5話
一ヶ月ぶり、お待ちかね、潤葉の過去です。会話量的に、潤葉と夜曜の話みたいになってしまいましたが、一応夜音ちゃんの話です! 傍点に注目すると新しい発見があります……お楽しみ下さい!
「夜曜、落ち着きなさい」
一点に集中した意識が、はらはらと散っていく。緊張と恐怖が緩和される。倒れた時の音に気づいた葉が、来てくれたのだ。
「──よ、うせんぱい」
安堵の吐息は、蚊の鳴くような音を孕んでいた。緩んだ涙腺に力を入れて、口角を引き上げる。曜は笑顔が得意だ。どんなときでも、笑顔をつくる事ができる。曜は夜音から顔を上げ、へらっと笑って見せた。
「この上なく、落ち着いてますけど?」
葉はやれやれと首を振った。曜の表情は青白く強張っていた。喪失の恐怖に支配されている、と一目で分かる。指先も眉も声も震えている、平常だとは言い難い。葉は曜を不憫に思った。
『笑えているつもり、なんでしょうね』
葉は感情を切り替える。想定内だと己を落ち着け、冷静に告げる。
「開花病の発作ですね。夜音様の部屋へ運びましょうか」
「そ、うですよね」
動揺を隠した曜は膝の上に乗せていた夜音の頭を優しく降ろし、葉に夜音を譲る。葉は彼女を軽々と抱き上げる。曜は夜音に任された書類を胸に抱えた。大事に、悔しそうに。
曜は、こんな紙束より夜音様が大切だ。しかし彼女は自分より書類を優先する。夜音を保証できるのは、この紙だけ。立場の証明、存在の肯定、命の価値を記した、この紙切れだけ。夜音は書類の価値と同等なのだ。文字の記された、ただの紙に過ぎないものと同価値なのだ。曜は心底、憎く思った。
『本当に、ただの紙ならば良かったのに』
書類に記された価値観だけが、夜音の真価を計るものではない。定められた生き方だけが、夜音の存在を認める訳ではない。
たかが人形の曜、たかが操り人形の夜音には、知り得ないことだった。人形ごときの頭で解るのは、今の夜音が惨めであること、だけだった。
『紙に縋らずに済むように、夜音様を支えたかったのに』
人形の曜は、ただ、悔やむことしかできない。
ウルガの部屋付近で倒れた夜音を、葉が運んでいる。夜音の部屋は三階。建物二階分の階段を、幼女を背負って上がる。筋力と体力に自信がある葉は、汗ひとつ浮かべずに早足で進んで行った。曜もそれに続くが、額には汗が浮かび、息が上がった。
夜音の自室に着いた。少し前に葉が与えた部屋だ。葉が夜音の居場所になるようにと、揃えた最低限の家具。厚手の布で覆われた窓の、薄暗い部屋。
家督になる前の彼女の部屋は、閑散としていた。人が住んでいる事周りに悟られないように気をつける必要があったのだ。
葉は記憶の再生を辞め、現実を見た。現在の彼女の部屋は、朝顔家の家長に相応しい調度品で溢れていた。立場に見合った品で、着飾るのは朝顔家のしきたりだった。
部屋に入って、正面は応接室、奥が執務室、右手側が居住スペースになっている。右手の最奥が寝室。曜は書類を執務机に置くと、葉を寝室に案内した。
夜音を寝台に運んだ葉は、彼女の蕾花を観察した。蕾花は開花に近い蕾花力を蓄え、煌々と輝いていた。
通常の蕾花は常に雷花光を放出しているが、その光が肉眼で見えることは無い。しかし現在、夜音の蕾花光は肉眼で見えている。
「葉先輩、夜音様は、大丈夫でしょうか?」
開花病は雷花能力の活性化が病的に起きることを指す。特効薬や鎮痛剤はない。治癒するような病ではなく、発病したら最後。不変な死を待つだけの病だ。
「大丈夫ですよ、手を尽くしましょう」
(夜音様のことを娘のように思っている、と散々言っていた葉先輩のことだ。そんな大切な存在が、突然倒れて、しかも不治の病で。)
夜曜は葉の落ち着き払った態度に、何か裏があるのだと信じて疑わなかった。
『動揺していないなんてのは、おかしい』
曜は夜音に薄い布団を掛ける。彼女の小さな手を握り、額に当てて深呼吸をした。午後の影に浮かぶ冴えた眼光で、半ば睨みつけるように葉を見る。
「信じて良いんですよね、その言葉」
「勿論。信じて良いですよ。夜音様は救えます」
開花を何度も見てきた葉には、判ってしまった。夜音がもう永くないことが。一回だけの発作だというのに、進行の度合いが深過ぎるのだ。このままでは数日以内に開花し、夜音は確実に死ぬ。何週間も前から手を尽くしてきた葉だったが想定外に直面した。間に合わなかったのだ。
葉は綺麗な笑顔で、心にも無いことを曜に吐く。
「君は優秀だから、救えますよ」
かつて自分にかけられた、呪の言葉を。
寝台を挟んだ対岸に、葉が腰を降ろした。そっと手を伸ばして夜音の汗を拭った。夏の蒸せる空気と彼女の体温は、正反対な温度だった。拭った夜音の汗を、指で擦る。蕾花力を込めた眼で、それを見る。
(汗に含まれて良い蕾花力の量ではない。一度の発作でここまでとは。状況が彼女の時と酷似している……嫌でも思い出してしまうね。)
葉は、ハオネのことを思い出していた。夜音の母──ハオネの開花病は進行が緩やかだったが、一度の大きな発作で突然悪化した。時々痛む程度の症状が、どんな工夫をしても消えない苦痛に変わった。苦しむ彼女を側で見ていた葉は、心に陰りを感じた。
無表情の葉が、おもむろに尋ねる。
「緑木家の蕾花持ちが、簡単に死なないのは何故だと思います?」
「蕾花無しの死亡率のほとんどが自殺ですから……」
問いかけられた曜は、古い記憶を思い返す素振りを見せた。
「蕾花持ちが死なないのは自殺が難しいからだと思います」
雷花持ちは簡単には死なない。雷花が枯れる、雷花を体から取り出す、雷花を壊してから首を落とす……方法はいくつか存在するが、自殺向きのものは少ない。
(雷花持ちの自殺は困難だ。それも緑木家や金城家……本家から別れて独自の蕾花を持つ者は、特に。蕾花を持つ以前の私には、関係のない話でしたけれど。)
他人が壊せないように創られた強度の雷花を、自力で壊せるはずもなく。己の首と雷花を体から同時に、かつ完全に切り離す。というのも自力で完遂することは難しい。心臓に生えている雷花を心臓ごと、くり抜く。意識を保った状態でないと自死は不可能なので、これも強靭な精神力を要する。
蕾花持ちの死因は、蕾花力を使い切る枯蕾花、制御を失敗した開花。どちらかを病的に発症するか、他殺か。滅多にない老衰か。蕾花を持たない人間に比べると、数少ない。
『私達は、どんなに絶望しても、自殺できないんです』
「……そうですね、そのとおりですよ」
意図しない開花は制御が効かない。傷は瞬時に治るが痛覚は残り、神経は麻痺しない、意識のない状態の雷花は強度が増す。開花で雷花力を使い果たし、雷花が枯れるまで、死神は微笑まない。雷花能力の活性化は、死と隣り合わせ、まるで悪魔との契約だ。
そんな地獄で、ハオネは自殺した。
「なんで今、そんな事を──」
「ええ、すまないね。不謹慎だった」
誤魔化そうとした葉を、曜が探るように見つめる。葉は観念して本心を吐露した。
「夜音様がハオネ様に重なって見えたのですよ」
葉はハオネの自殺未遂に立ち会ったことがある。目も当てられない惨状の部屋、充満した匂いは鼻に残って。血の海で苦悶するハオネが、眼に焼き付いて。苦痛に喚く声を鼓膜が覚えている。四年経った、今でも。
疑念の消えない曜は、カマをかけた。
「葉先輩は知っていたんですよね?」
懐古に苦笑いを浮かべていた葉の顔が引きつった。
葉は後悔に胸を引き裂かれる。葉は夜音に開花病の予兆がある事を、知っていたのだ。「あと少し、あと少しで叶う」と夜音が口に出す度、葉は己の口を塞がれた。「黙っていて、見逃して」と言われているような気がして、黙るしかなかったのだ。それでも葉は己のできる事を、できる限り、やってきたつもりだった。間に合わなかったのは誤算だった。
「知りませんでしたよ。少しも、気づけませんでした。夜音様は隠し事がお上手ですから」
夜音が曜にも隠していることには直ぐに気がついた。二人の関係を慮ることで、状況を悪化させていたのだと、自責の念に駆られる。(夜曜に伝えるべきだったか?)葉の乱れた内心に、冷酷な脳は否と告げる。
『これで良かったのだ、これが正しいのだ』
我に返った葉は、詰まった息を吐き出した。そして感情を否定するように、脳を肯定する。
(夜曜が主の病を知ったなら、家長引き継ぎを先延ばしにする可能性がある。最悪、動けなくなった夜音に成り代わり、家督を辞退しかねない。一番大切が主軸の夜曜は、人形らしく主を庇護するだろう。開花病に気がついたのは、具体的な家長への道が開けた時だった。あの時動いていたなら、今はなかった。)
『間違っていない』
葉は己の選択を正当化し、感情苦から逃れた。
「先輩、私に、できることはありますか?」
曜の呟きに意識を引き戻された葉は、拳を握った。決意と後悔を込めて。夜音の輝く雷花を呆然と眺め、昔を思い出しながら。
『これで、罪が償えるのなら』
「君、昔話を聞いてくれますか? 夜音様が目覚めるまでの時間潰しに」
曜は静かに頷き、寝台から離れた。部屋の隅に椅子を二つ並べる。そこに葉を案内し、話を始めるよう促す。
「茶菓子も何もお出しできませんが……私の耳は貸しますよ」
「お気遣いありがとうございます」
葉は椅子に腰掛け、体の前で両手を組み、語りだす。
戦場なら開花は喜ばれるものだった。死が確定する開花を無理やり起しては突撃させる、よくある戦術。緑木家への逃亡過程で、戦闘は何度かあった。その都度、雷花無しだった葉は、開花作戦で主を奪われている。
だが、現在となると話は別。戦闘のない平和な緑木家に、暴走状態の開花は不要。ただの死因になるだけだ。
(身分第一な緑木家の皆さんですが、私の主達は違いました。開花作戦では大抵の家が、蕾花持ちの従者を差し出すなか。蕾花無しの私に代わって、主人が作戦に身を投じて逝きました。私が仕えた主人は皆、私の身代わりになって死んだのです。その頃私には蕾花がありませんでしたから。)
日が陰り始めた頃、葉が窓の外を見た。寝台の枕側は壁に接面しいており、そこには一抱えの窓がある。寝台の向こう側では、空が黄色く染まり始めていた。
「ふふ、もうこんな時間ですか。語りすぎましたね」
葉は哀愁の残る瞳を閉じて、笑みをつくった。
「つまらない長話に付き合ってくれて、ありがとうございました」
「いえ、その」口ごもる曜を、葉は微笑みながら見つめる。
「葉先輩のことを、少し知ることができて、なんか……嬉しかったです」
薄暗い影が流れて、夕日が葉の顔を照らす。
「そう言ってもらえるとは、思っていませんでしたね」
光に包まれた表情からは慈愛を感じる。その瞳に宿る愛が、父親の顔にさせている。葉は首を傾けて、再び影に顔を埋めた。
『君には、話すべきではないと解っていたのに』と唇だけで呟く葉。それから自嘲気味に顔を歪める。「話した甲斐がありましたね」なんて、明るい声音を繕って。
曜と葉の付き合いは、夜音と曜に匹敵する。六年の付き合いがある。しかし曜は葉の事を今、初めて知ったような気がした。
(今までに見たことないような顔をしたから。なんだか戸惑っただけ。葉先輩も同じ存在なんだから。)
静まらない動悸に言い訳を探していると、葉が席を立った。
「そろそろウルガ様を迎えに行かないといけませんので。失礼しますね」
離れて行く葉の影を、曜は無意識に引き止める。「待って先輩!」後少しの距離まで詰め寄って、彼の手を掴む。
「僕は、どうするべきですか?」
葉は驚いて後ろを振り返った。「僕は」と言った声の主を探して、曜を見た。葉を見つめる彼は、懇願と不安を織り混ぜた顔をしている。動揺した葉は、胸の痛みを自覚した。
(そんな声で顔で、私の前に存在しないでほしい。君は、やっぱり似ているから。)
葉は胸に手をあてた。『大丈夫、ここにいる』
曜を安心させるために微笑む。葉の笑顔は完璧だ。曜とは違う。
「夜曜は夜音様のお側に居なさい」
葉は唐突に曜の頭を撫でた。曜は葉の掌に押されて俯かされる。
(やっぱり君には、こんな顔、見せられませんからね。)
葉は今にも涙を落としそうな瞳で、歯を喰いしばっていた。眉間にシワを寄せる。深いため息をついて瞼を閉じ、親指で拭う。
大人しく頭を撫でられていた曜は、光る粒を見た気がした。視線を一人占めした輝きを追う。下へ落ちていったそれが、落涙だとは気づかずに。
気を取り直した曜は、はっとして葉の手を払った。不安に揺らいでいた曜の顔は、訝しげな表情に変わっている。
葉が人形を子供扱いする時は、手札を隠している時。そう考えている曜が、口を開きかける。葉は微笑みを崩さずに、その口へ人差し指を添えた。教えるから黙れ、の意だ。曜は大人しく引き下がる。
「私に考えがあります」
そう言って葉は、己の考えを伝えた。緑木家当主が蕾花研究を進めている事。蕾花の移植は簡単に可能である事。最終手段……賭けになるが、成功したなら確実に延命できる方法が存在する事。
葉が曜に教えた事は、全て極秘情報だった。緑木家の当主一家、研究を任された朝顔家、実践を一任する従者教育機関。研究に関わった中でも、一握りの人物しか知らないような情報もあった。それらの情報を、葉がどうやって入手したのか。曜には無関心なことだった。
二人が情報共有を終えると、部屋には沈黙が満ちる。そして、一人の声が沈黙を破るのだった。
「──花少女になるわ」
いかがでしたか? 考察は捗りましたか? 明かされた謎が、さらなる謎を呼びましたね。安心して下さい「流るる」とは違って、きちんと全部回収しますから!
サクッと次回予告「花少女ってなーに?」潤葉が用意した最終手段の全貌が明かされます。朝音の章から引きずっていますからね、お待たせしましたーって感じです。お話できるのを楽しみにしています。それでは来月お会いしましょう!