表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朝顔の私刑  作者: 久成あずれは
完結(本編) 現在。朝音。朝曜。
6/15

3話

 朝顔家(あさがおけ)──緑木家(みどりぎけ)配下の上位花家(じょういはないえ)朝音(あさね)の生家。創設者兼家長(かちょう)はハオネ、朝音の母親だ。朝音の母親が(つく)り、両親で大きくした朝顔家。華やかで明るく、朗らかな雰囲気の家だった。しかしハオネが亡くなってから、その雰囲気は一転した。二代目家長のウルガは厳格だった。

 精神に異常をきたしていたウルガは、朝顔家に破滅の道を残し、まもなく家長を降りた。その後を継いだのが朝音だった。

 朝音の実力で一時は勢力を取り戻した朝顔家だったが、事件によってその繁栄は閉ざされた。それからというもの、紆余曲折(うよきょくせつ)はあれど、朝顔家は衰退の一途(いっと)を辿っている。


 朝音が家長を降ろされ、跡継ぎが居なくなった。次期家長を決めるという大義名分は、武力衝突に発展した。朝顔本家派の敗北、それが衰退の最たる原因だった。

 家内での激しい争いにより家長制度を支持する者が減少し、朝顔家は一時、絶家(ぜっけ)になりかけた。それを立て直し、現在まで引き継いだのが現家長の哩椋(りろう)だ。


 現在朝顔本家と名乗っているのは元昼顔家(ひるがおけ)で、家長は哩椋。朝音の叔母(おば)にあたる。地位争いに勝利し、朝顔家をまとめ直した元昼顔家の権力も、家長が開花病(かいかびょう)を発症したため衰える一方だった。

 跡を継がせようにも、哩椋の子は朝顔家を継ぐ気がなく、新しい家を創りたいと公言している。跡継ぎが居ないも同然だ。そのため無理矢理まとめられた朝顔家分家の者達は、虎視眈々(こしたんたん)と家長の座を狙っている。

 再び次期家長争いが起こるのは、目に見えていた。


 そこで、ハオネとウルガが隠し子として裏で育てていた夜音(よるね)が役に立つ事となったのだ。この時の為に産まれたと言っても過言ではない夜音の存在は、圧倒的だった。

 跡継ぎ問題、繁栄問題、家長制度の支持率……夜音は優秀だった。当時、八歳という年齢で表に声明(せいめい)を現すと同時に、それらの問題を一挙に解決して見せたのだ。才色兼備(さいしょくけんび)の夜音は、瞬く間に朝顔家の家督(かとく)として認められた。


 次期家長の座を狙っていた(やから)は、彼女のことを裏で『替え玉』と呼んでいる。表では支持者を(よそお)い、裏では家督への悪評をばら撒いている。夜音が弱味を見せたなら直ぐにでもつけ込み、力尽くで家長に成り上がる心算(しんさん)だ。

 (さと)い夜音は、そのことを知っていた。そして弱味を見せないよう取り繕い、強く強くあろうと自己研鑽(じこけんさん)をしている。


 まだ幼いその身を敵だらけの世界に投げ込まれ、常に背水(はいすい)(じん)で生きている。産まれた時から、何から何まで朝音と比べられ(くら)べられ。天性(てんせい)の才をもつ朝音を憎み、どこまでも凡庸(ぼんよう)な己を憎み、憎しみを糧に生きている。

 夜音の見る世界は、憎しみに染まっている。産まれた時から、呪っている。

 夜音は、朝顔が忌々(いまいま)しい。


 夜音(よるね)が朝音を憎むように、朝音(あさね)は夜音が嫌いだった。朝顔家の者は一人残らず嫌悪の対象だ。同族嫌悪(どうぞくけんお)の朝音からすると、朝顔家の血は(いと)われるべきで、根絶やしにしてやるべき存在なのだ。

 朝音は、朝顔が忌々しい。


『呪いも罪も、朝顔の全ては朝顔に帰る。美しく、儚い、朝顔ごときに』



 朝顔家は名前の通り朝顔が家花(いえはな)だ。花家(はないえ)の部類に属するだけあって、家の外観は朝顔一色だ。レンガ造りの壁も(へい)も、朝顔に埋め尽くされている。この季節は(つる)の成長が(いちじる)しい。

 外壁には朝顔の蔓。花壇からも朝顔の蔓。グリーンカーテンどろこか、家自体が朝顔の支柱になっている。朝顔家の敷地全体を囲う竹塀(ちくへい)にも、朝顔の手は延びていた。明るい緑に覆われ、色褪(いろあ)せた竹塀すら真新しく見える。植物は生命力に溢れていた。

 今はまだ緑に覆われている程度だか、朝顔の最盛期、真夏がやってくる頃には外壁が色鮮やかに染め上げられる。(つる)のなかに(のぞ)く星の数ほどの(つぼみ)が、息を潜めてその時を待っている。


 これだけの家花(いえはな)が生命力を(とど)めているのだ。少しくらい頂戴しても咎める者は居ないだろう。

 朝音は朝顔の(つぼみ)に近づき、瞳を閉じて深呼吸をした。蕾花(らいか)に朝顔の蕾花力(らいかりょく)を吸い込ませたのだ。大量の蕾花力を一度に入荷した蕾花は、活力を取り戻す。朝音は呼吸と体が軽くなる感覚に心躍った。

 朝音は蕾花力の(ほとん)どを薬で養っていた。そのため蕾花の栄養状態が貧弱で、血液の(めぐ)りが悪かった。自然の家花蕾花力(いえはならいかりょく)を吸うことで栄養がつき、体の調子がいくらか良くなったのだ。

 朝音が(よう)に向き直ると、合わせて止まっていた曜が朝音の顔色を確認した。


「少しは良くなりましたか?」


 心なしか嬉しそうにしていた朝音は、その一言で気分を害されたようだ。恥じるように目を伏せ、言い訳のように呟いた。


「……最悪の気分は変わらない」


 曜は間抜け顔をすると、朝音の正面に座り込み、顔色を再確認した。曜の行動に驚いた朝音は、強張(こわば)った表情で目を見張る。見つめ合う二人の間に流れる沈黙を、やけに長く感じる。曜は(いぶか)しげな瞳で朝音の顔を見続けた。


 朝音様の顔色は確実に良くなったはず。朝音様は、それを認めたくないのだろうか。それとも、誤魔化しを自分で言っておいて恥ずかしくなったのだろうか。どちらにせよ素直じゃない。朝音様は──


 素直になれない朝音を可愛らしいと思ってしまった曜は、自分の口が緩んだ事に気がつき、慌てて引き締める。

 朝音は曜の不審な瞳から逃れるように立ち上がった。血色が良くなったのか、わずかに赤らんでいる顔色で眼鏡の縁に手をかけると、怪訝(けげん)な表情で曜を睨みつけた。負け犬面(いぬずら)な朝音が、曜の笑いを誘う。


「何よ、文句でもあるの?」

「そ、申し訳ありません」


 曜は謝罪と共に、笑みを噛み殺した。



 門の入り口からしばらく歩き、朝顔の(つる)に包まれた大きな洋館に近づいて行く。その間、二人は静寂を守っていた。朝顔に囲まれた庭のレンガを辿り、玄関ポーチに行き着いた。屋内から漏れでる薄明かりが、二人を淡く照らす。

 扉ひとつ挟んだ先に待ち受ける、嫌悪。あの視線、あの表情、あの顔ぶれ。きっと何ひとつ変わっていないのだろう。私が変わっていないように。

 朝音は眼鏡にかけていた手を、離す。そして、久しぶりの感情を切り捨てた。


 ドアノブの石を見た曜が、思い出したように振り向く。家に入るための手が足りなかったのだ。曜は荷物を任せようと声をかけた。


「少しの間、預かって下さい」

「……嫌、重い、めんどくさい」


 朝音はそっぽを向いた。曜は朝音が向いた方向に移動し、朝音に正面向かって告げる。


「両手が(ふさ)がっていると、家に入れません」

「片手で開けるか……家に入らなければいい」


 駄々をこねる朝音に、曜は真摯(しんし)に向き合う。


「本人確認は両手からの雷花力でしか感知されません。防犯対策である事、ご存知でしょう。それに朝音様は追放された身ですから、この扉を開ける事はできません。私の両手が必要なのです」


「──そうね。知ってる」

「では、お願いしますね」


 朝音は嫌そうな顔をして、曜から渋々(しぶしぶ)荷物を受け取った。


 朝音に荷物を預けた曜は、空いた両手で扉の取っ手を握り、蕾花力を流した。薄緑の光が、ドアノブに(はま)っている石を染め上げる。扉がそれを感知し鍵を開けた。曜は片側の扉を開き朝音を招き入れる。

 朝音達を迎えたのは、朝顔家のメイド達だった。温かい出迎えとは言い難い空気だった。敵が陣地に侵入したとばかりの冷たい目線。彼女らは朝音をその視線で突き刺し、曜は遮るように前に出た。

 曜は仕事と割り切っているようで、物怖じせずに要件を伝える。


「ただいま戻りました。お待たせしてしまい大変申し訳ありません」


 曜は深く一礼すると、ロビーに常駐(じょうちゅう)しているメイド長に声をかけに行った。メイド長は曜に耳を傾け、離れた玄関口にいる朝音を一瞥(いちべつ)する。朝音に会釈(えしゃく)をすると、メイド長は足早に去って行った。家長への報告に向かったのだ。

 戻って来た曜は朝音から荷物を受け取り、小声で(うなが)した。


「行きましょう、朝音様」


 待機メイド達が、通りすぎる朝音をまじまじと見る。彼女達は人形だ。あくまで騒ぎ立てるようなことはしない。ひたすら目で喋る。口にしていなくとも、朝音には聞こえていた。


『帰ってきたのね。夜音様は大丈夫かしらね。尻軽だわ。(みだ)らな。汚い。(くさ)いわ』


 下らない。お人形なんて、相手にするだけ無駄。

 意思のないふりをして、信じたいものだけを盲目的に崇拝(すうはい)する。それ以外はゴミ同然と、したり顔で(さげす)むのだ。自分達より社会的価値があろうとなかろうと、(けな)して貶して──排除する。素敵なドールハウスを守るために。遊んでくれる主人を、自分たちから離さないために。しつこく、何処(どこ)までも。

 朝音は振り向き様、ロビーを懐かしげに見渡した。人形達を睨みつけ、嫌悪感を丸出しに顔を(しか)める。


『下らない、人形ごときが』



 朝音を連れた曜は、階段を上がり道なりに進んで行く。荷物を抱える曜は、木箱の上に乗せた鉢を落とさないように、慎重に進んでいた。朝音は曜と歩幅を合わせつつ、辺りに目を配る。

 所々装飾が増えているが、三年前とほとんど変化のない我が家。一定の間隔で飾られている絵を、順々に流し見た。このまま行くと、自分の部屋に辿り着く。そんな安心にも似た高揚感(こうようかん)に、足が早まる気がした。

 曜が足を止めずに、隣を歩く朝音へ行き先を伝える。


「自室は整えてあります。本日は、そちらでお休み下さい」


 ロビーから正面の階段を上がり、道なりに直進。朝音の部屋は二階、突き当りの右手にあった。朝顔家を当主直々に除籍された朝音は、朝顔本家に自分の部屋が残されているとは思っていない。

 三年前の事件以来、父には見捨てられたと心底信じているのだ。父は朝音に絶望し、朝音を憎み、痕跡(こんせき)すらも許さない。きっとお父様は私の死を願っている。


「……お父様に、随分(ずいぶん)と無理を言ったのね」


『私も、お父様の死を願っているもの。お互いに憎しみ合っている方が楽でしょう?』

 口に出さなかった胸の内。朝音の想いを知らない曜は、淡々と事実を述べた。


「いえ、前当主様は朝音様の部屋を入れ替えないようにと、命じておりましたので」


 朝音はタイミング良く、自室に通された。驚きを隠せず目を見張る。三年前と変わらない昔のままな自室が、そこには()った。

 ついさっきまで、誰かが暮らしていました、とでも言わんばかりに整えられた部屋。(ちり)一つない。カーテンも布団も、朝音が勘当(かんとう)された十二歳の頃と変わらない。持ち出した本達の居場所も、空になった棚に残っている。

 昨日のことのように思い出す、ここでの日々。あの処罰。抱いた感情のひとつひとつまでもが、鮮明に蘇る。疼く古傷が、酷く痛むような気がして、腹部を押さえる。ああ、眼鏡に手を伸ばす余裕がなかった。酷い表情をしている見られるのはまずい──眼鏡に、眼鏡に手を伸ばさないと。


 立ち尽くす朝音を他所(よそ)に、曜は荷物を机に運んだ。荷物を置いた曜は今後の動向を伝えようとして、振り向く素振りを見せる。朝音は未だ眼鏡に手が届かない。焦燥がチリチリと身を焼く。緊張に固まった足が、生ぬるい。曜が振り向く──背筋が、つうっと、冷えた。


「大浴場に行きます、ので──」

「めんど、くさいっ」 


 弾かれたように口癖でもある捨て台詞を言い放つと、朝音は逃げるように部屋を去った。曜の制止を背に朝音は足を早め、廊下の奥に姿を消した。荒々しく床を踏みつけて行く。朝音は自分を追い詰めるように思考を回し、苦しい呼吸を加速させていた。


 わからない、そうねあなたに解るはずがない。

 わからない、解るはずでしょうあなたは天才なの。

 どうして、わかっているでしょう考えなさい。

 何を、お父様はあなたを見捨てていない。

 違う、もうわかっているのでしょう?


 ……ああ、疑問ばかりで気持ち悪い。お父様は一体、何を考えておいでなの。私が間違えたとでも? いいえ間違えるはずがない。大変立派な英才教育で、正しい答えだけ解るように仕込まれたのだから。

 間違えるなんて間違えることなんて間違えることなど、そう──


『間違えることなどあってはいけない』


 朝音は立ち止まる。握りしめた両手の拳に、眼を細める。ゆっくりと拳を解き、詰まっていた息を吐き出す。まだ、呪縛から逃れきれていない。

 非常事態、疑問、迷い。それらに直面すると、頭が勝手に喋りだす。自分ではない誰か──糸に吊られた、(つた)の絡まった、頭を朝顔に埋め尽くされた、人形の「私」が喋りだす。

 たくさんに一度に一斉に喋る。今の私を否定する言葉を吐き散らす。間違いだと貶す。彼女の言うことは、常に間違っていない。視点が違うだけの、正しい答えなのだ。

 それが余計にタチが悪く、朝音を苛立たせる。


 深呼吸をする。(うつむ)いたまま眼鏡を握る。顔を上げた先の、目をやった壁には、朝顔の絵が飾られていた。正方形の額縁は飾り気がなく、装飾や塗装が施されていないようだ。シンプルな木の額縁に囲われたその絵は、どこか懐かしい雰囲気だった。

 大きな濃紫(こむらさき)の朝顔と、小さめの白い朝顔が、寄り添うように咲いている。その二つしか描かれていない。優しさを感じさせる絵だが、寂しい絵でもある。

 なぜこんな物がここに飾られているのだろう。絵に引き寄せられた朝音は、眼鏡から手を離し、額縁を指でなぞった。隅まで眼を走らせると、絵の隅にサインがあった。


『朝顔ハオネ』


 母親の名前だった。朝音は指を引っ込める。名前の下、額に半分程隠されてしまっている、それ。絵の題名のような、走り書きのような──想いのこもった字。


『親愛なる朝音と夜音』


 朝音は拳を振り上げる。絵を目掛け、勢いをつけて振り落とす。額縁は床に叩きつけられた。ガラスは割れ、額縁が外れる。額に隠されていた『それ』の半分があらわになる。

 朝音は顔を歪め、絵を踏み潰そうと決心する。しかし靴の底は絵に届かず、散らばるガラスの破片を踏みつけた。

 朝音は、瞳に滲ませた想いが柔らかいことに気がつく。眼鏡を握り、腕を握る。崩れそうな足で踏み留まる。掃き溜めに差す光のような、()()を見てしまった。

 後悔と悲しみが、胸を塗り替える。

 明るい色が、朝音を塗り替える。

 必死の抵抗、苦し紛れの悪足掻き、行き場のない濁流が口から飛び出す。

 弱々しい一言となって。


()()、なんか、大嫌いだ──」


『親愛なる朝音と夜音

 ……──二人の幸せを願って』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ