第44話
さぁっと吹いた風が、桜井の髪をなびかせた。そこから彼女の表情が垣間見える。
不安そうに口をつぐみ、目元を僅かに潤ませて、けれどその眼差しは真剣で。頬が紅く染まっているのは、きっと夕陽のせいだけではないだろう。
「…………」
俺はそんな桜井の表情を見て、初めてその言葉を告げられた時の事を思い出した。
今日のように夕陽の差し込む公園で、今と同じような表情で、彼女に好きだと伝えられたあの日。
あの時俺は、なんと答えたのだったか。
あまり覚えていない。覚えてはいないが、あれ程までに桜井のことを大切に想っていたのだ。きっと「俺も好きだ」そんなふうに答えたに違いない。
けれども、今は。
「……お前の気持ちには、応えられない」
そう言って、桜井の告白を拒絶する。俺にはもう、あの頃の想いは……ない。ここで彼女の告白を受け入れても、余計に悲しませてしまう。それだけはしたくなかった。
「……うん」
俺の答えを聞いた桜井は、今にも消え入りそうな声で呟き、小さく頷く。顔には、悲しみや後悔といった感情が滲み出ていた。
また、傷つけてしまった。またこんな顔をさせてしまった。
昔は、桜井はよく笑っていた。俺はそんな彼女の笑顔が好きだったのだ。
しかし、今その笑顔を曇らせているのは俺だ。そんな自分に心底嫌気がさす。
こんな辛い表情を彼女にして欲しくない、悪いのは自分だ。俺は張り付いてしまった口を必死に動かしその先を続ける。
「……俺は好きだとか、そういうのがよくわからないんだ」
違う。わからないんじゃない。捨てたんだろ。
自分が傷つきたくなくて、その感情を向けた人たちが離れて行ってしまうのが、嫌だっただけだ。
結局本当の俺は臆病で、いつも逃げていて。こんな俺を好きだと告げられても、目の前にいる桜井と向き合おうとしない。また離れていってしまうかと思うと、怖くてたまらないのだ。
俺は、その気持ちを止められない。これを言えば、また彼女を傷つけてしまうとわかっている。
けれど、もうあんな思いをするのは嫌だ。
だから、こんな感情は知らないままでいい。わからないままでいい。
「……だから」
俺は桜井を正面に見据えて、無慈悲なその言葉を紡ごうと口を開く。
〝――だから、俺はお前を好きにはなれない〟
* * * * *
「…………」
静寂で満たされた屋上に、俺の声は響かなかった。口を間抜けに開けたまま立ち尽くす。
まるで、真綿を口の中に押し込まれたように喉奥が張り付き、上手く声が出ない。
その言葉を口にすることを。桜井を傷つけてしまうことを、拒んでいるようだ。
……なぜ?
なぜ俺は彼女に傷ついてほしくないと思っている。
なぜ彼女の悲しむ顔を見たくない。
なぜ彼女が攫われた時、あんなにも取り乱した。
そして、なぜ……こんなにも、胸が苦しくなる。
「……っ」
必死にこらえなければ、涙をこぼしてしまいそうになる。先程言おうとした言葉を言えば、俺は情けなくも泣き崩れてしまうだろう。
なぜ、こんな気持ちになる。
俺はふと、以前浮かんだ疑問を思い出した。
『なら、俺はどうして欲しいのだろうな』
なんなのだろうか。俺が桜井に、本当にして欲しいこととは。考えても、答えが出そうで出ない。
別に、桜井に謝って欲しいわけじゃない。
傷ついて欲しいわけじゃない。悲しんで欲しいわけじゃない。泣いて欲しいわけじゃない。
……離れて、欲しいわけじゃない。
散々自問自答した果てに出たのは、寂しがりやの子供のような言葉だった。
「……たっくん?」
俯き、黙り込む俺の様子が気になったのか、桜井が心配そうに呼ぶ。その声にはっとした俺は、顔を上げて彼女を見る。
「……そう、だな」
なぜだか、久々にきちんと桜井と向き合えた気がした。自分の気持ちとも。
あの時から今の今まで、俺は桜井ときちんと向き合ったことがなかった。だから今彼女に対して感じているこの気持ちの正体がなんなのかわからない。
ならこれからは桜井と。今感じているこの気持ちと向き合っていこう。
わからないのなら、わかるようになるまであがけばいい。
「……だから」
1人で駄目なら、2人で。だから――。
「だから、お前が俺に教えてくれないか?」
「…………え?」
俺の言葉の意味がわからなかったのか、桜井はたっぷりと間を空けてから目をぱちくりとさせ声を出す。たしかに言葉が足らずだったな。俺はもう1度、彼女に自分の気持ちを告げる。
「あの頃、お前を好きだった気持ちを……もう1度。お前が俺に教えてくれないか?」
我ながら酷い話だ、告白を断った相手に、こんなことを言うなんて。
けれどもう決めたことだ。あがいていくと。
ただ、恥ずかしながら俺1人では駄目だ。1人では、また逃げてしまいそうになる。
俺の気持ちを聞いた彼女は、予想してなかった言葉に驚いた顔をする。
「で、でもそんな……私、たっくんのこと裏切ったんだよ?」
戸惑いながら言う桜井に、俺は少し冗談めかして返す。
「そう思うなら、俺の為に手伝ってくれてもいいんじゃないか?」
「そ、それは……」
未だに迷う彼女に、俺は最後のひと押しとばかりに、今度は自分の意志でその名前を言う。
「なぁ、頼むよ。春花」
「…………あ」
桜井の頬に、一粒の涙がこぼれ落ちる。悲しみの涙ではない。喜びの涙だ。
だって彼女の顔には今、笑顔が添えられているから。
「……うん、私頑張る。たっくんにもう1度好きになってもらえるよう、私頑張るからっ!」
「ああ、ありがとう」
俺が微笑み礼を言えば、桜井は目の前まで近づくと、ポケットから何かを取り出す。
「たっくん、これ……」
渡されたのは、見覚えのある赤いミサンガ。修復の跡があるが、間違いなく俺が着けていたあのミサンガだ。
「これは?」
「いつか……受け取ってもらえないかもしれないけど、いつか渡そうって思ってずっと持ってたの」
桜井は期待した様子で、ちらちらと俺と渡したミサンガを交互に見る。ここまでされてどうしてほしいかを聞くのも野暮だろう。
「……なら、約束だな」
俺はミサンガを受け取ると、以前と同様右の手首に着ける。
「これから2人で、頑張っていこう」
「……うんっ。2人で一緒に、頑張ろう。約束だからねっ!」
そして俺たちは再び約束を交わす、あの頃と同じように。
時間はかかるかもしれない。辛いことも、立ち止まりそうになることもあるだろう。
だけど、2人で頑張ればいつかきっと。俺はもう1度春花を好きになれる日が来るはずだ。
だって俺に笑いかけた彼女は、好きだったあの頃と同じ。満開に咲いた、春の桜のような笑顔なのだから。
* * * * *
春花と再び約束を交わしたその日の夜。俺が自室の椅子に座って、手元のスマホを見ていると、ヒュポッという通知音が鳴る。テツからだ。少し前からやり取りを交わしている。
『で? 告白されて振った相手に『お前のことを好きにさせてみろ』って言ったのかお前は』
『意味は同じだが悪意を感じる言い方だな』
『かぁ~じれったいっ! そこは男なら『俺も好きだ、愛してるっ!!』とか言って抱きしめてやれよこの野郎』
『……お前は俺がそんなことをする人間に見えるのか?』
『リュウくんだいた~ん』
「こいつ等……」
俺はグループチャットで馬鹿共、もとい友人2人に春花のことについて相談していた……のだが、これは人選ミスだったか? いじり倒されて腹が立ってきた。
『けどなにはともあれ、お前たち2人が仲直り出来て良かったよ』
『世話をかけたみたいだな、ありがとう』
『いいってことよ』
どうやらこの2人と雀の3人は春花からも相談を受けていたらしい。なるほど、だから最近あんなにも話すようになっていたのか。以前はぐらかされたのにも納得がついた。
なので、こうして俺と春花の拗れに拗れまくったわだかまりが解れた今、堂々と相談に乗ってくれているわけだが。
『これからどうするんだ? 頑張るっつって、具体的になにするって決めて無ぇんだろ?』
『それは、そうだが……』
テツの言う通り、これといってなにをするかは決めてない。いきなりの和解で考える余裕がなかった。
『ま、そう急ぐ必要はねぇだろ。困った時は、俺たちも協力するぜ』
『うんうん、友達のこんな大事なことは、ほっとけないからね』
『あぁ、ありがとう。その時は頼む』
そうだな。1人で駄目なら2人で、2人でも難しいなら皆で。それが仲間というものだろう。
『それに、前は春花の事が好きだったんだろ?』
『あぁそうだな』
『こいつ、速攻で答えやがった』
即座に返信すれば、そんな呆れた返しが飛んでくる。
『ちなみになんだが、具体的にはどれくらい?』
どれくらいか。そんなもの、考えたこともないな。
だが、そうだな。
『そう言われると難しいが、春花のことは心底好きだったよ、大切だった。あいつがいない生活なんて考えられない。それくらいだ』
送信して見返すと、大分恥ずかしい台詞を吐いたが、この気持ちに嘘はない。
『お、おう、よくもそんな恥ずかしい台詞を堂々と……まぁ、それが聞けたなら安心だな』
『そうか?』
『そうだよ。それよりタツ。お前のことだ。気づいてないんだろうし、確認もしてないんだろうが、グループ名のとこ見てみな』
「グループ名?」
俺は言われた通り、チャット欄の上にある、グループ名の部分に目を向ける。そこには『逢沢くんとゆかいな仲間達』という珍妙な文字列が並んでいた。
「本当になんなんだ、このふざけた名前は」
それは、俺、テツ、トワ、雀の4人で作ったグループ。当然、グループ名の横にも4という数字があるはずだ。
「…………ん?」
だが、俺の目にははっきりと6という数字が映っていた。
「まさかっ!?」
嫌な予感がして、すぐさまメンバーを確認する。そこには、作成者4人の名前の他に2人、見覚えのある名前が追加されていた。
『桜井春花』『日向夏海』
記されている名前を見た瞬間、俺は先程自分が放った恥ずかしい台詞を思い出した。
無駄だとはわかっている。しかし、確認せずにはいられない。俺は急いでチャット画面に戻ると、自分が放った台詞を見る。その横には――。
〝既読5〟
俺は液晶から目を離して、ばっと窓の向こう側。春花の部屋に視線を移す。
部屋の明かりが点いていた。そしてカーテン越しには人影が。部屋の主がそこにいるという証だ。
「み、見たのか?」
既読が付いているのだ。間違いなく、バッチリと見たであろう。
今、カーテン越しにいる彼女がどんな顔をしてこの台詞を見ているのか思うと、途端に羞恥心が湧き上がる。明日、どんな顔をして会えばいいのだろうか。
きっと2人ともまともに顔を合わせられない。あの台詞にはそれだけの破壊力がある。
今すぐ過去に戻ってやり直したい。けれど、それは無理だろう。過ぎてしまったことは変えられないのだから。
俺は未だ手元にあるスマホの液晶。そこに記された台詞を、後悔のこもった目で見下ろす。
だが、見ていたところで変化など訪れるはずもなく。
「テツの奴……」
なぜだか、スマホからテツの笑い声が聞こえた気がした。
気のせいではないだろう。きっと今頃、腹を抱えて笑い転げているに決まっている。
その光景を想像すると、無性に腹が立ってしょうがなかった。意味がないとわかりつつも、俺は八つ当たり気味にスマホを布団の上に叩きつける。
「…………はぁぁぁ」
弾んだスマホは布団の上を滑って床に落ち、液晶を上に向けると、しつこくも画面に並んだ文字をこちらに見せつけてくる。俺はもうどうにでもなれろ諦め、深い深いため息を吐いた。
……入学初日。春花の隣になった時は、これからどうなるかと思った。
結果としては、俺たちの関係は良い方向に流れていったのだろう。
まぁ色々とあったが、春花と2人で。そして俺たちに協力してくれると言った仲間と共に歩んで行けば、その先に良い未来が待っている……かもしれない。
確信はないが、きっと大丈夫だろう。
だが、やはりこれからのことを考えると、俺はこう思わずにはいられなかった。
本当に、前途多難だな。
ここまでご覧いただきありがとうございます。今回のお話で第1章完結です。第2章からも頑張っていきますので応援よろしくお願いします。
それから第1章を通して、なにか感じるものがあったり、これからも読んでいきたいと思ってもらえれば、作品のブックマークやご評価、感想。また簡単でもよいのでレビューを書いていただけると作者が感謝でむせび泣きます。モチベーションも上がりますのでよろしくお願いします。




