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朝顔の私刑  作者: 久成あずれは
(人形) 朝曜。夜曜。潤葉
10/17

1話

これは本編1話の前の話です。これを踏まえて1話を読むと……

皆様の楽しみ方が増えることを願っています。

 潤葉(じゅんば)は今日も手紙を書いていた。ある人物への懇願(こんがん)を綴った手紙だ。


朝顔朝音(あさがおあさね)様へ──』


 既に送った何通もの想いは、ことごとく切り捨てられ、彼女に届くことはなかった。

 手紙を送り始めて早一週間、(いま)だ一通の返事も無い。それでも毎日のように手紙を書いては送った。(わら)にも(すが)る思いで書き続けてきた。


 しかし、もう時間がない。一刻も早い改善を要する、予断を許さない事態に発展してしまったのだ。一縷(いちる)の望みを掛けて、潤葉は朝音へ会いに行く事にした。

 夜音(よるね)が開花する前に。助かる命に間に合うように。


 潤葉の生活圏内から遠く離れた、森林塀(しんりんへい)へと足を踏み入れる。緑木家(みどりぎけ)に拾われて朝顔家に仕え始めて以来、来ることが無くなった場所で、潤葉にとっては昔の庭である。


 鬱蒼(うっそう)とした林の影に身を溶かし、目的地までを観覧する。懐郷(かいきょう)の念から昔との相違点(そういてん)を探す。森林内は人工物の存在が目立つようになっていた。人家(じんか)が増えた影響か、道が変化している。

 なにも無かった影と闇ばかりの森には、まばらに覗く家々からの息吹きが増えた。死んでいた空気に、人肌を感じた。


 潤葉は心底ほっとした。地図を持ってきて正解だった、という安堵(あんど)からではない。朝音が孤独の中に生きているわけではない、と知ったからだ。己が彼女の環境さえも孤独にしていたら、どう贖罪(しょくざい)すべきか悩む事もあったのだ。()()()()()朝音のことは気に掛けている。


 朝音の家を見つけた潤葉は、柄にもなく少々戸惑(とまど)った。人の、元朝顔家のお嬢様という身分高いお人が、住む家には見えなかったのだ。傾斜(けいしゃ)の効いた歪んだ家は、まるで朽ちかけた物置小屋。まさかと思い地図を確認する。


 潤葉が持ってきた地図は特殊で希少な物だった。地図には緑木家に所属している全員の蕾花力(らいかりょく)が登録されており、登録済みの蕾花力を感知すると自動で地図を生成し、誰がどこに居るのかを示す仕組みになっている。

 地図は朝音の蕾花力を潤葉の側に示していた。つまり、ここが朝音の住居だと。


 我に返った潤葉は、自身の平静を保つために身なりを正した。朝音の左遷(させん)先、住所を調べるために照合した書類に間違いは無かったのだから、住所はここで間違いないのだ。蕾花をアテにした地図に不正が働けるはずも無いだろう。眼前(がんぜん)の今にも崩れそうな小屋が朝音の家だ。紛れもなく。


 潤葉は自身の力加減を不安に思いつつ、張り切って扉を叩いた。何度目かで扉が開く。扉の(きし)みが家鳴りを呼んで、潤葉の訪問は森全体に響いた。朝音は潤葉を鼻で笑って出迎え、潤葉の羞恥心は小さく(うず)いた。


貴方(あなた)(ほう)けた顔なんて、いつ()りかしらね。いい土産(みやげ)じゃないの、どうぞ、お入り」


「ええ、はい……お恥ずかしいものをお見せしてしまいましたね、申し訳ありません」


「失礼します」と断りを入れ一礼し家に入る。部屋の中も案の定、潤葉の想像以上にゴミ溜めだった。足の踏み場がない、あるはずの床がない、道が見えない。ないないない、あるものといえば、これ。潤葉は呼吸を忘れ、異臭に鼻を曲げた。


 朝音は道なき道を掻き分けてつくったスペースを指差し、座るよう促した。埃が舞い上がり、先程とは違う臭いが広がる。潤葉は必死に首を振って断り、戸前から動かない事にした。


 朝音は無機質な声音(こわね)で「そう」と呟いた。それから書類の積み上がった机の側に行き、近くに置かれていた木箱をひっくり返した。その上に座ったかと思うと、床に広がった木箱の中身を拾い始める。


 潤葉は終始ギョッとしてしまった。突然荒々しく木箱をひっくり返したのはもちろん、朝音が拾っている物は自身の送った手紙だったのだ。


 汚部屋も、潤葉のぎこちないポーカーフェイスも、気に留めない様子の朝音は気怠げに訊ねる。


「で、用があるんでしょ? 手短に話すだけ話して、さっさと帰りなさい」


 自虐的な笑みを湛え警告を付け足す。


「こんなところにいたら、(いや)しい空気が染み着いてしまうわよ、朝顔家二代目家長の従者サマ」


 刺のある言葉を少しも気にせず、無感情に受け流し本題を()じ込みにかかる。


「はは、それくらいのことは構いませんよ。ところで、手紙はご覧頂けましたか」


 潤葉は手紙の事を皮切りに、本題を語った。朝顔家の現状、夜音の病、朝音に開花病を治療してもらいたいと、夜音の命を救って欲しいと。


 相槌(あいづち)はおろか見向きもされないが、潤葉は淡々とした口調で伝えた。朝音は全てを聞き終えると、手元に積み上がった紙切れをひとつにまとめて、潤葉に投げつけた。潤葉が話している間に、彼女が破いていた物だった。


「知ってる、そんなこと。貴方がそれで教えてきたでしょう」


 投げつけられた衝撃で紙切れは炸裂(さくれつ)し、足元の砂埃が舞い上がった。潤葉は眉を寄せ、口を覆いたい衝動を抑え、口元に片手を添えるに留める。


「……はい、そうですね。ご一読下さっていたのなら、お返事を頂きたかったですね」


 嫌味を()わし、暫時(ざんじ)微笑み合う。静かな戦いが繰り広げられ、部屋の空気は糸を張った。

 砂埃が収まった頃、潤葉は添えていた手を下ろした。変わり果てた姿の手紙たちを見下ろしながら、静かに相手の出方を待つ。


「嫌。めんどうくさい。これが私のお返事よ。満足したかしら」


「はは、なにをお望みでしょう」


「貴方、相変わらず(いや)らしいわね。(わか)っていて言わせたいんでしょう? 曜の所属を私に戻して頂戴。できないようなら、お返事は変わらないわよ」


 潤葉にとっては想定済みの事態。これほど簡単に辿り着くとは考えていなかったため、黙り込む。朝音の曜──朝曜(ちょうよう)(とう)は既に得ている。

 朝音の気が変わらない内に、最良案を呑んでもらうため、ルート確保の心算(しんさん)を立てる。


「他の何かでは、釣り合わないのでしょうか」


「そうね。貴方が私ごときに土下座でもしたら、釣り合いが取れてしまうかもしれないわ」


 小馬鹿にした笑い声を混ぜた冗談だった。悪い、冗談だった。潤葉の思惑成就まで後ひと押しでもあった。逡巡(しゅんじゅん)の末、潤葉は伏した。夜音を救えるのなら安い対価であると、ほくそ笑む。真に受けるしかない振りを演じる事に徹する。


 自身の足元に手を添え頭をつけて、体を折り曲げて小さくなった。潤葉の下には紙切れ、枯れ葉、砂、土、砂利、埃に湿気。ありとあらゆる汚れがあった。

 衣装や髪がゴミに塗れようと躊躇(ためら)わず、床に全身を、(ひたい)をも(こす)り付けた。潤葉は文字通り塵に身を(うず)めて懇願した。


「夜音様を、彼女の命を、どうかお救い下さい」


「ほんと……嫌になる、辞めて頂戴」


「良い返事を頂けるまで、辞めるつもりは御座いません」


 潤葉の土下座が予想外だったのか、己の誤算に気付いたのか、眼鏡をギリギリと握り、朝音は焦り始める。


「そ、そんなところで喋ったら、何を吸い込むかわかったものじゃないわよ」


「ご心配には及びません、私のことより、どうか夜音様を」


 潤葉が綺麗好きと察している朝音は、彼がここまでする理由が理解できなかった。理解できずとも、覚悟だけは伝わった。


「もう、わかったわよ! 早く顔を上げなさい」


「ありがとうございます、朝音様。貴女様なら、そう仰って下さると信じておりました」


 顔を起こす動きに(あわ)せて手の甲で額を拭き、毒気の無い笑顔を上げて感謝を述べる潤葉。埃が舞わないように気を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。気取(けど)られぬように後ろ手を組み、両手を擦り合わせて汚れを落とす。潤葉は衣装の汚れを払わずに、朝音との約束を確認する。


「では、手紙の通りに本日含め七日後に──」


「手紙に従っても良いのだけれど、ひとつ条件があるの」


「わたくしの土下座では、やはり、釣り合いが取れなかった、と?」


鬱陶(うっとう)しいわね、相応(ふさわ)しい譲歩(じょうほ)くらいするわよ。曜の所属を私に戻すのは過大要求だったもの。曜を取り返す事は諦めるわ」


「それはそれは。大変ものわかりの良い、ありがたきお言葉にございますね」


 潤葉は()えて(あお)り続けた。しつこい挑発に苛立(いらだ)った朝音は、あからさまな舌打ちをする。


「……期日の最終日に曜が私を迎えに来ること。最終日は日付が変わってからよ。最終日より早い、曜以外が来た。そういうことがあったら約束は白紙、いかが?」


 画策(かくさく)したかいあってか、人に揉まれず鈍ったか、珍しく誘導に()まる。朝音が自ら提案した事は、潤葉(じゅんば)の描いていた理想であった。彼にとって最善な決着がついた、この戦いは潤葉の勝利である。


「はい、承知致しました。言質(げんち)は頂きましたからね……(たが)わぬように、お気を付け下さい。約束の日に、きっとお会いしましょう、それでは」


 潤葉は顔の前に小指を軽く(かか)げ、朝音に向かって「指切りげんまん」の振りをしてみせる。朝音が不服そうな表情で、それを眺めていると「絶対に守れよ」とでも言いたげな、作った笑顔で念を押される。


 その後、潤葉は「失礼しました」と言って朝音への一礼を律儀(りちぎ)に済ませ、慎重に扉を引いて帰って行った。

 一人に戻った朝音は手近な書類の山を拳で叩き、憤慨(ふんがい)(あらわ)に呟く。


「何よあれ、脅しのつもり? すっかり馬鹿にしてくれちゃって。釘を刺すなら曜にでしょう?」


 慣れない独り言に身震いし、眼鏡を握り、いつものように胸の内へ吐き出す。


『信じる、そんなこと……いえ、きっと来ないわ』


「曜なんか、来ないわ」


 口をついて出た、物欲しげな言葉を一笑する。


「はあ、最悪……最っ低」


 朝音は自己嫌悪に顔を歪め、自身が掛けている眼鏡を強く握るのだった。


 一方の潤葉は外に出た後は扉の前を動かず、朝音の悶絶(もんぜつ)を盗み聞いていた。興味深そうに、冷めた瞳を細めて頬を撫で、唇だけで呟く。


『幼くなられたようで、まあ、一興、一興』


 視線を傾けた先で目に留まった、前髪の埃を摘むと笑みを深める。早く身を清めなければね、と胸の内で呟く。

 潤葉は木漏れ日に足を踏み出して、軽やかな足取りで帰路を辿り始めた。

謎多き人物、その名も潤葉! あのウルガの従者を務める、器量の持ち主ッ! 何をしでかすか、わかったもんじゃねぇ〜腹の底が知れないドス黒不思議ちゃん! 潤葉! イエ〜イ!

(あだ名はジャンパー、じゅんばって響きに近かったから。気に入っています。)

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