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赤手裏剣 akasyuriken


   赤い幻影 akaigenei ~土着編~



     赤手裏剣 akasyuriken



秀忠は今回の職務に大いに納得して江戸城に戻り、幻影たちは家光一行と信幻一行を戦艦に乗せて会津に向かって飛んだ。


ほどなく会津にたどり着き、嘉明は信幻を見つけた途端、まるで父のように寄り添うと、信幻は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。


もちろん武家社会では重要なことでもあるが、信長の機嫌が悪くなっていたが、さすがにここは我慢していた。


だが信幻はすぐさま信長に駆け寄り、「毎日のお仕事、本当にお疲れ様です!」と気さくな労いの言葉をかけると同時に、信長は一瞬にして破顔した。


「おまえの父ちゃんほどは忙しくはないさ」と信長はここは幻影を労うように穏やかに言った。


信幻は満面の笑みを浮かべて、家族たちに丁寧に頭を下げて家光の隣に戻った。


すると家光はまずは登城して行った。


「家光には家光の考えがある。

 秀忠が語ったことは確実に心の重荷になっているはず。

 ここは信幻がどう判断するのか、

 なかなか面白い…」


信長は言ってにやりと笑った。


「自然にここの城主候補を連れて行きましたからね。

 殿様としては心穏やかではないでしょう」


幻影は大いに、蒲生忠知を気遣った。


高虎は帰ることなく、微妙な顔をして、先の大地震で少し傾いている若松城を見上げている。


「何か話でもあったのか?」と幻影が聞くと、「…於亀が出戻りになりそうだ…」と高虎は眉を下げて言った。


嘉明も親族という件では関係があり、忠知の妹が嘉明の息子に嫁に出ている。


それとは逆に、忠知の妹が高虎の息子の嫁に来ているという縁もある。


もしその間に複数の子ができれば、会津藩主に抱え上げることも可能だが、戦乱の世ではいくらでもあったが、平和となった今では実例はそれほどない。


幕府の目が少々厳しくなっているからだ。


すると家光たちはもう城から出てきた。


「…臥せりおったか…」と言った信長の言葉に、幻影と高虎は賛同するようにうなづいた。


「…武家には武家の悩みや苦しみもある。

 じゃが、それを民衆にさらしてはならぬ。

 そこには戸惑いと不幸しか待っておらぬからな」


「御意」と幻影と高虎は同時に言葉を放った。


「…どうにかならぬのか?」と高虎はうなり声を上げて幻影を見入った。


「虚弱な殿と暴君とどっちがいい?」


幻影のこの言葉に、高虎は答えられなかった。


「…手を出すべきではないはずじゃ…」と信長はつぶやいた。


「よい政治ができるため、

 カネだけならいくらでも献上してやるが、

 さて、それがどこまでもつかなぁー…

 きっとそれすらも受け付けなくなりそうだからなぁー…

 だからこの地の法源院屋の売り上げを大いに伸ばせば、

 税という形での長期の謙譲は可能だ。

 もう始めているから、勘定方は喜んでいるはずだ」


「…そのための、法源院屋でもあったのか…」と高虎は今更ながらに言うと、「…おまえ、入ってくるカネの出どころを見てないのかよ…」と幻影は大いにあきれ返って言った。


「…うう… すまん…」と高虎は言って頭を下げた。


殿様としては、そのようなことはいちいち確認はしないものだ。


多ければ多いほど、殿様としては喜ぶだけのことでしかない。


「…伊勢と今治の法源院屋にもさらに商品を回してやる…

 カネのありがたさを思い知れ」


幻影の言葉に、高虎は無条件で頭を下げた。


信長はこのふたりの家臣に満面の笑みを向けていた。


「…そうだったのかぁー…

 ただの宿泊施設で便利屋だとばかり思っていた…」


蘭丸の言葉に、信長は大いに笑い、「我らから見れば、そういう使い方の方が目立っておるからな!」と機嫌よく叫んだ。


「だがな、この先、問題は大いにあるんだ。

 それは根本的な仕入れ値だ。

 これが上がっちまうと、思うままにカネを生み出せなくなる。

 だから今のうちに、稼げるだけ稼がせてやりたいんだ。

 そして専用の農地が重要になってくるはずだ。

 そのためにも、上田にこだわったと言っていいだろう。

 あとは、琵琶家専用の漁場、だよなぁー…

 江戸にはあるからいいとして、

 ほかの候補は越前、赤穂、駿河のこの三カ所かなぁー…

 たまには政宗を頼って、仙台辺りでもいいけどな。

 もちろん農地も含めて」


「…明石の鯛、おいしかったぁー…」と長春は高揚感を上げて言って、笑みを浮かべて幻影を見上げた。


「残念だがうまい鯛の時期は過ぎた。

 また来年のお楽しみだ」


「…えー… そうなんだぁー…」と長春は言ってうなだれた。


「特に夏になると魚は傷みやすい。

 保存が利く干物にする魚が、

 しばらくは俺たちにとっては主要になってきそうだ。

 あれはあれでうまいからな」


「…この山に囲まれた場所で海の幸の話をするでない…」と信長は大いに眉を下げて言ったが、「明日の朝早くにでも近場の魚河岸にでも行って仕入れて来ます」と幻影は笑みを浮かべて言った。


信長も長春もすぐさま陽気になっていた。



家光も信幻も何も語ることはなく、もちろん信長たちが聞くこともなく、この日は穏やかに終わり、翌朝日が昇る前に、幻影は力自慢四人を連れて戦艦に乗り込んだ。


動力源はわずか五名だが、難なく戦艦は宙に浮かび、まずは蝦夷の地に飛んで、雪を大量に仕入れた。


仕入れたと言っても、高い山の頂上辺りから失敬しただけだ。


初夏といってもまだ雪が解け切ってないこの地は、しばらくは保冷用の雪を仕入れることができる唯一の地となっている。


次に一気に南下して、生実のいつもの魚河岸に行って、今回は通常品とかなり安い魚を大量に買って、すぐさま会津に戻った。


できれば警護役の千人全員の腹を満たしてやりたいので、大量に仕入れたのだ。


工房はまさに魚河岸となり、様々な調理が行われ、いつもの時間の朝餉となった。


「…朝っぱらから豪勢な…」と信長は言って目で素晴らしい料理を食らった。


朝餉の中心は、焼き魚と煮つけ、そしてさつま揚げだ。


朝からうまい料理を大いに食らって、この日の活力に変わって行った。


法源院屋でもうまい匂いに誘われて、朝っぱらからさつま揚げなどが飛ぶように売れた。


「…どうして朝からおせんべい?」と濃姫は言って、固いせんべいを食らって、「あら、これって…」と言って笑みを浮かべた。


「魚の骨のせんべいです。

 骨の髄まで逞しくなれます」


「…これは手間がかかっておるな…」と信長は言って、『ばりばり』とまさに固いと言わんばかりの音を立てて食らった。


魚の骨が入っているとは思えないが、普通のせんべいの硬さではない。


しかし噛めないと意味がないので、小麦と米粉を少量混ぜて乾燥させて焼き上げたものだ。


「廃棄するものではあるが、その分手間がかかる。

 じゃから、一般ではそれほど作るわけにはいかないものだからこそ、

 ワシらが作ってやればいい」


信長は機嫌よく言った。


「骨は火であぶってから平らな石を叩きつけて、

 とりあえず押しつぶしてから、石臼で挽くだけですが、

 なかなかの体力勝負でしたので、いい鍛錬になりました」


幻影の言葉に、「次はワシも手伝う」と信長は言った。


「骨を強くすることも認められますが、

 心を穏やかにする効果もあるようです。

 特に魚は脳にいい効果を上げる要素もあって、

 頭の回転が速くなる、

 世間一般の言葉で言うと、賢くなるそうです」


幻影の言葉に誰もが一瞬固まってから、競い合うようにして魚を食べ始めた。


―― 俺の欠点は、多分これだった! ―― と普段は魚を好まない影達は大いに魚を食らった。


機嫌よく食べることで、多くのものが身になって欲しいと前向きに考えた。



この会津藩を支える過度のものがある。


それは磐梯山にある金銀を採掘する鉱山だ。


よって会津藩はカネには困っていないからこそ、争いも多いのだ。


そんな時、十年ぶりの大きな地震が会津藩一帯を襲った。


琵琶家一同はすぐに外に飛び出し、倒壊した家々から人々を助け出した。


多少傾いていた若松城はさらに傾いていたが、幻影の力があれば楽に直せる範疇だった。


幻影は人々の心の叫びを的確に聞き分け、家人たちに大声で指示を出して、誰もが雄々しく素早く人々を救出した。


早朝ということもあり、ほとんどの住人は家の中にいた。


救助活動は会津藩を中心に広範囲に渡った。


もちろん助けられなかった不幸も多くあったが、「我らは最善を尽くした!」という信長の一喝に、誰もが胸を張った。


ここから幻影は、鬼寸前と言っていいほど鬼人のようになって人々を苦痛から解放していった。


信長の言った通り、気を張っておかないと、これから失ってしまうかもしれない命も多くあったからだ。


琵琶一族は多くの食料を生実、安土から運んで、まずは炊き出しを開始した。


この運搬途中に、家光と信幻を江戸城に戻している。


混乱のさなかに何かがあっても問題だからだ。


よって将軍警備の任を解かれた二藩の旗本たち千名は、うまい飯を食ってからそれぞれの藩に戻って行った。


もちろんこれには理由があり、けが人たちを警備人たちの宿舎に運び込んだからだ。


温泉もあることで回復も早まるだろうと誰もが期待した。


それと同時期に、家の建て替え工事がもう始まっていた。


十年ほど前の大きな地震の影響もあって、全ての建物が崩れやすくなっていたのだ。


そのついでに若松城も何とかまっすぐに立て直すことに成功した。


まさに琵琶家はこの地の守り外として崇められ、一段落つき始めたころ、順番に眠りについた。


信長は起きてすぐに大量のうどんを食い、完全復活を果たして無理やり幻影を寝かせた。


それは簡単なことで、布団の上に転がすと一瞬にして眠ってしまったのだ。


信長と行動を共にした蘭丸は、「…素敵で、素晴らしい私の旦那様…」と言って笑みを浮かべて涙を流した。


「…とと様、お疲れ様ぁー…」と阿利渚は言いながらも、幻影に抱きついてまた眠ってしまった。


「…あら、うらやましいわぁー…」と言ったのは蘭丸だけでなく、妙栄尼たちも追従して、くすくすと笑った。



琵琶家一同は完全復活を果たして、城下やその近隣の立て直しを素早く終えた。


若松城下が真新しくなって生まれ変わったのは、地震が発生してわずか十五日しか経っていなかった。


今は軽症や無傷だった者たちは日常に戻って働いている。


街道の被害は軽微なものだったので、簡単に修復を終えていた。


深刻だったのは、精神的な重圧がさらにのしかかった、蒲生忠知が完全に臥せってしまったことにある。


今回は琵琶家が会津にいたことで、自然に陣頭指揮を執った形となったので、城からは人足が出ただけだった。


幻影たちは役人を連れて、金銀の採掘できる鉱山に行き、慎重に復興工事を始め、そのついでに多くの金銀を採掘した。


会津藩としては全く腹が痛まなかったので、丸儲けのようなこの事態に眉をひそめていた。


家老が礼を払いたいと言ったが、「勝手なことは許されないはずだぞ」という信長の言葉に素直に従った。


江戸城から連絡があって、秀忠が見舞いに行くと言ってきたので、幻影が非公式ということで迎えに行った。


警備は嘉明と高虎の家臣が百ほどいるので何も問題はない。


さらには琵琶家一同が秀忠を囲んでいるので誰も近づけない。


「…ほんとに地震があったの?」と秀忠が疑うほどに平和で、しかも城下が真新しくなっていて、若松城がまっすぐに立っていた。


しかし湯治場の宿舎には五百を超える重傷者がいることで、地震の悲惨さを思い知っていた。


「材木はどうしたのさ?」と秀忠が聞くと、「そんなもの、持っていたに決まってるじゃないか」と幻影はにやりと笑って言った。


江戸近隣も地震の多発地帯だ。


今回のようなことがあるはずだと確信していたので、木材や必要になるものはきちんと確保していた。


「小山ひとつ程の木材を使ったから万両ほど、だな」


幻影の言葉に、「…礼金として、幕府から捻出するから…」と秀忠は眉を下げて言った。


一部は天領も含んでいたので、実際にかかっていた費用を算出することはそれほど難しいことではない。


しかしそれは材料費だけの話で、労働力を加えればその十倍は優に超える。


「仏様方! おはようございます!」と城下に野菜を売りに来た威勢のいい農民たちが一斉に琵琶家一同に声をかける。


妙栄尼の思惑は叶ったが、妙栄尼も仏の仲間となっていて大いに眉を下げた。


しかし問題は大いにある。


琵琶家はここに住んでいるという大いなる誤解をしていたことだ。


「…君たちは、とんでもないことをやっちゃったんだなぁー…」と秀忠は言って大いにうなだれた。


すると北東方面から鳩が飛んできた。


「遅いわよ」とまずは政江が大いに苦情を言って鳩をにらんだ。


長春は大いに眉を下げて、鳩を大いに労って、書簡を幻影に渡した。


幻影は書簡を読んですぐに書を認めて長春に渡した。


「近いからもう一度行ってきて!」と長春は鳩にも厳しかった。


鳩はなんでもないことと言わんばかりに雄々しく飛んで行った。


「そろそろ見舞いに行ってもいいかと聞いてきたのです」


幻影の言葉に信長は、「なかなか気を使った連絡だったと思うぞ」と信長が言うと政江は真顔で頭を下げた。


「藩主が寝込んでいますからね、非公式でならと書いておきました」


「…親戚だから扱いにくいぃー…」と秀忠は大いに頭を抱え込んだ。


「大御所様、琵琶家そのものなどとは言えませんが、

 雄々しく成長させるため、

 我が家臣たちを琵琶家に弟子入りさせたいのです」


嘉明の進言に、秀忠は大いに迷った。


そして幻影を見たが、「俺が答えることじゃねえ」と言って少し笑った。


「親戚だからこそ、厳しい裁定を下すよ…」と秀忠は言って、嘉明の進言を全面的に認め、嘉明に国替えを命令した。


「松山は手を加える必要がないほど穏やかで潤っています。

 十分に休養していただきたいですな」


嘉明は言って、若松城を見上げた。


「…まあ、生実に住みながらも、松山に祭りに行くほどだからね…」と秀忠は言って幻影をにらみつけた。


「この夏は関で祭り」と幻影が言うと、秀忠と嘉明は大いにうなだれた。


「この会津は、秋祭りだね」と幻影が言うと、嘉明は蘇って満面の笑みを浮かべた。


「秋になるまでに、国替えを終えましょうぞ!」と嘉明は胸を張って言った。


「忠知殿の国替えを受け持ちましょうぞ」と高虎は神妙な顔をして秀忠に言った。


「うん、心強いよ」と秀忠は言って頭を下げた。


そして高虎は自慢げな顔を幻影と嘉明に向けた。


「恩に着ろって?」と幻影が言うと、「そんなこと…」と高虎は言いながらも肩を落としていった。


「俺はお前が好きだが、

 それでは出世はできねえと思う。

 ここは堂々と、俺は偉い!

 とでも叫んでおけばいんだよ」


幻影の言葉に、「余計な指導をしていただくありませんな」と嘉明が眉を下げて言うと、「友人としての助言でしかありませんから」という幻影の明るい言葉に、今度は嘉明がうなだれた。


「…お前になんぞに、頼ってねえぞぉー…」と高虎がうなると、「ああ、全く頼ってないな」と幻影はあっさりと答えた。


「だからこそ、一番の友人でもあるわけじゃ」と信長が言うと、誰もが一斉に頭を下げた。


「家光と信幻もうらやましけど、

 高虎と幻影もうらやましいなぁー…」


秀忠が大いに嘆くと、「おまえの願いはかなり叶えてきたつもりだぞ?」と幻影が言うと、都合が悪くなった秀忠は、「登城するよ!」と叫んで、若松城に向かって歩いて行った。



当事者の嘉明と、忠知の味方でもある高虎がいることで、国替えの話は穏やかに終えた。


幻影は江戸城に鳩を飛ばした。


信幻であれば、すぐさま返答を返してくるはずだと幻影は考えていた。


やはり鳩はすぐさま戻って来て、幻影は書を見てほっと胸をなでおろしてから、書を秀忠に渡した。


「親子げんかしなくて済んだ…」と秀忠が言うと、幻影は大いに笑った。


やはり忠知の体調不良を家光は大いに杞憂に思っていた。


そして今回の地震という大きな災害により、国替えが必要という証明をしたようなものだ。


この会津には竜胆が残っていて、事実のすべてを家光に報告していたことも大きい。


もちろん、信幻が命令をしていたのだ。


「次に竜胆に会った時、罰が悪そうな顔をするだろうなぁー…」


幻影が眉を下げて言うと、「お勤めだから仕方ないさ」と信長は気さくに言った。


もちろん、竜胆としては復興を手伝いたい気持ちはあったのだが、それでは正確な報告ができない。


そして竜胆も幻影を大いに誇らしく思って、幻影の行動は逐一家光に報告した。


「…我がひとりになっても手伝ってもらえるのだろうか…」と家光は常識的なことを言って、少しうなだれた。


幻影との接触などは普通にしてはいるものの、父秀忠ほどに親身に付き合っているわけではない。


「家光様が間違っておられなければ、

 お師様は必ず手伝ってくださいます」


信幻の堂々とした言葉に、「…うん、よかった…」と家光は言って笑みを浮かべた。



幻影たちは加藤家と蒲生家の国替えを見守りながらも、福島、二本松方面の街道工事を始めた。


これで仙台までたどり着ければ、街道整備の半分以上を終えることになる。


まさに人ならざる働きに、街道を行きかう人々は目を見開く。


もちろん幕府の役人も立ち会っているので、さすがに近くに寄っていって、話などできるはずはない。


福島から西に整地を始め、あっという間に米沢にたどり着いた。


近場まで来たので、ちょっとした寄り道のようなものだ。


ここでは細かい作業はないので、十分に休養をとれる。


巨大な整備車と戦艦を法源院屋の庭に格納して、琵琶一家は全員地面に寝転んだ。


修行に置き換えればまさに過剰にもほどがあるのだが、誰もが達成感に満ちていた。


「城から面会をと言ってきましたが、

 ご就寝中と伝えておきました」


法源院屋の店主の言葉に、「あとで城に行って、定勝と縁を切ると言っておくよ」と幻影が答えると、「お伝えしておきましょう」と店主は朗らかに言って、「お勤め、本当にお疲れさまでした」と穏やかに言って頭を下げてから店に戻って行った。


一時ほど横になって、起きた者から順に食事の準備を始めた。


今は食べやすいうどんやそばがいいだろうと思い、大いに麺を打って、大いに氷を作り出した。


一段落すれば重いものも食べたくなるはずなので、大量の鯵の開きを焼き始めた。


素晴らしいいい匂いに、眠っていた家族たちは一斉に置きだして、まずは冷やしうそばやうどんをすすり始めて、「うまい!」「おいしい!」とだけ誰もが叫び始めた。


そして乾物などにも手を出し、大いに甘いかき氷を食らった。


二十人で百人前以上の食事を終えてから、菓子を作り始めた。


疲れた時はやはりうまくて甘い菓子が一番の薬なのだ。


「…もう材料が尽きたな…」と信長が大いに眉を下げて言うと、「関にでも行って買い出しをしてきます」と幻影は明るい声で言った。


そして飯を炊いて、握り飯を作り始めると、作るそばからなくなっていく。


そして漬け物を、『ポリポリ』と噛む音しか聞こえなくなる。


幻影は笑みを浮かべて、自分も食べながらも飯を握った。


「…握り寿司、食べたぁーい…」と長春が言うと、「また別の寿司なら夕餉にでも作るぞ」という幻影の言葉に、長春は大いに陽気になっていた。


「それはまた興味深いな」と信長は言って笑みを浮かべた。


「蝦夷まで買い出しに行くか…

 釣りますか…」


幻影の言葉に、「協力しよう」と信長は大いに陽気に言った。



腹も大いに満たされたので、琵琶一家は戦艦に乗り込んで、この場から宙に浮かんだ。


そして一路蝦夷の地を目指し、あっという間に遥か北の島に到着した。


ここは礼文島で、幻影たちが露西亜に渡る前に立ち寄ったことがある島だ。


現地住民たちと朗らかにあいさつをしてから、魚の情報を聞くと、鱈や鯵などが今はうまいという話だったので、戦艦を飛ばして上空から確認することにした。


まさに魚の宝庫で、至る所に魚影が見える。


ゆっくりと海面に船を下ろしてから、早速釣りを始めた。


まさに入れ食いで、土佐の鰹の一本釣りのように釣ってかなりの魚を手に入れた。


そして五つある保温箱をすべて凍らせてから、関に行って農作物を仕入れてから米沢に戻った。


ここからがまた戦場で、幻影は様々なものを作りだす。


これはまさに目で見て食べる料理で、土佐名物の皿鉢料理のようだ。


「…また食べづらい盛り付けを…」と蘭丸が苦情を言ったが、「よいよい」と信長は笑みを浮かべて言った。


そして冷やしうどんと蕎麦も準備を終えて、全員で一斉に食らい始めた。


まさかのこの季節の握り寿司に、誰もが大いに陽気になっていた。


そして野菜がふんだんに入っている巻きずしや鱈や海老の押し寿司なども腹が膨れる素晴らしい寿司だった。


そして野菜の微塵切りをふんだんに混ぜ込んで烏賊や海老の切り身などを乗せたちらし寿司も大いにうまいものだった。


誰もが大いに満足して、「…今までの倍ほど食ったかもな…」と信長は言って少し笑った。


「飯はいつもの三倍炊きました。

 女性たちは特に、今まで以上に働かないと太るぞ」


幻影の言葉に女性たちは大いに怯えていた。


「…料理がおいしいのがいけないんだわ…」と濃姫が幻影のせいにした。


「…太っちゃったら、とと様に嫌われちゃうぅー…」と阿利渚が大いに眉を下げて言うと、「大丈夫、それほど太らないから」と蘭丸は穏やかに言った。


法源院屋一同もご相伴に預かっていて、大いに感動していた。



後片付けを済ませてから幻影は米沢城に向かって飛んだ。


さすがに夏に近づいていることもありまだ明るいが、上空の風はまだ涼しい。


天守を覗くと、頭を抱えているように見える定勝がいた。


「おい、何の用だ?」と幻影がめんどくさそうに聞くと、定勝は謁見の間から廊下に勢いよく飛び出してきた。


「そこから飛び降りるのか?」と幻影が聞くと、「…そういうわけでは…」と定勝は言ってうなだれた。


「さっさと要件を言え」


「…会津の地震、大変だったね…」


「帰る」と幻影は言って踵を返すと、「待って待って待って!」と定勝は大いに慌てた。


話を聞くと、源益に振られてしまったようで、懐刀が家老たちだけでは心もとない。


その相談を幻影に持ち掛けようと考えたのだ。


「おまえが全てをすればいいだけだ。

 どこに問題があるんだ?」


幻影の厳し言葉に、「…そんなぁー…」と忠勝は大いに嘆いて廊下に腰を落とした。


「何も難しいことはない。

 この会津藩が取り決めたこと、

 幕府が取り決めたことを、

 裏を読まず忠実に守ればいいだけのこと。

 この米沢は比較的ほかの藩よりは平和だと言える。

 そろそろ武士の自尊心を軟化させた考えも必要だろう。

 この教えは直江兼続のものに近いが、

 それをやれとは言っていない。

 お前が間違っていないと思うことを指示すればいいだけだ。

 庶民の中には間違っているやつも多いからな。

 俺が殿様になったら、

 まずは家族には厳しいぞ。

 そこに間違いがあれば、そこから正していくからな。

 藩主など、嫌われて当然のような仕事だ。

 まずはすべてを質素に。

 参勤交代でも金を使う必要などない。

 肥前大村藩は、藩主を含めて十二名で江戸城に登城したほどだぞ」


幻影の言葉に、定勝は大いに目を見開いた。


「その真似をしろなどとは言っていない。

 削っても問題がない部分は削れと言っているだけだ。

 見直せばいくらでもあるはずだ。

 まさに、ぜいたくは敵なんだよ」


「…すっごくやらなきゃいけないことができたけど、

 頑張ってみるよ…」


定勝は大いに希望を持って立ち上がった。


「さて、問題は前田利益だが…

 ま、期待しないで待っていてくれ」


幻影の言葉に、定勝は笑みを浮かべて頭を下げた。



幻影は果報寺に飛んで、掃除をしていた小僧に言って、源益に面会を頼んだ。


もちろん琵琶高願と名乗ると、小僧は大いに緊張を始めたので、幻影は小僧の肩を気さくに軽く叩いた。


ただこれだけで落ち着いたようで、小僧は小走りで幻影を案内した。


本堂に源益はいて、今は拭き掃除に余念がない。


「…いつもかい?」と幻影は源益に顔を向けて聞くと、「…時々…」と言って眉を下げて答えた。


「その日の気分か…

 いや、やっているだけまだましだ」


幻影の言葉に、「でも、源益様は好きです」と小僧ははにかんだ笑みを浮かべて言った。


幻影はうなづいてから、「前田利益!!」と叫ぶと、本殿自体が揺れ、至る所から埃が落ちてきた。


「時には天井の掃除も必要だぜ」


幻影は言って、手拭いを出して桶に汲んだ水に浸して固く絞ってから宙に浮かんで、天井の掃除を始めた。


小僧は口を開きっぱなしにして幻影を見つめている。


もちろん、源益も気づいていて、「…今更…」と言って幻影をにらんでいる。


幻影は天井と壁の埃を拭い去り、床もさらにきれいに磨き上げてから、「琵琶高願だ」と源益に向けて名乗った。


「城の務めは終えた」と源益が言うと、「それでもいいさ」と幻影は言った。


まさに問答のようだと源益は思い、幻影をにらんだままだ。


「兼続のあの一途な行動はあんたの差し金じゃないのか?」


幻影の言葉に、源益は痛いところを突かれたと思ったが、表情は変えなかった。


「普通であればお情けもあり、一瞬でも兼続の願いに乗るはず。

 だが、乗ったが最後、逃げ出せない弱みを見せつけることにもなる。

 ま、俺の場合は、この日一日などと言って引き受けたかもしれんが、

 それすらも蹴ってやった。

 俺が殿様をするとな、家臣がいなくなるからだ。

 俺はどんなことでもすべてのことをひとりでやるからな。

 お前ら普通の人間とは少々違うんだよ」


「…くっ…」と源益は悔しそうにうなった。


「ところで、あんたに男子がいることを俺は知っているんだがな」


幻影の言葉に、源益は大いに目を見開いた。


そして、「…前田、源次…」とつぶやいた。


「今際の際の源次の母にたどり着いた。

 もちろん証拠など何もないけどな。

 だけど、お種さんの言葉に嘘はないと俺は感じた。

 俺は源次を弟として、琵琶源次、そして前田源次として育て上げ、

 この日ノ本でも五本の指に入る猛者に育て上げた。

 あんたのように、身体的な優位さも大いにあったからこそだろう。

 ちなみに、会うのなら今のうちの方がいい。

 源次は、徳川幻影様の姉の志乃様と婚姻するかもしれない。

 そうなったら、もう目通りは叶わないかもしれないからな。

 言いたいことは言った。

 今日一日は米沢にいるはずだから、

 その気があるのなら法源院屋に来ればいい」


幻影は伝えるべきことは伝えたので、小僧に礼を言ってから宙に浮かんで、城下の法源院屋に向かって飛んで行った。



幻影は法源院屋の店主に果報寺の源益が来るかもしれないと伝え、前田利益の名も告げた。


「おや? あのお方は武士だったのですか?」と店主は少し驚いていた。


「源次の父だよ」と幻影が言うと、店主は大いに目を見開いた。


幻影の思惑は外れて、源益は法源院屋に来なかった。


しかし、源益は前田利益として米沢城に姿を見せたのだ。


この件は夕餉の時に、米沢城の役人が法源院屋にやって来て、礼を言ったことで発覚した。


幻影の思惑として別にどちらでもよかったので、驚くことは何もなかった。


「俺が大いに驚いていたとでも伝えておいてください。

 そうすれば、さらに機嫌よく働くはずですから」


幻影の言葉に、「嘘は良くないぞ、嘘は」と信長は言ったが、少し笑っている。


「あいつは兼続を操っていた可能性があるのです」


幻影の言葉に、「…だが、もう探り終えているんだろ?」と信長が聞くと、「本人が認めない限りそれは真とはなりませんが、真です」という幻影の回りくどい言葉に、信長は大いに笑った。


「あいつの心がどうしてそれほどにねじ曲がっているのか、

 少々話をしてみたいと思いました。

 そうしないと、深層心理を探れませんので。

 ですが、子がいることは心底驚いて、

 相手の女性の名を出すと納得もしていました。

 そして喜んでもいたのです。

 もちろん、表情にも出しませんので、

 真であっても真ではありません」


「…ふむ… 幻影の真の狙いは利益ではない」と信長は言い切った。


「はい、源次にさらに立派になってもらいたいと思いまして」


幻影の言葉に、その源次が一番驚いていた。


しかしすぐに源次は笑みを浮かべて、「まさかでした」と言って頭をかいた。


「怨んじゃいないだろうが、

 それに似た感情が源次を弱くしていると俺は思っている。

 源次は本当の意味で利益を父として認め許せた時、

 さらに成長するはずなんだ」


幻影の自信のある言葉に、「…兄者は優し過ぎます…」と源次はつぶやいて、男泣きに泣いた。


「…源次を今以上に強くしないでいただきたい…」と弁慶は言ったが、穏やかな笑みを浮かべた。


「弁慶の官位は主二位。

 大君にもなれる位置にいるんだぜ」


幻影の言葉に、誰もが大いに目を見開いた。


「…あ… ああ…

 ついつい、喜んでしまいました…」


弁慶は大いにバツが悪そうな顔をして言ったが、また薄笑みを浮かべた。


「そういうことだ。

 なりたいなりたくないではないんだ。

 ある意味褒められ、認められたようなものだから、

 喜んでおけばいいだけなんだよ。

 その先があれば、自分自身の本当の気持ちを相手にぶつければいいだけだ」


「はい、兄者。

 私はさらに強くなったはずです」


弁慶は堂々と言って、そしてまた薄笑みを浮かべた。


「ああ、期待してるぜ」と幻影は気さくに言った。


「…ああ、素敵…」と沙織が言って、さらに弁慶に惚れこんでいたが、一抹の不安もよぎっていた。


「御屋形様。

 自信がつきましたので、

 沙織様と祝言を挙げます」


弁慶の堂々とした言葉に、「これはめでたい!」と信長は陽気に叫んで、「祝いじゃ! 祝いじゃ!」と大いに叫んだ。


幻影はすぐさま祝いの準備をして、まさに誰も手が出せないほどの立派な料理を作り上げた。


「…袖にされるって思ってたぁー!」と沙織はワンワンと泣いていて、女官たちに大いに慰められ、そして祝福されていた。


やはり誰も手を付けられない料理は信長がまず手を出して、祝言の前夜祭は大いに盛り上がった。



その翌日の早朝、幻影たちが朗らかに朝餉を摂っていると、城から定勝と利益がそろってやってきた。


利益は大いにふてくされていて、今は幻影をにらみつけている。


「俺の夫をにらみつけるとは、いい根性をしている」とまずはここは蘭丸が利益に喧嘩を売った。


「琵琶高願は、この男女の影に隠れているだけか」と利益は鼻で笑った。


「はんっ!」と蘭丸が言った途端、『パチン』という音がして、白髪頭の利益の髷が地面に落ちた。


「俺の強さは幻影の強さ。

 めったなことを言ってんじゃあねえ」


蘭丸の啖呵に、幻影と阿利渚が笑いながら手を叩いている。


「…首を落とされなくてよかったね…」と定勝が言うと、利益はようやく髷を切られたことに気付いて青い顔をした。


「何のために喧嘩を売ってるのかよくわからんな」と幻影が言うと、「…うん、我にもさっぱり…」と忠勝が大いに眉を下げて言った。


「まあ… 前田利家にいじめられていたことはよくわかった」


幻影の言葉に、「そうだったのか?!」と信長が目を見開いて叫んだ。


「御屋形様が何度も犬をイジメたからです」


幻影が眉を下げて言うと、「…猿ほどではなかったずじゃが…」と信長は言って考え込んだ。


「もう死んでいない者に、何を怖がっているのやら…

 利家の幽霊でも出たのかもしれんけど…」


すると明らかに利益は怯え始めた。


「利家の幽霊」と幻影が重ねて言うと、利益は何も言わずに外に出て行った。


「…ま、ワシの責任だということはよくわかったから、

 この件はほぼ解決…」


信長は自分勝手に言った。


「多かれ少なかれ、

 あの乱世の世では日常茶飯事でしたから。

 ですがその被害者に出会ったのは、

 猿に続いて二人目です」


「…まあな…」と信長は大いに眉を下げて言った。


「源次、あのふてくされた爺さんを何とかしてきてくれ。

 もちろん、これも、修行だ」


幻影の言葉は絶対なので、「はい、兄者」と源次はすぐさま答えて外に出た。


「というよりも、利益をよみがえらせるのは源次しかいません」


幻影の言葉に、「そのようじゃ」と信長は笑みを浮かべて言った。



利益はどこに行くことなく、ざんばら髪のまま、ただただ街道を歩いている。


源次はすぐに追いつき、「あんたが父親でほんと恥ずかしいよ」と今度は源次が喧嘩を売ったのだが、利益は何も答えず、ただただ歩いているだけだ。


「そんなに人の上手に出ることが楽しいのかなぁー…

 俺にはさっぱりわからない…

 もっとも、話をはぐらかすということは、

 相手が言ったこと自体にあんたの弱みがあるからだ。

 それをごまかすために喧嘩を売っているとしか思えない。

 さっきの場合、剣にはそれほど自信がない。

 蘭丸様はまんまとその手にかかったけど、

 太刀の動きが見えなきゃ、

 上手に出ることは叶わない。

 そしていい負かされて、負け犬のように現場を去っていく。

 あんた、自分が情けないと思わないの?

 ああそうか。

 今までみんな、誰もがあんたの手に引っかかっていたから、

 ただただ腹が立っているだけだ。

 ほんと、小さな男だよあんたは。

 その倅がどれほど恥ずかしいか、

 察して欲しいもんだよ、ほんと…」


利益は立ち止まった。


そして大いに歯ぎしりをした。


「あんたは目の前にある何も見えちゃいない。

 あんたは死んでいることと何も変わらない。

 現楽涅槃。

 現が楽しくなけりゃ、死んでることと何も変わらない。

 あんたは生きながら涅槃にいるんだ。

 どれほどいじめられたのかは知らないが、

 それがあんたの邪魔をしているんだ。

 いい年して、その程度のこと、

 さっさと気づいて対策を考えろよ」


「…情けない父で悪かった…」と利益は力なく言って頭を下げた。


「うっすらと覚えてるけど、

 かあちゃん、病にかかる前までは、

 ずっとあんたの話をしていた。

 病にかかってからは、ずっと俺の心配をしてた…

 すると、どこから聞きつけたのか、

 幻影兄がやってきた。

 かあちゃんをすっごく元気づけてくれたんだけど、

 俺のことだけを頼んで逝っちまった…

 俺はかあちゃんを失ったけど、

 素晴らしい兄ちゃんを手に入れた。

 兄ちゃんは父ちゃんでもあって、母ちゃんでもあって、

 俺たち四人兄弟はみんな赤の他人なのに、

 本当の肉親以上に仲が良くて笑みが絶えなかった。

 だけどその家族の中で、

 俺の父親だけが大したことなかった。

 幻影兄は師匠が武神真田信繁様、

 弁慶兄は大君になれるほどの高貴なお方。

 政江姉ちゃんは北条家の後継者。

 俺の父ちゃん、ほんと、ちいせえなぁー…」


源次が語り終えると、利益は踵を返した。


その肩は大いに下がっていて、ただの老人としか源次には見えなかった。


すると、子供の泣き声が聞こえた。


源次はすぐに察して、屋敷の塀の辺りに手を伸ばして擬態布をはぐと竜胆がいた。


「…何やってんの?」と源次が大いに呆れて聞くと、「…お嫁さんになったげるぅー…」と言って源次に抱きついた。


「…悪いけど、お志乃ちゃんと婚姻するつもりだから…」と源次が眉を下げて言うと、「…もう決めてたんだぁー…」と竜胆は言ってうなだれた。


「一応ね。

 何もかも取っ払えば、

 美人でかわいいから。

 それに、俺が負けそうなほど強いからね」


「…強いのは知ってるぅー…

 あ、お仕事に戻るね…」


竜胆は言ってまた姿を消して街道を走って行った。


「…こりゃ、まさか…」と源次はあることが頭に浮かんできた。


竜胆は確実に信幻の命を受けて琵琶家に密着していたはずだ。


信幻はある意味、疎外感を感じているのではないかと頭に浮かんだのだ。


琵琶家で起こっているすべてを知っておきたいというちょっとした欲のようなもの。


修行といえばその通りかもしれないが、できれば徳川の姓を捨てたいのではないのだろうかと考えたのだ。


―― 家族の一大事 ―― と家族を大切にする源次はすぐさま考えて、幻影と話をすることにした。



利益は法源院屋に戻り、真剣な目をして幻影に頭を下げた。


「…あいつ、そんなことを考えていたのか…

 成長しないはずだ、まったく…」


幻影はまだ何も言っていない利益を通して源次の気持ちを知った。


「…すべては父の私が悪いのです…

 どうか、萬幻武流の門下生として修行をつけてください…」


利益は頭を下げたまま言って、頭を上げなかった。


「今のあんたじゃ一日で死んじまうから却下」


幻影の厳しい言葉に、利益は頭を上げた。


その眼は懇願に満ちていた。


「心がけは認める。

 強い父でありたいという純粋な想いは受け取った。

 だが、それでは源次の希望は叶わないことはわかってるよな?

 武家に戻ってもあんたはただの旗本でしかないんだから」


幻影がここまで言うと、大いに眉を下げた源次が戻ってきた。


「こら源次」と幻影が言うと、源次はすぐさま頭を下げた。


「そんなに高貴な血がいいのか?」と幻影が今までで一番機嫌が悪い感情をもって言うと、「…やっぱり、気になるじゃん…」と源次が答え、幻影は大いに笑った。


「確かに父は大したことはない」


幻影の言葉に、利益も源次も大いに眉を下げた。


まさに親子で、この表情は瓜二つに見えた。


「お種さん…

 お前の母親が普通の人だとでも思っていたのか?」


「えー…」と源次が真っ先に嘆くと、利益は大いに目を見開いた。


「おまえの母方の叔父ちゃんは最近死んだ。

 黒田孝高、通り名黒田官兵衛が爺ちゃんだ」


幻影の言葉に、「ほう」と信長は言って、まじまじと源次を見入った。


「…爺ちゃんが、御屋形様の手下だった人…」と源次が言うと、信長は大いに笑った。


「お種さんは秋月於種。

 嫁いだのはいいが、嫡子製造機になるのが嫌で、

 九州から逃げてきたようだ。

 あまりいい話でもないから話さなかった。

 どうだ、こういった話がよかったのか?」


「はい! 兄上!」と源次は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。


「お前がそれでいいというのなら、まあいい…」


幻影は大いに眉を下げて言った。


「ある意味、一気に源次の価値が上がったように感じるな」


信長が大いに失礼なことを言ったが、源次は満面の笑みを浮かべていた。


「さらに修行に身が入るようだから、まあそれでいいよ…」と幻影は大いに呆れて言った。


幻影は利益に顔を向けて、「果報寺にはどんな伝で?」と幻影が聞くと、「…住職と飲み仲間…」と大いに眉を下げて答えた。


「その寺に、お種さんが眠っていることは?」


幻影の言葉に、利益も源次も大いに目を見開いた。


「ふたりで行って挨拶してきな…」と幻影が大いに呆れて言うと、父子は急いで店を出て行った。


「…すべてがうまくいったような気がするな…」と信長は大いに眉を下げて言った。


「ええ、問題ないでしょう。

 若返らせてもよかったのですが、

 源次に判断させてもいいでしょう。

 きっと、意味がない、などと言いそうですが」


「…あの子だけ父親がいるのはしゃくね…」と政江が本気で言うと、「俺は母親がいるぜ」と幻影が言うと、政江は大いにバツが悪そうな顔をしてすぐに、「…ああ、お母様…」と政江は言って妙栄尼に甘えに行った。


「それよりも問題発生です」と幻影が真剣な顔をして言うと、「利益が見た幽霊はお種の幽霊」と信長が言うと、「あ、その件はたぶんそうです」と幻影は明るく答えた。


「別件はなんじゃ?」と信長が真剣な目をして言うと、「竜胆が俺たちを探っています」と幻影が答えた。


「…ふむ…」と信長は言って少し考えた。


「信幻と顔を合わせて、

 ワシたちが体験したことすべてを語るのは、

 かなり骨が折れる。

 じゃったら、忍びをつけておけばいい。

 その報告を聞いて、信幻は安心する。

 ワシたちと家族でいることができる。

 …やはり、まだまだ子供じゃったか…

 竜胆、お前でも構わんが、

 信幻の配下を常に一人ワシらにつけるように進言しろ。

 ワシらの仕事も、それなりに助かるからな」


「はーい、御屋形様ぁー…」と竜胆の声だけがして、いきなり鳩が飛んで店を出て行った。


「…姿を晒せばよい…」と信長が眉を下げて言うと、竜胆は擬態布を解いて、信長と幻影に笑みを向けた。


「交代が来るまでそれでよい。

 じゃが、お前の本来の仕事は影から信幻を守ることじゃ。

 いくら命令でも、お前は意見する必要があるんじゃ。

 そうでないと、立派な忍びにはなれないぞ」


信長は言って、竜胆を抱き上げた。


「はい、御屋形様ぁー…」と竜胆は答えて満面の笑みを浮かべた。


「定勝、この子はいくつに見える?」と幻影が言って、厳しい目を定勝に向けた。


「…ワシは、はずかしい…」と定勝は言ってうなだれた。


「竜胆の母は心が曲がっているのに、いい子に育っている」


幻影の言葉に、信長が大いに笑った。


「ある意味反面教師というやつさ。

 今までに経験したことは多くないだろうが、

 全てを誠実に考えろ。

 そして武士という垣根を壊して考えてみろ。

 そうすれば、厳しいことも多いかもしれないが、

 いい政治が見えてくるはずだ。

 偽善者と思われても気にするな。

 そこは藩主として胸を張れ。

 そうすれば、目に見えて平和が見えてくるだろう。

 さらには定勝の心にも平和が芽吹くはずだ」


幻影が語ると、「はい、幻影様」と定勝は答えて頭を下げて、家臣を連れて外に出て行った。


「兼続は真の偽善者にはなれなんだか…」と信長が眉を下げて言うと、「意地を押し通すだけでは無理でしょう」と幻影も眉を下げて言った。


「…この数日は、目立ったキリスト教徒を弾圧、解散させる仕事に従事します…」


幻影の言葉に、「ああ、手伝いも重要じゃろうて」と信長は言って同意した。



この数日間で、キリスト教徒を捨てた者が三十名、米沢を出て行った者が二十名いた。


目立つ存在だけでこれほどいたので、全てを探ればまだまだいるはずだが、残された者たちにもこの効果はあるはずなのだ。


神を信じなくなった者と、名を語らぬ神に心酔した者がいたが、人命には差しさわりがないし、キリストを信仰しているわけでもないので、幻影としては良しとした。


琵琶一族は米沢を出て、一路仙台に向かった。


休養は十分で、わずか二日で作業を終えて、仙台城下に入った。


法源院屋の庭に戦艦と作業車を引き入れると、もうすでに政宗が待っていた。


ここは幻影が政宗に食材だけを持ってくるように頼んでおいたのだ。


魚などの腐りやすいものは、幻影が凍らせていた廿楽を渡していたので、その中にたんまりとお宝がいた。


「…お刺身楽しみぃー…」と長春が明るく言った。


幻影は早速料理を始め、次々と素晴らしい料理が机の上に並んで行く。


今回の主役は源次と志乃で、ふたりの披露宴が始まった。


幻影は政宗に琵琶家専用農場と港の話をすると、「すぐさま選定しましょう」と答えてから政江を見た。


「俺たちは働いてくれる人たちの選定をするから、

 しばらくはここにいる。

 あとは一気に一直線に南下すれば、

 俺たちの仕事は一旦は終わりだからな」


幻影の言葉に、政宗は頭を下げて、「人の行き来が多くなってきました」と近況の説明をした。


「…ま、いいこともあれば悪いこともある…

 それなりに覚悟しておいた方がいいぜ…」


幻影がため息交じりに言うと、「はっ」と政宗は答えて腰から頭を下げた。



政宗は早速漁場権を取り、ほとんど人がいない海岸に琵琶一行を連れてきた。


簡素な小屋を建て、そして、『琵琶魚河岸』という看板をかかげ、誰もが感慨深く見上げた。


そして農地だが、この港から程近い荒れた山間部をあてがわれた。


人っ子ひとり辺りにいる気配がなく、時折鳥のさえずりが聞こえる程度の生息物がいる程度の、かなり辺鄙な場所だ。


幻影たちは小さいが早速整地をして、いとも簡単に農地らしきものを作りだした。


「街道から離れすぎているからさすがに住みずらいよな」


幻影の言葉に、「こういった場所は数多くあるのです」と政宗は言って大いに眉を下げた。


「政宗のために、町ではなく農地改革を進めるか」


幻影の言葉に、政宗は百万の大軍を得た気持ちになって、「はっ! ありがとうございます、兄上!」と陽気に叫んだ。


「…現金なものだわ…」と政江が悪態をつくと、「…余計なことは言わなくていい…」と信長が大いに眉を下げて言った。


「いいえ、御屋形様、構わないのです」と政宗は笑みを浮かべて言った。


「外面ばかりいい人なんです」と政江が言うと、「ああ、知ってるぞ」と信長はにやりと笑って言った。


「言っていいか?」と幻影が政宗を見て言うと、さすがに大いに怯え始めた。


「…い、いえ…」と政宗は大いに躊躇した。


「ほらごらんなさい」と政江は鬼を首を取ったように言うと、「俺なんて、なんの悪さもしていないから、殴られののしられてもなんとも思わないぞ」と幻影が言うと、「…そこまでひどくないと思うぅー…」と蘭丸は大いに眉をひそめてつぶやいた。


「俺にとってある意味夫婦は一心同体。

 だからののしられても何の罪悪感も沸かない。

 ただただ、お蘭のかわいい嫉妬のようなものだからな」


「…みんなの前で言わないでぇー…」と蘭丸は大いに照れていたが、阿利渚が抱きついて笑みを浮かべると落ち着きを取り戻した。


「…私は、その域に達することはもうできませぬ…」と政宗は言ってうなだれた。


「だったら、政江のこの先のことも考えて離縁してやってくれ。

 これは兄の純粋な願いだ。

 もちろん、好きなヤツがいるわけでもないけどな」


「…いるもんですか…」と政江は小声で悪態をついた。


「…い、いえ… それでは…」と政宗は大いに動揺した。


政江という正室がいることで、伊達藩は栄華を極めたようなものなのだ。


さらには後ろにいる琵琶家の存在はさらに大きい。


「おまえの考えたことは武家の考えだ。

 俺とお前は兄弟だと純粋に思っていたんだが、

 考え方を変えてもいいんだぞ」


幻影の言葉に、政宗は大いに悔しく思った。


「ずっぽりと武家の本質に浸っておりました!」と声を張って答えて、幻影に満面の笑みを浮かべて頭を下げた。


「小うるさいこの女は必要ありません」と政宗が胸を張って言うと、「…随分と変わったもんだ…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「さらによき政治をすることにいたします。

 どうか、今まで以上にお引き立てのほどを」


政宗の言葉に、「ああ、それでいいさ」と幻影は気さくに言った。


「…出戻ってきたな…」と信長が笑みを浮かべて政江に言うと、「…すっきりいたしました…」と政江は子供のような笑みを信長に向けた。


「もちろん、宗忠との付き合いも変えないからな。

 もしも理不尽なことを言えば、

 母として政江は黙っていない。

 今までよりも攻撃がさらに激しくなると思っておいた方がいい」


幻影の言葉に、「…肝に銘じました…」と政宗は背筋を伸ばして答えた。


「…俺の妹に、よくも小うるさいなどと言ってくれたなぁー…」


幻影が大いに政宗をにらむと、大いに体を震わせて声に出すこともできずに頭を下げたままになった。


「…それほど脅すな…

 ま、見捨てられるよりは、万倍いいけどな」


信長の明るい言葉に、政宗はようやく顔を上げて、子供っぽい笑みを浮かべた。


政宗も憑き物が落ちたと言ったところだ。


「…私も、お兄ちゃんに愛されてたわ…」と政江は機嫌よくつぶやいた。


「兄弟まんべんなく、だな」と幻影は言ってにやりと笑った。


「…ああ、そういえば…」と政宗は言って、弁慶と沙織、源次と志乃を見た。


政宗は弁慶を見て、「まさか、祝言をされるのか?」と聞いた。


「はい、ようやく決めました。

 もちろん源次もです。

 次は政江の番ですが、

 真っ先に嫁に行ったので、

 もうしばらくは無理でしょう」


弁慶の言葉に、「誰かいい人いないかしらぁー…」と政江は言って、まだ単身の者たちを見回して怯えさせていた。


「琵琶家にいなけりゃ望み薄だが、

 兄ちゃんが育ててやるから安心しろ。

 源次の父を若返らせればいい男だぞ」


幻影の言葉に、「あら、やっぱり琵琶家に?」と政江は少し驚いて聞いた。


「…源次の父… 前田利益か…」と政宗は少しうなるように言った。


「そのうち越前にもいくからな。

 前田家ゆかりの直近者がいてもいいと思ってな。

 逆に北条に養子にとって、

 北条家を大きくしてもいいほどだ」


「…お兄ちゃんの言ったことは現実になるぅー…」と政江は大いに眉を下げて言うと、「それは利益次第だから…」と幻影も眉を下げて答えた。


政宗は憤慨しながらも書を認めて、包むことなく政江に突き出した。


「あら、本物の三行半だわ」と陽気に言ってみんなに見せびらかした。


「兄者との関係が何も変わらないのなら」と政宗は胸を張って幻影に言った。


「ああ、実直さは昔と何も変わってないさ」と幻影は言って、政宗と肩を組んだ。



琵琶家一同はさらに農地を広げ整地をして、素晴らしい田園風景に変えてしまった。


少々距離はあるが、真っすぐな道を街道と海沿いの街道につないだ。


目の前には琵琶家の魚河岸があり、なかなかいい立地条件に変えてしまった。


幻影は政宗の許可を得て、庄屋などから農作物を仕入れてから海に出て、多くの魚を手に入れた。


全てを持って農地に戻って、食事の準備と商品の製造を同時に行った。


すると、どこで聞きつけたのか、仙台の法源院屋の店主と番頭、そして丁稚二名が、『法源院屋』の幟を持ってやってきた。


「気の早いことだ…」と信長は大いに眉を下げて言った。


「運搬してもらえるだけでも助かりましたし、

 法源院屋にある程度は任せることにしますから」


「そうか…

 いや、それでも良いじゃろう」


信長は機嫌よく答えた。


「素晴らしい農地だ!」と店主はこの素晴らしい風景を見入って大いに叫んだ。


そして早速幻影と話をして、ほぼすべてを法源院屋が受け持って、作物は琵琶家の収穫物となるように取り決めた。


そして琵琶家の昼餉に同席して、「…うまいぃー…」と大いに感動しながら大いに食った。


幻影が作った、『琵琶家』専用の大八車に、まるで戦利品を積み込むように乗せて、街道に向かって走り去った。


農地には、地面に突き刺している法源院屋の旗だけが残された。


もちろん、持ち主を明確にしておくためのものだ。


幻影たちは農地をさらに耕して、唐黍などの調味材料の種だけを巻いて、わかりやすく札を立てた。


ついには本格的な農業にも着手できたことを、幻影たちは大いに喜んで、この地を後にして仙台に戻った。



「…ん? 雨が降ってないのか?」と幻影が政宗に聞くと、「…昨日ようやく気付いた次第で…」と大いにバツが悪そうに言った。


「ああ、問題ない」と幻影は言って立ち上がって、腕を大きく広げた。


すると阿利渚が真似を始めたので、誰もがくすくすと笑い始めた。


そして幻影は瞳を閉じて、何かの拳法のような型を繰り返し行っていると、北の方から黒い雲が沸き上がってきた。


そして、「はぁーあっ!!」と叫んで、少し丸めた両手のひらを近づけると、『ゴギャァ―――ンッ!!!』ととんでもない雷が鳴り響いて、雨が降り始めたのだが、この法源院屋には降らずに、少々北の大地にだけ降り始めた。


農地が多い北の地は、今頃はお祭り騒ぎだろう。


「おっと、風向きが変わったから、屋敷に退避した方がいい」


幻影の言葉に、誰もがすぐさま従って、辺りを片付け終わってすぐに、法源院屋の庭にも雨が降り始めた。


「これでこの先の天候が大いに変わってくるはずだ。

 全く降らなくなることはないと思う。

 少々気合いを入れすぎたから長雨になるかもな」


幻影の言葉に、「まさに神!」と政宗は叫んで、幻影に向かって柏手を打った。


「いいえ、仏ですわ」と妙栄尼は穏やかに言って、手のひらを合わせた。


「いいや、気功術という体術だ」と幻影は言って、湯飲みに入っている水を一瞬にして凍らせた。


「…うう… 今だと手の入らな氷が…」と政宗は言って湯飲みをもって、「…ああ、冷えてるぅー…」と言って喜んでいる。



雨はやみ、幻影たちが食事を終えて寛いでいると、店主が走ってやってきた。


「あの、農地なのですが…」と店主が顔を青くして語り始めた。


話を聞き終えた幻影は鼻歌交じりに唐黍の絞り器などを戦艦に乗せて、家族総出で専用農場に行った。


「あー、ついてたぁー!」と幻影は畑を見入って叫んで、雄々しく実った唐黍の収穫を始めた。


「幸運で済ませよったかっ!」と信長は叫んで大いに笑って、早速絞り機の操作を始めた。


一時も経たずに作物が完全に育つことなどありえない。


よって幸運と、何らかの偶然が合いまった祝福でもあったのだろうと幻影は考えて、それほど深くは考えなかったのだ。


特に欲張ったわけではないのだが、ここ一年ほどは砂糖がいらないほど精製を終え、唐辛子や胡椒、胡麻なども、しばらくは栽培しなくても済みそうだ。


知らせたのは早速雇われた農夫で、これから働こうと思った矢先に、もう収穫物が実っていたので、案内をしていた丁稚が店主に知らせたのだ。


「この農夫が仏」と幻影は言って、喜助と名乗った農夫に手のひらを合わせた。


「ごまかさないでください」と妙栄尼が眉を下げて言うと、「もし俺が仏だったら、さも当然のような顔をしてますよ」という幻影の言葉に、「それはその通り」と信長が認めたので、何らかの力が作用したんだろうと、思っておくほかなかった。


農地はきれいに元通りにして、早速農夫たちに働いてもらった。


そしてほかの農地でも多少の変化はあったようだが、実り切ることはなかった。


よって、『実りの雨』が降ったのだろうと、農民たちは一斉に手を合わせて礼を言った。


「こりゃいい土だ!」と農夫たちが口々に言って笑みを浮かべる。


堆肥は一般的な人糞や家畜の糞ではなく、大量に出る野菜などの皮や根を腐らせて乾燥させたものを使っているので、土はそれほど臭くなく、見た目にも美しい農地となっている。


特に魚の頭や皮も同じように処理をしているのもこの結果を産んだのだろうと思い菓子を作ると、長春が、「…おいしい…」と涙を流しながらつぶやいた。


「おっ! 何がどううまいのか表現が難しいが、確かに数段うまくなっているな」


幻影の言葉に、誰もが賛同するように菓子を大いに食った。


畑と田んぼは本格的に作業を開始して、少々遅いのだが、明日は田植えをすることに決まった。


「土佐なんて、当たり前のように年二回収穫してるからな」


幻影の言葉に、「…働き者だぁー…」と農夫たちは一斉につぶやいた。


「人間もそうだが、畑や田をそれほど働かせるのもどうかと思うが、

 重い年貢を支払うためには必要なんだろう。

 米は炊いて食うんだけど、しゃりにするんだ。

 寿司にして食えば、それほどうまくない米でも普通に食える。

 あとは菓子に加工する。

 粉にして小麦、芋などと混ぜて薄いせんべいのようにする。

 これもなかなかうまいぞ」


幻影は言って、その菓子を農民たちに振舞った。


農民たちはみんな琵琶家に向けて、仏のように手を合わせて、この農地で働ける感謝として礼を言った。



しっかりとうまいものを食って、心まで充実したのか、琵琶家一同は翌日は仙台を出立して宇都宮に向かって街道工事を始めた。


もちろん政宗は大いに眉を下げて引き留めようとしたのだが、確実に叱られると思い、何も言わずに見送った。


戦艦を走らせてすぐに、幻影は西ばかりを気にしている。


そこには、ただただ奥羽の高い山波がそびえているばかりだ。


「…山形で何かが起こっている…」と幻影は無意識につぶやいた。


「行ってもよいぞ」と信長が言うと、幻影は目を見開いて、「…また、口に出してしまったようです…」とバツが悪そうな顔をして頭をかいた。


「…黒い何か…

 陰謀、暗殺…

 武家のしでかすことはよくわかりませんので、

 放っておいてもいいでしょう。

 その他の庶民に問題がないのであれば、

 平和は維持できるはずですから。

 もしも庶民に危害が加わるのであれば、

 手助けに行こうと思います」


幻影の言葉に、信長が指信号を出した。


「一応調べさせる」と信長は言って笑みを浮かべて、「お! もう着いた!」と陽気に言って、一番に戦艦を降りて、巨大な作業車の先頭に立った。


この特殊車は、整地をする時に大きな長い車輪を下すのだが、通常の走行時には、その部分は浮かせているので、戦艦で引くことは十分に可能だ。


そして巨大な車輪を下すと同時に土などを詰め込み、三十倍ほどの重さになって、街道の土を地面に埋め込むように圧迫させる。


もちろん平にはならないので、目立つつくぼみがある部分は、盛り土をして圧迫する。


もう手慣れたもので、道を見ているだけで何をどうすればいいのか、誰でもよくわかるようになっていた。


遥か彼方に宇都宮城が見えたと同時に昼餉にすることにした。


もちろん、広大な空き地がある場所まで行ってから、作業を中断することに決めている。


幕府の役人も交えて、琵琶家一同はうまい昼餉を大いに食らった。


守山は少々出世したようで、江戸城の老中筆頭まで駆け上がっていた。


今回のお目付け役がこの守山だったので、琵琶家一同はさらに気兼ねなく働いた。


守山も琵琶家といた方が楽しいようで、よく食いよく話す。


「山形藩で何かあるのか?」と幻影が何気なく守山に聞くと、目を見開いて猛然たる勢いで咳き込んだ。


「後釜は松平か、それに準ずる家か?」


幻影は守山を探っていない。


ただただ、今までの歴史がこう言わせたのだ。


「…後釜は鳥居家。

 松平と関係はある」


何とか落ち着いた守山はここまで言って茶を飲んだ。


「下総矢作藩の藩主、鳥居忠政殿が後釜だ。

 …何かあるとだけ知って、そこまでわかるものなのか?

 …ああ、歴史を知っていればわかっていて当然か…」


「最近のことはそれほど知らなけどな。

 どうせ昔と同様に、

 お家騒動をずっと続けているとすれば、

 大人しい幕府も何らかの対策をとると思うし。

 会津でも国替えがあったから、

 面倒事は同時に、とか秀忠ならやりそうだ。

 あとはだ、その実行犯」


幻影の言葉に。「…めったなこと言ってんじゃあねえ…」と守山は真剣な目をしてうなった。


「二十年前ならいざしらず、

 このご時世、暗殺はそれほど簡単なことじゃない。

 私闘禁止令がある限り、

 そう簡単には刃を向けられない。

 それほどの重荷を背負ってまでは、

 誰も暗殺なんてしないはずだ。

 だったら、それを言いつけた幕府側が犯行を犯せば、

 いとも簡単に成功する。

 忍びは半蔵だけではないはずだからな。

 その時だけ雇える伊賀者であれば、

 誰がやったのかもうわからん。

 と、ここまで筋書きを読んだ。

 あとは、秀忠の思考を読めば、

 全てが判明する。

 家光も考えたが、

 その場合、信幻が気づくはずだから、

 多分そっちはないと思う。

 秀忠は本当の意味で完全に隠居するつもりで、

 最後の仕事を果たしたんだと思う。

 残るはクリスチャンだけだが、

 これも大いに面倒だ。

 だからこそ、

 家光の将軍としての最終試験にしたんじゃないのかなぁー…」


「確認しちまうと、この先、付き合いづらくなるんじゃねえの?」


守山が眉を下げて言うと、「何故だい?」と幻影は言って信長を見た。


「ワシとて、今幻影が言ったようなことをさんざんやった」


信長の言葉に、役人たちは大いに目を見開いた。


「秀忠の想いはワシとは違うが、気持ちはわかる。

 琵琶家にいれば、心穏やかに過ごせることはわかっているんだ。

 最後の仕事とばかり奮起してもなにもおかしくはない。

 さらにはクリスチャンを殺すなと幻影がさんざん言っているにも拘らず、

 やつは見せしめのように殺している。

 だが馬鹿なあやつでも、

 そろそろ見せしめが通用せんことも気づいたはずじゃ。

 それはな、洗脳じゃ」


「…洗脳…」と守山がつぶやいた。


「催眠術のようなものだよ。

 もちろん、かかる者もいればかからない者もいるし、

 勝手に解けてしまうこともある。

 さらには、多弁者を信用するなという教えもあったりするんだ。

 だからこそ、俺たちが出て行ったって多分相手にされないから、

 影に隠れてこっそりと探り語りかけるんだ。

 まるでキリストの教えの中にある父のようにな。

 その神の父が言うんだ、

 キリストの教えは人間が作ったものだ、とな」


「…その先を体験した者は、キリスト教を捨てなければならない…」


守山の言葉に、「そう仕向けるのが、今は平和なんだよ…」と幻影はため息交じりに言った。


「そして肝心の聖書に載っていたキリストの言葉に落ち度がある。

 それは距離を記したものだ。

 俺らが使う、寸や尺といった長さの単位だ。

 今から千五百年前には、

 マイルという長さの単位の定規はなかった」


「…うう、現実的だ…」と守山だけではなく誰もがつぶやいた。


「そこは歩数などで示せばよかったのにな。

 ついつい、聖書を認めた当時にあった文明文化を披露しちまった。

 一気に興ざめだぜ。

 もちろん、その事実に確信がなければ、

 信じるんだろうけどな」


「あとは、キリストの教えと称されることで、

 超常現象に満ちたものは、半分ほどは我らが汗水たらしてやっておる。

 だからな、我らに接触しようという意思を見せた者がおるはずじゃ。

 守山も聞いておるはずじゃ、

 阿蘇の火口の中に刺さってた十字架」


「はい、お聞きしました…

 …しかし、一体どうやって刺したのでしょう…」


守山は大いに戸惑った。


「投げ入れた形跡はなかったから、

 長い棒を使って突き刺したか、

 火口に向けて伸ばして、

 真っすぐに落とした、といったところだろうな。

 そうすれば違和感を感じない」


「…琵琶家を見張っていた者がいた…」


「今だったらすぐにわかるが、

 残念ながら今はいないようなんでな…

 まあ、一番考えられるのは、

 法源院屋の誰かだろう」


「…うう、盲点じゃった…」と信長は小声でうなった。


「我らの動きは速い。

 だからこそ、様々な場所に不思議なものを仕掛けておくことは重要だろう。

 見つけたのは阿蘇の火口の十字架と、

 日向の国の高千穂岳の洋剣」


「…用意周到だな…」と守山は眉を下げて言った。


「あれは絶対におかしい!」と蘭丸が目を吊り上げて叫んだ。


幻影が詳しい話をすると、「…それこそ、神の証し…」と守山はつぶやいた。


そして幻影に向かって柏手を打った。


幻影は眉を下げながら、「重さという概念がない物質だからな」と言うと、「…つれてけぇー… 怖いけどぉー…」と守山が中途半端に懇願してきた。



ここは作業の気分転換として、戦艦を操って、簡単に高千穂岳の頂上にたどり着いた。


「ありゃ? ねえぞ?」と幻影が言うと、誰もが目を見開き、「あるはずだ!」と蘭丸が叫んで、石積みに駆け寄った。


そして乱暴に石を崩して、土台の岩を見入っている。


「…ちっさぁーい…」と阿利渚が言って、剣の柄を握って抜こうとしたが、抜けなかったことを悲しんだ。


「…俺の娘を悲しませたのは、どこのどいつだぁー…」と幻影が剣に向かってうなった。


「あっ!」と阿利渚は小さな剣を手に取って、陽気に飛び跳ねて喜んだ。


そしてここから確認作業が始まって、持ち上げられるのは幻影と阿利渚だけという事実に誰もが不思議に思い始めた。


「…やはり、俺のもの…

 いや、俺の従者?」


「…お前が怒ったからな…

 まあ、人に言い換えればその通りだと思う…

 だが、なぜ小さくなったんだ?」


守山の言葉に、「…俺たちが騙しているなどと思ってねえだろうなぁー…」と蘭丸が守山に向けてうなると、「…思ってないから…」と守山は眉を下げて答えた。


「小さくなったら、さらに十字架みたいになったな…

 やはり持っているとまずいことには変わりない」


幻影の言葉に、「…よくはないな…」と守山が賛同すると、阿利渚は眉を下げて小さな剣を岩に戻した。


幻影たちは剣を隠すように石を積んだ。


「次は持っていても疑われねえものにでもなってくれ」と幻影は石積みに向かって言った。


もちろん、奇跡のようなものは起こることはないのだが、阿利渚が興味をもって、一番上に積んだ石を持ち上げると、「あっ!」と叫んで、洋風の盾を手にしていた。


「…おいおい…」と幻影は言ってまた石をどかすと、小さな剣はなかった。


よって、剣が盾に変わったと言っていいようだ。


「これは西欧辺りで使われている盾だ。

 だからこいつが神とすれば、

 日の本の神じゃなさそうだな…

 秀忠に献上するか…」


「…ま、一番偉いお人に相談してもいいんじゃないの?

 これを天守の畳の上にでも置けばどうなるか…」


守山の言葉に、「…下手をすると、城の階段を踏み抜くかもな…」と幻影は言って阿利渚の足元を見た。


「…阿利渚ちゃん、重くないんだよね?」と守山は大いに眉を下げて言った。


阿利渚の足が、くるぶしまで地面に埋まっていたからだ。


「うん! 重くないよ!」と阿利渚はかわいらしく言って、盾を守山に差し出した。


「確認確認」と幻影が明るく言って、盾に手を触れた。


守山は盾を手のひらに乗せた瞬間、「重い重い重い!」と大いに叫んだ。


そして蘭丸が悲しそうな顔をして手に取ったが、結果は守山と同じだった。


「…俺にも持てるように命令しろぉー…」と蘭丸がうなると、「無謀なことをしそうだからな…」と幻影は言ってにやりと笑った。



せっかくなので、この見晴らしがいい場所で、物見遊山気分で茶などを飲んで、休憩を再開した。


すると役人たちがやってきた。


「ややっ! 剣がなくなっている!」と役人が琵琶一族だと旗を見ながらも、石積みを見て叫んだ。


信長が挨拶をすると、一行は薩摩藩の役人だった。


そしてまた不思議な盾の検証が始まった。


「…誰にも持てないのであれば、

 高願殿と阿利渚殿のものだということに相違ないでしょう…」


役人は大いに眉を下げて言った。


「正体がわからないだけに、

 持って帰るのも気が引けるし、

 不気味なんですよね…」


幻影が眉を下げて言うと、「…はあ… 本当に、欲をお持ちでないのですね…」と役人はさらに眉を下げて言った。


「できればキリスト教徒の心を替えるようにと願ったんですが、

 願いは叶いませんでした。

 だから、それほど大したものでもありません」


幻影の言葉に、「…罰当たりと叫ぼうとしましたが、確かにそれも言えますなぁー…」と役人は表情を変えずに言った。


「阿利渚、盾を岩の上に乗せてくれ」と幻影が言うと、「はぁーい!」と阿利渚は陽気に答えて岩の上に乗せた。


すると盾は、元の姿の剣に変わっていた。


「…ふむ… まだまだ修行中、といったところでしょうか…」と幻影が言うと、誰もが目を見開いてうなづいた。


「ほらほら! 重いけど抜けるよ!」と阿利渚が自慢げに言って刀身を持ち上げて言うと、「危ないからやめなさい」と幻影が言うと、阿利渚は眉を下げて剣から手を離した。


「…危ないことをしてごめんなさい…」と阿利渚は眉を下げて幻影に謝ったが、「わかればいいんだ」と幻影は言って、阿利渚の頭をなでた。


「…利発なお嬢様で…」と役人はこういうしかなかった。


役人たちは神社を建てる算段をしていたようだが、もうすでに建っていたので、ありのままを報告することにした。


すると信長が短い文章を認めて役人に渡して、「ありのままを報告すれはこの書は生きる」と言った。


役人は大いに感動して、書を懐に忍ばせた。



幻影たちは役人たちを戦艦に乗せて城に送り届けてから、街道工事作業に戻った。


今日のところは宇都宮に近い場所まで来たことで、納得して作業を終えて、仙台に戻った。


法源院屋の庭で真っ先に歓迎したのは二羽の鳩だった。


一羽は秀忠からで、一羽は信幻からだった。


どちらの内容も同じで、要約すると、『どこに行ってたの?!』だったことに、琵琶家一同は大いに笑った。


幻影は高千穂の件を細かい字で認めて、二羽の鳩を飛ばした。


「お帰りになられて何より…」と政宗は笑みを浮かべて言った。


もちろん政宗のお付きの者もいるが、家老がひとりと屈強な者が三人だけだ。


この安定した仙台城下を出歩く場合は、いつもこんな感じらしい。


「だが明日は武蔵の国に入れそうだから多分戻ってこないからな。

 作業が進まなくても、

 川越の法源院屋に泊まることになるだろう」


幻影の言葉に、政宗は寂しそうな顔をしたが、すぐさま頭を下げた。


夕餉を終えてから、琵琶一家は置き土産とばかりに菓子などを大量に作って店主に渡した。


もちろん、宿賃のようなものだ。


店主は大いに喜んで、「次は祭りの日に」と笑みを浮かべて言った。


もちろん幻影は快諾して、この日を終えた。



さすがに江戸に近づくと作業がはかどらなくなり始めた。


どの街道と比べても人通りが多いからだ。


よって作業は天気のいい早朝に限って行うことにしたので、仕事量としては随分と減ることになるので、生実に戻って、一日のほとんどを思いのままに生活することにした。


するとすぐさま来客があった。


もちろん、生実藩主の森川重俊と秀忠だ。


「まさかだが、今も続いておるのか?」と信長は秀忠と重俊を見て言うと、「…えー…」と幻影は汚いものを見るようにふたりを見入った。


しかし、「ここに藩があるのはおかしいと思っていた」と幻影は立ち直って背筋を伸ばして言った。


ふたりは体を重ねた、衆道という道にいたことがある。


もちろん、戦乱の時代はどこのでも普通にあった。


殿様が小姓をそばに置くことは、その件だけにあったようなものだ。


それに加えて、精神的な安らぎを得るためという意味もある。


だが、幻影の師匠である信繁はそれを大いに毛嫌いしたのだ。


よってその弟子である幻影もほぼ同じ感情をもって、そういう者たちを見る。


「そんなくだらないことをやってるから、

 上田を落とせなかったんじゃないのか?」


幻影の言葉に、「最上が不甲斐なかったからだよ!」と秀忠は最上軍のせいにした。


「…上杉も邪魔したしぃー…」とさらに眉を下げて言った。


「なかなか執念深いやつだったようだな。

 お前との付き合いも、色々と考え直さなきゃな」


「もう乱世の世は去った!」と秀忠は叫んでそっぽを向いた。


「…最上家を、亡き者にしようと画策しただろ?」という幻影の言葉に、「危険なのはわかってるだろ?!」と秀忠は叫んだ。


「ああ、わかってるし危険だ。

 もしも最上と伊達が手を組むと、

 また乱世の世に逆戻りだからな。

 やはり、親戚関係という意味が大きいが、

 政宗を見ていたら、血の濃さよりも絆の太さだと思ったよ。

 さらに政宗は自由を得たから、

 この先は暴走しないように気を付けておいた方がいいぞ」


「…わかったよぉー…」と秀忠は答えて眉を下げた。


もちろん、政宗と政江が離縁したことは、半蔵から報告を受けて知っている。


「ああ、自由になった件は半蔵から聞いていたようだな。

 お前も忍びの使い方を間違っている」


「…半蔵しか信用できないよぉー…」と秀忠が言うと、「なんだ、暗殺は半蔵の仕業か」と幻影が言うと、秀忠は目を見開いて固まった。


「ほう… さすがに違ったが、

 少々前の件は、

 実行犯を半蔵が殺したか…

 だからこの事実を直接知っているのは半蔵だけ…

 なるほどなぁー…

 秀忠も俺たちも、誰かに聞いた話だから、

 半蔵を捕らえて脳内を探ってやればいいが、

 やつは命を絶つかもしれないからやらないでおくか。

 それは平和ではないが、釈然ともしないなぁー…」


「…脳内を探る…」と秀忠は言って頭を抱え込んだ。


「俺たちの暗殺だけは考えない方がいいぜ」


幻影が脅すと、秀忠は大いに体を震わせて、何度もうなづいた。


「ま、ここに来るのではなく、生実城に行けばいい。

 …まだ、続いているそうだ…」


幻影の言葉に、秀忠も重俊も居場所を失くして小さくなっていた。


「知っておいて、大いに助かりました」とお静が笑みを浮かべて言うと、「我が琵琶家は、包み隠さずを貫くからね」と幻影は笑みを浮かべて答えた。


すると秀忠が大いに眉を下げたが、「もちろん平和が最優先だ。言っていいことと悪いことはよくわかっているつもりだぜ」と言うと、秀忠はほっと胸をなでおろした。


すると半蔵が庭に現れて、「こやつは危険です!」と幻影に指を差して叫んだ。


「ほう…

 俺を縛り付けて手籠めにしていうことを聞かせる。

 そして拷問を繰り返して、できるだけ長い時間楽しむ…

 おまえ、なかなかの異常者だな…」


幻影がうなると、『なにを』と半蔵は言おうとしたが全く声にならなかった。


そして体が動かないことに気付いた。


すると蘭丸が幻武丸を担いで縁側に立って、「…想像することも罪だぁー…」とうなってから幻武丸をすらりと抜いた。


「助けて助けて死にたくない死にたくない」と幻影が棒読み口調で半蔵の声色を使って言うと、蘭丸は振り返って幻影を見て、「…気味が悪いが意味は通じた…」と言って、見えない速度で幻武丸を数回振った。


そして、「現楽涅槃寺で修行を積めばいい」と言ってから、幻武丸を鞘に戻した。


「…どうすればこうなるんだ…」と幻影は嘆きながらも手を叩いた。


半蔵の頭の上には何もなくなっていたからだ。


まさに、黒装束の尼でしかなかった。


「剃毛する必要はございませんよ」と今は長い髪を後ろで束ねた妙栄尼が言うと、「失礼した」と蘭丸は言って、妙栄尼に頭を下げてから、その隣に座った。


「こいつこそ危険だが?

 まあ、かなり大人しくはなったが、

 まだ俺に抱いてもらいたいようだ」


幻影が秀忠に言うと、秀忠は蘭丸を見たが何も行動は起こさない。


「我が亭主は大いに女官にもてますので」と蘭丸は言って、大いに顔を赤らめた。


すると阿利渚が幻影に両腕を上げたので、幻影は抱きかかえた。


「簡単だよ?」と阿利渚が言うと、「ああ、簡単だな」と幻影は笑みを浮かべて言って、阿利渚を下した。


「だけど、無関係の女を抱こうなどとは思わない。

 誰とでもそのようなことをすることはない。

 そこには必ずと言っていいほど災いがあるからだ。

 我が琵琶家から、そのような災いや不幸を出すわけにはいかないんだ」


幻影の言葉に、真っ先に幻影の兄弟たちが頭を下げた。


半蔵の拘束は解けたが、消え去ることはなく、腰を地面に落とした。


そして地面に落ちている髪に手を触れて、涙を流し始めた。


「五年もすれば、このように伸びます。

 ですが命を絶たれると、もう元には戻れないのです」


妙栄尼の言葉に、半蔵は素直な気持ちをもってうなづいた。


「しかも私の場合、何度も剃毛していたことで、

 何故だか艶やかになって、とてもうれしいのです」


妙栄尼は言って、その艶やかな髪を手に取って笑みを浮かべた。


「あなたも、そうなればいいですね」と妙栄尼がやさしい言葉をかけると、「はい、ありがとうございます」と半蔵は穏やかに礼を言って姿を消した。


「…剃るとよいのか…」と光秀が感心しながら言うと、「妙栄尼は私の場合ときちんとことわったぞ…」と信長は大いに眉を下げて言った。


「ですが、希望となるお言葉。

 さすが妙栄尼様」


幻影は言って頭を下げた。


「失った場合、成長することが世の常です。

 それが希望となれば、さらに良いこととなります」


「すべてに適応できる素晴らしいお言葉です」と幻影は大いに褒めたが、妙栄尼は気に入らないようで幻影をにらみつけた。


「…幻影様に褒められると嘘っぽいからイヤ…」という妙栄尼の言葉に、信長は大いに笑った。


「心の中の方は、まだまだ成長の余地がありそうですので」


幻影の言葉に、萬幻武流の門下生たちは一斉に頭を下げた。


「それに、友と思っていた秀忠を失いそうなので、

 それも糧といたしましょう」


「…我を修行の糧にしないでぇー…」と秀忠は懇願の目を幻影に向けた。


「ここに来るのなら殺さずを貫け。

 おまえ、つい最近、京でもやったそうだな」


「…うう…」と秀忠はうなったが、首を盾に振ることはなかった。


「キリストの教えに、殉教という言葉がある。

 実はこれも洗脳のひとつだ。

 洗脳の濃度が深ければ深いほど、

 笑みを浮かべて死んでいくやつらばかりなんだ。

 まさに今いる現の中で、最高級の褒美のようなものなんだ。

 よって、見せしめとして殺しても意味のないことなんだよ」


「…逆に増えた、かもしれない…」と秀忠はつぶやいてからうなだれた。


幻影は何度もうなづいて、「…面倒だが対策を考えるか…」と言うと、秀忠は満面の笑みを浮かべて幻影を見入った。


「あのな、今度はお前が暗殺の憂き目にあうかもしれないんだぞ。

 それこそ、キリシタンの思うつぼなんだから、

 それほどうろうろするな。

 きっとなお前が死ぬと、

 悪魔は去った!

 などと言われそうだな…

 そうなると、さらに収拾がつかなくなる。

 お前は死んだからもう苦労はないからいいけど、

 現に残る俺たちの身にもなって考えろ」


「…うう…」と秀忠はうなってからまたうなだれた。


しかし、「…琵琶高願がキリストだって、言い切る者もいたんだよ…」と秀忠がつぶやいた。


「そして俺の手柄を面白くないお前はそいつを斬り捨てた」


「そんなことしてない!」と秀忠が本気になって怒ると、幻影は大いに笑った。


「目を治したり、拒絶反応を治したり、

 琵琶湖の湖面を走ったり、

 でかい鮪を捕まえて、多くの人々の腹と懐を満たしたし、

 さらにはキリストの奇跡にない空を飛んだり、

 雨を降らせて植えたばかりの種が一気に成長したし、

 戦艦で空を飛んでいろんなところに行って、

 大勢に目撃されているからな。

 キリストがさらに修行を積んで力をつけて

 戻ってきたとか思われてるんだろう…

 だからこそ、うかつなことはできないし言えない。

 俺と接したキリスト教信者は、

 俺の言葉を逆読みする場合もある。

 まあこの場合、裏の意味はないと先に言っておくけど、

 普通に話せないことは大いに問題だ。

 俺がもし失敗したら、目も当てられないからな」


「…大変だね…」と秀忠が眉を下げて言うと、「やかましい」と幻影は真剣な目をして言った。


「これほど優しくないキリストはおらんけどな」と信長は言って愉快そうに笑った。


「…崇められ過ぎるのも少々問題です…」と幻影は言いながら書を認めてから信長に見せた。


「ああ、行こう」と信長は言って立ち上がってから、「大村に行く」と告げると、琵琶一族は一斉に立ち上がった。


幻影は鳩を飛ばしたが、「…俺たちの方が先に着くかな…」と幻影は眉を下げて言った。



ゆっくりと出立の準備をしたので、鳩よりは後になったが、空飛ぶ戦艦は昼餉前に大村城の上空にいた。


船がゆっくりと城の中庭に降り始めると、街道でその様子を見ていた者たちは、「…ああ…」と誰もが声を上げた。



比較的明るい表情の酒井勝虎と大村純葉はすぐさま琵琶家の面々とあいさつを交わした。


「あれからどれほど隔離したんだ?」と幻影がさっそく聞くと、「五名です」と勝虎はすぐさま答えた。


「もっといるかと思ったが、

 さすがに大村は嫌ったようだ」


幻影は変装を施し、身なりを見習いの役人のように変えると、「…なんだかそれもいい…」と蘭丸が大いに顔を赤らめて言った。


前回の江戸城と同様に、牢の前の廊下を歩いて、五人を確認してから、見張り番の控室に入った。


そして一時もしないうちに、キリシタンたちが持っていた十字架を捨てさせた。


役人は五人を外に出して解放した。


ここからは幻影が頭を抱える番だった。


宣教師に、法源院屋の大番頭がいたからだ。


もちろん、これも予測していた範疇だ。


「ま、店主じゃなくてよかったけどね…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


顔見知りだったので、幻影はこの場から念話を送った。


「やってはならないことをやっているようだな」


幻影が話しかけると、相手は大いに慌てふためいたようで、思考はほぼ真っ白だった。


大いに慌てていると言っていい感情しかなかったからだ。


「まずは言っておく。

 ワシの言葉に裏はない。

 キリスト教を捨てろと言われたら素直に捨てろ。

 ワシは回りくどいことが大っ嫌いなんじゃ」


『…あなた様は…』とか細い声が聞こえた。


「反キリスト教信者」と幻影が言うと、勝虎と純葉は大いに笑った。


「ワシが言いたいのはただひとつ。

 殉教という不幸を見たくないからじゃ。

 キリストは抗うなと言ったが、

 残される者がいることをキリストのやつはわかっていない。

 そんなまやかしの宗教などを信じるやつは、

 人が生きるという上で大いに愚かじゃ。

 お前はそんなキリスト教が広まることを喜んでおるのか?」


『…ああ、ああ…』と大番頭は嘆き始めた。


どうやら罪の重さに泣き出し始めたようだ。


「キリストのやつはみんなを幸せにしようと頑張ったようじゃが、

 聖書を読んで気づいたことがある。

 確実にキリストの言葉でなはい事柄が大いに載っておる。

 それを逐一披露してやろう…」


幻影はそのすべてを語ると、相手は反応がなくなり、何かが消えたと幻影は感じた。


『…ご主人様に叱られました…

 …あ、今は驚いておられます…

 反キリスト教信者の方とお話し中です』


最後の言葉は、店主に向けたものだ。


『ご主人様が高願様とおっしゃいましたが、そうなのですか?!』と叫んで返して来た。


「反キリスト教信者」と幻影はさらに同じことを言った。


「今話したことを広める必要はない。

 ただ聞かれたら素直に語ればいい。

 正当な理由があってキリスト教を捨てたと言えばいいだけじゃ。

 余計なことは新たな不幸を産むかもしれんからな」


『…はい… 守ります…』


「じゃあな」と幻影は言って念話を切った。


「…あー… めんどくせー…」と幻影がうなると、勝虎と純葉は、「お疲れさまでした」とすぐに労った。


「…これを数万に向けて発信しろなんて秀忠のやつは言うんだぜ…

 まあ、そう言いたいところはやまやまなんだろうけどな…

 だがさすがに殉教の件だけは許せない。

 キリスト教など、

 現にいる俺たちにとって悪魔の宗教だ」


「…はい、思い知っております…」と説得力のある言葉を実体験がある純葉は言って頭を下げた。


「もしも人が生き返った場合、不幸でしかないんですね」と勝虎が聞くと、幻影はすぐさまうなづいた。


「心の臓が止まったと同時に、

 脳細胞がどんどん壊疽を始めるからな。

 もしできたとしても、まともではいられないはずだ。

 まさに動物以上に理性を失って、

 まずはまともに動けないだろう。

 これはさらなる不幸を産むだけだと、

 俺は思う」


幻影が答えると、ふたりは何度もうなづいた。



前回のキリスト教足抜けにあわせて、今回また起きたことで、この大村にはキリスト教徒たちが訪れなくなった。


よって大村藩の回りの、平戸、佐賀、島原に住むクリスチャンは、いつこの地にやってくるのかと考えると落ち着かなくなっていった。


そして信者たちは宣教師を攻め立て始めた。


さらには殉教は間違った行いと理由をつけて流れ始めたことで、ほとんどの者が納得してしまい、キリスト教から続々と抜けるようになっていった。


困ったのは大勢残された宣教師で、このままだと布教活動が困難になると思い、こぞって島原と肥前肥後に逃れるようにして住処を替えた。


幻影は生実に戻ってからも、勝虎と密に連絡を取っている。


勝虎は単身平戸に出向いて町の様子を見ると、今までと変わってしまったような気がした。


人の流れが妙に落ち着いているように感じたのだ。


怪訝に思った勝虎は、今度は肥後に渡ると、なんとキリスト教徒の弾圧が常に行われていたことを知った。


もちろん、この件は幕府と琵琶一家にも知らされた。


報告を受けた家光は江戸と肥後近隣の天領からすぐに使者を送り込んだ。


もちろん幻影も立ち会って、その現場に遭遇した。


まさかの事態に、仕置人たちは大いに慌てて、なんと太刀を抜いたのだ。


すぐさま幻影が対処して、顔見知りの肥後藩主加藤忠広に詰め寄った。


もちろん抜刀の件は後回しにして、多くの人々を殺し傷つけた件について詳細に調べ始めた。


幕府からの命の殺さずについては説明があったはずだが、「法に触れているんだから、罰して当然」と忠広は憮然として言った。


秀忠、家光の話し合いにより、忠広は北の地に飛ばされることになったが、その前に江戸城に送還することに決まった。


よって代理の藩主が必要だが、これもすぐさま決まり、一時的な対策として藤堂高虎が入ることになった。


ここは幻影が大いに手伝って、高虎の主要部隊ごと肥後に送った。


高虎は藩制もそうだが、今までの悪行なども調べ上げる任も受けている。


老体にはかなりの負担だろうが、やる気に満ちていた。


「罰として若返っちまえ」と幻影は悪態をつきながら、高虎の体中に手のひらを当て、雄々しき肉体をさらに雄々しくした青年に生まれ変わらせた。


「…おまえ、今更だな…」と若返った高虎は不敵な笑みを浮かべて言ってから、幻影と肩を組んだ。


高虎が調べてすぐに判明した事実があり、忠広は大いに放蕩三昧で、公家のような生活をしていた。


よってカネが足りなくなっても当たり前で、悪政を強いていたことは一目瞭然だった。


少々ずるがしこいことは、法源院屋を一切使っていなかったことだ。


今回のように城に入り込んで調べない限り、発覚できなかったことになっていた。


まず琵琶家は肥後にやって来て、農地を見回わり、さらには手を出して、働く意味を農民たちに見せつけた。


よく働いてよく食べ、そしてよく笑うことだ。


もちろん農民たちにも同じことをさせて、十数日後にようやく笑みを浮かべさせることに成功した。


琵琶家は比較的良心的な値で作物を買って、当座の資金とさせた。


さらには至る所に麺屋を建てて、わずかな金でも腹いっぱいになるように、期間を決めて出店した。


もちろん、琵琶家にも思惑があり、この地で大勢の者に料理修行をさせることにしたのだ。


よってほかの店に比べて約半値で腹いっぱい食うことが可能だ。


まずは食わないと何も始まらないので、この件はすぐさま始めて、肥後全体に広まった。


そして暗躍していた宣教師たちは、泣く泣く肥後を離れて島原に渡った。


琵琶家一同はひと月間大いに手助けをして、眉を下げている高虎の見送りを受けて生実に戻った。


琵琶家は去ったが、全ては法源院屋が受け持ったので、安心して肥後を離れることができたのだ。



そのひと月後に、当初の予定通りに、街道整備が完了した。


すると秀忠がその支払いとばかり、全員に官位を与えようとしたが、幻影は全員分の官位を秀忠に見せた。


「考えることは同じだよな?」と幻影が言うと、「…せっかく書いたのにぃー…」と秀忠は言って大いに眉を下げたが、礼として幕府からの官位ももらっておくことにした。


本来ならば、官位は大君が発布するものなのだが、幕府が公家を支配する政治に変わっていたため、公家とは別に官位を発行することに成功していた。


それが徳川家康の陰謀のひとつだった。


「よかったな、和子に男子ができて」


幻影の言葉に、「…かなり無謀な策略だったね…」と秀忠は大いに眉を下げて言った。


徳川家康の狙いは、二極政治はそれほど楽なことではないことが第一だ。


そしてようやく松平元康の願いが叶ったのだ。


とりあえず大君の後継ぎを徳川の血を継ぐ者に産ませて、まるで脅迫でもするかのように、公家の支配をするという、徳川家の陰謀だった。


「あとは家光がまっすぐに育てばいいだけだ。

 お前のようにひねくれていると本当に手がかかるからな」


幻影に言い返すことができない秀忠は、上目遣いでにらんだだけだった。


「…御所は乱れまくってたんだよ…

 …先代の大御所が眉を顰めるのは無理ないよ…

 大君の女に手を出したやつがいたんだよ…

 それが一度世継を産んだお与津の兄だった。

 もう十数年も前の話だけどね…」


幻影は、「何の因果だ」と鼻で笑った。


「与津子はせっかく男子を産んだのに亡くしたそうだな。

 後水尾が少々おかしくなっていたことをようやく理解できた。

 大君は大君ならではの苦悩もあったようだが、

 ただの種馬のようで嫌だな」


幻影がまた鼻で笑って言うと、「…今となってはそうなるように仕組んだんだけどね…」と秀忠は眉をひそめて言った。


「おまえはさらに人から恨みを買うことになった。

 だからこそ、俺たちが生実に来たことを喜んだよな?」


「…十数年前の件は和子が嫁いですぐに関係者一同は恩赦にしたけどね…」と秀忠はため息交じりに言った。


「ま、俺から言わせればどっちもどっちだ。

 これが世間にさらされると、

 大君もおまえも誰も信じてくれなくなるだろう。

 だからあいつは俺に言った。

 大君の血は途切れていると」


幻影の言葉に、秀忠は目を見開いた。


しかし悪態をつくことはなく、「…やっぱ、幻影が全ての頂点だね…」と眉を下げてため息交じりに言った。


「付き合うとな、やはり放ってはおけなくなるんだよ。

 俺は高虎の行いを責められなくなっちまった」


幻影が鼻で笑って言うと、「…藤堂にも褒美をやりたいけどね…」と秀忠がつぶやくと、「若返らせたから別にいい」と幻影がにやりと笑って言うと、秀忠は一瞬目を見開いたが、「…うん、ありがと…」と笑みを浮かべて礼を言った。


幻影と秀忠はただの友人ではなく、一蓮托生の間柄となっていた。



高虎は若返ったのだが、積み重ねは今まで通りだ。


よって高虎自身は分家でもいいので、藤堂家を分けてもらえるように秀忠に進言した。


もちろん秀忠が拒否することなく、高虎の現在の居場所も石高に含め、大大名の仲間入りを果たした。


しかし高虎はすることがなくなった。


城の政治的掃除をしただけで、ほとんど仕事がなくなってしまったのだ。


農業も漁業も商人も、うまくカネが回っていた。


もちろん琵琶家がそう仕向けたことはわかっている。


よって城を出て城下やその他を見回りする日が増えていた。


そしてどこに行っても琵琶家の名が必ず出てくる。


今もまだ麺屋は営業中なので、ついついその話になる。


すると、「あっ! 藤堂様!」と、顔見知りの麺屋の従業員が高虎に声をかけただけで、高虎は誰からも尊敬の目で見られるようになった。


―― 勝手にうまくいった… ―― と高虎は思い、幻影に向かって手のひらを合わせた。


ここからはごく普通に話をして、早速麺屋で食事をしたのだが、高虎の眉は曇っていた。


「…すいません…

 まだ修行中の身で…」


従業員は大いに眉を下げて言うと、「いいや、安く食えるだけで今は十分だ!」と高虎は言って、今度は値段に見合う舌に変えて、さもうまそうにして大いに食った。


これも長年の経験のようなものだ。


「早く料金を上げられるように頑張ります!」という従業員の言葉に、高虎は大いに笑ったが、近隣に住む者たちは大いに眉を下げていた。


味も料金も今のままがいいと思ったようだ。


「幻影たちが審査に来るのか?」


「それもあります」と従業員は笑みを浮かべて言った。


―― そうか、まずは忍びが味見か… ―― と高虎は察して笑みを浮かべて何度もうなづいた。


「できれば、琵琶家の方々に直接お出ししたいのです。

 それが今のあっしの夢です」


従業員の言葉に、誰もが大いに拍手をして、大いに背中を押した。


「そうだ、夢がないとな。

 皆も何かを見つけてみよ。

 ワシも、本来のワシの主人の元で生活をして力になることが再びの夢じゃ。

 その夢を、幻影にもらったようなものじゃ。

 ああ、幻影とは琵琶高願のことじゃ。

 あやつとは心からの悪友じゃ」


高虎の言葉に、さらに高虎の株が上がった。


そして気さくな殿として、どんなことでも話すようになってきた。


もちろん、欲は大いに戒めるが、変える必要があることはその場で変えたりもする。


高虎はこの散歩が好きになっていた。



幻影は長春から鳩が運んできた書を読んで、「この短期間で肥後は安泰となったようです」と嬉しそうに信長に報告した。


「任を終えたら、ワシのそばにい置くぞ」


「御意」と幻影は満面の笑みを浮かべて答えた。


「高虎があと百ほどいれば、

 我らがこの日ノ本にいる意味がなくなります」


幻影の明るい言葉に、信長は大いに愉快そうに笑って、何度もうなづいて同意した。


「ですが、奥はどうされるのでしょう?

 いまさら子は作らないと思いますが…」


「新たなお家騒動の火種になるからな。

 ワシとしてはお静か阿国に願おうかと思っておった」


信長の衝撃の言葉に、幻影すら固まっていた。


「…あいつが父ちゃんですかぁー…」と幻影は大いに苦笑いを浮かべて言った。


「さらに親近感が沸くというもの。

 もちろん、萬幻武流の教えに背くことは言わん。

 その当事者が心の底から納得すればいいだけじゃ。

 門下生でなくとも、それが一番平和な道じゃて。

 …それにやつの性格上、妻たちは全員郷に返すか、

 今の居場所を奪わんじゃろう。

 じゃが、ついてくるという者もいるやもしれんが、

 そこは試験が必要じゃ」


「はい。

 我らの弱点を晒すようなものですから。

 その点、乳母の方々は大いに逞しくなられた」


幻影は言って、お香とその仲間たちを見て笑みを浮かべた。


軽作業と言っても、この日ノ本中を力仕事をして巡るような旅についてきて、人並み以上の力を発揮しながらも乳母の仕事も忘れていない。


特に幻影たちが気を回して守る必要がない域まで成長していたのだ。


「…これで重胤様と婚姻できなかったら訴えるわ…」と正実が小声で言うと、女性たちが大いに笑った。


その重胤は苦笑いを浮かべていただけで、いいとも嫌とも言えない感情を流していた。


今のところは、平五郎から信胤と名を変えた我が子の成長を見守りたいだけのようだ。


「信胤は母は誰がいいのじゃ?」と信長が聞くと、信胤は満面の笑みを浮かべて、「胡蝶蘭様が大好きです!」と心の底から叫ぶと、「よっしゃぁ―――っ!」と蘭丸は叫んで、信胤と阿利渚を抱き上げて上機嫌になっていた。


「…はは様、もてもてぇー…」と阿利渚が笑みを浮かべて蘭丸を見上げて言うと、「おまえの母だからな」と蘭丸は穏やかに言った。


「そうなのか?」と信長が才英と健五郎を見て言うと、「はい…」とふたりともホホを赤らめて言った。


「…子だくさんになった…」と幻影がつぶやくと、才英と健五郎は満面の笑みを浮かべていた。


もちろん蘭丸はこの話も聞いていて、ふたりとも我が子にしてしまった。


「…健五郎はもう元服したんだから厳しいぞ…」という蘭丸の言葉に、「はい! 母上!」と健五郎は満面の笑みを浮かべて叫んだ。


もっとも、今までも母上と呼んでいたので、それほどの新鮮さはないが、蘭丸本人は違うようで、涙を流して源五郎を抱きしめ、「…私が殺してしまわないように頑張るわ…」と脅してはないが、脅すようなことを言った。


「生き延びて、さらにかわいがっていただきます!」と健五郎は心の底から叫んだ。



「そういえば…

 官位は大君であってもみだりに与えてはならないんだったよな?」


幻影がいきなり聞くと、秀忠は大いに戸惑った。


幻影としては、まさにこの朗らかになる時期を待っていたのだ。


そうすることで、秀忠の脳内を探らなくても大いにわかりやすくなる。


できれば、秀忠の言葉と態度から判断したいからだ。


それが友人というものだと幻影は考えている。


「…琵琶一家に与えたものはみだりなんかじゃないよ…

 …だけど、報告は欲しかったところだけど、

 見て見ぬふりをするよ…」


秀忠は大いに眉を下げて言った。


「仲よくしろとは言わないが、諍いだけはやめてくれ。

 俺は関わりたくなかったが、

 あの大君とも友人関係を築いたようだからな。

 まあこれは、俺の願いだ」


「…我は、もう後がないって思う?」と秀忠が懇願の目を幻影に向けた。


「家光までは諫める役だ。

 だがそのあとは知らん。

 だからその時が来たら、

 琵琶家は勝手にやらせてもらうだろうな」


「…幻影様、お優しい…」と妙栄尼が言って手のひらを合わせたので、秀忠としてはここはすぐさま追従した。


「おまえは友人を崇めるのか?

 俺としては間違っていると思う」


秀忠はすぐに腕を下ろして、「…蚊がいた…」とつぶやくと、誰もが大いに笑った。


「松平元康と語り合え」


幻影が真剣な目をして言うと、秀忠は大いに戸惑ったが、「…う、うん、そうするよ…」と何とか答えた。


「…難しいことを言いよる…」と信長が言って鼻で笑うと、「徳川家康の考えと行動を、とりあえず真似をするだけですから」と幻影はさも簡単に言った。


「もちろんそれでは秀忠は面白くない」と幻影が言って、秀忠を覗き込むと、「…答えないぃー…」と大いに怯えながら言った。


「もしもその分岐点に来た時、

 誰もが笑みを受かベることだけを考えろ。

 これは徳川家康の考えでも、

 松平元康の考えでもない。

 俺が考える理想の殿様像だ」


幻影の言葉に、まずは信長がうなづき、そして秀忠が気味の悪い笑みを浮かべてうなづいた。


そして幻影は大いにうなづいている側用人を見て少し笑った。


「もちろん甘いことばかりじゃないが、

 できれば甘くして事を収めた方が平和な場合がある。

 そしてそれに過剰に甘えた者には厳しい罰を与えてやればいい。

 世間はそれほど甘くないんだぞ、とな。

 家康の場合、イライラするほどこの期間が長かった。

 もちろん、先にするべき天下統一という野望があったからだ。

 今はそんな野望なんて持つ必要はない。

 将軍はすべての民の手本見本となるべきだと俺は思っている。

 あ、お前は将軍じゃないな…

 信幻にも言っておこう」


「…きちんと共有するから…」と秀忠は眉を下げて言った。


「信幻にはあいつの父としての会話も必要なんだよ。

 あいつの楽しみは、俺たちの生活を覗き見ることだからな。

 本当なら全てを放り出して、

 琵琶家と行動をともにしたいと言うだろう。

 俺は別にかまわんし、両腕を広げて迎え入れる。

 だが、回りはそう思わんから、

 どこかで多少の我慢は必要なんだ。

 なあ、お志乃さん」


幻影の言葉に、全く表情がない志乃が頭を下げた。


「…信幻様たちがいたら、

 あの程度の街道工事なんて、

 さらに早く終わってたよ…」


源次が眉を下げて言うと、志乃は少し腰を浮かせてから、「その通りでございますね」と比較的穏やかに言ってから腰を落とした。


「…うう… 甘くするか厳しくするか…」と秀忠が大いに悩み始めると、「それこそ家光と話し合え」という幻影の言葉に、「…そうしますぅー…」と言って頭を下げた。


「東はしばらくはいいが、西はほぼ手つかずだからな。

 公務として旗本徳川信幻を召喚するくらいはいいじゃろうて。

 もちろん、雇った賃貸料は払うぞ」


信長の言葉に、「…帳簿上、もらっておくことにしますぅー…」と秀忠は言って大いに眉を下げた。


幻影は日の本の地図を広げて、「…行きは東海道、帰りは中山道でいいか…」と幻影がつぶやくと、「前だけを見て真っすぐと、ならばたやすい」と信長は機嫌よく言った。


「…あ、中山道は、山を削ったり道幅を広げたり…」と秀忠が眉を下げて言うと、「任せろ」と幻影は胸を張って答えた。


関から米沢の街道工事の際にこの件は経験済みで、今回の工事でもいくつもこなしていたからだ。


秀忠はまた机を借りて、東海道と中山道の改修工事に係る書類を認め始めた。


「木材と雨水排水の溝板の石版の準備にふた月ほどかかりますが、

 終わり次第出立しましょう」


幻影の言葉に、「ああ、それでよい」と信長は快く答えたが、「…そんなに早く…」と秀忠は目を見開いて言ってから、さらに筆の速度が上がった。


「我らの場合、退屈も毒だからな。

 このふた月間、退屈にならなくて助かった。

 準備作業は忙し過ぎることもないからな」


幻影の言葉に、腕まくりをした信長を筆頭に、全員が部屋を出て行った。



さすがに今回は長丁場なので、それなり以上の準備が必要になる。


よって資材などは生実と安土、前橋の三カ所に蓄えることにした。


準備と言いながらも結局は日々旅に出ることになる。


資材集めは松山と関でも行うので、琵琶御殿を毎日変えるような生活となる。


今回作業に関わってくる法源院屋にも連絡を終えて、追加の資材も注文した。


この地震大国で木材は必要不可欠なので、管理できない程持っていても問題はないからだ。



安土である程度作業を進め、その翌日に松山に行くと、早速問題が発生した。


国替えを終えた蒲生配下の役人が城からやってきたのだ。


「嘉明は今まで通りだというとったが?」と信長が少し厳しい口調で言うと、役人は大いに怯えていた。


要件は税の件で、『琵琶家の御殿がこの松山にある限り税は免除』の件を覆そうとやってきたのだ。


もちろん少々特殊なことではあるので、幻影が真っ先に確認していた。


ほかの地も、これと同様の契約を結んでいるので、まさに琵琶家だけが特殊だった。


特に払いたくないわけではないのだが、それは琵琶家を繋ぎ止めるための手段でもあったからだ。


「我らがこの地を出ると決まった瞬間、

 お前らはまた国替えだぞ。

 それでも良いのなら押し通してみよ。

 この地の農民や商人たちも黙っていないはずだ。

 我らが同胞は今治にも宇和島にもおるからな」


信長が大いに脅すと、さすがに恐れをなしたようで、城にすっ飛んで帰って行った。


幻影は鳩を二羽飛ばした。


一羽は江戸城で、もう一羽は熊本城だ。


この件は人伝に広まり、城下ではその話題で持ちきりとなっていた。


「次は土地を返せと言ってきそうですね。

 その方が都合はいいですが」


幻影は言って琵琶御殿を見まわした。


そして宇治と宇和島にも鳩を飛ばすと、一時もしないうちに宇治と宇和島の騎馬隊がやってきた。


「叔父上! 引っ越されるのならば我が宇和島に!」と伊達宗忠が叫び、「兄者! どうか新居は我が今治城下へ!」と藤堂高次が叫んだ。


「じゃ、追い出されることになったら両方」


幻影の言葉に、宗忠も高次も大いに高揚感を上げていた。


すると城からも騎馬隊がやってきたが、あまりの重圧に馬が歩を進めなくなっていた。


蒲生忠知は面識のある宗忠と高次を見入って、大いに怯えながらやってきた。


体調の方は万全ではないが、心機一転という意味で何とか復活を果たしたのだが、国替え早々のこの騒ぎに、忠知の心身はまた不安定になりつつあった。


「おまえ、ほんに大馬鹿者だな」と高次がいきなり忠知に喧嘩を売った。


「そうではない!

 この件は家老たちの勇み足だ!」


忠知は大いに反論したし、これは事実だ。


そして信長と忠知は穏やかに話をしたが、「次に勇み足があった場合、さすがに黙ってはおらんからな」と信長が大いに高飛車に出ると、「…わかっておるが…」と忠知はこの素晴らしい街道を見まわした。


「前の藩主は出来がいいからな。

 お前とは違う」


信長の毒舌に、忠知は大いに苦笑いを浮かべていただけだ。


忠知は真っ先に帳簿を見て、見たことがないほどの税が法源院屋から上がっていたことを知った時には、家老たちは城から出たあとだった。


「罰として、この松山では催し物をやってやらんことにした。

 その代わり、今治か宇和島のどちらかでやってもいいぞ。

 穏やかに話し合え」


信長の言葉に、「…おお…」と宗忠と高次は馬から降りて、まるで旧知の仲のように、穏やかに話を始めた。


「その時、この松山には人がいなくなる。

 大いに思い知るがいい」


信長のまさに悪魔の高笑いに、忠知は大いに怯えて、頭を下げてから城に戻って行った。


「…だーれもいなくなっちゃうの?」と長春が眉を下げて幻影に聞くと、「俺たちがみんなを招待するからだよ」と明るく答えた。


長春は大いに納得して、「…小さな花火大会するぅー…」と言い始めたので、藤十郎が眉を下げて花火を渡した。



忠知は城に戻って、琵琶家と法源院屋だけについて調査を始めた。


すると、祭りを催しただけでとんでもない額の税が上がっていたことに気付き、さらには藩の祭りなのに一銭も使っていなかったことも知り、忠知は家老たちを頭ごなしに怒鳴りつけた。


「この収益が見込めなくなったんだぞ!

 お前ら全員、腹を切れ!

 お前らだけじゃ足りぬ!

 お前らの一族全員の首もはねてやる!」


証拠を見せつけられたことで、家老たち重職につく者たちは何も言えなくなっていた。


ここでようやく、琵琶家が凄腕のやり手といううわさが真実だったと思い知ることになった。


琵琶家を怒らせると、全ての幸運が逃げていくことがよく理解できたのだ。


「できれば、家老たちのしりぬぐいをいたしたく」


忠知の客人扱いの浅野光晟が上申すると、「…決して怒りに触れぬように、頼みましたぞ…」と忠知は大いに声を殺して言った。


光晟は素早く頭を下げて、―― やれやれだ… ―― と大いに心の中で大きなため息をついてから大門をくぐった。


光晟には野望がある。


武士であれば、誰もが夢を見るようなことだ。


そろそろ穏やかな環境で生活をしたいと思っていたのだ。


きっと問題はあるのだろうが、今は考えないことにして、素晴らしいほどの街道を歩きながら笑みを浮かべていた。


しかし光晟の野望は、琵琶一家が働いている姿を見てもろくも崩れ去った。


―― 人、じゃあねえ… ―― と大いに心の中で嘆いた。


しかも女官たちにも勝てる自信がないと思いながらも、唯一動物たちと戯れている長春に声をかけた。


「松山城から来ました、浅野光晟と申します。

 我らの役人がとんだ粗相をしそうで、

 心からのお詫びをいたしたく」


「浅野様は、萬幻武流の門下生は無理だと思うよ?」と長春が言うと、言われたこと以上に、心の内を見抜かれたことに驚いた。


「なんだって、門下生希望だって?」と幻影が長春に近づくと、続々と琵琶家の面々がやって来て、光晟に逃げ道がなくなっていた。


―― …琵琶家、怖ええー… ―― と光晟は琵琶家の迫力を大いに思い知っていた。


「…あー… あまりにも体力がなさすぎだなぁー…

 伸びしろも感じないけど心はいい。

 本当に惜しいですよ…」


幻影が大いに眉を下げて言うと、「ところでどちら様?」と幻影が今更ながらに聞くと、「お城から来たって! 浅野光晟様!」と長春が紹介をした。


光晟はまずは城側の不手際があったことを大いに詫びた。


そしてこの先も末永くこの松山に留まって欲しいと懇願した。


「…お詫びは、こちらに来るついででした…

 できれば、萬幻武流に触れてみたいと…」


「はっきり言ったね!」と幻影は叫んで大いに笑った。


「正直者は大好きだよ。

 それにどうせまた不手際はあるだろうから、

 それほど気にしてないさ。

 それに、いつ立ち退いても構わないからな」


「…それが簡単にできると、確信しました…」と光晟はつぶやくように言って頭を下げた。


「萬幻武流のことだけど、

 剣術に加えて槍術、武器術、馬術。

 ここまではたぶんどこにでもある流派だと思う。

 これに加味して、無手と忍術もあるから」


幻影の言葉に、―― 絶対無理だぁー… ―― と光晟は大いに嘆いた。


「その、無理と思ったことにだけに道が開けたりするもんなんだよ」


幻影の言葉に、光晟は目を見開いた。


「…できれば、体験いたしたく…」と光晟は言って頭を下げた。



すると、「ただいま!」という声が玄関から聞こえ、すぐさま信幻と武蔵、そして竜胆が姿を見せた。


「飛んで帰ってきたんだ」と幻影が言うと、「あははは、はいぃー…」と信幻は言って、信長に書を渡した。


生実に小型の飛行戦艦があるので、少し頑張れば、松山程度なら一時ほどで到着できる。


幻影が光晟に信幻を紹介すると、光晟は目を見開いてすぐさま頭を下げっ放しになった。


「…ある意味ついてた…」と幻影は言ってにやりと笑った。


「大御所様も将軍様も行くと言って…」と信幻は大いに眉を下げて言うと、「…あの駄々っ子どもはあきれてものも言えませぬ…」と武蔵が瞳を閉じて言うと、幻影は大いに笑った。


「じゃあ、家老様が寝ずの番?」と幻影が酒井家忠を示唆して言うと、「命令はしていません」と信幻は笑みを浮かべて言った。


「ま、半蔵がいるからな。

 仲間がふたり以上いることはわかってるし」


信長がため息交じりに言ってから、信幻が預かってきた書から眼を離して幻影に渡した。


幻影は素早く読み、きちんと折りたたんでから光晟の前に置いた。


「征夷大将軍からの命令書です」と幻影が言うと、書の存在はわかっていたので、頭を上げずに書を拝んでから、懐に忍ばせた。


その書の内容は、『琵琶家に対して接触を禁ず』だった。


ようは、幽霊のような見えないものとして考えろという意味が大いにある。


「書の内容を先に言っておかないと、

 浅野殿とは金輪際顔を合わせられなくなります」


幻影の言葉に、「…琵琶家に関わるな…」と光晟は言って腹を押さえた。


「俺たちにとって、この方法が一番手っ取り早いのです。

 連絡係は法源院屋使ってくれて構いません。

 今言った通り、連絡係です。

 色よい返事を期待したり強要した場合は接触と同じ。

 もっともその時は俺たちが黙っていません。

 俺たちと法源院屋は仲間と言っても過言ではないのです」


「…賢くない家老たちに滾々と伝えておきます…」と光晟は言って頭を下げた。


「だからもし、萬幻武流の門下生となるのであれば、

 今しか機会がありません。

 試験をしますが、どうされますか?」


光晟は考えることなく、「よろしくお願いします!」と叫んでから頭を下げた。



幻影は萬幻武流の基本になる手合わせなどをすべて行い、やはり忍びの資質が一番高いと第一印象で感じていた通りだった。


そして馬術と武器術にも長けている、門下生にそれほどいない逸材でもあった。


だが、それほど太らない体質が欠点で、体力不足になることだけが障害となっている。


幻影はその根本である、光晟の腹に手のひらを近づけた。


すると、『ギュルルルル』と光晟の腹の虫が大いに鳴き出し始めた。


「病というわけではなく、体質です。

 それを補うために、腹の中が活発になるように誘いました。

 そうすれば消化効率が上がって、

 体力上昇が認められるはずです。

 そして、萬幻武流の入門を許します」


幻影の言葉に、光晟は大いに感動して、声に出すことはなく頭を下げた。


「手合わせや指導などは休みの日でも夕餉の後でも。

 いつでも琵琶御殿にいらしてください。

 この地に我らがいない時こそがまさに厳しい修行。

 その時にどれほど頑張ったのかが、

 結果として現れるはずです。

 では、少々時間がかかりますが、

 萬幻武流の極意をまず伝授します。

 ですがその前に、麺屋に行きましょう」


幻影の言葉に、光晟は少年のような顔をして幻影に寄り添った。


「…あー… いいなぁー…」と信幻がうらやまし気に言うと、「お食事お食事!」と長春が叫びながら幻影の後ろを歩いた。


結局は琵琶家全員が麺屋に行って、うまいものをたらふく食らった。


「ああ、そうだ。

 浅野って、どこの浅野さん?」


幻影が今更ながらに聞くと、「父が安芸広島藩藩主の浅野です」と光晟が言うと、「おー…」と誰もが言って、女官たちは笑みを浮かべて拍手をした。


「今は蒲生家を支えているわけだ。

 となると、いろんな意味で武者修行中だね」


幻影が明るく聞くと、「はい、今のうちに色々とやっておきたいと」と光晟は少し照れくさそうに言った。


「浅野長政は爺さんということになるな」と信長が言うと、「はい、そうです」と光晟はすぐさま答えた。


「まさかお前がそうか。

 徳川の血を継いでいるわけだな」


「はい。

 私と蒲生忠郷様は異父兄弟です」


「おー…」と誰もがまた言って、拍手が沸いた。


「では、信幻とは遠いが親戚ということだ」


「はい、本当に光栄です」と光晟は言って、信長と信幻に頭を下げた。


「なんだったら徳川を名乗ってもいいんだぞ」と信長がにやりと笑って言うと、「伝えておきます」と幻影がすぐさま言った。


「…いえ、滅相もない…」と光晟は大いに恐縮しながら言った。


「忍びの資質は母親の血か…」と信長が言うと、「いえ、服部の血のように思います」と幻影が大いに核心を突いたことを言った。


「そういうやつもいたわけか…

 なるほどなぁー…」


「普通では殺しても死なないでしょうが、

 病にでもかかったのかもしれませんし、

 先代の半蔵の手の者のいたずらかもしれません」


幻影の言葉に、「…それもあったな…」と信長は言って少し笑った。


光晟は大いに不安になっていた。


自分自身の出生には何か隠されているものがあると。


「幻影、全てを語れ」と信長が言ったが、「妙な者がおるようなので」と幻影は言って天井を見てから懐から笛を出して吹いた。


すると、『ギャアギャア!』と鷹の鋭い鳴き声が聞こえて、妙な者はこの場から去った。


「まだおったんじゃな…」と信長が鷹を示唆して言うと、「普段は鳩たちの手伝いを」と幻影は少し笑って言った。


「二羽で協力して飛ぶわけか…

 なるほど、書の到達が早いわけじゃ…」



幻影は声を潜めて徳川幕府の真実の話をした。


もちろん光晟は大いに目を見開いた。


そして今の家光の血は、松平元康の血とつながっていることも理解した。


よって光晟自身は、家康の血を継いでいないことを、なんと大いに喜んだのだ。


それよりも忍びの潜在能力を持っていたことを、もうこの世にはいない祖父といまだ健在の父に感謝すらした。


「城に引き込んでしまう前に、

 できることはすべてしておきたいと思ったのです」


光晟は真剣な目を幻影に向けた。


「だけど外で働いているということは、世継ではないんだよね?」


「…兄では継げないかもしれません…」と光晟は悲しそうに告白した。


幻影はこれ以上は聞くことはなく、「肥前大村藩主が萬幻武流の免許皆伝者だ」という言葉に、光晟は大いに希望を持った。


「城に引き込こむことなどない。

 城下を散策するのも仕事のひとつさ。

 そして後継者を育て上げたら隠居すればいい。

 そうすれば自由の身は保証される。

 まずは影から新しい藩主を支え、

 盤石だと思えば本当の自由を手に入れたと思っておけばいい。

 だがそれがそう簡単にはいかなくなってきている。

 産んだ子が、父親よりも優秀だとは限らないし、

 夭折することが異様に多い。

 やはり鬼の母のような者たちが大勢いると、

 生霊にでもとり殺されているのかと思ってしまうよな」


「…はい… 城を離れたのはそれも理由のひとつです…」と光晟は大いに眉を下げて言った。


「あ、父には側室はいませんが、母が長男推進派で…」と光晟は追加して言った。


「確かに、同じ血を受けた兄弟の戦いもあるな…」と信長は何度もうなづきながら言った。


「だが、最近は幕府も大いに口を出すから、

 親が勝手に藩主を決められなくなっている。

 俺が家光だったら、光晟の兄を見なくても、

 お前を推すさ」


幻影の言葉に、「…蒲生家はもう終わりかもしれません…」と光晟は肩を落として言った。


「次の殿に仕官すればいい。

 何もここではなく、生実でも会津でも安土でも米沢でも前橋でもよい。

 我らが胸を張って推薦しよう」


信長の力強い言葉に、光晟は大いに礼を言って、大いに飯を食らった。



幻影は光晟の精神修行の話をしてから、城に帰っていく光晟を見送っていると、高次と宗忠が憤慨しながらやってきた。


もちろん、次の祭りをどちらで執り行うのか決まらないのだ。


「折り合いがつかないのなら松山でやるぞ」という幻影の言葉に、ふたりは大いに焦った。


しかし、「…はっ 悔しいですが、それが一番平和だと…」と宗忠は言って、幻影に頭を下げた。


「…ややっ! 点数稼ぎかっ?!」と高次が大いに宗忠を罵倒した。


「そうじゃない…

 これ以上の諍いを避けただけだろ…

 お前は父に似すぎだ…」


幻影の言葉に、高次は大いに眉を下げて幻影に頭を下げた。


「宗忠はお前以上に厳しい教育を受けてきたんだ。

 損して徳をとることもよく知ってるんだよ。

 もちろん教育したのは俺じゃなく、宗忠の母だ。

 まあ、俺の妹がその母だから、

 俺が教えたこととそれほど変わらんけどな」


幻影の言葉に、宗忠は満面の笑みを浮かべて幻影を見た。


「息子の出世だけを考える、ほかの母とは違うわよ」と政江が高次をにらんで言うと、高次は大いに戸惑って幻影を見た。


「おまえも教育してもらえばいい」と幻影が言うと、高次は大いに苦笑いを浮かべて首を横に振った。


「兄者! ではまた!」と高次は叫んで、馬に乗って、逃げるようにして今治に帰って行った。


「…うふふ… 撃退したわ…」と政江が陽気につぶやくと、「…勝ち誇ってんじゃない…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「そもそも、これだけ時間を費やして何を話し合っていたんだ?」


幻影が興味を持って宗忠に聞くと、「…結局… お互いの持っていた愚痴、でしょうか?」と答え、幻影は大いに笑って宗忠の肩を何度も叩いた。


「いい友人になりそうだ」と幻影は笑みを浮かべて言った。


「…ああ、叔父上と藤堂様、ですねぇー…

 …ああ、なるほどぉー…」


宗忠は何度もうなづきながら、幻影たちに別れを告げて、こちらは堂々と宇和島に戻って行った。



松山には三日間ほど滞在してから安土に飛び、ここでも三日間を過ごして、関に飛んだ。


南の方は暑さの頂点に達していたのだが、この越後関の地は比較的涼しいと感じる。


よって食べるものもなぜだかうまいので、保存食などを大いに作り上げて、過剰に作り出してしまったものは今治と宇和島の法源院屋に売ることにした。


まさかのこの事態に、どちらの店主も大いに喜んだが、「…殿様方のご機嫌取り…」という実状を聞いて、大いに苦笑いを浮かべていた。


帰りは京の御所によって、「暑中見舞い」と幻影は言って、大君後水尾に保存食などを献上した。


「うますぎて食いすぎて腹を壊しても俺のせいじゃないぞ」


幻影の言葉に、「ありがたくいただく」と後水尾は笑みを浮かべて言った。


「秀忠と公家について話をした」


幻影の核心を突いた言葉に、後水尾は先読みをして、「…結局は幻影の想いのままか…」と嘆いた。


「思ったが実行には移してねえ。

 基本的構想が、強弱が違うが俺の考えと徳川幕府で一致していたからだ。

 手を下したのはすべて徳川家で、

 俺は何にも指示した覚えはない。

 特に言い訳をしにきたんじゃないが、

 できれば諍いだけは起こしてもらいたくはない。

 だからあまり秀忠を刺激するな」


まさかの幻影の言葉に、後水尾は少し笑って、「言いなりになってやろう」と大いに強がって言った。


「ああ、その方が大人だよ」と幻影は言って、後水尾に頭を下げてから踵を返した。


「次はいつじゃ?」と後水尾が聞くと、幻影は振り返って、「何の話だ?」と聞いた。


「…まあ、色々と…」と後水尾が言いづらそうに言うと、「思い出したらまた来てやるし、軽業興業は近々会津でやる予定だ」と幻影が言うと、後水尾は満面の笑みを浮かべた。


「次は俺たちの戦艦に乗せてやろう。

 ただし、お付きは三人ほどだな。

 知っての通り、会津は加藤嘉明様が国替えされたから、

 全てをお任せして問題はないから」


「…そういった者は、我には幻影しかおらぬ…」と後水尾は苦笑いを浮かべて言った。


「その日は一日、付き合ってやるさ。

 何かあったら目も当てられんからな」


幻影は言って気さくに右手を上げて踵を返して歩き始めた。


すると和子がやって来て、「…お話したかったぁー…」とつぶやくと、「あいつの方で断わるさ。あいつはそういうやつだからな」と後水尾は機嫌よく言った。


「唯一無二の天狗様…

 本当にあのお方が神なのかしら…」


「神はあれほど気さくではない」


後水尾の言葉に、「それはそう…」と和子は言って、後水尾に笑みを向けた。


「だが、普通ではないことはよくわかっている。

 しかも異教徒を生かすために戒めて回っている。

 あやつは神という一言で縛れないほどすごいやつさ」


「…だからこそ、縛れないのですね…」


「縛るとな、いろんな人が困ることになる。

 全てを幻影に任せておけば問題はないのだ。

 だからこそ、いつでも幻影に寄り添える、

 お前の父が憎らしい」


「…ほんに、憎らしい…」と和子はいろんな意味を込めて言った。


「軽業興業ですが…」


「…うう… そうであった…」と後水尾は大いに戸惑った。


子供たちはいいが、女官たちを移動させる術が考えつかなかったのだ。


「…女官たちも、何とか運んでもらえるように頼み込んでみる…」


「あら、頼もしや」と和子は大いに陽気に言った。



「地震の厄払いを兼ねて、

 会津で祭りをしますが…」


関の琵琶御殿で幻影が言い出したのはいいのだが、誰もが何かを食べていて、信長すら話を聞いていない。


―― それほどにうまいのか… ―― と幻影は言いながら菓子などを食ったが、確かにうまいものだった。


「女官たちはいい加減にしておかないと、

 本当に太るぞ」


幻影の言葉に、一番に目が覚めたのは阿利渚で、「…夢中になってましたぁー…」と眉を下げて言ったので、幻影は大いに笑った。


「楽と言えどもよく動いたからな。

 だが食いすぎるとなくなるのも早くなるんだ。

 買った材料だって無限にあるわけじゃない」


幻影の言葉に、全員の動きが一斉に止まった。


そして最後の一個とばかり口に入れて、うまそうにして食べ終えた。


「…うますぎるのが悪いのじゃ…」と信長は濃姫のように言い切った。


「…やはり、砂糖ですかねぇー…」と幻影が言うと、「…特に、鳩ちゃんたちがね、砂糖だけをねだってくるのぉー…」と長春が眉を下げて言った。


「いつも大いに働いているから、

 いつもよりも食わせてやればいい。

 みんな少々やせ細っているように見えるからな。

 鳩のはずだが、みんな鷹のように筋肉が大いについている。

 多分食ってもそれほどうまくないはずだ」


幻影のたとえ話に誰もが大いに眉を下げた。



「…また面倒なことを請け負ったものだな…」と、幻影の話を聞き終えた信長は眉を下げて言った。


「ここは庶民たちと平等に、と思いまして」とう幻影の正論には誰も反論できなかった。


「できれば公式訪問にしたいところですが、

 大君はいい顔をしないでしょう。

 ですのでお忍びですが、

 それほど厳しい警備は必要ないと思います。

 大君には、私と弁慶、源次と巖剛で張り付きますので。

 今回は一般庶民と同じ興行を見てもらうことになるので、

 特別室を作りますから」


「材料は十分だな…

 場所は稲荷神社のすぐ近くでいいだろう。

 今回もそのまま花火大会に移行するんだよな?」


信長の言葉に、「その方が警備が楽ですので」と幻影は言って頭を下げた。


「特別室に屋台を入れますので、

 外での買い食いもさせません。

 ここはさすがに特別扱いを我慢していただきます。

 一般人に大いに迷惑が掛かりますので」


「…ま、ある意味かわいそうなやつらじゃな…」と信長は眉を下げて言った。


「外でも中でも、命を狙われて当然のようなものですから。

 公家の中に、今の征夷大将軍のやり方が気に入らない者もいるでしょうし。

 できれば、その頭痛の種を捕らえられたら一番いいと思っています」


「…勘か?」と信長が聞くと、「何か行動を起こせば、それに乗ってくる者もいると思っただけです」という回答に、信長は何度もうなづいた。


「もちろん、不穏な動きがあれば脳内を探りますが、

 何かわかりやすい行動を起こしてもらわないと証拠になりません。

 もちろん、油断ならぬやつと知らせれば注意もするでしょうが、

 それでは私が気に入りません。

 その程が難しいのです。

 できれば、思い切ったことをやってもらいたいところです。

 前回の秀忠、家光の時はそれがなかったので」


「…今回はあるかもな…」と信長は言ってにやりと笑った。



関でも三日間を過ごし、会津に行ってから、嘉明に早速祭りの件を話した。


今回は関と会津の二カ所で夏祭りを行うと説明すると、嘉明は二つ返事で同意した。


「…ここにも作ってくださるかっ?!」と嘉明は大いに喜んで、早速書を認め始めた。


幻影は軽業興業所の施設の詳しい内容の冊子を嘉明に提出して、会津城を後にした。


ここ会津でも木材の仕入れを行って、干す必要がなかったので加工を始めた。


一番面倒なのは透明の樹脂だが、それほど量産をすることがないので、材料は豊富にある。


木の皮やおがくずは、街道の材料として使えるので、無駄になるものが全くないと言っていい。


「…まさか、ここもか…」と幻影は思い、また城に行って門の衛兵に最近の天気の状態を聞くと、弱い夕立はあるが、農家は少々恐れおののいているかもしれないと答えた。


幻影は近場の農家を訪ねると、水はあるのだが戦々恐々のようだ。


しかし、川の状態は水が枯れることはなさそうだった。


よって、平野部には雨が降っていないと幻影は判断して、工房の片付けをしてから、まずは腹ごしらえをした。


大雨を降らすわけではなく、程よく降らせるための調整をするので、できれば気力が満ちていた方がいいからだ。


幻影は広い工房の外に立ち、北西の山を見ると、どうやら雨が降っているようだ。


しかし平野部にはその恩恵をくれないようなので、それほど気合を入れずに気軽に術を放つと、城下にも雨雲がなだれ込んできて、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。


すると蘭丸が大きな番傘を差してやって来て、「…相合傘…」と言ってホホを赤らめて大いに照れて言った。


幻影は笑みを浮かべて返して、あとわずかだけ雲を呼び寄せた。


雨が降っているのだが、子供たちは濡れることを気にすることなく広場で走り回っている。


心地良い雨が冷たくて気持ちがいいのだろう。


山の方は雷まで鳴っているようだが、平野部はそれほどひどくない。


幻影は両腕を下ろして様子を見始めると、暗雲は一瞬にして去って、また晴天になったのだが、心地よい涼しい風が流れ込んできた。


そして幻影は広場に行って、子供たちに向けてまるで舞い踊るように軽やかに腕を振ると、濡れた衣服の水分を一気に吹き飛ばした。


風が涼しいので、早く乾かさないと風邪を引いてしまうかもしれないからだ。


子供たちは不思議な体験をして、満面の笑みを浮かべて幻影に礼を言った。


幻影は子供たちの笑みという褒美をもらって、心も晴れやかになっていた。


「…さすが我が子ね…」と妙栄尼は言って、かの昔の二代目阿国に戻って、その当時の舞を舞った。


「…おお… なんということだ…」と信長は言って手のひらを合わせて阿国を拝み始めた。


子供たちが、「軽業小屋でもやるの?!」と叫ぶと、阿国は一気に現に引き脅され、踊りをやめて、「…やりませんよ…」と眉を下げて言った。


「…えー… みんな、喜ぶのにぃー…」という子供たちの後押しに、「…するかもしれませんわ…」と眉を下げてその想いを軟化させた。


「必要ないけど、客寄せで」と幻影が笑みを受けベて言うと、「…必要ないのならやらせないでぇー…」と阿国は大いに眉を下げて言った。


「…男の大人は騙されます…

 一部の女性も…」


幻影は眉を下げて、琵琶一家とやじ馬たちを見て言った。


「女官たちは修行だ!

 あ、萬幻武流とは関係ないよ」


幻影の言葉に、政江を筆頭にして、「…いい男を魅了してやるぅー…」とうなりながら、全員を連れてきて、阿国から踊りの伝授を始めた。


そして誰がどう見ても筋がいいのは、長春とお香だったことに、「…さらに役に立つようになった…」と幻影は笑みを浮かべて言った。


そして逆の意味で、蘭丸に惚れ直していた。


全くの不得意分野のようで、誰もを心からの愉快な笑みに変える踊りだった。


「お蘭! 一八七、五三七、七三二!」と幻影が叫ぶと、一瞬にして雄々しき巨体の阿国が出来上がっていた。


だが色気がまるでないので、子供たちは大いに眉を下げていた。


幻影が叫んだ番号は、萬幻武流剣術の攻撃と防御の型の番号だ。


かなり近いところがあったので、太刀を持たずにその通りに動けば、まるで踊っているように見えるのだ。


手の仕草だけを変えれば、さらにそっくりとなる。


「俺にも別の才能があった!!」と蘭丸は喜んだが、太刀を持たせれば普通に剣術の型でしかない。


「…おー… 確かに似ている…」と男性たちがうなり始めて、結局この場は修行の場となり始めた。


「阿国連撃!」と幻影が叫ぶと、お蘭と男性陣は大いに気合を入れて素早く舞い始めた。


「…踊りを奥義にしおったか…」と信長は大いに苦笑いを浮かべてつぶやいた。


この子供たちの広場は、異様な雰囲気に包み込まれていた。


「…さあ、一番は誰だぁー…」と幻影が異様な雰囲気をもって、木刀を持ってやってきた。


「…幻影に、ようやく勝てるぅー…」と蘭丸は言って、普通の木刀を手に取って中段に構えた。


ここからは連撃対連撃の荒しで、萬幻武流の宣伝でしかなくなっていた。



素晴らしい修行を遂げた琵琶一族は、くつろぎの間で幻影の手料理をたらふく食らい始めた。


「…目立たなくなってよかったわ…」と阿国がつぶやくと、幻影は愉快そうに笑った。


すると縁側に鳩が舞い降りると、長春が、「お疲れ様!」と言って鳩を抱き上げて、「…ほんと、硬くておいしそうにないわぁー…」とつぶやいてから、書簡を幻影に渡した。


「秀忠と家光から興行小屋建設の許可が出ました。

 渋々のようですが」


「第一の目的は公家の招待じゃからな。

 ま、面白くはないじゃろうて」


信長は笑みを浮かべて言って、白身魚の握り寿司をうまそうにして食らった。


「食ってから、いの一番に鉄扇の確認をやっておけ」と幻影が師匠らしく言うと、門下生たちは一斉に頭を下げた。


盾と言っていい円形の鉄扇は、素早く出すことがそれほど容易ではない。


だが、咄嗟の警備には大いに役に立つものだ。


始めから出しておけばいいのだが、それをすると祭りを楽しめない者が大勢出てしまうので、祭りを楽しむことを第一に考えての警備方法をとるのだ。


幻影の見立てによると、今のところ不穏な動きはない。


よって興業所が出来上がってからその方面に大いに気を配ることになる。


送り迎えは盤石の警備を敷けるので問題はないのだが、今回は捕らえることに大きな意味を持つ。


何をやっても無駄と思い知らせるためだ。


その警備の隙と思しき瞬間は、興行観覧中だけとなる。


深い根を断つためにも、ここはどうあっても、罠に引っかかってもらう必要があるのだ。



大人の思惑は色々とあって、出し物の練習中、長春はずっと眉を下げていた。


もちろん幻影も付き合っていて、まさに道化となって大いにおどけているのだが、今の長春には全く効果がない。


もちろんその理由はよく理解できていて、巖剛の息子になった子熊の小春が、全く長春の言うことを聞かないのだ。


かといって長春に反抗的なわけではなく、呼べば来るし、長春が声を発すればきちんと聞いている。


幻影はこの光景をずっと見ていて、腹を抱えて笑いたいところだった。


「…お兄ちゃぁーん… どーしてだと思うぅー?」と長春はついに幻影に何とかしてもらおうと思って大いに眉を下げた。


幻影は手足を滑稽に動かして、「そんなもの簡単じゃないか」と大いにおどけながら言った。


そんな幻影のことが好きなようで、小春は大いにふざけて、幻影に何度も突進しては簡単に転がされるが、楽しいようで何度も挑戦する。


「小春は生まれてどれほど経っていると思う?」


幻影の言葉に、「…えー…」と小春は嘆いてから少し考えて、「あっ!」と叫んでようやく理解ができたようだ。


「乳飲み子にいうことを聞けと言っても無理な話だからね。

 小春はまだ赤ん坊だから、

 うろうろさせておけばそれでいいんだよ。

 それだけで子供たちは大いに喜ぶさ」


「…そう、だったのかぁー…」とふたりに付き合っている蘭丸が感慨深げに言った。


「阿利渚だって、

 俺たちの言っていることを理解して、

 言った通りにできるまで二年程はかかった。

 動物の場合はその理解は人間よりも少々早いけど、

 小春はまだその狭間なのかもしれないね。

 本番中に目覚めるかもしれないから、

 色々と考えておいた方がよさそうだぞ」


幻影の言葉に、「…うん、そうするぅー…」と長春はようやく笑みを浮かべて言った。



忍びたちも真剣に練習を積んでいるが、今日はご主人様が休みの竜胆に少々元気がない。


できれば竜胆も芸を披露したいのだが、もちろん当日は警備という仕事があるので、舞台に立つことはない。


だが幻影は竜胆を誘って、ふたりしてこの巨大な施設を縦横無尽に走り回り飛び回った。


忍びたちが大いに歓声を上げて手を叩いている姿を見て、竜胆は満面の笑みを浮かべて幻影に抱きついた。


「お前らだけ楽しんでるんじゃあねえ!」と面白くない蘭丸は大いに叫びながらも、幻影たちを追いかけ始めた。


「はは様もすごいっ!」と阿利渚は陽気に叫んで手を叩いている。


そして幻影と蘭丸が細い綱の上で手のひらだけを使って押し相撲を始めると、誰もが笑い転げ始めた。


「…なかなかやるなお蘭…」


「…お前こそなぁー… 幻影ぃー…」


真剣であればあるほど妙に愉快になってくるこの光景に、忍びたちは腹の底から大いに笑った。


そしてふたりとも仲良く落下して、防護用の網の上で何度も跳ね飛んだ。


「おい! 夏はこんな寝台を作れ!」と蘭丸が叫ぶと、「ああ、それはいいが、外だと蚊がいるから食われ放題だぞ」と幻影が答えると、「…くっそ、駄目かぁー…」と蘭丸は大いに悔しがった。


「まあ、忍びに渡している除虫剤を使ってもいいんだけど…」


幻影の言葉に、「…そんな便利なものをいつの間に…」と蘭丸は大いに苦笑いを浮かべて聞いた。


「昔ながらのものだからな。

 忍びが持っていて当然だから。

 …だが、それを一般向けに販売していいかもしれないなぁー…

 蚊が伝染病を移しまわることもあるそうだからな」


「…お… おう… そういうこともあるのかぁー…」と蘭丸は言って、すぐに阿利渚のそばに行って、「除虫剤!」と叫んだ。


幻影は懐に入れていた除虫剤を投げ渡した。


「懐に入れておくだけでいい」と幻影が言うと、蘭丸はすぐに阿利渚の懐に忍ばせた。


幻影は大いに考え込んで、病気予防のために、除虫剤をこの施設に忍ばせておくことに決めた。


蚊に食われたことが原因で大病にかかることも考えられるからだ。


―― だからこそ、弱い子供は夭逝してしまうのかもしれない… ―― と幻影は考えた。


幻影は最善を尽くすために、それほど目立たない場所に除虫剤を設置した。


植物由来のもので、人体に影響がないことはよくわかっている。


よって夜虫なども街道には来なくなっていた。



反射板の提灯の明かりを消した時、西の空が妙に赤く見える。


幻影は力の限り気合いを入れて、雨雲を誘った。


すると一瞬にして空の赤みは消えていったが、少々雨が降り過ぎたようなのですぐさま拡散させた。


しばらく様子を見てから問題はなさそうだったが、信長に事情を説明して、装備を整えて江戸に向かって飛んだ。


火事は江戸城下の西の端で、かなり広範囲に燃えていたようで、大勢の者たちが咳き込んでいた。


幻影はそれを一瞥しながら早速人命救助に飛んだ。


火が消えるのが早かったおかげと、まだ宵の口だったという理由で、幸運にも犠牲者は皆無だった。


しかし重傷者は多く、幻影は死力を尽くして治療に専念した。


すると弁慶たちもやって来たので、幻影は百万の援軍を得たようにまた飛び回って、瓦礫の下から多くの命を救った、


もちろんこの瞬間も油断はしていない。


この火事が罠で、本来の目的が別にあるとも考えられるからだ。


「弁慶! 御殿には誰が残った?!」


幻影が叫ぶと、源次と影達を警備に付かせたようだし、女性たちも生実に留まっている。


幻影は閉じ込められている者がいないことを確認して、ひどいものの治療だけを施してすぐに江戸城に飛んだ。


やはり警備が手薄になっていることは一目瞭然で、しかも火付け犯を肉眼て捕らえたので宙に浮かべた。


幻影は証拠を温存するように、火盗改めの施設に飛んで説明をして未遂犯を引き渡してすぐに江戸城に飛んだ。


このような未遂犯を五人も捕らえてさらに上空から監視を続けたが、もう不届き者はいないようだったので、江戸城の天守に飛んだ。


すると秀忠が不安そうな目をして幻影を見つけた。


「…すすだらけじゃん…」と秀忠は眉を下げて言った。


「本来の目的はこの江戸城だったようだ」という言葉に、秀忠は大いに目を見開いた。


「…ああ、品川に人を集めて…」


「そういうことだ。

 火盗改めに行ったが、留守番は数人だった。

 この近隣で火付けの未遂犯を六人捕まえた。

 まだいたかもしれんが、

 この近隣から火が上がらないことで中止になったのかもしれんな」


「…まだいたかもしれない…」


「旗本に警備をさせろ。

 そうしないと落ち付いて眠ってられんぞ」


「…う、うん… そうする… あ、ありがと…」と秀忠は言って、側用人たちと話を始めた。


―― 俺の能力を探るためかも… ―― と幻影は考えながら、天守の屋根に飛び上がって辺りを見回した。


―― 江戸城も試しだとすれば… ―― と幻影は考えて、本題は軽業興行にあると断定した。


もちろん主犯のひとりに秀忠も加えたが、さすがに和子まで巻き込まんだろうと思い、一応除外した。


幻影は大型の反射鏡付きの提灯を背中から降ろして火を灯し、空から光を浴びせかけた。


すると鼠たちがわんさかといたので、一応宙に浮かべておいた。


「虎ノ門に急げ!」と幻影が叫ぶと、秀忠がすぐに顔を出してから場所を確認して老中に伝えた。


幻影は近場にいる顔見知りの大名たちに一斉に念話を送った。


こうなると幻影ひとりではどうしようもないので、まさに大軍ですべてを抑え込むことにしたのだ。


もちろん源次にも念話を送って、広域に警戒するように告げた。


生実城にも現在の江戸の状況を念話で伝えて、近隣の警備を頼んだ。



江戸城の至る場所の門の辺りでもみあいがあったが、多勢に無勢ですぐさま騒ぎは収まった。


この捕り物で捕縛されたのは八九名で、全てが浪人だった。


幻影はその中のひとりの記憶を探り、首謀者は、『イノクマノリトシ』と知った。


だが幻影の知っている猪熊教利は同姓同名でない限り、この世にはもういない。


よって猪熊某の名を語っただけと断定した。


他数人の記憶を読んでも同じ名が出てきたが、全て顔が違った。


幻影は八九名の記憶をすべて探って、十枚の似顔絵を描いた。


そして秀忠に見せると、半数ほどは知っている顔だったようで、わなわなと震えた。


「たぶん公家だろうな。

 もちろん大君の差し金ではない」


幻影の言葉に、「えっ?!」と秀忠は叫んだ。


もちろん、大君が秀忠を殺そうと刺客を送ったと判断していたからこそ驚いたのだ。


「こんなわかりやすい手に引っかかるな。

 黒幕の本当の狙いはどう転んでも後水尾だ」


「…うう… 言われてようやく気付いたぁー…」と秀忠は言ってうなだれた。


作戦が成功すれば、確実に後水尾が黒幕だと知り、秀忠と家光は疑いの目を向ける。


失敗したとしても、公家が黒幕だと知り、秀忠と家光は大いに後水尾を疑う。


黒幕はそのどちらでもよかったわけだ。


「真の黒幕にとって、徳川幕府も気に入らないから、

 悪事の片棒を担いでもらいたかったわけだ。

 だが、多くの犠牲者と怪我人を出したことは許せん!」


実際、火に巻かれて命を絶たれた者はいなかったのだが、今の段階で幻影には知るよしもないことだった。


火災現場から察して、犠牲になった者はいたはずだと思い、苦汁を飲んでいたのだ。


「浪人の救済も、何とかした方がよさそうだな」


幻影が落ち着いて言うと、「…そうだね… 多くの浪人がいなければ、今回の件は起こらなかったかもしれないから…」と秀忠も理解してつぶやいた。


「幻影様」と言って、草太が姿を現して、廊下に片膝をついて頭を下げた。


「命を失くした者は皆無でした」という簡潔な報告に、「…ああ、よかった…」と幻影は厳しかった顔を軟化させて言って、草太に笑みを向けた。


「現在、火盗改めと弁慶様で状況見分中でございます。

 御屋形様方は材木と救援物資を持って、品川に入りました」


「了解した。

 もうしばらくはここで待機すると伝えて欲しい」


「はっ!」と草太は言ってすぐさま姿を消した。


幻影は強力な光を浴びせながら城下を飛び回り、一旦生実に戻ると、留守番の巖剛が誇らしげに女官を捕らえていた。


子熊の小春は、捕らえられている女の着物に噛みついている。


生実藩の藩士もるのだが、手の出しようがないようで、遠巻きから見ているだけだ。


「巖剛、小春、でかした」と幻影が言うと、二頭はすぐに幻影を見上げて得意そうな顔をして寄り添った。


「…あんたも四辻かい…」と幻影が眉を下げて言うと、女は大いに怯えた。


「危険なものはなし…

 懐の書状を出して読んでくれ」


女は何とか起き上がって、泣き濡れた顔を上げてから、懐から書状を出して、声に出して読み上げた。


その内容は、後水尾からの琵琶家に対する宣戦布告だった。


「…用意周到だな…

 そんなもの、誰が信じると思う?」


幻影の言葉に、「…信じるって言ったもぉーん…」と四辻於艶は眉を下げて言った。


「そもそも、こんなものを渡して、

 あんた自身無事でいられると思ったのかい?

 普通に考えて捕らわれの身だぞ?」


「…助けるって言ったのにぃー…」と於艶は涙を流した。


その助けが来なかったので、於艶もようやく騙されていたことに気付いたのだ。


於艶からは何も聞くことはなかったので、幻影が縄を打って役人たちに引き渡した。


「公家の姫だから、ちょっとだけ特別扱いで」


幻影が眉を下げて言うと、幻影とは顔見知りの代表の町方同心も眉を下げて、「仰せつかった」となんとか答えた。



幻影は巖剛に留守番を頼むと、渋々引き受けたようで、小動物たちを守るようにして陣取った。


「辺りがかなり焦げ臭いから、

 鼻のいいお前らだと気分が悪くなるからな」


幻影は言って、落ちていた木片を手に取って火をつけると、動物たちは一斉に風上に移動した。


そして巖剛は理解して、幻影の上目遣いで見た。


幻影は江戸城に戻って、生実での一件を話してから、品川に飛んだ。


そしてすべての状況を信長に伝えてから京に飛んだ。


幻影の姿から門番は大いに察して、すぐさま後水尾との面会を果たした。


幻影は十枚の似顔絵を側用人に渡して、もう一枚新たに似顔絵を描いて側用人に渡した。


「これが全てかどうかは定かではないが、

 武蔵品川を大火に見舞った下手人たちだ。

 ここで会った者が三人いる。

 秀忠も五人は知っていたそうだ」


後水尾は冷静に、十一名の名前を側用人に告げて捕らえるように命令した。


「四辻於艶には、宣戦布告状を読み上げさせた」


「…読み上げさせた?」と後水尾は不思議そうな顔をしてから少し笑った。


「ここまで証拠を突き付けられても、

 我を疑わんとは…」


「ここにきて、あんたには寝耳に水だと知ったからだ」


幻影が堂々と告げると、「…疑われても当たり前だった…」と吐き捨てるように言った。


「ま、この御所はいろんな意味で乱れている。

 そろそろ、大君が正す時が来たんじゃないのかい?」


「正して、外に出る」と後水尾は清々しい顔をして言った。


「ああ、あんたの人生だ。

 好きに過ごせばいいさ。

 だが、琵琶家に寄り添うのはいいが、

 死を覚悟する以上の覚悟が必要だぜ?」


「…うう…」と後水尾は大いにうなった。


「まずは萬幻武流の門下生。

 そして奴隷のようにしっかりと働いてもらう。

 ああ、今の言葉は語弊があるが、

 外から見れば奴隷にしか見えないとう意味で、

 誰もが笑みを浮かべて仕事をしてるから正確には奴隷ではない。

 そのようにして、心の底から子供たちの笑みという報酬を得るために働くんだ。

 俺の家族は、その想いを持っている者しかいないからな。

 秀忠もその気満々だが、

 もちろんあいつにもやってもらうし、

 泣きごとを言えば放りだすから」


「…まさに平等…

 …よーく、理解できた…」


後水尾は言って、幻影に頭を下げた。


「今回の件はあんたら公家を会津に招いた時の予行演習だったはずだ。

 まさか手下を全員捕らわれるとは思ってもいなかったはずだからな。

 だが、油断はしてねえから慎重に事を運んでくれ。

 さもないと、会津にあんたらを招待できかねる」


「…征夷大将軍経由で書状を出す…」と後水尾は言って大いに苦笑いを浮かべた。


「ああ、許せる範囲でその書状に従ってやるさ」


幻影は言って踵を返すと、「怪我はないのか?」と後水尾はすすに汚れている幻影の背中を見て言った。


「ああ。

 助けた者が怪我をするわけにはいかないからな。

 その部分も大いに慎重なんだよ。

 助けた者が怪我をしたと知れば、

 助けられた者は大いに罪悪感が沸くからな。

 他に聞いておくことはないか?」


幻影の言葉に、「いや、引き留めて悪った」と後水尾は笑みを浮かべて言って、幻影に気さくに手を上げた。


幻影も手を上げて、友人の別れの言葉の代わりとした。



幻影が品川に戻ると、丁度炊き出しの最中だったので、幻影もしっかりと食ってから、家の建築作業を手伝ったが、幻影を含めて数名は、信長の命で品川の法源院屋で仮眠をとらせた。


幻影たちが目覚めた時、全ては新築されていて、空き地に瓦礫が並んでいただけになっていた。


―― 柱は炭にできそうだが、ほかは廃棄か… ―― と苦笑いを浮かべて幻影は考えていた。


幻影は完全に炭化している部分をそぎ落として、この空き地の土と混ぜ合わせて圧縮すると、街道に敷き詰めている舗装道とはまた違ったものが出来上がっていた。


今回はそれほど柔らかいものではなく、少々堅い。


利用価値はありそうなので、山とある廃材は生実に持ち帰って、子供たちの仕事に充てることに決めた。


どう考えても三度ほどに分けないと移動させられないので、その選別だけをすると、琵琶家全員が集合したので、この空き地で炊き出しをすることに決まった。


炊き出しとは名ばかりで、まさにうまい朝餉に、誰もが笑みになっていた。


幻影は動物たち用の食事と廃材をもって、一旦生実に飛んだ。


動物たちに食事を与えてからまた品川に戻って、食事の続きを摂り始めた。


「一日待たずしてここを去れることは喜ばしい」


信長が笑みを浮かべて言うと、この地に住む者たちは一斉に眉を下げた。


「不幸はあったけれども、全員ではない。

 甘えるのも程々だよ」


幻影の言葉に、―― やっぱり厳しかったぁー… ―― と誰もが思って、幻影に頭を下げた。


廃材などは二台の戦車で引っ張って運んで、琵琶家は生実に帰還した。


怪我人たちは琵琶家縁の者たちにすべてを任せているので問題はない。


動けないことで働けないので、治療と食事を摂ることに専念させるためだ。


この部分がまさに手助けということになる。


もちろん、廃業を余儀なくされた者もいるので、相談窓口は法源院屋となる。


その手立てのひとつとして、行商という手がある。


売り上げに見合った報酬が出るので、体が動けば仕事に就くことは可能だ。


特殊な手作業をしていた者たちには、その道具を一式そろえることも可能だ。


この部分も琵琶家の手助けとなる。


その監視役として、源次と暇をしている志乃が揃って品川に向かうことに決まった。


この不幸を一気に幸運に替えようと、少々あくどいことを考える者がいないとは限らないからだ。


この部分も、琵琶家の手助けという面が大いにある。


さらに手助けとして、格安料金の麺屋を一件建てることで、ほぼ問題はなくなった。


こうやって、正式店舗を構えていくことも可能なのだ。


よって品川の法源院屋に琵琶家から商品が多く届くことになる。


これが法源院屋の報酬となる。



公家招待の祭りの日取りが決まらないまま数日が経過した。


御所では大いにもめているようだが、幕府も琵琶家も何も言わない。


琵琶家としては祭りを円滑に行うため、休養を兼ねて会津にいるので、ここでは嘉明が琵琶御殿に日参することが日課になっていた。


嘉明が口出しすることはそれほどないので、仕事ができる家老たちを褒めたたえるばかりだ。


その家老たちも琵琶家が住んでいることで、この地を松山と勘違いするほどに穏やかだった。


もっとも、力のある武家たちはここぞとばかり師範代たちに稽古をつけてもらえる喜びに打ち震えていて、何かと縁がある堂島左衛門は大いに気合が入っていた。


もちろん、忍びの修練が大いに苦手なのは誰もがわかっているので、師範代になるまでには相当な苦労が必要だった。


そんな中、魚効果があらわれたのか、松平影達がついに師範代となった。


もちろん、公表することではないので、国中の松平がやって来ることはなかったのだが、家光と秀忠はこの事実を知った。


もちろん情報源は竜胆から信幻に伝えられた時だ。


しかし、双方の側用人八名が、「なりませぬ」と口をそろえて言った。


これは当然のことで、売り込みに来ることが普通のことだからだ。


「…こうなることを知ってて、我らたちの前で言ったよね?」と秀忠は竜胆をにらんで言うと、「…幻影様のご威光ですぅー…」と竜胆は笑みを浮かべて言って、「頭をなでてもらって、抱きしめていただきました!」と信幻に自慢するように言った。


「…あはは… それはよかった…」と信幻は大いに苦笑いを浮かべて言った。


「…それでね…」と竜胆が気さくに仕事ではない話をすると、「…今すぐに帰りたいぃー…」と信幻がうなった。


恋しい女性が信幻を欲しいていると聞けば、惚れている男としても居ても立っても居られないものだ。


阿利渚としてはごく普通に信幻に遊んでもらいたいだけなのだが、惚れた弱みというものだ。


「…だけど、才英たちとは…」と信幻が言うと、「ほとんど接触がないほどですぅー…」という竜胆の言葉に、信幻は大いに機嫌がよくなった。


「男子たちは、お父様たちだけに興味津々ですからぁー…」


「…うん、よくわかるよ…」と信幻は幻影たちに修行をつけてもらっていた当時のことを懐かしく思い起した。


「だけど、草太君とはよく話をしてますぅー…」


竜胆のこの報告には、信幻は大いに苦笑いを浮かべていた。


「それに、竹松君とも仲良しですぅー…」という竜胆の言葉に、「でかした!」と秀忠が叫んだ。


「…その線もあったかぁー…」と信幻は大いに嘆いた。


「…でもね、手下?」と竜胆が言うと、信幻は愉快そうに笑って、秀忠は一気にうなだれた。


「…なんだか、蘭丸様と政江様そのもののような気が…」


「…現状に甘えてはいけない…」と信幻は瞳を閉じて言った。


そして、「竜胆はどうあった方がいいと思う?」と信幻が真剣な目をして言うと、「…琵琶家で働きたいですぅー…」と眉を下げて答えた。


「わかった、そうすることに決めた」と信幻は言って、家光に向き直って頭を下げた。


「旗本としての現状は何も変えませぬ。

 私も琵琶家の一員として、

 御屋形様のお力になりたいのです。

 城でのお勤めは今日限りとさせていただきます。

 その見返りとして、徳川の姓を返上いたします」


信幻の決意に、秀忠も家光もただ茫然として何も言えなかった。


「…それを言った者は、今までにひとりもおらん…」と秀忠はうなって、わなわなと震えた。


旗本としての現状は変えないので、家光が望めば短期であれば付き添わせることは可能だ。


家光としては手放したくないのだが、ここは将軍として言葉を発する必要ができていた。


「長い間苦労を掛けた。

 徳川の姓はどのように扱っても構わんが、

 返上は受け付けん。

 この先はさらに大きくなり、幻影様の跡を継いでみろ」


家光の堂々とした言葉に、「はっ! ありがたき幸せ!」と信幻は声を張り上げて礼を言った。


「…うう… 寛大だね…」と秀忠は大いに眉を下げて言った。


「さすが我が筆頭の旗本です。

 まさにあっぱれ」


家光の言葉に、「…琵琶家の人たちって、普通じゃないからね…」と秀忠は大いに眉を下げて言った。


「…阿利渚ちゃんは、江戸城に輿入れしないんだよね?」


家光が心細げに聞くと、「現段階では迂闊なことは言えませぬ」と信幻は堂々と言った。


「…そうだよね…

 どう考えても、無理だろうなぁー…

 …幻影様よりも、胡蝶蘭様が怖い…」


家光の言葉に、信幻の配下たちは下を向いて声を潜めて笑った。


「誰よりも溺愛されていますから。

 ですが普通の母でもあるのです。

 その変わり身が本当に素晴らしく思うのです」


「…天下一の武士だろうなぁー…

 幻影様でしか扱えない奥様だよ…」


「お師様がそう望んで指導されて、

 実現されたそうですから。

 もう三十五年間もそれを続けておられるのです。

 まさに、究極のご夫婦でしょう」


信幻が胸を張って言うと、家光も秀忠も大いに納得していた。


「将軍様を見捨てるつもりか?!」と服部刑部半蔵が燃える目をして信幻をにらみつけた。


「日常に戻すまで」と信幻は堂々と言って立ち上がった。


「…そうだよね…

 信幻は側用人ではないもの…」


家光は少し嘆いて言ってから、信幻に笑みを向けた。


「家光様は、私の主でもありますから」と信幻は朗らかに言って、家光を何度もうなづかせた。


「危機を察知する前に、竜胆を向かわせることも可能ですから」


「うん、安心してるよ。

 今の大御所様と幻影様と同じだから」


家光の言葉に、秀忠は何も言えないし、半蔵はうなっているばかりだ。


その半蔵は何も言えないまま消えた。


「…配下が失礼なことを言った…」と秀忠は言って頭を下げた。


「いえ、失礼なのは今に始まったことではありませんので気にもなりません。

 私はこう見えても萬幻武流の免許皆伝を受けています。

 小生意気な忍びごときに負けはしません」


「…信幻様、すてきぃー…」と竜胆は満面の笑みを浮かべた。


「…そうだった…

 信幻は忍びでもあるんだった…」


秀忠が嘆くように言うと、「お師様や竜胆ほどではありませんが、半蔵ごときならば他愛のないこと」と信幻は笑みを浮かべて言って頭を下げて、謁見の間を辞去した。



「…ぬわんですってぇー…」と信幻から話を聞き終えた志乃の頭から角が出ていた。


「…ま、順当だ…」と幻影が気さくに言うと、志乃は幻影を大いに睨んだ。


「精神的衛生上、この方がよい」と信長は言って、信幻の頭をなでた。


「…あははは、はいぃー…」と信幻は大いに苦笑いを浮かべて笑った。


「ですが服部半蔵の喧嘩を買って出てきましたので、

 少々ご迷惑がかかるかもしれません」


「あ、大丈夫大丈夫」と幻影は気さくに言った。


「喧嘩を売ったのに江戸城にいる。

 信幻には勝てないと尻尾を巻いたんだよ。

 さらにはこれ以上、

 琵琶家に迷惑をかけられないとも思っているはずだから。

 あいつ程度の代わりなら、

 草太でも構わないほどだ」


「…もう、それほどまでに…」と信幻は大いに眉を下げて、草太を見た。


「免許皆伝は目の前だね」と幻影は笑みを浮かべて言った。


「しかし得手不得手はある。

 杖の扱いは少々困難なようだから。

 それ以外は免許皆伝」


幻影の言葉に、「…さらに頑張りますぅー…」と草太は眉を下げて答えた。


「私よりも強いよ?」と阿利渚が眉を下げて言うと、「阿利渚とは積み重ねが違うからね」と幻影は笑みを浮かべて言った。


「…もっともっと…」と阿利渚は言ってから蘭丸を見たが首を横に振ったので、「…もうちょっとだけ頑張りますぅー…」と眉を下げて言った。


「今はそれでいい。

 俺が三才だった時よりも十分に強いからな」


幻影の言葉に、―― この親ありてこの子あり… ―― と誰もが思っていた。


「走ることに関しては、止めなきゃいけないほどだから。

 俺なんて、毎日泣いてばかりだったのにな」


「走るの、好きぃー…」と阿利渚が陽気に言うと、―― やっぱ、かわいいぃー… ―― と信幻は大いにホホを赤らめた。


「となると、街道工事の件だが…」と信長が眉を下げて言うと、「江戸城の守りを固めてから始めます」と幻影はすぐさま答えた。


「我が琵琶家から毎日二名出します。

 私、弁慶、源次と、その忍びとして藤十郎、竜胆、草太を」


幻影の言葉に、「問題ない」と信長は機嫌よく言った。


「…もうお仕事、決まったぁー…」と竜胆は大いに喜んだ。


しかし会津の祭りが先で、準備を終えたと同時に見計らっていたように秀忠から連絡があった。


この連絡が到達してからならいつでも迎えを待っているという大君の威光だったので、幻影たちは大中二艘の戦艦に分乗して、京の御所目指して空を飛んだ。


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