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赤い幻影 akaigenei ~土着編~     赤十字 akajyuji


   赤い幻影 akaigenei ~土着編~



     赤十字 akajyuji



「皆無事で何より!」と信長はいつになく陽気だ。


やはりかわいい子のひとりの信幻が帰ってきたことがよほどうれしいようだ。


そして当然のように竜胆もかわいがる。


しかし信幻は考え事をしているようで少々上の空だ。


だが聞いておく必要があるのではないのかと思ったが、内緒話をしたということは聞かれたくないことを話したはずだ。


しかしあの場所には、城の者たちも大勢いたからこそ、内緒話をしたのではないかとも考えた。


信幻は叱られるのを覚悟して、幻影に顔を向けて頭を下げた。


「あ、内緒話の件?」と察しよく幻影が聞くと、「はい、どうしても気になってしまって…」と信幻は言ってまた頭を下げた。


「本多、大久保と和解しろと言った。

 はっきり言って謝れ、とな」


幻影の言葉に、「…心のすれ違い…」と信幻が察して言うと、「ああ、その通りだ」と幻影は言って、信幻の頭をなでた。


「徳川家康ではない秀忠をどうしても好きになれないのだろう。

 家康であれば何も言わなくても自分の思い描いたように動いていてくれていたが、

 秀忠は違う。

 だがその秀忠にも問題はある。

 家康は雄々しき父親で、大勢の配下を引き連れていた。

 それをお前が全てを継げと言われて、

 そう簡単にうまくいくわけがない。

 もちろん、これは家光にも言えることだ。

 家光の方がさらに厳しくなることも考えられるから、

 信幻は側用人に任命された方がいいだろう。

 側用人は大いなる名誉職だが、

 自由がなくなることになるから、

 よくよく考えて結果を出した方がいい。

 官位がいるのならもらってきてやるから、

 そっちの方の心配はない。

 …だが、今回の件で、家光の方が急ぐかもなぁー…」


幻影の言葉に、信幻は大いに考え込んだ。


幻影の言ったことはまさに正論だ。


だがこれは、幻影の教えに反することでもあった。


「いえ、側用人はお断りします」という信幻の言葉に、「はは、やるぅー…」と幻影は陽気に言って、信幻を抱きしめた。


「…父ちゃん、鍛えてくれてありがと…」と信幻は感慨深く思い、やさしい父を抱きしめた。


「…立派に育ったなぁー…」と幻影はまぶしそうな顔をして信幻を見てから頭をなでた。


「信幻様ばかりずるいです!」と竜胆は叫んで、幻影に抱きついた。


「竜胆もよくやった」と幻影は言って竜胆の頭をやさしくなでた。


「…ああ、お父さん、大好きぃー…」と竜胆は言って眠ってしまった。


「ほんと、立派だ」と幻影は言って、蘭丸に竜胆を託した。


「…お疲れ様…」と蘭丸は母の笑みを浮かべて、寝室に連れて行った。


「…相当に気を張っていたんですね…

 やはり体力的にはまだ子供でしかないから…」


「大丈夫だ。

 竜胆はまたひとつ成長した」


幻影の言葉に、信幻は満面の笑みを浮かべた。


「俺は覚えちゃいないが、

 きっと今のようにお師様に抱き締められていたと思う。

 その時だけ、親子になっていたように思うんだ。

 だけど、お師様は俺よりもわずかひとつだけ年上だったことに最近気づいた」


幻影の言葉に、「今更ながらだな!」と信長は陽気に叫んで大いに笑った。


「藤十郎さんなんてお師様より年上」


幻影の言葉に、「物心ついてから、身長も何もかも負けてました…」と藤十郎は眉を下げて言った。


「兄者は信繁様の意思を継いで、我らを育ててくださいました」と弁慶が言って頭を下げると、源次と政江も追従した。


「あ、そうだったなぁー…

 政江だけはさすがに扱いに困ったけどな…

 狸寝入りしていることもあったし…」


「あら? かわいい妹の茶目っ気じゃない」と政江が顎を上げて自慢げに言うと、「…自分でかわいいなんて普通言わない…」と源次がぼそりとつぶやくと、政江は大いに睨んだ。


「…あのさ… 家族団らんのところ本当に申し訳ないんだけど、

 話、聞いてくれてたよね?」


秀忠が申し訳なさそうに言った。


「信幻にも大いに関係することだから送り迎えはするぞ。

 日光は通り過ぎただけで物見遊山は始めてだからな。

 何なら日帰りでも大丈夫だが、

 物見遊山第一だ」


「…送り迎えしてもらえるのならそれでいいよ…」と秀忠は言って頭を下げた。


徳川家康の七回忌法要が日光東照宮で執り行われるので、足の確保を願い出るために秀忠はやってきていた。


やはり、一番安全な方法で移動することを望んだので、無理を言っているわけでもない。


大勢を引き連れて騒ぎになることを恐れたのだ。


「問題は街道の安全の確保だ。

 ま、咄嗟の時には戦車を宙に浮かべるから別に問題はないけどな。

 それほど遠くないし面倒だから飛んでいくか…

 そうだな、それがいい」


「…本当に、感謝しておりますぅー…」と秀忠は少し怯えながらも礼を言った。


「政宗も来るんだろ?」


「今回も強制じゃないから、基本的には徳川を名乗ってる者だけだよ」と秀忠は言った。


「ま、銭が大いにかかるからな。

 屋敷の仏壇に向かって拝んでおけばそれでいいんだ。

 もっともいい機会だから、

 全てをばらしてやればいい」


幻影がにやりと笑って言うと、「…御三家を消すことになるじゃないかぁー…」と秀忠は大いに眉を下げた。


御三家の三人は確実に松平元康の血を継いでいないので、本来ならば血族ではない。


しかし母方はそれなり以上の関係者でもあるので無関係でもない。


これが、井伊直孝が残した、徳川に対する怨念のようなものだ。


しかも、御三家の構想は松平元康の遺言のようなものなので、従わないわけにもいかなかったのだ。


もし秀忠の考え通りに動いてしまうと、状況は今よりもさらに悪化するはずなのだ。


「だが、こっちからは連れて行くんだろ?

 現地に任せるんだったら、政宗に軍を出させればいい。

 俺たちがいることで、かなり大人しいはずだぞ。

 その埋め合わせは、俺たちが仙台で働けばいいだけだし。

 琵琶家が動いて伊達家が動いても、

 誰もなにも疑わない。

 多少のやっかみはあるだろうが、

 さすがに政宗には誰も何も言えんだろう」


「…うう… それが一番いいと思っちゃった…」と秀忠が言って頭を下げると、幻影は早速鳩を飛ばした。


「おまえも諸藩にこの事実を伝えろ。

 それが誠実というものだ。

 もちろん、琵琶家と伊達家の関係も、

 知っているとわかっていてもきっちりと書いておけよ」


幻影が机に指を差すと、「…わかったよぉー…」と秀忠は言って、机に向かって座って、「いつもこんなにいい紙と筆を使ってるの?!」と秀忠は真っ先に叫んだ。


「必要だったら献上してやろう」


幻影がにやりと笑うと、「…ここで作ってるんだね… いつもいつもありがと…」と秀忠は大いに心から礼を言って、机に向かった。


「ほら、まずは朱印を献上してやろう」


幻影手作りの印章を秀忠に渡すと、「…おー… これは我の真実の朱印じゃぁー…」と陽気に言って、和紙に朱印を押しまくって喜んでいる。


葵の紋の下に、『大御所 徳川秀忠』と彫られているものだ。


従一位の官位は返上しているので、官位はないし源秀忠でもないのですっきりしたものだ。


まさに徳川秀忠本人の判だと手放しで喜んだのだ。


実権はまだ秀忠が握っていることもあり、秀忠が率先して書状を送ることに何も問題はないし、現在の徳川家の頂点でもある。


今回の法要は国の行事とするか、家の行事とするかが問題なのだ。


よって、『日光を訪れることあらば寄って手を合わせていただきたい』とだけある。


そして、『深読みせず、この書にあることだけを素直に受け取って欲しい』ともあるので、何も考えずに紙面通りに受け止めればいいだけだ。


今までの秀忠の書簡の中で、一番大人しくやさしいものを書き上げて喜んでいる。


もちろん一枚だけでは済まない。


藩は百以上あるので、そのすべてを書き上げねばならないが、秀忠は大いに陽気だ。



書簡を受け取った者たちには様々な思惑があるだろうが、法要に向けての旅はほんの一刻だった。


もうすでに日光東照宮には政宗の軍も到着していて、政宗はすぐさま秀忠と信長に挨拶を交わして幻影に寄り添った。


「余計な御仁がおられるが?」と政宗は言って加藤嘉明を見入った。


「信幻様の後継人だ」と幻影は眉を下げて言った。


「…むむ… そうであったぁー…」と政宗は苦汁を飲む勢いでうなった。


金持ちの藩主としては、今回程度の旅など費用面ではなんでもないことだ。


よって護衛の質もかなり向上している。


さらには藤堂高虎もなぜだかここにいて、「…御屋形様の護衛…」と勝手に理由をつけてやってきたのだ。


「そういやあ、宇治の城下は手つかずだったな。

 何かしようか?」


幻影の言葉に、「銭は出すから、贅沢な街道」と高虎は言ってにやりと笑った。


「ああ、そういやあ、今は津の藩主だったな。

 お前、ほんと忙しいな…」


「なんてことはない!」と高虎は叫んで大いに笑った。


「そろそろお前の命も危ういだろうから、

 津の方も面倒見てやろう。

 冥途の土産の先渡しだから、

 こっちの方は費用はいらない」


「…微妙だが、感謝する…」と高虎は礼を言って頭を下げた。


「…どーしてあの藤堂殿とあんなに仲がいいの?」と家光が眉を下げて信幻に小声で聞いた。


「高願様の古いご友人で、一番の喧嘩友達なのです」


信幻の言葉に、「…そういう友も、必要だよなぁー…」と家光は感慨深げに言った。



七回忌法要は無事に終了して、当初の予定とは変更して、一旦江戸に戻って秀忠と家光を江戸城に送り届けてから、琵琶家は今回は陸路で日光を目指した。


もちろんこれには意味があるのだ。


「そろそろ緩めてくれ」と幻影は言って、戦車の速度を落とすように言った。


幻影は素早く街道の先に飛んで、仕掛けを発見したので、戦車を停車させた。


「この辺りだと思っていた。

 空からだとよく見えたからな」


幻影は変わった仕掛けはないと思い、杖で地面を強くつくと、簡単に穴が開いた。


一般の通行には問題はないが、戦車だと、その重みでくぼみに車輪が取られたはずだ。


しかも広範囲に掘られていて、戦車二台分ほどの長さがあった。


「やれやれだ…」と幻影は言いながらも、家族たちとともに一瞬にして街道の修復を終えた。


行きかう人々は街道の修復工事だろうと思いながらも、戦車に差している琵琶家と徳川家の旗を見上げてから急いで立ち去っていく。


仕掛けた者たちは作戦失敗としてもうここにはいないが、忍びたちが調べ上げた詳細な報告は信長が受けていたので、秀忠からの厳しい詰問があるはずだ。


だがこれには緩和材料もあるので、ひどいことにはならないはずだ。


緩和材料とは、この事実は琵琶家しか知らないという部分だ。


ここからは物見遊山がてらに、街道近辺の景色を楽しみながら、日光にある法源院屋の庭に滑り込んだ。


まずは休息と腹ごしらえを店主と番頭たちともに摂りながら、杞憂がないかと幻影は質問した。


やはり、幻影たちが住んでいた地域の店との売り上げの差が大きいので、それだけが杞憂だと言った。


まさに商人らしい杞憂なので、琵琶家一同は何とかしたいと思い始めている。


まずは物見遊山を楽しんでから考えてみると幻影が言うと、店主は大いに納得と感謝をして礼を言った。



この近隣は風光明媚な田舎でしかないが、物見遊山の富裕層は多くいる。


よって物見遊山を楽しみながらも、田舎でしかない農地にも立ち寄る。


やはりそれほど農民たちに元気がないように見える。


幕府の直轄領という理由もあり、それほどの課税はないのだが、農作物の出来がそれほど良くないようだ。


「人を雇って、専用の農場でも持とうかなぁー…」


幻影のつぶやきに、「それはこの先、必ず必要になろう」と信長は快く言って何度もうなづいた。


だが今回は物見遊山なので、仕事のようなことはやめにして、農民たちに庄屋を紹介してもらい、いつものように売り物にならない芋類などを入手して、うまい菓子に変身させた。


ちなみに菓子作りは琵琶家にとって仕事ではない。


「…あのくずが、生まれ変わったぁー…」と庄屋は大いに陽気になって、菓子を食い始めたが、一瞬固まって恥ずかしそうな顔をしてから、遠くから見ている子供たちを庭に招き入れて、小さな祭りが始まった。


そして粟も手に入れて、幻影特製の機械に入れ、取っ手を回してむらなく火が通るようにする。


ほんの一刻後に幻影がげんのうで機械の突起物を叩くと、『ボンッ!』というそれほど大きくない音とともに粟が一瞬にして弾けて倍以上の大きさになった。


その粟と砂糖と少量の塩、水飴をくわえて混ぜ合わせて、薄く平置きにして乾燥機材を出して並べて置いた。


「甘い、粟せんべい」と幻影が言ってにやりと笑うと、子供たちが満面の笑みになった。


粟をそれほど好まない子供たちは、乾燥が終わったせんべいを手に取って、「甘いけど、変わってるぅー…」と言いながらも笑みを浮かべてむさぼった。


「うぬ?! 生姜を加えよったか!」と信長は陽気に叫んで、子供たち以上にもりもりと食べ始めた。


「…ああ… 年寄りには最高においしいわぁー…」とせんべい好きの濃姫が感慨深く言うと、家人たちは大いに笑いながらも賛同した。


くず米も買って、同じようにして甘いせんべいに変えた。


醤油を加えたものは甘辛く、濃姫がほぼひとり占めしていた。


この庄屋の家は建ってから初めて、大勢の人たちの笑い声が絶えなくなっていた。


保存用に大いに作り出して、菓子などを庄屋に寄付した。


「子供たちの労働の駄賃にでもしてやってくれ」


幻影の言葉に、庄屋は琵琶一族を見回して手を合わせて感謝した。



琵琶一族は日光の法源院屋に戻り、店主に菓子などを味見をさせてから、早速、粟と米の二種類のせんべいの販売を始めた。


今回はそれほど量が多くなかったのだが、味見をした途端誰もが買っていったので、一瞬にして売り切れた。


わずかだけの菓子で、普段の五倍の売り上げがあったようだ。


帰るまでにもう一度作ると幻影は確約してから、昼餉を摂ってからまた物見遊山に出た。


「…あの程度でよいのかというワシもおる…」と信長は眉を下げて言った。


「まだまだ生きる知恵が足りないだけなのです。

 特に変わったことは、

 ちょっとした文明の利器を使うことにありますが、

 なくてもできなくはないのです。

 ですが時間的な余裕がないことで、

 手間暇をかけられない事実があります。

 よって完成したものを販売するにしても、

 高いものになってしまうことでしょう」


「…そうだ、それではダメなのだ…

 だからこそ、助け過ぎない程度に手助けをせねばなるまい…」


信長は今度は穏やかに笑みを浮かべながら言った。


「お菓子作りはおいしいから、いくらでも手伝うよ?」と長春がすかさず言うと、誰もが大いに笑った。


近場の温泉郷に行って、建物などをほぼ新築してから湯に浸って、法源院屋に戻った。


すると大いに眉を下げている店主が琵琶一家を出迎えた。


店主から話を聞き終えた幻影が、「献上しろぉー?」と大いに目を吊り上げてうなった。


「百倍の値を吹っかけたと説明してから、

 銭を庄屋たちに配る!」


幻影の言葉に、「それでよいよい」と信長は陽気に言って何度もうなづいた。


「ではそのように」と店主はすぐに賛同して、城に使いを出した。


信長は指で合図を出して、「…太刀を抜くことは許さぬ…」とうなった。


怒りに任せて使いを切り捨てるという、乱暴な行為に出るだろうと踏んだので、忍びをつけさせたのだ。


しかし使いの、「琵琶家のご威光です」という言葉に、さすがに役人たちが太刀を抜くことはなかった。



翌日の朝餉のあと、幻影たちが帰り支度をしていると、城から使いが来たという。


作物などを管理する役人一行で、ひとりが家老だろうと、家人たちはすぐさま見抜いた。


これから菓子作りに行くと告げると、役人たちもついてきたが、徒歩なので戦車に追いつけなかった。


幻影たちが昨日行った庄屋を尋ねて菓子作りを終えると、役人たちはようやくやってきた。


庄屋は気を利かせて、役人たちに茶と菓子を出した。


そして幻影が、『茶屋』の旗を出して地面に突き立てたので、家人たちは大いに笑った。


「全部で一両だ」という幻影の無体な請求金額に、役人たちは一斉に茶を噴き出した。


しかしこのあとは穏やかに話をして、役人たちの身ぐるみをはいで銭をせしめて、一部を庄屋に支払った。


残りは売り上げとして法源院屋に収める。


そして完成した大量の菓子を梱包して、法源院屋に納品してから、今回の旅を終えて江戸を目指した。



せっかくなのでと、信幻が水戸徳川家のご機嫌伺いのついでに、日光で作り上げた菓子を献上した。


徳川頼房はたいそう喜んで、信幻の杞憂をすべて受け入れた。


もちろん法源院屋と農民たちを守ることだ。


早速頼房は配下の者を視察に出した。


わずかこれだけでも大いに効果はあるものなのだ。


「…粟だ、くず米だとはもう言えぬ…」と頼房は感慨深く言いながらも、味と食感を大いに楽しみながらも手を合わせて感謝した。


頼房は一計を案じて、備蓄米などを琵琶屋に売った。


幻影たちはそれを菓子にして、一部は水戸藩に献上して、残りは水戸の法源院屋に卸した。


味見をさせて購入させる効果は大いにあり、『本日販売分売り切れ』の札が早々に出た。


できれば多くの人々に買ってもらいたい意思表示で、それほど大量に買えなくなっている。


幻影たちは早々に開放されて、一路江戸に向かって戦車を走らせた。



「ゆっくりと速やかに止めろ!」と幻影がかなり難しいことを命令すると、二台の戦車はゆっくりと停車した。


幻影は半里ほど先を見据えている。


どう見ても、五十名以上の侍が道をふさいでいたのだ。


幻影は戦車に備え付けている装置を手にして、「宇都宮藩藩士か?!」と叫ぶと、相手方は大いに動揺した。


まさに神の声のように、とんでもない声が戦車から聞こえてきたからだ。


「話は聞いてやる!

 代表の者数名だけ謁見を許す!」


幻影は叫んでから、空き地に退避路を作り上げて戦車を誘導した。


往来の邪魔になるので、さすがに街道に戦車を止めておくわけにはいかなかったからだ。


相手方はひとりを先頭にして、お付きをふたり連れて歩いてきている。


「走ってきやがれ!」と阿修羅蘭丸が肉声で叫ぶと、大いに慌てて走ってやってきた。


「おー… さすが、すげえなぁー…」と幻影は蘭丸を大いに褒めて頭をなでた。


「…もう、あなたったらやめてよぉ―…」と蘭丸は恥ずかしそうだが、大いに機嫌がよくなった。


「…はは様、いいなぁー…」と阿利渚がうらやましがると、幻影はすぐに阿利渚の頭をなでて笑みを浮かべた。



「宇都宮藩家老、足利義種でござる」と頭を下げて言うと、「ふーん、公家さんかい?」と幻影が聞くと、「わずかばかりに」と言って頭を下げた。


「足利は根絶やしにしたはずだがな」と信長はにやりと笑って言うと、義種は大いに怯えた。


まさにその話は聞いていたからだ。


その者は、第六天魔王、織田信長と。


もちろん、根絶やしにはしていなかったようだが、根絶やしにした家もあることは事実だ。


「俺たちと話をすることは死を覚悟しろ」


幻影の言葉に、義種は声が出なくなった。


だが、できれば伝えたいことを言葉にしたいのだ。


「…大げさだな…

 おまえ、武士には厳し過ぎるぞ…」


信長の言葉に、「腰のものを手放せば、わずかばかりに穏やかにもなりましょうぞ」と幻影が言うと、「あ、ワシらもほぼ丸腰だから、そりゃそうだ」と信長は言って、蘭丸を見た。


「…わが命…」と蘭丸が眉を下げて言って、誇らしげに堂々と幻武丸を抱え上げ、左の肩の上に乗せた。


「私が打ったものですので、

 幻武丸は我らの心強い味方ですから」


「おお、そうじゃったそうじゃった!」と信長は陽気に言った。


「じゃが、ほかの太刀は信用できぬからな」と信長は大いにうなった。


義種は腰から太刀を抜いて、羽織を脱いで太刀をその上に置くと、お付きの二名も家老に倣った。


「軽くなり申した」と義種は言って晴れやかな顔をした。


「話を聞こう」と信長が穏やかに言うと、義種はゆっくりと話し始めた。


話を聞き終えた幻影は、「それはあんたの言い分だ。あんたの知らないところで策謀はあったんだ」という幻影の厳しい言葉に、義種は目を見開いて、お付きのふたりを見るとふたりは首を横に振った。


ふたりとも心当たりはないという返事の代わりだ。


「大御所と将軍様を日光東照宮にお連れした時、この辺りに人がいた。

 ほら、そこだ」


幻影は街道を整地した場所に指を差した。


「その時、忍びたちにあとをつけさせて調べさせたから間違いないことだ。

 きっとここにも来ていることだろう」


幻影の言葉に、信長は指信号を送ると、義種のふたりの手下は忍びによって拘束された。


さらには遠くの群衆から五人を手早く拘束して、信長の前に引き連れてきた。


「と、いうことだ」という幻影の言葉に、「…仲間にまで裏切られていたとは…」と義種は大いに悔しがって嘆いた。


「他にはないだろうね…

 このままだと宇都宮藩はお取りつぶし確実だよ?」


幻影の言葉に、「…城の細工は阻止いたしました…」と義種は力なく言った。


日光東照宮への出向く秀忠一行に寝室を与え、その部屋の天井が落ちるような細工を考えていたそうだが、さすがに発覚して義種が本多正純を戒めていた。


「だから今回、異例だが俺たちが送り迎えをしたんだ。

 必ずなにか災いがあると秀忠が言ってきたからな。

 俺たちは物見遊山のついでに、秀忠と家光を連れてきて墓参りをさせてから、

 無事に城に返してやった。

 理由はその方が平和だから。

 大御所様の心ひとつだが、

 未遂で済めば、死罪は免れる可能性はあるだろう」


義種は聞きたいことが山ほどできたが、幻影はすぐさま察して話し終え、「他には?」と聞くと、「ご面倒をおかけ申した」と言って、羽織と太刀を放置して踵を返した。


「忘れものだぞ!」と幻影が叫ぶと、義種はすぐさま振り返って、「…処分していただくのも心苦しい…」と義種はつぶやいて、太刀と羽織をつかんで、腰に差すことなく歩いて行った。


「…俺も、本来ならばあんな爺さんなんだなぁー…」と幻影は義種が同年代だろうと察していた。


「でしたら私も同じです」と藤十郎が眉を下げて幻影に同意した。


「それに輪をかけて、大君だったやも知れぬ」と信長は言って鼻で笑った。



色々と足止めを食らったが、琵琶一家は生実の琵琶御殿に帰り着いた。


幻影たちが街道裏の工房で片付けをしていると、「…あーあ、お祭りがあったんだってぇー…」と、武家の子供らしき声が街道から聞こえてきた。


「…悪いが話を聞いておいてくれ…」と幻影が小声で言うと、ひとつの影が動いた。


もちろん、幻影たちを守っている忍びで、今の影は小さいものだったので竜胆だった。


「鎮守の森で小さな祭りでもしようか…

 粟の収穫祭ということでもよさそうだ…」


「たっくさん、買ってくるよっ!」と長春が大いに陽気になって言うと、「…ほどほどで頼む…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


幻影たちは長春と政江が返ってくるまで休憩にすることにして、菓子の種類などを話し始めた。


「…食紅か…

 色つきの菓子は、子供たちが喜びそうだが、

 作物の厳選と、残りかすの処理方法だな…

 できれば何も捨てたくないからなぁー…」


濃姫の提案に、幻影は大いに考え込み始めた。


「鶏肉や魚の肉に混ぜ込んで団子にでもしますか?」と源次が提案すると、「そうだな… まとめて揚げてもうまそうだな…」と幻影が言うと、「肉団子にちくわやさつま揚げのようなものか… それは良いおかずになりそうじゃ…」と信長は大いに乗り気だった。


「安く売れそうですからね。

 油で揚げれば腹持ちもいい。

 祭りの露店で出しましょう」



幻影と源次はまずは漁港に行って、売れ残って捨てるしかない魚を安価で買い取った。


様々な野菜から食紅を作り出した搾りかすを適量魚の身に混ぜ込んで、野菜入りのさつま揚げを作った。


家人たちは目の色を変えて大いに食い始めて、「…ああ、うまいぃー…」とつぶやいて満面の笑みを浮かべた。


「魚の仕入れ値から算出して、菓子よりも安価です」


「この量とうまさでかっ?!」と信長は叫んで、「…善意を込めて売ればよかろう…」と眉を下げて言った。


さらには中に蓮根を入れて揚げたものと、牛蒡を芯にした棒状のものも、歯ごたえがよく好評だった。


しかも腹持ちがよく、子供であればひとつで満腹になるだろう。


さらには細い竹に巻いて焼くと、野菜入りちくわが出来上がる。


あっさり食べるのなら、蒸した蒲鉾がお勧めだ。


工房はいい香りがしていて、大勢の者たちが何事かと思って大いにやじ馬であふれかえっていた。


長春と政江が大量の粟とくず米を買って来て、うまいちくわやさつま揚げを大いに食べた。


味見というよりも食事会になったが、売っても差し支えない程にうまいものだった。


製造は調理人たちに任せて、幻影たちは街道沿いにある神社の掃除や補修作業をして、祭りの準備をして看板を立てた。


『作物の実りに感謝する祭り』と銘打った看板を誰もが見入って、祭りの準備を見守っている。


露店が並び始めると、早速販売も始まったので、境内はまさにお祭り騒ぎとなった。


長春はここぞとばかりに境内の中央で、動物たちの芸を披露した。


夜になると、境内の隣の空き地で、小さな花火大会も催されて、盛会のうちに祭りは終わった。


売上金は仕入れの費用と労働者の賃金だけを抜いて、すべて賽銭として神社の賽銭箱に入れた。


もっともこの神社の管理は琵琶家で行っているので、自動的に生実藩の資金源になるようになっている。


「今の規模なら、日を決めてやってもよかろう」と信長が満面の笑みを浮かべて言うと、「我らが手を出す必要はなさそうです」と幻影は笑みを浮かべて言った。


この街道の商店会は法源院屋が先頭に立っているので、全てを任せても何も問題はない。


今日も大勢の子供たちの笑顔を見ることができて、幻影たちは機嫌がいいまま眠りに着こうと思ったが、あることを思い出した。


「竜胆、例の件」と幻影が聞くと、竜胆は大いに眠そうだったが、調査した内容を記載した紙を出して、蘭丸の腕の中で眠ってしまった。


「祭りをしようと企画した発端です」と幻影は言って書を手に取った。


そして書を開いて、「…北条氏宗…」と幻影が大いに眉をひそめて言って、政江を見た。


「来てたわね」と政江が今更ながらに言った。


政江は北条家を立て直し、全てを氏宗の父の北条氏信に託した。


氏信は現在、河内の国の狭山藩主だ。


その子の氏宗が物見遊山でこの生実を訪れていたことになる。


「…ここに呼べばいいじゃないか…」と幻影が眉を下げて言うと、「お兄様、それは甘やかしですわ」と政江は堂々と言った。


「まあ、それは言えるが…」と幻影は言って、信長を見た。


「政江の教育方針だ、従っておけばよい」と信長は言った。


「ちなみに、政江が琵琶家の一員ってことは?」


幻影が聞くと、「話しておりません」ときっぱりと言い切った。


「今ごろは仙台にいると思っておるはず」


まさに政宗とは別居状態なので、それが常識的な考えだ。


「日光で政宗と少しは話しでもしたの?」


「ごきげんよう、と挨拶はいたしましたわ」と政江は堂々と言った。


「…ああ、それ、見ておった…

 政宗はそうでもなかったが、

 家臣たちは大いに怯えておったな…」


信長は言ってにやりと笑った。


「…はぁー… 俺の妹がそれほどまでに嫌われ者とは…」と幻影は大いに眉を下げて嘆いた。


「役立たずたちに気に入られても身にはなりません」と政江は堂々と言った。


「…まあ… ここは政江にとって、本当の意味で楽園なわけね…」


「はい! それはもう!」と政江は表情を一変させて喜んで言った。


「…好きに過ごせばよい…」と信長は言ってやさしい笑みを政江に向けると、「はい、御屋形様」と政江は穏やかに言って頭を下げた。


「いてくれた方が楽しいよ?」と長春が陽気に言うと、「よくわかってるさ」と幻影は言って笑みを浮かべた。



この日は何事もなく琵琶一家は就寝したのだが、その翌日に少々騒ぎが起こり始めた。


なぜだが、祭りをした神社の参拝客が大いに増えたのだ。


ほとんどが商人に見える者たちで、どちらかと言えば職人にも見える。


「…調理人?」と幻影が小声で言うと、「はい、雰囲気はその通りですね」と前掛け姿の松太郎が答えた。


「どんなうわさが流れたんだろうね。

 菓子よりも、さつま揚げやらちくわだと思うが…」


そして、法源院屋の出張所に大いに人が群がっている。


人の流れから、神社から出てすぐにやってくる者が多いようだ。


すると顔見知りの丁稚が辺りを見回して、幻影を見つけて走ってやってきた。


「何の騒ぎ?」と幻影が聞くと、「この世にないほどのうまい天ぷらはどこで売っているのかと…」と眉を下げて言った。


「うまいには違いないけど…」と幻影は言って松太郎を見ると、「一般人にはそう思えたのでは?」と松太郎は少し笑って言った。


「竹坊はどう思った?」と幻影が丁稚に聞くと、「…今までで一番おいしい食べ物でしたぁー…」と満面の笑みを浮かべて言った。


「…うーん… 俺たちは舌が肥えすぎているようだ…」と幻影は言って大いに苦笑いを浮かべた。


「安い魚が売れ残っていたら作れるが…

 まあ、ひと月に一度祭りをするので、

 準備ができれば食えるとでも伝えておいて欲しい。

 看板を出せば、仕事に支障は出ないだろう」


「はい! ありがとうございました!」と丁稚は陽気に叫んで、頭を下げてから、走って店に戻って行った。


「食いたいから魚を準備しろ。

 高くても構わん」


話を聞いていた信長の言葉に、幻影はすぐに従って漁港に行った。


今日も売れ残りが多く出たようで、幻影は常識的な量の魚を買ってから、菓子作りも並行して行った。


こうしないと、同じ味が出せないと感じていたからだ。


そして試作を信長が食べると、何度もうなづいてから、また手を伸ばして食い始めたので合格だった。


幻影は菓子とさつま揚げを法源院屋に売った。


すると長蛇の列ができて、それほど時間をかけずに売り切れた。


もちろん、ひとり二個までという制限をつけたので、時間がかかっただけだ。


菓子の方も色とりどりなところがよかったようで、こっちの方が先に売り切れていた。


幻影はもう一度漁港に行くと、魚を廃棄する寸前だったので、全てを買い取った。


まさに幻影は漁港にとっても救世主となっていた。


そして販売第二弾も大盛況で、夜になる前に売り切れた。


もちろん、法源院屋の従業員の分はしっかりと確保してあった。



「…あー… これが巷で有名な野菜入りさつま揚げかぁー…」と秀忠は大いに機嫌よく食べている。


その隣には、父親を知らされていない明智静香の子の竹松がいて、さつま揚げを食いながらお静に笑みを浮かべて見上げている。


家人たちはみんな真相を知っているのだが、この件には触れないことに決めている。


今はお静のちょっとしたいたずらのようなもので、竹松は秀忠にそっくりだったのだ。


顔だけではなく、食べる姿も瓜二つなので、聞かされていなくても父子とわかるほどだ。


もちろん、萬幻武流の修行は受けさせているので、まだ幼いと言えども武士には違いない。


姓は明智ではなく保科家の養子としてあるが、公には明智を名乗らせている。


これもお静が決めた、我が子への愛だった。


「竹松もそろそろ奉公に出ますか?」とお静が穏やかに聞くと、「徳川信幻様に仕官いたします!」と子供ながらに堂々と言った。


まさにここに優秀な旗本がいるので、こう言って当然だった。


「なんじゃ、ここにいればよいではないか…」と信長が眉を下げて言うと、「お爺様も大好きです!」と竹松が陽気に叫ぶと、信長の目尻が下がりっぱなしになって、これ見よがしに光秀を見た。


「もうひとりのお爺様も大好きです!」


こう言える気の利いた子供でもあった。


竹松はふたりの祖父を骨抜きにしていた。


「…ですが、お師様のご許可が…」と竹松は上目づかいで幻影を見た。


竹松の一番の弱点は、世にも恐ろしい幻影だけだったのだ。


「言いたいことがあればはっきりと言え」と幻影は大いに厳しい。


「…信幻様のお手伝いをしたいのですが、

 仕官してもよろしいでしょうかぁー…」


竹松は今にも泣きそうな顔をして幻影に聞くと、「今のお前が、信幻様の足手まといにならないと思えば仕官してもいい」と厳しく言うと、竹松は大いに考えて、「…まだ、小さいので、ダメだと思いますぅー…」と言ってついには泣き出し始めた。


本来ならば、ここでお静がひと言言うはずだが、お静は笑みを浮かべて幻影に頭を下げていた。


できれば竹松をまだまだ手元に置いておきたいからだ。


そして竹松を甘やかせることはせずに、「幻影様が怖いのは当たり前です。すぐに泣くことはお控えなさい」とそれほど厳しくない口調で穏やかに言った。


「…はい、ごめんなさい、母上…」と竹松は言って涙を拭いてから、お静に笑みを向けた。


―― 扱いづれぇー… ―― と幻影は大いに嘆いていた。


「そうか、竹松も家光を守ってくれるんだな」と秀忠が言うと、「はい! 信幻様のようにきちんとお守りいたします!」と堂々と言った。


「…いいじゃん、仕官させてやれば…」と秀忠が幻影に眉を下げて言うと、「竹松が決めた道だよ」と答えたので誰も口を挟めなかった。


「竹松、経験は重要だよ」と信幻が言うと、お静が大いに嫌がったが、何も言わない。


竹松はすぐに姿勢を正して真っすぐに信幻を見た。


「とりあえず明日だけど、一緒に登城するかい?」


「はい! よろしくお願いします!」と竹松が満面の笑みを浮かべえて答えると、「おー…」と信幻の配下たちが一斉に声を上げて、竹松を大いに歓迎した。


「明日は寺子屋に行くから、

 ほぼ一日中家光様に同行することになるから。

 決して粗相のないように」


「はい! 仰せつかりました!」と竹松は答えてから、―― これでいい? ―― というような顔をして幻影を見た。


幻影が笑みを浮かべてうなづくと、竹松は満面の笑みを浮かべた。


「…幻影様が、すっごく怖いのね…」とお静が眉を下げて言うと、「よいよい!」と信長は機嫌よく叫んだ。


「兄上はおっしゃいませんが、

 竹松が兄上を怖がることには、

 はっきりとした理由があるのです」


弁慶の堂々とした言葉に、琵琶家人たちは大いに眉を下げた。


「そうだね、あるね」と幻影はすぐに答えた。


「ま、色々と隠し事があれば、

 子はすぐに気づくものだからな。

 怖いものには過剰に反応するもんじゃ」


信長の言葉に、お静は迷うことなく、竹松を見た。


「あなたは、徳川秀忠様の子です」


お静ははっきりと竹松に告げた。


「…うわぁー… やっぱりかぁー…」と秀忠はすぐさま察して大いに嘆いた。


秀忠も薄々感じてはいたものの自信はなかった。


だが、お静と逢瀬を過ごした記憶すらないのだ。


お静との逢瀬の時を過ごす前に、「身元が確実で口の堅い家の姫」と家老に聞かされていれば、秀忠が疑うわけもないのだ。


この件は琵琶家も関わっていて、お静の意見を聞き入れて、極秘として信頼の置ける家老に話を持ち掛けたのだ。


その家老が、保科家の者だった。


よってふたりは真っ暗闇で逢瀬の時を過ごしたので、そのあとのことは秀忠にも全くわからなかったのだ。


「いやぁー… これで普通に過ごせるぅー…」と幻影は大いに気を抜いて言うと、家人たちも同意して安堵の笑みを浮かべた。


「…私の意地で…

 …ご迷惑をおかけしました…」


お静は穏やかに言って頭を下げた。


「…何度か同じことがあったから、その中のひとり…」と秀忠が言うと、「外部の者は私だけのはずでございます」とお静は笑みを浮かべて言って頭を下げた。


「どうしても子だけは欲しかったのです。

 そしてできれば、我が子にとって障害多き生涯となりますようにと。

 その障害も、ほとんどを我が家族が吹き飛ばしてくださいます。

 ですが気に入ったお相手が現れないので、

 上様の種をいただいた次第でございます」


「…質素なもので申し訳ない…」と秀忠は言いながらも、お静の美しさに目を奪われていた。


そしてやはり、頃合いを見て計画を実行しようと心に決めた。


「家光が問題ないほど成長したら琵琶家の一員になる」


幻影が暴露すると、「ひっ!」と叫んで、幻影を上目づかいで見た。


「父は必要かもしれませんが、夫は必要ございません」


お静の一線を引いた言葉に、「…はい… ご迷惑はおかけしません…」と秀忠は大いに恐縮して言った。


すると、「お父様」と竹松が秀忠に体を向けながら言った。


「お父様のおかげもあって、

 今日の日を迎えることができました。

 本当にありがとうございました。

 この先は、家光様をお守りするため、

 さらに精進していく所存でございます。

 どうか、温かく見守っていただきますように、

 心の底から思っております。

 どうか末永く、よろしくお願い申し上げます」


竹松は堂々と言ってゆっくりと頭を下げた。


「…うれしいけど、普通に言って…」と秀忠が懇願の目を竹松に向けて言うと、すぐに面を上げて、「何気なくわかってたんだ、父ちゃん」と竹松は一気に気さくになって、自然な笑みを浮かべて言った。


「よくぞここまで立派に育ててくださった。

 本当に感謝いたします」


秀忠は言って、お静と幻影、そして向き直って信長に頭を下げた。


秀忠は大御所ではなく、竹松の父として礼を言った。


「…種は幻影様がよかったんだけどなぁー…」とお静が今更ながらに言うと、「許すわけがない」と蘭丸がにやりと笑って言った。


「…人じゃない人と張り合ったのが、そもそもの間違いだったわ…」とお静が眉を下げて言うと、「…ふふふ、必ずこうなると思っていたからな…」と蘭丸は言って幻影ではなく、阿利渚を抱きしめて言った。


「竹松の嫁に、阿利渚ちゃん頂戴」とお静が言うと、「阿利渚が自分で決めること」と蘭丸は堂々と言った。


「…竹松兄ちゃんよりも、とと様がいいなぁー…」と阿利渚がかわいらしく言って幻影に笑みを向けた。


「ダメだ、あれは俺の獲物だからな」という蘭丸の言葉に、「…えー…」と阿利渚は言って、悲しそうな顔をした。


「もっと大きくなってから決めればいいさ」と幻影がやさしい言葉をかけると、「はい、とと様」と阿利渚は満面の笑みを浮かべて答えた。


「…どう転んでも、お前しか選ばんと思うんだがなぁー…」と蘭丸がにらんで言うと、「だったら嫁に出さないからいい」と幻影はすぐに答えた。


「…おまえ、まさかそうやって、

 阿利渚を嫁に出さないつもりかぁー…」


「もうよい。

 阿利渚をそれほど困らせるな」


信長のやさしい言葉に、阿利渚はすぐさま信長の膝の上に座って、「御屋形様でもいいぃー…」と言って抱きしめた。


「おう、そうかそうか」と信長は機嫌よく言って、阿利渚の頭をなでた。


「…みんな、子供でしかないもの…」とこの中で一番の子供の阿利渚の言葉に、「幻影の言った通り、大人になってからだな」と信長は機嫌よく言って、この先の未来の楽しみができていた。


「…なぜか性格は政江に似たような気が…」と幻影が大いに眉を下げて言うと、「生きやすそうに感じたからよ」と政江はさらりと言った。


蘭丸は気に入らないようで、大いにうなっていた。



琵琶家はこの日からしばらくは生実で過ごし、半分以上物見遊山で伊勢に出向いた。


高虎の願い通りに、城下町全般と大きな街道の整備をするためだ。


基本の舗装だけでも十分に歩きやすくなったのだが、半年もしないうちに元の木阿弥となる。


幻影たちは午前中だけを工事に当てて、昼餉後は物見遊山に費やした。


わずか三日間で、高虎が幕府に申請していた舗装工事を終えた。


高虎は上機嫌で津城の控え目な天守から、城下町を見下ろしている。


「無料の方はいつだ?」と高虎が幻影に顔を向けて言うと、「今から行ってもいいが、申請は済ませてるのか?」という言葉に、高虎は大いに戸惑った。


「なんだ、確認できてないのかよ…

 お前、他人の面倒ばかり見過ぎじゃないのか?」


幻影のお小言に、「放ってはおけぬではないかっ!」と高虎は大いに吠えた。


「まずは家族の安寧から。

 そのうち、腹の底から蛆が湧いて出るぞ」


「…うう…」と高虎はうなって、信長にすがる眼を向けた。


「幻影の勝ち」と信長がにやりと笑って判定すると、高虎は大いにうなだれた。


確認でき次第連絡するということになり、幻影たちは伊勢湾に戦艦を出して、まっすぐに生実を目指した。



幻影たちが戦艦を陸に上げていると、この近隣の漁師たちが一斉に走ってやってきた。


そして幻影に懇願の目を向けている。


話を聞くと、できれば廃棄になってしまう魚を買い取ってもらいたいという嘆願だった。


船の陸揚げは家族たちに任せて、幻影は法源院屋の店主と第二番頭を担いで飛んで戻って来て、漁師たちと話し合いを行った。


法源院屋に仲介をさせて、琵琶家が加工を請け負うことに決まった。


購入の上限は決めたのだが、最近の水揚げが非常によく、それでも廃棄する魚が多く出るという。


今日も昨日も多くを廃棄してしまって苦汁を飲んだという。


保存用の干物の貯蔵にも限界が来たようだ。


よって、幻影は大いに考え込んだ。


だがまずは、「獲り過ぎてないか?」という幻影の素朴な質問に、漁師たちは大いに眉を下げた。


「儲け主義には走ってないようだが、

 加減も覚えた方がいいと思う。

 今年はいいが、来年からの水揚げが落ちると目も当てられんぞ。

 できれば稚魚に近いものは逃がした方がいい。

 来年以降、大きくなって戻ってくるはずだ。

 その辺りもまずは話し合って決めればいい。

 だが、あまり喧嘩になるようなことはするなよ」


幻影の言葉に、漁師たちは一斉に頭を下げた。


特に熟練の漁師ほど幻影に賛同したが、やはり若い漁師は反抗心が沸いていた。


「下手をすると契約を解除することもある。

 港はここだけではないんだからな」


幻影の脅しの言葉に、「きたねえぞ!」と叫んだ若い漁師がいたが、ほかの漁師たちに簡単に戒められた。


「こっちは協力もしてやっているんだ。

 協力者に対して、随分な口利きだな」


漁師たちのほとんどは、幻影の怒りを抑えようと必死だったが、数名の漁師たちは踵を返そうとしたが動けなくなっていた。


「言いたいことがあれば今ここではっきりと言ってみろ!!」と幻影が叫ぶと、踵を返した漁師たちはその場に膝をついて、大いに幻影に怯えた。


数名はそれなりの事情があった。


多くの銭を稼いで、多くの子を育て上げることや、年老いた親の面倒を見ること。


もちろん中には、いい暮らしをしたいからと言った者は、大いに糾弾された。


「意地を張って自分だけで何とかしようと思うな。

 だが、家族に対する件は何か考えてやる。

 陸の農家にも関係のあることだからな。

 それから、それほど子を産みまくることにも原因があるんだ。

 少しはつつましく暮らせ。

 その子供たちにも何か仕事をあてがってやるから、

 期待せずに待っていろ」


幻影の言葉に、漁師のほとんどが幻影を拝んでいた。


「高願様はそろそろ観念して仏門に入りなさいな」


妙栄尼の穏やかな言葉に、漁師たちは全員、頭を垂れた。


「それは何度もお断りしております」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「私の話すことがなくなりましたが、

 私も高願様の全ての意見に賛成します。

 厳しいだけでも、甘いだけでもない高願様のお言葉は、

 まさに貴重ですから。

 少しだけ先を見据えて、

 ほかの漁港にも幸せを分けていただきたいものですわ」


妙栄尼の穏やかな言葉に、誰も反抗できなかった。


「子供たちのお仕事に関しては、お任せくださいますように」と妙栄尼は幻影に手のひらを合わせて頭を下げた。


「はい、お願いしておきます」と幻影は言って頭を下げた。


そして、「…私は仏陀ではありませんから手を合わせないでください…」と幻影が言うと、誰もがすぐに手を下ろしてバツが悪そうな顔をした。


「これほどに立派になった息子を拝んで何が悪いのです?」


妙栄尼の言葉に、漁師たちは一斉に目を見開いた。


「様々な事情があって、ずっと離れて暮らしておりました。

 高願様は大いに努力をして、

 お金など関係なく、多くの人々の手助けをしているのです。

 そこから志を同じくする方たちで琵琶家が立ち上がったのです。

 琵琶家は裕福そうに見えるだけで、

 それほどお金は持っておりません。

 ですが、お金が欲しければ、

 何なりとして自分たちの力で多くを得ることができる、

 この日の国一の素晴らしい家です。

 お金を配らないのは甘やかさないためでもあるのです。

 助けるのではなく手助け、お手伝いをしているのです。

 ですので快く、お手伝いをさせていただきたいものですわ」


妙栄尼は特に若い漁師に向けて言った。


この漁師たちは自分たちを恥ずかしく思い始めていた。


特に欲だけを持って生きていた漁師は、顔を上げられないほどだった。


「お説教も程々です」と妙栄尼は言って、幻影に頭を下げて、遠くで見ている子供たちや女子たちに近づいて行った。


幻影はあとは法源院屋にすべてを任せて、御殿に戻った。



「…ふむ… 医師と薬師か…」と信長は言って何度もうなづいた。


世話役については、お香に頼んで探してもらっているので、面倒を見る役目の確保はできるはずだ。


信長がつぶやいた通り、医師と薬師を抱えた方が、全てにおいて安くすむのだ。


「まずは例の薬に頼ればいい。

 ようやく出番が来たというものじゃ。

 その間に、医師と薬師を確保せよ。

 その程度の時間は優にあるはずじゃ」


「はっ お言葉通りに」と幻影は笑みを浮かべて答えてから工房に行った。


例の薬とは、美濃の山奥で発見した草から抽出して丸めたものだ。


その薬を持って、知り合いの薬師と医師に、薬の効能を調べてもらった。


苦しんでいる患者を抱えている医師は、この話に大いに飛びついて、安全性だけは確認した薬を飲ませると、穏やかに眠り始めたので目を見開いた。


「…このような万能薬は見たことがございません…」と医師は言って、自分も少量を飲んだ。


医師の不療養で、この医師にも疾患がある。


「ふむ… 何も変化はないな…

 まあ、当たり前だが…

 お?」


医師は言って首筋辺りをなで始めた。


そして腹に触れた。


「…ひどかったところから順に楽に…」と医師は言って笑みを浮かべた。


「死に至るほどではなかったようですが、

 これで多少は穏やかに診療できるというものでしょう」


幻影の言葉に、「…まさに、その通りです…」と医師は恥ずかしそうに言った。


「薬に頼らないように、成分をかなり薄めて処方いたします。

 できれば、自己修復力に頼った方がいいと感じました。

 ですが、その体力を得る食べ物を得られないのも、

 大いに問題ですが…」


薬師は幻影に眉を下げて言った。


「その件に関しては、

 審査をした介護師を雇うことに決めています。

 対象の患者に無理のないように栄養物を与えて、

 できれば働いてもらえるまで回復してもらいたいものです。

 巷で人気のさつま揚げなんてどうです?」


幻影の言葉に、「いくつも食った」と医師は言って大いに照れていた。


「何もかも栄養価は高いものでした。

 ひとつだけでも食わせてやれば、

 自己修復力も大いに上がることでしょう」


薬師は大いに賛同して笑みを浮かべた。


そしてふたりに、自由が利く医師と薬師を探して、琵琶御殿に来てもらえるように願い出た。


ふたりは自分たちが出向きたいほどだったが、ここは欲を押さえつけて、見つからない場合は自らが生実に出向くと言った。


医師も薬師も抱えている患者が多いので、そう簡単にはこの江戸を離れられないからだ。


「では、そのさつま揚げや菓子を今回の礼として造って持ってきますから。

 できれば多くの人たちが一日でも早く回復できるようにと願って」


幻影の言葉に、ふたりはすぐさま頭を下げて、固い握手を交わした。



ほんの数日で、また生実の評判が上がった。


まさに仏が住んでいると言わんばかりに、妙栄尼に誰もが近づきたい一心でやってくる。


妙栄尼は少々冷たい面もあるので、時には蘭丸を雇って警護をさせたので、誰も近づけなくなっていた。


法源院屋の仕入れはまさに的確で、つくるものすべてを売り切って一日を終える日々となり、法源院屋の名声も大いに上がった。



この件とはほとんど関係なく、若い武士がこの生実にやってきた。


街道の門番は大いに怪訝に思っていたが、通行の許可を出した。


この多少の脅しも案外効くもので、通行を許した武士が面倒なことを起こすことはなかった。


少年は祖父がなぜ琵琶高願に執念を燃やしたのかを、この街道に足を踏み入れてよく理解できた。


まさにこの平和が、米沢にもあったはずだと少年は確信していた。


さらには、仏教徒に震撼を及ぼしている妙栄尼もこの生実にいることは知っていた。


だがこの直江兼良には、兼続ほどの野望などはない。


特に本日、上杉定勝の徳川秀忠、家光との謁見を果たしたことで、徳川信幻とも接触できたことを大いに喜んだ。


もちろん、暴漢から秀忠を守り抜いたことは、大名たちを震撼させることにもつながっていた。


さらには後ろ盾に琵琶家がいることも周知の事実だ。


兼良は大いに興味を持って、一時の暇をもらってここにやってきたのだ。



「あら? 武家が珍しいわね」と政江が言って兼良をにらみつけると、―― 武家の姫だな… ―― と兼良はすぐさま見破って、「あなただって武家の出でしょ?」と比較的軽い言葉を使って言った。


いつものように政江は長春とともにいる。


兼良は長春が視界に入っていたが、ほとんど無視を決め込んでいた。


「放り出すことって簡単なのよ?」という政江の言葉に、兼良は大いに焦った。


しかし謝ることなく、「琵琶家の方のようですね」と適当に言ってみた。


「あら? 面識があったのかしら?」と政江が言って長春を見ると、「…引っかかっちゃダメだよぉー…」と眉を下げて言った。


―― ううっ! こっちの方が偉かった! ―― と兼良は見た目だけで判断した自分を責めた。


「…またお兄様に叱られちゃうわ…」と政江は眉を下げて言って、「目立つことしてんじゃないわよ」と兼良に大いに悪態をついて、長春とともにそそくさと歩き始めて、兼良の背後にある辻に入って行った。


兼良が興味を持ってあとをつけようとすると、「なに用か?」と鬼のような酒井影達が兼良をにらみつけた。


―― 一難去ってまた一難だぁー… ―― と兼良は大いに嘆いたが、「いえ、何があるのかと興味を持っただけで」と何とか答えた。


だがそのあとに看板が目に入って、『関係者以外立ち入りを厳禁とす』という大きな看板が目に入った。


よって、辻に興味があったわけではなく、ふたりの女官に興味があったと思われて当然だった。


「ふん、まあいいが、妙な気は起こさぬことじゃ。

 そなたはもうすでに、自由はないと思っておくがいい」


影達の言葉に、―― こりゃとんでもなかった… ―― と兼良は姑息な真似はやめようと考えた。


「できれば琵琶高願様と妙栄尼様にお目通りを願いたく思いやってきました。

 私は米沢藩士、直江兼良と申します」


兼良は正直に要件と自己紹介をした。


「ここから立ち去れ!」と影達がいきなり叫ぶと、役人たちが飛んでやってきた。


なぜここまで毛嫌いされたのか、兼良には全く理解できなかった。


「直江の姓に反応したんだよ」と源次が穏やかに言って、役人たちを配置に戻した。


兼良は源次に頭を下げて、ほっと胸をなでおろした。


「直江兼続公とご縁のある方ですよね?」


「はっ 私の祖父です。

 祖父がなぜ琵琶高願様を欲したのか、

 さらには妙栄尼様との謁見も果たしたく、

 江戸に来たついでに寄ってみたのです」


「はは、ついでってところが、お爺様のようでいいね。

 やはり祖父だけあって、性格も多少は似ているようだ。

 あ、俺は前田源次。

 そのお爺様と懇意にしていた前田利益の息子だよ」


―― また大物いたぁ―――… ―― と兼良はそう思っただけで、驚くことはもうやめた。


その名前は法源院屋で見ていた。


もちろん、前回、前々回と、日ノ本一喧嘩選手権で、上位に君臨する実力者だからだ。


「利益様が僧侶になられたことは?」


兼良の言葉に、「そうなっちゃったんだね」と源次はごく自然に答えた。


―― 親とも思っていない… ―― と兼良はすぐさま察した。


「俺の親は、琵琶家の御屋形様と奥方様だから。

 素晴らしい兄弟が三人もいるし。

 君に喧嘩を売っていた政江姉ちゃんもそのひとりだから」


―― 怖いはずだ… ―― と兼良は思って、大いに苦笑いを浮かべた。


「伊達政宗様の正室でもあるからね。

 現在別居中だからここに住んでる」


「…今のお話が一番驚きました…」と兼良は目を見開いて言った。


伊達政宗の幕府に対する忠誠心は、誰にも勝ることができない。


その根本は琵琶家にあったとようやく理解できたことを大いに喜んだ。


「やっと暇になったから、

 昼餉でも一緒にどう?」


源次の誘いに乗らないわけがないので、「はっ ありがたき幸せです!」と兼良は陽気に叫んだ。



兼良は源次について行って、琵琶御殿にやってきたが通り過ぎていく。


そして、『麺屋』という店に入って、店の奥にある廊下を歩いた。


「妙なヤツとはそなたか?」という信長の眼光鋭い言葉に、「お騒がせしました! 直江兼良と申します!」とまずは叫んで頭を下げた。


「君も面倒臭そうだね…

 琵琶高願だ…」


幻影がため息交じりに名乗ると、「祖父が大いにご迷惑をおかけして申し訳ございません!」とここは心の底から謝った。


「あ、普通に話ができそうだ」と幻影が大いに陽気に言うと、信長も笑みを浮かべて冷やし蕎麦をひと口すすった。


源次が兼良に椅子を勧めて、源次はその隣に座った。


「源次、まさか米沢に行くなどというつもりはなかろうな?」


信長の厳しい言葉に、「次は越後に住むのもどうかと考えておりました」と源次が正直に言うと、「ま、なくはないかな?」と幻影はごく普通に行って、温かいうどんの出汁を楽しんだ。


注文はしていないが、源次と兼良に、冷やし蕎麦が配膳された。


「冷えてるうちに食べて。

 いくらでもお代わりしていいから。

 食べ終わったら温かいものでも構わないよ」


源次の気さくな言葉に、兼良は礼を言ってひと口そばをすすって目を見開いた。


「…なんて、うまいんだ…」と言って笑みを浮かべて、あっという間に平らげて、今度は温かいそばを注文した。


さらには稲荷寿司や天ぷらにも大いに手を出して、「…誰もがこの想いになれるように…」と言ってから手を合わせて頭を下げた。


「その気持ちは重要じゃ。

 ここにいたいだけいればいい」


信長は言って席を立って廊下を歩いていくと、蘭丸がすぐさま後を追った。


「あと数年はこの生実に住むけど、

 さっきも言った通り越後に住んでもいい。

 米沢よりも越後だからな」


幻影の念入りの言葉に、「ありがたき幸せ」と兼良は心の底から礼を言った。


「だが越後はそれなりに充実してるんだろ?」


「はっ 江戸近隣ほどの貧富の差はありません。

 ですが、手助けは厳しい状況です。

 米の輸出も始めたのですが…」


兼良はここまで言って言葉を止めた。


「杞憂は参勤交代。

 意地を捨てて質素にすればいいだけだ」


幻影の厳しい言葉に、「末端の藩士の言葉は、そう簡単に御屋形様に届かないことも必定…」と兼良は今度は悔しそうに言った。


「琵琶家と会食を楽しんだと、まず言えばいいだけさ」と源次が陽気に言うと、「よろしいのですか?!」と兼良は叫んで源次を見てから幻影を見た。


「その証拠も色々とやろう」と幻影は言って机の上のものを片付けてから、数枚の絵を描いた。


兼良には見覚えのないものばかりだったが、なんとなく察しがつき始めた。


「…まさに、ご迷惑をおかけしていたようです…」と兼良はまずは謝った。


鎧甲冑姿の男が描かれているものは、まさに自分の祖父だと確信したからだ。


「老人に見せれば、誰もが泣きだすかもな。

 まあ、人によりけりだろうが。

 ついでにこの書を、米沢藩主に」


幻影は絵とともに書簡を渡した。


兼良は大いに頭を下げてから、絵と書簡を受け取った。


「今度はこちらからの願いだ。

 ある高職の殿の家老に、兼良を推薦したい。

 その嘆願書のようなものだ」


幻影の言葉に、兼良は大いに目を見開いた。


だが、「…私では人質にもなりませぬ…」と兼良は言ってうなだれた。


「普通の武家ならそうだろう。

 だが我が琵琶家は普通ではないんだぞ?」


兼良はすぐさま顔を上げて、幻影だけを信じると心に決めて、「ありがたき幸せ!」と本当の心の内を叫んだ。


「あんたの爺さんのように、呪文のように、

 越後を統治しろと言われ続けるとうんざりもするが、

 あんたはそうではないと見て取った。

 だからある意味、琵琶家の一員として招こうと思ったんだよ。

 だからこそ、この先、それほど楽はできないぞ」


「…いえ、覚悟を決めました…」と兼良は背筋を伸ばして答えた。


「さっきも言った通り、次は越後のどこかに住もうと思う。

 その選定をまずはしておいてもらいたい。

 そのあと、しばし我らとともにして、

 この生実を維持しつつも目的地に町を作る。

 そうすれば速やかに引っ越しは完了だからな。

 博学であれば、安土と松山がどのように変わったのか、

 耳には入っているはずだ」


「はい… 耳をふさいでいても轟き渡っておりますし、

 この生実にも驚かされました。

 極力、民が安寧に過ごせる場所を選定して、

 候補地を探します。

 そして、うまいそばを嫌というほど食わせます!」


幻影と源次は笑みを浮かべてこの真っすぐな少年に笑みを向けた。



兼良はすぐさま源次とともに店を出て、まずは源次が絵に表装を施して、丸めてから箱に詰め、琵琶家の風呂敷に箱を収めて担がせた。


兼良は源次に大いに礼を言って、足取り軽く、上杉江戸屋敷に戻って行った。


兼良の考えられないほどの戦利品に、江戸屋敷老中は大いにうなった。


そして書に大いに興味を示したが、さすがに開いて読むことはできない。


「…兼良も、やっぱり優秀だったんだね…」と上座に座っている上杉定勝は少し眉を下げて言った。


「私の生涯、琵琶家に流されてみようと思っております」と兼良は真剣な目をして定勝に告げた。


「…うぬぬ…」と家老は大いにうなった。


そして見る目がそれほどなかった自分自身を呪っていた。


よって、兼良に何かをすることは決してできなくなっていた。


まさに、米沢藩存続の危機にもつながることになるからだ。


さらにはまたここで、兼続の奇跡を大いに知らされたことになった。


兼続には世継はいないはずだったのだ。



兼良は箱を開けて掛け軸を出し、定勝に幻影が描いた絵を披露した。


「…私の頑固だった祖父でごさいます…」と言ってから少し笑った。


この絵だけではなく、寺の絵や妙栄尼の肖像もある。


まさに上杉の宝を兼良は持っていることになる。


しかし、妙栄尼の正体はそれほど知られていないので、老中は何も言わなかった。


「…ああ、妙栄尼様…」と定勝は言って、手のひらを合わせた。


もちろん真摯な仏教徒である定勝は、妙栄尼を尊敬していた。


信幻とも大いに話をして、妙栄尼のことも大いに聞きだしていたほどだ。



兼良はこの三日後に米沢に帰りつき、登城して真っ先に景勝に謁見した。


そして三方に書を乗せて、「琵琶高願様からの書でございます」と言って、三方を軽く押した。


小姓がすぐさま三方を景勝の前に置いた。


「…いいことであることを願おう…」


老い先短い景勝ではあったが、眼光は鋭かった。


そして真剣な目をして書を開き読み始めた。


しばしの静寂がこの部屋を包み込んで、景勝は、「ほー…」と息を吐いた。


そして笑みを浮かべていた。


「高願殿からの依頼を快く引き受け、

 この書にある通り、

 あるお方の家老となるため精進するように。

 …ワシらにとって素晴らしい冥途の土産ができたわい…」


景勝は言って、今はいないが絵の中にいる、少々情けない顔をしている直江兼続を見て言った。



兼良が米沢に戻ってひと月は穏やかに過ぎていった。


琵琶家とも書簡のやり取りをして、琵琶家の御殿を建てる候補地もほぼ選定を終えている。


すると城に戻ってすぐに訃報が舞い込んできた。


上杉景勝が亡くなったのだ。


丁度この時期に秀忠が京に上洛する予定で、定勝も同行するはずだったが、ここは琵琶家が行動で示し、幻影が秀忠を京に送り届けた。


幻影は御所で所要を済ませてすぐに、米沢城に飛んだ。


定勝は大いに驚き、秀忠と幻影にしっかりと礼を言って、さらなる忠誠を誓った。


しかし幻影と秀忠は手を合わせただけで、長居をしても邪魔になるだけと幻影は言い、秀忠とともに早々に江戸に戻った。



「…御屋形様の意志を継ぎ、

 直江兼続公の意志も継ごう…

 初めてお会いしたが、腰が抜けそうじゃった…」


定勝は率直な意見を兼良に告げ、弱々しい笑みを浮かべた。


「高貴なお方の家老…

 一体、そのお方はどなたなのじゃ?」


定勝が興味を持って聞くと、「聞かされておりません」と兼良は言って頭を下げた。


「ですが察するに、

 まだまだ未熟な私を家老にということは、

 まだ幼きご落胤、かと…」


兼良の言葉に定勝は目を見開いた。


「…うかつなことは言えんようになったぁー…」と定勝は大いに眉を下げて言った。


「…ですが祖父の見栄っ張りにも飽きれました…

 私は家老の孫でしかないのに、

 まるでご落胤扱いです…」


兼良はあまり言いたくはなかったが、愚痴をこぼすように言った。


「…兼続公は敵も多かったからな…」と定勝は眉をひそめて小声で言った。


「…人質や暗殺の警戒、でしょうか?」


定勝は何も言わずにうなづいた。


「…だからこそ、一番信頼のおける友に預けたのじゃろうて…」


兼良は父でもあった僧の源益の顔を思い出して、前田源次と被らせた。


「その僧にも、ご落胤がおりました。

 できれば、私の兄になっていただきたいほどの

 穏やかな方でした」


「…ああ、そうだったのか…

 前田源次殿、じゃな?」


兼良はゆっくりとうなづいた。


「堂々と真の名を名乗るほどに雄々しきお方で、

 ほんにお優しい方です。

 伊達政宗公の奥方様にも大いに睨まれました。

 前田源次様も北条政江様も、

 琵琶高願様が幼い時から面倒を見られて、

 弟と妹にされたそうです」


「一番強いとされる、公家と思しき源弁慶殿は?」


「いえ、そのお方にはお会いできませんでした。

 お会いできたのは、琵琶家のご家族の、

 半分程度だと感じました。

 根掘り葉掘りお聞きすると、祖父の二の舞と思いまして」


定勝は、「…それはそうじゃ…」と言ってうなづいてから立ち上がった。


「もう一度言う。

 御屋形様の意志を変えることはありえない。

 早々に土地を確保し、

 琵琶家を招き入れる準備を」


「御意」


定勝が退席してすぐに兼良も退席して、ほぼ出来上がっている、細かい土地の誘致場所の工事要綱などを記すために書室に行った。


今すぐのことではないが、武者諸法度に従って書類が必要になる。


まさに兼良にとっていい経験となっていた。


さらには現地と米沢を繋ぐ街道の土地の誘致も忘れていない。


そして一番の杞憂だったのは、米沢藩とは無関係の越後に町を作ることだった。


戦乱の世であれば越後一国はすべて上杉のものであったのだが、今は違う。


だが、飛び地のように領地はあるので、それをうまくつなげることで、山間にある町の中心に川が流れる関という地に琵琶家の土地を確保できた。


全てが完成してほっとする間もなく、書簡を老中に回した。


さらには琵琶家にも同じものを飛脚を使って送ろうと思い、会津の法源院屋に行くと、「やあ」と気さくに源次に声をかけられた。


どう見ても源次だけしかいないので、「何かご用でもおありだったのでしょうか?」と挨拶もそこそこに聞いた。


「飛脚業見習いだよ」と源次は言って右手を出した。


「御屋形様からの命令でね。

 もう出来上がったはずだから早々に受け取って来いって言われてね。

 しばらくはここと生実を行き来することになると思う。

 頃合いを見計らって、まずは主に謁見してもらってから、

 米沢の殿様から暇をもらって欲しい。

 そのあとは我らと同行するついでに、

 萬幻武流の修行を受けてもらうから。

 基本的には兄者が師匠として修行を担当することになるはずだけど、

 俺は師範代だから、手も口も出すことはあるだろう。

 それと並行して、忠誠心を優先した仲間を集めてもらうことにもなる。

 かなり忙しいけど、君にならできるだろう」


まさに目の回るほどの忙しさだと感じたが、兼良は胸を張って、「はい、よろしくお願いします」と言って、厚みのある書簡を源次に渡した。


「はは、さすがだね」と源次は言ってから、「また近々会おう」と言ってその姿が消えた。


まさに忽然と消えてしまったので、兼良は目を見開いてから店内を見回すと、丁稚たちも目を見開いていたので少し笑った。


「前田様…

 前田源次様はいつからここにおられたの?」


兼良が興味を持って、茶を盆にのせて持っている丁稚に聞くと、「今来られたばかりでしたぁー…」と答えた。


「すっごく強いお方にお会いしたことを光栄に思っていますぅー…」という丁稚の言葉に、「ああ、俺もだよ」と兼良はすぐさま同意した。



その近々は翌日の昼だった。


琵琶一族が、忠勝のお悔みと定勝の謁見にやってきたのだ。


兼良はすぐさま呼ばれて謁見の間に駆け込んで、すぐさま坐して頭を下げた。


「兼良、よくやった」とまずは信長が声を上げた。


「はっ ありがとうございます」と兼良は頭を下げたまま答えた。


「兼良、面を上げよ」と定勝が言うと、兼良は顔を上げて、琵琶一族を見入った。


全員が若いことに今気づいた。


天狗の力だとは聞いていたが、これも琵琶家の七不思議のひとつに上げられている。


一番の年長と思しき琵琶信影ですら、まだ三十に手が届いていないと思わせるほどに若い。


それよりも少々年配に見える光秀を見てから、その隣にいるお静を見た。


そしてその隣には、利発そうな男子の竹松が、兼良に笑みを向けていた。


幻影はその前に座っていて、蘭丸との間に阿利渚を挟んでいる。


その隣には妙栄尼がいる。


幻影の少し前に信長と濃姫、その隣に長春と政江が座っている。


一番後ろには屈強そうな武士数名と、子供たちの世話係のお香と女官一名がいる。


更に圧巻は、どう見てもこの中で一番怖いと感じた、部屋の一番奥に陣取っている、源次の隣にいる源弁慶だった。


その存在感は群を抜いていて、挨拶をしなくても兼良は察することができていた。


さらには、琵琶家の一員ではない役人らしき者が三人いる。


兼良の正面の一番奥にいるのだが、―― 幕府の役人… ―― と兼良は感じた。


そしてこの部屋には甘い香りが漂っている。


その発生源は、妙にうれしそうな顔をして腰を振っている小姓の前にうず高く積まれた土産物から発していた。



ここからは一方的に定勝が来城の礼を信長に向けて述べた。


そして話の途中で、「仕事をしに来たんだがな」というと、定勝は大いに怯えて、謁見はいとも簡単に終了した。


兼良にはすぐさま源次が寄り添ってきて、「まさか今日だとは思ってもいなかった」と陽気に話しかけてきた。


「下見は終わっておる。

 まずは街道から整備していくからな」


白い鎧姿になった信長の言葉に従って、巨大な作業車を幻影と弁慶のふたりだけで運んできて、兼良が細い荒縄を張っていた新しい街道の上を走らせた。


まさに圧巻で、兼良も源次の指導のもとに、巨大な整地車を引っ張った。


わずかこれだけの人数で引けるとは思ってもいないほどに巨大なものだが、谷に頑強な吊り橋をかけながらも、わずか一時で、目的地の関に到着した。


田園風景がまさに見どころでもある、山並みが美しい地だ。


ここからはふた手に分かれて、街道の仕上げの整地と、屋敷建設の基礎工事と河川の堤防工事を始めた。


機材はすべて運び込まれていて、兼良は源次の指示に従って作業を手伝った。


「予想外に鍛え上げていたようだ」と兼良に言ったのは弁慶だった。


出立前に挨拶だけは交わしていたので、名前と顔の理解は終えていた。



基礎工事が終わってすぐに昼餉となった。


兼良はうまい麺類などを大いに食らった。


興味を持ってやってきた農民たちにも振舞い始めて、琵琶家がこの地に屋敷を建てることに大いに驚いていた。


「…うまそうな匂いがする…」と幻影は言って笑みを浮かべて山並みを見入った。


そして、「地図によると、あの山も米沢藩のものってことでいいんだよね?」と幻影が指を差して気さくに聞くと、「はい、間違いございません」と兼良は答えた。


さらにはこの地は反物づくりも盛んで、上質なものを輩出している。


全てはこの地の特産の青苧あおそで、まさに武家相手の高額の取引がされている。


さらには米、漆、紅花、真綿、蝋の特産品もあることで、まさに一部は裕福だし、米沢藩の大いなる資金源となっている。


佐渡金銀山を失った上杉家は大きな痛手を負っていたが、それも昔の話だ。


まさに特産品を使って地道にこの関から米沢を発展させたいと考えた兼良の思惑を幻影はひしひしと感じていた。


「政治的にも、先見の明があるね。

 兼続はもう少し考えればよかったのに…

 俺に固執しすぎて、周りが見えていなかったようだ」


幻影は山並みを見つめながら言った。



すると幻影が、今日の作業は終わりと言って姿を消した。


「うまい匂いとか言っておったな」と信長は言って鼻で笑った。


「山には野生の果実なども豊富ですが…」と兼良がつぶやくと、「価値は山そのものじゃろうて」と信長は謎かけのように言った。


「じゃが、それだけでは民が幸せになれるとは限らん。

 まずは幕府がそれをどうするかにかかっておるだろうからな」


信長が役人たちをにらむと、ふたりは大いに身を震わせ、代表者の守山は大いに苦笑いを浮かべていた。


「ワシら琵琶家がここまで大きくなれたのは、

 幻影の鼻の良さじゃ。

 やつの鼻は、金目のもののにおいをかぎ分けられるようじゃ。

 米沢の未来は、それなりに明るくなるやもしれぬな」


「…金目のもののにおい…

 それが山に…」


兼良は言って、―― 鉱山か… ―― と思い理解を終えた。


「ほらほら、延べ板!」と長春が陽気に三つの延べ板を兼良に見せた。


ふたつは銀色で銀と白金、もうひとつは黄金だった。


「こういったものを軍資金にして、

 ワシたちはこの肉体を得たようなものじゃ。

 あとはみっちりと働けば、

 いくらでも銭は手に入るからな」


兼良は琵琶家の神髄をようやく知った。


そしてその道は甘くなかったと大いに思い知った。



琵琶家はまた定勝に謁見した。


そして幻影は定勝に、金と銀の延べ板を数個献上した。


「関の近隣の地で発掘して精製したものです」


幻影の言葉に、誰もが目を見開いている中で、信長だけは高笑いをしていた。


定勝は言葉を発することができずに、黄金と銀を見入っていた。


「カネは何とでもなるでしょう。

 ですが温存することも重要だし、

 幕府の役人がいることで、公にもしました。

 幕府が取り上げるというのなら、

 この真田幻影がそれを阻止する」


幻影の言葉に、「そんな無碍なことはさせないから…」と守山がすぐさま答えた。


「そうだよな。

 争いになるようなことは、幕府も避けたいだろうからな。

 公言することだけで、簡単に回避できることも多い。

 だからこそあえて公表させていただきました」


幻影の言葉に、定勝は大いに理解を示して、深く礼を言った。


そして、「鉱山は琵琶家に一任する」と自分自身にも厳しい言葉を放った。


「面倒事は琵琶家に押し付けて、

 上前だけをはねよるか」


信長の言葉に、「いえ、そのようなことは決して」と定勝は大いに戸惑って答えて、兼良に懇願の目を向けた。


「良案はございません。

 ですが、琵琶家の方々との信頼関係が、

 全てを丸く収めることになろうかと。

 琵琶家にとって、黄金や銀など、ただの金属にすぎませぬ。

 その肉体こそが、琵琶家にとっての宝なのです」


兼良の言葉に、女性たちが一斉に拍手をした。


「…そうなのだろうな…

 いや、作業を見ていてそうだと思っておった…

 大量の貴金属を持っておれば、

 働くことなど考えぬ。

 じゃが、琵琶家一同は人ならざる力を持ち大いに働いておる。

 まさに、その労働を見せつけ、

 まずは働ける喜びを知らせる。

 そしてうまいものを大いに食う。

 それを多くの民が真似をしてくれたら、

 平和は簡単にやってこよう」


「質が悪いのは、善人面した欲を持った輩だ。

 この欲を、ワシたちは撃退する必要があるのじゃ。

 その欲を止めるために、相手を傷つけてしまうかもしれんが、

 それを極力減らすために幻影が萬幻武流を立ち上げたのじゃ。

 どのような相手が来ようとも、

 人ではなく欲を撃退できるようにとな」


信長が語ると、「…どこにもない、さらに進化を遂げた流派…」と定勝がつぶやいた。


「平和を見据えた流派じゃ」と信長が堂々と言うと、誰もが一斉に頭を下げた。


「…兼良の件、どうにかならない?」と定勝が懇願の目を信長に向けると、「直江兼良の心ひとつ」と信長は堂々と言い放った。


「仕官することに決めております。

 どうかお暇をいただきたく」


兼良の言葉に、定勝は苦汁を飲んだが、これは欲だと思い、「…それなりにすごい人、紹介してくれない?」と定勝は下手に出て言った。


「それなり以上は我らが雇うから、

 それ以外の者をあてがってやろう。

 だが、期待はせぬことじゃ。

 忠誠心も、大いに武器になるはずじゃから、

 今いる配下たちによき指導を与えろ」


信長は言って、定勝の家老たちを見た。


「ご意見番として、果報寺の源益様をご推薦いたします。

 少々ご老体ですが、上杉家のことはよくご存じのようですので」


兼良の言葉に、「ん? 住職ではないよな?」と定勝が怪訝そうに聞くと、「前田利益様でございます」と笑みを浮かべて答えた。


「…伝説が、この地におったかぁー…」と定勝は喜ぶよりも大いに嘆いた。


「あ、よい人選じゃ。

 あやつの寿命もしばらくは持つじゃろうて。

 その間に、良き者を紹介できればいいな」


信長は言ってにやりと笑った。


「…目立った武勲は上げておらん…

 だが、実は多くの武勲を上げておることはあとで知った…

 そのすべてをわからぬように、

 近くにいた者に託しておったそうじゃ…

 …兼続亡き後、消えてしまいよったそうじゃが、

 まさか仏門にいようとは…」


「昼から酒を食らっておりました」と兼良が言うと、琵琶一家は一斉に笑った。


「…これは酒などではない、金剛水だと言い切っていました…

 そして、見た目は確かに年相応ですが、

 鍛え上げてはいるようです。

 私の見立てでは心身共に健康だと察しました」


「よくわかった。

 後ほど会いに行こう」


定勝の言葉に、兼良はすぐさま頭を下げた。



謁見を終えて、兼良は免職届を出して受理され、晴れて自由の身となった。


そして源次と肩を並べて法源院屋に行った。


兼良はまずは自分の殿様と思っていたのだが、長春が変わったものを出して生地を作り上げている姿を見て目を見開いた。


まさに小さな機織り機を器用に扱って、まるで湧いて出るように純白の生地が噴出している。


―― これも、琵琶家の力か… ―― と兼良は感慨深く思って、自分の仕える殿様の件は忘れていた。


そして政江も組紐台を出していて、こちらも意味不明なほどの素早さで編んでいく。


竹松が兼良に寄り添って、「ずっと見ていたいよね」と笑みを浮かべて言った。


「なんか、すごいよね…」と兼良は大いに眉を下げて言った。


「こんなに早くできないぃー…」などと阿利渚は嘆きながらも、色とりどりの生地を生み出している。


まだ三才児程度なのに、熟練工にしか見えないほど、琵琶家の面々は優れた技術を持っていた。


出来上がった生地と組紐は、妙栄尼たちが裁断して縫い上げ、今はお守りを作っている。


関の地にも荒れ果てた寺があり、女官たちはその境内などを重点的に掃除をしていたことを思い出していた。


「山の麓にある寺だが、名がないように見えたが?」と幻影が兼良に聞くと、「それが昔からあの場にあるようなのですが、宗派も何もかもわからないのです」と兼良はまず言った。


「今回の工事計画にも入っていますので、

 再建立も含めて工事は可能です」


「…また見つけた、かもな…」と幻影が意味ありげに言うと、「今回は皆目わかりませんが、地面を掘ってはおりませんので」と妙栄尼が言った。


「長春は?」と幻影が聞くと、機織り機から眼を離して、眉を八の字にして幻影を見た。


「…長春の予感もなし、か…

 これは難解かもしれんな…

 だが、本堂の形は崩れていてもわかるから、

 再建立して現楽涅槃寺とする」


幻影の言葉に、―― 再建立後の準備… ―― と兼良はようやく理解できた。


「今回も社務所らしきものがあるんだけど、

 柱が四本立っていたってことしかわからなかったわ。

 崩れた社務所の残骸は、全部土に返っちゃったみたい」


妙栄尼が眉を下げて言うと、「何とか解明しましょう」と幻影は明るく言った。



昼餉をむさぼったあと、仕事ではなく関の荒れ寺に出向いた。


妙にすっきりしていて、崩れて倒れてしまっている本堂らしきものが妙に痛々しく悲しげに見える。


幻影はその瓦礫を確認しながら一周して、戦車から大きな机を出して、和紙を出して絵を描き始めた。


「…あら? 松山の現楽涅槃寺と同じ…」と妙栄尼は笑みを浮かべて手を合わせた。


「ほぼ確実に空雲和尚が建立したものでしょう。

 この瓦礫の中に寝仏像があればほぼ確実です」


すると家族たちが、まずは屋根の瓦礫を丁寧に取り除いて解体していく。


これは仕事ではなく冒険や探検のひとつらしいと兼良は源次から聞いていたので、兼良も邪魔にならないように手伝った。


瓦礫は多くの謎を語ってくれていて、柱などに梵字が刻まれていた。


幻影は笑みを浮かべてそれをすべて翻訳していく。


そして、「あったあった!」と喜びの声を竹松が上げて戦利品を持ちあげた。


子供でも持てるほどの小さな寝仏像だった。


「竹松! よくやりました!」とお静は堂々と竹松を褒めた。


「…誰かが見つけていましたから…」と竹松は大いに眉を下げて言った。


あまりにもすごい剣幕で褒められたので、逆に恐縮して恥ずかしくなったようだ。


「…いいえ、喜んでおけばいいのですよ…」と妙栄尼は穏やかに言って手のひらを合わせた。


この寝仏像には仕掛けがあって、底になる部分が開くような細工が施されていた。


幻影が竹松に指示して開けさせると、黄色く変色した折りたたまれた和紙が出てきた。


確実に何かを書いてあって、竹松は机の上に和紙を置いて慎重に広げた。


ここには梵字がびっしりと書いてあって、さすがに読めない竹松は大いに眉を下げた。


しかし幻影が笑みを浮かべて竹松の頭をなでてから、すらすらと書を認めていく。


「間違いなく空雲和尚が建立した現楽涅槃寺だ」と幻影は笑みを浮かべて言った。


「ここに我らが住む意味はあったな」と信長は言って何度もうなづいた。


書かれていたものは、現楽涅槃寺に残されていたものとほぼ同じだったが、伴侶を得たことが書かれてあった。


「…上杉憲顕の娘、於彩と婚姻…」と幻影は言って大いに苦笑いを浮かべた。


「…ああ… …ああ…」と妙栄尼は涙を流して手のひらを合わせて、この感動を薄笑みを浮かべて表現した。


「…空雲和尚は俺のすっげえ昔の爺ちゃんだったかぁー…」と幻影が大いに嘆くように言うと、信長が大いに笑って幻影の肩を何度も叩いた。


「阿国が何度も仏門に入れと言ったことがようやく証明されたようなものだな」


信長の言葉に、「…入りませんから…」と幻影は大いに眉を下げて答えた。


「じゃが、長い間この国にいたはずじゃ。

 この国の文字で書かれていてもおかしくはないと思ったが…」


「…照れ臭かったようにも思うのです…」と幻影が言うと、誰もが納得していた。


「内容は同じですが、梵字に明らかな変化が見えるのです。

 少々力が入り過ぎていたり、

 その逆に弱くなったりと。

 松山ではそれは感じませんでした。

 どうらや於彩様は魅力的な女官だったのでしょうね。

 ですが空雲和尚の想いは、

 仏陀の考えていたことを体感したいことだけは変わっていないようです」


「…謙信は阿国にすべてを託した…

 仏教を怪訝に思っていたが、

 何をどうすればいいのか思い浮かばなかった…

 それをどう解釈するのかは、

 その思いを引き継いだ幻影と阿国が解明したということでいいようじゃ。

 よって、謙信あってこそ今があるともいえるじゃろう」


信長の言葉に、「…はい… お父様のお言葉がなければ、幻影を産んではいなかったでしょう…」と妙栄尼はまだ涙を流している。


信長は寺の建立を第一にと指示した。


そして近隣の農家から数名を雇って、お守りなどを置いている社務所の番を頼んだ。


この事実はすべて、また看板にして立て、書に認めた同じものを幻影が書き上げてから兼良に渡して、「登城して殿様に渡してきてくれ」と使いを頼んだ。



その兼良は定勝と馬に乗って寺に戻ってきた。


そして境内に入って来て、大勢の配下とともに手を合わせた。


定勝にとって、全く無視できない一大事だけあって、ここは妙栄尼の信じる仏門に入ることになった。


米沢上杉家と真田幻影のかなり遠いが親戚関係が築かれたことにもなるからだ。


「…頭ごなしは、この事実があったからかなぁー…

 まあ、本人の欲が先走っていたことは否めないが…」


幻影は頭を下げている兼続の姿を思い出して、少し哀れに感じていた。


「このような事実があると薄くでも感じていたら、

 それを告げていたはずじゃ。

 じゃから兼続の想いと史実は別物じゃ」


信長の言葉に、幻影は大いに納得して頭を下げた。



この事実は早速定勝によって言いふらされ、大名たちは一斉に米沢に注目するようになった。


しかも、琵琶家が越後村上の関に住まうという。


真っ先に反応したのは藤堂高虎で、この六日後に関にやってきた。


幻影たちは一度生実に戻ったのだが、今日は御殿を建てるためにまた関にやってきていた。


「…おまえ、ほんと暇だな…」という幻影のあきれ返った言葉に、「…おまえも大名になれぇー…」と高虎はうなった。


「ふん、やなこった」と幻影はすぐさま答えた。


「俺がもし、武家として再起を果たすのなら、

 武田であることが武家の常識だろ?」


「…武田家をお前が再興しろぉー…」


「だからやらんと言っている。

 俺の血などどうでもいいことなんだ。

 俺はお師様に俺自身をいただいたようなものだ。

 だから師の意志をついで、

 真田家を大いに盛り立てることになるかもな」


「…うう… 真田とは、それほど仲が良くないぃー…」と高虎は大いに困惑して嘆いた。


「おまえの好き嫌いに付き合ってる暇はないんだ…」と幻影は大いにあきれ返って言った。


「高虎、ここが最後の地ではないんだぞ」


信長の言葉に、高虎は目を覚ましたように、「はっ! 御屋形様!」と言って素早く頭を下げ、「では次は伊勢でお願い申す」と胸を張って言った。


「安土に近いから、それはかなり先じゃと言った」


信長の無碍な言葉に、高虎は大いにうなだれた。


「嘉明のヤツが会津に来ることはほぼ決まっておるのですぞ?!」


この話は幻影たちも聞いて知っている。


「ヤツとはなかなか深い縁があるようじゃな」と信長がにやりと笑って言うと、高虎は大いにうなだれた。


「我らが嫁もここにおるし」


高虎はすぐに沙織を見て、「…うー…」と低くうなった。


「家名を気になさることはお父様のお仕事です。

 私は何とも思っておりませぬ。

 みなもとの、さらには琵琶の姓を名乗れる幸せは、

 私だけのものでございます」


沙織は言って、弁慶に笑みを向けると、弁慶は、「あははは…」と大いに照れて笑った。


「…源… 源! 源弁慶!!!」と高虎は大いに叫んで弁慶を見入った。


「第三回の喧嘩祭りに出て戦えばいい。

 何なら若返らせるぞ」


幻影の気さくな言葉に、「…うー…」と高虎はまたうなり始めた。


「名実ともに最強の源のはずだ。

 公家は特に、大いに気にするからな。

 徳川家康も、今は源家康だし」


「そうであったのかぁ―――っ?!」と高虎は大いに騒ぎ始めた。


「おまえも墓参りに行っただろ…

 きちんと彫ってあったぞ…」


幻影は大いにあきれ返って言うと、「御屋形様、ぜひとも配下に」と高虎は言って頭を下げた。


「ふむ、よいぞ」と信長は簡単に承諾して、数々の条件を述べると、高虎は大いに尻込みしてからうなだれた。


「ある意味我らは血族には冷たいヤツらばかりだ。

 人情に篤いお前には確実にできないと思っておるからな。

 平和になった今はなおさらだ。

 物見遊山に行く場合、

 水行する場合は伊勢には案外行きやすいから、

 用がなくても寄ってやることにしてやろう」


信長の言葉に、「…おおー… ありがたいぃー…」と高虎はうなって頭を下げた。



この関は藩としては村上藩の中にある米沢藩の飛び地だ。


よって、工事を始めたことを知って、村上藩の藩士たちがやってきたのだが、米沢藩主がいたことで、ほとんど何も言わずに村上城に戻った。


村上藩の前の藩主であった村上忠勝は幕府と折り合いが悪く、金山を持っていたことを隠していたことにより、丹波篠山に流刑となった。


幻影が金や銀が発掘したことで気にしていたのは、この件があったことによる。


そのあと、村上藩は堀直寄が引きついだ。


しかし直寄も野望でもあったのか、村上城を大きくしようと城の増築を始めたのはいいが、幕府からの命により、兵を多く集める必要ができてしまい、藩政が思うようにならなくなり始めた。


よって何とか琵琶家に頼ろうと使いを出したのはいいのだが、時期悪く上杉定勝と鉢合わせしてしまったのだ。


定勝は兵を割いて、この関に兵舎を建てることに決めた。


この関の町を守る人材を簡単に確保できることになった信長は、二つ返事で承諾した。


さらには、書簡にて法源院屋に向け、定勝が言いふらした内容をさらに言いふらした。


幻影は大いに眉を下げていたが、信長と妙栄尼は涼しい顔をしていた。


特に村上や新発田からは大勢の者たちがやってきたが、まだ町はできていないと知るや早々に帰って行った。


「…上客が何人もいただろうに…」と信長は大いに悔しがったが、「…まずはこの関の特産を考えましょう…」と幻影は眉を下げて言った。


しかし信長は今まで作った菓子を山ほど作って、新発田城下にある法源院屋に卸した。


まさに店内と店先は蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、わずか一日でふた月分の売り上げが上がったことで、店主は夜通し泣いたという。


まさに、琵琶家の力を見せつけたことになる。


いいものが安くてうまい。


まさに真実の食い物を見せつけたことになる。


今回は琵琶御殿と道場を建て終わったところで、一旦生実に戻った。



戻れば戻ったで、街道沿いに住む者たちが大いに憂鬱そうな顔をする。


しかし琵琶家の面々は、安土と松山の経験を生かして、「家はここにいある」とだけ言って、すべての者を安心させた。


夕餉の時間、幻影が、「関はこれから寒くなってから少々問題があります」と言うと、「ああ、雪か」と信長はすぐに察して言った。


「我らが行った時にだけ、雪かきをして回ればよい。

 戦車を走らせれば何とでもなるだろ?」


「ああ、そういえば一度作りました。

 巨大な魚の骨のような戦車です。

 大勢の人たちと押して、

 土砂崩れがあった街道の土砂を、

 あっという間に片づけました」


信長は少し考えて笑みを浮かべてから、「まだ安土城があったころのことか…」と穏やかに言った。


「…懐かしいですなぁー…」と、その時の仕事の依頼者の光秀が言った。


「安全だけ確認すれば、

 何とでもなると思います。

 もちろん、近隣住人の協力は不可欠でしょう。

 もっともそれを見込んで、

 あちらの御殿は川の堤防の高さにあわせましたからね。

 どれほど雪が降ろうと、それほど問題はないと思います」


「…雪見酒、いいな…」と信長は笑みを浮かべて言った。


「山の掃除がてら、薪を集めておいた方がよさそうですね。

 次は工房と納屋を作っておいた方がよさそうです。

 あとは近隣の住人に、冬の様子も聞くことにしましょう。

 あ、そうか…

 本堂がつぶれていたのは、雪の重みか…」


信長は納得したようでうなづきながら、「松山の方が古いのに普通に建っておったからな」と言った。


「…御殿の屋根ですが、少々工夫をしましょう…」と幻影は言って、素早く食事を終えてから、絵を描き始めた。


「美濃の白川郷か」と信長は言って笑みを浮かべた。


「できれば室内を温めて、天井を温かくすれば、雪は水に戻り、

 ある程度は滑り落ちるはずです。

 寺の本堂も少々考えた方がよさそうですね…」


「土地は広い。

 角度のある屋根の、大きな庵で囲えばいいのではないか?

 どこの寺にも、そんなものはないから、面白そうじゃ。

 もっとも、強度を考えて建てる必要があるがな」


幻影はさらに考え込んで、寺の境内を思い浮かべて、少々変わった絵を描いた。


「…なるほどな…

 辺りの高い木を利用して傾斜をつけた幕を張る…

 これでいいのではないか?

 可動式にすればなおいいだろう。

 軽業興業所の屋根のように」


幻影は信長の言葉をさらに採用して、現在の建築技術では創りえない絵を描いた。


「…神秘的でよい…」という信長のひと言ですべてが決まった。


同じような条件のこの近くにある寺で実際に作り上げ、何も問題のないことを確認した。


もし大雨でも降れば、幕を張って大きな雨宿り場にすることも可能だ。


「…開発速度、上がってるよね?」と秀忠が眉を下げて言った。


「今回は特別だよ…

 それに兼良の件もあるからね。

 この生実と関を行き来しながら生活するかもね。

 少々遠いから、中間点にもうひとつ町を設けてもいいほどなんだ」


幻影の言葉に、「よきに計らえ!」と信長がかなり陽気に叫んだ。


「…中間だと…」と秀忠は言いながらも、幻影が書き上げてた日の国の地図を見てから、「下野?」と聞いた。


「そうだね。

 候補は中禅寺湖。

 ここも物見遊山には最適だろう。

 仙台も手を入れていくから、

 北の方はしばらくは手を入れなくてよくなりそうだ」


「…やっぱ、親戚関係の強みはあるよなぁー…」と秀忠が言うと、「絆の兄弟」と幻影が力強く言った。


「…うん、うらやましく思うよ…」と秀忠は眉を下げて言った。



「…旦那様は養子だよ?」と長春が言うと、幻影は少し笑って、「そうだったな」と言って同意した。


「織田藤十郎、かっこいいなぁー…」と幻影が言うと、藤十郎は大いに照れていて、信長と濃姫は笑みを浮かべてうなづいた。


「幻影もたまには織田を名乗れ。

 気が向いた時だけでよい」


「はっ ありがたき幸せ」と幻影は心の底から喜んだが、蘭丸が大いに泣き崩れて、「幻影と婚姻してよかったぁ―――っ!!!」と大いに叫んだ。


まさに蘭丸の願いがなかったと言っていい出来事となった。


「もう、織田蘭丸でいいんじゃないの?」と幻影が言うと、「…うん、うん…」と大いにかわいらしくなってうなづいている。


「…聞かれなくても誰にでも名乗るな…」と信長が眉を下げてつぶやくと、家族たちは大いに笑った。


「…言っとくが、高虎の耳に入らない程度で頼むぞ…

 …大いに面倒だから…」


「…織田阿利渚… 好きぃー…」と阿利渚が言って、信長に甘えに行った。


「そうか、そうか」と信長は大いに目尻を下げて阿利渚の頭をなでた。


「…ダメだ… 阿利渚から確実に漏れる…」と幻影は大いに眉を下げたが、腹をくくれば何でもないことだった。



仙台から鳩が飛んできて、抜かりなく準備ができたということで、琵琶一家は生実から水行で仙台に向かった。


日光での警備の礼としての、城下周りの街道の整備を行うことに決めていた。


琵琶一行はいとも簡単に仙台にたどり着き、海上からでも青葉城の雄々しき姿の確認ができた。


港には政宗を筆頭にして、まさに戦に行くほどの大勢の家臣たちが待ち受けていた。


もちろん、政江が怖いからに決まっている。


これは政宗の意志ではなく、家臣側から言い始めたことだ。


「…気が引けそうなほど壮観だな…」と幻影が笑みを浮かべて言うと、「この程度、当り前です」と政江は笑みを浮かべて言った。


「…でも、お城が見えなくなっちゃったよ?」と長春が悲し気に言うと、政江が席を立って、拡声の管を手に取って、「景色が台無しよ!」と一声吠えた。


すると波が引くように、馬が道を開けていき、また雄々しき青葉城の姿があらわになった。


「…きれー…」と長春が大いに感動していると、政江は自慢げな顔をして座った。


「…相当に怖ええんだな…」と幻影があきれ返って言うと、信長は腹を抱えて笑っていた。



家族総出で戦艦を丘に上げている姿を、政宗たちは見ているほかなかった。


琵琶家の家人ひとりひとりが、ここにいる伊達家家臣たち全員に匹敵していると思わせるほどに雄々しいので、手が出せないのだ。


もちろん政宗はわかっているので手を出すことはなく、見守っているだけだ。


「手伝いなしとは呆れてものが言えないし恥ずかしいわ」と政江がまた挑発すると、「…すまん…」とだけ政宗は言って頭を垂れた。


「政江、よいよい!」と信長がすぐに口を挟んで、素早く馬から降りた政宗と挨拶を交わした。


「みなさんはさらに雄々しくなられた」という政宗の最高の誉め言葉に、「ああ、色々と始めたのでな」と信長は機嫌よく言った。


「中善寺にも町を作るのよ!」と長春が叫ぶと、「なんとっ!!!」と政宗は大いに叫んだ。


もちろん、この仙台辺りにも琵琶家の町を作ってもらいたいつもりもあって話をしたいほどだったのだ。


「こらこら、まだ決まってないぞ」と幻影が眉を下げて言うと、「兄者、ご機嫌麗しく」と政宗が言って首を垂れると、家臣たちも一斉に頭を垂れた。


まさに幻影は、武人たちにとってあこがれでもあるからだ。


「久しくこっちには来ていなかったからな、

 まさに素晴らしい!」


幻影の最高の誉め言葉に、伊達の軍はまた一斉に頭を下げた。


「だからここに、琵琶家が住む必要はない」


幻影の言葉に、信長と政江がまずは大いに笑い始めた。


「まだ先だろうが、住むとすればさらに北の盛岡、弘前、と言ったところだろうな。

 しかもその近隣の田舎」


「…盛岡にすればよかったかぁー…」と政宗は大いに嘆いた。


「まずは食事を摂らせてくれ。

 さあ、行くぞ」


幻影は言って、戦車に乗り込んだ。


政宗が先導する騎馬隊が戦車を先導して、青葉城に招き入れた。



貴賓室で昼餉の会が始まったが、「こんなものを私たちに食べさせるのですか?!」とひと口食べた政江が大いに叫んだ。


「だったら政江が作れ」という幻影の厳しい言葉に、「…言い過ぎちゃった…」と政江は大いにうなだれた。


「だが、御屋形様も叫びだしそうなので、厨房を借りるぞ」と幻影は言って席を立って、数名がすぐさま従った。


「最近、口が肥え過ぎていてな。

 よくはないとは思いながらも、

 食事は幻影たちに任せているのだ。

 確実に、我らを笑みにするものばかりが出てくるからな」


信長の比較的穏やかな言葉に、「…至らなく、本当に申し訳なく思います…」と政宗は眉を下げて頭も下げた。


しばらくして、さっそく前菜の麺類が配膳され、誰もが大いに笑みを浮かべて食らい始めた。


そして見た目は少々庶民的なものばかりが配膳されたが、「なんといううまさだ!」と信長は大いに叫んで、鳥の竜田揚げ料理を大いに褒め、さらにはさつま揚げにも目を見開いて、「…今までのさつま揚げを食えなくなるものを出すんじゃないぃー…」と今度は嘆きながらも感動して大いに食らい始めた。


政宗も幻影の料理を食ってようやく気付いた。


今まで食っていたものは何だったのかと。


もちろん、その杞憂を失くすために、この厨房を預かっている調理人たちにも調理方法を伝授したので、それほどの問題は起こらない。


食後のお茶うけの菓子や果実菓子などにも大いに感動して、満足した昼餉を終えた。


「お兄様は食からも、誰もを幸せになさるの。

 その程度は気付いていて当然ですわ」


政江の言葉に、「それを無理強いすることはないんだ」と幻影がすぐさま政江を戒めた。


「今食ったものは、素材の素晴らしさにあっただけだ。

 だが庶民はそうではない。

 しかしそれほどでもない素材を生かすのが料理人の腕と発想だ。

 ここの料理人たちにも話したが、

 さて、どれほど再現してくれるものか…」


幻影の言葉に、「向上心無き者は暇を出すのみ!」と政宗が叫んだ。


「ま、自尊心を大いに傷つけたからね…

 だが、手伝いの子たちの半数以上が受け継ぐはずだから、

 問題はなさそうだぞ」


まさに明るい話題に、「…ああ、よかった…」と政宗は笑みを浮かべて言った。


「その手伝いの子だけどな、

 琵琶家で雇うことになるかもしれんから、

 覚悟しておいて欲しい。

 もちろん、引き抜きではなく、

 ここの職から身を引いて、

 琵琶家で働くわけだ。

 調理人の師匠弟子制度は、

 どこに行ってもそれほど変わらん。

 弟子の資質を師匠が潰すんだよ。

 だから一向にうまいものにありつくことはできないんだ。

 政宗の仕事は、結果を責めるのではなく、

 その工程を詳しく知って、

 指導、指摘することだ。

 どのようなことにおいても、それほど変わらんことだぞ」


幻影の説教に、政宗は少し肩を落として、「…ご指導、骨身にしみました…」と穏やかに言った。


「弟たちに説教するのは、兄の役目だからな」という幻影のまさに兄の言葉に、政宗は大いに感動していた。



城が広いぶん、城下町も広いし、街道も多い。


しかし広い分作業は大いにはかどって、わずか一日で街道は生まれ変わった。


さらには雨水用の溝掘りをして仕上げれば、数年以上は今を維持できることになる。


琵琶一族はこの地仙台の法源院屋に行って、取引のある庄屋を紹介してもらった。


もちろん、売り物にならないものを買い取るためだ。


まさかのことに店主は大いに喜んで、数軒の庄屋を紹介して、店主自らが案内を受け持った。


幻影たちはその場その場で、食材を買い込んでは菓子や保存食に変えていく。


さらには法源院屋に多くの菓子などを売って、今日のところは粗稼ぎをさせた。


もちろん話題作りなので、明日からは比較的質素な販売に変えることになる。


港には明日行くことにして、城に戻ると、調理人が半数になっていた。


よって幻影たちが大いに指導だけをして料理を出させた。


「…あー… さすが兄者だ… 本当にうまい…」と政宗が大いに感動して言った。


「俺たちは手を出していない」という幻影の言葉に、「…まさか、もう、ここまで…」と政宗は大いに目を見開いた。


「持っている資質を発揮させただけだ。

 あとは人手が足りないから求人を出した方がいいな。

 厳しいだけでは、うまく回らないものなんだよ」


政宗はまた大いに勉強になり、幻影のように直接面接に当たることに決めた。



翌日、琵琶家一行はすべての作業を終えて、今日は魚河岸に行って、廃棄寸前の安い魚ばかりを大量に買って、さつま揚げづくりと菓子作りを並行して行った。


今は城内の中庭を借りて作業をしているのだが、城で働いている者たちが落ち着かなくなっていた。


さらには昨日、小豆、もち米などが安く手に入ったので、おこわやら羊羹やらと、腹持ちのいいものが続々と出来上がる。


城下に住む者たちは祭りでもあるのかと思いながらも、青葉城を囲んでいた。


真っ先に味見をした政宗は、「…これは、庶民の食べ物ではない…」と言って大いに苦笑いを浮かべた。


「そのおこわはその量で十銭だぞ」


幻影の言葉に、「…一般庶民というよりも、子供の小遣い銭だ…」と政宗は言って大いに苦笑いを浮かべた。


「その値で売っても儲けは出るんだ。

 欲をかかなきゃ、みんなが幸せになって平和も訪れやすいというものさ」


などと幻影は言いながらもそばを打っている。


もちろん琵琶家の夕餉なのだが、城の外でも露店を設けて商売をする。


店の者が運ぶのではなく、客にどんぶりを持たせて移動させて流れ作業にする。


こうすることで、店員は三人だけで十分なのだ。


まずは銭を受け取る者。


次に麺をゆでてどんぶりに入れる者。


最後に出汁と薬味を入れる者。


こうすることで、かなりの速度で客をさばくことが可能だ。


どんぶりは決められた場所に戻させることになるので、洗い場にニ三人いればいいだけだ。


青葉城城下は、まさに食のお祭り騒ぎとなって、庶民たちの腹を大いに満たした。


法源院屋も大いに売り上げを伸ばし、その相乗効果でほかの店も売り上げが上がった。


その分、藩は税を多く受け取ることができるので、困るものは誰もいなくなるわけだ。


この日だけの売り上げだけで、仙台藩は大いに潤ったことになる。


それをわずか十余名の琵琶一族だけでやってのけたのだ。


よってまた、琵琶一族の名声が轟き渡ることになった。



冬になる前に関では雪が降り始めた。


琵琶御殿の街道にある商店も無事店開きを終え、降りしきる雪の中でも問題なく店を開けられる喜びに満ち溢れていた。


この一里ほどの街道に、大きな屋根を設置したのだ。


さらには屋根のない街道以外の場所に、時間を決めて除雪車を走らせる。


この作業に子供たちは大いに走り回って喜んでいる。


しかし現地で雇われた大人たちは汗だくだ。


だがその稼ぎで嫌というほどうまい飯が食えるので、誰も文句は言わなかった。


商店街の半分は、機織り工房などの職人の店を多くそろえた。


ここで売れなくても、行商人が売ってくるものもあるので、まるで問題はない。


数々の織物などは、この関の名産として、安土、松山、生実などでも販売することに決まった。


しかし少々お高いものなので、一般庶民はそれほど手が出ないものだ。


だが見るだけでも目の保養になると、大勢の者たちが店を訪れる。


店主はこういった客も快く受け入れて、茶の接待までする。


まさに高級店だと印象付けて、金持ちの武家を呼び込む算段だ。



世間的には問題はないのだが、やはり村上藩は納得がいかないようで、藩主自らが訪れるのだが、米沢藩藩士に門前払いを食らう。


琵琶家がいない時に来ても、話ができる者がいないからだ。


村上藩藩主、堀直寄は何とかしてこの関の地を手に入れようと、大いに欲を持って考え尽した。


琵琶家が欲に反応することを知っているからこそ、直接琵琶家には話をすることはない。


よって姑息な手段に出ようと、やさぐれ者たちを多く雇ったが、簡単に見破られ、村上城は家光から閉門を食らった。


もちろん忍びが全てを阻止したので、どうしてこうなったのか直寄は全く意味が分からなかった。


そして目をつけられてしまったことで身動きできずに、質素な生活を余儀なくされた。


もちろん琵琶一族はこの件の報告を受けたが、日常を変えることはなく、生実と関の中央に御殿を建てる計画を話し始めた。


さすがに冬で、日光辺りも毎日のように雪に見舞われることもあり、作業がはかどらないこともあり、ただの話し合いだ。


「仙台よりも北に行ってみるかな、寒いけど」


幻影の言葉に、誰もが大いに嫌がった。


家族に不評だったので、ここは幻影と源次だけで旅をすることに決めると、今回に限り弁慶が目を吊り上げて抗議した。


「じゃ、弁慶がお付きで」という幻影の軽い言葉に、信長は大いに笑った。


「弁慶兄は妙に必死だよね?」という源次のこれまた軽い言葉に、「…雪国だと大いに鍛えられるじゃないか…」と唇を尖らせて言った。


家人たちは大いに眉を下げて顔を見合わせた。


「ちなみに、中間地としては上野国前橋藩領にしようかとも考えているのです」


幻影の言葉に、信長は少し考えて、「ああ、それでもよい」と言って何度もうなづいた。


「…前橋藩…」と酒井寅三郎はつぶやいて大いに眉をひそめた。


「知り合いがいると、何かと動きやすいこともあるからね」と幻影は言って、寅三郎の肩を叩いた。


「また別の候補地として、越中にも行ってまいります。

 立山の豪雪は有名ですので。

 冬の間にどれほどなのか見ておきたいのです」


幻影の言葉に、弁慶は大いに眉をひそませた。


まさに、命懸けの旅ではないのかと考え始めたのだ。


「…弁慶が嫌がっとるが?」と信長が瞬時に見抜くと、「…修行不足で申し訳ございません…」と弁慶は正直に言って頭を下げた。


「…ここにいることが天国だって思っちゃった…」と源次も弁慶の想いに賛同していた。


「その豪雪の中でも、生きて行っている人たちがいるんだぜ?」


まさに幻影のこの言葉に、「死なない程度に頑張ります」と弁慶は胸を張って言った。


「ああ、死なせやしないさ」と幻影は言って、弁慶と肩を組んで、部屋を出て行った。


「…そうだな… 一時でも体験しないと、全くわからぬことも多いはず…」と信長は言って何度もうなづいたが、さすがに行くとは言わなかった。



幻影と弁慶は準備を終えて信長に挨拶をした後、さっそく西に向かって飛んで行った。


まずは越中に行くようで、家人たちは大いに眉を下げて見送った。


そのほんのわずかのあと、来客があって、なんと酒井宗家の次期当主、酒井忠行だった。


まさにお忍びのようで、護衛はわずかふたりだった。


それほどに腕が立つとは信長は思えなかったが、代わりはいくらでもいるというような余裕を感じた。


信長自らが忠行を謁見の間に連れて行って、「お目当ての天狗は旅立ったぞ」と先制攻撃をすると、忠行は穏やかに首を振った。


「我が家の者がふたりもお世話になり、

 しかも分家の一員の勝虎は藩主になり申した。

 更に本家の寅三郎においては徳川信幻様の家老。

 全ては琵琶家の後ろ盾があってのこと。

 ここは深く感謝したいと思い、

 正式ではないが、軽い頭を下げに来た」


忠行は言って、しっかりと信長に頭を下げた。


「礼を言われることもない。

 ただただ、真田幻影の弟子となっただけのことだ」


忠行は目を見開いて信長を見た。


「…真田、とおっしゃったか…」と忠行は大いに戸惑っていた。


「琵琶高願の本名は真田幻影。

 やつの師匠が真田信繁。

 ただそれだけのことじゃ」


「…なんと… さらに驚き申した…

 そちらの真田であったか…」


「実はその名もある意味隠れ蓑じゃ。

 こっちは正式ではないが、

 武田幻影と言ってもよかろうな。

 正式に、武田信玄の血を継いでいる唯一じゃろうて」


忠行は声も出なかったが、母が妙栄尼で、上杉謙信の実の娘と聞いて、驚く以上にあきれ返って首を横に振り始めた。


「じゃが幻影は、どっちにもつかず、琵琶家に居座るつもりのようじゃ。

 もっとも、ワシとあやつが琵琶家を立ち上げたのじゃけどな」


「…琵琶信影殿は… 織田信長公であらせられるのか…」と忠行が大いに嘆くと、「ああ、間違いないぞ」と信長は簡単に答えた。


「猿のやつ…

 豊臣秀吉が語ったワシたちの死はすべて大ウソじゃ。

 あやつはワシたちを亡き者にしようとしたわけじゃな。

 だからワシたちからいなくなってやったんじゃ。

 まずは越前を経て江戸に住みついて、

 家康の政治を見守ってから、

 安土に戻って屋敷を建て、

 彦根を大いに盛り立てたわけじゃ…」


信長は今日までの足跡を忠行に語った。


「加藤嘉明と藤堂高虎はすべて知っておる」


まさにこの言葉が決定的だった。


松山を大いに盛り立て、伊勢にもその恩恵を与えている事実はもう忠行は知っていたからだ。


「今となっては夢見話。

 誰も信用することはないじゃろうて」


信長は言って陽気に笑った。


「…うわさが大いに流れ申した…

 家康公は偽物ではないのかと…」


「影武者説は大いにあるな。

 じゃがこれだけは言っておいてやろう。

 徳川秀忠は、松平元康の実の孫じゃ」


忠行は大いに目を見開いた。


家康のことはさておき、秀忠が子ではなく孫だったことにも驚いたのだが、徳川家康ではなく松平元康と信長は言った。


よって、徳川家康は偽物と言ったにも等しいのだ。


「おらんようになった者などどうでもよい。

 今が真の平和であるのなら、それが正しい歴史じゃて」


信長の言葉に、忠行は深く頭を下げた。


「幻影が次は前橋に住むようなことを言っておったから、

 ワシらの町を作る場所の選定をしておいてもらいたいな。

 その候補は、今までに住んでいた場所を参考にしてもらいたい。

 簡単に言えば、多少足を延ばすだけで、

 多くの人を集められる、基本的には田舎の地じゃ」


「請け負いましょう!」と忠行は初めて声を張って答えた。


まさにこの件が本題だったのだ。


その地の選定ももう終えていて、書類もほぼ完成していた。


あとは、『琵琶家居住地』と書き込めば終わりのようなものだった。



話題は一転してキリシタンの話に変わった。


まさに徳川幕府が抱えている一番大きな頭痛の種でもあるからだ。


琵琶家がある程度係わったこともあり、酒井勝虎を送り込んだと忠行は理解していた。


その勝虎が参勤交代のため、まずはこの生実に立ち寄った。


忠行と勝虎はどちらも大いに驚いたので、信長は大いに笑っていた。


そして先代の藩主の大村純葉とも挨拶を交わした。


「何人で来たのじゃ?」と信長がにやりと笑って聞くと、「家臣は十名です」という勝虎の言葉に、信長は笑みを浮かべてうなづき、忠行は目を見開いて驚いている。


「ここには温泉の銭湯もある。

 しばし安らいで、うまいものを食ってから登城すればよい。

 血色のいい顔を見せれば、

 家光も多少は驚くじゃろうて」


「はっ ありがとうございます!」と勝虎と純葉は笑みを浮かべて頭を下げて、顔を見合わせて笑みを浮かべた。


純葉は琵琶家の女官たちが受け持つようで、ぞろぞろとついて行った。


話は終わったとばかり、忠行はさらに礼を言ってから、街道に出て琵琶御殿を見上げてから、笑みを浮かべて江戸に向かって歩いて行った。



この日の日没間際に幻影と弁慶は生実に戻ってきた。


「…暖かい…」と弁慶は感慨深く言うと、「ああ、まるで春だと思わせるな」と幻影は笑みを浮かべて言った。


幻影と弁慶は早速夕餉の席について大いに飯を食らった。


至る所を飛び回りながらも、きちんと食ってもいたのだが、やはり我が家の飯が一番うまいと言っているような食いっぷりだ。


「大雪の手立てはどうじゃった?」と信長が聞くと、「大きな問題はなさそうです」と幻影は明るく答えた。


「ですが毎年、数名の凍死者が出ることはあるそうです。

 この不幸を何とかしたいと思いました。

 田舎ほど、この傾向が高いようです」


「…しっかりと覚えておこう…」と信長は瞳を閉じてうなづいた。


「さらに、何気なくですが…

 武士の寿命が乱世のころと変わっていないように思うのです」


幻影の言葉に、「なっ?!」と、ここにいる武家は大いに反応した。


「…確かに…

 爺さんの武士がひとりくらいはいてもいいと思うが、

 六十を超えた武士を見ることはそれほどないな…

 家に籠っていることも考えられるが、

 散歩程度はすると思うのだが…」


信長は大いに怪訝そうに思い、そして同年代の光秀を見た。


「…我らは、もうほぼ武士ではありません…」と光秀は言って頭を下げた。


「…武士とは言えんな…

 まあ、雑種…」


信長の言葉に、誰もが愉快そうに笑った。


「私もそう思ってしまうのです。

 ですのでお蘭はもうそろそろ寿命…」


幻影の言葉に、「…おめえより先には意地でも死なねえぇー…」と蘭丸は今にも斬りかかる勢いで幻影を見た。


そして蘭丸は瞳を閉じて、「浮気なんぞ絶対にやらさねえ」と大いに感情を込めて言った。


「…まあ… それでもいいんだけどね…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「武士は人間として生きることに、

 何か弊害がある職種なのかもしれません。

 今の方がはるかにいいものをほぼ規則正しく食っているはずなのですが、

 城に住んでいる赤子や幼児の生存率は特に変わっていないように思うのです。

 今となっては、暗殺などいうことが頻繁にあるとは思えません。

 お蘭のいつもの言葉のようですが、

 側室を持つことはそれほど良くないのではないかと思うのです。

 子供は敏感です。

 まだ物心がついていない時から競い合う必要があるのです。

 それが人間にとってそれほどいいことではないような気もするのです。

 よって、心の病が原因で、何らかの疾患を引き起こしているのではないかと」


「ですからあなたは仏門に入りなさいと何度も言っております」


妙栄尼の堂々とした言葉に、「…もう特に否定も肯定もしませんよ…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「私も幻影様の意見に賛成いたします。

 もちろん具体的には説明できなことですが、

 農家の子供たちの方が逞しいように思ってしまうのです。

 肉体的にも、精神的にもです」


この母子の意見を無視する者は、この琵琶家にはいない。


誰もがそのような病があるのだろうと、覚えておくことにした。


「…母の怨念のようなもの…」


信長のつぶやきに、誰もが感慨深げにうなづいた。


「この先、お取りつぶしになる家が、

 十や二十では済まないような気がします…」


「…武士にも心に安寧を、か…」と信長は言って何度もうなづいた。


すると阿利渚が何かを感じたのか、信長と光秀に大いに甘えて骨抜きにした。


琵琶家一同は一斉に柔らかな笑みを、ふたりの爺さんと阿利渚に向けた。



この日の翌日、幻影は妙栄尼の願いを聞いて、雪深くなってきた関の現楽涅槃寺に行った。


今日のお付きは松平影達だ。


影達は人を見れば必ずにらむ。


しかし、幻影と妙栄尼からも意識を外していない。


「あら、少し暖かいわ」と妙栄尼は高い場所にある布の天井を見入った。


そして本堂に入って、幻影と影達にも座って手を合わせるように言いつけた。


妙栄尼が経を上げ始めると、影達はうつらうつらとして来たのだが、何とか意識を保って、目をつぶることはやめて、まっすぐに前だけを見据えた。


「…なんでもいいから、考えられる願いごとを山ほど…」と幻影が小声で言うと、影達は幻影の言った通りに、願いだけを山ほど並べ始めると、眠気はどこかに去って行った。


妙栄尼の経はいつもそれほど長くない。


「良いご指導でした」と妙栄尼は言って、幻影に頭を下げた。


「はっ ありがとうございます」



幻影たちは小型の除雪車を押して街道に出ると、ここもかなり温かいように感じる。


雪はかなり離れた場所に積み重なっていて、横風がまるで吹き込んでこないのだ。


幻影たちは腹ごしらえをすることにして、麺屋に行った。


店は混んでいるが、琵琶家専用の席があるので、いつ来ても大いに食すことは可能だ。


幻影たちは店員たちに大歓迎されて、注文を終えた。


幻影たちは大いに食らい、三人で二十人前ほどを食って、支払いを済ませて御殿に行った。


「雪見酒か…」と幻影は言って、薄く開けている障子の隙間から外を見た。


多少は風が吹き込んでくるが、室内は比較的暖かいので寒くは感じない。


あとで米沢までの街道の雪かきでもしようと思いながら、今は寛ぐことにして障子を閉めた。


「透明の障子にしてくださいな」という妙栄尼の提案に、「そうですね、そうしましょう」と幻影は答えて、ふたりを連れて工房に行った。


まるで建具職人のように、いとも簡単に、透明の樹脂をはめ込んだ障子を作り上げて、御殿に戻って、庭側だけを入れ替えた。


「なんだかまぶしいほどですね」と幻影は素晴らしい雪景色を見入った。


「こちらに参った意味があったように思います」と妙栄尼は言って手のひらを合わせた。


「…御屋形様はこちらに来ると言われるはずです…」と幻影が眉を下げて言うと、「あら、よろしいではありませんか」と妙栄尼はなんでもないことのように言った。


「…雪見酒のお付き合いでもしましょうか…」


幻影は言って、忍びたちに手信号を送ってから、防寒着を着こんでから生実に向かって一直線に飛んだ。



何の障害もなく、幻影は暇そうな信長に関に行くことを進言すると大いに喜んで、防寒着を着こんでから幻影とともに飛んだ。


信長は大いに上機嫌で、妙栄尼と話し始め、酒を酌み交わした。


幻影は忙しく、五往復ほどして、家人たち全員を関に連れてきた。


中でも長春は大いに感動しながら、雪景色から眼を離さない。


縁側の障子部部分は五間ほどあるので、寒さに震えることなく、素晴らしい外の景色のほとんどすべてを見渡せる。


すると、「あ! 兎さん!」と長春は叫んでから、幻影に懇願の目を向けた。


白い雪に白兎は少々認識しずらいが、なんとか確認できた。


「逃げられるかもしれないから、先に謝っておく」と幻影が言って玄関から出ようとすると、巖剛もついてきた。


「おまえは冬眠しないんだな… だが心強い援軍だ」と幻影は言って、巖剛の頭をなでた。


兎はまるで待っているかのように、透明の障子の前に座っていて、鼻をひっきりなしに動かしている。


幻影が手を出すと、兎は少し震えていたが、すぐさまその腕にすっぽりと収まった。


幻影は透明の障子の端を少し開けて、待ち構えていた長春に手渡して、素早く締めた。


幻影はここで巖剛と相撲を取って、大いに体を温めてから、くつろぎの間に戻った。


「子供か!」と蘭丸は叫んで少し笑った。


「子供で悪かった」と幻影は言って、巖剛の頭をなでた。


「巖剛もいい運動になったようじゃ」と信長は言って、信長の前に寝転んだ巖剛の素晴らしい毛艶の体をなでた。


まさにほのぼのとした空気が、このくつろぎの間にあった。



幻影は有言実行とばかり、この近隣の雪かきを始めた。


雪かきに余念がない村人たちは幻影たちに大いに礼を言った。


そして米沢城下まで足を延ばして、雪かきを手伝い終えて帰ろうとしたが、「来ておられたのか?!」と城の老中に声をかけられてしまった。


「ええ、試しに雪かきでもと」と幻影は言って、小型の除雪車を見た。


「…むむ… では、関に行かねばなるまい…」と老中は自分勝手に言って、幻影に頭を下げてから、お付きの者数名とともに駆け足で城に戻った。


幻影もそうだが、かんじきを履いているので、滑って転ぶことはない。


幻影たちは除雪車を押しながら、ゆっくりと関に引き返した。



一度雪かきをすれば、それほどすぐに積ることはないので、吊り橋も歩きやすくなっていた。


しかし雪はしばらくは止みそうにないので、明日の今頃は元に戻っていることだろう。


子供たちは元気なもので、寒さに負けることなく、関近隣の川の土手の斜面から、手製の簡素なそりを使って滑って遊んでいる。


川の水量は少なく、半分ほどは凍っているし、河原は広いので、いい遊び場になっているようだ。


すると雪にまみれたひとりの浪人らしき武士が、この寒い中、土手に座って子供たちを見ている。


―― 何かの修行か? ―― と幻影は思い男に近づいた。


男の血色はよく、大いに鍛え上げられているように見える。


ごく普通に武芸者のようだが、いろんな意味でなかなかの達人だと幻影は感じた。


自然の申し子、という言葉が一番似合うと思い、笑みを浮かべた。


「こんにちは、よく冷えてますね」と幻影が挨拶をすると、男は一瞬幻影を見てから子供たちに目を向けたあとまたすぐに幻影を見た。


二度見というやつだ。


そして軽く目を見開いてから眉を下げた。


「…二度も、琵琶胡蝶蘭殿に吹っ飛ばされ申した…」と男がつぶやくように言うと、幻影は少し笑った。


この男は二度も日ノ本一喧嘩選手権に出場していたのだ。


そして独自の方法で大いに鍛え上げたのだろう。


「次があれば、吹っ飛ばされずに決勝に進出できるかもしれませんよ」


幻影は言って男の隣に座った。


「私は甘い生活を捨てて、日ノ本でも厳しい土地を巡ることに決めたのです。

 千葉重胤(しげたね)と申す」


重胤は言って頭を下げると、「真田幻影です」と本名を述べた。


重胤は目を見開いて、「あの真田か… 真田信繁公の…」とつぶやくと、「はい、信繁様の弟子です」と幻影は笑みを浮かべて言った。


「千葉家の家名はよく知っているつもりです。

 政江があなたを探していたことは?

 ああ、北条政江のことです」


重胤は古くからの千葉の血を継ぎ、さらには北条の血も継いでいる、由緒正しき武家の出だ。


「…伊達政宗公の奥方であらせられることは知っておりましたが…」


「どうです?

 まずは食事でも。

 腹がすいても高楊枝は昔の武士の話です。

 今は大いに食って大いに働いて剣術も磨く。

 それが一番健康的ですから」


重胤は素早く頭を下げて、「お言葉に甘え申す」と笑みを浮かべて言った。



幻影は重胤を麺屋に連れて行って、様々なものを大いに食わせた。


まさに食う方も猛者で、山に入っては様々なものを食べていたようだ。


特にこの寒い山奥には、今はほとんど何もないはずだ。


しかし手を見てよくわかった。


重厚な農機具を思い浮かべさせるその指は普通ではなかった。


全ての事柄を修行にして、前だけを向いて生きていた証拠のようなものだ。


「我が主とお会い願いたい。

 その名は織田信長と言います」


重胤は一瞬手を止めて幻影を見入った。


そして笑みを浮かべて、「ぜひとも」と言って頭を下げてから、お代わりしたばかりのうどんを大いにすすって満面の笑みを浮かべた。



食事を終えてから軽く菓子などを食って、重胤を琵琶御殿に招いた。


そして信長と謁見させて名乗ったとたん、政江の顔色が変わったが、「…武芸者、やってたのね…」と眉を下げて言った。


「…お政、悪いな…」と信長は言って頭を下げた。


「いえ、北条家は今のままで構いません。

 千葉重胤が我が琵琶家の力になることはもう決まっておりますので。

 それに下総生実の地は、千葉家にとっても懐かしい土地のようなもの。

 里帰りが叶うことにもなりますわ」


「はっ ありがたき幸せ」と重胤が礼を言った。


「…また吹っ飛ばしてやろう…」と蘭丸がにやりと笑って言うと、「覚えていてくださったことは光栄でござる」と重胤は言って頭を下げた。


「今は、うまく逃げられそうだ」と蘭丸は機嫌よく言った。


「…なかなか惜しい位置にいたようだ…

 だからこそ、今がある」


幻影の言葉に、「ありがたき幸せ」と重胤は胸を張って言った。


「そのような者がひとりいただけでも大収穫じゃ!」と信長は大いに陽気に叫んで大いに笑った。


重胤は快く琵琶家の一員として迎え入れられて、まずは信長と酒を酌み交わすことになった。



幻影たちは再度雪かきをしてから、雪が弱まり風がほぼ無風になったことを確認して、家族たちを大きな籠に乗せて、空を飛んで生実に戻った。


重胤は生実に足を踏み入れても何も変わらなかった。


遊び場で陽気に遊んでいる子供たちに笑みを向けているだけだ。


そして幻影から早速剣術指南を受け、大いに汗をかいた。


内容の濃い修行に、重胤は心からの笑みを浮かべて、組み手場の外に出てから寝転んだ。


「…ここは暑いほどです…」と重胤が笑みを浮かべて言うと、「ああ、俺もそう思う」と幻影は同意して、腰を下ろした。


「悪条件の地は、心の修行となる、だな」


「ですが、人に戻ることもまた修行でしょう」と重胤は言ってから、視界に厩を捉えて、「馬に乗ってもよろしいか?」と聞いてきたので幻影は許可した。


重胤は物置から鞍と鐙を持って来て、素早く装着してから、馬に笑みを向けて、まずは体を撫でまわした。


馬は重胤を気に入ったようで、首を振って頭をぶつけてくる。


重胤はまさに羽のように馬に負担をかけないようにふわりと鞍を跨いでから、まずはゆっくりと歩き始めた。


「…うう… 馬の扱いがうますぎる…」と影達が大いに嘆いた。


「我が琵琶家の騎馬隊の頭目だな。

 もっとも、馬はそれほど乗らないから、

 逆に貴重だと言えるけどな」


すると巖剛が幻影に体をぶつけてきたので、ふわりと巖剛に飛び乗って、重胤が乗っている馬を追いかけた。


馬は一気に緊張したが、重胤がやさしく首を叩いただけですぐに落ち着いて、小走りとなった。


ついにはこの広い琵琶家の敷地内を縦横無尽に駆け回り、しばらく休憩してから弓を持って馬に乗って、騎乗からの弓の訓練を始めた。


まさにこの妙技は人を集めるほどになっていた。


話を聞きつけた生実城の姫がやってきたが、重胤は鞍と鐙を外しているところだった。


正実は重胤に笑みを向け、「ご機嫌よろしゅう」と言って軽く頭を下げた。


「こんにちは」と重胤は庶民的な挨拶をした。


重胤はわずかな修行で、萬幻武流の神髄を知っていた。


「私はこの地生実の姫をやっております、森川正実と申します」


あまりに滑稽な自己紹介に、重胤は大いに笑ってから、「千葉重胤です」と名乗った。


「…あら、まさか、この地におられた千葉家の…」


「はい、こちらには高願様に連れてきていただいたのです。

 そして弟子入りが叶ったのです。

 ではこれにて」


重胤は少し頭を下げてから、鞍と鐙を持って、馬の首を軽くなでてから速足で納屋に向かって歩いた。


「信影様にお目通りを」と正実はお付きの者に言って、琵琶御殿を目指した。



正実は快く御殿に招かれて、信長と謁見した。


そして開口一番、「千葉重胤様を婿に迎えて、生実藩の藩主といたしたく」と正実は言って頭を下げた。


「許可はしないし拒否もしない。

 まずは重胤と話し合え。

 捕まえられたら、の話じゃがな」


信長は言ってにやりと笑った。


「捕まえてみせましょうぞ」と正実は笑みを浮かべて行って、頭を下げてから、謁見の間を出て、重胤を探させたがどこにもいない。


よって銭湯だろうと思い、お付きを行かせたのだがいなかった。


まさに幻のように忽然と消えたのだが、重胤は工房の外で菓子作りに従事していて誰にでも確認できるはずだ。


しかし、その姿が二十も若返っていれば、見つけられないことは当然だろう。


正実は工房から出てきた源次に声をかけて重胤を探していると告げると、「探してください」と笑みを浮かべて言われてしまったので、―― これは試練! ―― と真っ先に考えた。


だが大問題がある。


たとえ無事婚姻できたとしても、生実藩主の森川重俊にはれっきとした世継がいる。


しかし今の正実には希望があった。


父重俊は、正実に頭が上がらなくなっていたのだ。


琵琶家との穏やかな交流ができるのは、正実のおかげでもあるからだ。


この先さらに穏やかに付き合うのならば、この地の豪族であった千葉家の正統後継者と夫婦となって、生実を守っていくことは最重要と、進言するつもりだった。


もちろん、それほど簡単に事が運ぶとは思っていない。


しかし最低でも家老という重職を重胤に与えて、ふたりの間にできた子に生実藩を継がせればいいと考えていた。


だがまずはその重胤を探す必要があるが、どこにもいないことに大いに眉を下げていた。


「千葉重胤様!!!」と正実は大声で叫んだ。


もちろん街道を行きかう人々は誰もが正実を見たが、琵琶家の家人たちはほぼ無反応だった。


「…うう… 手ごわいわぁー…」と正実は大いにうなって、「これも試練!」と陽気に叫んだ。


「…どうするの?」と源次が気さくに、若返った重胤に小声で聞いた。


「今は、日々を楽しく過ごしたいですね」と重胤は言って、顔に浮かんできた汗を手拭いを当てて拭いた。


「…まあね、来たばっかだから…

 姫の感情から察して、この生実藩の藩主にしてしまう勢いがあるんだよね…

 殿様もかなり悩むような気もするし…」


「世継がいるのなら、その必要はないように思います。

 それに、この地だけに留まるつもりは毛頭ございませんので」


「じゃ、お断りを入れることが修行だね」という源次の言葉に、重胤は大いに苦笑いを浮かべた。


「これには強みもあるんだよ。

 姫はね、以前あった縁談の話を蹴ったんだ。

 気に入った相手と婚姻すると言ってね。

 だったら、その逆の手は有効だよ。

 重胤さんが振ったとしても姫は強く出られない。

 もしも藩を捨て琵琶家の一員になるとすれば、

 これも少々面倒だ。

 何か特技でもあればいいんだけど…」


「相手を大いに知ってから、接触した方がよさそうです」


重胤の慎重な言葉に、「そうだね、それでいいよ」と源次は陽気に言って工房に戻って行った。



「…うふふ…」と声に出して笑って、長春と政江が正実に向かって歩いて行った。


「千葉重胤をご所望のようね?」と政江が正実に聞くと、「はい! 我が夫として!」と公言した。


「どう考えても、あんたは嫁に出る身よ?」


政江の常識的な言葉に、「いいえ! 私がこの藩を継ぐのです!」とさらに叫んだ。


「頼りない兄たちに任せておくことはできません!」


正実の堂々とした言葉に、「まあ、そこまで言うのなら」と政江は言ってから、「重胤はあんたが一芸に秀でていることを望んでいるの」と言うと、正実は大いに戸惑った。


「婚姻しても城を放り出されたら、あんたは路頭に迷うのよ?

 もちろん、今のあんたは私たちは認めない。

 だったら、私たちが驚くようなことができればいいだけ。

 あんただけが持ってる武器がなにかある?」


「…うう… 身を守ることしかぁー…」と正実は大いに戸惑うように言うと、「ふーん… 身を守れるんだぁー…」と政江は大いに興味を示して言った。


そして辺りを見回して、「影達!」と政江が叫ぶと、影達はすっ飛んでやってきた。


政江は木刀を影達に手渡して、「…姫を本気で倒しなさいなぁー…」と恐ろし気な顔をして言った。


影達は大いに戸惑ったが何かあると思い、木刀を受け取って、「御意」と言って頭を下げ、正実から少し離れて、覇者の構えを取った。


「暴漢だと思っておけばいいわ。

 あんたの言った身を守る技を見せていただきたいの」


政江は言って、長春とともに少し下がった。


正実は大いに気合を入れて、左前に構えて、両手で手刀を作った。


「おや? これは珍しい…

 やらせてみるものだね…」


幻影の明るい言葉に、「ただの無手じゃないの?」と政江が聞くと、「腕前にもよるけど、影達は本気でかからないと簡単にやられる」と機嫌よく言った。


「かかってきなさい!」と正実は叫んだ。


しかし影達は全く動かない。


まさにこの異様な正実の雰囲気に、少々戸惑ってもいたからだ。


「影達! 打って出ろ!」という幻影の言葉に、影達は太刀を下げ、中段に構えて素早く振った。


正実はわずかに下がって木刀の軌道を見切り、振り切る寸前に大股で間合いを詰め、影達の右の肘を延ばすように平手で打った。


影達は木刀を振った勢いを合わせて、体を操られてように感じて、踏ん張ることができない。


まさに背後を取られたことで、影達は正面に三歩走って、警戒しながら正実を見据えた。


「…うわぁー… 護身術ぅー…」と長春は言って手を叩いた。


「太刀を恐れないことが第一だ。

 基本は十分にできている。

 女官たちは正実姫に任せておいてもよさそうだ」


幻影は機嫌よく言った。


「まだまだ! さあ! 来なさい!」と正実が叫ぶと、影達はまた覇王の構えを取った。


そして左足を先に進めたと同時に、左手を逆手にした。


「…こりゃまずい…」と幻影は大いに眉をしかめて嘆いた。


まさに正実が大いに不利になったからだ。


影達は袈裟懸けから木刀を振り下ろしたのだが、すぐさま元の構えに戻っていた。


正実は、―― とんでもなかった… ―― と嘆いたがそれは一瞬だった。


正実はその技をどう受けるかだけに特化していた。


よって、影達が攻め込まないことで、正実の勝ちは決まったようなものだ。


しかし影達は何度も素早く細かく正実に攻め寄る。


決して大技に頼らない、影達の真骨頂だ。


「よくわかりました。

 お話だけでもお聞きします」


若返っている重胤の言葉に、「ふー…」と息を吐いて影達は木刀を下した。


正実は信じられない顔をして、重胤に顔を向けた。


「…高願様の術で…」と言って、正実は笑みを浮かべて重胤に歩み寄った。


「どのようなご用件で?

 ああ、私を婿にするとかというお話ですか?」


「はい。

 私の婿になり、藩主となりなさい」


「争いの種になるようなことはごめん被ります」


重胤は言って頭を下げた。


「頼りない兄たちにこの藩を任せてはおけぬのです!

 もしも私と婚姻してくださるのならば、

 父も納得して藩主として指名するはずなのです!

 いえ、今から進言してまいります!」


正実は言いたいことを叫んで、お付きを連れて小走りで城を目指した。


「…こりゃ、藩主は姫に従うかもしれないなぁー…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「城に縛り付けられるのはごめんです。

 自由を知った今は、

 各地を回ってさらに器を大きくすることだけを考えておりますから」


「そうだね…

 旅にはその効果が大いにあるからね…

 想い次第で、弱い者でも強くなれる可能性が広がるものだから」


「…さすが、仏陀に一番近いお方…」と妙栄尼は幻影に手を合わせて言った。


「お師様は、やはり仏でもあらせられたか」と重胤は言って、幻影に手を合わせた。


「…もう、容認することに決めたんだ…

 いくら抵抗してもこうやって拝んでくるから…」


幻影のげんなりした言葉に、「申し訳ございません」と重胤は言って手を下ろして頭を下げた。


「そのうち、自覚されることでしょう」と妙栄尼は穏やかに言って薄笑みを浮かべた。


「認めたが最後、宗教として認定されてしまうではないですか…

 それだと大いに困ることになるんですよ、

 秀忠と家光が…

 それに、信幻も…」


幻影の言葉を聞かなかったことにして、妙栄尼はそっぽを向いた。


「仏教の宗派として認めるからいいよ」と、久しぶりに遊びにきた秀忠が明るい声で言った。


「…お前が認めるな…

 母ちゃんが喜んでるだろ…」


幻影が声を押さえて言うと、「いいんだよ、我の心の支えのおひとりだ」と秀忠は言って、妙栄尼に手のひらを合わせた。


「…仏教は人が作ったと言っている…」という幻影の言葉を無視するように、秀忠も妙栄尼もそっぽを向いた。


「…人が作った…

 仏陀自身はそれを認めていない…

 いや、認めていないかもしれない…」


重胤の言葉に、「…認めないので、認めさせていただきたいわ…」と妙栄尼が眉を下げて重胤に言った。


「…この先、その機会もあることでしょう…」と重胤は言って頭を下げると、「…気長に待ちますわ…」と妙栄尼は薄笑みを浮かべて言った。


「…仏陀だと認めた時、

 仏教など嘘っぱちだ!

 すぐさま僧をやめ、汗水たらして弱き人のために大いに働け!

 と言う…」


幻影の言葉に、聞いていた誰もが大いに頭を抱え込んだ。


「…キリストと同じ扱いなんだね…」と秀忠は眉を下げて言った。


うつつしか見ていないからな」という幻影に言葉に、「その通りですわ」と妙栄尼は言って笑みを深めた。


「だからこそ、

 キリスト信者に対する地獄のような責めはやめ、

 穏やかに脱退か改宗させろ。

 現でも地獄を見せられて、

 涅槃に地獄があると言っている仏教に改宗するわけがない」


幻影の言葉に、「おお… おお… 私の仏陀…」と妙栄尼は大いに感動して言って、幻影を拝み倒した。


「…うう… それは大いに言える…」と秀忠は常識的見解を述べて、そそくさと退散していった。


「いや! 目からうろこだ!

 さすが幻影だな」


信長は上機嫌で言って大いに笑った。


「…ところで、今のお方は…」と重胤が怪訝そうに幻影に聞くと、「ああ、前の征夷大将軍」とまさに軽そうに言うと、重胤は大いに目を見開いていた。


「武家は昇天したら、

 桃源郷しかないなんて思ってるんじゃないだろうか…

 これも、格差社会の欠点だろうなぁー…

 武士はいいんだ!

 なんて言っているやつは普通にいると思う…」


「…おるじゃろうな…」と信長は大いに眉を下げて認めた。



すると馬に乗ってやってきた森川重俊と正実が転げ落ちるようにして馬から降りて、信長と幻影に頭を下げた。


そして正実は恥ずかしそうな顔をして、少し距離を置いて重胤に寄り添った。


重俊は詳しい話を幻影から聞いて、大いに迷い始めた。


まだ生実藩の後継を決定していないので、重俊の心ひとつで、未来は大いに変わる。


だが重胤に今はその気はなようなので、重俊としてはほっとしたのだが、正実の機嫌が大いに悪くなっていた。


「…胡蝶蘭様にお願いして、

 大門だけでも切り刻んでいただきましょう…」


正実の脅しに、重俊は大いに脅威に思った。


「ああ、いいぜぇー…

 幻武丸が触れることはねえから、

 俺が斬った証拠はねえからなぁー…」


蘭丸の言葉に、「…いつから仲良くなったんだ?」と幻影が聞くと、「…長春様の命…」と蘭丸は眉を下げて言った。


その長春は、ワクワクしながら事の成り行きを見守っている。


「にぎやかしに、重胤さんの得意なことを見せてやってくれてもいいよ。

 何も知らないんじゃ、何も決められないからね」


幻影の明るい言葉に、「はっ それはまさにその通り」と重胤は言って木刀を二本持って来て、「お師様、お相手をお願い申す」と言って、木刀を差し出した。


「なんだよ…

 馬の妙技を見たかったのに…」


幻影はぶつぶつ言いながらも木刀を受け取った。


「馬の具合もございますれば」と重胤が言うと、長春が大いにい拍手をした。


「あの子が気に入ったようだね」と幻影は明るく言って、木刀を中段に構えた。


「…まさか、でしたぁー…」と重胤が大いに嘆くと、「一番隙のない構えだからな」と幻影はにやりと笑って言った。


「幻影が本気だということだ」と蘭丸が解説すると、「…やはり、千葉の名は伊達ではなかったか…」と重俊はうなった。


重胤も木刀を中段に構え、「キェ―――ッ!」と奇声を発したが動かない。


まさに自分自身に大いに気合を入れたのだ。


すると幻影は、「ハァアッ!!」と大いに気合を入れた。


重胤は、幻影が歪んで見えた。


木刀から焔が上がっているように見えたのだ。


「こら、木刀を燃やすな」と蘭丸が言うと、「あとで炭にでもするさ」と幻影は言って、中段の構えのまま重胤に突っ込んだ。


重胤は木刀を逆手に振って受けて立ったが、『パキ!』と軽い音がして木刀が折れ、その途端に幻影の右拳のあて身を腹に食らっていた。


重胤は大きく一歩下がったが、堪らずその場に膝をつけた。


「あ、しまった。

 まだ鎧を渡してなかった」


幻影の言葉に、「…うかつ過ぎるぞ…」と蘭丸は言って、意識を断たれた重胤の気付けを行った。


重胤は意識を取り戻して、「…寝かせておいていただきたかったぁー…」と大いに嘆くと、「萬幻武流はそれほど甘くねえ」と蘭丸は自慢げに言った。


「重胤様の敵は私が」と正実は雄々しく言って、幻影の前に立つと、「ふふふ… 返り討ちにしてくれるわぁー…」と幻影は悪役ぶって言った。


幻影も正実も無手だ。


幻影は全く構えることなく、右腕を大きく振り上げて、一気に下ろしかけた瞬間に、正実の背後にいて、平手でその尻を、『パシィ!!!』とかなりの勢いで叩いた。


正実はたまらず尻を押さえて飛び跳ねた。


女官たちは笑い声をこらえながらも大いに笑っている。


「…てめえ、尻といえども姫様を叩いてんじゃあねえ!」と蘭丸が笑いながら大いに叫ぶと、「護身が役に立たない一例」とごく普通に言った。


「護身はな、正攻法ではない見たこともない攻めには手が出ないものなんだ。

 姫様は俺が後ろにいたことは気付いていたが、

 逃げずに攻めに出ようとしたことが敗因だ。

 護身の技に攻め手はねえから、

 背後を取られたら無条件で前に走る、が正解」


正実はまだ痛む尻をなでながら、「…お察しの通りですぅー…」と大いに嘆いた。


「…だから叱られたわけか…」と重俊は目を見開いて言った。


「姫様には資質があります。

 萬幻武流の門下生として招くことも可能です。

 ご存じの通り我が流派には、

 強い女官もおりますので」


幻影の言葉に、「…気に入った男子の元にしか嫁にはいかんというのであれば…」と重俊は言って、幻影に頭を下げた。


「…罰がまさかの門下生だったわ…」と正実は大いに眉を下げて言った。


「断ってもいいんだぜ?」と幻影が重胤を見て言うと、「断ることなどございましょうか!!」と大いに高揚感を上げて叫んだ。


重胤は苦笑いを浮かべただけで、厩に目をやった。


「…ダメだって思うぅー…」と長春が嘆くと、「いや、別の馬…」と言ったとたんに気付いた。


「…あの子にも惚れられてしまい申したか…」と重胤が眉を下げて言うと、「うん! そうそう!」と長春は陽気に言った。


「…そこまで馬に好かれる武人も珍しいわ…」と正実は眉を下げて言った。


重胤が眉を下げて長春を見ると、「…あ、嫉妬するのは馬にだけだから!」と陽気に言った。


「…それは助かり申した…」と重胤は言って、長春に頭を下げた。



「なぜここにいる?!」と街道から巨体の侍が叫んだ。


幻影はもうすでに知っていたのか、「よう、また来たんだ」と一番仲のいい藤堂高虎に気さくにあいさつをした。


「忍びを使って、しかも鳩まで飛ばして知ったようだが、

 人と動物の迷惑を考えたか?

 くそ寒いところにいきなり飛ばされたら、

 体調が悪くなるぞ。

 政治に関係して危機迫るものだったら、

 まあ、やむないかもしれないが…」


幻影が言葉を重ねるたびに、高虎は落ち込んで言った。


「…御屋形様と雪見酒をしたいのか?」と幻影がため息交じりに聞くと、「したいに決まっている!」と一瞬にして立ち直って叫んだ。


「協力したいのはやまやまだけどな、

 また家族を全員連れて行くことになるんだ。

 俺の苦労も多少は察してくれ」


なんとなくだが事情を察した高虎は、「…うう… すまん…」と言って頭を下げた。


信長をどこかに移動させた場合、必ず蘭丸がついて行きたがる。


すると阿利渚と、さらにはお香も連れて行くことになり、そうなれば、長春もついて行きたがることになるので、結局は家族全員を連れて行かないと落ちつかなくなるのだ。


「次があれば予告してやる」と幻影の背後から信長が言うと、高虎はかなり恐縮して頭を下げまくった。


「江戸はいつまでじゃ?」と信長は高虎に聞いた。


「はっ あと二十日ほどは滞在いたします」


「その間にあと二度ほどは行く。

 その日を楽しみにせよ」


信長の言葉に、高虎は子供のような満面の笑みを浮かべて頭を下げた。


「…寒いけど、雪景色も好きぃー…」と長春が幸せそうな顔をして言うと、「…わかったわかった…」と幻影は大いに眉を下げて言った。


「心を鬼にして、人選していいか?」という幻影の言葉に、誰もが一斉に眉を下げた。


幻影は高虎に顔を向けて、「こういう理由だ」と言うと、高虎はまさに申し訳なさそうに眉を下げて頭を下げた。



まさに千客万来で、今度は法源院屋の店主が走ってやってきた。


要件は魚のことで、さすがに寒くなると魚が捕れなくなって、あまりものすらほとんど手に入らなくなったそうだ。


よって、普通に買い付けをしたいところだが、加工品を現行の十倍の値をつけることになる。


この件で何とか幻影に知恵を授かろうと思いやってきたのだ。


「…土佐か薩摩にでも行って仕入れて来るか…」と源影がつぶやくと、「…鯨、見に行くぅー…」と長春は笑みを浮かべて言ったが、「さすがに寒いから、この季節は来ないぞ」と幻影がすぐさま答えると、長春は大いに落ち込んで、政江と蘭丸に大いに慰められ始めた。



ものは試しとして、幻影は空を飛んで、土佐にやってきた。


さすがに冬なので土佐も寒いが、生実ほどではない。


幻影は漁港に行って話をすると、「あの例の噂のっ?!」と漁師たちが大いに驚き、魚はいくらでも提供すると言って、余りものではない魚を無料で差し出した。


「さしみにした方がうまいから、

 売れ残りでいいんだよ…」


幻影が眉を下げて言うと、かなり大量の魚を提供されたので、まずは魚をさばく手伝いを頼んだ。


土佐の法源院屋に行って、必要なものをすべて買って、純正のさつま揚げやちくわにかまぼこを作ると、「…口に入らないはずのものがここに…」と漁師たちは大いに感動しながら食べ始めた。


「あー… 何も入れていないものもうまいな…」と幻影も味見をして大いに気に入ったようだ。


しかし中には蛸や烏賊などを細かく切ったものも入れてあるので、さらに海の幸を満喫した気分になった。


漁師たちに別れを告げて、幻影は処理済みの魚を持って生実に戻り、法源院屋に収穫物を渡した。


「…もらったから…」と幻影は眉を下げて言うと、「本日限りで半額で売りましょう!」と店主は大いに張り切って店に戻って行った。


すると、琵琶家一同がいなくなっていて、法源院屋の前に並んでいたことに、幻影は大いに笑った。


幻影は、「みやげだ!」と大きな風呂敷を担ぎ上げて信長たちに叫ぶと、全員が戻ってきた。


そして一般的なさつま揚げなどを、満面の笑みで食らい始めた。


「…蛸入りがおいしいぃー…」と長春は大いに機嫌を直して満面の笑みを浮かべて言った。


信長と高虎は琵琶御殿の庭で、てんぷらなどを肴にして酒を酌み交わし始めた。


「…お師様のご苦労が大いに理解できたはずです…」と重胤は言って頭を下げた。


「いや、みんな喜んでくれているから、

 見返りは十分なんだ」


まさに平和と言わんばかりの言葉に、重胤は大いに感動していた。


天ぷらを売り始めたという噂を漁師たちも聞きつけて、法源院屋の店先に並んだ。


そして、いつもの半額なのに、さらにうまくなっていると思い、漁師たちは大いにうなだれた。


その漁師の代表の潮介が琵琶御殿を訪れて、幻影と面会して事情を聞いた。


「…土佐の魚、ですかい…」と潮介は言ってうなだれた。


「やはりどこも獲り過ぎていて、廃棄するものがあるようだ。

 今回は天ぷらを作ることで、無料でもらったんだ。

 だから半額だったわけ。

 さすがに毎日は厳しいけど、

 気が向いたら仕入れに行こうと思っているんだ」


「何とか私たちにその仕入れを!」と潮介は大いに懇願したが、「波が高いからそれほど安全じゃないと思う」という幻影の言葉に、潮介は納得して頭を下げた。


「この近隣の海で、

 何かうまいものを探してみるさ。

 だが、食っていけないわけでもないんだろ?」


「…へえ… 食っていける程度の稼ぎにはなっていますが、

 …ご協力できないことが心苦しくて…」


「気にすることはないさ」と幻影は笑い飛ばした。


「魚だって、そう簡単には捕まってくれないからね」という幻影の気さくな言葉に、潮介は救われた気持ちになった。



有言実行で、幻影は江戸湾から海面をつぶさに確認しながら飛んで、とんでもないでかい魚に遭遇した。


全く格闘することなく、幻影はいつもの漁港に戻ってさばいてもらった。


「…はあ、鮪というんだ…

 こりゃうまい!」


幻影は切り身を口に入れた途端、大いに上機嫌で叫んだ。


そして幻影は今日限りということで、江戸でも指折りの料亭などに、相手側の良心的な買値で切り身を売りまくった。


漁師たちは切り身を法源院屋に持ち込んで、それなり以上の銭を得て大いに喜んでいる。


幻影は、「さばいてくれた礼」ということで漁師に切り身を売らせていたのだ。


もちろん、家に持ち帰って食うのもありだ。


もちろんすべてが幻影の思惑通りになったわけではないのだが、経済的に潤ったことには変わりなかった。


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