いに目を見開いた。
「…お前なんか好きじゃないのにぃー…」とナンシーは大いに眉を下げて言った。
「今の俺は、ナンシーの全てに興味がある」という寅三郎の言葉に、モルドとお凛が満面の笑みを浮かべて拍手をした。
「…いや、だが、ミサ殿が怒らねえか?」
モルドが大いに心配して言うと、「…ミサ殿をあの村から抜くことは難しい…」と寅三郎は答えた。
そして、「彼女は完成品でもあるからな、きっと魔王もそれほど興味は持たないと思う」と眉を下げて言った。
「…いいなぁー… あの琵琶家で修行をして、勇者になっちまうんだぁー…」
モルドが大いにうらやましそうに言うと、「…うう…」とナンシーはうなって、大いに戸惑った。
「勇者になるまで俺に手を出すな! いいな!」とナンシーが叫ぶと、「もちろん約束しよう」と寅三郎はすぐさま答えた。
「…あんまり強く抵抗しない方がいいと思うぅー…」とお凛が眉を下げて言うと、「…うう… それは大いにあるわ…」とナンシーは大いに眉を下げて言った。
「…もしも求婚しようとしたら、私が放った言葉がそれを遮っちゃう…」とナンシーは大いに眉を下げて言うと、お凛は笑みを浮かべて賛同した。
「…チューはいいぞ…」とナンシーが真剣な顔をして言うと、「…興味津々だな…」とここはモルドが大いに嘆いた。
「すべては婚姻を成し遂げてからと決まっている」
寅三郎が胸を張って言うと、「…お堅い風習だな…」とナンシーは言ってにやりと笑い、ようやく落ち着きを取り戻した。
「もちろんあっちに行けば、ナンシー殿は男どもに狙われるかもしれんな」
「ふん! そんなもん、知ったこっちゃねえ!」とナンシーは堂々と言い切った。
「俺は勇者となって、極力すべてを救うのだ!」とナンシーは大いに叫んで大いに誓い、お凛に大きな拍手をもらった。
「その誓い、気に入った!」と、役所の外にいた信長が叫んだ。
「…寅三郎、迎えに来てやった…」と信長が眉を下げて言うと、「はい、奥様のご用命ですね?」と寅三郎が聞くと、「…毎日毎日うるさい…」と信長は眉を下げて答えた。
「長春様も、ですよね?」と寅三郎が言って、お凛の頭をなでると、「そっちの方はワシもじゃ」と信長は機嫌よく言って、お凛に好々爺の顔を向けた。
お凛は寅三郎に笑みを向けてから、信長に向かって走ってから飛びついた。
信長はご満悦の表情で何度もうなづいて、お凛を抱き上げた。
「モルド、姉を借り受けるぞ」と信長が機嫌よく言うと、「はい! よろしくお願いします!」とモルドは満面の笑みを浮かべて答えた。
「…心の準備がぁー…」とナンシーは嘆いたが、モルドに強制的に背中を押されて役所の外に出た。
「モルド、また逢おう」と寅三郎が言うと、「ああ、またな!」とモルドは快く叫んだ。
そしてお付きの幻影の術で、寅三郎たちはセルラ星から消えた。
「…王様、うるさいだろうなぁー…」とモルドは少し嘆くように言って、色々と報告するため受話器に手をかけた。
寅三郎は久しぶりに懐かしい我が家に帰ってきたのだが、まずは濃姫に歓迎され、そのついでに魂饅頭を懇願された。
売っているものもうまいのだが、その中に光って見えるものがあった。
それが寅三郎が作ったものだと悪魔たちが言ったのだ。
そして大勢で味見をして、「…同じなのに違う…」と誰もが大いに怪訝そうに思い、首をひねった。
そして幻影たちも大いに作ったのだが、やはり光っていたものとは微妙に違うので、作ったついでに成分分析も行うことに決まっていた。
寅三郎も大いに気になったので、早速仕事をすることにしたのだ。
寅三郎とお凛が笑みを浮かべて饅頭を作っている姿を全員でまじまじと観察していたのだが、何ら変哲もない、一般的な工程なのだ。
しかし、「…ああ、ああ… こんなにたくさん…」と濃姫はふらふらと出来上がった饅頭に近づいて、とんでもない勢いで食らい始め、蘭丸も巻き込んだ。
陽気な悪魔ふたりに誰もが訳が分からず苦笑いを浮かべている。
そして注目の咲笑の調査結果だが、「香り成分が違います!」とその違いをグラフにして映像を出すと、確かに違う。
しかし、味と含有成分は全く同じという結果に誰もがさらに首をひねった。
「…親子の愛のエッセンスゥー…」と咲笑が言うと、「…全くわからんからそれが正解かもな…」と、幻影は眉を下げて言った。
そして寅三郎がひとりで作ったものとお凛がひとりで作ったものも同じ結果だった。
「…寅三郎を隠して、お凛に作らせる…」と信長がうなったが、濃姫に却下されたので、調査はここで終えた。
そして濃姫は、「贅沢は敵なので、ひと月に一度、お願いいたします」と穏やかに言って寅三郎とお凛に頭を下げた。
その理由はよく理解できたので、寅三郎は快く仰せつかった。
そして幻影は阿利渚とふたりして作り始めたが、「…惜しいわね… 金と銀、ってところかしら…」と濃姫は眉を下げて言った。
「お前が萩千代と作ってみよ」と信長が言うと、濃姫は重い腰を上げて、笑みを浮かべて萩千代と饅頭づくりに勤しみ、「…私たちは銅だわ…」と濃姫は眉を下げて言った。
そして幻影は最終兵器のハイネと組んで作り上げたが、やはり銀判定だった。
大量に出来上がってしまったので、濃姫は美人村の悪魔たちを呼ぶと、ひとりの悪魔が寅三郎を見つけて、「おまえ! 旅は終わったのかっ?!」と叫んだ。
「ああ、終わったぞ」と寅三郎が胸を張って言うと、「…挨拶くらいしてから帰りやがれぇー…」とうなったので、全ては濃姫のせいと本人に言われたので、「申し訳ありません! 姉さん!」と悪魔はすぐさま謝った。
そして悪魔たちはかなりうまい悪魔用魂まんじゅうを大量に担いで、食いながら美人村に戻って行った。
魂饅頭騒動は終わり、寅三郎はお凛とふたりして城下町の散策を始めた。
「…うわぁー… 全然違うぅー…
ここ、好きぃー…」
大いに陽気になったお凛を、寅三郎は目を細めて見た。
商店の半分ほどを見終えて、ふたりは茶屋に行ったが、ここではコーヒーは扱っていない。
よって寅三郎は焙煎済みのコーヒー豆を持参でやってきていたので、店主に詫びてコーヒーを淹れると、客の半数ほどが興味を持ったので、寅三郎は機嫌よく引き受けた。
まさにコーヒーの達人にもなっていて、そして評価も高く、甘くしてもミルクを入れてもうまいことに店主は大いにうなって、メニューとして追加することに決まった。
コーヒー好きはその製法などにも明るいので、コーヒー豆だけを輸入して、焙煎以降は寅三郎が受け持つことになった。
すると琵琶家家人の半数ほどもやって来て、その半数ほどがコーヒーを好んだので、店主は大いに喜んでいる。
そして輸入先だが、寅三郎はとんでもない提案を信長に行った。
「…それは、少々まずいのではないか…」と信長が眉を下げて言うと、「コーヒー豆を栽培しているのが、セルラ星以外で我が母星だけなのです」と寅三郎は主張した。
「わかった。
全責任は俺が負う。
さらに美味いコーヒーを飲ませてみよ」
信長の言葉に、早速寅三郎は魔王に変身して、お凛を抱きしめてから消えた。
「…誰だかわからんから、
別の意味で騒ぎになるかもしれんが、
ま、うまくやるだろう」
まさにその通りで、とんでもない鬼が現れたという噂が寅三郎たちの母星で流れたので、魔王としては動きやすくなった。
そして大量のコーヒー豆を仕入れてきた寅三郎は、早速頭の中だけで作業をしていた焙煎を始めると、大勢のコーヒーファンが香りをかぎにやってきた。
焙煎を終え、急速に乾燥させ、豆を挽いてから湯を注ぐと、さらにいい香りがしていた。
そしてひと口飲むと、「よっし! 上出来だ!」と寅三郎は大いに高揚感を上げて叫んで、早速信長にも淹れた。
そしてお凛用には高濃度のミルクを混ぜて甘くして冷やした。
「…あー… これ、大好きぃー…」とお凛が言うと、寅三郎はさらに喜んだ。
寅三郎は大量に焙煎して味見をしてから、茶屋の店主に挽いた豆を卸した。
そしてコーヒー通たちは店主のあとをつけるように、店に誘われた。
一方ナンシーは、女性の猛者たちと行動をともにしていたが、わずかな時間同行しただけで、その差を大いに思い知っていた。
しかし今は楽しむべきと言われたので、逆らうことなく今を楽しんだ。
だが食う段階になって、ナンシーは誰よりも大いに食らうので、「…こりゃ成長は早いな…」と幻影が眉を下げて言うほどに、食う方は猛者級だった。
ナンシーの修行の担当はもちろん蘭丸で、今のところは口出しをするべきことはなにもない。
しかし何かにつけて面倒を見るので、ふたりは自然に姉妹のようになっていた。
そしてその夕餉後に誰もが緊張する出来事があった。
「寅三郎殿、卒業試験だ」という幻影の言葉に、「卒業などないものと」と寅三郎はすべてを察して素早く頭を下げた。
「さすがに魔王様を弟子のままにしておくわけにはいかないんだ。
その辺りは察して欲しい。
もちろん試験は、今の姿でも魔王の姿でもどちらでもいい。
だが俺は全力で立ち向かうからな。
できれば魔王の方がいいだろう」
幻影の無感情な表情に、寅三郎は背筋が凍った。
幻影本来の無の境地の厳しい顔だ。
寅三郎はここは弱気になるべきではないと思い、魔王にその姿を変えた。
「これでも追いついておりませんが?」
魔王の言葉に、「戦場に立って初めて実力を出せるものだ」という幻影の言葉に、魔王は答えなかったが、内心は賛同していた。
「ほかの門下生とは格違いだ。
弁慶がいきがっているが気にしなくていい。
どう考えても勝てるはずがないからな」
幻影の言葉に、魔王はゆっくりと頭を下げた。
「…でか物のくせにぃー…」と信長が大いに悔しがっていた。
信長の魔王では、腕力的には上回れないと感じたからだ。
「戦う意味があることは、寅三郎殿が口にしたが?」
幻影の言葉に、魔王は目を見開いた。
「…しまったぁー…」と魔王はうなったが、後の祭りだった。
「無関係とは言わんが、
ワシと同等の城を建て、
殿として生きるのだからな。
幻影がけじめをつけたいことはよくわかる。
ナンシー、命のやり取りの話ではない」
信長がすぐさま指摘すると、今にも泣き出しそうな顔をしているナンシーは素早く頭を下げた。
「お父さんは強いもの!」とお凛が笑みを浮かべて叫び、「お凛の方が立派だ」と蘭丸が言うと、ナンシーは大いにうなだれた。
「組み手の結果により、この先の運命が決まる場合もある。
意味のある組み手をせよ」
信長の言葉に、幻影と寅三郎は素早く頭を下げた。
組み手は翌朝、ノスビレ村の人工浮島で行うことに決まった。
もしも壊れたとしても、本来の大地に影響は一切ないからだ。
しかし、壊さないように戦うのも、超一流の猛者なのだ。
まさに大一番の戦いに、門下生たちは大いに興奮していた。
そして流派の卒業試験と銘打たれると、この先の自分自身の糧と指標にもなる。
幻影に指摘された弁慶が一番よくわかっていた。
確かに今は寅三郎を好敵手としていたのだが、その存在だけで圧倒されてしまったのだ。
今の実力ではなく、過去の積み重ねなので、それに嫉妬することは許されないのだ。
―― まだまだ若かった… ―― と今日は特に、弁慶は思い知っていた。
気功術師にはなれたのだが、それ以上があるようには思えない。
しかし弁慶は、今日のこの日も積み重ねのひとつとして、未来にも期待することに決めた。
特に寅三郎は、今世は精神的にも厳しいものを積み重ねていた。
何ひとつとっても、比較的恵まれていた弁慶が勝ることはないと穏やかに考えた。
「あのいかだはよかったな」と幻影が言うと、信幻は自慢げな顔をした。
「星中をあれで移動すれば、かなりいい修行にもなったことだろう。
それほど器用でなくても簡単に作れるし、
なかなか頑丈だったから壊れることもなかったはずだ。
移動手段に手間がかからない、素晴らしい作品だった」
幻影が語ると、寅三郎は頭をかいて照れながら頭を下げた。
「だが、旅先にセルラ星をそれほど使えなくなったが、
旅の初級編としてはいいかもしれないな。
戦力、門下生としては、一般的な者でも大成できるだろうと、
ナンシー殿を見ていてよく分かったつもりだ」
「問題は志だけです。
ナンシー殿のような考えを持っている者が、
ほんのわずかしかいないことが残念でなりません。
ひとりだけ、その試しの試練を与えました。
自然界から罰を食らって、
普通の人間に引き戻された、
名も知らない少女です。
どうやら能力としては、
飛行術だけに覚醒していたようです」
寅三郎が語ると、「どれほどの確率でここに来られると思う?」と幻影が興味を持って聞くと、「一割もないでしょう」という回答に、幻影は笑みを浮かべてうなづいた。
「よって、かなり探さなければ、
こっちに引き抜くことは難しいわけだ。
即戦力は悪魔たちだけだろう。
だが、それだけでも大収穫だ」
幻影の言葉に、寅三郎はすぐにうなづき、教育係の濃姫は笑みを浮かべて頭を下げた。
「…あのお姉ちゃん、来られたらいいなぁー…
…お父さんたちほどじゃないけど、
セイラ様のように辛い日常を送っていたようだから…
できれば、幸せになってもらいたいなぁー…」
お凛がつぶやくと、「旅に出てよろしいか?」と沙織と志乃が同時に言ったので、ふたりは大いに眉を下げた。
「…今のふたりを欠くことはできん…
今は諦めろ」
信長は言ってから、「その任は、楓に託そうと思うが、どうじゃ?」と信長は幻影を見て言うと、「申し分ないかと」と穏やかだが感情的には大いに喜んでいた。
「…こいつ… 楓とできていたのかぁー…」と蘭丸が幻影を見てうなると、「全然違います」と濃姫が眉を下げて言って、愉快そうに笑った。
「今となっては雄々しき兄です」と楓は穏やかに答えてから、幻影に頭を下げた。
「心の準備はできていたようだから、
すぐに行ってもいいぞ」
幻影の言葉に、「はっ! ありがたき幸せ!」と楓は叫んで、思い立ったが吉日で、信長にも志を述べて、大勢の仲間たちに見送られて旅立った。
そして一番喜んでいたのはお凛で、信長に大いに礼を言ったが、「…お母さん候補だったけど…」とこの件だけは残念に思ったようで眉を下げると、濃姫と蘭丸が母親候補に立候補したので、お凛はすぐさまふたりに笑みを浮かべて頭を下げて、母として付き合っていくことに決めた。
もちろん、阿利渚からの助言を受けていて、精査して決めていたことでもあったのだ。
「ナンシーはどうなのじゃ?」と信長が好々爺となってお凛に聞くと、「…今はまだ、修行の邪魔をしちゃいそうだから…」とお凛はかなり遠慮して言った。
「それは違う。
お凛の存在が励みになることもあるはずなのじゃ。
子供はそれほど気を使わんでもよい」
信長の言葉に、阿利渚を筆頭にして子供たちがナンシーに寄り添ったので、誰もが大いに眉を下げていた。
「…お勉強も教えていただけるぅー…」と特に阿利渚は大いに喜んでいた。
「…私も、学校に行かなきゃ…」とお凛が眉を下げていると、信長がすぐに悲しそうな顔をした。
見た目がお凛と同年代が多いことで、まさにやる気にさせるのだ。
今までのように、父でもある寅三郎にだけ寄り添うことはなくなったが、寝食は共にすることに決まっているので、お凛に寂しさはなかった。
「…おいおい、いきなりだな…」と信長が言って、お凛を背後から抱きしめている幼児を見た。
「…解け込んでいたわ…
それに美人になることは決まっているような顔立ち…」
蘭丸は笑みを浮かべて言って、子猫が変身した女子に笑みを向けた。
「…この子は、幼児クラスに出せるのか?」と信長はさらに好々爺になって言うと、「姉離れが先でしょう。ですので、お凛も学校に通わせられません」と幻影が答えた。
ここはお香たちお世話係が、ある程度の距離を取って寄り添った。
阿利渚がさっそく幼児と接して、「お名前、まだないんだ」というと、「…猫ちゃん、って言ってた…」とお凛は眉を下げて言った。
「大きく成長できてよかった」と寅三郎が安堵の感情をもって言うと、女子は満面の笑みを浮かべて寅三郎を見上げて、お凛を離れて抱きついた。
「…猫は、小さいままだがな…」と信長は眉を下げて言った。
子猫としては、まずは姉のようになろうと気合を入れて食事をしていたようだった。
よって人間の肉体は、三才児程度の身長だった。
「三人家族になったな」と寅三郎は言って、お凛も抱き上げた。
「…ととさま、すきぃー…」と女子が言葉を発すると、寅三郎は感無量となっていて、大いに喜んだ。
そして女子は何を思ったのかその姿を猫に変えて、幻影の相棒の猫の真珠に向かって駆け寄って、母としたことに、お香たちお世話係は大いにうなだれた。
しかし真珠が言い聞かせたようで、女子はまた人間の姿に戻って、特に女子たちを見まわし始めたが、すぐに真珠を見た。
真珠はため息をつくように息を吐いてから人型を取ると、誰もが目を見開いた。
「…ここでこうなったか…」と信長は笑みを浮かべて言って何度もうなづいた。
着物を着ていたので、能力が今沸いて出たわけではなかった。
「…この子に使命を与えられてしまいました…」と猫の真珠だった少女は頭を下げて信長に言った。
「…家族、増えたぁー…」とお凛は大いに喜んで、人型の真珠に挨拶をした。
「…初見だが、妻にするか?」と信長が言うと、「…まずは、今夜の寝所を先に決めます…」と寅三郎は現実的なことを言って大いに眉を下げて答えた。
「眠る時には動物として」と真珠は穏やかな笑みを浮かべて寅三郎に言ったので、即採用となった。
付きっきりの乳母が誕生したことで、この先の指導はさらに楽になった。
「…仕事ができてよかった…」と幻影は眉を下げて言った。
「…ふむ…」と寅三郎はうなってから、一旦退席して工房に行った。
そして真珠の体の大きさに合わせた寝所を作り上げると、猫二匹と栗鼠はすぐさま寝所に入って寝転がった。
「…寝てしまった…」と寅三郎は大いに眉を下げて、まずは寅三郎の部屋に入って、部屋の角に寝所を置いて、くつろぎの間に戻った。
「…さすが動物です…
安心して眠ってしまいました…」
寅三郎の言葉に、「…この先、様々な試みをするであろうな…」と信長は大いに眉を下げて言った。
「…動物となり、なんとか…」とナンシーがつぶやくと、寅三郎は大いに眉を下げていた。
この日は比較的穏やかに夜は更けて、朝となり、寅三郎は起床とともに飛び起きた。
「…おまえらぁー…」と寅三郎がうなると、「…動物特権ですわ、魔王様…」と人型の真珠は穏やかに言って頭を下げた。
三人とも人型になっていて、寅三郎に抱き付いて眠っていたのだ。
子猫が世話になっていることで、寅三郎としてはあまり強く出られない。
「…うふふ… 私が首謀者ぁー…」とお凛がつぶやくと、寅三郎は大きなため息をついた。
「…ととさま、おはよ…」と人型の子猫だけが一番自然だった。
「…お師様に叱られそうだ…」と寅三郎が眉を下げて言うと、「いえ、喜んでおられましたし、特に私を必要とされておられませんから」と真珠のその感情はまさに猫を思わせるように発言した。
「それに、大それたことなど考えてはおりませんが、
修行次第では、魔王様の様々なお役に立とうと奮起しようと存じます」
真珠が三つ指ついて頭を下げると、お凛たちも真似をした。
「…わかった…
だがまずはこの子の名だ」
寅三郎は言って、人型の子猫の頭をなでてすぐに、「うれしい!」と叫んだ。
「あ、もう伝わった」と寅三郎は言って、笑みを浮かべた。
そして寅三郎は紙と筆を出して、女子の名を素早く書いた。
「…さかい、おきょう…」とお凛が読んで、大いに喜んだ。
書には、かなとともに、『酒井於杏』と書かれていた。
「酒井真珠と書いてくださいませ」と真珠が迫ったが、描いた書は、『真田真珠』だったことに、真珠は大いに眉を下げていた。
この日から、真珠、お凛、お杏は、酒井三姉妹と総称されることになった。
人型もその通りで、真珠とお杏は母子か、年の離れた兄妹にしか見えなかったこともあるので、誰もが気を使っていた。
寅三郎と真珠は夫婦にも見えなくはないが、真珠が書を出してため息をついたことで、幻影に大いに慰められていた。
そして、「真珠は真珠の道を行け」という幻影の言葉に、「はい、幻影様」と真珠は穏やかに言って笑みを浮かべた。
「…真田真珠…
あえて見せつけられると、
妹になったようでうれしいな…」
幻影のこの言葉にも、真珠は大いに喜んでいた。
「早速この真珠は、花嫁修業を積みましょうぞ」
真珠の言葉と志は、妙に志乃や政江に似ていたので、幻影はかなり微妙だったようで、大いに苦笑いを浮かべた。
人型になっても、貴賓高い白猫の姿が、表面にも内面にも出ていた。
「そうだな、色々と大変だが、できればつかみ取ってくれ」
幻影の希望ある言葉に、「はい! 兄様!」と真珠は叫んで、まずは蘭丸に弟子入りを果たした。
お凛とお杏は真珠についてきたので、蘭丸は幸せな時間を楽しんだ。
寅三郎はお凛たちを横目で見ながらも、自分自身の試運転を始めた。
そして姿は変えずに、魔王の方にも気合を入れている。
―― 威厳ではまだまだ太刀打ちできぬが、絶対に堪える! ―― とまずは寅三郎はこれを決意した。
威厳や気合に押されてしまうと、思い通りの戦いができないことは決まっているからだ。
もちろん、それも卒業試験に含まれているからだ。
そして勝ち負けではなく、王としての威厳があるのかを試されるともわかっていた。
信長であっても、肉弾戦では幻影には勝てないと思っている。
そして幻影を師匠とはしていない。
この先の寅三郎は、自分自身の流派を考えていかねばならぬのだ。
武器を軽視していないが、幻影がどのような手で来ようとも、無手で受けて立つことは決めていた。
武器に集中する精神力を五体に向けることに決めたこともある。
ここは、コーヒーを買いに出た時に出会った拳法に頼ることにしたのだ。
これが、寅三郎がこの戦いを受けて立つ唯一の武器だった。
そして松平影達と同じ覇王の剣を操るひとりとして、その威厳も拳と足に込めることも決めていた。
寅三郎と影達は同じ師を師事していた。
次期は違うが、ふたりは兄弟弟子だった。
そして性格も師匠譲りで、どちらも誰に対しても厳しい、まさに師匠の資質も兼ね備えている。
初めての師匠の塚原卜伝の想いも乗せることに決めていた。
影達は経験していないが、寅三郎が経験したことがある、
それは高齢だった卜伝の死だ。
卜伝はうなづくだけで何も言わなかったが、笑みを浮かべて逝ってしまった。
しかし、『自分自身に強くあれ』とずっと言ってくれていると感じていたのだ。
その想いごと、今日の組み手にぶつけるつもりだった。
琵琶家一同は朝餉を済ませて、ノスビレ村の砂浜の村に併設している小さい方の浮遊島に渡った。
幻影と寅三郎がその中心に向かって歩いて行ったが、残された琵琶家一同は島には入らなかった。
かなり遠いのだが、ふたりの邪魔にならない場所にいることに決めたのだ。
お互い向き合い、まさに師弟で、なんの切欠もなく寸分違わず同時に頭を下げて構えを取った。
幻影は寅三郎の想いを汲んで、無手でこの戦いを乗り切ることに決めていた。
ここでは精神的には、幻影が一歩前に出ていた。
桜姫を使えば、幻影が負けることはあり得ないのだ。
よってその苦難の道を、幻影は行くことに決めていたのだ。
寅三郎は魔王になることはなかった。
今の人間の肉体の限界を知るためだ。
すると幻影は徐に構えを解いて、ごく普通に歩いて間合いを詰めてきた。
寅三郎も幻影と同じようにして歩いた。
しかし第一撃のその動きはまさに電光石火で、幻影の拳を寅三郎は手のひらでつかんでいた。
ここでは寅三郎が有利となり、すぐさま幻影を空高く抱え上げたが、素早く回転してきたので手のひらを開いた。
そうしないと、寅三郎の手のひらが傷つくからだ。
「…むうー…」と信長が一声うなった。
もうこの時点で寅三郎に合格だと叫びたかったが、信長はただの殿様で、流派の師匠ではないので止める権利はない。
そのことがわかっているからこそ、悔しくてうなったのだ。
「今の攻防で先が見えたわ」と濃姫が言うと、「…だから止めたいのだ…」と信長はうなった。
「天使たちの準備と覚悟は終えています」と阿国が穏やかに言うと、「…くっそぉー…」と信長はうなった。
非の打ちどころがなく万全だったことが、信長にとって気に入らなかったのだ。
今の攻防で、どちらも打つ手を失くしたようで、硬直状態が始まったが、ちょっかいを出すのは寅三郎の方だった。
隙を見せるように腕と足を奮ってくるので、幻影は悪い予感を感じて防御に徹している。
すると寅三郎が、「はっ!」と気合を入れて叫んだが、幻影はひるまない。
すると間髪入れずに、『パァ―――ンッ!!!』というとんでもない破裂音がした。
かなり離れて見ていたお凛たちが耳をふさぐほどの大音響だ。
幻影は意味が解らず素早く引いた。
そしてようやく、寅三郎が後ろ手で柏手を打ったことに気付いて、今度は一転して前に出て、そしてすぐさま下がると、寅三郎は悔しそうな顔をして追従して、ついに魔王に変身していた。
魔王は大いに気合を入れて、渾身の力で幻影を追う。
肉体差が歴然で、魔王は幻影の倍ほどあるのだが、その移動速度は互角だった。
すると今度は、『ドンドン!!』と大砲を撃つような音が腹に響いてきた。
魔王は歩を進めるたびに、自分の腹を叩いていたのだ。
幻影はこの振動の方を大いに嫌い、極力距離を取ろうとするがそれができない。
よって、魔王も次の一撃を繰り出せない。
このままでは体力勝負の戦いとなるのだが、魔王は太刀を持たずに覇者の構えを取って、「ドオ―――ッ!!!」と叫んで横一線に両腕を振ると、幻影は後方に吹っ飛ばされた。
「何をやったっ?!」と思わず蘭丸が叫ぶほどだった。
「空気砲だよ。
私を喜ばせてくれるために、よくやってくれてたの」
落ち着いているお凛の言葉に、「…おまえ、大いにいい経験を積んでいたんだな…」と蘭丸は大いに苦笑いを浮かべて言った。
魔王は一瞬にして幻影との距離を縮めて足首を取って縦横無尽に振り回し、まるで幻影の体を丸めるようにして固め、地面に座った。
「ちっくしょう―――っ!!! 参ったっ!!!」と幻影が叫んだと同時に、魔王は寅三郎に戻って、固めていた幻影の体をほどいた。
すると泣き顔の天使たちがすっ飛んできて、幻影の全てを癒した。
「…うふふ、素敵よ、寅三郎様…」と阿国は言って、瞬時に寅三郎を癒した。
「ありがとうございます、母上様」
寅三郎の言葉に、阿国は大いに目を見開いて、「…はぁー…」と深いため息をついて幻影に寄り添った。
「…あーあ、負けっちまったぁー…
しかも完璧に…」
幻影が大いに嘆くと、「槍を使わないからですわ」と阿国に言われて幻影は大いに眉を下げた。
「それでも、届かなかったかもなぁー…」という幻影の言葉に、「まだまだ修行を積む必要があるようですね」という阿国の前向きな言葉に、「…だけど、寂しいなぁー…」と幻影は言って少しうなだれた。
「だが、真の意味の天狗にならずに済んだ!」という幻影の明るい言葉に、「…勝った気がしなくなりました…」と寅三郎は眉を下げて言った。
「経験は重要だし、俺は一度死んだも同然。
ここは心を新たにしてさらに鍛えるわけだが、
多分今を変えない」
「はっ! 大いに勉強になっています!」と寅三郎は叫んで頭を下げた。
「…よくも、やってくれたなぁー…」と信長はうなりながら、第六天魔王に変身していった。
「素晴らしい経験を積めました!」という寅三郎の明るい言葉に、「…ワシでは勝てんか…」と魔王はつぶやいてから大いに笑って、寅三郎の肩を叩き捲った。
寅三郎はさらに寂しくなっていた。
この勝利は寅三郎を孤独にする戦いでしかなかった。
だが、お凛とお杏が抱きついてきたので、それは一瞬の想いだった。
「強い魔王を抱えておくわけにはいかんから、すぐにでも城を建てろ。
もちろん、我らが手伝うに決まっているがな」
第六天魔王の言葉に、「はっ! 光栄に思います!」と寅三郎は叫んで頭を下げてから、大いに苦笑いを浮かべた。
まずは設計から取り掛かる必要があるので、それまでどうしようかと考えたのだが、「今度は喜笑星を巡るか?」と寅三郎がお凛に聞くと、「うん! 行く行く!」とお凛は陽気に叫んだ。
すると、宇宙船が現れてすぐに、ゲイルたちが飛び出してきた。
そしてゲイルは大いに眉を下げていて、「…結果はわかったけど、見たかった…」とつぶやいてうなだれた。
すると咲笑が大いに張り切って、この浮島に巨大な3Ⅾ映像を流し、幻影と虎三郎が今ここで戦っているようにしか見えないので、ゲイルたちは大いに沸きあがった。
「…これって、酒井さんの反則負けじゃないの?」とゲッタが眉を下げて言うと、「持っているすべてを出し切るという意味では反則ではない」とゲイルがすぐさま答えた。
「だけど、違う想いがあるよ?
萬幻武流同士の戦いじゃない」
「いいや、そうでなくてはならない戦いだったんだ」と幻影が言うと、「はい、お師様」とゲッタはすぐに認めた。
「俺もお師様の想いを乗せたんだが、
二対一では分が悪かったようだ」
幻影は大いに眉を下げて言った。
「俺はその想いは受け継いでいない!」と影達が寅三郎に向けて叫ぶと、「師匠の死に目を看取ったかそうでないかの差だ」という寅三郎の言葉に、影達は大いに悔しがった。
「…この人を悔しがらせるのは、寅三郎しかいないわね…」とエカテリーナは大いに眉を下げて言った。
「その強い酒井様の伴侶になるお方はどれほどのお方なのかしら?」
ライジンが興味を持って言うと、誰もが大いに期待して女子を見まわした。
「候補はいますし認めていますが、
今は名乗れるはずがありません」
寅三郎の言葉に、「あら、残念」とライジンは言って、我が子たちを見まわした。
「ですが、こちらで家臣を勧誘することに決めていますので、
許されるのであれば、どうか、お口添えをいただきたく」
寅三郎の丁寧な言葉に、「ええ、任せておいてください」とライジンは快く同意した。
「推薦もしたいところですが、どのようにいたしましょう?」
「はい、それも出会いのひとつですので、
どうかお願いします。
もちろん、雇うか雇わないかは、
俺の考えひとつで変わるかもしれません。
できる限り、考えられる事情をお話ししますので」
寅三郎の更に丁寧な対応に、ライジンは機嫌よく何度もうなづいてから、「…影達とよく似ていると思っていたのに、話すと全然違っていたわ…」とライジンが言うと、影達は大いに眉を下げていた。
「寅三郎殿の行く道を阻んでいた様々な試練の差でしょう」
幻影の言葉に、ライジンは笑みを浮かべてうなづいた。
「寅三郎殿と出会って、ひとめぼれしました。
影達殿は警備員のひとりとして雇いました。
長い修練の末、行きついた先はよく似ていますが、
見える景色は大いに違うことでしょう」
幻影のありがたい師匠の言葉に、寅三郎も影達もすぐさま頭を下げた。
門下生ひとりひとりを常によく見ている、最高級品の師匠である幻影ならではの言葉だったからだ。
「何故武器を使わなかった?」と影達が寅三郎に喧嘩を売るように言うと、「隠し玉を用意していたからだ」という寅三郎の言葉に、幻影すら驚いていたが、機嫌よく大いに笑った。
「それを温存されて俺は負けたわけだ。
体術で、寅三郎殿に勝てる者はもういないかもしれないなぁー…」
「いえ、気合だけは多少使っていたのです。
最後の固める体術は、
わずかにその片鱗をお見せできたと思っていますが、
基本的には攻防は打撃だけですので、
まさに心構えだけだと」
「思い切って前に出られなかったのはそのせいだよ」
幻影の言葉に、寅三郎は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
「…罠を張っていたようなものか…
…なかなかの策士じゃ…
…さすが家老でもあるな…」
信長は機嫌よくつぶやくと、「その素晴らしい人材をあんたは放り出すのですか?」と濃姫が責めるように言うと、信長は苦笑いを浮かべただけで何も言えなかった。
「いえ奥様、本当にありがとうございます。
それに、決して放り出されるわけではございません。
別の家を持つ件は、私も考えていたことでございますれば」
「…そうですか…
本当に残念ですわ…」
濃姫はこれ以上ないほどにうなだれた。
できれば、好きな時にいつでも魂饅頭を作ってもらおうなどと考えていたこともある。
大勢で昼餉を摂ってから、酒井家一同は喜笑星に戻って早速旅に出た。
寅三郎はさらに大きなバックパックを担いでいる。
もちろん大半が食い物で、三日間ほどならどうとでもなるが、山に入ると食い物が豊富に実っていた。
道なき道を歩くことは、まさに動物のようだと寅三郎は考えていた。
陽が傾きかけた時、寅三郎は広い河原の少し高い場所に、露店用のテントを張って、防水を施している布を壁代わりにして、天上から垂らした。
あっという間に部屋ができあがったことに、お凛とお杏は大いに喜んでいる。
「セルラ星を旅した残飯処理だ」と寅三郎は言ったが、お凛とお杏は大いに喜んでいた。
この旅にはもちろん真珠も同行していて、―― 素晴らしい夕餉はしばらくおあづけね… ―― と、ここは仕方ないとあきらめてたのだが、その残飯がまさに真珠の口にあったのだ。
そして食材ひとつひとつをお凛が詳細に説明するので、真珠としては大いに勉強になっていた。
そして食後の寅三郎のコーヒータイムも三人は付き合って、この日は早々に就寝した。
眠る時は動物なのに、朝起きると三人とも人型を取っている。
今朝も寅三郎は眉を下げていたのだが、何も言わなかった。
朝餉を済ませてから、真っすぐに河原を歩いて、海が見える場所までやってきたが、ここに城を建てることはそれほど良くはないと考え、西に向かって歩き始めた。
そしてなかなかの場所を見つけたのだが、先約があって、『竜神城(仮称)建設予定地』の看板が立っていた。
「ここがお隣さんになるようだ」と寅三郎は機嫌よく言って、さらに西に歩いた。
昼餉を終えてから、寅三郎は城の原案を描きながら、お凛たちとも大いに語った。
「魔王城なのですから、石造りの方がよろしいですわ」という真珠の言葉にも心が動いた。
だが、お凛たちは木造の安土城を大いに気に入っていて、その両方を何とか採用できないかと考えた。
すると寅三郎は遥か昔の主の言葉が頭に浮かんだ。
そして懐かしく思い、なかなかの策士と思って少し笑って、寅三郎はすらすらを城の絵を描き始めると、お凛たちが大いに喜んだ。
「だがな、これは見かけだけなんだ」と寅三郎は言って、その内部の絵を描くと、お凛たちはさらに拍手をして、「見た目と中が全然違うぅー…」と言って喜んでいる。
「火攻めが無意味となる城だ。
囲いは木製だが、中は石造り。
俺の前の主の発想だ。
それは実現できなかったが、
弔いの意味も兼ねて、建ててみようと考えた」
「…御屋形様が怒っちゃいそうだけど、
出奔する身ですからね…
否定はされないでしょう」
真珠の言葉も心強く思い、寅三郎は小さな部分までを詳細に描き始めた。
そして、さらに西に行くと、なかなかの好条件の場所に出たので、今日の寝所に決めて小屋を作り上げた。
「たぶんここでいいだろう。
明日はさらに地面などを確認してから決めよう」
寅三郎は明るく言って、夕餉の支度を始めた。
すると、とんでもない勢いで走ってやってくる気配を寅三郎は察知した。
もちろん、動物であるお凛たちの方が反応は早く、「こっちこっち!」とお凛は陽気に叫んで、犬をしっかりと抱きしめて、まずは水を飲ませた。
「解放されてよかったな」と寅三郎が笑みを浮かべて言うと、『ワンッ!』と機嫌よく鳴いた。
犬はそれほど得意ではないのか、真珠だけには眉を下げていた。
もちろん、ドレス村で幻影が見つけた犬だ。
幻影が見つけたということで、長春だけならまだしも、蘭丸が気に入ってしまっていたのだ。
しかし、かわいい子には旅をさせることにして許可を出した途端に、すっ飛んで寅三郎たちを追ったのだ。
しかも純粋に人間なのは寅三郎だけなので、この旅も野生を維持するためにかなりいい修行になるはずだ。
食べるものも凝った味付けはせず自然なものが多いので、これもいい効果になっている。
翌朝、早速この近隣を調査して、思った通り素晴らしい場所だと確信して、しかも北側には岩を切り出せる高い山まであった。
早速岩を切り出してから、城を建てる場所をそれなり以上に掘って岩を並べて貯蔵庫を作り、さらに岩を並べて岩造りの広大な地下貯蔵庫兼城の基礎が出来上がっていた。
あとはこの土台の上に城を建てれば、一旦は完成となる。
この先のことを考えて、また山に入って岩を切り出し、さらには木も切り倒して、乾燥させるために並べて置いた。
ほかには考えていなかったのだが、ここは子供たちのためにと思い、本丸に続く道を迷路のようにしようと絵を描いた。
お凛とお杏は大いに興味を持って指でたどって楽しんでいる。
よって自然に城下町の構想も固まって、城の完成予想図だけは完成した。
問題は城の名だ。
「ま、これでいいか」と寅三郎は言って、すらすらと書を書いた。
「…じゅうおうじょう… つよそぉー…」とお凛は言って、寅三郎に笑みを向けた。
書には、『獣王城』と書かれていた。
まさに獣のための城のようなもので、小動物であれば、簡単に行き来できる仕掛けを施されている。
もちろん、野生動物が侵入して城を荒らされるのは困るので、その予防策も考えてある。
動物ではまずしない行動をとらないと、扉を開けられないように設計したのだ。
乾燥していた木の幹を使ってその仕掛けを作ると、お凛とお杏は動物に戻って、何度も出入りをして楽しみ始めたので、真珠と犬も仲間になって遊び始めた。
今回は川の堤防を作り上げるまでにして、残りは琵琶家一同に手伝ってもらうことに決めて、今夜は完成した地下室に入って就寝した。
翌朝、干していたたくさんの木を地下室に運び入れてから、安土城に戻ることにした。
竜神城の建設予定地に行くと、下ごしらえなのか勇健と美麗がふたりだけで作業をしていた。
寅三郎たちは気さくに挨拶して、この西側に土台だけ作り上げたと説明すると、勇健が大いに興味を持って、寅三郎に願い出て、城の完成予想図を見せてもらった。
「…この貯蔵庫はもう作っちゃったんだー…」と勇健は眉を下げて言った。
「完成はまだ先でいいんだ。
それほど家臣がいないから、
立派な城を建てても意味がない。
ある程度家臣を選定してからでもいいと思っているからな。
ま、それほど先のことではないがな」
「…それが一番の問題ですよぉー…」と勇健は大いに眉を下げて言った。
「旅に出るんだろ?」
「…はい… 行くことは決まったのですが、
行く星の選定に迷っちゃって…
セルラ星以外だと、知り合いが全くいない星しかないので、
考えあぐねているところなのです…
もちろん文明文化は、この喜笑星と似たり寄ったりの星ですので、
ほぼ問題はないのです…
やはり、癖の強い星が多いので、
その地の常識をある程度は知ってから出かけるべきだと考えているのです…」
「心構えだけでは、確かに心もとないことは理解できるからな。
妙なことにでもなれば、旅を中止することも考える必要はある。
俺も二度ほどあったからな」
「…ですよねぇー…」と勇健は眉を下げて言った。
「ひとり旅ではないのであれば、それほど考えることはないと思うのだが?」
寅三郎は勇健の肩にいる鼫の高願と、眉を下げている美麗を見て言った。
「怒り狂った美麗に問題が…」と勇健が嘆くと、寅三郎は同意するようにうなづいて大いに笑った。
「その時点で旅は終わるべきだろう。
そこを堪えて旅を続けられるようにせねばならない。
それも旅の修行のひとつだからな。
その星には戦いに行くのではないのだから。
よって現地の管理者への通報を最優先することが吉。
まずは現地に飛んでから、安全地帯を把握しておくことは重要だろう。
隠密裏に行動して、その場を確保しておけば、
ほぼ問題はないだろう。
よって、何らかの事情があれば、
精査して協力してやることも重要だ。
金銭の授受なく、心で繋がっておくことも重要だろう。
まずは自分たちに都合がいい善人を見つけ出すことがお勧めだ。
俺の長い旅だった終盤に、
ようやく琵琶家という善人集団に出会えたことが、
ひとり旅だった俺にとって最大の幸運だった」
勇健は何度もうなづいて、「次の家族休暇に入ってすぐに旅に出られるように準備します!」と決意の言葉を述べて、勇健と美麗は、寅三郎に同行して、安土城に戻ることにした。
今夜はこの竜神城建設予定地で一晩を過ごすことに決めた。
これは予定外のことだったので、勇健が健吾に連絡を入れて許可を得たまではいいのだが、信長が大いに興味を持ってしまったのだ。
しかし濃姫に諫められて、この場に来ることはなかった。
まさに今も旅の途中のようなものなので、その邪魔することは許されないからだ。
しかしここは平等にと、信長の代わりの使者を出すことを寅三郎が幻影に念話で伝えると、沙織を抱きかかえた弁慶が空を飛んですっ飛んでやってきた。
「さすがよくわかっていると、
御屋形様は上機嫌だったよ」
弁慶が眉を下げて寅三郎に言うと、「蚊帳の外のように思われたはずですからな」と寅三郎は笑みを浮かべて言った。
竜神家と酒井家が同行するとなれば、琵琶家もいて当然だと信長は考えたのだ。
本来ならば信長が行きたいところだったが、殿が動けば大勢が同行することになるので、それなり以上に信頼を置ける者が来てしかるべきだ。
よって幻影の判断で、弁慶夫婦をこの場にやることを幻影が進言して承諾されたわけだ。
「今はまだ三つの家は家族だが、
近い将来、分裂することはわかっているからね。
できれば琵琶家からもと思われて当然だろう。
第一に蚊帳の外と思われたこと。
第二に家臣を派遣して、
ここであったことをすべて報告すること。
そういう任を受けたと言ったところだね。
御屋形様はご機嫌麗しかった。
しかし奥方様は少々ご機嫌斜めだったが、
何とか認められたんだ。
完全に分裂した時は、
この件はさらに重要になってくるんだよ」
弁慶が眉を下げて語ると、寅三郎は何度もうなづいて、「やはり家臣を… 城代か家老を早急に選定せねばなるまいな…」という言葉に、弁慶は賛同した。
「…やることが増えたぁー…」と勇健は大いに嘆いていた。
「酒井家の現状としては、
ナンシー殿をその地位につけることはほぼ決めています。
あとはご本人がどれほどの成長を遂げるのかが問題なのですが、
星に戻られることを視野に入れると、
もうひとりふたりは必要でしょう」
寅三郎の言葉に、「…それを伝えれば、修行に大いに身が入るさ…」と弁慶は小声で進言した。
「セルラ星にはお戻りにならないでしょう」と沙織が穏やかに言うと、寅三郎は大いにうなづいて希望を持った。
「連絡係にはここは悪魔を雇おうかと。
空を飛べることは何かと便利ですので」
寅三郎の言葉に、「奥様とのつながりが大きいから、何も問題なさそうだ」と弁慶は笑みを浮かべて言った。
「もちろん、竜神家もだから、
若殿としては悪魔になめられないようにな。
ま、勇健に指導することなど、ほとんどないけどな」
「それだけでもようやく家臣候補ができたと安心できました」
勇健の明るい言葉に、弁慶も寅三郎も何度もうなづいた。
三つの家は朗らかに語り合い、そして簡素だがしっかりと夕餉を摂って、早々に就寝した。
翌朝は早々に出立して、昼餉前に安土城に到着した。
そして寅三郎たちはノスビレ村の砂浜の村に出て、信長に帰還の挨拶をした。
「もう土台を作りおったか」と報告を聞いた信長は機嫌よく言ったが、家臣の問題があるので、まだ城はあるべきではないと寅三郎が進言したことは快く受け入れられた。
そして寅三郎が詳細な獣王城の図面を見せると、「…むう…」と信長はうなって細部まで確認した。
そして寅三郎が作ったおもちゃで、栗鼠のお凛たちが遊び始めたので、ほかの動物たちも遊びに加わった。
「寅三郎殿、安土城にも、この仕掛けを施してよろしいか?」と幻影が早速聞くと、「はっ もちろんです」と寅三郎はすぐさま答えると、信長は満面の笑みを浮かべてうなづいた。
「…一番面倒で一番の子供だわ…」と濃姫が信長を横目で見て嘆くと、信長は大いに眉を下げていた。
「奥様、竜神家と酒井家に、悪魔を一名ずつ、選定していただきたいのです」
弁慶の進言に、「あら、そこまで話は進んでいたのね」と濃姫は機嫌よく言って、すぐさま念話を送り始めた。
「…兄ちゃん、いい役回りだなぁー…」と源次が大いに眉を下げて言うと、「…お濃も同じではないか…」と信長は小声で言って鼻で笑った。
「…丸く収まったから、口出しの必要がなくなって助かった…」と幻影は小声で言った。
「計画は着々と進行しておる。
ここからは慎重に事を進めよ」
信長の言葉に、誰もが一斉に頭を下げた。
―― …そうだ、宇宙戦艦の件もあった… ―― と寅三郎は思って、笑みを浮かべている幻影に頭を下げた。
宇宙戦艦を二隻作り上げることが、琵琶家の仕事となるのだ。
もちろん、城を立ち上げた祝いの品となる。
推進式はそれと同時期に行う必要があるので、気合を入れて家臣の選定が必要だ。
しかし寅三郎には奥の手があるので、実のところ人材には困らない。
だが奴隷に近い家臣となるのは大いに問題なので、できればそれほど大人数は呼び出さないことにした。
家臣同士が無碍に争うことを避けたいからだ。
だがその家臣からついに念話が飛んできたので、寅三郎は大いに考え込んだが、ここは殿様の威厳を出すことに決めて、寅三郎は魔王に変身した。
「いでよ! マッドスタックッ!」と魔王が叫ぶと、小山のような男が姿を見せた。
そしてまさに鬼が振り返り、「さっさと呼ばんか、我が主よ」とうなってからにやりと笑った。
「…むむむ…」と信長は大いにうなって目を吊り上げた。
「おおー… 戦力倍増だぁー…」と幻影は大いに喜んでいた。
「主よ! 今回はどうなっておるのだ?!」とマッドスタックは大いに戸惑って声を裏返して叫び、信長を筆頭にして辺りを見渡し大いに怯え始めた。
「帰ってもいいんだぞ?」と魔王が言ってにやりと笑うと、「…やっと、出番が来たのにぃー…」とマッドスタックは大いに嘆いたが、お凛とお杏が抱きついてきたので、「…今回の姫は、ずいぶんとおだやかですなぁー…」とマッドスタックは笑みを浮かべて言って、ふたりを抱き上げて肩に乗せた。
「その姫を発見したが、ここに呼べぬ事情ができた」
魔王の言葉に、「それは何より!」とマッドスタックは機嫌よく言って、魔王に信長たちを紹介されて大いに腰を低くして挨拶をした。
「いきなりだったけど、どういうことなの?」と幻影が魔王に聞くと、変身を解いて寅三郎に戻ると、マッドスタックが大いに怯えた。
「いちいち怯えるな。
お前にとって、こっちの姿の方が怖いことはよくわかっているがな」
「…お、おう…」とマッドスタックは大いに怯えて言った。
「…ふーん… 人間の方が怖い… それは大いに言えるね」と幻影がすぐさま賛同すると、「そうでござるよな?!」と鬼は侍になり切って叫んだ。
「…もう、その言葉からほとんどわかったよ…
心の底から、寅三郎殿に心酔しているんだね…
まさに永遠の主従関係なんだなぁー…」
幻影がうらやましそうに言うと、「幻影、ワシはもう認めておるが?」と信長はようやく落ち着きを取り戻していうと、「はっ! ありがたき幸せ!」と幻影は今までの最高の高揚感を上げて叫んで、素早く頭を下げた。
「…茨の道を行きなさるか…」とマッドスタックが言うと、「えっ?」と誰もが怪訝そうな顔をして言った。
「真の不老不死。
殿様が死のうがどうなろうが、
呆けることなく永遠に生き続ける、呪いのようなものじゃ。
よってワシが認めたのは、幻影が初じゃ」
「よっしっ! やったぁ―――っ!!!」と幻影が大いに喜ぶと、「御屋形様っ!!」と今度は蘭丸が叫んで頭を下げた。
「二番手だが、お前はそれでよいのか?」と信長が眉を下げて聞くと、「はっ! こいつのあとであれば納得はできます!」という蘭丸の誠実な言葉に、「永遠に夫婦じゃな」という信長のやさしい言葉に、蘭丸は号泣した。
「…長い時をともにしたか…
十年やそこらではなさそうだ…」
マッドスタックがうなると、「現在、四十五年程だ」という寅三郎の言葉に、「…俺とほぼ同じ…」とマッドスタックはつぶやいて、笑みを浮かべて何度もうなづいた。
「前のお姫様ってそんなに怖いの?」とお凛が気さくにマッドスタックに聞くと、「…勇者であれば最悪…」と答えると、「その勇者だ」という寅三郎の言葉に、「…この世の終わりだぁー…」とマッドスタックは嘆いたが、「大丈夫大丈夫!」というお凛のやさしい言葉に、マッドスタックは落ち着きを取り戻した。
「姫のためにも奮起いたしましょうぞ!」とマッドスタックは大いに高揚感を上げて叫んだ。
「…ほかに、何名ほど家来にしたんだ?」と信長が眉を下げて寅三郎に聞くと、「マッドスタックを含めて五名です」と答えた。
だが、「ほかの四名は出会わないと気づかないでしょう」という寅三郎の言葉に、「…そういう階級もあるわけだ…」と信長は言ってうなづいた。
「もうすでに気づいておりましたが、何度も消えたのです!
今も消えておりましたが、近くに来て確信できたのです!」
マッドスタックの訴えに、「…お前の事情もあるだろ…」と寅三郎が眉を下げて言うと、「…退屈でござった…」と言ったのだが、多少の戸惑いがある。
「この際、家族ごと雇ってもいいぞ。
現在、使える者大募集中だからな」
「それならば任せられよ!」とマッドスタックは叫んで、この場にその家族たちを呼び寄せた。
「やはり動物かっ!」と信長は叫んで、全員人型だが、半数は動物だと見抜いた。
寅三郎は早速マッドスタックの家族たちとあいさつを交わしてから、魔王の姿となると、誰もが一斉に頭を下げて、気合を入れていた。
「…城、建ててもいいな…」と魔王がつぶやくと、「よっしっ! 早速仕事じゃが、その前に宴じゃ!」と信長が言うと、幻影は家を離れている三名にも声をかけると、楓、影達、武蔵はすっ飛んで戻ってきた。
「…ほう、我が主の伴侶にとな…」とマッドスタックはナンシーを見入って言った。
もちろんナンシーが思いの丈をマッドスタックに語ったからだ。
将を落とさんとすればまず馬からの典型的行動だ。
マッドスタックは馬鹿にすることなく真剣な目でナンシーを見ている。
「…奥方となるかは別として、よい家臣としては成長されるであろう…」
マッドスタックの言葉に、ナンシーは手のひらを合わせて喜んだ。
「主はまさかだが、サラマンダーとはもう出会われたか?」
マッドスタックの言葉に、「ああ、普通に人間だったが会ったぞ」と寅三郎が気さくに答えると、この場にいる誰もが目を見開いていた。
「これも修行とせよ!」という信長の言葉に、琵琶家一同は一斉に頭を下げた。
「…その資質があるから、大切に育てられた方がよい…
まずこの世にはいない種族ですからな…」
「火の使徒だけではないのだろ?」と寅三郎が聞くと、「生物の生理的に、火しかおらぬと思われます」とマッドスタックは答えた。
「水と風はまず実現不可能か」と寅三郎が言うと、「水はまだしも、風は難しいでしょう。いたとしてもそれは妖怪でしょうか…」とマッドスタックは考え込みながら言った。
「妖怪は面倒だな…
裏切られることも大いにあるからな…」
「あのサラマンダーとて、妖怪のようなものだ」と信長はにやりと笑って言った。
「…え? そうなの?」と幻影がいきなり言ったので誰もが注目した。
もちろん咲笑が幻影に説明したからだ。
「人は修行積めば、理想的な肉体を得ることができる。
それが、勇者や悪魔への覚醒だ。
転生の場合はそのものになる場合が多いから、
人間の肉体を持たない場合がほとんどだが、
御屋形様のように、人間の体と魔王の体のふたつ持つこともある。
だがサラマンダーはそうではなく、今持っている肉体を変化させて、
魔獣になる権利を得る。
よって、真の変身種族がサラマンダーだ。
この種族はいそうでいない。
まさに、サラマンダーだけと言っても過言ではない。
よって生物の擬態が得意な、トカゲのような肉体を持つそうだ。
確認されている者はわずか二人で、
ひとりは完全体、もうひとりは修行中らしい。
ある意味その本人にとっては、
生きていること自体が修行だそうだ。
これが、あの悪名高き、
森羅万象の術者の前身ではないかともいわれているそうだ」
幻影が語ると、「おう、あの、森羅万象かぁー…」とマッドスタックは大いに苦笑いを浮かべていった。
「森羅万象の術者も、わずか三名しか発見されていない希少な種族だ。
ナンシー殿の場合、恐竜を先祖に持つからこそ、
その資格はあるらしい。
その中でも希少な、神に魅入られし者が、
サラマンダーを得る可能性が高いそうだ。
その神は、魂を持たず思念だけのもので、
人体に憑依するが、誰にも気づかないらしい。
俺にもわからないが、魔王であればわかるらしい。
誰にも見えないものが見えるという
特殊な能力を授かっているのが魔王だからだ。
よってナンシー殿がここにいることは、
意味があることだと思う」
幻影が語ると、「はっきり言って、それほど効果的ではないように思うのですが…」と寅三郎が聞くと、誰もが大いにうなづいた。
「大いなる修行のためだけ?」という幻影の言葉に、「…誰にも経験できないことは大きい…」と寅三郎が大きな感情を抱いて嘆くように言った。
「途中までは誰しもが寅三郎の気持ちはよくわかったが、最後は違ったな!」と、信長は叫んで、膝を打って愉快そうに笑った。
規律が厳しい萬幻武流の師範代であれば、寅三郎と同じように、無駄や無謀に思えることは、大いなる修行と考えたはずだ。
「話は逸れるが、ここにマッドタックス殿の親戚がおられるが、お分かりか?」
幻影の言葉に、マッドタックスは大いに戸惑った。
鬼という種族も珍しく、それほどは存在していない。
現在確認できているのは、ここにいる二名を含めて、わずか六例しかない。
そしてその鬼の匂いすらまるでしないので、マッドタックスは大いに戸惑った。
「本来の種族が認識できないような覚醒方法もあったりするんだ。
それは人体的な移植だ。
だがこの場合、絶命して当り前の蛮行だ。
科学が進歩することで、原因不明の死を迎えることもある。
できれば、その者の運命に関わることは、
人が介入するべきではないのだ」
幻影が語ると、「…ああ、わかってもらえた…」と才神小恋子が涙を流しながら言うと、誰もが大いに目を見開いた。
「…勇者で、鬼なのか…」とマッドタックスが、大いにうらやましそうに言うと、「死んでしまうことも普通に考えられたんだ、あまりうらやましがるな」と寅三郎に穏やかに言われて、マッドタックスはすぐさま頭を下げた。
「…99パーセント、そうなってたってぇー…」と小恋子が眉を下げて比較的明るく他人事のように言うと、誰もが大いに苦笑いを浮かべていた。




