4話
※現夜夜5話の続きになります。
「でもいいの。私はこれで」
「え、そんなっ、なんで!」
前のめりになった曜の肩に、葉が手を置く。その手を払って葉を睨みつけ、自身の首筋を握る。
一方夜音は胸の痛みで眉間にシワを寄せた。瞑想も兼ねて目を伏し、ゆっくりと呼吸をする。痛みを少しでも和らげようと、胸を手で押さえる。滴る汗は、夏の暑さのせいではないように思えた。
「このまま生きて、誰かの為に存在することで、この命を許されるのなら」
夜音は曜に向けて儚く微笑んだ。
「それが最適解なの。たとえ」
その柔らかな微笑みを、陰りが覆う。
「代わり映えの無い選択肢から、自分の目的のために一番有用なものを選ぶしかなくても。こんな生き方しかできないままで、いつまでもお姉様を超えられなくても」
悔しさを堪えるために、薄い掛布団を握る。
「そうでないと、生きていけないんだもの」
小さな手が生み出した、多くの深いシワ。それは彼女が抱える闇を表しているかのようだった。葉は布団に浮き上がる影を、濃く浮き立たせる日の光を憎んだ。
(夜音さんが変えられないものは、私が変えて行きますから。今までそうだったように、これからも。選択肢を自ら作って、選べるようになるまで。)
「花少女は蕾花持の真の姿であると同時に、人間ではありません。よくお考え下さい。責務の為だけに人間を辞めて生き続けることが、夜音様にとっての正解かどうか」
三人は沈黙した。決断を迫るような、重苦しい時間が横たわる。
「潤葉、話してくれてありがとう。発言は撤回しないわ」
「被験体として、実験に参加するということで宜しいでしょうか」
「ええ。被験体でも、人間を辞めることになっても」
夜音は揺るがない意思を宿した瞳で、言い切る。
「それが最適解なのだから、賭けるだけよ」
黄金の瞳に迷いはなかった。
「これが私にとって唯一の、正解でもあるのだから」
夜音は人間を辞める選択を、いとも簡単にしてみせた。責務と命を天秤に乗せ、責務を選んだ。立場に忠実な夜音は賢く、そして正しい。
「治療を担うのは朝音様ですが、宜しいですか」
朝音の名前が出た瞬間、夜音は嘲るように顔を歪ませた。こみ上げる笑いを堪えるように喉を鳴らす。
「お姉様……ね。問題ないわ、むしろ好都合よ」
憎しみ余って信頼があるのだろうと、葉は納得した。対照的に曜は研究の主導者が朝音であることが気に食わなかった。爪の先程も信用していない朝音に、大切な夜音を任せたくない。幼稚な意地と思われようと、絶対に阻止したい。
(兄ちゃんも夜音様も苦しめて、傷つけるような朝音。人間の最悪を集めてできたような朝音が、夜音様の命の恩人になっていいはずがない。)
「私は、断固として反対です、あの朝音様に──」
「私は生きるべきなの、どんな手を使っても」
曜の声を遮った夜音は、悟った表情をしている。「解っているでしょう、諦めなさい」と言い聞かされているような思いがした。己の言葉ひとつでは、太刀打ちできない現実に絶望した。人間を変える言葉は、人形には生み出せない。突きつけられた現状に、己の無力さを痛感する。
『私は役立たずだ』
胸が締め付けられた。
『もうずっと、悔しいんだ』
(憎しみを主軸に生きることを強いた存在が、救いになるわけない。憎悪に恩が混ざったら憎むに憎めない存在になってさ、苦しみが増えるだけじゃんか。僕それ知ってるんだよ。だから止めたかった。これ以上、夜音様の感情の居場所を奪わせたくなかったのに。)
葉が遠慮がちに、再三確認する。
「では、朝音様に依頼致します。本当に宜しいんですね」
夜音は忌々しげに笑う。朝音の黒い笑顔に勝るとも劣らない、黒い感情が滲んだ顔で。
「ええ。あの人が失敗なんて、するはずないもの」
「承知しました。ああ、そういえば」と思い出したように、葉が告げる。
「私が今日話したことは全て極秘情報なので、他言無用でお願いします。機関の敵には回らないことが望ましいですから」
葉が慎重な言葉を重ねて、念を押した。
「知っていることを悟られては命に関わる場合もありますから、細心の注意を払ってくださいね」
指切りのポーズで小指を差し出す。黙秘の約束を暗示するように、自分の唇へのせた。
「わかりましたか?」
二人は深く頷く。葉はいつもの作り笑いを張り付けると「お利口ですね」と曜の頭を撫でた。曜は直ぐにその手を払おうとする。
刹那、葉が力を強めた。頭を鷲掴みにする圧力。曜が視線を上げる。葉は低音で囁いた。夜音に聞こえないように。
「私の過去を話したら──要が死にます」
葉の一言で、曜は顔色を変えた。下がった眉は眉間にシワを刻み、見開いた瞳は小さな点へと萎縮した。瞬きひとつで闇に覆われる。光を失った、あの日と同じように。
(なんで……兄ちゃん、の)
葉の脅しは、簡単に彼を危険に晒せる、というものだった。効果は絶大で、曜には恐怖が残される。葉は青褪める彼の頭を、ポンポンと叩いた。
そっと手が離れていくと、曜は怯えを隠すように笑った。震える口角を、無理矢理に吊り上げて。
「ぜ、ぜたいに話し、ません」
なぜ彼の名を知っているのか。曜には問い質す勇気がなかった。曜の血縁の本名、人形にされた一番大切な人の真名。それが要だった。要は、朝曜の真名なのだ。
ところで、職業人形の真名は存在してはならない。というのが機関が決めた掟である。本来蕾花無は、蕾花を植える対価として真名を払う。そのため人形の真名は機関で消されるのだ。元から蕾花持だった、曜のような例外を除いて。
機関以外が知りえない、握られた数々の真名。それは開花の起爆剤という役割をもっている。真名には蕾花をもつ以前の記憶が詰まっており、記憶を一度に思い出すことは感情の混濁を招く。
蕾花は感情で制御するものであるため、乱れた感情は蕾花に影響する。その形は、ほとんどの場合開花として現れる。人間ですら制御の難しい開花を、人形ふぜいが制御できるはずもない。
開花の起爆剤、命を握るも同等な真名。それをいち従者の葉が知っているなど、あり得ないことだった。曜は葉を厳重警戒の対象へ切り替える。曜の厳重警戒対象は、朝音と潤葉の二人になったのだ。
(葉先輩は昔から裏があると思ってたよ、疑ってきて正解だったな。兄ちゃんに関わらせないようにしなくっちゃ。)
思案する曜を横目に、葉は礼をはらう。
「では、私は手配を済ませて参ります」
「ええ、お願いするわ」
「ウルガ様を音曜に任せ、手配を済ませましたら、様子を見に戻って参りますので」
葉は曜の肩を叩き、くるりと顔を向けた彼の頬を人差し指で突いた。
「夜曜、夜音様のことを頼みますよ」
「え、へい……お待ちひへまふ」
葉が頬から指を引くと、曜は頬を片手で擦った。半眼で嫌悪の視線を送り、もう片方の手をしっしと払う。出ていけと態度で示された葉は、にこやかな笑みを浮かべながら部屋を出て行った。
(彼には何の影響も出ていないようですね。真名を使うのは惜しかったですが、結果上場。更に嫌われただけで、嫌われている内は安心です。彼の記憶が蘇ることがあるようなら、計画は修正して対処しましょう。)
『影響が出ない内は計画通りに』
(ええ、そうですね。すべてを計画通りに進めるのが望ましい。と言われましても今のところ上出来です。計画の修正は必要ありませんね。この計画、私には少々役不足でしょう。)
部屋を出て扉を締めた葉は一歩進み、扉が開けば死角になる位置で立ち止まった。部屋の中へ意識を向けると、少しばかり言い争うような声が聞こえた。更に耳を澄まして曜の叫びを聞き取ると、顔色ひとつ変えずに頬を撫でた。
(夜音さんを救う根回しは充分。夜音さんの記憶が上手く消えるかは賭けでしたけれど、これなら勝算があるでしょう。実験が成功したなら、一段階は有終の美ですかね。)
葉は息を吐きながら笑みを消す。穴の空いた風船のように、少しずつ抜ける空気で徐々に失せる笑み。無表情になった葉は、壁に背を預けた。
(正直、誰かさんの計画の完遂はどうでもいいんですよ。私は私の望みの為に、できることをやるまでですから。)
胸の上へ手を重ね、慈しむように撫でて小さく笑う。
『全ては私の、愛しい人形のために』
きゃー!(羞恥&興奮)自分に対して役不足とか思っちゃうジャンパー傲慢で素敵ぃ! だーれかさんの明かされない計画? ジャンパーさんの、ようやくわかった目的?
次回予告「夜曜が人形じゃなくなっちゃった! 人形なのは誰?」ですって。もはや次話の要約ぅ! (来月投稿の6話をもって、夜音の章は完結です。見届けてくださると嬉しいです!)




