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赤城門 akajyoumon


   赤い幻影 akaigenei ~覚醒編~



     赤城門 akajyoumon



尾張を抜け伊勢に入ったとたんに、琵琶家一同は高虎の歓迎を受けた。


今回は大いに気合を入れていて、実子や養子に取った者数名を侍らせている。


「お前以上になる可能性がないやつらばかりだな…」


幻影の毒舌に、誰もが大いに眉を下げていた。


「…お前が俺の家臣を選定してみせろぉー…」と高虎が大いに悔しがって言うと、「…おー…」と高虎の取り巻きたちが低くうなった。


もちろん、天狗と同等の立場で言葉を交わしたからだ。


「あ、そこの槍持ちの君!」と幻影が声をかけると、もうすでに源次に捕まっていて連れてこられた。


「おまえの目は節穴か」という幻影の言葉に、「…自信があったから連れてきたぁー…」と高虎は何とか言ったが、まさか自分の勘が的を得ていたことにも驚いていたのだ。


「俺は槍使いには弱いんだよねー…」という幻影の言葉に、琵琶家一同は大いに笑った。



この地にも関という地があり、琵琶家一同は高虎に休憩用の空き地をあてがわれた。


「野宿しろってか?」と幻影は言いながらも、もう基礎工事を始めていた。


そしてあっという間に、雨風をしのげる屋敷が完成していた。


「…いや、こういう屋敷もよいものじゃ…」と信長は大いに陽気に言って、一番に屋敷に入った。


まずは保存食である程度腹を膨らませながら、幻影たちは本格的に調理を始め、誰をも大いにうならせた。


巖剛が空き地で鼻を鳴らしていて、ついには地面を掘り始めたので、幻影と弁慶が手伝って、冷泉ではあるが温泉が湧いた。


湯沸かし機械を備え付けて豊富な湯を湯船に流すと、巖剛はさも当然のような顔をして動物たちとともに入浴を始めた。


そして幻影たちは簡素な造りの小屋と衝立を建てて銭湯を作り上げて、全てを高虎に献上した。


「…儲かった…」と高虎が大いに感動して言うと、幻影は大いに笑っていた。


「協力できて何よりだよ」と幻影は気さくに言った。


すると津城下の法源院屋の店主と番頭、丁稚が走ってやって来て、早速幻影たちに掘立小屋を作ってもらって商売の準備を始めた。


『天雲琵琶家臣熊の湯』と名付けられ、早速看板が立った。


街道沿いでもあるので、小休止するにはもってこいの場所でもあった。


「そういえばお前、京に領地を持ってなかったか?」


幻影の言葉に、「ウオォ―――ッ!!!」と高虎はこれ見よがしに勢い良く叫んだ。


そしてその場所を知ると、「いや、本当に残念だ… できればさらに西だったらよかったんだが…」と幻影が眉を下げて言うと、「安土に近すぎたか…」と信長も残念そうに言った。


「じゃが、津から大和までの一直線の領地は、使えそうじゃが?」


信長の言葉に、「京ではなく大和でもいいか… 一度行ってよく知ってるし…」と幻影は大いに考え込んだが、決断はしないことに決めた。


もちろん信長も賛同して、「慌てることはない」と穏やかに言ったが、高虎としては、―― 慌てて決めてもらいたいぃー… ―― と発言したいほどだった。



思わぬ休息をとることにもなり、微小ながらも高虎の協力ができたことを喜んで、ついに懐かしく思えるにおの湖が見える守山までやってきた。


琵琶家一同は北上して、今日は安土の屋敷で休むことにした。


大久保将代は琵琶家一同の到着はもう知っていたようで、屋敷の前で頭を下げて、将代の世話係たちとともに待っていた。


挨拶もそこそこに、草太は将代に寄り添って、幻影との武勇伝を陽気に話し始めた。


「…あっちの母も好きかぁー…」と蘭丸はうなって大いに悔しがっている。


「怠けてはいなかったようだからな」と幻影が陽気に言うと、「…お前、まさか、妾など…」と蘭丸は大いに疑っていたが、「…赤子同然…」と幻影が言うと、「あ、よかったっ」と蘭丸はなんでもなかったことのようにかわいらしく明るく言った。


「明日、仕事を手伝わせれば、

 次に会った時はさらに雄々しくなっているだろう」


「…気の長い話だな…」と信長は眉を下げて言った。


「素質の問題が大きいのです。

 我が流派の女官たちは、

 ある意味男と何も変わりませんから」


「そんなもの当り前」と蘭丸は言ってから少し考えて、「…女の方が条件は厳しい…」と言い直した。


「だから力以外の力も必要だし、期待しているんだよ」


幻影は言って長春と政江を見た。


「…必要だ…」と蘭丸はすぐさまつぶやいた。


すると彦根城主の井伊直勝もお付きを連れてやってきて、信長と朗らかにあいさつを交わした。


もちろん態度は同じ大名として対等の立場としての口調に変わっていた。


さらにはさらなる大業をもう半分終えた労いの言葉も大いにかけた。


この安土は本当に住みやすい第一の家だと、琵琶家一同は大いに感動していた。



するとなぜだが外が騒がしくなり、「琵琶殿! 琵琶殿!」と武家らしき者が叫び始めた。


忍びのひとりが姿を見せて、「この度新設された淀藩藩主の松平定綱様でございます」と信長に報告した。


「引っ越し中か…

 さぞ楽にここまでやってこられたはずじゃろうて」


信長は機嫌よく言って幻影に目配せをすると、幻影はすぐさま立ち上がって玄関に出た。


「これはこれは元掛川藩主」という幻影の言葉に、「数日前に引き留めたではないか?!」と定綱は機嫌が悪そうに叫んだ。


もちろん幻影とはある程度は顔見知りで、多少は気さくな仲でもあった。


「忙しいんだ、察しろ」という幻影の言葉に、「…反論できないぃー…」と定綱は大いに眉を下げて言った。


もちろん、現在は幕府からの指示の街道舗装工事のさなかにあるからだ。


「ふん! 松平か」と井伊直勝が喧嘩を売るように言うと、「だまれ、この下働きの井伊!」と定綱も負けてはいなかった。


「喧嘩するんならふたりとも帰れ」という幻影の言葉に、どちらもが強制的に黙り込んだ。


「仲よくしろとは言わんが喧嘩はすんな。

 ふたりとも琵琶家出入り禁止にするぞ」


何よりも幻影のこの言葉が怖いので、どちらも黙り込んで、お互いの視界に入らないことに決めた。



「淀城の再建?」


定綱の話を聞き終えた信長は大いに怪訝そうに言った。


「京の城はすべて廃城となっております」という幻影の言葉に、「…建っておるだけか…」と信長は大いに眉を下げて言った。


「問題は材料だろ?」と幻影が見抜くと、定綱は大いに眉を下げてうなづいた。


「いらん城を全部解体すれば、

 片付けもできて、

 さらには立派な城が建つぜ」


幻影の言葉に、「…人足費用がぁー…」と定綱が嘆くと、「天雲大名を頼ってみろよ」と幻影はにやりと笑って言った。


「琵琶様、まさか、本当に…」と定綱が言うと、「再度築城の理由を語れ」と信長は即座に聞いた。


「はっ 京は何かと金がかかるので、

 藩という考えではなく役所を建てるという意味合いが近いようです。

 よって藩主と言っても、

 淀の地は天領と何ら変わりがないものと…」


定綱が最後は少し落ち込んで言うと、「だったら立派な藩主にしてやろうじゃないかぁー…」と幻影が大いにうなった。


「淀に琵琶家の町を作る!

 知っての通り、

 その地は琵琶家の領地となるから、

 よくよく考えて回答せよ!」


信長の言葉に、「ははぁー…」と定綱は今はこの話に流されようと思い、ただただ肯定して頭を下げた。


「川で安土とつながっているのもよいな」と信長は機嫌よく言って何度もうなづいている。


「できれば高虎のためになった方がよかったのですが、

 また別の方法を考えますよ」


幻影の陽気な言葉に、「…先ほどご挨拶を…」と定綱は大いに眉を下げていうと、信長も幻影も興味津々となっていた。


「…ずっと、高願殿の自慢話をされて…」と定綱が言うと、「すべて手伝ってやるから早々に書類を認めろ」と幻影は気合を入れて言った。


「…おお… ありがたく!」と定綱は叫んで、笑みを浮かべて頭を下げた。


幻影は書を認めて鳩を飛ばした。


「秀忠に伝えたから早々に淀に入れ」という幻影の言葉に、定綱は大いに慌てながら、なんとか挨拶をして屋敷を出て、旅の続きを再開した。



琵琶家は一日休息しただけで、早々に京までの街道整備を再開したが、わずか二日で終了した。


そして儀礼を兼ねて御所に行き、機嫌のいい後水尾と謁見して、御所からは遥か南に離れているが、淀に琵琶家の町を作る予定があることを話すと、「…これほど喜ばしいことはない!」と後水尾は声を張って言った。


「もちろん、公家なども訪れるんだろうが、

 今まで通り、態度の悪いヤツは締め出すからな」


幻影がにやりと笑って言うと、「そんなもの当たり前だ!」と後水尾はさらに陽気に叫んで高笑いをしたほど機嫌がいい。


公家の世間一般の礼儀作法を琵琶家が行うとなれば、後水尾にとって一石二鳥となるからだ。


この件は法源院信右衛門にも伝えられ、単身早々に淀に入った。


いろいろと下調べは最重要なのだ。


そして琵琶家一同は、大内裏の道路整備を始めた。


それなりに広い道もあれば狭い道もあるのだが、格子状にまっすぐに伸びているので、細かい手間はかかったが、わずか二日で舗装工事は終了した。


さすがに側溝工事が追い付かないので、二日間を使って京の都は生まれ変わった。


やじ馬たちが多くいて、「…さすが琵琶家だぁー…」と口々につぶやくだけで話しかける者は誰もいない。


もう何人も公家や武家が叱られている姿を見ていて恐怖していたからだ。


幻影と弁慶の官位を語るだけで、誰もが黙り込むので当然のことだ。


幻影たち食料調達係は後水尾から紹介を受けた数カ所の庄屋に立ち寄って、たんまりと食材を買い込んだ。


「…こ… これは…

 これはけしからんな!」


信長は大いに目を見開き大いに陽気になった。


丹波篠山で仕入れた米が予想以上にうまかったからだ。


まるで主食と副食が入れ替わったように、誰もが飯ばかりを大いに食らう。


料理にそれほど手が伸びないのはほぼ今まで通りだが、百人ほどで三百人前以上の料理をぺろりと食べた。


もちろん京での宿は法源院屋本店なので、多く抱えている従業員一同と親交を深めたのだ。


京の法源院屋には武家もいれば公家もいる。


幻影は番頭のひとりの公家の出の広橋兼高に興味津々となった。


この家の隠居の信右衛門が淀から帰ってくると、早速下見の話を信長と幻影に行って、兼高を淀の店の店主に任命した。


「…ご隠居様ぁー…」と現在の法源院屋の殿様ともいえる、法源院の姓をもらった大店主の信三郎は大いに眉を下げて嘆いた。


「おまえだってワシの番頭だった」と信右衛門にこういわれると、信三郎としては返す言葉もなかった。


「淀の店が、本店にならないように気合を入れることじゃな」


信長の言葉に、信三郎は大いに眉を下げてから頭を下げた。


「ついては修行として、この兼高を琵琶家に同行させてはくださらんか?」


信右衛門の願いは簡単に受け入れられて、兼高は琵琶家の一員として召し抱えられてしまったのだ。


「幻影の目に狂いがあるはずがない」と信長が言うと、「ずっと目をつけておりました」と幻影はにやりと笑って答えた。


兼高には寝耳に水の話だったが、この幸運に喜んではいたものの、ひとりひとりが化け物でしかない家人たちに向けて眉を下げていた。


「心底の商人は琵琶家にはいない。

 その代わりを俺がやっていたようなものだから、

 淀の店ができるまでは、

 兼高さんに仕入れはお願いするから。

 手下は琵琶家の誰でもいいから使ってくれていいよ。

 丁稚が必要だったら、

 兼高さんが引き抜いたっていい」


「…高願様ぁー…」と信三郎は大いに眉を下げて嘆いた。


「兼高さんはそれほど無謀なことはしないさ」という幻影の気さくな言葉に、「…は、はい…」と信三郎は何とか答えて頭を下げた。


兼高は早速丁稚を三名抱えたが、信三郎は大いに怪訝に思っていた。


予想とはまるで違う丁稚を選んでいたからだ。


「これはいい!」と信長は陽気に言って、丁稚三人を早速孫にして陽気に接した。


「本店から抜くべきではない丁稚はひとりもいない。

 兼高さんは将来性を見抜く目を持っているようだ」


幻影の言葉に、信三郎も兼高も笑みを浮かべて頭を下げた。


「よってその目だけは本店に置いておくべきだ。

 淀の店の店主となっても、

 信三郎さんの目となって働いた方がいいと俺は思っている」


幻影の力強い言葉に、兼高はすぐさま頭を下げた。


「ありがとうございます」と信三郎は笑みを浮かべて幻影に礼を言った。


「あとは、宇和島のお安ちゃんを本店に戻せば?

 特に初期の琵琶家とは昔馴染みだから。

 実は淀の店はお安ちゃんに来てもらおうと思っていたんだけどね。

 だがここは、情は捨てた」


「はい、早々に人選をして、安春を本店に戻します」と信三郎が言うと、幻影は笑みを浮かべていた。


信右衛門も何度も機嫌よくうなづいていた。


「…商売も非情じゃ…」と言った信長に、特に商人たちは一斉に頭を下げた。



休養もそこそこに、琵琶家一同は整地をしながら淀に向かった。


重い作業車を引っ張るだけなので、ほどなく淀に到着した。


町ではあるのだが、人はまばらだ。


しかし茶々である淀君が生まれた城でもあるのか、城主がいなくても人は住んでいて、基本的には農業に勤しんでいる。


昔と比べると今はため池程度となってしまった巨椋池の跡地を農地に変えたのだ。


幻影は登城する前に、農家を見て回って、琵琶家専属の農家を抱え込んで、兼高に管理させることにした。


そして琵琶家一同は作物はそのままに農地改革を行った。


まさに繊細な作業に、農民たちは大いに目を見開いていて、輝いているように見える畑などに笑みを向けていた。


そして丁稚たちの初仕事は、農地の回りに琵琶家と法源院屋の幟を立てることだった。



すると登城する必要はなくなり、淀藩藩主が護衛を引き連れて走ってやってきた。


「どうでもいいが、申請書はできたのか?」と幻影が叱咤するように定綱に言うと、「…うう…」と定綱はすぐさまうなった。


「まさか、手下にすべてを任せてるんじゃないだろうな…

 ここは殿様の威厳を発揮するため、

 お前自身が書き上げるべきだ」


幻影の言葉に、定綱は返す言葉もなくうなだれた。


「まあいい…

 だから、お前に短期の学士を紹介してやる」


幻影は言って影達を見た。


「中山道の作業に入るまでは、しばらくはこの辺りをうろうろしてるから。

 だから短期と言った」


幻影の言葉に、影達は、―― これも修行 ―― として、朗らかに仕事を受けた。


「では城に帰りますぞ」と影達は言って、定綱を引きずるようにして淀城に戻った。


「同じ松平だから扱いも楽だな」と信長は言って鼻で笑った。


「やはり我が家には、容易に話が通じる大勢の配下が必要なのでしょう」


幻影の言葉に、信長は機嫌よく何度もうなづいた。



琵琶家の物見遊山は、現在も建築中の大坂城だった。


現在の大坂城の城主は将軍家光なので城主は不在だが、もちろん城代はいる。


城代は交代制で、今は保科家がその任を帯びていて、居心地が悪そうな顔をして琵琶家一同と面会をした。


しかし明智静香の子の竹松の親戚でもあるので無碍な真似はできない。


琵琶家一同はその足で狭山藩に飛ぶと、「…お兄ちゃんが怖いぃー…」と政江が冗談交じりに言った。


狭山藩は北条が管理している領地だからだ。


幻影は藩主の北条氏信と謁見してすぐに、「長くはない」といきなり言い放つと、政江は本気で怯えた目を幻影に向けた。


「この氏信は政江の作品ではないからな」


幻影の言葉に、政江はほっと胸をなでおろした。


「殿様は陽気で元気で実直でなくてはならない。

 それが、藩主としての責務だろうし、

 当然のことだ。

 家臣たちに怪訝に思われていれば、

 北条家自体が存続の危機にあるはずだ」


幻影の言葉は、全ての者の心を見透かしてきたと感じていて、幻影に向けて恐怖の感情を芽生えさせた。


「しかも、私利私欲ばかりで、

 よい政治をしようなどと思ってもいない。

 ここにいても何の利もありませんので、

 農地を回ってからほかの地に参りましょう」


幻影の進言はすぐさま了承されて、「邪魔をした」と信長は言って立ち上がって堂々と廊下に出た。



琵琶一族は高野山に飛んで、幻影は信繁の墓参りをした。


「…かわいそう…」と同行してきた阿利渚がいきなり言って涙を流した。


何の会話もなかったので、阿利渚は獅子丸から話を聞いたのだろうと幻影は察した。


「…あ、うん… それはわかってる…」と阿利渚は少し大人びた言葉で言った。


「ただの復讐でしかないが、

 俺としてはお師様の生きて行く希望だったと思っていたいんだ」


幻影の言葉に、「…満足して空に返ったって… でもね… 本当のことをぜーんぶ知っていたんだって…」という阿利渚の言葉に、幻影は顔を空に向けて涙した。


「…あのね、全然関係ない話なんだけどね…」と阿利渚が妙に歯切れが悪い口調で言った。


「別にいいんじゃない?」と幻影が阿利渚の腕輪を見て言うと、その腕輪が消えた。


そして雄々しき鬣を持った獅子が幻影の目の前にいてすぐさま座って頭を下げた。


「まずは動物から?」と幻影が笑みを浮かべて聞くと、阿利渚が陽気に獅子丸に抱きついた。


そして、「この方がいい!」と阿利渚はさらに陽気になって叫んだ。


幻影がふわりと宙に浮くと、獅子丸も浮かんだので、阿利渚は大いに慌てて獅子丸に飛び乗った。


三人は大空を満喫して高野山に向かって飛んだ。


琵琶家一同は大いに目を見開いていたが、「…獅子丸様…」と弁慶が言って頭を下げると誰もがようやく理解できていた。


「…ついに生物となったか…」と信長は大いに眉をひそめて言った。


すると獅子丸は阿利渚の冬用の獣の上着に変身したので、誰もが大いに笑った。


阿利渚は機嫌よく羽織って、「冬でも寒くない!」と陽気に叫んだ。



「…この子は動物じゃないぃー…」と僧侶の前で少々豪華な昼餉を食べながら、長春は眉を下げて獅子丸に言った。


「修行として動物扱いでいいはずだ」と幻影が言うと、『…ゴルルル…』と小さな声で獅子丸がうなった。


「そうしたいって!」と阿利渚は陽気に幻影に言ってから長春を見た。


「それにね、淀にたくさん仲間がいたって。

 猫ちゃんたち!」


阿利渚の陽気な言葉に、「…忍び猫だな…」と幻影が感心しながら言うと、「…いたけど姿は見せなかったの…」と長春は悲しそうに言った。


「…なかなか悪いヤツもいるようだな…」と信長が眉を痙攣させながら言うと、僧侶たちは一斉に手のひらを合わせた。


僧侶と認められているひとりだけは手のひらを合わせていない。


それはもちろん妙栄尼だ。


「その猫たち、悪いことしていないのかしら?」と妙栄尼が獅子丸に聞くと、全身の体毛を逆立たせたので、阿利渚が陽気に笑って体をなでた。


「…そうか、コソ泥か…

 ならば罰を受けたということにもなるな…

 人間とともに暮らすのならば、

 多少は媚を売ることは重要じゃ」


ここにいる動物たちはまさに大いに媚を売って暮らしているに等しい。


巖剛は堂々としているように見えるが、ある意味、幻影に媚を売りながら行動しているので、一匹も例外はいない。


「琵琶御殿を猫屋敷にするおつもりか?」と幻影が信長に聞くと、「慣れたら忍びたちが何とでもするさ」と信長は気さくに答えた。


「…確かに…

 ですがあの気配の消し方は動物と言えども見事だと…

 …由緒正しき忍び猫でも先祖にいるのか…」


「じゃが、全てではないから、

 行き届いていないヤツは傷を負っているわけじゃな。

 頭目猫がいれば、指示を出して大人しくさせておるのじゃろうて」


「…おもしろい…」と幻影はつぶやいて、早々に食事を終えて片づけを始めた。


「人間ではないもの相手にあれほど必死になる幻影を見たことがない」


信長の言葉に、「それほどの資質なのでしょう」と弁慶は答えて食事を終えて幻影に倣った。


―― 猫に負けてる… ―― と琵琶家の半数ほどは感じていた。



琵琶一家は空を飛んで、あっという間に淀の琵琶家の町建設予定地にやってきた。


この件は最重要事項で、城から何人も役人が出ていて測量や線引きをしていたので、その場所は一目瞭然だった。


まずは許可が出た場所に貯蔵庫を兼ねた工房を簡単に作り上げ、琵琶家一同は寛ぎ始めた。


すると、『…ナーン…』と子猫の鳴き声が聞こえたはずだが、もうすでに気配がない。


「出たぞ。

 全員で探れ」


幻影の言葉に、門下生たちは神経を集中させて、気配だけを追い始めた。


「返さないよ!!」と黒い子猫を抱いている阿利渚が黒猫から走って逃げながら叫んだので、幻影は大いに笑った。


「…阿利渚は忍びとしてはもう一級品だな…」と幻影が大いに眉を下げて言うと、「…ほかのやつらの修行にならん…」と蘭丸は言ったが、満面の笑みを浮かべていた。


「…ある意味、あの黒猫も獅子丸と同じで動物じゃないぃー…」と長春は悲しそうに眉を下げて言った。


その獅子丸は今は幻影のそばにいて、我関せずを貫いているような態度で、おやつをもらって喜んでいる。


「ちょいと働いてきてくれ」と幻影は言って、おやつをふたつ渡すと、ひとつはすぐに食べて、もうひとつは前歯で咥えて、雄々しき肉体を揺さぶって阿利渚を追いかけた。


「おやつおやつ!」と阿利渚は走りながら陽気に言って、獅子丸からおやつを受け取って、少しだけちぎって黒猫の子猫に与えた。


そして阿利渚は立ち止まって振り向き、黒猫に向けて、「うふふ」と笑った。


黒猫は威嚇することなく、愛らしい子猫を見入っている。


そして黒猫は獅子丸の小さな語りかけに応えるように、双方ともが小さな声でうなり始めた。


『…フー…』とため息を漏らすように黒猫が鳴くと、すたすたと阿利渚に寄ってきた。


阿利渚が笑みを浮かべて残っている餌を与えると、黒猫はひったくって必死になって食らった。


「とと様、すっごく厳しいよ?」と阿利渚が言って黒猫の体をなでると、黒猫は全身の毛を逆立てて、尻尾を丸めた。


「厳しいけど、怖くないから」と阿利渚が言うと、黒猫はようやく落ち着いて、『ニャーン』と少し鼻にかかった声で鳴いた。


阿利渚は黒猫を抱いたまま、幻影に向かって走って行った。



「…お前以外には、資質のあるやつはいないようだなぁー…」と幻影がうなるように言うと、黒猫は大いに怯えて、『話が違う!』というような目を阿利渚に向けた。


「まあいい…

 仲間がいればここに連れて来い」


幻影の言葉は阿利渚から獅子丸経由で黒猫に伝えられているので、黒猫は素早く走ってその姿は木陰に消えた。


「こりゃ優秀だ」と信長は上機嫌で言って何度もうなづいている。


すると二十匹以上の猫がやってきたが、すぐさま長春によって自由の束縛を受けて固まった。


黒猫は大いに目を見開いて、長春を見入っている。


そして長春は眉を下げて、五匹の猫を幻影に差し出した。


「…今まで不自由だったことがお前たちへの罰だった…」と幻影は言って、正常化の棺を出して、猫たちを本来の姿に戻した。


「…うふふ… よかったぁー…」と長春は言って、明るくなった五匹の猫たちを代わる代わる抱き上げた。


阿利渚は人質を解放するように子猫を黒猫に向けたが、もう興味はないようでそっぽを向いた。


まさに親の勝手な判断の親離れとしたのだ。


だが長春が言い聞かせると、黒猫は子猫の母に戻っていた。


そして黒猫は、この工房の敷地内から出ることはなかった。


渋々だが従ってやろうというような態度だったことに、幻影は愉快そうに笑っていた。



幻影たちは淀に留まり、仕入れた食材で菓子や保存食などの下ごしらえをしていると、門下生たちがかなり離れた場所に一斉に集まって、押し問答が始まった。


「直訴です」と幻影が言うと、「ふむ…」と信長は少しうなってから、「民衆のひとりとして聞いてやれ」と幻影に指示を出した。


幻影はすぐさま頭を下げて、騒ぎが起こっている場所に走った。


「どうか天狗様にお目通りを!」と女は叫んでいる。


なかなか物知りのようだと思い、幻影は女の視界に入りながらもその背後に陣取った。


女は幻影に目を向けなかったので、天狗の正体は知らないようだ。


「あんたの言う天狗がここにいるんだけど?」と源次が察して気さくに言うと、女は大いに戸惑った。


「それに何も語らなくてもすべての事情は知ったはずなのに何も言われない。

 だからあんた側にも否はあるはずなんだ」


源次が畳みかけると、女は大いにうなだれた。


「自分の否を顧みない直訴など、

 受け入れた時に困るのは我らだ。

 その点を考えてないよね?」


源次は穏やかだが厳しかった。


「…おっと、天狗様から交信が…」と源次が言うと、誰もが大いに笑って横目で幻影を見ていた。


「当人は今の生活に満足している。

 あんたは自分の否を隠し、

 あんたの妹を元の生活に戻そうと考えた。

 実は本当はあんたが、ある藩の藩主に見初められて輿入れするはずだった。

 それを強行に拒んだために、妹が連れ去られたが、

 妹は全く拒まなかった。

 よってあんたは親の気苦労にかこつけて、

 妹の縁談をぶち壊してもらうために天狗に直訴に来た。

 今回の件はある意味、妹に向ける嫉妬心も含まれている。

 そんな直訴を受けるわけないだろ?

 しかもあんたの妹は、

 我が琵琶家に興味津々だ。

 できれば琵琶家に横からかっさらってもらえればと思ってもいたようだ。

 もちろん、あんたにもその想いがある。

 …ああ、琵琶家はある意味化け物集団だ。

 特に天狗は本物の化け物だぜ」


源次の言葉に、女は火が出るような目を向けたが、「騒ぎを起こしても徳はない」という源次の追い打ちの言葉に、女は大いにうなだれた。


「あんたが初めてなわけじゃない。

 この程度の直訴など日常茶飯事なんだ。

 そして我らの仕事の邪魔をした。

 我らの仕事が一時遅れただけで、

 この日の国の困っている人がひとり死んだかもしれない。

 だからこそ、我らに関わるな」


源次の厳しい言葉に、女は頭を垂れたまま踵を返して、元来た道を歩いて行った。


「…淀藩から警備も出してもらうかなぁー…

 まあ、俺たちのわがままのようなものだが…」


幻影がつぶやくと、「今後のこともあるから、決め事として依頼してもいいと思うよ」と源次は賛同した。


「…喜ぶ者も多いかと…」と弁慶が言うと、誰もが大いに笑った。


「そうだな。

 末端の者たちに喜んでもらえるならいいことだろうし、

 雇ってもいい者が現れるかもしれない。

 無理のない範囲と言って、十名程度なら問題はないだろう」


幻影は言ってすぐに、淀城に飛んだ。


そして定綱の仕事の邪魔をして、今あったことを話した。


「門前払い役、引き受けましょうぞ」と定綱は機嫌よく言って、家老に警護の者を十名出すように伝えた。


「独自に警備もしているから、

 誰に声をかけてもらっても話は通じるから。

 恩に着るよ」


幻影が言ってふわりと浮かぶと、「…恩を返してもらえるぅー…」と定綱は大いに喜んでいた。


もちろんこれも幻影の手でもある。


無理のない範囲であれば、少しでも力になりたいのだ。


特に定綱は大業を果たそうとしているので、手伝わない手はない。


もちろん、秀忠の策略のひとつだろうと幻影は思っていたが、これはただの偶然の出会いと出来事でしかなかった。



幻影は工房に戻ってからものづくりに拍車がかかって、早速法源院屋の小さな店を作り上げて商売もしてもらった。


始めは数人しか客はいなかったのだが、一時もすれば数百人が競って商品を買い求めたことで、「…どこにいたんだ…」と幻影は眉を下げて言った。


「大盛況だな」と守山が江戸から帰還して笑みを浮かべて言った。


そして淀城建設に関わる詳しい内容を信長と幻影に話してから登城して行った。


「…二条城の新築工事の際の廃材…」と幻影は大いに苦笑いを浮かべて言った。


「琵琶御殿でよいよい!」と信長は機嫌よく言った。


「…高虎の手伝いにもなりますので問題はないでしょう…」と幻影が眉を下げて言うと、その高虎が騎馬五十を引き連れてすっ飛んできた。


「二条城?」と幻影が眉を下げて言うと、「守山殿にもう聞いたかっ?!」と高虎は大いに悔しがった。


「家族の一員だからな。

 もちろん、手伝うぜ」


幻影の言葉に、「おー… おー…」と高虎はうなって、信長と幻影に頭を下げた。



琵琶家一同が京の法源院屋で食事を摂っていると、守山が戻ってきた。


そして開口一番に、「定綱殿が早速恩を返せと言ってきた」と報告すると、幻影は大いに笑った。


「元々手伝うことにしていたんだ。

 詳しい内容は?」


「淀城の設計そのもの」と守山が大いに眉を下げて言うと、幻影も大いに眉を下げて、「…恩を返す時期が早すぎると思う…」と嘆くように言った。


「もちろん反対したさ。

 建築するにしてもそれなりに時間はかかることだし。

 だがまずは基本になるものを決められないそうだから、

 真っ先に恩を返してもらうと言い放ったんだ」


「…安土城を建ててやろうかぁー…」と幻影がうなると、信長は機嫌よく笑った。


「…それも言ったが、反対されなかった…

 まあ、年齢的にも知らないからなぁー…

 資料もほとんど残ってないし…

 知っている者を探す方が至難の業だよ。

 当時の老体も今はほとんど墓石の下だし…」


「…二条城が安土城に…」と幻影が言い始めたので、高虎が号泣を始めた。


ほんの数年前に秀忠と高虎とで二条城の再建を終えていた。


その時に出た廃材を淀城建築に使うそうだ。


「淀城の設計は安土城の真似をさせろ」


信長の言葉に、「はっ すぐさま使いを出します」と幻影は言って、素早く書を認めて、草太に渡した。


すると竜胆が不貞腐れたので、「草太、悪いな… 横流ししてくれ…」と幻影が眉を下げて言うと、草太は笑みを浮かべて竜胆に書を託した。


「影達は知らんじゃろ?」と信長が聞くと、「いえ、私が覚えている限りの知識は与えてあります」と幻影は機嫌よく言った。


信長は深い笑みを浮かべて何度もうなづいている。


もちろん、巨大な天守を築くわけにはいかないので、安土の琵琶屋敷を少し大きくしたものだ。


しかし見ようによっては、知っている者であれば、安土城が復活したと思うだろう。


だが逃げ道はある。


大和の法隆寺の六角堂などの真似をしたと言えば、誰だって納得するのだ。


問題は秀忠だけにあるが、拒否されれば新たに設計するだけだ。


よって原案に琵琶高願の名を必ず載せるように書に認めてあるのだ。


それをしないと、上様から怒りの言葉を食らうとも書いてある。


「…京に安土城…

 我が野望が叶う…」


信長は大いに感動して言って、今までよりもさらに陽気にうどんをすすった。


「おめでとうございます」と幻影が笑みを浮かべて言って頭を下げると、高虎と蘭丸もすぐに追従した。


「城に住んでいては、城の全貌が見えぬから、ここに住んでいれば丁度良い」と信長は強がりではなく機嫌よく言った。


「…私は住みたいけど、階段がない方がいいから御殿がいいわ…」と濃姫が現実的なことを言うと、信長は大いに眉を下げていた。



この五日後、幻影たちは淀に琵琶御殿を建て終えて、休息をとっていた。


建設に関わる書類一式は幻影が書き上げて、家光から許可をもらっていた。


すると北から鳩が飛んできて、手を上げた長春の手の甲に機嫌よく止まった。


幻影は朗らかな表情の長春から書を受け取って読むと少し笑った。


そして信長に見せると、勢いよく笑い始めた。


『本当はダメだけど、家光の城だから許可!』と力強く書かれていたのだ。


京と大坂のほとんどは天領なので、もちろん将軍が殿様だ。


主が決まっているので、将軍家としては文句はないといったところだろう。


「おや? となると、定綱は城を建てに来ただけ?」と幻影が怪訝そうに言うと、「一国一城の主として、一から経験を積ませる手じゃろうて」と信長は機嫌よく言った。


「今のところは淀藩を存続させて天領に戻す予定…

 なるほど…」


幻影は言って大いに納得してうなづいた。


「となると、定綱は見込みありと、秀忠も家光も判断したようですね」


幻影の言葉に、「教え方ひとつで大いに変わられました」と、琵琶家に戻っている影達が報告した。


「淀藩を取りつぶしにする必要はなくなるのかもね」と幻影は陽気に言った。



翌日の早朝から、二度目の朝餉までの間だけ、京を中心にして街道整備作業を始めた。


商人の町なので、明るくなる前に作業を終えて、それ以外の時間は琵琶家の町づくりに勤しむ。


もうすでに法源院屋は立派な店舗を構えていて、ほぼ子供相手の商売を始めている。


しかし朝夕晩と必ず大人たちがやって来て並ぶ。


まるで琵琶家の食事の真似をしようと企んでいるようだった。


しかも、それは間違いではなく、琵琶家の食事用に大量に作り上げて、余るものを法源院屋に卸しているのだ。


だがこれもあと十日も続けば終わりだ。


西国街道の整備にかかってすぐに、中山道の整備に入ることに決めていたからだ。


しかも、彦根辺りまでは整備は終わっているので、もう三分の二は終わっていることと何も変わらない。


中山道は彦根から山道が多いので、街道の道幅を広げる工事が主な仕事になる。


しかも前橋の南の高崎に出れば勝手知ったる我が家のようなものなので、終わりと言っても過言ではない。



京の都近隣を走り回ることで、様々なものが見えてくる。


まずは、京の住人は比較的怠け者が多いことだ。


早朝とはいえ働いている者が江戸に比べて少ない。


京を離れて大坂に近づくほどに、早朝から働いている者たちに出くわすようになるので非常にわかりやすかった。


「京の住人は生活態度も性格も公家の真似をしている」


幻影の言葉は的を得ていて、「話し方もその通り」と信長は眉を下げて言った。


「ある意味、強かな性格と言ってもいいようです。

 おっとりした見た目とは違い、

 心の内はそうではない。

 この性格診断を、京の住人はしていないと思います。

 何かに巻き込まれると、

 前に淀に来た女のように、

 少々めんどくさいことを言い始めるのかも…」


幻影の言葉に、「今日の昼に安土に入る!」と信長はいい予感がしなかったようで慌てるように宣言した。



淀は大坂に近い分、御所近辺の住人とは違うことはよくわかっていた。


しかし朝餉を簡単に終わらせて淀城に登城して、定綱にしばしの別れの挨拶をしてから、近いのだが大きな街道は人通りが多いので空を飛んで安土に入った。


安土の琵琶御殿では将代に大いに歓迎されて、一同は屋敷に上がり込んで、なぜだか全員が寝転んだ。


「一体、何があったのです?」と将代が眉を下げて聞くと、「精神的緊迫感からの解放」と幻影がひと言で言うと、信長は大声で笑った。


幻影が将代に説明すると、「この安土にも京に住んでおられた方からには、確かに感じます」とすぐさま肯定した。


「それが全員でないだけかなりマシ」という信長の言葉に、誰もがうなづいた。


琵琶家一同は起き上がり、この安土にも恩恵をと考え、様々なものを大量に作り始めると、人伝で大勢の者たちが法源院屋に集まってきた。


まさに、―― この日を待っていた! ―― と言わんばかりに、卸すものすべてが飛ぶように売れる。


ただ残念なのは、この安土には整理する廃材がないことだ。


よって子供たち限定で、長春と政江に加えて将代の三人が、子供たちの広場で菓子などを配った。


淀には二条城の廃材を運び入れたので、今頃はせっせと働いているはずだ。


すると広場に鳩が飛んできて、長春は機嫌よく書簡を幻影に渡した。


「後水尾?」と幻影はつぶやいて書簡を読んで少し笑った。


「御所に挨拶に行かずに出立したので怪訝に思っています」


幻影の言葉に、「ありのままを言ってやれ」と信長がにやりと笑って言うと、幻影はすぐさま書を認めて長春に渡した。


すぐさま書を鳩に仕込んで、「いってらっしゃい!」と叫んで、やってきたばかりの鳩を飛ばした。



琵琶一家は穏やかな時を過ごして、彦根城下を出てすぐに街道舗装作業を開始した。


山道に入ると作業車を、『通してなるものか』と言わんばかりに道幅が狭くなる。


幻影たちは難なく山肌を削りなだらかにして、樹木を植え替え整備をしながらずんずんと進み、ついに関が原までやってきた。


まだまだ人の姿はまばらで、二十年ほど前に合戦があった地そのままに、琵琶家を歓迎しているように見えた。


「お!」と幻影が叫ぶと、「あ!」と誰もが叫んで、看板が立っている森に近づいて大いに笑った。


『三つ葉葵阿修羅瞬断の木』と書かれていたからだ。


改めでまじまじとその切り口を見て、「見事なもんじゃな…」と信長が今更ながらに言うと、蘭丸は高笑いをした。


今日の作業はこの程度にして、宿を決める段階で、「上田でうまい飯」という信長の鶴の一声に幻影はすぐさま賛同して戦艦を宙に浮かべて飛んだ。



あっという間の上田琵琶御殿に到着して、与助の歓迎を受けた。


「誰かが待っているというのもよいものじゃ」と信長は与助に陽気に言うと、与助は笑みを浮かべて頭を下げた。


安土とこの上田以外の屋敷、御殿では、管理する者は雇っているが、住んでいる者はいない。


「土着民で資格、資質がある者を城代として雇いましょう」


幻影の言葉に、「よきに計らえ!」と信長は機嫌よく言って、くつろぎの間で機嫌よく寝転んだ。


「ですがよく考えれば、法源院屋の店主でもいいかと」という幻影の言葉に、「ああ、それでよいよい!」と信長は機嫌よく言った。


琵琶家専用農地の収穫物だけを使った料理と、丹波篠山の米の味に、誰もが大いに感動して大いに食った。


法源院屋の出張所もその恩恵にあずかって、大いに売り上げを伸ばして、売り子たちもうまい弁当を大いに食った。



山道での作業はまさに力仕事が多く、それに比例してそれほど側溝が必要ないので、力のない女性たちはこまごまとした仕事をすることが多くなった。


そして山道を半分ほど開拓してから、信長の鶴の一声で、女性たちは厩橋琵琶御殿で過ごすことに決まった。


もちろん休息というわけではなく、現地ではできない細やかな仕事をしてもらうためだ。


幻影たちはそれに必要になる素材を作り出して、女官たちに丁寧に説明した。


「…絶対に必要だと思うぅー…」と長春は言って、わずかだが気合を入れていた。


そして幻影たちは女官たちの昼餉の弁当をたんまりと作り上げ、前橋の法源院屋にも料理などを卸してから、山道の作業に戻った。


「…たくさんいても作業が思うように進まないことはよくわかったわ…」と今更ながらに濃姫が言うと、女性たちはすぐさま賛同した。


話をしながらも、女性たちはせっせと金属製の網を編んでいる。


軽い金属とはいえ、かさばるとかなり重いものになるので、それなり以上の力も必要だ。


よって普通の女性では仕事にならないことにもなる。


近隣の子供たちは琵琶家がこの前橋に来たのだが、仕事を始めてしまったので、自分たちも妙栄尼に廃品仕分け作業の仕事をもらって、小遣い稼ぎに勤しみ始めた。


するとどこで話を聞きつけたのか、近隣の諸藩からの使者が続々と現れたのだが、厩橋城からの警備が出ているので、早々に追い返される。


遊んでいるのならば取次もするが、今は幕府の作業中でもあるので邪魔はできない。


志乃が巨大な機械を使って網をゆっくりと巻き上げると、「おー…」と街道を行くやじ馬たちが声を上げる。


「…さすがに少し恥ずかしいわ…」と志乃はホホを赤らめて言った。


「大丈夫。

 沙織様など、きっと大いに叫んで巻くわよ」


濃姫が機嫌よく言うと、女性たちは控え目に笑った。


今日は竜胆とともに江戸城の警備に行っているので、沙織はいない。


一番小さい戦艦を飛ばせることが条件になっているので、誰が行ってもいいというわけでもない。


ちなみに、子供たちは山道側の手伝いがあるので、阿利渚たちは男たちの手伝いに余念がない。


手伝い手はこの程度で構わないので、今回のように離れて仕事を進めることになったのだ。


動物たちも山道の作業に従事しているので、長春は数羽の鳩しか仲間がいないので少し頼りなげだったが、どこで見つけたのか栗鼠の親子を手下として雇っていたので比較的陽気だ。


大勢いる猫たちは、山道の警備にあたっているので、御殿には連れてきていない。


思わぬ早馬などが現れると大いに危険なので、警備の気を抜けないのだ。


女性たちはおやつとばかり、食材を使って菓子などを作り上げて休憩も楽しんだ。


「…これも、先の見えない重労働のひとつですわ…」と志乃が巻き上げた巨大な金網を見て眉を下げた。


「…百ほどはいるのかしら…」と政江が眉を下げて言うと、「…足りないかもぉー…」と長春は眉を下げて言った。


女官たちも、それほど楽な仕事をしているわけでもなかった。



女官たちが十ほど巻き上げた金網を作り上げて、外で弁当を広げて食っていると、「近づくでない!」と役人の声が聞こえた。


「その子だけは許可するわ!

 連れてらっしゃい!」


珍しく濃姫が叫び声をあげると、女官たちは朗らかに拍手をした。


許可を与えた少女は町娘といった様相だったが、農民でもあるように女官たちは感じていた。


「この網を売ってください!」と少女は巻き上げた金網に指を差して言ったが、濃姫がその使い道を説明した。


「…徳川幕府のお仕事…」と少女はつぶやいてうなだれた。


「ある意味、将軍に献上するものだから、

 さすがに横流しはできないわよ。

 農地に獣でも出るの?」


濃姫のやさしい言葉に、「…それもありますぅー…」と少女は大いにうなだれて言った。


「だったら、もっと目の細かいものじゃないと、

 小動物だったらすり抜けちゃうわよ?」


濃姫の言葉に、栗鼠の親子が立てかけている金網をくぐって遊び始めた。


「特別に作ってもいいけど、

 わかっていると思うけど高いわよ?」


濃姫の問いかけに、少女は何も言えなくなってしまった。


「この厩橋藩の領地内なら、

 殿様に買わせることはできるわ」


「…あー…」と少女はさも残念そうに声を出した。


少女はこの近隣の者ではなく、米沢から行商に来ていると言った。


「定勝に買わせるから別にかまわないわ」という濃姫の言葉に少女は希望にあふれた目を向けた。


その濃姫はすらすらと筆を滑らせて、書き終えたものを少女に渡した。


そして長春が米沢城に向けて鳩を飛ばした。


「米沢から殿様が来るかもしれないわよ?」と濃姫が言うと、厩橋の役人たちは大いに戸惑って、一名が城に向かって走って行った。


「あんたも仕事に戻りなさい。

 その時がくれば呼ぶから」


濃姫の言葉に、「はい! ありがとうございました!」と少女は大いに陽気に礼を言って、書を落とさぬよう懐を抑え込んで、城下町に向かって走って行った。



濃姫たちが終わりのない仕事を進めていると、馬上の前田利益たち家臣を引き連れた上杉忠勝が街道に姿を見せた。


「…女官だけで…」と忠勝は大いに戸惑って言い、三十を超えてる巨大な金網の筒を見入っている。


「山津波防止用の網よ」という濃姫の言葉に、「…そうだ… 今は中山道の街道の山道の工事中…」と忠勝はどういうことなのかようやく理解を終えた。


「あんたにはこの金網を買ってもらうの。

 動物除けやその他もろもろで必要になるはずよ」


濃姫は言って、一間ほどの長さがある目の細かい網を出した。


すると書簡を託した少女が、肩に鳩を乗せて走ってやってきて、濃姫の勧めによって、少書簡を利益に手渡した。


「そうか、そなたの願いか」と利益は言って書簡を忠勝に渡した。


「…おばちゃんが直接言えばいいじゃん…」と忠勝が気さくに濃姫に言うと、「それだとこの子の願いがあんたに届かないでしょうが」という濃姫の少し怒っている言葉に、「…それはそうだ…」と忠勝は言って濃姫に頭を下げた。


忠勝は少女に顔を向け、「そなたの願いは極力聞き届けることに決まった」と言うと、少女は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。


「ちなみにどこの子?」と忠勝がかなり気さくに聞くと、「下郷でございます」と少女はごく普通に答えた。


「…うっ… まさか雲介の孫かぁー…」と忠勝が大いに眉を下げて言うと、「…えっ? あ、はい、そうですぅー…」と少女は大いに戸惑いながらも同意した。


「あら? あなたはこうなるように、お爺様に操られたのね?」


濃姫の言葉に、「…なんだか途中からそうじゃないかなぁーって…」と少女は言ってから、下郷のお蘭と名乗ると、誰もが大いに笑い転げた。


琵琶家のお蘭は男として扱われているので、現在は山道で作業中だ。


「…それにお爺ちゃん…

 あまりいい顔をしなかったんですぅー…」


お蘭の言葉に、濃姫の瞳がきらりと光った。


「米沢の農家はすべて回ったわ」と濃姫が言うと、「…えー… うちには来ておられませんー…」とお蘭は少し怯えながら言った。


「琵琶家が何をしているのか、

 何が目的で旅をしているのか聞いてる?」


「…あ、はいぃー…

 困っている方々の」


お蘭はここまで言って言葉を止めて目を見開いた。


「そう、あんたの家は困ってないから行かなかったの」


濃姫が堂々と言うと、「…ご面会だけでもしていただきたかったぁー…」とお蘭が嘆くように言うと、「それはさらにできないの」と濃姫は、少し口調を強めて言った。


「もしも、手助けをしなくていい庄屋に行って話をした時、どうなると思うの?

 あなたの家がどうなるのかだけでも考えて答えてみて」


お蘭は大いに考え込んで、「…まずは、抱えている作物を少しでもお金に換えたいので、お願いを…」と何とか言った。


「商談役はこう言うわ。

 おたくの作物はどこに出しても売れます、と。

 だからはるばる厩橋まで来たのでしょ?」


お蘭は目を見開いて、「…もう、ほとんど売れましたぁー…」と言って濃姫を見入った。


「私たちが手助けする必要ってあったと思う?」


「…ほかの農家よりはなかったと思いますぅー…」とお蘭は少し反省しながら言った。


「では、あなたの家以外の例を上げるわ。

 おたくの作物は天下一品ですよ、

 と琵琶家がほめた場合、

 欲が沸かないかしら?

 作物の値を上げ、琵琶家ご用達などとウソをついたりと…

 そういった悪知恵を働かせないために、

 農地だけを見て手助けの必要も会う必要もないと断定して立ち去ったのよ」


「…思ったよりもすごいことだったぁー…」とお蘭は言って、勢いよく濃姫に頭を下げた。


「…やはり、そこまで考えておられたかぁー…

 さすが本家…」


忠勝の言葉に、濃姫は愉快そうに笑った。


「おじいさんの機嫌が悪いのはね、

 そこまで考えが至らない、人生においての修行不足。

 ここまできちんとおじいちゃんにおっしゃいなさいな。

 さらに機嫌が悪くなるだろうけど、

 反省しなきゃさらにいい人間にはなれないわ。

 どうせなりたくもないなどと言い返すのでしょうけどね。

 私たちは武家でもあり農民でもあり漁師でもあり

 商人でもあり工員でもあり肉体労働者でもあるの。

 農業だけやっていればいいというような生活はしていないのよ」


濃姫の言葉に、お蘭は網を見入ってすぐさま頭を下げた。


「…お婆ちゃんは畑仕事と魚釣りはしないぃー…」と長春が言ったとたんに、「おほほほほ!」と濃姫はバツが悪そうにして大いに笑ってごまかした。


「…だから、法源院屋さんの商品はいつでも豊富なのですね…

 お金ができたので、たくさん買っちゃってましたぁー…」


「法源院屋があるから私たちの仕事も成り立ってるの。

 誰が食べても誰が使っても、

 できれば安くしてみんなに納得してもらえるような商品を作り出しているの。

 特におせんべいのほとんどは私の発案なのよ」


濃姫が自慢げに言うと、「…おじいちゃん、すっごく買ってましたぁー…」とお蘭が言うと、「おほほほほ! 勝ったわっ!」と濃姫は機嫌よく叫んだ。


「…特に、骨せんべいがおいしいって…」


「…それは琵琶高願の発案よ…」と濃姫は一気に落ち込んで嘆いた。


「安くて骨が強くなって、

 頭がよくなるかもしれないって触れ込みが気に入っちゃったみたいで…」


「うちの家人は何人も効果が出たわ」と濃姫は復活して堂々と言った。


「…米沢には骨せんべいってないよ?」と忠勝が眉を下げて言うと、「…今度送ってあげるわよ… 覚えていたら…」という濃姫の無碍な言葉に、忠勝はさらに眉を下げていた。


「ここに売ってるんだったら、買っていかれたらいかがです?」と志乃が言うと、忠勝はすぐさま家臣に買いに行かせた。


話は終わったとして、濃姫たちは本来の仕事を再開した。



日が傾く前に信長たちは重い体を引きずりながら、厩橋の琵琶御殿にやって来て、早速温泉に身をゆだねた。


するとみるみるうちに回復して、大いに空腹感を覚えたので、誰もが真っ先にくつろぎの間に急ぐ。


すると女官たちがもう調理を済ませて待ち構えていたので、遠慮なくうまい料理をむさぼった。


今日の料理長は志乃で、大いに心配そうな顔をしていたが、男どもの食いっぷりを見って安堵の笑みを浮かべた。


もちろん、食卓にあるものだけでは済まないことはわかっている。


「幻影、冷やし蕎麦!」と信長の言葉に、幻影は笑みを浮かべて立ち上がって厨房に消えた。


もちろん、数名の力自慢も手伝うため厨房に消えた。


「本日、新たなお仕事を頂戴いたしました」と濃姫が淑やかに言って、詳細に信長に報告すると、「ほう、なるほどな… となると、あとは風水害の対処だけか…」と信長が機嫌よく言うと、濃姫は、―― 予測していたこと… ―― と思い少しうなだれた。


すると長春が信長をにらみつけていた。


もちろん、それに気づかない信長ではない。


「網の作り方を誰に教わったんだ?」という信長の言葉に、女官たちはすぐさま気づいた。


「あの網はさまざななことに応用が利く。

 それを今日、一般庶民からの進言があって叶えることになったわけだ。

 我らは手伝いはするが、率先した発案はそれほどせん。

 本当に困っているのならば確実に直訴するかうわさが流れるはずじゃからな。

 幻影はそれを予測して、全ての準備を済ませておるのじゃ」


「…私が天狗になるところでしたわ…」と濃姫が嘆くと、信長は愉快そうに大いに笑った。


「明日は全員で現場に行って、さっそく山の斜面などに網を張りましょう」と幻影は言いながら、冷えた蕎麦などの配膳を始めた。


「どうせ、米沢の南の方の農家が言ってきたのでしょう」


幻影の言葉に、「知って」と濃姫が言った瞬間、長春を見た。


「…おいしいから…」と長春が眉を下げて言うと、「…そういうこと…」と濃姫はさらに納得してうなづいた。


山に実る山の幸などよりもうまい農作物に味をしめた野生動物が、ついに郷に降りてきたといっていい事態だった。


うまいものが目の前にあれば、動物であれば食らいつくことだろう。


「対策としては、農地に網を張るよりも、

 山の土を肥やして、

 さらにうまい実りになるようにして、

 動物を郷に下ろさないようにすることが一番平和です」


幻影の言葉に、「…盲点だわぁー…」と濃姫は大いに嘆いた。


「…それがいいぃー…」と動物の神の長春が賛成した。


「人間の方で、共存できる環境を作ってやることが、

 全ての生物にとって平和なのです。

 元はと言えば、現住人は動物たちなのですから」


幻影の言葉に、長春は満面の笑みを浮かべて拍手をした。


「…わかっていたのなら、あの時に指摘してぇー…」と濃姫が顔を真っ赤にして長春に言うと、「あははは… 幻影お兄ちゃんに今言われて気づいちゃった!」と明るく言った。


「まずは現実にある防衛本能が働くからな。

 幻影の言ったことが思い浮かぶ者はそれほどおらん」


信長は機嫌よく言った。


「…わずかに影達殿だけのようです…」と弁慶が大いに眉を下げて報告した。


「いや、さすが我が家老たち」と信長は機嫌よく言って、何度もうなづいた。


「…あんたが一番長生きなんだから、

 もっとしっかりして…」


濃姫は親戚の気さくさを出して、光秀に指摘すると、「…面目次第も…」と嘆いて、薄い頭を撫でまわした。



幻影たちが今夜の夕餉と夜食の余りを法源院屋に納品に行くと、まだ旅支度をしていない農民の方のお蘭が幻影たちをまじまじと見ていた。


体つきが違うので、確実に琵琶家の男だと見抜いたようだ。


だが特に用はないので、話しかける切欠がない。


しかしその隣にいる、苦虫をつぶしたような顔の祖父の雲介は何か言いたげだった。


その息子夫婦であるお蘭の父母は、玩具などを手に取って遊んでいたことに眉を下げた。


庄屋の雲介の家族はこの四人で、あとは信頼のおける農民を雇っていて、今は交代で農地に目を光らせている。


納品を終えた幻影は雲介を見ていきなり、「あんたの住んでいる場所は、元々は動物たちのものだった」と言ったのだ。


雲介は心を見透かされたように思い、口から言葉を出せず、ただただ幻影を見ていた。


「あんたは動物たちを押しのけて暮らしているんだ。

 農作物のひとつやふたつくらいくれてやれ。

 あんたらが暮すための家賃のようなものだ。

 それがわかっていて実践している人間はどこにもおらんけどな」


幻影は鼻で笑って言って、家人たちとともに店を出て行った。


お蘭は幻影たちを追おうとしたが、「さあ新入荷ですよ!」と番頭が陽気に叫ぶと、お蘭たちはほかの客たちに押し込められて外に出られなくなっていた。


雲介は言葉を発せられなかった。


確かに幻影の言ったことに間違いはないが、大いに腹が立っていた。


いつもならば確実に追いかけて苦情のひとつも言ってやろうと思ったが、自分の考えが確実に間違っていると判断したので追いかけなかったのだ。


「それがあなたの欲だからです」と穏やかな声がお蘭の頭越しに聞こえた。


「手塩にかけた農作物を動物たちに食べられてしまった。

 全てはお金と同等なのに、売り物にならないことをされてしまった。

 だから悔しい」


妙栄尼の言葉にも、雲介は声を発せられなかった。


「琵琶高願様はおっしゃいました。

 山にある自然な食べ物がおいしくないから郷に下りる。

 だったら、肥えた山に変えれば、

 動物たちは危険を冒してまで郷に降りてこないと。

 結果がすぐに出るものではありませんが、

 やってみる価値はあるでしょう。

 肥料は琵琶家特製のものをお分けできます。

 いつでもいらしてくださいませ」


妙栄尼は言いたいことを言って、店から消えていた。


妙栄尼が動くと、誰もが道を開けることになっているからだ。


「…今の美しいお方は…」と雲介は初めて口を開いた。


「琵琶家の方には間違いないけど、お名前は知らないわ」とお蘭は眉を下げて言った。


「…いや…

 どこかで見かけたはずだ…」


雲介は大いに考え込んだが思い出せない。


だが確実に会ったことがあると感じていた。


それはまだ雲介が上杉謙信に仕えていたころの遥か昔のこと。


雲介こと、長尾雲海は謙信の家老のひとりだった。


しかし謙信崩御のあと、できれば後を追いたかったのだが、「追い腹はならぬ」という謙信の言葉を忠実に守ったが、太刀を捨て、農民となった。


―― 謙信様なら、聞き届けてくださっていたはず… ――


雲介は米沢城に出向いて農地への動物被害を訴えていたが、まるきり良策はなかった。


しかし孫のお蘭が一念発起して琵琶家に訴えて金網をもらえることになり、動物からの被害を食い止められると喜んでいる顔を見て、相変わらずの苦虫をつぶしたような顔をして喜んでいた。


主を失った雲介は、まさに生ける屍でしかなかったのだ。


「今の方? あんた、妙栄尼様を知らないの?

 琵琶高願様のお母上でもあらせられるんだよ?」


お蘭が近くにいた客にその正体を聞いて大いに驚いた。


妙栄尼の名前は聞いていたし知っていた。


米沢城下の寺で尼をしていたはずなのだ。


「…上杉阿国様じゃったかぁー…」と雲介は五十年ぶりに笑みを浮かべた。


「そうそう、それが本名らしいぜ」という客の言葉に、雲介は人をかき分けて外に出て、琵琶御殿の場所を確認して走った。


「おじいちゃん! 待って待って!」とお蘭が慌てて叫んで、「通してください!」と叫びながらなんとか外に出て、走っている雲介の背を追いかけた。



雲介とお蘭は、いとも簡単に琵琶御殿に招かれた。


そして雲介は妙栄尼を一瞥できたが、幻影には頭を下げっ放しだった。


「俺はあんたの殿様ではない」と幻影が迷惑そうに言うと、「頭を上げんと放り出されるぞ」と信長が言った途端、雲介は泣き濡れた顔を上げた。


「…わずかに、謙信様の面影が…」と雲介が言うと、「俺は父の武田信玄似だ」と幻影が答えると、雲介は目を見開いたまま、ゆっくりと妙栄尼を見た。


「間違いございません」と妙栄尼が答えると、雲介は大いに眉を下げてうなだれた。


「上杉と武田は最後の最後に本当の和平を望んだのでしょう。

 それが幻影の誕生でしたが、

 信玄様は病に倒れてしまわれた。

 この件が、最大の誤算だったのでしょう。

 もちろん、女子である私にも詳しく知らされておりました。

 寺にいた私も雲海様と同じように、生ける屍のようなものでしたわ」


「…高願様がお殿様がいいぃー…」というお蘭の言葉に、誰もが大いに笑った。


「やんねえよ」という幻影の無碍な言葉に、お蘭は大いにうなだれた。


「もしも俺がそれを受けた時、どうなっていくのか考えたのか?」


幻影の厳しい言葉に、「…私の好き嫌いだもぉーん…」という言葉に、信長が大いに機嫌よく笑った。


「だったら逆に、俺の希望を言ってもいいか?」


幻影が言ってから雲介を見ると、怯えた目を幻影に向けた。


「雲介さんは長尾雲海として、上杉家老職に戻るべきだ」


幻影の言葉に、雲介は目を見開いたまま何も言えなかった。


「お蘭は政治の道具として、家老の姫となり籠の鳥」


幻影の更に無碍な言葉に、お蘭も目を見開いていた。


「ま、そうなるな…」と信長は言って何度もうなづいた。


「…お姫様は、姿だけでいいかなぁー…」とお蘭が大いに眉を下げて言うと、信長は何度もうなづいた。


城などの生活については、雲介から一応の教育は受けているようだと幻影は感じていた。


「あんたは俺と同じことを言ったんだ。

 わかったか」


幻影の言葉に、「…仕返し…」とお蘭が言うと、「…やめんか…」と雲介が小声で戒めた。


「仕返しされなきゃわからないこともあるだろ?

 泣き寝入りも罪だ。

 あんたの言葉が現実となった時、

 困るのは俺だけではない。

 俺の家族も生活環境が一変するんだ。

 俺は俺の家族を守るために、

 俺の道を行くことに決めている。

 だから俺はあんたと違い、希望と言った」


幻影の厳しい言葉に、「…言い負かされちゃった…」とお蘭は言ってうなだれた。


「この先、武家に斬り捨てられんように気をつけろよ」と信長が眉を下げて言うと、雲介は額が畳につくほど頭を下げた。


「…そんな話、聞いたことないわよぉー…」とお蘭が反抗すると、「わからんようにやるに決まってるだろ…」と幻影が答えた。


「武家との格差がある今は、

 武家には逆らうべきではない。

 だから無視すればいいが、

 あまりにも露骨だと闇に葬られるから気を付ける必要はある。

 江戸ではまだまだ普通にあるんだぞ。

 田舎では目立つからやらんだけだ。

 俺のように口の立つ者は、

 何度も狙われたぞ。

 しかも我が琵琶家ごとな」


「…悪いこと、してるんじゃ…」とお蘭が素朴な質問を投げかけると、「やっかみ、嫉妬、逆恨み」と幻影がため息交じりに言うと、「…ごめんなさい…」とここはお蘭は素直に謝った。


「この女、かなり失礼なので、我が琵琶家で預かってもいいぞ?」


幻影が雲介に言うと、目を見開いて固まった。


すると蘭丸がすらりと幻武丸を抜いて、幻影の首に沿わせた。


「…どんな嫉妬だ?」と幻影が聞くと、「…ついに側室かぁー…」と蘭丸がうなった。


「今回の件で、お蘭は気が大きくなったはずだ。

 このままでは本当に武家に斬り捨てられると感じたからな」


「俺も感じた」と蘭丸は言って、幻武丸を鞘に納めた。


「言いたいことを言えないのがこの格差社会なのです」


妙栄尼の涼やかな言葉に、お蘭は背筋を震わせた。


「濃姫様がご説明したはずです。

 琵琶家がほめるとろくなことがないと。

 その実例が、今のお蘭さんなのです」


お蘭は大いに自分自身を恥ずかしく思った。


まさに琵琶家の威光を笠に着ようとしていたのだ。


「お蘭さんはまだ若い。

 ですので、生きたまま地獄を見てもらった方がよろしいでしょうね。

 その地獄から戻ってきた者たちが、我が琵琶家一同なのです。

 ああ、まだ地獄にいる方も何人かおられるわ!」


妙栄尼は愉快そうに大いに笑った。


まさに地獄の門番だと思い、お蘭は妙栄尼も恐ろしいと感じていた。


雲介としては大いに悩んだ。


しかし幻影は、「すぐに決めることでもないが、このお蘭は危険だから預かる」という意見だけは受け入れた。


「行儀、礼儀、そしてある程度の肉体強化をしてもらうから。

 特に常識的なことすらできん場合は、

 いつまで経っても家には戻れんし、

 琵琶家の一員でもないからな。

 そのつもりで」


幻影の言葉に、お蘭は大いにホホを膨らませていたが、何とかうなづいた。


「幻影様に甘えてるだけですわ。

 かわいいものです」


沙織が言うと、女性たちは全員集合してお蘭を囲んだ。


「…一番面倒な女だ…」と幻影は大いに嘆いた。


「さらなる企みもあるのじゃろうて」と信長が言うと、雲介は大いに眉を下げていた。


「…天狗様に輿入れすることを望んでおりました…」と雲介が報告すると、「首を落とされるので側室はとらない」と幻影が言うと、信長は大いに笑った。


「それに、子もいるから」と幻影が言うと、「えっ?!」と雲介は叫んで、女官たちに囲まれているお蘭を見入った。


すると、「えっ?!」とお蘭も叫び声を上げた。


幻影の子である阿利渚が説明をしたようだ。


「俺の子だぁー…」と蘭丸が自慢げに阿利渚を抱き上げると、「…私の生きる希望が…」とお蘭は言って大いにうなだれた。


「…まさか、キリスト教徒、だった?」と幻影がつぶやくと、雲介が背筋を震わせてから、畳に額をくっつけて頭を下げた。


「今信者でなければ罪には問われないから…」と幻影が眉を下げて言うと、雲介は頭を上げて、「…誤算じゃった…」とつぶやいた。


話によると、雇った農民が宣教師で、発覚した時雲介はすぐさま追い出した。


ほかの使用人や雲介の嫁夫婦には実害はなかったが、どうやらお蘭にだけは接触を続けていたかもしれないと雲介は語った。


「…なるほど…」と幻影は言って、神としてお蘭に念話を送った。


そして滾々と説教をして念話を切った。


琵琶家一同は、心配そうな顔をして幻影を見ている。


「…納得いかないことが多かったようで、

 心底信者にはなれなかった。

 だがもしもイエス・キリストが救ってくれるのならばと、

 都合のいい部分は引用していたそうだ。

 だが全ては人間が作ったものとして説明すると、

 一気に醒めたようだ」


雲介は目を見開いて幻影を見ているだけだ。


「…と、俺の神が俺に言いつけてきた」


幻影の言葉に、信長がまず大声で笑うと、誰もが一斉に笑い始めた。


「…お蘭だけど、連れて帰ってもらっていいから…」と幻影が眉を下げて雲介に言うと、「…異教徒のせいで…」と大いに悔しがった。


「だけど、ある部分は知識としてはあってもいいものなんだ。

 その伝え方が大いに問題ありだからね…

 宗教と学問は切り離して考えるべきなんだよ。

 俺が天狗であるゆえんは、

 気功術という体術にあるんだ。

 俺たちがみんな若いのもその技のおかげだよ。

 ここには、最高齢九十才の人もいるからね」


「…光秀とは、そろそろお別れじゃな…」と信長はにやりと笑って言った。


「…御屋形様もそれほど変わりませぬ…」と幻影が眉を下げて言うと、「…ワシは今が楽しいから死なん!」と信長は堂々と胸を張って言った。


「予想するに、会話にならなくなり始めると、少々危ういかもしれません」


幻影の言葉に、高齢者は大いに戸惑い始めて、だれかれともなく話を始めたので、幻影は大いに笑った。


「特に長春は神だけに、最後まで生き残るかも…

 もっとも、その思考をはっきりと読めないところが、

 まさに神なので…

 ですが話の内容は、幼児か呆けた老人的部分がありますので、

 心配はしています…」


「…できれば、ずっとこのままでいたいと、願っておこうか…」と信長は言って手のひらを合わせた。



その翌日に不幸があった。


琵琶家の一員である一羽の鳩が冷たくなっていたのだ。


「…今までお疲れ様…」と長春はいつものように涙を流しながら言って、長春が作った棺桶に鳩を入れて幻影に差し出した。


そして琵琶家一同は手のひらを合わせて瞳を閉じた。


幻影は真剣な目をして、持っていた箱を猛然たる炎で包んだが、すぐに消え、その手のひらには、鳩の白い骨だけが残っていた。


しかしその中にきらりと光る小さなものがあった。


「長春、指輪だ」と幻影が言って両手のひらを差し出すと、長春はまずは小さな骨壺に骨を収めてから、最後に残った、赤子でもはめられないほどの小さな指輪を手に取った。


その瞬間に、指輪は消えてしまったのだ。


「…あーあ、ついにこの日が来てしまったぁー…」と幻影が大いに嘆いた。


「…指輪が消えたことと関係が…」と信長は言って長春を見入っている。


しかし長春は指輪がなくなって悲しげな顔をしているだけだ。


「長春の腹に子が宿った」


幻影の言葉に、誰もが目を見開いた。


「ま、どう考えても人間の逢瀬で子はできんだろうと思っていたけどな…

 まさか、こんな仕組みになっているとは…」


幻影が大いに眉を下げて言うと、藤十郎が長春を大いに褒め始めたので、誰もが眉を下げていた。


「…動じんやつ…」と信長が大いに眉を下げて言うと、「…私もそう思います…」と幻影はすぐさま賛同した。


「…生まれる子は鳩…」と幻影がつぶやくと、誰もが大いに心配を始めた。


もちろん長春に自覚はないが、信長の命で、長春と藤十郎は前橋に留まるようにと言いつけられた。



お通夜のような朝餉となったが、悲しんでばかりはいられないので、琵琶一家は今日も雄々しく仕事をした。


そして前橋の琵琶御殿に戻って、誰もが長春を見て目を見開いた。


朝は何も変化はなかったのだが、長春の腹が妊婦のように膨らんでいたのだ。


「…もう、生まれちゃうぅー…」と、長春が脂汗をかきながらうなると、乳母の女性たちがまさに本職とばかり、男どもに指示を出して出産の準備をさせた。


しかし静香の出産に続き三回目なので、誰もが落ち着いていたが、まさか今日生まれるとは誰も予想ができないことだった。


よって、―― やっぱ神だから… ―― と思うほかなかった。


出産は無事に終わって、生まれたのはなぜか藤十郎によく似ている女子だった。


藤十郎は、「よくやった」とやさしい言葉を長春にかけて、赤子を長春に渡した。


三人を祝福するように、まずは動物たちが囲んでいたことに、誰もが大いに眉を下げていたが、当然だろうという想いもあった。


特に巖剛は、まるで蘭丸のように威厳をもって三人に密着するほどの厳戒態勢でいる。


「…気合い入れずぎ…」と幻影が眉を下げてつぶやくと、巖剛は大いに眉を下げて幻影を見ている。


「…気持ちはわかるけどな…」と蘭丸は言って鼻で笑って、阿利渚を抱き上げた。


「お姉ちゃん、お名前は?」と阿利渚が長春に聞くと、長春は困ることなく笑みを浮かべて、「とうげん」と言った。


「…とうげん? …どんな字を」と幻影は言ってすぐに、『桃源』と紙に書いて掲げた。


長春は笑みを浮かべてうなづいて、「…桃源ちゃん、生まれてきてくれてありがと…」と長春は笑みを浮かべて言った。


「だが、お前が死んでは何にもならん」という幻影の厳しい言葉に、誰もが大いに目を見開いた。


「長春様は子宝製造機ではございません。

 心を強く持って、

 希望を持ってくださいますよう」


涙を流している蘭丸の言葉に、長春も涙を流して、「…私、死なないよ…」と笑みを浮かべて穏やかにしっかりと言った。


「…ワシにも、この先の長春が見えた気がした…

 きっとワシらも長春と同じ気持ちになると昇天するはずじゃ…

 じゃが、今は違う…」


信長は笑みを浮かべて言って、幻影と蘭丸に頭を下げた。


「…おっきな花火大会ぃー…」という長春のわがまま一杯の希望の言葉に、誰もが大いに眉を下げていた。



琵琶一家は今日の仕事はやめにして、打ち上げ花火の準備を始めた。


もちろん花火だけではなく、多くの菓子やごちそうを作り上げた。


もちろん阿利渚と竹松が誕生した時も、まさにお祭りをやったのだが、さすがに花火は打ち上げなかった。


だが、家族の希望に応えない琵琶一家ではない。


夕方になると、軽業興業所が解放され、多くの現地住民を抱え込んで、露店も出てお祭り騒ぎとなり始めた。


そして花火が一発、『ドーン!』と上がると、誰もが陽気に拍手をした。


桃源は生まれたばかりなのだが、もう目をぱっちりと開いていた。


そして初めて見た夜空の大輪の花に向けて、笑みを浮かべたのだ。


「…長春と同じで花火好きになった…」と幻影が大いに嘆くと、「…できる限り、希望を叶えてやってくれ…」と信長は眉を下げて言った。


琵琶一家は貴賓席の上の席に陣取っていて、動物たちだけがまさに臨戦態勢下にある。


長春、桃源、藤十郎の三人を巖剛と獅子丸で挟み、三人の前に、少し成長した狼の才牙が座って、ひっきりなしに耳を動かしている。


だが動物たちの杞憂も不発に終わって、何事もなく花火大会は終了した。


「…あーあ、終わっちゃったぁー…」と長春が眉を下げて言うと、それに倣うように桃源も眉を下げていたので、「…親子でしかない…」と幻影は眉を下げて言った。


祭りという桃源の誕生日会は、多くの喜びと寂しさ、そして多くの利益を上げて、速やかに終了した。



翌朝、朝餉が終わって作業現場に出向く前に、江戸から鳩が飛んできた。


桃源はまだ赤子なのだが、母である長春から説明を受けながら、その小さな手で幻影に書簡を渡した。


「…普通じゃない成長速度だな…」と幻影は眉を下げて言って書簡を受け取って読んでから少し笑った。


「前橋で花火大会をするんだったら、江戸でもして!

 だそうです」


幻影の言葉に、「祭りの代わりに街道工事を請け負っていると言い返せ」と信長はにやりと笑って言った。


「そうですね。

 祭り十回分は下らないはずです」


幻影の言葉に、信長は陽気に笑った。


幻影は簡単に書を認めて桃源に渡すと、何に感動したのか泣き出し始めた。


「…お仕事初受注の喜び…」と長春が言って大いにもらい泣きしながらも、桃源に説明をして鳩を飛ばした。


「…生まれてすぐに仕事をするとは…

 誰よりも偉いし賢いな…」


幻影の言葉に、長春と桃源は自慢げな笑みを幻影に向けた。



琵琶一家は今日も雄々しく働き、山道は明日完成できるめどが立った。


ほかの街道は行き帰りのついでに済ませてあるので、あとは厩橋城の南の高崎から武蔵に入る街道につなげれば、今回の街道工事は終了となる。


全員そろって厩橋の琵琶御殿に戻ると、なぜか真田信之が家臣を連れてやってきていた。


そして真っ先に藤十郎に詰め寄って、信之は目を見開いた。


生まれたばかりのはずの桃源は、長春と藤十郎の手を握って、自分の足で立っていたからだ。


「私の子ですが、血は繋がっておりません」と藤十郎が真実を述べると、信之は大いに混乱した。


「…血もつながってるよ?」と長春はホホを赤らめながら言うと、「あれ? そうだったの?」と藤十郎は言って笑みを浮かべて桃源を見た。


「…もう少ししたらね、とと様と一緒に走るのぉー…」と桃源がかわいらしく言うと、藤十郎の眉は下がりっぱなしになっていた。


「…どんな方法を使ったのやら…」と幻影が嘆くように言うと、信之はさらに混乱した。


幻影ですらわからないことであれば、わかる者は誰もいないはずと察したのだ。


「お昼、大人以上に食べたよ?」と長春が小首をかしげて言うと、「…そこは理にかなってるかもね…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


そして桃源が自立したことで、動物たちの厳戒態勢も解けていて、桃源の周りを監視するのは猫たちの仕事になっていた。


「…食べ過ぎるたびに大きくなるって?」と幻影が聞くと、「…走れるようになれたら、もうそれほど食べないって…」と長春は少し寂しそうに言った。


もちろん、乳母役の女官たちも大いにうなだれていた。


走れるようになれば、もうそれほど出番はないからだ。


「…お蘭ちゃんのおっぱい飲んだからかなぁー…」と長春が言うと、「…お前の仕業か…」と幻影は苦笑いを浮かべて言って蘭丸を見たが、声には出さずに、何度も首だけ横に振って拒絶した。


「…あ、幻武丸ちゃんの力…」と長春が言うと、「おまえの仕業じゃあねえかぁー…」と蘭丸は幻影をにらんで言った。


「俺だけのせいにすんな。

 俺とお前のふたりだ」


幻影の言葉に、なぜだか蘭丸は大いに照れて、「…そうだったのね…」と言って軟体動物になった。


「…まあ、全く意味がわからんことだが、

 悪いことは何もないらしい…

 別に、いいかぁー…」


幻影の少々いい加減な発言に、ほとんどの者が陽気に笑った。


「ところで叔父ちゃんはどこで知ったんです?

 ああ、与助さんの手の者ですか…」


幻影の言葉に、信之は眉を下げて、「…親切にも教えてくれてな…」と言った。


「だけど桃源も、琵琶家の新しい力のようだから、

 養女に出すことはないよ」


幻影の言葉に、長春はすぐさま桃源を抱き上げ、ふたりの前に藤十郎が雄々しく立った。


「…それは、多少はあったが…

 まずは祝いじゃ…」


信之の言葉に、家臣たちがその祝いの品を藤十郎に渡した。


「酒なんぞでごまかされはせぬ!」と信長は雄々しく拒否するように叫んだが、本当はただただ飲みたいだけだった。


「…飲まなきゃいいの…」という濃姫の言葉に、幻影が大いに笑うと、信長は大いに眉を下げていた。


「動物たちが反応しないので安全なようです」


幻影の言葉に、信之は大いに眉を下げていた。


当事者の長春と藤十郎は心穏やかではないので警戒は解かないが、もちろん幻影の言葉を信用するので、警戒しながらも日常に戻すことにして、長春は桃源を地面に下ろした。


すると、「…あー…」と桃源が言うと、「…あー…」と阿利渚も言った。


幻影は確信に近いものを察して、「於通がついに呆けましたか」という言葉に、信之は背筋を震わせた。


「本人としては満足なので、

 最後を看取ってやって。

 もっとも、於通の魂はもうないから、

 生ける屍だから」


幻影の言葉に、「…もう、逝っておったのか…」と信之は大いに嘆いて肩を落とした。


「だけど、恐ろしいことが起きなきゃいいんだけどね…

 もしも、普通に話せるようになった時、

 それは於通じゃないから」


幻影の言葉に、「…妖怪に憑かれたかもしれぬということか…」と信長が言うと、幻影は、「はい、その可能性があるので要注意です」と答えた。


しかし早馬がやって来て、信之に不幸な知らせを持ってきた。


於通の呼吸が止まったそうだ。


幻影は信長の許可を得て、信之を宙に浮かべて飛んで、於通の今際の際に間に合わせた。


「…きれいな顔のまま死ねるだけで本望だろうが、

 残される者の気持ちを考えない迂闊者だ…」


すると青白い於通の顔色がみるみる生気を帯び、そして盛大に咳込んだ。


「あ、執念で戻ってきた」と幻影は言って大いに笑った。


「…おお… おお…」と信之は言って、於通を抱きしめた。


「間違いなく於通だから。

 もう満足はしないと思うから、

 さらに面倒なことを言い始めるかもね」


幻影の言葉に、信之は何度もうなづいて、笑みを浮かべたまま涙を流していた。


正室と側室のふたりを亡くし、さらに於通まで亡くしそうになった不幸があったが、幻影のつぶやきに於通の魂が反発して戻ってきたと信之は思って、大いに喜んだのだ。


幻影は於通に言葉を投げかけて、今まで通り大いに反抗したので於通だと確信してから前橋に戻った。


幻影が全てを報告すると、「…最後の最後の言い聞かせで返ってくればそれでよい…」と信長は感慨深げに言った。


「ですがすべてに納得していた時は、

 もう戻ってこないでしょう。

 できれば安易に妥協しない方がいいかもしれませんね。

 ですがそれだと大いに変コツ者扱いされますので、

 ある程度は保留として心に留めておくことも重要でしょう」


幻影の言葉に、誰もが感慨深く思って頭を下げた。


「…全然納得などせぬのだがなぁー…」と蘭丸が幻影をにらみつけて言うと、「俺に何度も勝つようになったらすぐに呆けそうだけど?」という幻影の言葉に、「…さもありなん…」と信長が大いに眉を下げて言った。


「最低でも!

 御屋形様が昇天されるまでは生きておりまする!」


蘭丸の決意の言葉に、「ああ! 心強い!」と信長は力強く答えた。



翌朝の朝餉前に、「…お食事がおいしいのがいけないんですぅー…」と幻影は、阿利渚と同じほどまでに成長してしまった桃源に流ちょうに言われてしまった。


この会話は何度もしているので、教え込んだのは長春だろうと幻影は察しをつけた。


もちろん外に出てきてからではなく、まだ腹に入っている時だ。


「この先は、それほど思ったほどの成長はないと思うぜ」


幻影の言葉に、阿利渚は笑みを浮かべて何度もうなづいている。


「…そうか… 大いに動き回るから…」と藤十郎が笑みを浮かべて言うと、「成長が労働力に追いつかないだろう」と幻影は言った。


「…しっかり働いて、しっかり食べますぅー…」と桃源が眉を下げて言うと、阿利渚が大いに拍手をして桃源を抱きしめた。


長春と藤十郎は桃源を猫っかわいがりにするのはもうあきらめたようで、眉を下げて桃源を見ているだけだ。


幻影は阿利渚に笑みを向けて、「友達ができてよかったな」というと、どうやらそうではないようで阿利渚は考え込んでしまった。


だが嫌なわけではなく、友達という言葉に引っかかりがあるようだ。


「友達ということにしておけ」と幻影が言うと、阿利渚はすぐに満面の笑みを浮かべて、「はい! とと様!」と元気よく返事をした。


「そうではないのか…」と信長がふたりを見ながら言うと、「…獅子丸と同じようなものかもなどと考えたのでしょう…」と幻影は小声で答えた。


「…さもありなん…」と信長は大いに眉を下げて言った。


その証拠に、獅子丸はいつもは幻影の隣にいるのだが、今日に限って阿利渚と桃源の背後に陣取った。


長春もある意味神のようなものだが、桃源はまさに神なのだろうと幻影は察した。


そして、「…指輪?」と幻影は言って、桃源の右手の小指を見入った。


「…気にしていたから、生まれた時にはなかったはず…」と信長が小声で言うと、「…はい、私も気になっていたのです…」と幻影も小声で答えた。


「…桃源、その指輪はどうしたの?」と話を聞いていた蘭丸が聞くと、桃源はすぐに右手を見て、「あー…」と言ってから、なぜか外そうとした。


だが外れないので悲しそうな顔をした。


そして、「…神様、いやぁー…」と長春のように鳴きながら嘆いたので、幻影と信長だけが腹を抱えて笑った。


「大丈夫だ、神というあだ名だあだ名」という幻影の言葉に、「…あー、そうだったんだぁー…」となぜか桃源が納得すると、「桃源ちゃんのお母様も一緒よ!」と阿利渚が元気づけるように言うと、「…よかったぁー…」とさらに納得したので、幻影と信長だけは抱腹絶倒していた。


「…妙な神だ…」と幻影が小声で言うと、「もう言うでない!」と信長はさらに笑って叫んだ。


この件はもう話さないことに決まって、いつもよりも陽気な朝餉を終えて、琵琶一家は全員で街道整備の現場に飛んだ。



作業を始めると、誰もが同じように、―― 今日は楽だな… ―― と考えていた。


すると昼餉前に山道を抜けてしまって、誰もが狐につままれたような顔をしていた。


せっかくなので、風光明媚なこの場所で昼餉の準備を始めると、茶屋と勘違いしたようで、道行く者たちが集まってきたのだが、『天雲大名琵琶家』の幟を見入って固まった。


「遠慮なくどうぞ!」と女官たちが旅の者たちに気さくに弁当と茶の入った湯飲みを渡していく。


これは機嫌がいい信長の鶴の一声で決まったことだ。


あっという間にこの場所は、峠を降りた高級な飯屋となっていた。


琵琶一族が昼餉を終えると、「食べ終えたら器はここに置いといてくれていいので」と幻影が明るく言うと、巨大戦艦と作業車が宙に舞った。


旅人たちは、「…琵琶家、やっぱすげぇー…」と誰もが口々に言った。



琵琶家一同は夕餉前までにすべての仕事を終えていて、前橋の琵琶御殿で寛いだ。


そして夕餉では、「…みんな、どうしたの?」と長春が動物たちを見て大いに困惑している。


まるで幻影たちの真似をするように、大いに食事を食らっているからだ。


「ああ、そういうこと…」と幻影は言って、近くにいた白い猫の体に触れて笑みを浮かべた。


「健康状態は問題なし。

 さすが本当の神…」


幻影の言葉に、「…動物たちの力を貸してもらっていたわけだな…」と信長は納得しながら言った。


「個体別の持っている力に差があります。

 その優秀な部分を少しだけ我らに貸し与えてくれていたようです。

 今日はそれほど厳しい仕事ではありませんでしたが、

 これほど楽に終えるとは思ってもいませんでした。

 しかも手伝ってもらっていたことを気づきもしませんでした。

 まさに自然に、動物たちと一体になって、

 気持ちよく仕事を終えられたのでしょう」


そしてどの動物が誰にその能力を貸し与えていたのかよくわかる。


特に猫が力を貸し与えた者に寄り添っている。


まさに息の合った相棒と言っていいのだろうと幻影は察した。


そして力のある巖剛は長春に寄り添っていた。


長春は困惑しながらも、いつもよりももりもりと食べていることを、長春だけがわかっていなかった。


「…あなたも、素晴らしい毛並みだわ…」と濃姫が才牙の体をなでながら言うと、才牙は顔を濃姫に向けて、「…クーン…」と少し悲し気に鳴いた。


阿利渚が一度やった獅子丸の毛皮のように、才牙の毛皮が欲しいとでも思ったようだ。


その獅子丸は阿利渚に寄り添っていて、満腹になったのか、その背後で寝転んでいる。


夕餉が終わると、誰もが動物を引き連れて散歩に行ったので、わずかに室内に残った幻影たちは腹を抱えて笑った。


「…だれも気づいとらんな…」と信長が苦笑いを浮かべて言うと、「そのようですね」と幻影は笑みを浮かべて言った。


特に操られているわけでもないのだが、相棒が望んだことを実行しているようだと感じたのだ。


「…この子が散策に行くと言っているんだがなぁー…」と三毛猫を抱いている蘭丸が眉を下げて言った。


「ああ、いくか」と信長は言って黒猫を畳の上に下ろした。


黒猫は誇らしげに尻尾を立てて、信長について行く。


「俺たちは仕事だ」と幻影と数名は夕餉の後片付けを始めると、動物たちもまるで手伝いたい意思をもって寄り添う。


「そうか、以心伝心…」と幻影はいつもとは違う感覚に陥ったことを理解できた。


まさに今は動物たちに操られているように感じる。


そしていつもの半分の時間で後片付けを終えて、誰もが目を見開いていた。


「おまえ、なかなか優秀だったんだな」と幻影が白い猫に言うと、『ナァーン』と白猫は甘えたような声を出して、機嫌よく幻影の足に体をこすりつけた。


「…幻影様が指示を出していたわけじゃなかった…」と沙織が目を見開いて言って、足元にいる虎柄の猫を見入った。


「そういうこと。

 動物たちが交信して、

 俺たちに伝えていたんだ。

 だからいつもよりも楽に何もかもがうまくいっていた。

 それを無意識にできていたわけだ。

 桃源は俺たちの最強の武器となったな」


「…だからみんな、いつもはしない行動を…

 私はそれがなかった…

 まだ仕事があることがわかっていたから…」


弁慶がぼう然としながら言って、足元にいる雉猫に笑みを向けた。


幻影は何度もうなづいて、「さあ、動物たちに付き合ってやろう」と言うと、誰もが笑みを浮かべて厨房を出た。



工房の外の広場で、「とと様ぁー… 遊んでぇー…」と阿利渚が甘えてくると、幻影は阿利渚を抱き上げた。


「なにをして遊ぶんだい?」と幻影が言うと、「なにか、楽しいことがあるって…」と黒い子猫を幻影に差し出してきた。


「ああ、わかった」と幻影は瞬時に理解して、「…どこの遊びだろ…」と今度は困惑して言って、工房に入って、天板を磨き上げた台と平らなギヤマンを何個も作った。


「…うわー… きれー…」と阿利渚は大いに感動して、冷え切ったおはじきを手に取って笑みを浮かべた。


「決め事は自分のおはじきを指ではじいて、

 相手のおはじきを溝に落とすだけ。

 力の差はそれほど関係のない遊びだ」


幻影が手本を示すと、阿利渚は拍手をして大いに喜んだ。


天板が素晴らしく滑るので、的のおはじきに当たらないと、自分のおはじきが溝に落ちてしまう。


的の当たっても、力の加減によると自分のおはじきも溝に落ちてしまうので、力加減は重要だ。


幻影と阿利渚が陽気な雰囲気を醸し出していると、「ふたりして何を楽しんで」と蘭丸は言って固まって、幻影を押し出して阿利渚とふたりしておはじき遊びを始めた。


「…遊ぶの?」と長春が困惑の顔をして桃源とともに幻影の前にやってくると、「…わかったわかった…」と幻影は答えて、もうひと揃え、おはじきと台を準備した。


「…ああ、幸せ…」と長春は幻影に手のひらを合わせて、桃源とふたりしておはじきを楽しみ始めた。


そして散歩から帰ってきた者たちもおはじき遊びに熱中し始めて、ついには、「…お友達も喜ぶと思うぅー…」と阿利渚が言い始めたので、幻影は工房の広場の隅に屋根付きの娯楽場を作って、子供の背丈にあわせた台を十台ほど置いた。


雨が降っても屋根があることで、ここで遊ぶこともできるからだ。


「…日ノ本一おはじき決定戦でもするか…」と幻影が眉を下げて言うと、誰もが愉快そうに笑った。


老若男女の関係のない誰でもできる遊びなので、まさに平和だった。


仕事を終えた法源院屋の丁稚なども交えて、『琵琶家一おはじき決定戦』が始まった。


何と決勝に残ったのは濃姫と信長で、「…喧嘩、しないでくださいよ…」と幻影がまずは注意事項を述べると、「守ろう」と信長は胸を張って言った。


濃姫が幻影と阿利渚を破っていたことで、信長は油断をしていなかった。


ひとはじきごとにまさに熱がこもった試合で、お互い残ったおはじきはひとつとなった。


「…もう、玄人だな…」と幻影が言うと、「…応援、できねえぇー…」と蘭丸が大いに悔しがっていた。


この好機の攻撃主は濃姫で、「…落としてやるぅー…」とうなると、「…ああ、大昔にも言っていたよな?」と信長が穏やかに言うと、「…心を乱すようなことを言ってんじゃないわよぉー…」と濃姫は言って顔を赤らめた。


そして最後の攻撃を難なく決めた濃姫が、もろ手を大きく上げて喜んだ。


一番手の賞品が骨せんべいだったことに、誰もが大いに笑って、琵琶家の楽しい催し物は終わった。



この翌日、監査役の守山たちは江戸に戻って行った。


もちろん、将軍に街道工事終了の報告の義務があるからだ。


琵琶家は前橋に残って、しばし休息の時にすることになった。


この先まずやることは、山城国伏見城の解体だ。


淀城の解体の前に、藩主や家臣たちの仮住まいとお役目棟を建てる必要もある。


もちろんここから城の建築となるので、今回はさすがに長丁場となる。


それと同時に、琵琶御殿の回りに町を作り上げるので、その準備も必要だ。


淀城建設の詳しい資料が出たと同時に、琵琶一家は生実、安土、松山に飛んで、建材を淀に運び入れた。


もちろん、それぞれの地での奉仕も忘れていない。


淀城はまさに水の城で、幾重にもある島に橋を架け、まさに要塞と言ってもいい城だった。


よって橋なども多くかける必要があるので、数多くの建材が必要だ。


まずはこの橋の架け替え工事から始まった。


しかしそれはわずか一日で終えてしまい、定綱を大いに驚かせ喜ばせた。


その翌日には新しいお役目棟の半分が完成して、三日後には新しい住まいまでも建て終えた。


そして三日間かけて伏見城の解体工事を終えて、城の敷地内にすべての廃材を運び込んだ。


しかしこの廃材は見えない部分に使うので、それほど重要ではないのだが、材料としては重要だ。


そして琵琶家は淀城の解体を終えて、全てを定綱に引きついだ。


もちろん、予定にあったことなので、定綱は苦情は言わないが、大いに困惑気だった。


しかし、通常の城を建てる半分以下の費用しかかかっていないので、苦情を言うわけにもいかなかった。


これほどの大工事の人件費がかからなかったことは、藩にとってもうれしいことだったからだ。


さらには琵琶御殿の回りに商店が開くようになると、税という形で淀藩に貢献することになる。


「…天守だけでも建ててしまいたいぃー…」と信長がうなると、「…いろんな面で甘やかしになりますので…」と幻影が瞳を閉じて言うと、「…ワシも言われてしもうた…」と信長は眉を下げて言って、愉快そうに笑った。


「これで我慢してくださいますよう」と幻影は言って、淀城完成模型と、安土城在りし日の模型を信長に献上した。


「…むむ…」と信長は言って、ふたつを見比べて眉を下げたが、機嫌よく見入っていた。


「…扱いがうますぎるわぁー…」という濃姫の言葉に、幻影だけは大いに笑った。


そして阿利渚と桃源も信長の仲間になって、模型を見入った。


「…どっちも素敵…」という桃源の言葉に、「そうじゃろうそうじゃろう」と信長は好々爺に変貌して機嫌よく言った。


「これほどの莫大な土地は必要ない、

 こじんまりとした城の模型でございます」


幻影が最後に出したのは、『仮称琵琶城』と銘打った模型だった。


「…おお…」と信長は言って目を見開いて模型を見入った。


使用する土地はこの日ノ本の城の中では一番小さく、城ではあるのに要塞ではない。


まさに将軍家の城と、京の御所を足して二で割ったような、殿様であれば住んでみたいと思わせる居城といえる逸品だった。


「天雲大名が城を持ってはいけないという条件はございません。

 ですが、どこに建てるのかが大いに問題となるでしょう」


幻影は日の国の地図を広げた。


「ここです」と幻影は言って、駿府の南の大灘にある島に指を差した。


その詳細な地図も出して、「島は手に入れてあります」という言葉に、信長は何度も機嫌よくうなづいた。


「もっとも、現実的には本拠地ではなく、別荘のひとつになるものかと」


「工期未定で、書類だけは出しておけ」と信長は真剣な目をして言うと、「御意」と言ってその書類を信長に提出した。


ここからは家老二人を交えて、三人は大いにうなった。


「一国一城の主」と信長は機嫌よく言った。


「農民と漁師は各地より厳選に審査して呼び込みます。

 この者たちも我が琵琶家の一員として雇います。

 生活必需品も必要ですので、

 法源院屋の支店を出してもいいのですが…

 ここは信右衛門さんに住んでもらってもいいものかと」


「…ああ、そろそろ、親離れも必要じゃろうて…」と信長は機嫌よく言った。


「では、江戸城に行ってまいります」と幻影は言って、家老の光秀と源次を連れて、八人乗りの空飛ぶ戦艦に乗って江戸に飛んだ。



「…君たち、ほんとすごいね…」と幻影たちを見て、秀忠は挨拶代わりに言った。


「淀城の件は引き渡しは終わったから。

 あとは定綱がすべてやる。

 今日来た要件はこれだ」


幻影はまずは大いにわかりやすい、移住する地の島の模型を出した。


もちろんこの模型の中には城もあり農地もある。


「…こんなに小さな島に?」と秀忠は模型を見入って書類にも目を通して言った。


「別荘?」と幻影が言うと、「…だよね…」と秀忠は各地にある琵琶御殿などを思い起して言った。


「一番は農作物。

 この島でできれば全ての商品を作り上げたい。

 もちろん、今ある専用農地を手放す気はない。

 そうしないと、日ノ本中に配る商品ができないからだ。

 それから保存食だが、格安にしてやるから買い込んでおけ。

 災害や飢饉があった時に、確実に必要になる。

 そうすれば、徳川幕府はさらに安泰になると俺は思う。

 貯蔵庫が足りないのなら建ててやる」


「…買ったら食べちゃう…」という秀忠の言葉に、幻影は愉快そうに笑った。


「…だけど、時間はできたんだよね?

 …あ…」


秀忠は薩摩からの書類を思い出していた。


「まずは薩摩の指宿に琵琶御殿を建てる。

 もう書類は届いているようだな」


「…うん、今まで通り、承諾したよ…」と秀忠が上目遣いで幻影を見た。


「何が不満なんだ?」と幻影が聞くと、「…今は言ってやんない…」と秀忠はやんわりと拒否した。


もちろん幻影にはわかっている。


秀忠も琵琶家の一員となって、様々な場所を旅してまわりたいのだ。


しかし家光からまだ眼を離せないので、すぐには無理な話だった。


その家光もやって来て、「…幻影様がお相手だと心が安らぎます…」と言って座ってから模型を見入って、「…いいなぁー…」とまずはうらやましがったので、幻影は愉快そうに笑った。


「工期がいつであれ許可するよ」と家光は言って、認定の書を書き、幻影特製の朱印を押して、機嫌よく幻影に渡した。


「…小姓を使ってやれ…」と幻影が言うと、「…はは、そうだった…」と家光は言ったが笑みを浮かべていた。


「…天雲大名の家老は特別じゃ…」と秀忠は何度もうなづきながら言った。


「家光は保存食の備蓄が足りていると思うか?」


幻影の言葉に、「今の数倍はいると思う」と家光はすぐさま答えた。


「最低でも三年程備蓄できるものを大量に作れる。

 そして二年経ったら買い替えると同時に、

 古いものを法源院屋に一気に卸せ。

 そうすれば、無駄金をそれほど使わなくて済むはずだ」


「…その時は、備蓄品ばっか食う…」という家光の言葉に、幻影は大いに笑った。


その保存食がうまいことがよくわかっているからだ。


「各地の法源院屋と御殿にも備蓄品を置いているけど、

 限りがあるもんでね…」


「…今年は北の方で飢饉があるかもなぁー…」と秀光が眉を下げて言った。


もう秋なので、そろそろ諸藩からの連絡があってもおかしくないが、それは殿様の恥として上げない藩も多いのだ。


よって、所々に天領を設けて、こっそりと探っているという実情もある。


しかし、そこに住む城代がいいやつばかりとは言えない。


よってほぼ後手に回って大騒ぎになることが実状なのだ。


幻影たちは終始朗らかに話を終えて、戦艦に乗り込んで空を飛んだ。



帰り道ではないのだが、幻影たちは前橋に飛んで、工房に降りると、女子と老人が中心になっておはじき遊びをしている姿を見て笑みを浮かべた。


そして幻影たちを見つけて口々に礼を言った。


今までが詰まらなかったとは言わないが、女子たちは今まで以上の元気さと明るさで話をしてきたことに幻影たちは喜んだ。


「次に来るまでに一番の猛者を決めておいてくれ。

 琵琶家一の猛者と戦ってもらうからね」


幻影の言葉に、女子たちは大いに陽気になって、おはじき台に並んだ。


多くの男子は子供たちの広場で恨めしそうにして、おはじき場をにらんでいる。


さすがに男女が一緒になって遊ぶのは幼少の頃までだからだ。


幻影たちはおはじき場から少し離れた場所に男子用のおはじき場を作り上げて、子供たちを呼んで、規則の説明をすると、誰もが興味を持って遊び始めた。


「…争いにならなきゃいいが…」と光秀が心配して言うと、「ここの管理者か忍びが口を出しますから」と幻影は朗らかに言った。


幻影たちは子供たちに均等に菓子などを配ってから淀に戻った。



淀でも、長春たちは弁慶たちにねだったようで、おはじき台とおはじきを作ってもらっていて、現地の子供たちを交えておはじきに興じていた。


するとどこから聞きつけてきたのか、公家の馬車がやってきた。


すぐさま弁慶のお付きが事情を聴き、まさにおはじきの件だったことに、幻影ですら驚いていた。


情報源は二カ所で、まずは前橋から戻ってきたばかりの法源院屋の番頭と丁稚員の話だった。


その話を聞いた後水尾が淀に使いをやっておはじき遊びに興じていたことを知って、正式に依頼にやってきたようだ。


もちろん、『おはじき一式を献上せよ』という件だが、そこには、『できれば』がついていたので、幻影はすぐさま公家用に装飾を施したおはじき台と、色とりどりのおはじきを作り出して使いに渡そうとしたのだが、「…運んでくださらんか?」と丁重に願い出られてしまった。


まさに美術品として認知されてしまったようなので、気持ちはよくわかった。


幻影は弁慶とお付きの三人で、五人乗りの戦艦に献上品を乗せて御所に飛んだ。


すぐさま謁見の間で後水尾と面会して、おはじき台を献上して、規則本を三冊渡した。


「…子のためとはいえ、迷惑をかけた…」と後水尾は言って頭を下げた。


「子のためになら、いくらでも協力してやろう」という幻影の言葉に、後水尾は満面の笑みを浮かべた。


そして待女の、「なりませぬ!」という言葉と同時に、和子が無理やり現れて、「高願様にはご機嫌麗しく」と挨拶をしたが、幻影は答えずにそっぽを向いた。


「…当然だな…」と後水尾は言って、和子を窘めた。


「秀忠にそっくりなことも気に食わん。

 今その親子に会ってきたばかりだし」


幻影の言葉に、後水尾は陽気に笑った。


そして大勢の待女によって、和子の野望はもろくも崩れ去って、引きもどされていった。


「街道の件は見事じゃった。

 また仕事か?」


「いや、まだ口頭だけで、正式な依頼は受けてない。

 ひと仕事終えたばかりだし、

 本来の工期までに終えたから、

 今頃慌てて書類をそろえているはずだ」


幻影は言って鼻で笑った。


「そうだ、お前にも言っておかないとな。

 琵琶家は正式に城を設けることに決まった」


幻影の言葉に、「…淀城ではないのか…」と後水尾は目を見開いて言うと、「駿府の沖合の島だ」と幻影は機嫌よく言った。


「…そうか…」と後水尾はさも残念そうに言ってうなだれた。


「もちろん、江戸と京の中間という意味も持っている。

 琵琶家は幕府にも大君にもつかんという意味合いもあるからな。

 わかりやすくていいだろ?」


「…ああ、そうじゃな…」と後水尾は気に入らないようで少し不貞腐れて言った。


「淀に御殿を建てることは予想外だった。

 これだけで我慢しな。

 江戸には琵琶御殿はないんだぞ?」


「…むむ… こしゃくな…」と後水尾は言ってここでようやく笑みを浮かべた。


「琵琶御殿は田舎にあることが条件だからな。

 その辺りは察しろ」


「それよりもだ」と後水尾は言って、芸術品でしかないおはじき台を見入った。


「運べって?」と幻影が言うと、「ぶつけられたら目も当てられん…」と後水尾は言って眉を下げた。


「形あるものは必ず壊れるものだ」と幻影は言って、おはじき台三台を宙に浮かべた。


ここからは後水尾の案内で、公家の住む板の間に三台のおはじき台を置いて回った。


公家の子供たちは、「…もう来た…」と目を見開いて言って、幻影と後水尾に大いに礼を言って、まずは規則書を読み始めた。


「…しばらくはねだられなくて済む…」と後水尾は笑みを浮かべて言った。


「おまえも遊んでやれ」と幻影が言うと、後水尾は大いに眉を下げながらも、子供たちに寄り添った。


幻影たちはすぐさま解放されて、戦艦に乗り込んで淀に戻った。



「…京の御所に行ってたんだぁー…」と淀に住む子供たちは尊敬のまなざしで幻影たちを見上げている。


すると長春が首をすくめたので、「おまえが言いふらすな!」と幻影は笑いながら叫んだ。


「…だって、正直に答えただけだもぉーん…」と長春が眉を下げて言うと、「お使いと言うだけで、子供たちはある程度は納得するんだよ」と幻影が言った。


「…あー… そうかもぉー…」と阿利渚が言うと、「…私もそうかもぉー…」と桃源も言うと、仲間がいなくなった長春は大いに眉を下げていた。


「ここには二つの意味がある」という幻影の言葉に、「…お勉強が始まっちゃったぁー…」と長春は言って耳をふさいだ。


「おまえは母親となったんだから、

 更に勉強しろ」


幻影は強制的に長春のふさいでいる耳から手を放させた。


「それほど難しいことじゃない。

 ひとつはお使いに行ったという事実と、

 お使いという、子供にはそれほど歓迎されない言葉にある。

 仕事を頼まれるという意味も含んでいるからな。

 よって子供はできればお使いという言葉に耳をふさぎたくなるから、

 細かい説明は必要ないんだ。

 もちろん、小遣い稼ぎに勤しむ子供たちは、

 この件は当てはまらないから、

 詳しく聞きたがる子もいると思う」


「その方法を使えば、根っからの働き者を見分けることもできそうじゃな」


信長の言葉に、「ある程度の判断はできそうですね」と幻影は穏やかに答えた。


「…能力とか、使わなくてもわかっちゃうんだぁー…」と長春が言うと、「能力はそれほど使わない方がいいんだよ」という幻影の言葉に、桃源は背筋を震わせた。


「桃源はある欲を持った。

 まずは仕事を速やかに安全に終わらせること。

 そして俺たちに遊んでもらうという欲だな」


幻影の言葉に、「…はいぃー… 大当たりですぅー…」と桃源が答えると、誰もが大いに笑った。


「今回の件は、動物たちとの関わり合いを深めたこともあっていいことでもある。

 だがな、できればその理由や事情も知っておいた方がいいんだ。

 それを知らないと、勘違いするやつも出てくるかもしれないからな」


「…はいぃー… 正すのが大変でしたぁー…」と桃源はさらに眉を下げて言った。


「ま、我が琵琶家の場合であればそれは修行とすればいい。

 だが、一般人は巻き込むなよ」


幻影の言葉に、「…それはしないしできないぃー…」と桃源は答えた。


「下手をすると死に誘いそうだからな」


幻影の言葉に、「…はいぃー…」と答えると、琵琶家一同は目を見開いた。


「膨大な基礎体力があってこその能力貸与ですから。

 普通の人間だと、笑みを浮かべたまま死んでしまうかもしれないので」


「…そうなりそうだ…」と信長は眉をひそめて言った。


「その点が理解できていたことは大いに結構。

 この先、桃源が何をやろうが従ってやる」


幻影の言葉に、桃源は喜ぶことなくうなだれた。


「それほどイジメてやるな。

 だがな、弱いワシたちを鍛えてくれるんだ。

 確かに文句は言えんな」


「…はは様がやってもいいっていいましたぁー…」と桃源が涙を浮かべながら真実を述べると、長春は大いに慌てた。


「…元凶はやはりそこか…」と信長は眉を下げて言って長春を見ると、「…これからはもっとよく考えますぅー…」と言ってうなだれた。


琵琶家の未来は、この頼りない神の親子に託されることになった。



始めはただの事故だとして処理されていたのだが、さすがに五日も続くと、『何かの祟りか』と思っても問題がないほど、日に一件か二件の事故が続いた。


定綱はひとつひとつ慎重に、実際に事故に遭った者たちに事情を聴くと、誰もが決まって、『黒い影』と口にした。


よって誰かが故意に、廃材置き場の材木などを崩したと見られた。


しかし、そう簡単に崩れないように、幻影の指導のもとに積まれていたので、大人ひとりの仕業ではないとして、廃材置き場の監視を置くようになるとぴたりと止まった。


何も起きなくなって三日後に、今度は監視をしていた者が事故に巻き込まれそうになった。


本来ならば二人一組で行動するのだが、運悪く、ひとりが厠に行っている隙に起こったのだ。


出入りなども厳重に監視されているので、内部の誰かの仕業だと決めつけたが、忍びの可能性もあるので、定綱は油断しなかった。


できれば話をしたくはなかったのだが、忠勝は琵琶家を訪問して幻影に話すと、「お宝でもあるんじゃないの?」という言葉に、忠勝は目を見開いた。


「ほう、面白い」と信長は機嫌よく言った。


「そして俺たちが出張ることが本題だと思う。

 そしてお宝発見と同時に奪っていくという算段じゃないの?」


「…うう… そこまで…

 …い、いや… それができる者…

 やはり、忍び…」


定綱の言葉に、「いや、信用のおける者だろうな」という幻影の言葉に、定綱は目を見開いた。


「疑われることがないから、動きやすいからな」と信長は言って何度もうなづいた。


「法源院屋を完全に信用するな。

 たまに裏切り者が出るもんでな」


幻影の言葉に、「…あいわかった…」と定綱は大いに眉を下げて答えた。


「淀城と伏見城のどっちかなぁー…

 可能性としては、解体したばかりの伏見城…

 実は廃材の中に、宝の地図隠されている…

 もちろん、豊臣秀吉の遺産…」


幻影の言葉に、定綱は目を見開いた。


「城の土台にはなかったようじゃから、

 ここの廃材置き場に来よったか…」


信長の言葉に、「御意」と幻影はすぐさま答えた。


しかも、石垣の一部を外して廃材置き場に移動させているので、何もなかったことはもうわかっていた。


よって、このような事態になるかもしれないと思い、幻影は廃材全てを丁寧に探っていたので、何もないことはもうわかっているのだ。


よって、それ以外の何かに、何かが隠されているのだろうと、幻影は語った。


「推測の上の推測…

 これは解き甲斐があるな」


信長の言葉に、「本来の目的がお宝であればいいのですが…」と幻影が眉を下げて言うと、「一般的にはお宝ではないものが目的…」と信長が言って何度もうなづいた。


「…なるほど…

 それすらもわからないから、俺たちに解かせようとしている…

 実は事実無根のこと…」


「…なかなか人騒がせじゃ…」と信長は言って鼻で笑った。


「…証拠はないのに、絶対に何かあるという決めつけ…」と定綱が言うと、「たぶんな」と幻影が答えた。


「よっし! 捕らえた! でかした!」と信長が叫ぶと、「終わったぜ」と幻影は定綱に向けて言った。


「引き渡すから事情聴取してくれ。

 できれば結果だけ聞かせて欲しい」


幻影の言葉に、「…つきあってぇー…」と定綱が懇願してきたので、幻影は源次と影達を連れて淀城に足を向けた。



信長の忍びに捕まっていたのは女で、幻影の知らない者だった。


「…誰?」と幻影が聞くと、「…奥の女中…」と定綱は言ってうなだれた。


「忍び資質大いにあり」と幻影が言うと、忍びは素早く頭を下げた。


どうやっても逃れられないように縄を打っていたからだ。


「話を持ち掛けたのは、京の梅香屋。

 どうやら秀吉縁の大店らしい」


幻影の言葉に、「…出入りを許していた…」と定綱は大いに悔しそうに言って、女中をにらみつけた。


定綱はすぐさま店主をひっとらえて連れてくるように家臣に指示を出した。


「捕り物でおじゃるか?」と幻影の知り合いの公家の田崎吉麻呂が興味を持って聞いてきた。


田崎は城内の装飾について、仕事を請け負っている。


本人もまさに芸術家なので、後水尾の紹介もあって幻影が推薦したのだ。


話し口調は大昔の公家だが、なかなか頭が切れるので、幻影は朗らかに付き合いながらも油断はしていない。


「金持ちがさらに金を望んだようだ」


幻影の吐き捨てるような言葉に、「…まさに、芸術的でおじゃる…」と田崎は縛られている女中の縄を見て言った。


「あまり近づくと、何をやってくるかわからんぞ」


幻影が脅すと、「あら怖い」と田崎は言って二歩下がった。


「麻呂の作品をどうして法源院屋は買って下さらんのじゃ?」


「高いことはわかっているから」という幻影の無碍な言葉に、田崎は大いにうなだれた。


「法源院屋は庶民の店だ。

 それ以外はほかの店に頼めばいいさ。

 だからこそ、生き残っていける店なんだ。

 だが、小さな実用品だったら、

 少々値が張っても、あんたの銘があれば買うかもな」


「…そのような作品は作ったことないでおじゃるぅー…」と田崎は言ってうなだれた。


「…ふん…

 あんた、梅香屋に作品を卸してるよな?」


「…法源院屋が買ってくれんから…」と田崎は苦情があるように小声で言った。


「今のように、警備は怠らない方がいいぜ。

 今回の騒ぎの元凶はあんたかもしれん」


幻影の言葉に、「ちこうおじゃれ!」と田崎は叫んで、さらに警備を固めた。


そして幻影はその中のひとりを拘束して宙に浮かべた。


「弟子かい?」と幻影が聞くと、「…最近…」とだけ田崎は言って目を見開いた。


「元梅香屋の丁稚。

 何とかあんたを捕らえて、

 牢に放り込んで作品を作り続けさせるという悪魔の算段」


幻影の言葉に、定綱は大いに目を見開いた。


「…才能も罪でおじゃるなぁー…」と田崎が言うと、幻影は大いに笑った。


「だが、廃材集積所に近づくのか?」と幻影が聞いたが、「あ、愚問だった」とすぐに言った。


「幻影殿もやはり同じでおじゃったか…」と田崎は少し悔し気に言った。


廃材といえども、作品作りに見合った素材が多くあるからだ。


そして、「その女中に色目を使った」と田崎が告白すると、女中はすぐさまうなだれた。


「あんたがでかい柱の下敷きにならなくてよかったよ」と幻影は言って鼻で笑った。


田崎は眉を下げて足を見て、「…両腕さえあれば作れる…」と言うと、「正解」と幻影は言ってにやりと笑った。


「あんたはここに住んだ方がよさそうだ。

 大掃除が終わったらな」


幻影の言葉に、「屋敷を下され」と田崎はすかさず言ったが、「図面を変えると面倒だから、どこかを借りとけ」と幻影は投げやりに答えた。


「…この城としても箔がつくから、書き足すよ…」と定綱が眉を下げて言った。


「住まわせてもらうんだから安くしてやってくれ」と幻影が言うと、「…はいはい…」と田崎は機嫌よく言った。


「だが、後水尾からは芸術の話はあんたの件以外聞かんな」と幻影が言うと、「壊れることを畏れる」と田崎が言った。


「ああ、それは今日見た」と幻影がつぶさに説明すると、「上洛じゃ!」と田崎は叫んで、大勢の配下を引き連れて走って行った。


「…そんなこともやってたんだね…」と定綱は眉を下げて言った。


「御所から使いが来たからな。

 早々に済ませて本来の仕事をしたかったんだけど、

 この件に首を突っ込んでしまった」


幻影が渋い顔をして言うと、「…それはごめん…」と定綱は素直に頭を下げた。



とんだ宝探しの件は、比較的簡単に終わり、幻影はすべてを信長に報告した。


「…じゃが、猿のやつの居城じゃったからな…」と信長が言うと、「現地は長春が見ています」と幻影が言うと、長春は首を横に振った。


「城跡近辺には何もないそうです」


もうすでに、信長は眉を下げてうなだれていた。


「長春、あとで淀城にでも散策に行くかい?」


幻影の言葉に、「…お散歩、いくぅー…」と長春は陽気に言った。


「…はは様、子供…」とその子でもある桃源が眉を下げて言うと、誰もが大いに笑った。


長春も淀城の敷地内には足を踏み入れているが、全てではない。


まるで飛び石のように陸地が点在しているので、必要な場所にしか移動する理由がなかったからだ。


もしも淀君の遺産でもあれば儲けものだが、琵琶家にとってはその行程が楽しいだけだ。



琵琶家全員で巨大戦艦に乗り飲んで、淀城の敷地内を一望していると、「…あそこだぁー…」とまるで確信したように長春が指を差した。


「祠がある場所だな」と幻影は確認してから、舵を取って旋回しながら戦艦を降ろした。


呼び出すことなく、定綱は家臣を連れて走ってきた。


「この祠、確認したか?」と幻影が言うと、「…いや、まだ手つかず…」と定綱は慎重に言った。


そして、「何かあるんだね?」と目を輝かせて言うと、「何かがあると予測したんだよ」と幻影が言っている間に、琵琶家一同は長春の指示で祠の移動を始めていた。


もうすでに妙栄尼が経を上げているのでわかりやすかった。


この件に関しては桃源はごく普通に楽しそうにみんなと働いているだけなので、お宝探査能力は長春だけのもののようだ。


しかし、金属の何かがあることは幻影も察知していた。


すると、正立方体の石棺のようなものが現れ、弁慶と源次が力技で持ち上げて地上に上げた。


「すぐに埋めた方がいい」と幻影が言うと、穴の底に水が湧き出ていたので、すぐさま土を落として踏み固めた。


石棺を開ける前に、祠を元の場所に戻してひと心地着いた。


そして誰もが石棺を見入っている。


「ほら、定綱が開けろよ」と幻影がにやりと笑って言うと、「…えー…」と定綱は大いに苦情があるようだが、すぐに家臣たちが石の蓋に手をかけて持ち上げた。


「おー… 銀だな…」と幻影は言って笑みを浮かべた。


「ふーん… 鋳造に失敗した丁銀か…

 茶々のへそくりといったところか…」


信長の言葉に、誰もが大声で笑った。


「よかったな、そこそこ金持ちになったぞ」と幻影が言うと、定綱は目を見開いていただけだ。


「…重いはずだ…」と弁慶は眉を下げて言った。


どう見積もっても百貫ほどは優にある。


ほかにないかと探したが、丁銀の出来損ないばかりだった。


しかし底の方に、角が欠けた書箱がその姿を見せると、「…おー…」「…あー…」と誰もが声を上げた。


「へそくりの理由が書いてあるんだろう。

 だが、豊臣家子孫繁栄などと書かれていると悲しくなるよな…」


幻影の言葉を聞いて、誰もが箱から後ずさりを始めた。


信長が口をへの字に曲げてふたを開けると、数枚の二つ折りの書が入っていた。


そして紙を開いて、「…下手だが似てるな…」と信長は言って更に口をへの字にした。


それは豊臣秀吉の似顔絵だった。


『とと様の助けになるように』と書かれていたので、茶々が生んだ子の誰かの書だろうと誰もが思っていた。


「…使えないんだけど…」と定綱が大いに眉を下げて言うと、「ああ、この想いがあるとそれはできそうにないな」と幻影もすぐさま賛同した。


「歴史の遺物として展示すればいい。

 誰であろうが結果がどうあろうが、

 子の親に対する想いがここにある」


信長の言葉に、「…報告してからそうしたい…」と定綱は言って、石棺を家臣たちに担がせて城に戻って行った。



翌日の昼餉のあと、幻影たちが薩摩に旅立つ準備をしていると、江戸から鳩が飛んできた。


旅立つのは今日ではなく数日後だが、今回はたくさんの木材を持ち込むことになるので、その準備だけでも一苦労だ。


足りない分は安土、松山に飛んで持ち出すことに決めている。


鳩が運んできた書には、秀忠からの苦情が書かれていた。


『面倒なものを発掘してくれたね?!』といわんばかりだった。


どうやら江戸から調査団を派遣して詳しく調べることにしたようだ。


この三日後に、琵琶一族は薩摩に物見遊山がてら飛んだ。


飛ぶのだが、それは海面ぎりぎりだ。


さすがに大荷物があるので、荷物の方は海面にある。


力加減と舵取りが大いに難しいはずだったのだが、振り子補助動力のおかげで大いに安定していた。


凪の日を選んだのも功を奏して、巨大戦艦は鶴丸城の東にある指宿近くの港に無事停船した。


もちろん、役人がすぐさま見つけて、挨拶にやってきた。


戦艦には、『天雲大名琵琶家』『琵琶徳川家』『法源院屋』の幟が立っているし、この戦艦を空に飛ばせるのは琵琶家しかいないのでわかりやすい。


工房はすでに建ててあるので、荷を片付けてひと心地着いて、役人を交えて昼餉となった。


「こっちはまだ暑いほどだな…」と信長は冷やしうどんをすすりながら、手拭いで汗を脱ぐっている。


「…はあ… 東側よりは温かいようです…」と役人は恐縮しながら言って、「…うまいぃー…」と言って冷やし蕎麦をさらにすすった。


すると猛然たる勢いで、法源院屋の大八車がやってきた。


鶴丸城からはかなり離れているが、琵琶家が薩摩に到着していることは知れ渡っているようだ。


「君、明日から琵琶家の一員ね」という幻影のやさしい言葉に、「おー…」と誰もが言って、大八車の引手の丁稚に拍手を送った。


番頭もようやく息を切らしてやって来て、「…我が店の原動力…」と言いつつ立ち止まって腰を地面に落とした。


もうひとり女中がいたが、こちらは大八車に乗っていたので涼しい顔をしていて、「…やっぱり、誘われちゃったぁー…」と悲し気に丁稚に言った。


「受けるか受けないかは君の自由だ」と幻影が言うと、「お世話になります!」と丁稚は清々しい言葉を発した。


十二才にしては体は大きく、十四才になった信幻とそれほど変わらず、年齢の割には大柄だと感じさせた。


しかし残念なのは、根っからの農民であることがすぐにわかったのだが、特に武家を育てるわけではないので、全く問題はない。


「まさか牛と押し相撲をして鍛えたとか?」と幻影が聞くと、「…やっていたら叱られちゃって…」と丁稚は恥ずかしそうに言った。


「ほら、うちには熊も獅子もいるから、

 押し相撲し放題だ」


幻影の言葉に、巖剛と獅子丸が小走りでやって来て、まずは巖剛が丁稚に体当たりをくらわしたが、びくともしないと感じて目を見開いた。


「なかなかのつわもののようだ」という幻影の言葉に、信長は上機嫌になってうなづいている。


「琵琶高願だ。

 君の名前を聞かせて欲しい」


幻影の言葉に、今更ながらに緊張したのか、丁稚は直立不動となったが、「源蔵です!」と名を叫んで、ほっと胸をなでおろした。


「源蔵の代わりになる者を探して雇わないとな。

 どうせ、ここにできる店で働くんだから、

 すぐに見つかるだろう」


幻影は大いに楽観して言った。


その大勢いる候補は遠巻きに琵琶家を観察しているのでより取り見取りだ。


しかも物見遊山も者もわずかにいるのでさらに都合はいい。


天雲大名の真実の行いを幅広く披露できるからだ。


そしてあっという間に法源院屋の出店が完成して、商品を並べ始めた。


もちろん統一商品はほとんどなく、この薩摩近隣での加工品がほとんどだ。


そして幻影は手持ちの加工品と昼餉の残りを店に売った。


責任者の番頭命令で三人で味見をして、「…うまい…」とつぶやいて天を見上げて、商売の神に感謝した。


客が店内を物色している間に、幻影たちは菓子などを作り上げて、さらに店の売り上げに貢献した。


「…お店のひと月の売り上げ…」と番頭は涙を流し大いに喜びながらもしっかりと仕事もした。


「明日は魚を仕入れられたらさつま揚げを卸すから、

 さらに売り上げが上がるぜ」


幻影の陽気な言葉に、番頭は、―― 生きててよかった… ―― と大いに感動していた。



今日のところは琵琶御殿の基礎工事だけをして、出店の法源院屋の働き手たちとともに鶴丸の法源院屋に行った。


「なんと!」と店主は今日の稼ぎに驚き、番頭たちを大いに褒めてから、琵琶家一同に丁寧に礼を言った。


まずは風呂に入らせてもらうことになり、まずは女性たちを優先させた。


幻影は火照った体を冷やすために氷を作り出して、冷水や冷えた茶などを飲んで、「…あー、天国…」と誰もが言って笑みを浮かべた。


もちろん、法源院屋の丁稚たちにも勧めて、大勢でのお茶会が始まった。


「ですのであなた様の畑の作物は買わないと採算申しております」


店の方から店主の声が聞こえたので、幻影が事情を源蔵に聞くと、「…いてはならない虫がついていて…」と眉を下げて答えた。


「…ふむ… 鎖国はしたものの、いないはずの虫が居座った、か…」


幻影がつぶやくと、「…難しい問題じゃな…」と信長は言って動物たちを見回して、獅子丸に苦笑いを向けた。


そして、「おまえが何とかせよ」と信長が言うと、獅子丸は長春を鼻先で突いて店に出て行った。


もちろん店内は大騒ぎになったが、「虫、いないよ!」と長春が叫ぶと、「琵琶家が買い取る!」と信長が叫んだ。


すると財布役の妙栄尼が薄笑みを浮かべて店に出て行った。


もちろん長春が小動物たちに虫の有無を調べさせたので間違いはない。


妙栄尼が戻って来て、「琵琶家がいる間は検査をして買い取ることにしましたが…」と言って眉を下げた。


「長春様を連れて行ってきます」と幻影が言うと、「…あ、ああ… 行ってきてくれ」と信長は珍しく躊躇して言った。


できれば休息をとってからの方がいいと思ったのだが、日が暮れる前の方がいいと判断したからだ。


「幻影、何か食いながら行け」と信長が大いに気を使って言うと、「長春様が何なりと持っておられますから」と幻影は陽気に言って、阿利渚と桃源を抱き上げて、宙に浮かんだ。


長春は獅子丸に抱きついて、ふたりして宙に浮いたので誰もが目を見開いて、「…獅子丸も飛べたのかぁー…」と初めて見た者たちは驚きの声を上げた。


幻影は比較的足取りが軽い、大八車を押している農民を呼び止めて、大八車ごと宙に浮かべて、男の所有している畑に飛んだ。


「…あー… 驚いたぁー…」と男は冷や汗をかきながらも幻影に礼を言って、作造と名乗った。


「変わった虫っていないよ!」ともう結果が出たようで、長春が叫んだ。


「大体察しはついたよ。

 作造さんははめられたんだ」


幻影の言葉に、「…やはりそうでしたか…」と作造は心当たりがあるようですぐさま認めた。


「その手口は、荷を運んでいる時だろうね。

 ほかでもあるんじゃないの?」


「…ありましたが、首をくくりました…」と作造は言って大いにうなだれた。


「その件があってからは、

 ひょっとして害虫騒ぎって、なくなったんじゃないの?」


「…えっ?! へ、へえ… 聞かねえです…」と作造は目を見開いて答えた。


「犯人は怖くなったんですよ。

 まさか首をくくるとは思ってもいなかった。

 だから、子供のいたずらに近いこと…

 問題は、その害虫をどこで手に入れたかですが、

 薩摩や肥後よりも北から来た農家を知らない?」


「…首をくくった、庄屋の家に…」と作造は目を見開いて言った。


「計画的か、偶然か、微妙だね…」と幻影が言うと、「…恐れ入りました… …ありがとうございました…」と作造は涙を流しながら言った。


「…両方、かもぉー…」と阿利渚が眉を下げて言うと、「…なるほどな… 作造さんには子供のいたずらで、庄屋の方は計画的だった、か…」と幻影は言って、作造にその庄屋の畑の場所を教えてもらった。


すると鳥たちが飛んで行ったが、すぐに引き返してきた。


「いたって!」と獅子丸の背中に乗っている長春が叫んですぐに、幻影たちは城に飛んだ。


幻影の話を聞いた島津忠恒は、まだ明るいうちにと調査団を編成してすぐさま行かせた。


幻影は暗くなっても問題がないように、反射鏡付きの提灯を献上した。


まさか役人が踏み込んできて、さらには確たる証拠である害虫を見せつけられて、庄屋は大いにうなだれた。


この庄屋になり変わった男は、出荷の際にはかなり丁寧に虫駆除をしていたそうだ。


よって足がつくことはなかったが、作造が疑われた件は肝を冷やしたそうだ。


まさに子供のいたずらで、害虫を荷に入れ込んだらしい。


害虫駆除は簡単なことではない。


まずは幻影特製の除虫剤を庄屋の住居と畑の回りに仕掛けて、敷地の外から一気にすべてを焼き尽くした。


ここまでしないと、害虫駆除は成功しない。


火が消え、煙も消えた後に、動物たちに確認させると、「…いないって…」と長春は眉を下げて言った。


「…長春殿、さらにご協力願いたい…」と忠恒は言って頭を下げた。


「…うん、きちんとお仕事するよ?」と長春は眉を下げながらも言った。



幻影と長春は法源院屋に戻って、信長に報告すると、「…長春が役に立った…」と涙を流して喜んだので、―― 気苦労はあったんだな… ―― と誰もが察した。


「きちんと認めてくれてたのって、

 幻影お兄ちゃんと藤十郎さんだけだったよ?」


長春の本音の言葉に、琵琶一家は大いに眉を下げて長春に頭を下げた。


「そのようなことはございません!」と蘭丸が胸を張って言うと、「…お蘭ちゃんは主従関係だから別ぅー…」と長春は眉を下げて言った。


「…くっ! 幻影に負けた気が…」と蘭丸が悔しがると、「…お兄ちゃんはいつもいつも無理を聞いてくれたもぉーん…」と長春は明るく言った。


「だから小さな花火大会」と長春が手のひらを返したように言うと、「御殿が建ってからだ」という幻影の言葉に、長春は満面の笑みを浮かべた。



翌日からの三日間は、幻影と長春は薩摩中を飛び回って、害虫の確認作業を行った。


幸いにも農地中を焼け野原にする必要はなく、庄屋の近隣の農家の畑や森など、三カ所だけに留まった。


もちろん、畑を焼かれてしまった農家は大いに困るが、ここは幻影が奇跡を発揮して、焼け野原だった畑を復活させ、実り間近まで成長させた。


まさに奇跡の技に、「…とんでもねえ…」と農民は言ってから、幻影に大いに礼を言った。


「できれば、欲を持たないようにと願っておくよ」と幻影が眉を下げて言うと、「…へ?へえ…」と農民はわけがわからず生返事を返した。


完全に実った時に、作物の差が顕著に現れることがわかっているからだ。


そして半焼してしまった二つの森は、忠恒の許可とそして希望を兼ねて、ひとつに桜、ひとつに桃を植えて、行楽目的の森に変えた。



幻影は疲れた体を癒すため、弁慶たちとともに指宿温泉に行った。


さすがに奇跡の技は半端なく堪えると改めて思い知った。


「…生き返ったぁー…」と幻影は露天の湯に浸りながら感慨深く言った。


すると信長の命により、「幻影と長春は二日間完全休養」という地獄の命をもらってしまったのだ。


「皆の者、ふたりに頼ることは決して許さん」


信長の言葉は絶対だが、―― 必ず頼ってしまう… ―― と誰もが眉を下げて考えてしまっていたことに、ここは心を鬼にすることにした。


「さらには、無視することも許さん」という信長のさらに厳しい言葉に、―― 御屋形様も鬼となられたぁー… ―― と誰もが大いに嘆いていた。


「あ、幻影…

 あ、松太郎、冷えた蕎麦を」


信長が早速幻影を頼ろうとしたので、誰もが大いに眉を下げていた。


―― 休養にならねぇー… ―― と幻影は大いに苦笑いを浮かべた。


だが、本気で幻影は自分自身の体が心配だったので、ここは自然体でいることに決めた。


よって家族から離れるのが一番と思って、新設した子供たちの遊び場に行くと、長春が大いに眉を下げていたので、―― 仲間がいた ―― と幻影は思い、長春とふたりして休暇を楽しむことにした。


「…奇跡は奇跡でしかないと思うかい?」と幻影が長春に聞くと、「…奇跡じゃないんじゃないのかなぁー…」と答えた。


―― これは重要なのではないのか… ―― と幻影は思い、奇跡を起こしたすべてを思い起した。


「…無理をしていた…

 …もっと自然体で…」


幻影は辺りを見回して、小さな雑草を見入った。


「…雑草の強さ? …ううん、違うわ…」


長春は雑草を動物だと考えながら見入ると、「…あー… なんとなくわかった気がぁー…」と言って、長春は子猫を抱きしめた。


すると幻影の白猫から長春の想いが届いて、「…そうかい、こういうことかい…」と幻影は笑みを浮かべて雑草に指を触れると、一気に膝まで伸びて枯れた。


まさかの結果に、「…えー…」と長春は大いに嘆いた。


「大丈夫。

 雑草の芽はもう芽吹いている」


幻影は言って手のひらを地面につけると、雑草の小さな芽が出た。


「大自然の力を中継しただけだ。

 俺はそれを、俺の力を使ってやっていた。

 だから無理があったんだ」


幻影は言って瞳を閉じて、両腕を広げて、まさにこの辺りの大気と同化して、ゆっくりと腕を振った。


すると、小さな川の上だけに黒い雲が現れて、一瞬雨が降って雨雲は消えた。


幻影は目を開き、「まったく辛くないどころか清々しい」と明るく言った。


「…うんうん、よくわかっちゃったぁー…」と長春は言って子猫を抱きしめた。


幻影と長春はふたりして空き地に小さな農園を作って、肥料と水をたんまりとやって、一瞬にしてすべてを成長させた。


そして生で食べられる野菜をもいで大いに食らった。


「…西瓜、あまぁーいぃー…」と長春は大いに陽気に言って、季節外れの西瓜を大いに堪能した。


そして種だけを集めてまた農地を耕して種をまいて、食べ切れないほどの西瓜を収穫して、子供たちに分けてから、残りは法源院屋に売った。


この薩摩でも時季外れの西瓜に、誰もが買っていく。


もちろん味見もしているので、うまさには間違いがない。


「…おまえらぁー…」と幻影と長春を見つけた信長が大いにうなった。


しかし鼻で笑って、「克服できたのならそれでよし」と信長は言って西瓜を買って、豪快に手刀で割って食らってから、「おー、これはうまいな…」と言って感動していた。


琵琶家一同も法源院屋にやって来て、西瓜をおやつ代わりにした。


さらに西瓜だけが売れて、完売御礼となった。


幻影と長春は農地をまた耕して、西瓜を成長させて、ほとんどを法源院屋に持ち込んだ。


ついにあふれんばかりに客がいたので都合がよかった。


「今日は終わりだ」という幻影の言葉に、「完売したら今日の分はもうないよ!」と番頭が威勢よく客を煽った。


「…芋羊羹に、水羊羹…」と長春が言い始めたので、小豆、薩摩芋、寒天、唐黍を大量に生産して、早速調理を始めた。


結局ふたりはいつもとそれほど変わらないほど働いて、妙栄尼に持てないほどのカネを渡した。


「…水羊羹おいしぃー…」と長春は大いに喜んでいる。


「…幻影、あいや、松太郎、芋の甘露煮」と言うと、松太郎は笑みを浮かべて厨房に行って、すぐに戻ってきた。


「もう作っておったか」と信長は言って幻影をにらんでから、楊枝で芋を差して満足の笑みを浮かべて何度もうなづいた。


「…これが、贅沢な味なのね…」と濃姫が言って芋羊羹をむさぼっている。


「日持ちもするので、しばらくはいつでも食えますから」


幻影の言葉に、誰もが納得して大いにうなづいた。


夕餉では新鮮な野菜ばかりを大量に使った筑前煮が大好評で、誰もが大いに大飯を食らった。


「…さらにうまいぃー…

 贅沢じゃぁー…」


信長は大いに感動して、今まで以上に食らっている。


おやつを大いに食らっていたはずだが、食事は別腹だった。


「…幻影、あ、いや…」と信長が言うと、「冷やしうどんですね」と幻影は言ってすぐに立ち上がった。


「…ダメな人だわ…」と濃姫がさらりと言うと、信長は大いに眉を下げていた。


―― 頼らないように頑張ってはいけない… ―― と琵琶一家は心をひとつにしていた。


しかも幻影はいつも通りに戻っていたので、もう気にしないことにした。


そして何があって復活を遂げたのかが気になったが、さすがに聞けなかったし、天狗の術の部分だと聞いてもわからないはずだ。


「…あのね、頼ることが重要なんだって」と桃源が言うと、誰にもその意味が解らなかった。


「自然界に身をゆだねることでね、

 無理な力を使わなくてよくなったんだって。

 どんなことでも、強制しちゃいけないんだって」


桃源の言ったことは、全てのことに通じると思い、それを自然にすることが重要だと、誰もがある程度は納得できた。


「…昨日は、自然界と戦ってしまったわけだ…」と信長が言うと、「うん、きっとそう… だからすっごく疲れちゃったの…」と桃源は眉を下げて言った。


「幻影の天狗の術は、幻影しか使えない可能性が高いな。

 教えてできるものではなさそうだし、

 幻影と同じ人間でないと再現は難しいように思う。

 じゃが、幻影の願い通りに、

 幻影と同じことができるようになってもらいたいものじゃ」


信長が感慨深く言うと、誰もが一斉に頭を下げた。


「ですが唯一わかっていることがあるのです」


幻影は戻って来て、信長たちに冷やしうどんや冷やし蕎麦を配膳した。


「それはある程度以上の冷酷さです」


幻影の言葉に、「…それは確かに必要かもしれぬな…」と信長は言って、すぐに気分を変えてどんぶりに食らいついた。


「冷酷さによく似ている感情があります。

 それは冷静さです」


幻影の言葉には信長だけが何度もうなづいた。


「時代のせいもありますが、私は戦場で何人も人を斬りました。

 ですがそこには冷酷さなどはありません。

 ただただ死にたくないから、向かってくる相手を斬ったのです。

 ですが唯一、私は冷酷さを出したことがあります。

 しかもみんなの眼の前で」


「それを背負うことも家族の務めじゃ」


信長の言葉に、幻影は救われたような気分になっていた。


「冷酷さを出してまで、斬る必要があったのかしら?」


妙栄尼の言葉に、「思いごと断ち斬る必要があったのです」と幻影は短く答えた。


「影武者であるとわかっていても、

 徳川家康である限り、斬らねばならなかったのです。

 それが唯一の、お師様への恩返しであり、

 お師様を超えるために必要だったのです。

 ですので私の天狗は、それほどいいものではないでしょう。

 ですが、その天狗にも負けないために、

 冷酷さは抑えるように努力を繰り返しました。

 まさに斬り捨て癖の禁止、ですね」


幻影の言葉に、信長だけが大いに笑った。


「冷酷さはあの一度切りのこと。

 この先は、多分ないでしょう。

 それにできれば、みんなにはこんな思いを背負わせたくはないのです。

 気功術は身に着けるべきですが、

 天狗の術は身につけない方がいいでしょう。

 ですが、使えるものは使うべきなのです。

 そして決して間違えないように。

 間違えた場合、私の犯した冷酷さが、

 一気に私を包み込んであの世に連れて行くことでしょう。

 これが仏への道らしいのです」


「えっ?!」と妙栄尼と信長が同時に声を上げた。


「まだ気功術なのか天狗の術なのかわからない頃、夢を見ました。

 夢にはある男がいて、仏にはなるべきではないと言ったのです。

 仏の定義は仏教と同じようでした。

 そして仏は、見て見ぬふりをするのですよ。

 それが修行なのです」


幻影の言葉に、妙栄尼の唇が震えていた。


仏の概念が根本から崩された思いがしたのだ。


「その男は言ったのです。

 世の中はもっと現実的だ。

 ああ、あんたは天狗の術と言っているようだが、

 それは勇者という種族が使うものだ。

 と、妙に気さくに言われてしまって大いに戸惑ったのです」


幻影は半紙に、『勇者』と書いた。


「勇気のある者という意味でいいそうです。

 ですが勇者という種族の意味は、

 まさに超常現象を起こす者らしいのです。

 修行次第で、指から殺傷力のある飛び道具の光まで出せるそうです。

 そして今日やった植物の成長も勇者のできる術のひとつです。

 昨日久しぶりに夢の件を思い出して、

 その当時の私に戻ってみたのです。

 すると、随分と遠いところまで旅をしたなぁー

 と、まず懐かしさが浮かんできたのです。

 そして出てきた言葉が、無理すんな、でした。

 ですがその手掛かりだけで、

 私は生まれ変わった気分になりました。

 今のところは、間違っている道は歩んでいないようです。

 そして仏陀が望んだ道は、まさに勇者の道だったように思うのです。

 やはり強くなければ誰ひとりとして救えないという想いだったのでしょうね。

 …おっと、繋がってしまった…」


幻影が嘆いた瞬間に、『そっちに行っていい?』と夢に出てきた男の念話が飛んできた。


「家族は驚くでしょうが、

 それも修行にします」


幻影の言葉に、男は高笑いをして、幻影の胸の辺りから飛び出してきた。


「…面妖な…」と信長は言って、大いに苦笑いを浮かべた。


「…残念…

 幻影君しかいなかった…」


出てきた男は言ってうなだれた。


「何か食べます?」と幻影が気さくに言うと、「あ、頂くよ!」と男は気さくに言って、「きらめききわみと言います」と自己紹介して座って、和紙と筆を手品のようにして出して名前を書いた。


「姓は煌、名は極、です」


あまりの達筆さに、誰もが目を見開いていた。


しかもその服装が、この日の国のものではなく、洋装に近いと感じた。


だが普通に布でできているもので、変わったところは何もなく、武器も持っていない。


「指から光を放てると聞いた」と信長が聞くと、「ええ、出せますよ」と極は言ってから、和紙をじっくりと見せた。


すると、指を添えただけで、墨を汲んだ部分がはらりと畳の上に落ちたのだ。


「手品です」と極が言うと、信長が大いに笑った。


そして、「幻影もそのように言っておったわぁー!」と機嫌よく叫んだ。


阿利渚と桃花は、切れ端を集めて、半紙にはめ込み始めた。


「…何事にも動じないお嬢さんたちで…」と極が大いに眉を下げて言うと、「どちらも多分神じゃがな」と信長は言った。


「ええ、不完全ですが間違いなさそうです。

 そしてこちらのお嬢様も」


極は長春に手を差し伸べて言った。


「長春さんと桃源ちゃんは同じ種類の動物使いですね。

 お母さんの長春さんは、

 興味のあることだけを見抜ける力を持っているようです。

 透視能力といったところでしょうか。

 こちらのお嬢さん…

 阿利渚ちゃんは、能力者で、

 勇者に近い存在ですね」


「…幻影も、脳内を探れると言いよったが…」


信長が濃然として聞くと、「ええ、彼はもうすでに勇者ですから」と極は朗らかに言った。


「おまちどう」と幻影は言って、冷やし蕎麦が入っているどんぶりと、皿に乗せた天ぷらを持ってきた。


「…あ、ここの料理が一番かも…」と極はつぶやいてから、さもうまそうにして大いに食った。


「…すべては水と塩と素晴らしい空気だ!」と極は機嫌よく叫んでいる。


「いやー… これほどのものは食ったことがなかった…

 来てよかったぁー…」


「ちなみにしてはならないことだけを教えていただきたいのです。

 もちろん、私個人のことではなく、

 ここに住む生物全てに関係のあることです」


幻影が真剣な顔をして極に聞くと、「文明文化の進化」とすぐさま答えた。


「飯がうまいのもそのおかげだから。

 人力やゼンマイまでの機械仕掛けは問題ないんだ。

 その先を望んだ時、一気に不幸が襲ってくる。

 動物が人間になるまでに、何百万年もかかったのに、

 その人間がわずか数万年で、この大地をダメにする。

 それはこの大地だけではなく全てにおいてだ。

 できれば、今ある技術以上のものを欲しいない方がいいと思う。

 どれほど便利だと思ったとしてもだ。

 そこには必ずといっていいほど、落とし穴があるんだよ。

 だからこそ、能力者や勇者が生まれるんだろうと思いたいね。

 できればここにいたかったけど、女王様が心配してるようだから帰るよ。

 ごちそうさま」


極は言って、その姿は消えた。


「…ジョウオウサマ?」と信長が言うと、「姫様のことです。もしくは女性の殿様の意味ですね」と幻影が答えた。


「殿が女なわけだ」と信長は言って、何度もうなづいた。


「ちなみに、いきなりここに現れて消えたのは気功術です」


幻影の言葉に、誰もが顎が外れたような顔をしていたので、幻影は大いに笑った。


「私も修行次第でしょうが、できるようになるのでしょうね」


すると蘭丸がいきなり幻影の首根っこを押さえつけて、「…行く時は俺も連れていけぇー…」とうなった。


「わかったわかった」と幻影が言うと、「絶対に逃がさねぇー…」と蘭丸はうなって手を放した。


幻影は首の後ろをさすって、「もげると思った…」と言うと、誰もが大いに眉を下げていた。


「肉体の変化、念話、飛行術、それに正常化の棺は序の口のようです。

 最終的には会ったことのある者に向かって肉体ごと飛べる。

 まさに究極でしょうね。

 それに、私たちが住んでいるこの世界のほかにも別の世界があるのでしょう。

 もちろん、海を渡って行くような近場ではなく、

 別の惑星でしょう」


幻影の言葉に、「もしも生物がいるとして、月もそうだよな?」という信長の言葉に、「はい、その通りです」と幻影は答えた。


「我らは月よりも巨大な星の上に住んでいるのでしょう。

 そして同じように太陽がある星の集まりの中に、

 生物が誕生する星が生まれる。

 地動説、天動説と意見は分かれていますが、

 この星はさらに大きな星の回りを回っているように思います。

 ここだけが特別だとは思えないからです。

 もしも機会があれば、煌極様に色々と教わることにします」


「どっちだか知りたいから聞いてくれ」と信長が言ったので、幻影は極に念話を送った。


「あ、はい…」と幻影は言って半紙に筆を滑らせた。


「ああ、なるほど…

 そういう仕組みですか…

 …真空?

 ああ、空気がないわけなのですね?

 はぁー… 大いに納得できたような気がします…

 …申し訳ありませんでした。

 本当にありがとうございました」


幻影は丁寧に礼を言って深くため息をついて、今極に教わった内容をすらすらと半紙に書き上げた。


「俺たちが見上げている空の先には空気がない。

 真空というやつで、空気がないことを示している。

 ではなぜ空気がないのに、ここには空気があるのか。

 この星にも月にも引力というものがあって、

 この星には空気があるが月にはない。

 月には生物は住めないわけだ。

 草花が発する酸素をその他の生物が必要としている。

 この星の引力によって、

 空気が真空に飲まれないように釣り合っていると言っていい。

 そして空に空気があってはならない理由は、

 空に浮かんで見える星々と釣り合っているからだ。

 逆に考えれば、空気がある場合、

 何らかの力で浮かばないと落っこちてしまうからという簡単な理由だ」


幻影は筆をつかんでから机の上に落とした。


「この星を出ると、この筆は宙に浮かんだままとなる」


幻影は言って、筆を宙に浮かべた。


「今は術を使っているが、真空だと仮定してくれ。

 …そして…」


幻影は机の上にあるものを色々と宙に浮かべて、それらをゆっくりと回し始めた。


「湯呑の蓋が月、丸い盆が太陽。

 この星は、お天道様である太陽の周りをまわっているそうだ」


「…すごい模型でみせてぇー…」と阿利渚が言うと、「そうしよう」と幻影は大いに眉を下げて言った。



幻影は模型を作ったのはいいが、お天道様の大きさに誰もが驚いた。


「…いや、これだと釣り合っていると言えるのか…」と信長が嘆きながら素朴な質問をした。


「その謎はそれぞれの質量、重さにあるのです。

 太陽がこれほど大きくないと、重さが足りないのです。

 太陽は水素という水のような物質でできています。

 よってもしも、この惑星と同じ大きさだと、

 この惑星の方が重いのです。

 そうであった場合、この惑星を中心として、お天道様が回ることになりますが、

 それでは大いに問題が発生するのです。

 真空ではあるのですが、太陽は水素を燃やして星々に息吹を与えているのです。

 もしもこの惑星ほどの大きさしかないと、

 すぐにしぼんでしまうのです。

 簡単に考えるのなら、ろうそくを思い浮かべてください」


「…そうだ… 蝋は燃えるたびに徐々に小さくなっていく…」


信長の言葉に、誰もがうなづいた。


そして、幻影は極に聞いた十二ある惑星を宙に浮かべた。


そしてそれぞれの構成物質の説明をして、質量と重量によって釣り合っていて引き込まれない説明をした。


「…だが… 釣り合っていることと、

 星が太陽の周りを回っていることには何か理由があるのか?」


信長の質問に、「真空でものが動き始めた場合、止めることはそう簡単にはできないのです」と幻影は言って、大量の小さな玉を宙に浮かべた。


「これが太陽系というこの惑星ひと塊の誕生です」


幻影は言って、全ての玉を高速で回転させて、隣に浮かべている立体天体地図と同じ大きさ、同じ配列にして、玉の塊を回し続けた。


「ちなみに、この動きを止めるにはかなりの燃料が必要なのですが、

 実は大八車を使えば説明はできます」


幻影は言って、大きな鉄の塊をもって大八車に乗って座った。


そして鉄の塊を地面に向けて投げると、大八車が動き始めたのだ。


「…えっ? なぜ動いたのだ…」と信長は大いに嘆いた。


「…おー… 成功したぁー…」と実験をしている幻影が驚いていたので、誰もが大いに笑った。


「鉄の塊を放した時に、鉄の塊の飛ぶ勢いと同等の力を感じました。

 よってこの方法を宇宙空間で使うことができれば、

 宇宙空間を飛ぶことが可能です。

 身近にあるのは、小さな打ち上げ花火。

 燃料である火薬を常に燃やして、

 それを動力源にして空に向かって飛んでいるのです」


幻影の宇宙の説明はまだまだ続いた。


ひとつ説明すると、数々の疑問がわいてくるからだ。


その説明を終えた時、起きていたのは信長と家老のふたりだけだった。


「…なんだか力関係の正しさをようやく知った気がしたな…」と信長は言って、幻影たち家老三人と肩を組んだ。


「理解することは難しいので。

 一番簡単なのは、この星を飛び立って、

 実際に宇宙空間に出ることです。

 その手立ては、天狗の力と気功術の力で実現可能です。

 ですが、真空の器を作ることはできますので、

 それで説明しても構いません。

 それがあれば、学士であれば理解は容易でしょう」


「…うう、見てみたい…」という信長の希望によって、幻影は机に乗る程度のそれほど大きくない装置を作り上げたが、付属している機械の方が大きい。


実際に見る部分は人の頭程度でしかなく、円形の透明のギヤマン製で、一カ所だけギヤマンの管が通っているものだ。


幻影が力強く取っ手を回すと、中に入れてある惑星の代わりの素材が違う大小の玉が大いにうごめいた。


そして、「あっ!」と信長たち三人が声を上げた時、小さな玉などがギヤマンの玉の中に浮かんだのだ。


幻影はここは天狗の術を使って、天体の代わりの玉を回し始め、術を切ったが、周り続けたので、笑みを浮かべて何度もうなづいた。


「…こうなっておったのかぁー…」と信長は玉をずっと見入っている。


「すべての説明が実ったと感じます」と影達は笑みを浮かべて言った。


「…適度に賢かったと、自信を持てた…」という光秀の言葉に、三人は大いに笑った。


「ですが悲しいかな、この装置は完全ではないのです。

 このギヤマンの中が、徐々に真空ではなくなるからです。

 とんでもない圧力をかけてありますので、

 どうしても空気が入りますが、

 一時ほどは維持できるでしょう」


「うむ。

 説明の証明には十分じゃ」


信長は機嫌よく言った。


「…不思議ぃー…」と起き出してきた長春と桃源の母子が、透明の玉の中を回っている、疑似太陽系を見入って笑みを浮かべている。


そして続々と家人たちが頭を振りながら起きてきて、装置を乗せている机の回りに集合した。



琵琶家一同が御殿を建てていると、長春と桃源が悲しそうな顔をして幻影のそばにやってきた。


「まずは仕事しろ」という幻影の無碍な言葉に、「…はぁーいぃー…」とふたりは言って、阿利渚のそばに寄り添った。


幻影が工房の外に置いてある机を見ると、ついに空気が入ったようで、すべての玉は底に溜まっていた。


そして数人の子供たちもさすがに無理は言えなかったようで、非現実的な幻影たちの働きぶりに目を見開いていた。


今回は幻影が大いに術を使って、わずか一日で御殿が建った。


そして巖剛がいつものように順当に温泉を掘り当てたので、男女ともに露天風呂に入って、大いに疲れを癒した。



琵琶一族が夕餉を摂っていると、「きたよ!」と間の抜けた声が聞こえた。


もちろん秀忠で、この薩摩には船に乗ってやってきた。


薩摩藩からも警備が出ているようで、この琵琶御殿の回りは厳戒態勢にあった。


「みんなに迷惑だからくんな」と幻影が無碍なことを言うと、「…幻影のお見舞いだったんだけどぉー…」と秀忠は眉を下げて言った。


どう考えてもいつもの幻影だったので、「…心配してたのにぃー…」と秀忠は言ってうなだれた。


「ああ、源次が伝えたのか」と幻影は納得しながら言った。


「…江戸城を守っている場合じゃなかったのでついつい…」


源次の申し訳なさそうな言葉に、幻影は大いに笑った。


「…竜胆がずっと泣いていたから、さらにわかりやすかった…」と源次が眉を下げて言うと、幻影は竜胆を抱き上げて礼を言った。


「死の淵にいたわけじゃなかったが、

 道を間違っていたら死んでいたかもしれん」


幻影の言葉に、秀忠は今更ながらに背筋を震わせた。


「意味合いは違うが、

 徳川家康の怨念にとり殺されそうになっていたと言っていいだろう」


幻影の言葉に、秀忠はすぐさま耳をふさいだ。


「…大業を起こすには、それをも超える大業が必要なのじゃな…

 それでこそ釣り合っていると言っていいじゃろう。

 さらには、その想いが人に対してであってはならん。

 その悪しき思いを断ち切らねばならぬのだ。

 徳川家康の場合は、大いに都合よくわかりやすかったから、

 比較的簡単じゃったと言っていいじゃろう」


信長の意味深な言葉に、秀忠はまた手のひらで耳を押さえつけていた。


「ええ、今考えると、私の場合は楽だったのでしょう。

 煌様は、私などをさらに凌駕されておられるようですから。

 我ら琵琶家の活動を、惑星を飛び出してされておられるそうです」


幻影の言葉に、「…負けてはおれぬわぁー…」と信長は大いに気合を入れてうなった。


「…キラメキって誰だよぉー…」と秀忠が聞くと、「俺の数万倍すごい人」という幻影の言葉に、秀忠と側用人たちは目を見開いた。


「一般人には話をしてくれないと思っておいた方がいい。

 簡単に言えば確実に神だ。

 その神がさらに大勢いるんだ。

 もしもここにやってきたとして、悪しき思いがあれば、

 誰も太刀打ちできないさ」


「…我らと同じことをしているんだ、

 悪しき想いはないじゃろうが…

 ここに姿を見せて真っ先に嘆いておったな?」


信長の素朴な質問に、「できればだれかを雇いたかったのでしょう」と幻影が眉を下げて言うと、「…そういうことか… その力を持つ者が幻影しかいなかったから嘆いたわけかか…」と信長はつぶやいて何度もうなづいた。


「そうなると、その神たちはまだまだ少ないと感じました。

 できれば修行として、

 あちらの仕事を見て来たいと思っています。

 そして、文明文化の進化がいけない実例も、

 実際に体感したいのです。

 そして食べ物が、我らが作ったものが相当にうまいものだという事実。

 空気と水の維持が最優先となるのでしょう。

 外の世界を見てきてから、

 我らの活動のこの先の方向性を見極めるべきかと」


「…全員で、あっちに移住するか…」


信長がにやりと笑って言うと、「それだけはやめてー…」と秀忠がすぐさま信長に懇願した。


「神のようにいい加減で、雲のように自由なのが天雲大名だが?」


幻影の言葉に、「…しまったぁー…」と秀忠はつぶやいて大いに頭を抱え込むと、琵琶一家は大声で笑った。


「それにだ。

 もしも本当に天雲大名が消えたと誰もが確信した時、

 悪しき膿をすぐに絞り出せるぞ?」


「…うう… それは一理あるぅー…」と秀忠は嘆きながらも何とか言った。


「…ま、信用を無くし、敵対視する者も現れそうじゃから、

 それはやめた方がよいやもしれぬな…」


信長の言葉に、「そうですね、罠を仕掛けるようなものですから」と幻影は穏やかに答えた。


「…我をからかってるの?」と秀忠は唇を尖らせて言った。


「だが、視察に行く話は事実だぜ。

 その時は最低でもお蘭は連れて行く。

 となると、阿利渚も連れて行くことになるな。

 もちろん、これ以上増やすと、

 琵琶家一同の引っ越しになりそうだから…

 まああとは、母ちゃんまでかなぁー…」


幻影の言葉に、「…そうなるな…」と信長は言ってうなだれたが、妙栄尼は手のひらを合わせて腰を浮かして喜んだ。


「…問題は、あの手品…」と蘭丸が幻影をにらんで言うと、阿利渚が文字をくりぬかれた半紙を持ってきた。


幻影は半紙の断面を見入って、「もちろん焼かれてはいないし、欠損しているとは思えないほどに切れてるな…」と墨の文字をはめて言った。


「もしもこんなものをぶっ放されたら、

 守る術がねえ…」


蘭丸がうなると、「だけど、煌様は生きているから、その術はあるんじゃないの?」という幻影の言葉に、「…聞けぇー…」と蘭丸がうなった。


「あっちに行った方が早いし、聞き捲るのもあちらさんに迷惑だから…」と幻影は苦笑いを浮かべて言った。


「…ま… まあ、いいわ…」と蘭丸は女性らしく言って顔を赤らめた。


あまり言いすぎて、幻影に嫌われてしまうことを避けたのだ。


そして、「異世界への物見遊山…」と大いに感動して言うと、誰もが白い目で蘭丸を見ていた。


「じゃが、妙栄尼は行かせん。

 人質じゃぁー…」


少々怒っている信長が言うと、「はい、ここは当然でしょう」という幻影の言葉に、「…少しは反抗してぇー…」と妙栄尼は大いに嘆いた。


もちろん妙栄尼も、こことは違う別世界に興味津々だった。


「お蘭が暴れなければ、阿利渚も置いていきたいところですから」


幻影の言葉に、信長は大いに笑った。


「…何が起こるかわかったものではないからな…」と信長が真剣な目をして言うと、「御意」と幻影はすぐさま言って頭を下げた。


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