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朝顔の私刑  作者: 久成あずれは
(本編) 過去。夜音。夜曜
12/17

(仮)11話

時系列は「(本番)朝音。朝曜。曜」の1年前です。

言わずもがな、夜音の話です。

 八歳を迎えた彼女の日々は、過酷を極めていた。夜音(よるね)は追い立てられて日々を走り続けていた。定められたレールの上を死物狂いで走ってきた。(ねた)む者に足をすくわれないように、両親や周りの期待に応えるために。


『天才と、もてはやされた朝音を超える、そのためだけに』


 夜音は毎日、ウルガから課題を与えられる。前日の課題についた評価は一枚の紙にまとめられ、課題評価書と呼ばれる。翌日それを受け取りに、ウルガと顔を合わせるのが決まりだった。


 そのため、夜音と夜曜(よるよう)はウルガの部屋にいる。最近は総復習の課題ばかりで、彼女の記憶容量は限界を超えていた。夜音は連日と同様に叱責(しっせき)を受けている。


「また間違っている。何度同じミスを繰り返す。いつになったら学習する」

「申し訳ありません、お父様」


 今日も父を呆れさせた。夜音は胸を刺されるような心地がした。折檻(せっかん)に怯える、痛みを忘れられない体と、恐怖を諦めた頭。(また、朝音のせいで)と夜音は折檻を受ける覚悟を決めた。

 できない、という壁は無情に夜音を阻む。生まれたときから、ずっと。


『朝音のようには、できない』


「──ここは、似たものが存在するが、覚え方に気を付ければ間違わないはずだ」


 覚悟を決めた夜音に降り注いだ第一声は、夜音の緊張を解いた。今日は父の機嫌が良いらしく、指摘する声にトゲがなかったのだ。折檻はないだろうと安堵した脳裏(のうり)に、呪文が渦巻く。

「お前のために言っているんだ、やっているんだ、自分もこんなことはしたくない、出来ないお前が悪いんだ」夜音は遠い目で体罰を下す父の影を思い出した。


「はい……申し訳ありません」


 夜音は申し訳なさそうな表情を作る裏で、感情を噛み殺していた。体の前で重ねて握った小さな手が、わなわなと震える。その手には恐怖と苛立ちの、せめぎ合いが現れていた。


(こんなミスが、いつまでも足を引っ張ってばかり。だから私は朝音に追いつけない追いこせない。罰ばかりが、生きた数だけ増え続ける)


木家(もっけ)ヒノキ科三家の見分けは、葉の裏の特徴を記憶するんだ。ーーとーーの違いは──」


(そんなこと、解っている。ただのケアレスミスだもの、次は間違わない)


 夜音の脳が不要な説教だと判断したのか、解説するウルガの声が遠退(とおの)いていく。夜音自身気をつけていたはずのミスだった。日に日に意欲が削がれていることは実感としてあったが、ついに彼女は集中力の低下を認めざるを得なくなった。


 家督(かとく)緑木家(みどりぎけ)に関することは、丸暗記しなくてはならない。朝顔家(あさがおけ)と緑木家との縁を継続させていくことは、朝顔家家長(かちょう)の勤めのひとつ。そのためには、膨大な知識が不可欠であった。緑木創成の木家に始まり、現在に至るまで、あらゆる情報を知る必要がある。

 覚えていなければ知らないのと同じという、ウルガの教育方針は丸暗記ばかりなのだ。


「朝音は、この程度基本だったぞ」


 責めるような口調で夜音をなじり、自責(じせき)(あお)る。(あき)れと苛立(いらだ)ちを抱き合わせた長いため息。ウルガは自身を落ち着かせるために吐いているのだ。しかし夜音に対して落胆したことを、聞かせるようなため息でもあった。それに混じった聞こえない言葉が聞こえる。


『出来損ない』


 その正体が幻聴と解りつつも、夜音は罪悪感に耐えられず目を伏せた。幻聴と同じ声は喋り続ける。


「しかし終わったことだ。失敗を引きずらず次に活かしなさい」

「はい。善処します」


 夜音は決まり文句と、貼り付けの微笑みを浮かべた。形だけの励ましに一喜一憂する純粋さは、既に夜音から消え失せている。


 ウルガは潤葉(じゅんば)に採点済みの課題を渡した。机の上には白い角2封筒だけが残った。ウルガは、その封筒を机の上で滑らせる。


()()()()()ノルマだ。完璧に(こな)してくれ」


 直感的な違和感。()()()ではなく()()()()()。違和感に囚われた夜音は戸惑いを微笑みで誤魔化しつつ、礼をする。


「承知いたしました」


 ウルガは潤葉に目配せをした。潤葉は夜音に向けて差し出された封筒を机から取り上げて、採点済み課題を重ねる。そのまま夜音に歩み寄り、持っていたものを渡す。

 ウルガに背を向けた状態で彼は笑顔を作り、確かに頷いた。祝福と激励(げきれい)を含んだ力強い表情だった。その表情で、彼女の違和感は確信に変わる。夜音は笑みを返し、(うなず)いた。


 潤葉から封筒を受け取った夜音は、荷物持ちの曜に横流しにした。曜は受け取りを確認させるため、ウルガに見えるよう封筒を抱えた。

 夜音は胸に手を当てて、顔を上げ、目を合わせる。決意を宿した瞳でウルガを直視する。


「最善を尽くします」


 ここへ来てから一度も光を宿さなかった黄金の瞳が、光を吸い込んで金色(こんじき)に輝いている。その神々しさが、ウルガの両目を貫いた。

 ウルガは手を組み直して、若干緩んだ口元を隠した。落ち着いた様子で瞳を閉じて、退出を(うなが)す。


「報告は潤葉に。要件は以上だ。下がりなさい」

「承知しました。失礼します」


 退室を指示された夜音らは、潤葉の案内で部屋を後にする。夜音がウルガの視界から消えた後、彼は()えて聞こえるよな声量で呟いた。


「朝音に出来たことだ、出来ないはずがない」


 それは、激励なのか(あざけ)りなのか。ウルガ以外には知る(よし)もない。

 夜音は悔しさを隠すように拳を握った。機微(きび)(さと)い潤葉は二人を静かに見守る。夜曜は頬を膨らませて不満気(ふまんげ)、主人が侮辱(ぶじょく)されたと思っているのだろう。夜音は作ったような笑顔で(いきどお)りを隠している。

 潤葉は気を利かせるべく、苦笑いを浮かべると「気にすることではない」と言いたげに首を振るのだった。


 朝顔家には家長専用の部屋が一定数存在し、現在の家長と歴代の家長が使用している。通常、家長は前家長の死後に代替わりするため、部屋が無制限に増えることはない。家督も、その部屋を家督室として与えられている。

 旧本家が焼失してからの日々、夜音は家督室を使っている。ウルガの部屋で共生するのは危険と判断した潤葉が、ウルガの権力を無断で借りて用意させたのだ。


 そんな経緯を持つ自室に二人は戻った。夜音は執務机に腰を掛け、夜曜が用意した茶で小休憩をとっていた。机に置かれた未開封の課題を(にら)みつけながら、夜曜が愚痴(ぐち)る。


「全く、葉先輩もアテになりませんね」


 両目を伏せてティーカップに口をつけていた夜音が、彼の愚痴で(まぶた)を上げた。(もく)しつつ視線だけで、続けるよう促す。夜音にとっては恩人の、悪口を言ったにも関わらず、頭ごなしに否定されなかったことに驚く。夜曜は望まれた通りに続ける。


「葉先輩でさえ夜音様を守ってはくれない、庇いもしない。夜音様をウルガから守って下さる方はいらっしゃらないのでしょうか?」


 夜音は「カチ」と清らかな音を立てて、茶器を机に置く。


「曜、忘れた訳ではないのでしょう? 潤葉さんは私を守って庇って下さいました。十分です」


 ウルガに理不尽な理由で折檻部屋へ閉じ込められる時も、機嫌次第で執拗に折檻される時も、潤葉は夜音を主人に黙って解放してくれていた。夜曜は、ますます不貞腐(ふてくさ)れた。


「忘れてないですよ。あの時も、この前も……私では夜音様をお守りできなかったんですから」


 夜音は「ふふっ」と上品に笑った。夜音は夜曜の感情を理解していた。


「そうですよ! 嫉妬ですよう、自分でも解ってます。笑わなくてもいいじゃないですか」

「そうね、ごめんなさい」


 夜曜はわざとらしいため息を吐いた。


「あーあ。夜音様には、みっともない自分を隠したいのに、子供になっちゃいます」

「曜は誰に対しても子供っぽいわよ?」

「そーですか?」

 唇を尖らせ、不満そうに呟いた。そんな姿が子供のよう。夜音は励ましになればと付け足した。

「素直なのは悪いことばかりではないと思うわ、子供っぽくても良いと思うわよ?」

「いや、困りますってー」力の抜けた声で吐き出した夜曜は、眉を(ひそ)めヘタヘタとしゃがみこむ。


 無気力モードになった夜曜を(たしな)めつつ、夜音はウルガに与えられた課題を開封し熟読する。潤葉が夜音だけに見せた表情の正体を掴むためだ。そういうこどだろうと確信していた夜音は、一文目でほくそえんだ。そこに並んでいたのは、現家長が解決できていない朝顔家統治にまつわる課題ばかりだったのだ。


「曜、潤葉さんは、やはり()()になる方よ」


 朝音と同じレベルの娘が育ったことを朝顔家全体にアピールするため。と口添えしてくれたのだろう。潤葉は上手く立ち回っていたのだ。小首を傾げる夜曜に書類を見せつける。だてに最優秀従者ではない夜曜は、直ぐに夜音の言わんとする事に気がつく。


「これって、本来……家長の仕事ですよ!」


 夜音はウルガに、ようやく認められたのだ。家督として公表するために、現家長でも解決できていない問題を解決させる。これは朝音に(まさ)るような優秀さを演出するための小細工、言い換えれば保険だ。夜音のノルマに、こんな難題が羅列されている理由は、そんなところだろう。


 ウルガの狙いを知った夜音は必死に取り組もうと決意した。この課題を解決できた時、夜音は家督として公表される。最年少家長への道がようやく開かれる。内なる熱意に燃える夜音を他所(よそ)に、夜曜が疑問を(てい)す。


「今日のノルマじゃないってことは、今日は、お休みしていいってことになりません?」


 既に参考書類を広げ、ペンを握っていた夜音を視界に納める夜曜。夜音は課題に取り組む気満々で、作業環境を整え始めていたのだった。


「……このところ詰めこんでばかりだったじゃないですか」


「そうね。でも、自力で開けなかった道がやっと開けたのよ。私が足踏みする理由なんてないわ」


 やる気に満ちた主人を止める忍びなさよりも、休暇を与える必要性が(まさ)った。高揚(こうよう)しているはずの彼女の顔色が悪い気がしたのだ。

 夜曜は速やかにペンを奪い、夜音は素早く新しいペンを取る。そのペンすら奪った夜曜が、笑顔で圧をかける。


「今日くらい、休みましょ?」

 夜音は渋々(うなず)き、休日を受けとることにしたのだった。

書き上がった嬉しさで、予定より早く投稿してしまいました。8月にも投稿できるように執筆を進めておりますので、ご安心ください。

次回は夜音の現在編1話になります。お楽しみに!

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