第41話
なにかを守るために強くなろうと決意したのに、なんだこの様は。
すべてがスローモーションのように見える世界で、横たわる彼女の姿を視界に捕らえる。
「はる、か……」
自然と、昔の呼び方が口につく。
大切だった人。好きだった人。
守りたくて、傷つけたくなくて、失いたくなくて。この手から零し落としたくなくて、必死だった。
だから、その大切なものが失われてしまうんじゃないかと思った時。心にぽっかりと大穴が開いたような言いようのない喪失感が襲い、空虚になった心はどろりとどす黒く淀んだもので満たされ、俺はそれに抗えなかった。今のように。
この男を、俺の大切なものを傷つけたこの男を殺してやりたい。これまでとは比べ物にならない禍々しく荒れ狂った衝動に駆られる。
「やっ、やめっ――」
気が付けば、俺は武藤を殴り始めていた。
『龍巳、もういいから!』
目の前の光景と、過去の光景が重なる。
『あ、あの、たっくん、私……』
春花も姉さんも、今にも泣いてしまいそうな表情だった。そうさせてしまったのは、他でもない俺自身。
振り返ってみれば、いつも俺は傷つけてばかりだった。
今だって、自分の不始末に巻き込んで、助けに来たのに守り切れず。こうして春花を傷つけてしまっている。
もっと武藤に気を留めていれば。もっと早く駆け付けていれば。もっと上手く立ち回れていれば。おかしな意地など張らず、素直に仲間の手を借りていれば。
俺が春花の、傍にいてやれれば。
あの時こうしていれば。そんなどうしようもない後悔を、もう何度している?
結局俺には、なにかを守るなんて大それたことは、出来ないのだろうか。
後悔は自棄へと変わり、すべて壊してしまえとなにかが囁いてくる。そうすれば、大切なものを失う辛さも感じなくて済むだろうと。
どんどん、心が黒く淀んでいく。草木が枯れるように感情が弱って、なにかもがどうでも良くなってくる。
もういっそのこと、傷つけることしか出来ないのなら、この衝動に身を任せてしまっても……。
俺がその誘惑に溺れる寸前で、不意になにかが腕を掴んだ。
「…………み、おい止めろ、龍巳っ」
光だった。その声で、俺ははっと我に返る。
「もう止めとけ。それ以上は、ほんとに死んじまうぞ」
光は俺の腕を放すと、もう片方の腕で掴まれているものに視線を向ける。釣られて見てみれば、そこには顔をぱんぱんに腫れあがらせて、壊れたおもちゃのように「ごめんなさい……」を繰り返し言い続ける武藤の姿があった。
「俺、は……」
武藤に殴られた後からの記憶が曖昧だった。その直前に、たしか……。
「――っ、桜井っ!」
思い出し、俺は桜井が倒れ伏していた場所に視線を向けるが、そこに姿はなかった。
「桜井、どこにっ――」
「こっちだ」
必死に辺りを探すと、いつの間にかいた三井が桜井を抱えて歩いて来た。服がボロボロに裂かれていたからか、上には誰かの上着がかけられている。
「まったく、倒れた女を放っておくのは感心しないな」
ぐうの音も出ない。俺は悲痛に表情を歪めて俯く。
「大切な人を傷つけられて腹が立つ気持ちもわかるが、ならこの子を1番に優先してやれ。この子はお前のことを、きちんと考えていたぞ」
「……桜井が、俺を?」
なんで三井がそんなこと知ってる。
「いや、お節介だったな。いらんことを言った」
三井はそう言って俺に桜井を預け、ついに意識を失った武藤も他の仲間に預けると「明日の店の準備があるからな」と手を上げこの場を去っていった。
「なんだったんだ?」
三井の態度が気になってもやを抱えるも、すぐにそれを意識の外へと追いやると、桜井に視線を移す。
幸い、体に目立った怪我はなく、気を失って眠っているだけのようだ。寝息を立てる安らかな表情を見て、俺はよかったと深い安堵の息を吐き、顔を埋め優しく桜井を抱きしめる。
しばらくそうしていると、俺の肩から光が顔を覗かせた。
「龍巳。どうだ、その子?」
「光……ああ、大した怪我はない」
「そうか。そりゃよかったな」
光は俺の背中をぽんぽん優しく叩いた。
だが、俺にとってその優しさが、無性に心に響く。
「……すまん。また、やってしまった」
なにを言うべきか迷い、結局俺は微笑む光から目を逸らして、謝罪の言葉を口にする。
それは光に向けて言ったのか、それとも目の前で眠っている桜井に言ったのか。
守る守ると豪語していたのに、最後は完全に怒りに身を任せただけのただの喧嘩だ。また約束を破ってしまったと、俺は表情を落とした。
「ふっ、ばーか」
光は落ち込む俺を叱るわけでもなく、よくやったと褒めてくれるように、わしゃわしゃと乱雑に頭を撫でる。
「お前は今日、ちゃんと戦ったじゃねぇか……その子のこと、助けられてよかったな」
「……あぁ、ありがとう」
戸惑い、上手く笑みを作ることは出来なかったが、俺はそう答えた。光は満足そうに頷く。
「まぁ、今日のところは、その子のこと送ってやれ。後の始末は俺の方でなんとかしておくから」
「いいのか?」
「いいさ、別に。それに親父にも頼んでおく。大分派手に動いたからな、警察も出てくるだろ」
「……いつも、迷惑をかけるな」
「気にすんな。街のゴミ掃除を俺たちに頼ってんだし、親父も少しは苦労した方がいいんだよ」
「そう、だな。今度会いに行くって、凜道さんに伝えておいてくれ」
「あぁ、親父も喜ぶよ」
最後に「ハンバーグはまた今度でいいよ」と調子を戻して言い残すと、光は仲間たちのもとに行く。
後に残ったのは俺と、未だに眠っている桜井の2人だけだ。
「……帰るか」
抱きかかえていた桜井を、起こさないよう気をつけて背負うと、俺は仲間たちに再度深く礼を言ってその場を後にした。
隣街。電車を使えば人目を引くから、少し時間はかかるが徒歩で家までの道のりを行く。
「うっ、うぅん……」
線路沿いをしばらく歩き、踏切で遮断機が上がるのを待っていると、背中ごしに桜井の吐息が聞こえた。意識が戻ったようだ。
「あ、あれ。たっくん?」
目を開け、桜井は不思議そうに辺りをきょろきょろと見回す。先程までボーリング場にいたのに、起きたら景色が変わり、俺に背負われていたのだから混乱するだろう。
「武藤に吹っ飛ばされた後、気を失っていたんだ。もう全部終わった。安心しろ、帰れるぞ」
「う、うん……」
「桜井、どこか痛むところはないか?」
「え? あ……うん。だ、大丈夫だよ」
桜井はふわふわと呆けた様子で返事をする。久しぶりにこんな至近距離で話すから、恥ずかしがっているのだろうかなんだか顔が赤い。
そのやり取りを最後に、俺たちの間に会話はなくなる。電車がレールを踏み潰す音と遮断機の警報音が、やけにけたたましく響く。
疲れたというのもあるが、単純に気まずかった。
背中越しに桜井の体温を感じ、しかもその格好はだいぶ際どく、なるべく意識しないようにと精一杯だ。
「ねぇ、たっくん」
そんな、先程とは違った甘酸っぱい緊張の中、桜井の方から唐突に声をかけられる。顔が近いせいか、息が少しくすぐったい。
「どうかしたか?」
「…………き」
桜井はなにかぽつりと言ったが、その声は電車が通り去った後の風に連れて行かれて、よく聞き取れなかった。
「すまん、うるさくて聞こえなかった。なんて言った?」
「……ううん、なんでも無い」
頭を振って、桜井は俺に回している腕に少しだけ力を込める。触れ合った部分から伝わる彼女の体温が、少しだけ上がったような気がした。
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