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朝顔の私刑  作者: 久成あずれは
(人形) 朝曜。夜曜。潤葉
9/9

2話

本編が書き上がらず、また曜ズの話になってしまいました。お詫び申し上げます。それはそれとて、どうぞ、お楽しみ下さい。

 7.27ーー朝曜が朝音を迎えに行く三日前ーー


 朝顔家における職業人形の住まいは、人形館(にんぎょうやかた)と呼ばれている。朝顔家(あさがおけ)の向かいにあたる建物の名称で、朝音(あさね)の自室がある本館とは渡廊下で繋がっている。

 朝曜(ちょうよう)の自宅は人形館の四階、つまり最上階にあった。朝曜の弟を名乗る者と、ひとつの部屋で共に暮らしている。元々は二つの個室だったが壁を抜いて一つの部屋にしたので、空間的には快適に過ごしている。

 かれこれ三年間、共同生活が続いている。朝音が朝顔家に戻らない限り、二人の共同生活は継続される予定なのだ。


 弟──夜曜(よるよう)()()朝曜の弟だった。二人の外見は似ても似つかない、血の繋がりは不確かである。しかし夜曜の圧力に負けた朝曜は、兄であることを黙認した。従者教育機関に入る前の記憶が無いのだから、確かめようがない。そう結論付けたのだ。

 朝曜は夜曜に対して思っている事が山程あった。しかし傍から見れば二人は仲の良い兄弟だった。


 本日、朝曜は四日前から持ち掛けられていた依頼を受ける決心をした。それは潤葉(じゅんば)からの依頼だ。朝曜は朝音を迎えに行く準備をしていた。約束の日までは心の準備に集中したい、と考えての事だ。

 朝音を呼び夜音(よるね)を診てもらう、この事は夜曜に伝えてはいけない。極秘の依頼だった。


「あの子が帰ってくる前に、終わらせないと」


 朝曜の独り言は、夕日に照らされ消えて行った。噂をすればというものか、突然夜曜が帰ってきた。帰宅の挨拶もなく、玄関を上がったようだ。幸い朝曜の寝床は玄関から見えない。夜曜には未だ気づかれていない。朝曜は急いで荷物を布団の中に隠した。ばたばたと玄関を上がった夜曜が、声を上げながら部屋に入る。


「兄ちゃん聞いて! 夜音様が──」


 慌ただしく何かを布団に隠した朝曜を、夜曜が視界に収める。己が急いでいた理由を忘れる夜曜。何を隠したのか、口で聞くより先に動く夜曜。無言で迫ってくる彼の、制止を試みる朝曜。


「君君君! 待て、待って」


 止めに入った朝曜を捻じ伏せ、布団の中を暴く。仕事用の小柄なバッグと溢れた荷物が現れる。一見隠す必要の無いものに見えたが、集められた荷物が遠出用な事に気がつく。仕事依頼書を見つけた夜曜は、いよいよ顔色を変えた。


「なんで? ……早すぎるよ」


 隠し物を無理やり(あば)いた、開口一番の言葉とは思えない。朝曜は意味が解らず困惑した。


「夜音様が、開花病(かいかびょう)を発症したんだ。兄ちゃんなら、この意味が解るよね」


 朝曜が頷くと、夜曜は苦し紛れのような笑顔をみせた。


「そっか、潤葉先輩は、前から気づいてたんだね」


 荷物を元の位置に戻す夜曜は、沈んだ顔色をしている。朝曜は彼の手を掴んで止めた。夜曜をベッドに座らせ、朝曜も隣に腰掛ける。


「何が、あったのか、話してくれるかい」


 泣き出す直前のような子供じみた顔を両手で覆い、夜曜は話し始めた。主人の一番近くにいた自分が、主人の変化に最初に気がつけなかったことが、悔しかったのだ。胸の内を打ち明け終えた夜曜は、光の失せた目で笑った。


「はは、僕って役立たず」


 朝曜は戸惑うだけで、何もできなかった。どんな言葉をかけるべきか、どうするべきか、それらを悶々と考えるだけ。

 ようやく、参考になるものを思い出した。褒める時、慰める時、人形が人形らしくしている時。潤葉は朝曜や人形へ頻繁に触れる事を。頭を撫でる、軽い抱擁(ほうよう)などのボディータッチ。

 朝曜は潤葉に触れられた感触が蘇った。肉体的接触は精神安定に効果があるのだと、潤葉に抱かれて安心した記憶から納得する。


 朝曜は潤葉を参考に、夜曜を軽く抱きしめてみた。抱かれるのと抱くのは感触が違った。膝に肘をつき両手で顔を覆っている夜曜を胸に抱いた朝曜は、違和感を軽減しようと試みて心地の良い体勢を探る。


 夜曜は目を見開き、驚きのあまり体を強張らせた。

 兄弟は不必要な触れ合いを、あまりしてこなかった。パワハラや体罰が当然の環境に身を置いてきた朝曜を怖がらせないため、という夜曜なりの配慮だ。人肌が恋しいときに軽く、じゃれ合う事があったとしても夜曜からだった。

 朝曜が自ら夜曜に触れることは、今までに、たったの一度も無かったのだ。それが今、朝曜から手を出して、体温を分けあっている。夜曜は緊張を高めた。


()()()()は、君のこと、そんな風に思わない」


 朝曜が「兄ちゃん」と自称したのも初めてだった。


「安心して待ってて。私が朝音様を、ちゃんと連れて来る」


 朝音の名前が出た瞬間、夜曜の表情が更に曇った。朝曜は、そのまま彼の頭を撫でる。


「夜音様を必ず救ってくださるよう、お願いする」


 夜曜は朝曜の腕を優しく解いた。迷いのうかがえる双眸(そうぼう)は、やがて一色に染まる。


『独占欲』


 夜曜は朝曜を強く抱きしめた。突然の事に驚愕した朝曜は、夜曜の腕から逃れようと身じろいだが、全く身動きが取れなかった。思いの外、夜曜の力が強い事に驚く。朝曜の記憶ある人生の中で、ここまで強く抱きしめられたのは初めてだった。


「君、ちょっと離し──」


 髪と髪が混ざり合い、耳元には吐息。夜曜が威圧的な声音で問う。


「行くな、と言っても?」


 答えるまで放さない。夜曜の覚悟を感じ取った朝曜は、あくまで平然と答える。


「仕事だから、自分で決めた事だから。私は、何があろうと行く」


 夜曜は朝曜を解放した。下手な笑顔で、聞き慣れた高いトーンの声で、諦めたように呟く。


「うん──それなら、仕方ないよね」


 何事も無かったかのように、夜曜の束縛を気にも留めずに、朝曜は彼の頭を撫でた。潤葉に撫でられると、決まって反抗する夜曜が受け入れている。朝曜が夜曜の()()大切な存在で、完全に心を許している証拠だ。


「ねえ、本当に行くの?」「うん」


 夜に傾き始めた太陽が、最後の輝きを放つ。


「あーあ! また振られちゃった!」


 赤に染まった部屋で、二人は肩を預け合う。


()()朝音様と二人きりなんて、心配だよ」


「心配なのは解った、けど、君は夜音様を優先すべきだ」


 沈黙が苦にならない、落ち着く居場所が、ここにある。


「もうわかってる行ってらっしゃい」「まだ行かないよ」


 夜曜は安心したように目蓋(まぶた)を閉じた。


「ありがとう、兄ちゃん」


 朝曜の手を離れ、ベッドから飛び上がって降りる。勢いそのままに、くるりと回る。


「夜音様のとこに行ってくる。ずっと、お側に居ないとね」

『最優秀従者として、新家長の従者として』


 朝曜は慈愛に満ちた微笑みを向ける。夜曜は満面の笑みをたたえる。


「行ってらっしゃい」「──行ってきます!」


 7.30ーー朝音を朝顔家に連れ帰った夜ーー


 朝曜は仕事を済ませ、自室に帰る。朝音を朝顔家に連れて来る。それだけの仕事のはずが、朝音の身なりを整え、劣悪な関係を元に戻し、傷の事も和解。という大満足な仕事をしてきてしまった。朝曜は大仕事を終えた達成感で、帰路への足取りを弾ませていた。


「今日は帰ってきてるかな、あの子」


 夜曜は一月(ひとつき)に数度帰宅しない日があるが、夜曜が仕える朝顔家家督(かとく)──夜音が開花病を発症してからの三日間。この部屋で兄弟が顔を合わせることはなった。入れ違いか、そもそも家に帰ってこないのが原因だ。

 連日顔を合わせない事は珍しく、朝曜は夜曜を若干心配している。夜曜も朝曜も年齢的には成人、あくまで個人主義的に家を使っている。それは、お互い承知の上だ。


 現在時刻は午前一時。朝曜は、やっとの思いで朝音との再会を済ませ、仕事を終えてきた。朝音への想いが三年越しに変化してしまったことは、自覚せざるを得ない。


 明日に備えて弟は夜音様に付きっきりだろう。そう考えた朝曜は部屋に誰も居ないと思い、解錠後帰宅の挨拶もなしに部屋へ入った。

 廊下から入り込んだ光で、彼は浮き彫りにされる。部屋には夜曜が居たのだ。風呂上がりで湿った髪が照らし出されている。夜曜は照明もつけずに、髪先をタオルで絞っていた。朝曜が驚きで硬直していると、夜曜が暗い声で呟く。


「ただいま、くらい言いなよ」「明かり、つけて」

 反射的な朝曜の反論が沈黙に消える。二人は同時に、やれやれと首を振った。

「ただいま」帰宅の挨拶を済ます朝曜。

「おかえり」返事を返した夜曜は、部屋の明かりを点けて笑ってみせた。


 落ち込んでいる夜曜は、普段との差が激しい。たまに見せる闇が長く表面に溢れている時は、気分が塞がっている時なのだ。

 口調は若干鋭くなり、誰に向けた憎悪か判からない殺気をひしひしと感じる。不意に手を出されてしまいそうである。そんな彼の輝きが失なわれた瞳を、朝曜は恐れていた。


 ぎこちない動きで自室へ向かい、肩掛けの鞄を壁に掛け、ベストと着替えを入れ替わりに棚へ。ループタイと髪紐を解き、まとめて木箱へしまう。朝曜は夜曜の視線を背に感じながら、自室での用を終えた。

 示し合わせたようなタイミングで夜曜が立ち上がる。互いに沈黙を守りつつ洗面所へ移動する。両名とも洗面所に用事があるらしい。朝曜が怯え続ける気まずい空気が、ますます重くなる。耐えきれなくなった朝曜は、何気なさを装って尋ねる。


「き、今日は、もういいのかい?」


「うん。あんまりベッタリも良くないって、潤葉先輩からアドバイスされて」


 朝曜の問いかけに、夜曜は淡々と真剣な顔で答えた。返答に苛立ちは感じられなかった。朝曜は安堵で肩を撫で下ろす。わずかな動作を見逃さなかった夜曜が、申し訳なさそうに眉を下げて笑う。


「明日、僕が出勤するまでは主の面倒見てくれるって。君も休むべきだって、追い出されちゃった」


「そうかい。君が大人しく潤葉先輩に従うなんて珍しい」


「……恩人だからね」


 少し不満気な夜曜を一瞥(いちべつ)し、可愛らしいなと小さく笑う。


 夜曜が髪の手入れをしている隣で、朝曜は手を洗った。

 夜曜の髪は腰まである。丁寧に水分を拭き取った後、ヘアオイルを馴染ませるのが日課なのだ。


「兄ちゃんは? ちゃんとした会話できた? 三年ぶりの朝音様、変わりなかった?」


「うん、あまり、変わってなかった」


 夜曜はキョトンとしてから、ニヤリと笑った。


「へえ? 変わってなかったって冷たい返事する割には、嬉しそうな顔じゃん」


「え、そう、なのか」


 ぱっ、と片手で、恥じるように頬を抑える。鏡で表情を確認してみる朝曜だったが、己の表情の変化は判らなかった。

 夜曜は、にへへと笑う。自分だけが知っている、優越感が溢れたような笑いだった。得意気な笑顔のまま朝曜を小突く。


「良かったね。兄ちゃん朝音様を迎えに行く日、朝から真っ青だったし。心配してたんだよ」


「そう、ありがと」


 んふふと満足そうな笑みを浮かべる夜曜を横目に、風呂の準備をする朝曜。着替えを近くの網籠に放り、シャツを脱ぐ。着ていたものは仕事服なので、丁寧に扱う。下手に傷や汚れを着けると不味いのだ。朝曜には服飾を新調できる程の金がない。

 シャツ、ズボン、靴下を彫刻の施された木箱に入れる。木箱には紫のラインと朝顔の紋が彫られている。朝音の曜を表すモチーフの彫刻は、朝曜の物が入っていることを示している。この木箱は早朝、朝顔家のメイドに回収され、洗濯を経て返却される仕組みになっている。


 先に置かれていた夜曜用の木箱に重ねて置く。


「洗濯物、回収所は夜音様の部屋とは逆方向だろう。私が一緒に出しておくから、明日君は夜音様の所へ一番に行ったらいい」


「大丈夫、自分でやるよ。ありがとね兄ちゃん」


 夜曜は朝曜に甘えたことがない。こんな時でも甘えず頼らないのか。と兄貴面を許さない夜曜に不信感を抱く。


「そうかい」朝曜は上に重ねた木箱を、隣合わせの元通りに戻した。

「そーそー」特に気にした様子もない呑気な声音から察するに、彼にとっては当然の対応なのだ。兄と慕い、立場を強要しておいて、弟としては甘える態度を取らないことが。世間の兄弟像に知見があるわけでもない朝曜は、そんなものかと開き直り、入浴前の髪(ほぐ)しをする。


「風呂上がったら一緒に飯、食おうよ」


 夜曜の誘いを頷きひとつで受けて、朝曜は浴室に向かう。夜曜に背を向けた瞬間、彼が慌てて朝曜を止めた。


「待って兄ちゃん! 血の匂いがする。どっか怪我した?」


「……いや、してない」


 朝音がつけた傷が開いてしまったのだろうかと、朝曜は焦った。夜曜には、なるべく隠しておきたい。夜曜は朝曜のことを過剰に気に掛ける癖がある、それが少し鬱陶しい。夜曜は朝音が関わると、人が変わったように殺気を放つ。朝曜は、それが少し怖い。


 しばらく鏡越しに見つめ合う二人。数秒経っても夜曜は黙っている。下着一枚で半裸の朝曜は、緊張で冷や汗をかいた。突然、夜曜が申し訳無さそうに息を吐いた。止まっていた朝曜の呼吸も再開された。


「ごめん、気のせいだったみたい」


「夜音様の事があって、気を張っているんだろう。謝らなくていい」


 緊張が解けた朝曜は、安堵の表情で風呂場へ足を進める。その瞬間、夜曜が叫んだ。


「兄ちゃん顔、血! 鼻血も出てる!」


 血の気の引いた顔で、朝曜の肩を鷲掴みにする。朝曜は冷静に、夜曜越しの鏡で傷を確認した。


「本当だ、ごめん、なんでもない」


 心配を押し殺したような表情の夜曜が、朝曜の頬を撫でる。頬に伝う血を指で拭った。夜曜は細めた険しい瞳で、指に移った血を眺める。殺気を感じ取った朝曜は、息を呑む。


「朝音様に、また殴られたの?」


「っ大丈夫! 普通の人間じゃないんだから、蕾花(らいか)があれば問題ない!」


 威勢の良い朝曜の返答に、夜曜は多少狼狽(うろた)える。畳み掛けるように朝曜が続けた。


「ちょっと気が抜けて、蕾花力(らいかりょく)で繋いでいた傷口が緩んだだけだ!」


「……そっか、過剰反応しちゃってごめんね」


 繕ったような笑顔で、朝曜の鼻にタオルを添える夜曜。朝曜は、タオルを押し返し早口に告げる。


「君の癖だね心配いらない杞憂(きゆう)だよ」


 朝曜は顔に手を添えて雷花力を傷口に集中させた。淡い光が傷を覆うと出血は止まり、傷跡も消えていた。逃げるように風呂場へ入り、ぴしゃりと戸を閉める。鼻腔に残るヘアオイルの香りを消すように、水を浴びる。


「蜂蜜、私のと()()はずなのに」


 嗅覚をしつこく刺激する香りは、どこか懐かしく、魅惑的な甘さだった。朝曜は、夜曜の使っているヘアオイルについて詳しく聞こうと思うのだった。


 静かな部屋に水音が響く。カマをかけて正解だったと、ほくそ笑む夜曜は苛立ったような溜め息を吐き、殺気の滲む黒い笑顔で呟いた。


「朝音様、本当に、変わっていなくて安心したなぁ」


 朝曜の血がついたタオルを握り込み、それに華やかな微笑みを向ける。


「相変わらず、憎々しいお方だ」


 いい笑顔で、そう吐き捨てた。それから夜曜は、指に残る朝曜の血に口づけした。一滴も残さないように、味わうように、執念深く──舐めるのだった。

本編の更新は次回になります。四ヶ月後に、お会いしましょう。(リアクション等頂けると励みになります。是非お願いします。)

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