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第47話


「え? ちょ、ちょっと逢沢くん?」


 学園長の驚いたような声が頭上から聞こえた。


 表情をうかがうようなことはしない。ただ、誠心誠意頭を垂れるのみだ。


「あの……そんな、困ります。頭を上げてください」


 生徒に頭を下げられて落ち着かないのか、学園長は頭を上げるよう促す。俺はゆっくりと頭を上げた。


「けど……そうですね」


 さっきまでと違って、真面目な話だ。学園長は気持ちを切り替えようとひと息吐く。


「たしかに、今回あなた方のいざこざに本学園の生徒が巻き込まれてしまったことは事実です。ですが、それを救っていただいたのはあなたでしょう?」


「ですが、約束が……」


 入学初日のことだ。生徒に危険が及ばないように。そう学園長と約束をしていた。いかに想定外のこととはいえ、俺はその約束を破ってしまった。それは事実なのだ。


 俺はなお食い下がろうと言葉を継ごうとするが、学園長がそれを遮る。


「それに、お忘れですか? あなたも私の大事な生徒なのです。もちろん、あなたのことも心配しましたよ」

 

 俺は言葉に詰まった。嘘偽りのない優しい声音に、優しい笑顔。そんなふうに言われてしまえば、なにも言えなくなってしまう。


「柊先生と、同じことを言うんですね」


「それが、先生というものなのですよ」


 陰鬱な空気になるような謝罪はここまでだと言うように、学園長はにこりと笑う。つられて俺も苦笑すると、気を取り直して、今度はもう一つあった用件を口にする。これも、大事なことだ。


「では、次はお礼を。俺のことを、他の先生たちには話さないでいてくれたんですね」


「まぁ、あなたのことは凜道さんに頼まれていますからね。普段お世話になっているので、これくらいのことは」


「本当に、それだけですか?」


「他にも理由はありますよ。言ったでしょう? 生徒を信じるのも、教師の務めなのです」


 学園長は、これが私の答えですとはっきりと言った。なら、生徒である俺が出来ることは、変に疑ったりせず、同じく先生を信じることだろう。


「わかりました。そのお気持ちも含めて、今回はありがとうございます」


「いえいえ。それから、私からもひとつよろしいでしょうか?」


 学園長は姿勢を正し、手を前で重ねて、深くお辞儀をする。


「この度は私の大事な生徒を救っていただき、本当にありがとうございました」


 なんとも不思議な感覚だ。大人にこうして頭を下げられ感謝されることなど、たぶん初めての経験だったから。


「……お役に立てて、なによりです」


 どう返事をしようか迷い、俺は結局教科書どおりの返事をした。それを聞いて顔を上げた学園長は、にっこりと笑う。


「あ、そういえば……」


 だが、途端に何かを思い出したように顔をしかめると、訝しんだ目で俺に尋ねてきた。


「先日、警察の方にうかがったんですけど……あの、どうすればあんなことになるんですか?」


「あんなこと?」


 どんなことだ? あまり良いことではない気がする。


「その、事件のあった現場が、今にも崩れそうになるくらいめちゃくちゃになっていたって聞いたんですけど……」


「ああ、そのことですか」


 もともと廃墟も同然だったのだから、今更崩れるもなにもないだろうに。


「あれは、普通に――」


「……普通? 普通ってなんです? 壁にいくつも大穴が空いたり、柱が数本へし折れているのを普通で片づけるというのですかっ? 全部当日に出来たものですよっ?」


「…………」


 建物自体が脆くなっていたとはいえ、たしかにそれは普通ではないな。学園長が驚くのも無理はない。


 とは言え、相手を殴って蹴ってふっ飛ばし、勢い余ってやったと馬鹿正直に言って、やっぱりあなたは危険だと目をつけられてはたまったものではない。


 さて、どうはぐらかそうか。考えをめぐらせた結果、俺は面白おかしく冗談を交えて話を盛り上げ、うやむやにしようとする。


「すいません、学園長。俺、実は超能力者なんです」


「…………はい?」


「みんなには黙っていてください。あまり能力ちからを使い過ぎると、寿命がっ」


 俺はそんなでたらめを、さも真実かのように大げさに話す。もちろん身振り手振りは忘れない。『それはさっきの私じゃないですか』などと突っ込んでもらえるよう、胸のあたりを押さえて苦悶の表情を作ったりもした。


「あ、あなたという人は……」


 学園長はそんな俺のふざけた様子を、心底冷めた目で見下ろしていた。拳がぷるぷると小刻みに震えている。


「あなたには、薬が必要なようですね……頭の」


「……ん?」


「薬を飲むためにはお水が必要でしょう。ちょうどここにあります」


 まずい。いくらなんでも、これはふざけ過ぎたか?


 学園長は俯いて表情に影を落とすと、近くにあった花瓶を手に取りこちらへと距離を詰めてくる。


「な、なにを……」


「先程、あなたがやったことです」


 口元だけに笑みを浮かべて、学園長は俺の頭を押さえて花瓶の水を口の中へと流し込んできた。


「私がっ、事後処理にっ、どれだけ苦労したと思っているのですかっ!」


「がっ、がべぼっ! ぼべばぼごばべっ――(や、やめろっ! 俺はここまでっ――)」


 俺を大事な生徒だと言った優しい学園長は、もうそこには居なかった。凛々しさもへったくれもない。


 俺が解放。いや、逃げ出せたのは学園長が水槽にまで手を伸ばした時だった。


(うっ、腹が……)


* * * * *


 龍巳と橘学園長が、真面目なのかふざけているのか、よくわからないやり取りをしている頃。


「……まだ、かな」


 私は昇降口の前に立ち、たっくんが来るのを今か今かと待っていた。


「ふふっ」


 ただ待つだけでも楽しい。だって来てくれるのがわかっているから。しばらくは、にやにやがおさまりそうになかった。


 すると、そんなそわそわしていて落ち着かない様子の私に、声をかけてくる人がいた。


「おや? 君はこの前、生徒会室に来た女子生徒じゃないか」


 びっくりして振り返ると、そこには生徒会長の久遠寺葵先輩がいた。


「やぁ、奇遇だな」


 久遠寺会長は手を上げ、笑顔を向けながら近づいてくる。私は軽くお辞儀をした。


「あ、こ、こんにちは。久遠寺生徒会長」


「うむ、こんにちは。えっと、名前はなんだったかな。たしか、桜井とだけは耳にしていたのだが……」

 

 私をどう呼べばいいのか、久遠寺会長は顎に指をそえて訪ねてくる。その姿は、なんだかとても様になっていた。私は恐縮して答える。


「あ、す、すいません、名乗るのが遅れて。私は1年B組の、桜井春花です」


「そうか、春花というのだな。うむ、では私のことも葵と呼んでくれ春花。会長も不要だ」


「え? で、でも……」


「いいんだ。親しい者達にはそう呼ばせている。もちろん龍巳にもだ」


 たっくんの名前が出た途端、私は少しだけピクッと反応する。


 どういった関係なのだろうか。とても気になるけど、私はなるべく平静を保って答えた。


「はい、わかりました……えっと、葵さん? でいいですか?」


「うむ、それでいい。出来れば堅苦しい敬語も不要なのだが……」


「あ、その、すいません、それは……」


 流石に上級生、それも生徒会長にタメ口は躊躇ってしまう。葵さんは表情を崩すと仕方ない、といった感じで笑いかける。


「はははっ、まぁそこまではいいさ。話してみて、多分断られるだろうとは思っていたからな」


「え? それって……」


「私は人を見る目はあると自負している。こう言うと失礼だが、君はそこまで気が強そうではなさそうだからな」


「うっ……」


 結構ストレートだった、思わずそんな声が出る。


「すまない、気にしていたか?」


「い、いえ。大丈夫です」


 葵さんはバツが悪そうに頬を掻くと、苦笑いを浮かべた。


「本当にすまなかった。思ったことをはっきりと言ってしまう性格だから、ついな……それから、この前のことも謝らなければいけないな」


 この前のこと?


「朱里のことだ。あんなに怒った彼女は初めて見たが……なにがあったにせよ、いきなり暴力は良くない。生徒会の代表として謝罪させてもらう。すまなかったな」


「あ、いえ。押しかけたのは、私ですから……」


 あたふたと私は手を振った。あれは朱里さんの気持ちを考えずに先走った私が悪い。


「……ふむ」


 そんな私の様子を見て、葵さんは腕を組み、なにか考えるような声を出す。


「もし良ければなんだが、なにがあったのか話してみてくれないか? 朱里は私の友人だし、助太刀出来るかもしれない」


「え? あの、それは……」


「言いにくいか?」


 言葉に詰まった。流石に、知り合ったばかりの人にあの話を聞かせるのは気が引ける。


 けれど、葵さんはたっくんとも親しい間柄で、これから先も話すこともあると思う。だから、きちんとお付き合いしていくなら、話した方がいい。


 私はあの時のこと。そして、先日の屋上での告白を、葵さんに話した。


「なるほど。そんなことがあったのか……」


 話を聞き終えれば、葵さんは難しそうな表情になる。

 

「今の話を聞けば、あの時の朱里の気持ちも、わからないでもない。私ももし龍巳が弟なら、同じことをしていたかもしれないな」


 私はなんと言ったらいいのか。口元をもごもごとさせて、気まずそうに身をよじる。


「まぁそう身を縮こませることもない。きちんと謝罪は済ませて、お互い納得したのだろう? ならこれは他の者がどうこう言えることじゃないさ」

 

 葵さんはうんうんと頷いて、なにやら納得している様子だ。私もほっと胸を撫でおろす。


「ふむ。そうかそうか。なら――」


 けれど葵さんは、落ち着いた私の心を再び。どころか、さっきよりもしっちゃかめっちゃかにかき乱す、衝撃的なひと言を放った。


「今の話を聞く限り、春花は私の()()となるわけだな」


「…………へ?」


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