普通のなろう読者の高校生が感想欄の疑問を連ねる話。
最初に軽く自己紹介というかなろう等ネット小説に対する感覚をお話しします
私は基本なろう小説をぼけーっと読んでたまにグッとくる小説を見かければ涙することもあるし、なんか似たような作品見たことある気がする。まあいいや。とアバウトに色々小説を読んでいることもある読み専です。もちろん言ってしまえば何も考えずに読むことも多く、ましてや文章の書き方、文脈、ボロボロな点があると思います。さて、ここでこの文章の題名のようなものを見かけると寄ってたかってボロカス言う人多分いるんですよね、わかります。辛いと思うよ。まあ僕は知らないんですけど。
ここで私はなろうでハイ、ローファンタジー、ラブコメ等多くの小説の感想欄に疑問を持ったのです。
主人公の行動にいちゃもんをつけて、悪意を持って作者の揚げ足をとるのは何故か。
それ、感想を書いてる人。小説読むこと、楽しめてますか?
何のために小説を読んでいるのでしょう?私は不思議でなりませんでした。
私は先ほどの通り読んで楽しむ。ただそれが好きなのです。別に不自然な表現が良いものであるという事を言いたいわけではありません。私は感想を書くことも今まであまりしてきたこともありません。例えば、「あ、誤字があるなぁ。」「ここ、ちょっと不自然かなぁ。」と思うときも、ただそう思うだけです。誤字報告はただ作者様も助かることですし、作者様にお疲れ様。と言えばきっともらって嬉しい感想だと思います。
この文章を書いていて、誰かの小説に感想を書きたいなと思いました。
さて、疑問に戻ります。まず、主人公の行動に「俺ならこうする。」「何でこうしないの?」「主人公馬鹿だろ。」って感想がついたとします。
もちろん、自分はこう思う。と考えることは、小説を読む楽しみ方の一つであることは間違いないでしょう。そして、これを共感してほしいがため、人にそれを聞かせるということになります。ここで感想にそういったことを書きます。
そして、皆さんに考えてほしいことは果たしてその感想で主人公もとい作者を傷つける結果になるということが良いことであると言えるのでしょうか。果たしてそれを受け取った、作者様。あくまで物語ではありますが、主人公、登場人物はどう思うでしょうか。
書きたいことは分かる。確かに主人公はおかしな行動を取った。あなたの言う事の
が正しい。だから何だ。と。今流行っている「それってあなたの感想ですよね。」
と言う事ですね。感想はあくまで感想。小説の中の人物は別の行動を取った。ただ、それだけに過ぎない。それに関して主人公を貶すことは失礼とは思えないのか。
感想を書く方々にも目的は人それぞれだとは思います。でもどうせなら作者にしっかり見てほしい、とか、よかったと伝えたい!ここは直した方がもっといい形になるのかもしれない!そう言うことを伝えたい感想だと思います。あ、もちろんただ誹謗中傷罵詈雑言吐き散らかすのが目的だよーって言う捻くれた人はここでは論外とさせていただきます。
ならばいったいどうして口を悪くして喋る。
2つのコメントがあって、片方は丁寧な指摘コメ、ちょこっと応援が添えられたり、ここ良かった!好き!って書いてくれたりする。
もう片方は指摘コメ、では確かにある。さあ。パッと見、これは悪口だ。
さあ。どっちを見たい。どっちを参考にしたい。確かに両方とも大事な意見が含まれていて致命的なミス、誰がどう見ても変えた方がより良くなるなんて部分が指摘される。作者は自分の能力に辟易する。「ああ、確かにそうだ。私の考えが甘かった。」だとしても、だれも悪口好んで見たくないでしょう。いっそのことぱっと見悪口コメなだけで内容一ミリも読まないようにするくらいしてもいいんじゃないかな。たとえそれがどれだけ大切なものだとしても。理想論ですが。
少し話はずれますが、私は大体、いじめられる側の人間に非は無いという考えをしています。こちらももちろん今は理想論。一旦ここに関する議論は今は不要だとする。そして、相手を傷つける理由になり得ることは存在しない。もちろん私もただの高校生。実際にこれほど極端な行動を取れているわけでもなければ、いじめの対応として必ず褒められるような行動が取れているとは到底言えない中途半端な人間である。
ですが、わざわざこんな見知らぬ人と会話するSNS、なろうの感想等で、人に対して偉そうに、ただただ罵倒する意味は無いのです。 もしかしたら誰かがそれを見て辛い思いをするかもしれません。
ミュートブロック等での自衛はやはり実際は大切です。しかし今回のテーマは「わざわざ悪口使わんで良くない?」ですので今回は一旦置いておきます。
先ほどの通り、今回、そのような人を貶す発言を楽しむ人間は論外とします。言わずもがな、それが絶対悪であることは確実だからです。
先ほどの通り、伝わりづらい文章上とはいえ、面と向かって話せない批判をどうしてわざわざするのでしょう。
ほっとけ。気持ちは分かる。でも、それを伝えることは辛い。「お前の文章はクソだ。」
たとえそれが本当でもお前に言われたくないよね。なんでわざわざそんな風に言うの???ってなる。
そして、ただでさえ伝わりにくい文章上の不便なコミュニケーションなのになぜあえて悪い言葉を使って偉そうな雰囲気を醸し出すのでしょうか。
ところで「ものはいいよう」。これって相当自由にいろんな考え方ができる都合のいい言葉だと思いませんか?僕はこの言葉が好きです。これによって明るく振る舞う
為の考え方となったり、一転して悪用されてしまいもするものだったりしますが
これは今のネット社会(?)を表す言葉なのではないでしょうか。
そしてこれは聞き手側にもいえて、わざと自分の都合のいいように聞くのです。
よく言われる、「じゃあ見なきゃいい」「感想欄はそう言うところである」「有名税」と言う言葉。まあその言葉の通りできればいいんですけどね。
そんなことをすべての人間ができたら誰も自殺を試みることは無いわけで、
じゃあ誰かが有名税やーって言いながら悪口を言うのは許されるものですか?
さあ。ここまでで読んでくださった皆さんには思うことがあるはずです。
「まあ確かにそうかもしれない。」「一理ある。」「そんな考え方もあるのか。」
「そんなことはない。」「いや、不出来な文章に価値は無い。」「酷評することは悪いことでは無い。」「人を嫌な気持ちにさせるのが目的では無い。」
等々です。もちろん浅い考えの私の想定できる話なので、例えばこれらのうちの
ネガティブな意見に関しては、今は反論ができたりしますが、
鍛え上げられたなろうの感想を書いて批判をする人達の手にかかれば
私の文章から、ここがダメだ。ここは違う。と私の想像できない意見、
確かに私が間違っている。と納得させられる意見が出ることでしょう。
さあ。私は初めにお話しさせていただいた通り、素人です。セオリーも知りません。
一旦開き直させてください。もし本当にそう意見が出れば私はこう思うでしょう。
「ああ。そうですね。」と。出て当然です。まだ文章を投稿していない私には、
酷評され沢山の人にこの作品は面白くないと言われる辛さは一ミリも分かりません。想像くらいはできますが。味わいたくないし。だからなんか予防線貼りまくってるし。
そして何回かに分けて書いてるのですが主張したいことがブレないので同じようなこと何回も書いてます。すいません。
私が言いたいのは、批判するのは分かる。でもなんで丁寧に書けないの???「いや人によって表現の仕方は自由だから。」いや、労力変わんないでしょう。見てる人どう思うだろうか。作者は丁寧な口調で指摘してくださる感想とぱっと見罵倒にしか見えない感想、どっち見る?言わずともだよ?見てほしいんじゃないの?作者が嫌な気持ちになるのはもちろんその感想いろんな人見るからね。私も感想見てイライラしてこれ書いてるわけなのでね。
作者の考え尊重しましょうよ。主人公の行動にはそれぞれに何か意味がきっとあるんです。そんなの無い時もあるけど。作者がこうしようと思って書いてるんです。俺ならこうするぞ、こいつはバカなのか?落ち着いて。思ったことそのまま書く前に、ちょっと気を遣うくらい頑張りましょうと思いませんか?
さあ。皆さん。なろうの読み方なんて自由です。せっかくなので楽しんで読みましょう。