無性別の恋
ラジウムが好きだなと思い始めたのは、案外出会ってすぐのことだった。いつも不安で押しつぶされそうで、精神的にも不安定だったオレを快く受け入れてくれたのはラジウムが初めてだった。
「アスタ。」
そう呼んでくれることがどれほど嬉しかったか。その声にどれほど救われたことか。
赤いラジウムもかっこいいとは思う。でもオレが好きなのは陰気なフリをしていて、話が下手な優しい青いラジウムなんだ。髪が赤くなってきていることが不安で仕方ない。
でも、報われることはないとわかっている。だから、ただそばにいさせてほしい。友達のまま幸せに過ごせたなら、それで十分幸せだ。どうか自分だけを、なんてわがままは言わないから、ずっとそばにいさせてほしい。
「アスタ、ここ最近ずっと俺の近くにいるが、何かあったのか?」
「だって怖いだろ、『いつまでゆめをみているつもりだ』ってメッセージがあったんだから。」
はるか昔、ある男がいた。教師をしていたという。しかし、その男には左腕がなかったらしい。そしてその男より10歳下の男がいた。彼は腕のない男の生徒だった。生徒はどうしてか腕のない男に想いを寄せていた。叶わない想いとは知りながら、男に大きな悲しみが訪れた時には身を粉にして尽くしに尽くした。もちろん男に悟られることのないように。
決別の日の前日、男を救う作戦の都合上ホテルの同室の別々のベッドで二人は眠ることとなった。次の日に自らが起こす事を一瞬だけ恐れた生徒は、眠っている男の存在しない左手を握ったつもりで軽く持ち上げ、その甲にキスをしたのだそうだ。
「これがこの国で左手の甲へのキスが『悲恋』って呼ばれている由来なのよ。」
恋愛ものが好きなマリーのことだ、何かの書物を暗記したのだろう。口には出さないが、美味い水の味が濁るような話だ。ようやく誘いに乗ってくれたアスタを横に座らせているというのに。アスタも微妙な表情で話を聞いていた。
「マリーさぁん、もう一杯水ぅ、おねがぃしまぁす…」
「アルセ〜飲みすぎだって。また吐くよ〜?」
「うるっせぇな…飲まないでやってられるかよ…。」
少し離れたテーブル席からどうも品のない声がした。アルセニックか。よく飲みすぎて吐くという話を誰かに聞いたような。水は適量で止めておかないと、全身に水が回りすぎて酔っ払ってしまう。吸収しきれなかった水はやがて吐き出されるようにできている。
「アルセ〜、いくら八つ当たりが苦手だからって、自分を追い込んじゃあ苦しいだけだよ?」
「黙れタリウム。第一お前があの時あんなことしなきゃ…」
そんなところで寝落ちしたようだ。
アスタが初めて来たというのに、情けない光景だ。アスタは小さく砕かれた水晶のスナックをかじりながら、呆れたような表情をしていた。
「マリーさんごめんね、もう帰るよ。」
「えぇ、またいらして。アルセは良い広告塔だからねぇ。」
マリーがクスクス笑った。
どうしてか、前ほど心が動かなかった。
帰り道、オレはラジウムと別れてからの道中でアルセとタリウムに会った。アルセはまだ眠っているらしく、タリウムに負ぶわれていた。
「こんな友達で大変だと思うかい?」
こちらに気づいたタリウムがニヤニヤしながら話しかけてきた。ラジウム以外と話すのにはあまり慣れていない。ようやくラドンやフランとも会話ができるようになってきたオレからしてみるとちょっと怖かった。
「君はコミュニケーションが苦手なのかい?それならアルセも同じようなもんだよ。」
「…そ、そうなんだ…。」
目が泳ぐ。
「君とは面白い話をできそうだなぁ、なんてね。」
「は、早く帰らないと、つ…疲れるだろ?」
「んー、それが全然平気なんだ。なんでだかわかるかい?」
急すぎる問いかけだった。もちろんわからないし焦る。
「僕はね、アルセがこうして僕を頼っていることが嬉しいんだよ。普段の彼はね、自分が毒性の強い元素だからって妙に周囲と距離を取りたがるんだよ。自分に自信がないとか言ってね。元素である僕たちは人間じゃないから、全く関係のないことなんだけどね。」
「は、はぁ…」
まるでラジウムのようだ。ラジウムが自信がない陰気なフリを続ける理由ってもしかして…。
「…そしてね、僕は彼に一番嫌われてるんだよ。なんでだかは知らないんだけど、きっと毒性持ちなのに開き直ってる僕のことが羨ましいんじゃないかなぁ。自分のいいところをわかってしまえば、自分を好きになれるのにねぇ。」
「で、なんで、嫌いな奴と飲みにきてるんだ…?」
「…みんな優しすぎるんだよ。彼が距離を置こうとすればそれを理解して距離を取ることを妨げない。だから友達がいないわけさ。対して僕は彼に意地悪するのが好きなんだよ。彼が距離を取りたいっていうなら近づくし、自分を卑下していたいなら褒め倒す。嫌がっている時の彼は耳まで赤くなっちゃって可愛いんだよ。」
ケラケラ笑いながら、だいぶ歪んだ話をするもんだ。果たしてそれは意地悪なのか、本当に嫌がっているのか。
「なんだか、幸せそうな話だな。」
「いいや、ひとつだけ不満はあるよ。」
「…それはなんだ?」
「やっぱ聞いちゃうよなぁ。…僕は彼のことが本当に好きなんだよ。でもね、それを伝える勇気はないよ。だって伝えたところでどうなるのさ。ストロンチウムとカルノーだって手を繋いで幸せそうにするだけだったじゃないか。それなら今でもできるよ…。」
タリウムは、伝えることの利点をしっかり理解しているに違いない。だからこその強がりに見える。カルノーを亡くしてからストロンはずっとカルノーの帰りを待っているらしい。絶対生きて再会したいという彼女は一段と強くなったと聞く。誰かを愛することの強み。
「お、オレはアンタのことを応援するよ。絶対伝えた方がいいに決まってる!」
「…はは、それならたまーに相談しちゃおうかなぁ?なんてね。」
「いいよ、オレの想いが叶わない分、…頑張ってもらうからな…。」
とても、心臓が痛くなった。
涙が溢れるんじゃないか。
2月の初めの頃のことだった。